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「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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犬神家の一族

1976年/日本 監督/市川崑

犬神家の一族_c0076382_22373240.jpg


横溝作品の映画化が大成功を収めた一番大きな要因は、市川崑の「様式美」が持ち込まれたことだ。横溝作品に美しさがないということはないが、作品に「品格」を与えるような美しさが生まれたのは、やはり市川監督の手腕に他ならない。その「様式美」を成すのは市川流の流麗なカメラワーク。そして、古い日本建築の徹底的なこだわりようだ。犬神家では、壮大なお屋敷の中の襖絵や金屏風、古びた商人宿の柱時計に至るまで戦後の日本が美しく再現されている。超都会っ子の小学生の私にとっては、横溝+市川版は一種のファンタジー映画だった。その完璧なまでの世界観は、ありえない世界。おとぎ話だったのだ。

そして、原作よりもコミカルな部分が多いこと。原作において、喜劇的な側面はほとんど金田一耕助がひとりで担っている。しかし、映画では「よーし、わかった!」の名ゼリフの橘警部を演じる加藤武を始め、三木のり平や坂口良子といったメンバーがそこかしこで軽妙なムードを作り出す。それは、おどろおどろしい殺人事件と絶妙な緩急を作り出している。そして、ルパンシリーズで有名な大野雄二の音楽が、実に現代的でいい。

こうした、現代にマッチさせるための工夫がある一方で、市川監督は本シリーズに横溝作品における大切なモチーフを、より増幅させて表現している。それは「哀切」のムードだ。最も代表的なのは、ラストの金田一の別れのシーンだろう。「見送られるのは苦手なんです」と事件現場を去る金田一の後ろ姿に、事件のやるせなさが余韻としてじんわりと残る。このラストの切なさこそ、金田一シリーズの肝になった。犯人松子を殺人に駆り立てていたのは、佐兵衛翁の怨念ではないか、という含みも実は映画独自の解釈なのだが、これまた悲しき殺人者像を作り上げるすばらしいアイデアであったと思う。

何度も見てもラストまでぐいぐい引っ張る。横溝作品に限らず、あらゆるミステリーにおいて真犯人の独白は、この上ないカタルシスを見る者に与えるが、本作においては高峰三枝子の熱演が光る。最初は金田一の来訪にも堂々とふるまっていた松子。が、観念して静馬殺害を告白し回想シーンの後、アップに切り替わった時の、あの魂が抜けたような表情。本作以降、殺人犯こそ、女優としての気概を見せる格好の役どころになった。これまた、実に画期的な出来事だったのではないだろうか。
by galarina | 2007-11-26 22:34 | 映画(あ行)