「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:日本映画 ( 182 ) タグの人気記事

犯人に告ぐ

2007年/日本 監督/瀧本智行

「うねり足らず」
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最近、この手の作品って、どこを基準に評価していいのか、正直わからなくなってきています。「火サス」よりはまし、とバッサリ切り捨てることもできるし、サスペンスとしてそこそこ楽しめます、と言うこともできる。結局、最近の「警察もの」で映画としての醍醐味を出すのは、意外と難しいんでしょうね。とりあえず犯人(対象としての悪)があって、最終的につかまれば物語としてのカタルシスは、あるわけです。しかし、昨今のミステリー小説っつーのは、家族とか組織の人間関係における人間ドラマをやたらと盛り込んでいるわけで、ある意味そのことによって「犯人を捕まえる」という物語の求心性は失われるわけです。

この作品の場合、その対象としての悪を犯人ではなく、「植草」というエリート官僚に向けていて、そこはなかなかに面白いところです。しかしながら、その対立が弱いわけです。振られたオンナの胸くらいでクラクラきちゃってリークするなんて。植草は、スターになっていく巻島に嫉妬しているんですが、男の嫉妬は醜いです。カッコ悪いです。そこんところをもっととことんやっちゃっても良かったんじゃないでしょうか。植草を演じている小澤征悦がすごくいいです。口角をあげてリップクリームを塗り塗りするシーンなんて気持ち悪くて。彼のおかげで作品が引き締まっていると言えるほど。だから余計にもったいないんだなあ。

この「組織内人間ドラマ」と「テレビで犯人に話しかけるというセンセーショナルな捜査」の2本の軸がうまく融合せずに終わってしまった感じです。おそらく原作では深い人間描写によって、1本のうねりになっているんでしょう。観客は犯人逮捕へ感情を高めればいいのか、植草の横やりを見守ればいいのか、どっちつかずのまま放り出されるような感覚。

で、意外とあっけなく犯人が逮捕されるんですね。しかも、逮捕の瞬間は描写されない。こういうスカし方って言うのは、好きです。しかも、一瞬だけ映る犯人役の俳優(ネタバレなので記名を避けますね)が、とてもすばらしい存在感を放ちます。さすがだね。彼のこの不穏さと言うのが、逮捕の描写がない物足りなさを補っている。笹野高史も非常にいいし、脇役のきらめきが印象深いです。

で。主役の豊川悦司ですが、これはもうファン目線なのでなんとも…(笑)。いつもより足の長さは目立ってません。ゴム草履も履いてません。キスシーンもありません。ん、でもラストのベッドに横たわる横顔を見ていると添い寝したくなりました。…すいません。
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by galarina | 2008-04-09 23:04 | 映画(は行)
2007年/日本 監督/吉田大八

「サトエリ、大健闘」
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なかなか面白かったです。兄や妹にある田舎者の鬱屈感を見ていると「松ヶ根乱射事件」を思い出しますが、最終的には妹の再生物語へと収束します。なので、「松ヶ根」のようなシュールな感じではなく、ホラーテイストのホームコメディといった感じでしょうか。ストーリーの不気味さとは相反して、演出はとてもポップな雰囲気であまり生々しさを強調していない。なので、観る前は結構構えていたのですが、さらっと見れてしまいました。

自意識過剰オンナ、澄伽のキャラクターは、私の敬愛する漫画家岡崎京子氏の作品によく出てくるタイプですね。「ヘルタースケルター」の「りりこ」なんぞを、実際に佐藤江梨子はお手本にしたのではないかと思ってしまいました。抜群のプロポーションを存分に活かし、存在感を見せます。ミニのワンピースから覗く長い生足が、古い日本家屋の階段を降りてくる。そのアンバランスさ、気持ち悪さを存分に楽しみました。この役は、まさに当たり役でしょう。目を剥いた顔も怖いし。

舞台は田舎ですが、結局テーマは自己表現の方法、ということでしょう。4人の家族、それぞれが自分本来の姿を己の中から解放したいと思っている。その方法が間違っているのが、姉。もがいているのが、妹。諦めているのが、兄。知らないのが、兄嫁ではないでしょうか。それぞれのキャラのヘンさは少々あざとく感じられるものの、のどかな田園風景が舞台というのが効いていて、しっかりとキャラが際だっています。また、設定の毒々しさの割には、誰もが見やすい作品に仕上げられているのは、CM出身監督だからかも知れません。ただ、ワタシの個人的な趣味としては、もっと鋭角な切り込みが欲しかったところです。でも、ホラー漫画がいいです。この漫画のクオリティの高さが間違いなく作品を支えてます。初長編にしては、非常に完成度高いのではないでしょうか。これからが楽しみな監督です。そうそう、エンドロールでわかった「明和電機」がツボでした。
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by galarina | 2008-03-29 23:29 | 映画(は行)

市川崑物語

2006年/日本 監督/岩井俊二

「なんじゃ、こりゃ」
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とても退屈でした。市川監督にオマージュを捧げるということで、ほとんど黒バックのタイポグラフィと静止画で構成された作品。よって、ただでさえ動きがないのに、新しい発見が何もない。そこが致命的です。敬愛する人について述べるなら、その監督なりの新たな切り口を見せて欲しい。なるほど、そういう見方もあるのか。さすがプロの映画監督だな、と思わせてくれなきゃ。ただ、だらだらと市川監督の生い立ちとフィルモグラフィを綴っているだけなのです。これって、ボクちんはとっても市川作品が好きなんだよ、とアピールしたかっただけなのでしょうか。逆に市川監督が利用されちゃったような気すらしました。
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by galarina | 2008-03-27 23:48 | 映画(あ行)

ありがとう

2006年/日本 監督/万田邦敏

「すばらしい感動作。関西在住の方は、とにかく見て欲しい」
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あまりにベタなストーリーでありながら、映画としてのクオリティの高さに感動。神戸への想いも込めて、文句なく五つ星です。感動もので五つ星を付けたのは初めてかも知れません。それくらい、すばらしかった。

前半の震災シーンの描写がすごいのです。容赦なく建物が壊れていく様は恐怖を覚えます。でも、戦争や原爆映画などに見られる凄惨さとは、少し違います。例えば、倒壊した家屋の隙間から覗く手。これが本当にどきっとします。これで十分に地震の脅威、人々のつらさが痛いほど伝わります。おそらく、その時はもっともっとひどい状況だったに違いありません。でも、俳優陣が特殊メイクをして怪我人や病人としてふるまった時に、観客はどう受け取るでしょう。おそらく震災当事者の方々は直視できないでしょう。また、そこに嘘くささや作り物としての拒否反応が出ないでしょうか。アスファルトに敷かれたお布団。枕元に弔いのろうそく。こういうシンプルなワンカットが強烈な印象と、深いメッセージを放つのです。作り手は、大勢の被害者を出したこの震災を描くにあたって、非常に細やかな配慮をしている。しかし、地震の凄まじさは恐ろしいほどに伝わってくる。そこが、すごく巧いのです。

震災後、古市夫妻が口論をします。「おまえは泣いてばっかりやないか。ええかんげんにせい。」「お金のかかるゴルフを黙ってやらせてあげてたのに、こんなことになってもうどうしょーもない。」こういうやりとりが、めちゃめちゃリアルなんです。そこから、「3つの顔」という話になります。これが、またアホみたいにベタな例え話でね、いつもの私やったら「アホくさ」と一蹴してしまうような話なんです。ところが、もの凄く心に染みました。泣けました。どんな人も登場人物のセリフに素直に耳を傾けたくなる。それは前半部の震災シーンの凄みがあるからです。そして、主演が赤井英和だからではないでしょうか。

「どついたるねん」以降、俳優赤井英和が私は好きです。最近はすっかり太ってにやけたオッサンになってましたけど、やっぱりこの人は映画では希有な存在感を示します。忠夫がことあるごとに、「おおきに」「やったるでー」と前向きな関西弁を連発しますね。これが、中井貴一だったらどうでしょう。佐藤浩市だったらどうでしょう。きっと彼らなら「おおきに」のひと言に心を込めて感情豊かに言うはずです。でも、それは何遍も聞いてると、だんだん嫌味に感じないでしょうか。ぶっきらぼうで、実直で、なーんも考えてない赤井が連発する「おおきに」だからこそ、やけに心に染みます。赤井が持っているピュアな部分がこの作品のメッセージとぴったり合っているのです。映画が始まってすぐゴルフ場のロッカーシーン。デジタル時計が「5:46」を示し、赤井が「起きた!」と叫ぶ。赤井らしくて、すごいいいシーンです。また、忠夫を支える田中好子、薬師丸ひろ子。そして、消防団仲間の尾美としのりと光石研。脇を支える俳優陣もすばらしい演技を見せます。中でも田中好子は出色の出来映えだと思います。

空撮シーンがたくさん出てきます。復興後の神戸の街並み。長田の火災のニュース映像。鮮やかなグリーンがまぶしいゴルフ場。空撮の映像でこんなに感傷的な気持ちになったのは、初めてかも知れません。それほど、空撮が効果的です。また、冒頭の廊下でのシークエンスがラストに再び登場する。こういう映画としての巧いテクニックも随所に光ります。「星になった少年」で日本映画は感動作を作るのが下手と言いましたが、撤回します。これは、全ての人に見て欲しい感動作です。阪神大震災を忘れたらあかん。忘れかけてた当たり前のことを思いだし、しっかりと心に刻みました。
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by galarina | 2008-03-26 23:16 | 映画(あ行)

恋しくて

2007年/日本 監督/中江裕司

「地方発、日本映画の可能性」
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沖縄の魅力を我々に見せ続けてきた中江監督。しかし、本作では沖縄を前面に出すことよりも、高校生らしい青春物語をクローズアップさせることに注力したようです。その狙いは、しっかりと達成されていて、うだうだとしたバンド練習のシーンやちょっぴりほろ苦い恋の行方など、「青いなあ」「若いっていいなあ」としみじみ思わせられました。

しかし。それでもなお、やっぱり「沖縄的なるもの」が本作を支えていることは間違いありません。これまで、「つかみ」や「フック」として利用されていたものが、本作では「隠し味」のようになっていると言ったらいいでしょうか。それは、例えば主人公の栄順がまだつきあい始めたばかりの加那子に「結婚して、子供作ろうさあ~」と言う。それは、都会の高校生の男子には、およそできない発言だと思われるのですが、沖縄が舞台だと、なるほど、そういう価値観なんだなあ、と妙に納得もし、また新鮮に感じられます。

また、加那子が見せる琉球唐手のシーンもとてもいい。空手は中国から沖縄に入り、唐手と呼ばれていた。そこから本土に伝わった時に「空手」と名前を変えていったようです。琉球唐手がどれほど現代の沖縄の若者に受け継がれているのか、私は知りません。しかし、気分がもやもやした時に精神統一のために黙々と空手の型を磨く。そんな加那子は、沖縄的なるものの継承者のようにも見え、彼女が最後に出す結論もしごく真っ当なものに思えます。

そうして全体を眺めていると、山下監督の「天然コケッコー」が頭に浮かびます。共に、甘酸っぱい恋模様が軸になっていて、作品をより豊かに見せるのは、方言、豊かな自然、そして地方の文化です。そんなことを考えていると、日本には、まだまだ地方発の青春映画の可能性があるのではないかと思わされるのです。例えば、香川の高校生は製麺所でデートするのだろうか、北海道の牧場の息子は絞りたての牛乳をガールフレンドに飲ませるのだろうか。いろいろ考えていると、何だか楽しくなってきます。これまで「沖縄」には飛び抜けて独自の文化があり、それを見せるだけで独創的な作品になるように思っていたのですが、それは大きな勘違いなのかも知れない。まだまだ、日本には面白い「隠し味」がいっぱいあるんではないか、この作品を見てついそんな風に思ってしまいました。
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by galarina | 2008-03-17 23:20 | 映画(か行)

星になった少年

2005年/日本 監督/河毛俊作

「音楽の力で泣かせる作品ではないはず」

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当たり前だけど、音楽は映画にとって、とても重要な要素。だから、双方がしっかりと溶け合うように作品を仕上げるべきなのに、音楽が流れると急にボリュームがぐわ~んと上がって、「さあ、泣いてくださーい」とごり押しされる。本作は、音楽の力など借りなくても、話そのものが十分に感動的。これ見よがしに坂本龍一の音楽をかぶせる必要など全くないのに、なぜこうなってしまうのか。「世界の教授」に対する遠慮か、それとも盛り上げたい一心か。いずれにしても、この音楽の使い方は、物語がそもそも持っている吸引力を弱めているとしか思えない。それは、がんばって演技している俳優にとっても、作曲家にとっても、失礼な使い方ではなかろうか。

私は坂本ファンなので敢えて言うけど、彼の音楽は旋律がとても特徴的ゆえに、作品の中で音楽が一人歩きしてしまう。かなり神経質に扱わないと、作品のイメージごとごっそり持って行かれる、かなり取り扱い注意なシロモノだと思う。

そして、このような感動作をそれなりの完成度でもって仕上げる力が日本映画には、まだまだ足りないなあというのを痛感する。若くしてタイに渡り象の調教師を目指した少年が志し半ばであっけなく事故死してしまう、というプロット(しかも、実話)は、とても個性的だし、つまらない小細工などしなくても、確実に多くの人々の心を掴む作品になるはず。なのに、それができない。家族間の確執に迫っていないし、演出も凡庸。この素材を韓国へ持っていったら、きっと一定レベルの感動作に仕上げてくるような気がする。オーソドックスな物語をオーソドックスにきちんと仕上げる。そんな、映画を作る基礎体力がこの作品には欠けている。常盤貴子は母親には全く見えないし、高橋克美も存在感が薄すぎる。ミスキャストだと思います。物語をいちばん引っ張っているのは、象の存在。それが、せめてもの救いです。いい素材なのにとても残念な仕上がり。
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by galarina | 2008-03-05 23:33 | 映画(は行)

監督、ばんざい!

2007年/日本 監督/北野武

「徹底的な自己破壊は全ての映画監督への挑戦状」

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「小津的空間で首を吊る」
「TAKESHI’S」で分裂させた自己を、徹底的に破壊するのが目的で作られた本作。何を撮っても駄目な北野監督が続く序盤。その駄目な作品群は、全てが「○○モノ」というジャンルで称されるものばかりだ。「悲恋モノ」「忍者モノ」「昭和モノ」…etc。それらが撮れないと自虐的に嘆いてみせるものの、これは明らかな「○○モノ」とイージーにカテゴライズされてしまう映画への徹底的な批判。そして、それは同時に「○○モノ」という冠がつけばヒットする映画を撮っている監督たちへの批判であり、挑戦状ではないだろうか。ここまで、同業者をこてんぱんに批判して大丈夫なのかと心配するのは、私だけだろうか。面白いのは、そのようなジャンル別作品の中で、小津安二郎の作品だけが固有名詞で挙げられていること。しかも、この小津的空間で北野監督の分身人形は首を吊っている。映画ファンなら、この一瞬のカットにドキリとしないわけがない。果たして、このカットが意味するものは何か。小津作品について語るものを持っていない私など、このカットをどう理解していいのかお手上げだ。小津作品には叶わないという白旗なのか、それとも小津的なるものを追いかけることは、すなわち己の首を絞めることであるという日本映画への示唆か。

「脱線しまくる映画は、一体誰のものか」
脱線に脱線を重ね、物語としては全く破綻してしまう後半部。その破綻ぶりを岸本佳代子と鈴木杏が嘆くシーンにおいて、「そんなのコイツに聞きなさいよ」と分身人形は何度も殴られる。そして、延々と続く笑えないベタなギャグ。果たして、ここに「観客」という概念が存在しているのかどうかすら疑わしい。北野監督が試みているのは、「映画」と「観客」の断絶なのだろうか。己を否定し、観客との関係性を断ち切った上で、最終作にとりかかる。本作はそのための準備作品のような気がしてならない。首をくくっても、殴られても、ラストの宣言は「監督、ばんざい!」。好調と言われる今の日本映画界において、映画監督たるものを見つめることに徹する北野監督。そもそもタイトルは、「OPUS 19/31」だったとか。そう言えば、フェリーニの「81/2」は、スランプの映画監督が現実と妄想を行ったり来たりする話だったけ。こりゃ、完結編をじっと待つしかないのかな。
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by galarina | 2008-02-29 18:19 | 映画(か行)
2006年/日本 監督/矢崎仁司

「愛しい彼女たち」

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4人の女優、全員すばらしい演技を見せてくれるが、特に中村優子と岩瀬塔子、この2人の存在感が秀逸。原作者である魚喃キリコ氏(岩瀬塔子)がこれほどまでに、良い女優だとは知らなかった。彼女の嘔吐シーンは、身を切られるほどつらかった。漫画は何作か読んでいるが、ぜひ女優業も続けて欲しいと思わせるほど、輝いていた。

あまりにも振り幅が狭い4人の女たち。これほど選択肢の広がった現代において、なぜそんな生き方しかできないのか、と見ていてつらくなる。男や神様(拾った石)が生きていく拠り所である、ということ。情けないし、ナンセンス。でも、そんな彼女たちを馬鹿にすることなど到底できない。もはや自分の足で立つ意思をもがれた女たちは、自分ではどうしようもないその孤独を「誰か」によって埋めてもらいたいと願い続けることしかできないからだ。その姿に、「いつかあの時の自分」を重ねられずにはいられない。

あの時の自分をとうに過ぎた今の私なら、黙って彼女たちを抱きしめてあげられる。だから、たどたどしい日本語で語られる「あなたのお母さんは元気ですか?」というひと言に、みるみるちひろの表情が変わりゆくシークエンスが切なくてたまらない。ここは、淡々と続く作品全体に明るい光が差してくるような、冷たい氷が溶け出すような、そんな心地よい変化の兆しを見せるすばらしいシーンだと思う。みんな、おっきくて、あったかいものに抱きしめてもらいたいんだよ。

この作品を「女性向け映画」とくくってしまうのは、とても惜しい。確かに20代の女性特有の頼りなさや切なさ満載で、同年代の女性なら響くものは大きいだろう。しかし、現代女性が抱える孤独は、決して彼女たちだけのものではない。彼女たちを受け止められない、持てあましている男性の存在も表裏の関係として(作中には描かれなくとも)厳然と存在しているのだから。トイレでパンティをおろしたまま拾った石に見入る、それはいらないシーンだろうか。誕生日にどうでもいい男と寝て顔に精液をぶちまけられる、それは話題作りのシーンだろうか。そんなはずはない。それらのリアルな描写の向こうに見える切なさやつらさがぐいぐいと私の中に流れ込んできて、彼女たちが愛しくてたまらなくなった。
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by galarina | 2008-02-27 22:07 | 映画(さ行)

女王蜂

1978年/日本 監督/市川崑

「全てを物語る岸恵子の目」

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さて、初期の市川+石川版は「犬神家の一族」「悪魔の手毬歌」「獄門島」で三部作的な印象が強いため、この「女王蜂」という作品の評価は一般的に低いような気がします。もともとこの作品が期待薄だったのは、当時資生堂CMとタイアップしていたこと(加藤武は「口紅にミステリーか~」とわざわざキャッチコピーを言わせられてた)と、紅葉まぶしい京都の野点のシーンが豪華女優陣大集合ってな感じで宣伝によく使われていたことが原因だと思います。資生堂&京都の艶やかなお茶会は、いつものどろどろ怨念うずまく横溝世界とは、ちょっとイメージ違いすぎますから。

でも改めて見直すと、とても面白くて、前3作に負けない出来映えに驚きました。ちょっとこの作品を過小評価していたな、と深く反省。

まず、オープニングのスピーディな展開が観る者を一気に引き込みます。昭和7年のひとりの女とふたりの学生の出会い。そして3ヶ月後の惨劇。そして、その惨劇の謎を残したまま、昭和27年のテロップが流れたらいきなり時計塔の惨殺死体。のっけから過去と現在の殺人事件が立て続けに起きて、ドキドキします。その後も前作までの犯人役の女優が次々と登場し、サスペンスとしても十分楽しめる。ここで悲劇のヒロイン、中井貴恵の演技力がもう少しあったならと思うのですが…

と、前置きが長くなりましたが、何と言っても素晴らしいのは、岸恵子の「目の演技」。彼女の目の演技が、中井貴恵のつたなさや、資生堂とのタイアップやら興ざめする部分を帳消しにしてくれます。男を誘う妖しい目、男を疑う哀しい目、報われない愛を知る寂しい目。見つめたり、下から見上げたり、驚いたりとまあ、実に様々な美しい目の表情を見せてくれます。これは演技が上手いという範疇のものではない気がするなぁ。かといって天性のもの、というのでもない。彼女が人生において築いてきたものが全て目に出ている、としか言いようがありません。

彼女の目が語り続けるからこそ、最後の悲しい決断が共感を誘う。彼女に思いを馳せて金田一が汽車で編み物をするラストシーンが余韻を放つ。さすが市川崑監督。岸恵子と言う女優を知り尽くしていると痛感しました。

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市川崑監督がお亡くなりになりました。
もう金田一シリーズが見られなくなるなんて、本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
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by galarina | 2008-02-18 22:03 | 映画(さ行)

八つ墓村

1977年/日本 監督/野村芳太郎

「シリーズの中の1本とは呼べない」

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これは、横溝シリーズの一遍ではなく、「砂の器」「鬼畜」に並ぶ紛れもない野村芳太郎作品。本作の主要テーマは、辰哉という青年の過去を取り戻す旅です。そこには、過剰なおどろおどろしさも、同情すべき犯人もいません。死んだ母を思い出し、自分の汚れた血に思い悩むショーケンに大きなスポットが当てられるその姿は「砂の器」の加藤剛を思い出させます。そこに、芥川也寸志 のメロディアスな旋律がかぶさり、横溝ならぬ野村ワールドが広がります。やたらと夕暮れのシーンが多いのも、印象的ですね。すごく陰鬱な感じが出ています。

市川版における主役とは、犯人であり、金田一です。犯人にはいつもやむにやまれぬ動機があります。しかし、本作はどうでしょう。財産目当てというストレートな動機で、犯行が見つかったら般若の顔に一変し、ついでに尼子の怨念までしょわされています。原作とは全然違う。金田一だって、徹底的に影の存在です。物語が幾重にも重なる横溝作品。それらの中で最重要位置を占める、犯人と金田一への思い入れを本作はあっさりと捨ててしまっている。しかし、その分、戦国時代の落ち武者の殺戮シーン、そして要蔵の32人殺し。いずれの回想シーンも恐ろしさが際だっています。

市川版では、毒を盛られた人は口の端からつーっと血を流したりするんですけど、野村監督は容赦なく吐瀉物を吐かせたりするんです。別に殺しの美学なんて、どうでもいいって感じ。ひとえにこの気味悪さこそ、本作のもう一つの見どころと言えます。特に、頭に懐中電灯を付け走って行く山崎努を土手から捉えたシーン、あれは夢に出てきそうなくらい怖い。落ち武者の怨念から始まった呪いの連鎖を多治見家の消失でもって終わらせ、ラストに辰哉の生きる希望を見せる。橋本忍の脚本も完璧じゃないでしょうか。

ともかく、スポットの当てどころと落ち武者の怨念のケリの付け方など、原作を変えたことで作品としての深みは俄然増しています。でも、でも。シリーズファンとして、金田一の存在があまりにも薄いことが悲しい。この寂しさは、作品のクオリティの高さとは、また別物なんです。縁の下の力持ちどころか、ぶっちゃけ、いなくてもいいくらいのポジション。渥美清が金田一らしいかどうかと言う前に、この金田一のポジションの低さが本作品を諸手を挙げて褒めきれないもどかしさを生んでいるのです。
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by galarina | 2008-02-13 22:46 | 映画(や行)