「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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クラッシュ

2004年/アメリカ 監督/ポール・ハギス

クラッシュさせることで、真実が浮かび上がる
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物語がダイナミックに動くわけではなく、非常に淡々とした展開。しかし、伝えたいテーマが非常にしっかりしている。観客を面白がらせよう、とか、ワクワクさせようといった媚びは一切ない。その潔さがすばらしい。ものすごく地に足をつけて撮りきっている映画だ。

複数のエピソードが並行して描かれてゆく。それが2つや3つではない。ゆえに、観客はそれぞれのエピソードを咀嚼するのが結構大変である。しかし、次から次へと展開される別々の物語(点)がお互いにぶつかり合って、つまりクラッシュして、次第にひとつの物語(線)になる後半から、観客はどの点とどの点が結びつくのか、固唾を呑んで見守ることになる。

この映画の最も大きなテーマは「人種差別」である。登場人物が非常に多いのでいちいち書かないが、それぞれの差別観というものは、日常のささいな出来事で顕わになる。例えば、サンドラ・ブロック演じる白人女性は、街角で若い黒人男性と擦れちがう時、思わず体をずらして夫の腕に手を回してしまう。それを黒人は「俺たちのことを怖がっているんだ」と解釈する。しかし、彼女に悪気はない。この悪気のない差別は、あちこちで発生する。しかし、お互いの領域に侵入することで(クラッシュすることで)、初めてこの「悪気のなさ」がいかに罪深いものであるかを人々は知ることになるのだ。

やはり数あるエピソードの中で最も印象深いのは、白人警官を演じるマット・ディロンだろう。職務質問と称して、黒人のリッチな夫婦に近づき、根掘り葉掘り聞いたあげく、警官という職に乗じて妻に卑猥な行為を働く。しかし、彼は偶然居合わせた事故で、警官としての正義感からその黒人の妻を命がけで助ける。死ぬかも知れない黒人女性に「あなたにだけは助けられたくない」と叫ばれながら。果たして、この白人警官は、黒人差別者なのかどうか、わからなくなる。しかし、人間の差別とは、得てしてこのようなものではないのだろうか、と思わせられるのだ。

立場や環境が変われば、差別観だって、変わる。逆に言えば、差別とはそれほど個々の強い信念の元に成り立っているわけではないのかも知れない。だが、この事実が結構やっかいなのだ。それは、ちょっとしたきっかけで差別がなくなることもあれば、またその逆もあるということ。「差別」というものがいかにファジィなもので、故にいかにやっかいなものかをこの映画は物語っている。しかし、それを知るためには我々はもっとクラッシュしなけれなならないのだ。差別でどん底まで落ちる主人公がいて、ただ声高に「差別はいけないのだ!」と叫ぶ映画とは、明らかに手法が異なる。しかし、だからこそ差別とは何なのだろうと観客に深く考えさせるのだ。


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by galarina | 2006-08-16 23:30 | 映画(か行)

スタンドアップ

2005年/アメリカ 監督/ニキ・カーロ
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弱者は弱者なりの生き方を探し出さねばならないのだろうか。ずる賢く、知恵を絞り、世渡り上手に生きていくことこそ、弱者の生きる道なのだろうか。ただ、牙をむいて立ち向かうことは、愚かなことだと?

私の答は、激しく「否」である。上のようなことを述べるのは「強者の理論」なのだ。あまりにも、人を見下した、驕った意見だ。これは、あくまでも私の個人的見解。

セクシャル・ハラスメントを受けた人に対して、「受けないように防護することも大事。つまり自分自身のリスク管理が足りない。」という人がいる。私は、何て冷たいことを言うのだ、と思う。その意見は間違ってはいない。だけども、それはセクシャル・ハラスメントをなくすための、第一の項目では決してない。なぜ、男は職場の女性に対して、そこが職場であるにもかかわらず、性的ないやがらせ、差別、いじめを行うのか、その根本を追求し、改善しない限り、セクシャル・ハラスメントはなくらない。それは、しごく真っ当な考えだと常々思っているのだが、なかなかこの「真っ当さ」に向かい合ってくれる社会にはならない。

この映画はセクハラが法的に整備されるきっかけとなった実話をベースにしている。シャーリーズ・セロン演じる主人公のジョージーは、鉱山で働くいているが、自ら男を誘っているわけでもないし、仕事がのろまなわけでもない。離婚して何とか自立して子供を育てねばならないのだ。それでもセクハラは起きる。その不当な扱いに異議を唱えても、誰も耳を貸さない。とりわけ不本意なのは、同僚の女性による反発であろう。こういうことは日常でもよくあること。女という生き物は徒党を組み、抜きんでる女性を嫌う。おそらく、このような傾向は生物的弱者として、DNAにすり込まれているのではないだろうか。それが女として生きやすい道なのだ。

シャーリーズ・セロンのひたむきな姿も良かったし、同僚のフランシス・マクドーマンド、父親のリチャード・ジェンキンス、母親のシシー・スペイセクなど脇を固める役者が非常に地に足の付いた演技で魅了する。特に、鉱山労働を断固として反対し、反駁し合っていた父親が娘のために立ち上がった時、私も心の中で拍手喝采を送った。時折挿入される工場の上空からのカットは鉱山労働の過酷さをうまく表現しているし、主人公と家族の問題なども非常にしっかりと描いている。セクハラに立ち向かうというモチーフが決して女のヒステリーみたいに見えないよう、実にじっくりと撮りきっているニキ・カーロという監督もすばらしいと思う。

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by galarina | 2006-07-25 13:50 | 映画(さ行)

砂と霧の家

2003年/アメリカ 監督/ヴァディム・パールマン
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極悪人が出てくるわけでもなく、ちょっとしたボタンの掛け違いが最終的には大きな悲劇を呼んでしまう。こういう作品を観るとき、人は得てして誰が一番悪いか、という「悪人探し」をしてしまうものだ。しかし、それは、はっきりいって何の意味もない。何のためにそれをするかというと、後味の悪い結末がもたらす自分自身のモヤモヤを何とか解消したいからだ。そんなことを観客にわざわざさせるために、映画を作るアホウはいない。

たった500ドルの税金を滞納したおかげで、父から譲り受けた家を没収されてしまったキャシー。彼女に非がないわけではない。しかし、夫に逃げられ、少し怠惰になっていただけなのだ。誰だって、人生のそんなちょっとした下降線の時があるではないか。そして、行政の手違いとはいえ財産をつぎこんだ家を手放さねばならなくなったベラーニ。彼は少々プライドが高く、ワンマンなところがある。しかし、それはイランから亡命し、元大佐であった彼のこれまでの生き様から考えれば仕方のないことなのだ。ただキャシーを好きになる保安官だけは、いささかその行動に納得できないところがある。まあ、こんなつまらん男をひっかけてしまった、キャシーが招いた災いとも言うべきか。

ジェニファー・コネリー、ベン・キングスレー、ショーレ・アグダシュルー。この3人の役者が本当に素晴らしい演技を見せてくれる。キャシーというのは、何とも陰鬱な女でいつも何かにイライラしている。もう少し理性を持って落ち着いて行動すれば、もっと物事はうまくいくはずなのに、自分で自分の首を絞めている。そんなヤな女をジェニファー・コネリーは情感たっぷりに演じている。ベラーニ大佐は亡命者がアメリカで生活することの苦悩と自分自身のプライドとのバランスがうまく保てずもがきながら生きている。ベン・キングスレーは、そんな複雑な心理を見事に表現している。妻役のショーレ・アグダシュルーは、この作品で初めて見たけど、非常に魅力的な女優。片言の英語しか使えず、ワンマンな夫についていくしかない女の哀しさがにじみ出ている。

そこかしこで起きる「ボタンのかけ違い」は、誰だって犯すかもしれない些細なこと。しかし、最も悲しむべき事は、「双方の言い分、共に理屈が通っている」ゆえに打開点が見いだせないことなのだ。しかし、互いが自分の権利を主張し会い続ける、その先には悲劇しかない。これは、今もなお続く世界中の紛争にもそのまま当てはまるテーマではないだろうか。


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by galarina | 2006-07-23 18:07 | 映画(さ行)