「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:日本映画 ( 182 ) タグの人気記事

按摩と女

1938年/日本 監督/清水宏


「日本人のアドバンテージ」
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石井監督のカヴァー「山のあなた」を見て、オリジナルに興味が湧き観賞。

よく「フレームの美学」なんて言われますけども、日本人の場合、日本人であるというだけで物凄いアドバンテージがあるんじゃないか。本作を見て、そんなことを痛感します。格子戸、障子、襖、縁側…。これらの日本建築に必ず備わる様式は、フレームの端々に配置するだけで、絵画のようにしっかりと収まる。例えば、スクリーン左端に格子戸を置く。スクリーン下側に縁側を持ってくる。それだけで、何とも美しいフレーミングが完成する。障子にもたれかかって、考え事をするという何気ないカットにしても、障子そのものが「こちら側」と「あちら側」の曖昧な境界を作り出すという役割があるため、人物たちの揺れる心が表現できる。

人々の心をざわつかせる「財布が盗まれる」という事件。これにしても、この宿屋の障子が開け放されていたり、子どもが縁側づいたいに行ったり来たりできるからこそ、人々の猜疑心は膨れあがる。この日本建築そのものが持っている「意味」と物語の「意図」が絶妙に溶け合っています。

で、やはりこのフレームの美しさがもたらす余韻、そしてイマジネーションって、カラーよりも断然モノクロの方が大きいんですね。石井監督のカヴァー版よりもそれぞれの登場人物の小さな心の揺れがさらに際立っています。面白いのは「山のあなた」では、物語の振り子の役割を担っていると考えたほどの子供の存在感が、本作ではずいぶん薄く感じられたこと。しかし、逆に徳市の「お客様!」の土下座シーンは、こちらの方が何倍も悲壮感があります。徳市の「俺が助けてやる」という傲慢、「もしかしたら恋仲になるかも知れない」といった希望が打ち砕かれる。そんな徳市の心の動きは、正直「山のあなた」では今ひとつ心に迫りませんでした。どちらかと言うと、温泉宿場での群像劇のようにすら感じられたのです。しかし、オリジナルは奈落の底に落とされた徳市の情けなさ、つらさがラストまで後を引きました。
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by galarina | 2008-11-07 23:12 | 映画(あ行)

恋の門

2004年/日本 監督/松尾スズキ

「躁鬱ムービー」

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極彩色の映像にテンション高いオタクな世界。冒頭しばらく見て、クドカンか、はたまた中島哲也が頭をよぎる。しかし、この独特のハイな感じは何か違う。これぶっちゃけ躁状態でしょ。メーターふっきれるくらいテンションあがったかと思うと、ドーンと落ちる。これは、鬱。つまり、とても躁鬱的な展開なのね。3人がコンクールに応募しようとマンガを描いて、描いて、描きまくる。すばやくカットが切り替わりみんな「気持ちいー!」と叫ぶ。ここは、躁のてっぺん、つまりトランス状態に入ったところ。つまり、この映画には作り手の精神的不安から来るアップダウンな精神状態が如実に反映されているとしか思えないのです。それが、妙に私のツボにはまりました。でね、「クワイエットルームにようこそ」が面白くてこれを見たわけだけど、松尾スズキが次作で精神疾患の女性を主役にしたのは、これを見て大いに納得という感じなの。

「何だ、それ!ぎゃはは」と笑えるポイントはことごとく、「イってるよね、この人(松尾スズキのこと)」と言うつぶやきが頭をよぎってしょうがない。だって、小日向英世のボンデージと平泉成のアフロには、おったまげましたよ。塚本晋也だの、三池崇史だの、庵野秀明だの、監督たちのカメオ出演は数あれど、こんなにおかしな人々が集う映画ってそうそうないでしょ。

趣味の違う門と恋乃が境界線を越えようと行ったり来たりするのは、いわゆるラブストーリーではありがちな恋の障壁ですが、サブカルとオタクがドッカンドッカンぶつかるその様はさながら異種格闘技のような面白さ。そして、キスシーンの多いこと。しかも、ちゅぱちゅぱと生々しいキスシーンのくせにちゃあんと胸がキュンとなるんだわさ。エロいくせに、キュートなシーンも用意しているあたり、おぬしやるなあ、なんてね。ボロぞうきんみたいな服装の松田龍平くんもいいねえ。小汚い系男前は長らくオダジョーに軍配をあげていたのだけど、お嬢様の香椎ちゃんと無難に結婚したもんで、再び龍平くんも応援しよっと。

以下、私の勝手な監督評。哲学漫画「真夜中の弥次さん喜多さん」をシュールなナンセンス映画に仕上げたクドカンは、とてもクレバーな人だと思ってる。あんな風に見せておいて、実は物凄く頭の切れる人。「松子」の中島監督は、狂騒的に見せるけど、すごく綿密に計算している人。で、松尾スズキはと言うと、感性で勝負している、アーティスト型。理屈でとらえようとするより、肌で感じる方がいいのかも。演劇にはめっぽう疎い私は、ついこの間までクドカンも松尾スズキもほとんど一緒だったわけだけど、私の肌に合うのはどうやら松尾スズキとわかりました。収穫の1本。
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by galarina | 2008-10-18 20:47 | 映画(か行)

容疑者Xの献身

2008年/日本 監督/西谷弘
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「今回ばかりはフジテレビの我慢ぶりを称えたい」

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なんと、なんと、出来映えは、予想以上。ちょっと意外なほど。確かにドラマ『ガリレオ』の様式は残していますけど、かなり原作を重んじました。これ、大正解。今回、フジテレビはずいぶん我慢したんじゃないでしょうか。

冒頭、ドラマ同様、犯罪を立証する大がかりな実験から幕を開けます。これは、もろドラマファンサービス。でも、つかみとしてはアリでしょう。非常にワクワクします。以降、物語が動き始めてからは、石神(堤真一)と花岡靖子(松雪泰子)のふたりの関係に完璧にシフトします。冷静になって考えると、いくらドラマがヒットしたとはいえ、直木賞受賞作の映画化。もしかしたら、観客の比率は原作ファンの方が多いかも知れません。原作をいじれば、読者からの反発は大きかったでしょう。

それにしても。この映画の主役は、堤真一でしょう。この役、彼じゃなかったら、どうなってただろうと思います。確かに原作の石神はルックスの冴えない醜い男として描かれていて、堤真一とはギャップがあります。しかし、もしこの役を原作通りの見た目の俳優が演じていたら、それこそイケメン福山雅治ひとりが浮いてしまって、ドラマ的軽薄さが増したでしょう。あくまでも、福山雅治とタイマンを張る俳優ということで、堤真一にしたのは、とても賢い選択だったと思います。原作読んでるのに、ラストシーンは、かなり泣いてしまいました。また、松雪泰子もとてもいいです。最近多くの話題作に出ていますけど、「フラガール」より「デトロイト・メタル・シティ」より、本作の彼女の演技の方が引き込まれました。。

映画館を出てから息子に「あのシーン、なかったなあ。あの、ヘンな数式、その辺に書き殴るヤツ」と言われて気づきました。確かに。小学生の息子がヘンだと言うのですから、あれを映画に入れていたら台無しだったでしょうね。湯川先生(福山雅治)と内海(柴咲コウ)の関係にしても、あのフジテレビですから、ほんとは恋愛関係に持って行きたいところじゃないかと思います。しかし、我慢しましたね。「友人として」話を聞いてくれ、と湯川先生に言わせて、それをはっきりと表明しています。まるで「このふたりのキスシーンは我慢しました」というフジの製作者の無念の声が聞こえてくるようです(笑)。

結局、原作の力が大きいのです。そして、それは良い原作なのだから、それでいいのです。個人的には東野作品は「白夜行」のような重い物語の方が好きです。「容疑者Xの献身」が直木賞を取ったときも、正直これより前の作品の方が面白いのあるじゃん、と思いましたしね。でも、映画化ということで考えれば、この作品は向いているのかも知れません。数学VS物理の天才、という構図だとか、アリバイのトリックとか。確かに見終わって、あのショットがとか、脚本が、といういわゆる映画的な感慨もへったくれもないわけです。ただヒットドラマの延長線上で作った、というノリは極力抑えようとしたことが良かった。よって、ドラマファンの息子はもちろん大満足、そして東野ファンのオカンもそこそこに満足、という両方のファンをそれなりに納得させたことにおいて、今回ばかりはうまくフジがバランスを取ったな、と思います。 1本のミステリー作品としても、秀作ではないしょうか。
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by galarina | 2008-10-14 17:27 | 映画(や行)

ぐるりのこと。

2008年/日本 監督/橋口亮輔
<みなみ会館にて鑑賞>

「静かに強く生きたい。このニコイチ夫婦のように」
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私にとっては、「歩いても、歩いても」と、この「ぐるりのこと」が公開前から楽しみにしていた作品。とても良かったです。

バブル期以降、世間を賑わせた有名殺人犯が次々と出てきます。この法廷シーンの異様さが淡々とした夫婦物語と馴染まないと感じられる方もいるかも知れません。しかし、これなくしてこの映画は語れないのだろうと思います。妻、翔子(木村多江)は子どもを亡くしたことをきっかけに精神を病んでいくのですが(これが流産なのか、産後に何か不測の事態があったのかははっきりと描かれていません)、それは同時にすさんでゆく日本という国そのものに呼応している。または、そのものかも知れないと感じました。

夫のカナオ(リリー・フランキー)は、何をしても頼りなく、自分の意思を口に出さない男。そこらへんのおねえちゃんにすぐちょっかいを出す、なまっちろい男として、終始描かれてゆきます。しかし、このカナオのキャラクターの描かれ方は実に表面的なものです。何年もの間、翔子のそばで何も言わず、「ただひたすらに寄り添っているだけ」のカナオ。何もしない彼に対して翔子は時に苛立ちを隠せないのですが、本当は「ただそばにいること」ほど強いものはないのではないかと思うのです。

映画の終盤、カナオの父親は自殺していたことが明らかになります。そんな父親を「逃げた」と捉えているカナオ。しかし、彼は子どもの頃の傷をおくびにも出さず、飄々と振る舞い、翔子から逃げません。「ハッシュ」以降、精神的に鬱な状態だったという橋口監督。その姿は一見して妻・翔子に投影されているように感じられます。しかし一方、自身のトラウマから逃げず、翔子を見守り、夫婦の小さな希望に向かって、わずかでも歩みを止めないカナオにも、また映画を撮ろうという熱意が生まれた橋口監督自身が投影されているように思えるのです。

結局、翔子とカナオは、一心同体、または一個の存在ではないでしょうか。この夫婦はバラバラなのではなく、補い合うことで、ひとつのものとして存在している。夫婦は互いに支え合うもの、という事ではありません。ふたつでひとつ。このニコイチな夫婦の姿は、橋口監督自身でしょう。そしてまた、このすさんだ現代を生きていかねばならない、我々一人ひとりの日本人の心の在り様を示しているのではないでしょうか。落ち込んでもいい。でも、逃げないで。じっと待って、踏み出せる時が来たら、その一歩を前に出そう。

さて、主演のリリー・フランキーが、すばらしくいいです。あの柄本明としっかりスクリーンの中で馴染んでいます。また、時代を揺るがせた殺人犯を数多くの有名俳優が演じているのも見どころ。幼女殺害犯、宮崎勤を加瀬亮、お受験殺人犯を片岡礼子、連続児童殺傷犯、宅間守を新井浩文。そうそうたる顔ぶれですが、やはり目を見張るのは加瀬亮です。被告人席の彼の演技が未だに頭から離れません。他にもカメオ出演として、たくさんの有名俳優が出てきますし、記者役が柄本明で母親が倍賞美津子ですから、実はこの作品ものすごく豪華な顔ぶれなんですね。これも、橋口監督の器量の成せるところでしょうか。

最後に、とても長回しが多いです。夫婦がくだらない会話をしているシーンは、ちょっとやりすぎだろ、と飽きちゃいましたが(笑)、妻が本心を語り、抱き合うシーンは良かった。「キスしようと思ったけど、おまえ鼻水出てるよ」。まるで、本物の夫婦を見ているようでした。
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by galarina | 2008-10-12 15:50 | 映画(か行)

私は二歳

1962年/日本 監督/市川崑

「あの時の甘い記憶が蘇る」
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これだけ鑑賞前の予感が外れる作品は他にはないんじゃないか、そう思う逸品です。二歳の子ども目線で団地夫婦の日常が描かれる。何だか人を食ったような、文部省推薦作品もどきかと思いきや、さにあらず。私自身で言えば、すでに息子は小学校高学年。二歳の記憶なんてとうに過ぎていますが、心の底から嗚呼!子育てって本当に楽しかった、こんなに暖かい気持ちの毎日を過ごしていたんだと、あの時の「甘美な気持ち」が湧きに湧いて、幸福感に包まれました。

働きマン派の私など、高度成長期の団地の奥さまの生態だなんて、ほんとは拒否反応出まくりのはずなんですが、山本富士子がとても艶っぽい。これが、とてもいい。義理の姉役として渡辺美佐子も出てくるのですが、汗だくになっておむつを変えるその姿もこれまた、非常に艶っぽい。脚本の和田夏十女史のたおやかで優しい女性像と市川監督の女の艶やかさを引き出すカメラワークのすばらしいコラボレーション。子育て中の女性をセクシーに見せるなんて、やっぱり市川監督は粋な人です。

反発し合っていた姑と、あることをきっかけにタッグを組む嫁。はい、はい、はい!と膝を打ちたくなるようなその展開に、いつの時代も子への愛は同じなのだと満ち足りた思いが占める。全ては子供かわいさゆえ。しかし、全編に渡りそれが親の身勝手やワガママに見えないのはなぜでしょう。一生懸命。悪戦苦闘。日々子どもの成長を見守るという当たり前の生活の中にこそ、幸福は潜んでいる。愛あふれる夫婦の姿が、微笑ましくて微笑ましくて、終始にやけっぱなしなのでした。
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by galarina | 2008-10-10 16:34 | 映画(わ行)

狼少女

2005年/日本 監督/深川栄洋

「オーソドックスな力強さ」
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神社の境内にやってきた見世物小屋、というシチュエーションは確かに奇抜ですが、それ以外の子供たちの間で繰り広げられる人間模様は、いたってオーソドックスです。都会からやってきた少々おませで正義感の強い転校生の女の子、彼女のはつらつとした明るさに引かれる気弱な男子、貧乏ないじめられっ子の女子、彼女をいじめるガキ大将に嫌味な女子グループ。そうそう、昔はこんなんだった。誰もが幼き頃を思い出す、ごくごく普通の教室や放課後の風景。しかしながら、この映画が放つ力強さは何でしょう。

それは、昭和のノスタルジーなんて、感傷的な気持ちを引き出すことよりも、どっしりと、じっくりと子供たちの物語にフォーカスしているからなんでしょう。彼らの心の機微、揺れや迷いを丁寧に丁寧にすくい取ろうとしている。そんな作り手の真摯な姿勢が作品から感じられます。

私が気に入ったのはカメラです。父親と母親の間をゆらゆらと行ったり来たりして子供の不安な気持ちを表現したかと思うと、真正面から子供たちの顔をしっかり捉えて幼い心に芽生えた決意を表現したり。または、教室の机の下から斜めに構えたり、子供たちの周りをぐるぐると回ったり、スクリーン右から左へと橋の欄干を走る様をロングで撮ったり。とにかく、子供たちの生き生きとした様子を最大限に引き出しています。また、これらのカメラワークに応えるように、子供たちの演技がとても自然ですばらしいのです。

そして、去りゆく留美子をみんなで追いかけるラストシークエンスが堂々と物語を盛り上げます。これまた、物語としては実にオーソドックスな結末ですが、明が教室を飛び出してから、まるでカメラが子供たちの気持ちを乗せているかのように、カットが切り替わる度に切なさが二重にも三重にも膨れあがっていくのです。ランドセルが落ちてくる意外性と映像としての動きの付け方なんて、素直に「やられた!」と思いました。何とも、清々しい。心の洗濯をさせてもらいました。
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by galarina | 2008-10-04 15:30 | 映画(あ行)

Sweet Rain 死神の精度

2008年/日本 監督/筧昌也

「原作の映画化としては大成功」

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原作を読んでいるのですが、正直この作品の映画化は難しいだろうと思っていました。なぜなら、6話程度のショートストーリィから成り、2時間という尺でうねりを出すような風合いの物語ではないからです。言わば、間を楽しむといった手合いの小説。しかし、観てみると期待以上の出来映え。ふんわりとしたムードを押さえつつ、3話のエピソードが死神を軸にしっかりと1つにまとめあげられています。これは、脚本がうまいですね。上手に削り、上手に付け加えました。原作に相棒の黒犬は出てきませんが、犬と死神が無言で会話するという現実離れしたシチュエーションも作品が醸し出す浮遊感をうまく盛り上げています。

何と言っても本作の面白味は、「何事も達観している死神」と「目の前の出来事に一喜一憂しているちっぽけな人間」の対比が実に良く効いていること。その一番の貢献者は、やはり死神を演じている金城武です。近年の彼の作品の中ではベストアクトではないでしょうか。浮世離れした風貌、飄々としたセリフ回し、どんな設定の人間になっても何色にも染まらない透明感。立場は人間より上ですが、全く嫌味がありません。しかも、その存在がでしゃばり過ぎていない。だから、3つのエピソードの人間たちの悩みや苦しみがきちんと際だっているのです。焦点の合わない目でヘッドフォンを付け、リズムに合わせて肩を揺らす様子も実におかしい。

また、3話のエピソードは時を超えて繋がってくるわけですが、ラストにかけてどうだと言わんばかりの仰々しさが全くないのも非常に好感が持てます。作り手としては、どうしても観客をあっと言わせたいがために、種明かし的な演出に走りがちですけれども、実にさらっとしています。そして、そのことによって、最終的には金城武演ずる死神の人生がクローズアップされてくるんですね。それまで語り部としての役割しか持たなかった死神に、初めてこの世の美しさ、人間世界の温かみといったものを体感させる。なかなかじんわりできるエンディングです。不安が多くて足が向かなかったのですが、こんなことなら、映画館で観れば良かったです。
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by galarina | 2008-09-24 00:22 | 映画(さ行)

アキレスと亀

2008年/日本 監督/北野武
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「自虐の三部作、最終章。そして出発」
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てっきりみなみ会館での上映だと思ってたら、驚きのTOHO系シネコン上映でした。本作は、途切れることなく絵画が出てきますので、大きなスクリーンで鮮やかな色彩を堪能できて、これはこれで良かったです。日曜日の昼間の鑑賞でしたが、(私の)予想以上にお客さんは入っていました。6割程度でしょうか。これまた、驚き。これは、樋口可南子効果なのでしょうか。よくわかりません。

「好きではないけど、自分にしかできないものなら全うすべき」という仕事論にいたく感動した「デトロイト・メタル・シティ」と対極の作品。こちらは「好きなことなら、何が何でも続けるべき」という主張です。これはこれで、とても感動しました。敢えて言うなら「絵を描くのが好き」ではなく「絵を描くことしかできない」男の物語。

主人公、真知須の周りでは、ばったばったと人が死んでいきます。まるで、疫病神のようです。その中には、その人の死が明らかにトラウマになるようなものも多数あるのですが、真知須は絵を書くことを止めません。 それらの死が彼にどんな影響を与え、また、その死を彼がどう受け止め、乗り越えていくのかに物語をクローズアップさせれば、これはもっともっと感動的なストーリィに仕上げられることは、間違いありません。しかし、ご存じのように北野武は、そのような感傷的に物語を進行させることは一切しません。実に飄々と何事もなかったかのように、ただただひたすらに真知須は絵を描き続けるのです。

さて、「TAKESHI’S」「監督、ばんざい!」と三部作だと考えるのならば、真知須はやはり「好きな映画を撮り続ける北野監督自身」だと言えるでしょう。そうすると、親子二代に渡って彼の絵をけちょんけちょんにけなしたり、あれこれ文句を言っては売り飛ばしてこっそり儲けている悪徳画商の存在は、さしずめ映画プロデューサーになるのでしょうか。大森南朋が嫌味な男を演じていますが、バッチリはまってます。 基礎を勉強しろだの、流行を知らないだの、言いたい放題です。映画の勉強をせずにいきなり監督デビューした北野監督に浴びせられたこれまでの罵詈雑言を彼に言わせているのかとこれまたオーバーラップします。

映画の中盤では、真知須が仕事を抜け出しては仲間たちとアート活動に興じるのですが、ここがとても楽しいんですね。スクリーンには常に鮮やかな色彩が踊っていますし、若いからこそできる無茶ばっかりやって、アートとは何ぞや!と青臭く息巻いている様子が観ていて微笑ましい。この、中盤の高揚感こそ、北野マニアではなく、一般的な観客からもこの映画が支持される(とするならば)ポイントではないかと私は思いました。

本作では、それまでの多数の死も含め、人々の目を楽しませ、心豊かにさせるという芸術が持つ良い側面は、一切描かれません。真知須の志す芸術はただ周りを不幸にし、己に何の見返りももたらさない。真知須自身絵を書くことで、心が満たされているかというと全くそんなことはない。最終的には狂気をまとい、遺影の中に収まる自分をアートに見立てて、死と隣り合わせの時を過ごす。それでも、描かずにはいられない。そんな心境を北野監督は、「ようやくアキレスは亀に追いついたのだ」と自ら終結させた。これにて、いったん己を見つめる作業は終了、ということになるのでしょう。次回作は何になるのか楽しみです。
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by galarina | 2008-09-22 14:13 | 映画(あ行)

闇の子供たち

2008年/日本 監督/阪本順治
<京都シネマにて鑑賞>

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救いがないとは聞いてはいましたが、これほどとは思いませんでした。それは、やはり原作を改編したという、主人公南部の秘密があまりに強烈で。これから、ご覧になる方もいると思いますので、内容は控えておきます。何かがあると聞いてはいたのですが、私はこれは全然予測できませんでしたので、余計に呆然となりました。

この改変については、賛否が分かれることでしょう。しかし、私は阪本監督が並々ならぬ意思を持って、このエンディングにしたという決意を感じました。「我々観客=幼児売春、臓器売買などやってはいけないというモラルの持ち主」は、後半に行くにつれ、その思いを主人公南部に託します。なんとかしてくれ、と。それが、あのエンディングですから。これは、その思いを人に託すな、自分の意思で行動せよ。というメッセージだと私は受け止めました。

非人道的な臓器売買が行われるのがわかっていながら、どうしようもできない。しかし、南部は「俺はこの目で見るんだ」と繰り返し言います。まさしく、この言葉こそ我々観客にとっては、「私たちは今このスクリーンでそのどうしようもない事実を自分の目で見るのだ」という行為につながっているように思います。

そして、ラストカットがすばらしいのです。ああ、なのに。流れてくるのは桑田のかる~いサウンド。苦々しい余韻が吹っ飛んでしまいました。あれは、ないでしょう、ほんと。

阪本作品は人情悲喜劇が好きなのですが、本作では笑いを誘うようなセリフや間など全く存在せず、ひりひりと痛い2時間が過ぎていきます。私が感銘を受けたのは、作品のほぼ9割ほどを占めるタイでのロケです。人々がごったがえす街中や、暗い売春宿など、まるでそこに居合わせているようなほど、リアルな情景が続きます。ロケハンを始め、現地スタッフとのやりとりなど、苦労が多かったろうと思いますが、見事に報われています。そして、子供たちの演技がとても自然です。阪本監督は子供たちへの演技指導、そして演技後のケアにとても力を注がれたと聞きましたが、彼らの無言の涙とスクリーンを見つめる目に胸が締め付けられました。

この事実をひとりでも多くの日本人に伝えたい。本作の存在意義はその1点に尽きると思います。江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡。もしかしたら、別のもっと堅実な俳優陣が出演していた方が、作品としてはもっと落ち着きのある重厚な感じに仕上がったかも知れない。それは、否めません。しかし、彼らのような有名俳優が出演していることによって、より多くの観客動員が見込めるのなら、そちらを選択する、ということではないでしょうか。現在の観客動員ももしかしたら「篤姫」効果かも知れない。それでも、いいから見て欲しい。そういうことではないでしょうか。そういう意味において、周防監督の「それでもボクはやってない」と立ち位置の似た作品かも知れないと感じました。
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by galarina | 2008-09-13 11:29 | 映画(や行)
2007年/日本 監督/松尾スズキ

「寄せ書きを捨てるということ」
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「精神病院が舞台」というのは、題材として、とても難しいと思います。ひねくれ者の私は、患者たちの特異なムードを監督の「やりすぎ」「狙いすぎ」に感じることが多々あります。しかし、その特異性を描かないと、精神病院にならないですから、その塩梅をうまく表現することが大きなポイントなんでしょう。それで、思いっきり引いちゃったのが「ベロニカは死ぬことにした」。入院患者たちの舞台劇さながらの鷹揚な演技がダメでした。

ところが、本作で描かれている精神病棟の様子は、高校の女子寮みたいに見えなくもありません。りょう演じる看護師は、さしずめ鬼寮長と言ったところでしょうか。金の亡者に過食や拒食、引きこもり。どこぞの女子寮でも覗けば、こんな子たちがいそうです。常に脱走を試みる女子もいますし。ですから、精神疾患という、やや距離を置きがちな世界がとても身近な存在に見えてきます。ですから、「狙ってる」なんて穿った見方をせずに実にすんなり我が身に置き換えて見ることができました。

また、松尾スズキ監督のライトなノリが、本作ではうまくハマっています。そもそもタイトルである、拘束衣を着せさせられる独房を「クワイエットルーム」と表現する。そういった深刻なものをいったんライトなものに転換させて、観る側の興味を引きスムーズに心に落とさせる。そんなやり方が本作では成功していると思います。夫との生活が退屈で朝から晩までお笑い番組にのめり込むというのも、絵的には笑いを誘いますが、精神状態はずいぶん深刻ですよね。

明日香の経験したことは、言ってみれば、堕胎、離婚、仕事のストレスと、現代女性なら誰もが経験するかも知れない人生の分岐点。そんな彼女が隔離病棟の仲間たちとの交流によって、前を向いて生きることを選択する。しかし、病院を出るときには、寄せ書きを捨てること。このメッセージが、すごく効いています。人生をリスタートするためのほろ苦い選択。決別と決意。久しぶりの本格女優復帰となった内田有紀の演技もすがすがしく、なかなかの良作でした。
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by galarina | 2008-09-12 13:51 | 映画(か行)