「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:金田一シリーズ ( 12 ) タグの人気記事

女王蜂

1978年/日本 監督/市川崑

「全てを物語る岸恵子の目」

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さて、初期の市川+石川版は「犬神家の一族」「悪魔の手毬歌」「獄門島」で三部作的な印象が強いため、この「女王蜂」という作品の評価は一般的に低いような気がします。もともとこの作品が期待薄だったのは、当時資生堂CMとタイアップしていたこと(加藤武は「口紅にミステリーか~」とわざわざキャッチコピーを言わせられてた)と、紅葉まぶしい京都の野点のシーンが豪華女優陣大集合ってな感じで宣伝によく使われていたことが原因だと思います。資生堂&京都の艶やかなお茶会は、いつものどろどろ怨念うずまく横溝世界とは、ちょっとイメージ違いすぎますから。

でも改めて見直すと、とても面白くて、前3作に負けない出来映えに驚きました。ちょっとこの作品を過小評価していたな、と深く反省。

まず、オープニングのスピーディな展開が観る者を一気に引き込みます。昭和7年のひとりの女とふたりの学生の出会い。そして3ヶ月後の惨劇。そして、その惨劇の謎を残したまま、昭和27年のテロップが流れたらいきなり時計塔の惨殺死体。のっけから過去と現在の殺人事件が立て続けに起きて、ドキドキします。その後も前作までの犯人役の女優が次々と登場し、サスペンスとしても十分楽しめる。ここで悲劇のヒロイン、中井貴恵の演技力がもう少しあったならと思うのですが…

と、前置きが長くなりましたが、何と言っても素晴らしいのは、岸恵子の「目の演技」。彼女の目の演技が、中井貴恵のつたなさや、資生堂とのタイアップやら興ざめする部分を帳消しにしてくれます。男を誘う妖しい目、男を疑う哀しい目、報われない愛を知る寂しい目。見つめたり、下から見上げたり、驚いたりとまあ、実に様々な美しい目の表情を見せてくれます。これは演技が上手いという範疇のものではない気がするなぁ。かといって天性のもの、というのでもない。彼女が人生において築いてきたものが全て目に出ている、としか言いようがありません。

彼女の目が語り続けるからこそ、最後の悲しい決断が共感を誘う。彼女に思いを馳せて金田一が汽車で編み物をするラストシーンが余韻を放つ。さすが市川崑監督。岸恵子と言う女優を知り尽くしていると痛感しました。

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市川崑監督がお亡くなりになりました。
もう金田一シリーズが見られなくなるなんて、本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
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by galarina | 2008-02-18 22:03 | 映画(さ行)

八つ墓村

1977年/日本 監督/野村芳太郎

「シリーズの中の1本とは呼べない」

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これは、横溝シリーズの一遍ではなく、「砂の器」「鬼畜」に並ぶ紛れもない野村芳太郎作品。本作の主要テーマは、辰哉という青年の過去を取り戻す旅です。そこには、過剰なおどろおどろしさも、同情すべき犯人もいません。死んだ母を思い出し、自分の汚れた血に思い悩むショーケンに大きなスポットが当てられるその姿は「砂の器」の加藤剛を思い出させます。そこに、芥川也寸志 のメロディアスな旋律がかぶさり、横溝ならぬ野村ワールドが広がります。やたらと夕暮れのシーンが多いのも、印象的ですね。すごく陰鬱な感じが出ています。

市川版における主役とは、犯人であり、金田一です。犯人にはいつもやむにやまれぬ動機があります。しかし、本作はどうでしょう。財産目当てというストレートな動機で、犯行が見つかったら般若の顔に一変し、ついでに尼子の怨念までしょわされています。原作とは全然違う。金田一だって、徹底的に影の存在です。物語が幾重にも重なる横溝作品。それらの中で最重要位置を占める、犯人と金田一への思い入れを本作はあっさりと捨ててしまっている。しかし、その分、戦国時代の落ち武者の殺戮シーン、そして要蔵の32人殺し。いずれの回想シーンも恐ろしさが際だっています。

市川版では、毒を盛られた人は口の端からつーっと血を流したりするんですけど、野村監督は容赦なく吐瀉物を吐かせたりするんです。別に殺しの美学なんて、どうでもいいって感じ。ひとえにこの気味悪さこそ、本作のもう一つの見どころと言えます。特に、頭に懐中電灯を付け走って行く山崎努を土手から捉えたシーン、あれは夢に出てきそうなくらい怖い。落ち武者の怨念から始まった呪いの連鎖を多治見家の消失でもって終わらせ、ラストに辰哉の生きる希望を見せる。橋本忍の脚本も完璧じゃないでしょうか。

ともかく、スポットの当てどころと落ち武者の怨念のケリの付け方など、原作を変えたことで作品としての深みは俄然増しています。でも、でも。シリーズファンとして、金田一の存在があまりにも薄いことが悲しい。この寂しさは、作品のクオリティの高さとは、また別物なんです。縁の下の力持ちどころか、ぶっちゃけ、いなくてもいいくらいのポジション。渥美清が金田一らしいかどうかと言う前に、この金田一のポジションの低さが本作品を諸手を挙げて褒めきれないもどかしさを生んでいるのです。
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by galarina | 2008-02-13 22:46 | 映画(や行)

悪霊島

1981/日本 監督/篠田正浩

「最も美しい犯人だったのに」
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市川版にとらわれず、自分らしい横溝作品を作ろうという、篠田監督の並々ならぬチャレンジ精神がこの作品には宿っています。チャレンジすれば、おのずと良い方向に転がるもの、悪い方向に転がるものがあります。最も良い方向に転がったのは、岩下志麻の魅力を存分に味わえること。ある意味、本作は岩下志麻を観る作品、と言い切ってしまってもいい。

ニンフォマニアである巴御前、原作では次々と男を寝屋に誘い込み、安いポルノ小説のような描写になってしまいますが、岩下志麻の巴御前はエキセントリックな美しさを存分に発揮しています。しかも、話題となった自慰シーンは、原作にはありません。篠田監督は敢えてこのシーンを作品に加えている。それこそ、チャレンジでなくて、なんでありましょう。また、原作の巴御前は多重人格者でもありません。よって人格が入れ替わるという見せ場も岩下志麻の女優としての力量を見せるために作られたのかも知れません。

しかし、篠田監督は本作において「ヒッピー世代」にやたらと執着しているんですね。それが、私には大きな違和感となって残ります。本作は語り部である五郎が過去を振り返るというシーンから始まりますが、その冒頭で告げられるのがジョン・レノンの暗殺事件、以降髪を長く伸ばし見知らぬ母を捜すヒッピーの僕に時代は遡り、ラストで再び現代に戻ります。原作の五郎もヒッピー風の若者として紹介されますが、その程度です。ここにどうしても、高度経済成長期の日本(作品で言うところの現代)が失ってしまったもの、ヒッピー世代への郷愁を見せたいという意図があります。もちろん、これが凄惨な事件と相乗効果をもたらして、メッセージを発してくれれば何の文句もありません。しかし、私にはどうもこのモチーフが全体のバランスを損ねているようにしか見えないのです。この「ヒッピー世代」のこだわりの最たる物こそエンディングの「レット・イット・ビー」であり、この曲の採用が版権問題により長年DVD化を阻んできたのは何とも皮肉な話です。

しかも、原作で実に重大なエピソードを映画では削除しているんです。それは、語り部の五郎は、何と磯川警部の実の息子だった、というオチなんです。磯川警部が戦地にいる間、流産したと知らされていた子供が生きていた。その息子と事件を通じて出会う道しるべを作るその人こそ盟友金田一なんですよ。これは、原作ファンは、入れて欲しいエピソードだったんじゃないでしょうか。

岩下志麻が、市川版の美人犯人のいずれをも凌ぐ妖しさと美しさを発揮したのだから、ビートルズなんぞにこだわらず、とことん彼女を際だたせる構成にすれば良かったのに、とシリーズファンだから思ってしまいます。好きで好きでたまらない男を待ちこがれて狂ってしまった女が死んだ後、レット・イット・ビーを流されても、何だかなあという気分しか残らないのです。嗚呼、岩下志麻がもったいない。
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by galarina | 2008-02-11 23:41 | 映画(あ行)

悪魔の手毬歌

1977年/日本 監督/市川崑

「磯川警部にもっとスポットを当てた方が良かった」

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角川で大ヒットした作品をを東宝に移しての2作目。市川+石坂版では、最高傑作と言われることが多いようですが、私は獄門島の方が好きです。その評価の高さは、若山富三郎が演じる磯川警部と岸恵子が演じる青池リカの悲恋にあるようで、確かに原作よりはうまく料理できていると思います。ただ、作品全体を眺めると磯川警部の存在感は決して大きくないんですね。その理由は、私は加藤武演じる立花警部の存在感のせいだと思います。一つの事件にふたりの警部が共存しているんです。これ、原作は違うだろうと思ってました。「よーし、わかった!」のセリフを言わせるために無理矢理キャスティングしたんだろうと。そしたら、原作もそうだったんです。驚きました。ただ原作の立花警部はもっと地味で名台詞も言わないし、薬も持ち歩いてません。

この年は続けて「獄門島」も発表しており、加藤武はそっちも出演しています。ですから、いっそのこと「悪魔」は磯川警部に絞っても良かったんじゃないでしょうか。そしたら、リカとの悲恋ももっとクローズアップされたのに。元々原作の金田一シリーズにおいて磯川警部は、どのキャラよりも金田一と親交が深く、原作ファンには思い入れの深い存在。でも、加藤武というキャラがそのポジションを奪ってしまってるんですからね。本シリーズにおける笑いの要素というのは、とても重要なのはわかるのだけど、加藤武が出ずとも、大滝修治やら三木のり平がその役割を十分果たせています。本作の大滝修治は最高です。それから、白石加代子もすごいです。気味が悪くてぞわ~と鳥肌が立ちそうになります。

そして、市川作品にも数多く出演している岸恵子。さすがに市川監督は美しく撮っています。しかも、なぜか市川監督はリカというキャラクターに「おっちょこちょいで忘れっぽい女」という肉付けを行っています。そのことによって、リカは終始お茶目で明るくて生き生きとした女に見え、一転して後半は犯人の抱える哀切へと繋げていく。原作にはない、登場人物の新たな一面を加えるというのが市川監督は実にうまい。それは、原作を変えてオリジナリティを出したいということではなく、原作を深く読み理解しているからこそできることだと思います。

市川監督が金田一耕助を語る時に「天使」とか「神の視点」のようなことを話しているのを聞いたことがあります。なるほど金田一を前にしての犯人の告白は懺悔のようでもあります。原作でリカは放火をした後、沼に転げ落ちて事故死するのですが、映画ではしっかり懺悔のシーンが用意されています。そして、ラスト。「あなたはリカさんを愛していたのですね」という言葉が、走りゆく機関車の音にかき消されてゆく。ここはシリーズ中最も印象に残る名シーンではないでしょうか。
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by galarina | 2007-12-16 23:48 | 映画(あ行)

原作/悪魔の手毬歌

発表年/昭和32年
舞台/昭和30年7月、岡山県・鬼首村


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「見立て殺人」で、かつ「被害者は3人の娘」という設定。これは「獄門島」にとても似ている。しかも、映画は「悪魔の手毬歌」が先に公開されているので、こちらが元ネタかと思ったら実は逆。「獄門島」がとても評判が良かったので、それに似たムードを、という周りの要望から生まれたようです。

本作の大きなポイントは磯川警部が犯人の青池リカを愛してしまった、ということなのですが、実際に原作を読んでみると、意外と警部の苦悩と言うのはあまり顕わになってないんですね。物語の進行の中で、ふたりがしんみりと会話するシーンもないし、ラストの金田一の告白に慟哭するわけでもありません。この悲恋はむしろ映画の方がうまく盛り上げています。

「獄門島」が芭蕉の俳句という実際の俳句を使用したのに対して、この手毬歌は横溝正史が創り出したもののようです。よって、何だか都合良くストーリーが進むなあ、という感じが否めません。桝屋、秤屋、錠前屋という屋号についても、できすぎじゃないの~なんて(笑)。まあ、もちろん、それらしい歌詞を創り出すという作業はなかなか凡人にはできることではないのですが。

手毬歌になぞらえる殺人と言う描写がセンセーショナルで目を引きがちなんですけど、私が感心したのはむしろ入り組んだ人間関係。本作は意外と登場人物が多いです。しかも、閉ざされた田舎町でそれぞれ怨恨だの、恋愛だの、様々な関係が入り乱れているんですが、恩田という詐欺師を軸にうまく糸が繋がっています。また、青柳源治郎と恩田幾三は同一人物だった、というトリックは巧いですね。犯人と被害者が入れ替わるというのは、おそらくよくあるパターンだった思うのですが、同一人物に仕立て上げた。この秘密が明らかにされぬまま、リカが死に、一同は金田一の告白を待つわけですから、ラストにミステリーの醍醐味であるカタルシスはしっかり味わえます。

グラマーガールとかトーキーと言った時代の移り変わりを作品に取り込む巧さはさすがです。どの作品でもそうですが、戦後間もない日本の姿なんて、今や映画か小説でしか知りようがありません。そういう意味では横溝作品を「昭和00年の物語である」とまず頭にきちんと刻み込んでから読めば、歴史の教科書を読むよりも断然リアルに当時の日本を感じ取れる。これもまた横溝作品のすばらしさの一つですね。
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by galarina | 2007-12-13 23:36 | 映画の原作

獄門島

1977年/日本 監督/市川崑

「今後の映像化は不可能かも」

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それにしても同じ年に「悪魔の手鞠歌」と「獄門島」の2作品を発表だなんて、今は考えられないですよね。

本作は、そもそも原作が「俳句の見立て」「釣り鐘トリック」「意外な犯人」という推理小説の醍醐味を存分に備えているわけで、面白くないはずがないんです。しかし、「犬神家」「手鞠歌」と連続で美人女優が犯人というパターンが見事にハマったため、本作でもそれを踏襲しようとします。つまり、犯人の変更です。これが読んだ後に観ても、全く違和感がないんですねえ。すばらしい。

女優陣が多い作品ゆえ、それぞれの登場シーンが実にあでやかです。素早いカットのつなぎも、前2作よりも一段と多い気がします。またナレーション代わりに、太明朝のタイポグラフィを挿入するなど、シリーズ3作目をいうことで、市川監督が好きなようにノリに乗ってやってる感じです。

読んでから観て思うのは、市川版における、どうでもいいシーンの面白さです。どうでもいい、と言うと語弊がありますが、事件と事件の合間のリラックスシーンと言いますか、ほっとひと息するようなシーンが実に楽しい。自転車で坂を転げ落ちる金田一登場シーン、床屋の娘坂口良子と金田一の夫婦漫才のようなやりとり、同じく床屋の三木のり平のおとぼけシーン、そして等々力警部の「よーし、わかった!」。これらは原作にはないですが、映画を観ていると、付け足しや無駄とはとても思えず、むしろなくてはならないものに見えてくるから不思議です。

和尚を演じる佐分利信がいい味出してますねえ。前も言いましたけど、この人演技が巧いとはあまり思えません。でも、世の中を達観視したような和尚の雰囲気にぴったり合ってます。原作で金田一は早苗さんに一緒に東京に行こうと誘うくらい彼女に惹かれています。が、映画では、逆に積極的なのは早苗さんの方で、金田一は控え目です。この辺も市川版における金田一像、いや石坂浩二が演じる金田一像をシリーズを通じて創り上げた結果の改変でしょう。戦争を挟んでの磯川警部との感激の再会、という部分が変更されているのは原作ファンとしては物足りないところなんでしょうが、加藤武のコメディリリーフとしての役割を考えると、これはこれでアリかも知れません。

事件解決のヒントでもある和尚のつぶやき、そして殺される三姉妹の日頃の様子、共に現在では放送コードにひっかかり、映像化は難しいかも知れませんね。
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by galarina | 2007-12-08 23:10 | 映画(か行)

原作/獄門島

発表年/昭和21年
舞台/昭和21年9月 瀬戸内海・獄門島


「エンターテイメントと和文化の見事な融合」

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<ネタバレです>
本作は「本陣殺人事件」でデビューした金田一の2つめの事件(設定は昭和21年9月)として、シリーズの中ではとても重要なポジションを占める作品なのですね。昭和12年に「本陣殺人事件」を解決した金田一が戦争から帰ってきて、磯川警部と感激の再会をすること、依頼を頼まれたのが復員船の中ということなど、戦争のもの悲しさをそこかしこで感じさせます。

しかしながら、一方繰り広げられる殺人事件は、実に大胆でセンセーショナル。まずその一つは「見立て殺人」。美人三姉妹は俳句に見立てて殺される。しかも、梅の木に吊されたり、釣り鐘の中に押し込められたりと、ビジュアル的な刺激をそそります。奇妙な殺され方に島の人間は頭を抱えますが、その理由が俳句の見立てとわかった時には、不謹慎ながら高揚感を覚えてしまう。

そして、二つめは「トリック」。3人の殺人それぞれに巧妙なトリックが隠されているわけですが、1番目の闇夜を利用したトリックと3番目の猫の鈴を利用したトリックもさることながら、2番目の「釣り鐘」トリックが秀逸。当時横溝正史が書きながら映画化を考えていたとは思えないのですが、これほど映像向きなトリックはないでしょう。張り子の鐘がまっぷたつに割れて、中から本物の釣り鐘が出てくるなんて、まるで奇術のようなトリック。私が作家なら、これで映画化マチガイなし!とほくそ笑んでしまいそうです。

そして、三つめは、犯人が3人とも異なるという結末。これ、映画と違うものですから、ずいぶん驚きました。3人を殺人に駆り立てたのは摩訶不思議な偶然を呼び寄せた嘉右衛門の怨念という辺りは、横溝正史らしい筋書き。3人の殺人者の中心人物である和尚が「あの三人娘は、そもそも、殺して惜しいような人間でもなかったでな。あっはっは。」と豪快に笑い、世の中を超越したような面持ちで金田一の前に対峙するラストの謎解きシーンは、何度読んでも面白い。さあ、金田一さん、謎を解いてもらおうやないか、と居直る和尚の前で萎縮する金田一の様子がこれまた目に浮かぶよう。

瀬戸内海の小島を舞台に繰り広げられる本作は、殺人の小道具や俳句の導入など、いわゆる日本古来の要素が巧みに取り入れられた点において、世間に横溝ワールドが決定づけられたのは間違いないでしょう。しかも、海賊が往来したという獄門島周辺の歴史が平安から現代に至るまで語られる箇所は、その他の作品同様、知られざる日本の歴史散策をしている気分にさせてくれる。母の捻れた愛という情念で突っ走る「犬神家」とは違って、「獄門島」は舞台設定、殺人方法、オチに至るまで実に隙のない、非常に完成度の高い作品だと感じました。
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by galarina | 2007-12-02 23:04 | 映画の原作

犬神家の一族

1976年/日本 監督/市川崑

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横溝作品の映画化が大成功を収めた一番大きな要因は、市川崑の「様式美」が持ち込まれたことだ。横溝作品に美しさがないということはないが、作品に「品格」を与えるような美しさが生まれたのは、やはり市川監督の手腕に他ならない。その「様式美」を成すのは市川流の流麗なカメラワーク。そして、古い日本建築の徹底的なこだわりようだ。犬神家では、壮大なお屋敷の中の襖絵や金屏風、古びた商人宿の柱時計に至るまで戦後の日本が美しく再現されている。超都会っ子の小学生の私にとっては、横溝+市川版は一種のファンタジー映画だった。その完璧なまでの世界観は、ありえない世界。おとぎ話だったのだ。

そして、原作よりもコミカルな部分が多いこと。原作において、喜劇的な側面はほとんど金田一耕助がひとりで担っている。しかし、映画では「よーし、わかった!」の名ゼリフの橘警部を演じる加藤武を始め、三木のり平や坂口良子といったメンバーがそこかしこで軽妙なムードを作り出す。それは、おどろおどろしい殺人事件と絶妙な緩急を作り出している。そして、ルパンシリーズで有名な大野雄二の音楽が、実に現代的でいい。

こうした、現代にマッチさせるための工夫がある一方で、市川監督は本シリーズに横溝作品における大切なモチーフを、より増幅させて表現している。それは「哀切」のムードだ。最も代表的なのは、ラストの金田一の別れのシーンだろう。「見送られるのは苦手なんです」と事件現場を去る金田一の後ろ姿に、事件のやるせなさが余韻としてじんわりと残る。このラストの切なさこそ、金田一シリーズの肝になった。犯人松子を殺人に駆り立てていたのは、佐兵衛翁の怨念ではないか、という含みも実は映画独自の解釈なのだが、これまた悲しき殺人者像を作り上げるすばらしいアイデアであったと思う。

何度も見てもラストまでぐいぐい引っ張る。横溝作品に限らず、あらゆるミステリーにおいて真犯人の独白は、この上ないカタルシスを見る者に与えるが、本作においては高峰三枝子の熱演が光る。最初は金田一の来訪にも堂々とふるまっていた松子。が、観念して静馬殺害を告白し回想シーンの後、アップに切り替わった時の、あの魂が抜けたような表情。本作以降、殺人犯こそ、女優としての気概を見せる格好の役どころになった。これまた、実に画期的な出来事だったのではないだろうか。
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by galarina | 2007-11-26 22:34 | 映画(あ行)

原作/犬神家の一族

発表年/昭和25年
舞台/昭和2×年 信州・那須


「オープニングを飾るにふさわしい作品」

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私は、ドラマや映画の横溝作品が大好き。特に「市川+石坂版」が。小学生のくせに、毎週古谷一行も観てました。ところが、こんないい年になるまで、原作をひとつも読んだことがなかった。なぜなら、映像世界だけで十分満足していたからなんですねえ。

そもそも、私が映画を観てから原作を読もうと思う動機は、原作を読んで何か明らかにしたい場合があった時、つまり映画で完全燃焼できなかった時がほとんどなのだ。しかし、横溝作品においては、なぜだか一度もそう感じたことはなかった。そして、映画は一体どれほど繰り返し見たことだろう。しかし、こうやって記事を書くようになり、もしかして原作を読めばより映画が楽しめるんだろうか、という考えに遅ればせながら辿り着いたというわけです。

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のっけから驚き。いきなり犬神佐兵衛の生い立ちで始まるプロローグで、育ての親野々村大弐との男色関係が語られる。映画ではずいぶん後で明らかになる秘密が、いきなりのネタバレです。しかし、初めて読む読者はこの淫靡な世界に、開いた数ページで一気に横溝ワールドに引きずり込まれるのでしょう。

私は以前、横溝正史と江戸川乱歩の作風が似ていると耳にしたことがあったのですが、映画でしか横溝作品を味わったことのない私には、似ても似つかぬものとしか思えませんでした。しかし、こうやって実際に読んでみると、登場人物、特に女性たちの「お黙り!うそをおっしゃい!」とか「なんでもありませんのよ」などと言った仰々しいしゃべり言葉に、なるほど乱歩との共通点を見いだしました。そして、何より絶世の美女が出てくる、ということ。

「犬神家の一族」ではもちろん珠世だ。原作での珠世登場シーンはこんな風。「珠世の美しさは、ほとんどこの世のものとは思えなかった。----美人もかえってここまでくると恐ろしい。戦慄的である」いやあ、すごい褒めようですね。他の作品もそうだが、この浮世離れした美女の描写は、およそ現実世界とは乖離しており、それを映像化するとどうにも嘘くさくなったはず。しかし、映画化を市川監督が出がけたことで、そこは難なくクリアできた。横溝正史と市川崑という組み合わせ、これは実に幸福な巡り会いだったんだと原作を読んで改めて思った。

そして、角川書店が映画界に進出する、その先陣を切るために、なぜ本作を選んだのかよくわかる。遺言状の公開という実に鮮やかなオープニング、莫大な遺産相続を巡る殺人事件、松子、竹子、梅子など子供にも分かるような家族関係、「よき・こと・きく」という言葉遊びを絡めた謎など、本作を構成する要素はまさにミステリーの王道のアイテムばかり。平家の怨念や田舎の因習など、日本の民話や風習をふんだんに盛り込んだ作品も多い横溝正史だが、こと「犬神家の一族」に限っては、そのようなじめじめした村社会は出現しない。「八つ墓村」や「悪魔の手鞠歌」などが「陰」とすれば、本作は間違いなく「陽」。シリーズのオープニングにふさわしい華やかさを持っている。

原作ではお琴の師匠が青沼菊乃だったんですね。映画版にどっぷり浸かっている身とすれば、原作と映画との違いがあちこちで目につく。しかし、これもまた楽しい作業。市川監督が何を省略して、何を加えたのかよくわかる。これまで何度も見てきた金田一シリーズだが、「読んでから観る」とまた違った味わいが出てきそうだ。
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by galarina | 2007-11-25 23:28 | 映画の原作

犬神家の一族

2006年/日本 監督/市川崑
<三番街シネマにて観賞>

「ミカバンドはミカが変わったのに」
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今回のリメイクに関して以前の雑感で、サディスティック・ミカ・バンドの再結成のように喜ぼう、と書いた。「ただ、そこにいるだけでありがたい」、と。でも、よく考えればミカバンドは、ミカが「木村カエラ」になっていたんである。おんなじメンバー、おんなじメロディ。幸広まだドラム叩けるんだ!バンザイ!だけど、それにもまして新ボーカリスト木村カエラのインパクトはでかかった。再結成ミカバンドは新しいボーカリストを得て、オールドファンにもまぶしく映った。

で、何が言いたいかと言うと。

今回の「犬神家の一族」は、みなさんご指摘の通り30年前の作品とほぼ全く同じなのであった。実に細かいところまで同じである。ファンというのは勝手なもので、もう一度やってくれという割には、全く同じだと不満なのである。そう感じた一番大きな原因は石坂金田一がお年を召されたということだろう。市川+石坂版の大ファンゆえに心苦しいのだが、走る姿が痛々しい。また金田一のひょうきんさやマヌケな部分というのは、若い故に魅力的に見える、というのが今回つくづく感じた。

ミカバンドの核がミカであるように、今回のリメイクはいっそのこと新しい金田一を抜擢しても良かったんではないだろうか。カット割りの細かいところまでは見比べてみないと何とも言えないが、全く同じものを30年後に発表することにどんな意味があるのだろう。大好きな市川監督だけに、新しいチャレンジが欲しかった。そして、やっぱりすげえや、と唸らせて欲しかった。これも過剰なファンの期待なんだろうか…

さて、市川+石坂版の金田一シリーズでは、同じ俳優が違う役で何度も出てくる。これはファンならではの楽しみのひとつ。(大奥にもよく見られるこのパターンはここが原点なのかな)リメイクということで、大滝秀治のように(全然変わってないなあ、この人だけは)同じ役の人もいるけど、違う役で出てくる人もいる。私個人としては、盲目のお師匠さんの役の草笛光子がツボでした。草笛光子はほとんどのシリーズに出演していて、毎回全く違う役どころなのが面白い。30年前はこの役をつい先頃亡くなった岸田今日子が演じていたというのも感慨深いものがあります。

映像として気になったのは、明暗のコントラストがいつもより弱いんじゃないのかな、ということ。黒の使い方と言うのかな。それからカット割りも多かったんだけど、カットの切り方が遅い感じがしたなあ。やっぱり市川作品の持ち味は、次のシーンがかぶさるようにぱっぱと切り替わるカットだもんね。(このあたりフジテレビのドラマ版もパクってるよね)しつこいくらいに女優の顔に迫るカメラは健在。冨士純子はクライマックスにかかるに従い、どんどんすさまじい表情になっておりました。この撮影でシワが増えたんじゃないのかと思うほどで。

そして物語として気になったのは、野々宮珠世の出生の秘密がやけにあっさりと金田一の語りで流されていること。佐兵衛翁は野々宮大弐と男色関係にあり、その妻とも関係があった。この特異な関係性によって佐兵衛翁の人格が崩壊していく。ここを観客にしっかり理解させないと、松子を突き動かすだけの佐兵衛翁の怨念が伝わらない。またこういうおぞましい肉欲の世界こそ横溝ワールドの真骨頂とも呼ぶべきポイントであるはずなのに。

全く同じだからこそ、30年前と比べてしまう。もっともっと違う作品に仕上げてくれたら、これはこれ、として感想が書けたかも知れないのにとても残念。それだけ、一連の市川+石坂版の金田一シリーズの完成度が高いということでもあるのだろう。ただ、90歳を超えて、市川監督が金田一シリーズを撮ろうと決意されたのは、今シリーズに対して大いなる愛着を持っているからだろう。その市川監督の気持ちを確認することが、この映画鑑賞の一番大きな目的だったかも知れない。
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by galarina | 2007-01-10 17:44 | 映画(あ行)