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by galarina
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タグ:韓国映画 ( 22 ) タグの人気記事

リアル・フィクション

2000年/韓国 監督/ギム・ギドク

「チャレンジ精神」

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夢と現実。表の顔と裏の顔、などギドク作品に欠かせないテーマですので、ギドクが好きだという方は、見てもある程度楽しめるかもしれませんが、作品単体としての強い吸引力には欠けます。

もうひとりの自分がいて、そいつが自分を見つめている。そんな表現として、白いワンピース姿の女性がずっと主人公の自分をビデオカメラで映しているのですが、このあまりにも俗っぽい表現がギドクの初期作らしいです。前作の「ワイルドアニマル」の冷凍サンマでぶっ殺す、みたいなところに通じます。何かの暗喩でしょうが、ちょっと吹き出してしまうようなひねり具合。しかし、ギドクはくじけずにその表現方法に挑戦し続け、磨き上げたんだなあ、というのがよくわかりました。

本作は、ゲリラ撮影でたった1日で撮り上げたということ。まさに実験作ですね。多作、スピード撮影で知られるギドク監督の練習風景を見させてもらったという感じでしょうか。
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by galarina | 2008-11-09 17:40 | 映画(ら行)

ワイルド・アニマル

1997年/韓国 監督/キム・ギドク

「冷凍魚の怪」
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画家を目指してパリに来たのに、今は他人の絵を売ることで生計を立てている男チェン。「鰐」に引き続き、監督お得意のサイテー男がまたまた主人公です。画家を目指しているのに、友の絵を売る。これは、裏切りは裏切りでも同胞への裏切り。同じ盗人でも店の物を盗むよりも、さらに悪い。いちばん卑劣な行為ではないでしょうか。

「鰐」は、身投げした人の金品を盗み、その上警察に死体の居場所を教えることで情報提供料をもらおうとする男、ヨンペ。その後の「悪い男」は、好きな女をスリとして捕まえさせ、あげくの果てに売春婦に仕立て上げる男、ハンギ。どいつこもこいつも、悪いことの倍掛けみたいな主人公ばかりです。この常識的な人ならば誰もが感じる彼らへの嫌悪感がふとしたきっかけで、純粋な愛、または慈しみの情を我々に感じさせるのがギドクの才能です。しかし、本作はハンガリー人女性への愛情と、脱北兵ホンサンとの友情の板挟みに苦しむため、お得意のピュアなるものを突き詰めるプロセスが分散されてしまったように思います。これまでギドク作品を見てきた人が初期を振り返るということにおいては面白さも発見できるでしょうが、これだけで楽しめるかと言うと正直難しいです。

でも、思わずギョッっとなるショットは、多々あって、その辺が初期作を見る楽しさと言えます。DV男が女を痛めつけるのが、なぜか凍った魚。冷凍庫を開けると、ずらっと並んでます。このショットが強烈で、「なんで、魚?」が頭から離れません。そして、最低男チェンが住み家としているのが、アトリエ兼用のかわいらしい白い船。このギャップ感がスゴイ。

こういう奇天烈なアイテムって、「絶対の愛」の唇マスクなんかもそう。だから、少しずつヘンなものを美しく見せるテクニックをギドクは努力して身につけていったんだろうなあ、と思います。ちょっと失礼な言い方かも知れないけど、ドニ・ラヴァンの存在自体もすごく奇抜でしょ。それらの奇抜なアイテムが浮いてしまっていて、全体を見渡すとギクシャクした印象になってしまったかな。でも、苦労してリシャール・ボーランジェとドニ・ラヴァンを口説き落としたってところは、ギドクの心意気を感じます。
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by galarina | 2008-09-07 17:31 | 映画(わ行)

鰐~ワニ~

1996年/韓国 監督/キム・ギドク

「原点を見るのは面白い」

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少々荒削りでも、はっとするカットの美しさがあれば許せてしまうことがあります。本作のそれは、ラストにありました。川底に沈んだソファに手錠をはめた二人が肩を並べて死んでゆくシーン。ギドクらしい美意識が如実に表れたラストだと思います。死んだ人間の金品を剥ぎ取るような人間性のかけらもない男ヨンペが、かくも美しい死に様を遂げることができたのは、自ら陵辱した女から赦しを得、愛に目覚めたからではないでしょうか。クリスチャンであるギドクらしい展開であるのはもちろんですが、より広い意味での「救い」を描いた作品と言えると思います。

正直、このラストシーンに至るまでは粗さばかりが目について、なかなかこの特異な世界に感情移入できませんでした。ヨンペの無軌道ぶりに対してそれほど嫌悪感を抱くこともなく、ぼんやりと眺めているような状況で。後の「悪い男」では、殴りたくなるほど主人公への嫌悪感を覚えましたので、やはり作品を作るごとに腕をあげたということなんでしょう。

橋の下の生活で、絵を描くシーンや彫像がアイテムとして使われており、今なお脈々と引き継がれるギドクの芸術精神がうかがえます。と、申しますか、近作「絶対の愛」でも彫刻は欠かせない存在ですから、逆に言うと変わってないない部分、表現の一貫性に触れることができた、とも言えます。とことん振り子を片方に振って、その対極にある揺るぎないものや美しいものを描き出す、そんなギドクスタイルも不変。荒削りだけど、芯の部分は今なお現在に引き継がれている。これぞデビュー作という佇まいの作品。
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by galarina | 2008-08-04 21:06 | 映画(わ行)

マラソン

2005年/韓国 監督/チョン・ユンチョル

「最初はシマウマ、雨が降ればチーターになって」
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自閉症の青年がマラソンを走り抜く感動物語と思っていたら、これはその母の葛藤を描く物語でした。息子のために良かれと思って応援しているマラソン。それは、果たして息子自らが望んでいることなのか。彼の頑張る姿を見たい母親のエゴイズムではないのか、という問いかけ。これは、全ての子を持つ親への問いかけでもあります。お受験させる親、野球教室に通わせる親…etc。

息子が自閉症だとわかり、一旦はその手を離した母。しかし、そんな自分を深く戒め、何が何でも私がこの子を育てるという決心に至る。そんな、母が「彼があなたを必要としているのではなく、あなたが彼なしでは生きられないのだ」となじられた時の哀しみはいかばかりか。そして、兄にかまけてばかりの母と弟の溝は深まるばかり。

これは、親と子の距離感を描いた作品なんですね。ずっとべったりでもダメで、ずっと突き放しっぱなしでもダメで。その距離はTPOに応じて、縮めたり、伸ばしたりして、努力して良い距離感をキープしていくもの。そして、そのキープに欠かせぬものは、対話であり、信頼。タイトルから予期できる通り、主人公はマラソンを完走します。しかし、過剰な感動演出は全くありません。逆に、もっと泣かせてくれよ、と思うほどです。恐らく、観客を泣かせるためには「自閉症という症状、そして自閉症の息子を育てることってたいへん」という苦労の前フリが必要なんですよ。でも、あまりそれをしてない。そこに、これが実話であることを踏まえた製作者側の、ご本人たちへのリスペクトを感じます。息子に鏡を見せながら笑顔の作り方を指導するシーンなんて、とっても微笑ましくて、微笑ましくて。ストーリーの概要と韓国発と聞いて、ベタベタの湿っぽい感動作かと思いましたが、全くそんなことはありませんでした。親子の距離感、そして家族の幸福とは何かを静かに考えさせられる秀作です。
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by galarina | 2008-04-15 23:01 | 映画(ま行)
2006年/韓国 監督/ハン・サンヒ

「ファンの方のみご覧下さい」
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キム・ギドクやポン・ジュノを見た後で、こういう映画を見ると、ある意味韓国映画の懐の広さというのをつくづく実感。なんとまあ、薄いこと、薄いこと(笑)。凍結した雪道で長靴が滑って、つる~っとすべっていくような表面だけをなぞらえた作品。でも、脚本は日本人なんですね。何とも冴えない日韓合同作品。主演のイ・ジュンギと宮崎あおいのファンの方がご覧になればよい映画ではないでしょうか。

日本人と韓国人が恋に落ちるという設定でまず考えられるのは、日本と韓国の間に長年横たわる感情の溝ですが、本作ではそれについて一向に触れません。まあ、常にそれを持ち出すとどの作品も似たり寄ったりになるので、敢えて外したというならそれでも構いません。ただ、韓国に帰ってきた彼が日本人の女の子に恋をしていたという事実に対して、家族や周りの人々がノーリアクションだったとは到底考えられません。また、ミンと七重、それぞれ家族関係において悩みを持っているのですが、ここの描き方が弱いのなんの。高校生時代のミンくんの演技も、観ている方が恥ずかしくなるような大げさな演出で閉口。批判はこれくらいにして、ちょっと別のこと。

これは、韓国映画だという思いで見始めたせいか、宮崎あおいが目鼻がキリリと際だつ韓国の美人女優とはまるで別人種のような存在に見えます。これは、主演のイ・ジュンギが女形のような美形なので、余計にそう見えたのでしょう。宮崎あおいを活かすならば、韓国サイドはもう少し親しみのある庶民的な俳優の方がしっくり来たと思います。まあ、キャストありきで作られたであろう作品に、このような話をしてもあまり意味がないかも知れませんね。
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by galarina | 2008-01-26 23:40 | 映画(は行)

グエムル 漢江の怪物

2006年/韓国 監督/ポン・ジュノ

「こんな怪物映画、見たことない。ソン・ガンホ最高!」

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ハリウッドに対抗するために作られたモンスターパニック映画だと思っていた私は阿呆でした。ポン・ジュノの才能が見事に光る傑作。なぜ映画館で見なかったのだろうと、今ひどく後悔しています。従来のパニック映画のセオリーとは全くかけ離れた構成で、こんなに個性に満ちた怪物映画にはお目にかかったことがありません。

怪物に殺された人々の家族が公民館のような場所に集められ遺影を前に号泣したり、長男をバカにしてはいけないと父親が子供に説教したり、非常時にはアメリカのいいなりになってしまったり。随所に、同じアジア人としてのメンタリティに訴えかけてくるものがあります。これはハリウッド映画では絶対に味わえない感情です。加えて、薬の散布に反対して学生達がデモ活動を行うなど、韓国らしい描写が強烈なオリジナリティとなっています。

何より、ポン・ジュノらしい作風を、怪物映画と言うジャンルでフルに発揮できていることが驚き以外の何ものでもありません。例えば、怪物は一旦おいといて、主人公カンドゥにフォーカスしてみましょう。彼は勇敢に怪物と戦ったにも関わらず、娘が生きていると訴えても誰も耳を貸してくれず、ウィルス保持者として警察には追いかけ回され、しまいには病院でひどい目に合う。こんなにキツいブラックコメディってあるでしょうか。しかし、とことん間抜けな男を主人公に持ってくることで、極限に追い込まれた人間の描写が圧倒的にリアルなものになり、役人や軍人どもの横暴ぶりを笑いとして昇華させることができます。また、妙に間の抜けた設定だからこそ、その後迫り来る恐怖との落差がさらなる臨場感を生み出します。ライフルの弾の数を数え間違ったがために、我が父を恐怖に陥れてしまった、その切なさたるや…。

こうして主人公をとことんバカな奴に描くユルいムードを表面的に装いながらも、病院のビニールシート越しに不気味に映る顔のショットとか、怪物と併走して走るカンドゥだとか、力強くて印象的なカットは枚挙にいとまがありません。特に「殺人の追憶」でも多用されていた人物のアップ、とりわけ幾度となくカメラに迫られるソン・ガンホの表情が秀逸です。本当に彼は凄い役者です。ラストのアメリカ軍の発表を映すテレビのボタンを無造作に足の指で消すという何気ないシーンにも、ぐっと胸をつかまれます。ペ・ドゥナのラストカットもしびれました。このジャンルの映画で5つ星の作品は、後にも先にも、もう出てこないんじゃないか。そう思わされるほど、良かったです。
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by galarina | 2008-01-24 23:53 | 映画(か行)

絶対の愛

2006年/韓国 監督/キム・ギドク

「愛は確認できない」
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(ラストシーンについて触れています)

冒頭、ハングル文字の真横に英語で原題が出てきます。「TIME」。私は妙にそれが頭に残って見始めたのですが、なるほど今作は愛を様々な「時間」というテーマで切り取っているのですね。私の顔に飽きてしまうのではないかというセヒの畏れは、すなわち、愛とは時間と共に風化してしまう代物なのか、という命題です。2年間付き合った彼女、整形してからマスクが取れるまでは6ヶ月など、時間を示すセリフも幾度となく強調されます。

また、ラストシーンがファーストシーンに繋がっていますが、結局これはセヒがスェヒに会うという顛末で、実際にはありえません。しかし、この連結が示すものは、メビウスの輪のような世界であり、セヒが同じ時をぐるぐると回り続けているように感じさせます。そう考えると、セヒという女性が受けるべき運命は何と過酷なものでしょう。いくら言葉や態度で示されていようと自分は本当に愛されているのか、と言う不安から逃れられない人間は、一生ぐるぐるとメビウスの輪の中を回り続けるしかない。セヒは無限に顔を変え続けるという罰を受けたのでしょうか。整形手術という現代的な事柄を切り口にしていますが、聖書のような話です。汝、愛されていることを確認するなかれ…。

ただ、「恋人として愛され続けること」と「新しい女として彼を誘惑すること」を同時に体験できるなんて、女としてこんな醍醐味はないんじゃないかと思ってしまう自分もいたりするんです。もちろん、そこには大きな矛盾があり、その苦悩もまた、罰であるんですが。まあ、男性であるギドクがこういう発想ができることに驚いてしまいます。

さて、ペミクミ彫刻公園は物語のテーマともぴったり重なり、手のひらの彫刻にふたりが座るショットなど、非常に印象に残る。しかしながら、何度も登場するため、この彫刻たちがもともと持っているテーマ性を少々拝借しすぎなように感じました。まあ、それでも左右の顔写真から成る整形外科のドアや唇がついた青いマスクなど、彫刻のパワーに負けないギドクの演出は実に愉快。教訓めいたお話ですが、こういう人を食ったような見せ方が彼らしい。来年から撮影に入る新作は、オダギリジョー主演。とても楽しみです。(結婚したのは、超悲しいが)
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by galarina | 2007-12-28 23:59 | 映画(さ行)

2005年/韓国 監督/キム・ギドク

「どんな形でも愛は、愛。」

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すばらしかったです。ため息出ました。空に放たれた矢が彼女の「中」に舞い戻るラストシークエンスは息を呑みました。自分勝手な思い込みだけで構築されている老人の愛をいったんは拒否した少女でしたが、最後はその命懸けの熱情に応えるのでした。いくら自由を束縛されようと、それはそれで崇高な愛の形であり、全身全霊でひとりの男に愛されることほど、女に生まれて無上の喜びはなかろうと思わされました。

男の性欲だけを満たさんがために一方的に女を監禁して、いつのまにやら女もその気に、なんて反吐が出そうな映画と、この「弓」という作品の違いは何かと聞かれると、実は論理的にうまく説明できません。結局は作品全体から、それを「愛」だと観客が感じられるかどうか、だと思います。主人公ふたりにはほとんどセリフがなく、目や表情で互いの意思が表現されます。抑えた演出なんてベタな表現が恥ずかしくなるほど、ふたりのシーンはただ相手に対する「想い」が一切のセリフや感情的表現を廃して示されている。その排除の仕方は、強引とも言えるほどですが、これぞまさにギドクならではのテクニックだろうと感心せざるを得ません。

そして設定は奇異でも、伝えたいことは実に単純。愛とは何か。人を愛するとはどういうことか。本作のすばらしいのは、このような突拍子もない設定の物語から最終的には誰にでも当てはまる普遍的なテーマへと視点を下ろせるところなのでしょう。そして、色鮮やかな映像、弓占いという独自の表現が絡み合って生まれる作品の超越的なムードが一つの寓話として我々を強く魅了します。これは、ギドク作品でも大好きな1本となりました。そして、その感情をほぼ「目」だけで演じきった主演のハン・ヨルムという若い女優に心からの拍手を贈りたい気持ちでいっぱいです。
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by galarina | 2007-12-21 23:35 | 映画(や行)

殺人の追憶

2003年/韓国 監督/ポン・ジュノ

「人間の内面に切り込む演出が冴える傑作」
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なぜ、もっと早く見なかったの、と壁に頭を打ち付けたいくらいの衝撃。すばらしいです。そのひと言でレビューを終えたいくらい。

猟奇殺人が絡むと、映画というのはどうしても作品全体が浮き足立ってしまう。それは殺人そのものがスキャンダラスであり、それを映像にしただけでセンセーショナルな画面になってしまうからだ。観客は、猟奇殺人にまつわるもろもろにどうしても興味の方向が引っ張られる。そこを乗り越えて、事件を捜査する刑事の人間ドラマとして描くには、よほどの深い洞察力と地に足付けた演出が必要だ。そういう意味でこの作品は、全く申し分がない。

驚くべきは、生身の人間を描くという「生っぽさ」が主眼にも関わらず、作品全体には静かで落ち着いたムードが漂っていること。それは、この田舎の農村風景を美しく捉えたシーンがふんだんに盛り込まれていることが大きい。カメラは、ただただありのままの田畑を捉えているに過ぎないのだが、そこには昔の田舎は良かったというノスタルジーはない。また、一方で連続殺人が起きた場所として何か意味づけをするでもない。まさしく何もない静かな農村が目の前に広がるだけなのだ。

そして、美術。パク・チャヌクもそうだが、韓国映画のセットのクオリティの高さはすごいと思う。当時の生活の泥臭さが、実に些細なディテールまで再現されていて、そのリアル感が刑事ドラマとしての骨太さを盛り上げている。刑事が通う女の部屋の汚れたタイル、焼き肉屋に充満する煙と油に汚れた壁など、汚いことが圧倒的なリアル感を与える。ソン・ガンホが着ているチェックの綿シャツのよれ具合といったら!日本映画が昭和を描く場合に「いかにもセットでござい」という風体になってしまうこととあまりに対称的だ。

乱暴で強引な捜査を続けていたのに、やがて悟りを得たかのような静けさを持ち始めるパク刑事と分析力で捜査に切り込むものの犯人が捕まらない焦燥感から次第に暴力性を増すソ刑事。ふたりの対比がとにかくすばらしい。特に、ソン・ガンホの存在感は秀逸。人間臭さを表現することにおいて、彼の右に出る者はいないんじゃないだろうか。

パク・チャヌクは作品の中に個性や作家性を持ち込もうとしているけど、本作にそのような余計な色はない。ゆえに、様々な嗜好の人に分け隔てなく受け入れられるだけの力をもった作品だと思う。実に重厚な人間ドラマの中に、サスペンス、そして叙情的で美しい映像と映画の醍醐味がぎゅっと詰め込まれている。全ての人にこの傑作をおすすめしたい。
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by galarina | 2007-08-10 23:34 | 映画(さ行)

PROMISE<無極>

2006年/韓国 監督/チェン・カイコー

「いくらなんでも、このCGはない」
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傑作「さらばわが愛、覇王別姫」と同じ監督が撮ったとは思えない。というか、思いたくない(悲)。あまりにもCGがショボ過ぎる。せめてチャン・ドンゴンの牛走りと凧揚げを何とかしてくれれば、もう少し見られた作品になっていたかも。というか、この発想がチェン・カイコーから出た物なのか本人に聞いてみたいくらいだ。

ワイヤーアクションてんこ盛りで色彩美を追求した壮大な中国ドラマって体裁は誰しもチャン・イーモウの「HERO」「LOVERS」を思い起こすだろう。しかし、アクションにおいてもCG技術においても完敗。笑うしかないCGの仕上がりは、まさか「俺にワイヤーなんか撮らせても、この程度しかできないよ!」というチェン・カイコーの悲痛なる叫びなの?一体、このCG映像を請け負ったのは、どこの事務所なの?ううむ、何を書いてもネガティブになっちゃうので、方向転換。

中国人監督にたくさん予算をかけて大作を撮ってもらおう、ということになった時に、結局ワイヤーアクション付きの大河ドラマが企画に上がってしまうのだろうか、という気がする。台湾出身のアン・リーだって「 グリーン・ディスティニー」撮ってるし。でも、中国=カンフー、予算がある=CGという発想は、あまりにも安直なんじゃないだろうか。おそらく世界をマーケットに作品を売ると考えた時に、無常とか輪廻のようなアジア的世界観が外国ではウケるのと、ある程度の収入は見込めるからなのかも知れないけどね。

でも、もうそろそろマーケットもこの手の作品は飽きたでしょう。アン・リーが「ブロークバック・マウンテン」撮ったように、チェン・カイコーも次は好きなものを撮って、本作の酷評を吹き飛ばして欲しい。「さらばわが愛」の感動をどうか再びと、願うばかりだ。

さて、真田広之。いろんな映画に出て、顔を売ることは大事だと思う。元JACってことで、アクションもいけるし、乗馬もうまいし、英語もできるし、どんどんいろんな映画に出て欲しい。この映画の内容は散々だったけど、チェン・カイコーと仕事をしたっていう実績は紛れもない事実。そこから得られるコネクションもあるだろう。「サンシャイン2057」に引き続き、「ラッシュアワー3」にも出演している模様。こちらは出ました!アジア俳優がハリウッド進出した時に避けては通れぬ道、悪玉役でございます。私、彼がJACに入った時から結構好きな俳優。だから、地道に仕事をこなしているのはとってもエライと思う。がんばれ、真田広之!
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by galarina | 2007-07-22 23:08 | 映画(は行)