「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:フランス映画 ( 38 ) タグの人気記事

ルネッサンス

2006年/フランス・イギリス・ルクセンブルク 監督/クリスチャン・ヴォルクマン

「モノクロームの美学」

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モノクロームの美しさに酔いしれました。最初はモーション・キャプチャーなる技術を駆使した人物たちの動きに目を奪われるのですが、案外それは見ているうちに慣れてきてしまいます。むしろ、強烈に惹かれるのはシンプルなワンカット。特に、光と影のコントラストが鮮やかな人物の横顔です。主人公カラスが思慮深げに雨降る夜の街を眺める。その時、スクリーンの右半分は真っ黒で、左半分にはカラスの横顔の輪郭と小さな雨粒しか映っていない。この圧倒的に情報の少ないモノクローム画面が美しいことこの上ないのです。モノクロ好きには、堪らないカットが満載でした。日本の切り絵がふと頭をよぎったのは、私だけでしょうか。

また、街の全景や小物のディテールが、この手法だからこそ違和感なく見えます。例えば、空中に現れる小型モニター画面。最近のハリウッド映画でもよく出てきますが、どうしても嘘っぽいんです。でも、このメタリック・モノクロームの世界では、未来の乗り物も尖塔のような建物も小型のハイテク機器も、その存在感がとてもリアルで臨場感豊かに映ります。

物語が似ているからと、SF映画の金字塔と言われる「ブレード・ランナー」と比べるのは、ちょっと酷な気がします。近未来映画の新たな表現方法として十分に評価されるべき作品ではないでしょうか。すでに何でもアリとなってしまったCGで誤魔化したハリウッドの近未来大作を見るより、よっぽどお勧めできます。エキセントリックな美しさを堪能しました。
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by galarina | 2008-08-07 14:23 | 映画(ら行)
2005年/カナダ・フランス 監督/ダイ・シージエ

「映像の美しさは必見」

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孤独な魂がたとえようもなく美しいものに出会えば、おのずとそれを愛するようになるもの。これ、必然なり。ふたりが愛し合っていることに微塵の疑いもないが、発端は孤児として簡素な生活を送っていたミンが、初めて圧倒的な美を目の前にし、ひざまづきたい衝動にかられたことではないだろうか。それほど、蒸した薬草の上でまどろむアンの裸体は美しかった。それゆえ、あの薬草が幻覚を引き起こすという話は、余計なものとすら感じられたのだが。

ダイ・シージエ監督は中国で生まれ、フランスで映画を勉強したとのこと。だからだろうか、観客が期待するアジアン・エキゾチックなムード作りがあまりにツボを得ていて、どのシーンもため息が出るほど美しい。中国人監督ゆえ、その描写は誇大表現ではないのだろうと、安心してこの世界に入り込むことができた。ハリウッドがさんざん犯してきたジャパニーズ・エキゾチズムの間違いを、誰か日本人監督が正してくれないものだろうかと思わされる。「さくらん」じゃダメなんだよ。

アンの虜となったミンの心の移り変わりをもっと感じたかった。ふたりの間に肉体関係はあるが、それもまた孤独なもの同士が体を温め合っていることの延長線上の行為のように思える。ならば、ふたりの結びつきは肉欲ではなく魂。しかしラスト、悲劇に向かいながらもふたりの様子のあまりにもさばさばとしたあっけなさが物足りない。あくまでも清らかな心根にこだわりたいのはわかるが、ふたりの純粋な愛を前にして感極まって涙あふれる、そんな感情も残念ながら湧いてこないのだ。しかし、この映像美は必見。ふたりの愛の形よりも、ふたりの愛を彩る植物園に心奪われた。
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by galarina | 2008-06-16 23:35 | 映画(た行)

殯(もがり)の森

2007年/日本・フランス 監督/河瀬直美

「揺さぶられる母性、制御不能な感情」

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とても感動しました。カメラはよく揺れるし、車の中のシーンは暗くてはっきり見えないし、セリフだって聞きづらいし。それでも、胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感覚に何度も襲われました。深い森の奥でしげきさんが大木に抱きついた辺りから涙が止まらなくなってしまったのでした。

茶畑のかくれんぼ、木登り。無邪気なしげきさんに、真千子は亡くした息子を重ねた。車の中から消えてしまったしげきさんを必死に追いかける真千子。行かないで、消えないで。自分が手を離してしまったことで、真千子は再び罰を受けるのだろうか。森の中の追いかけっこ。それは、生と死の境界を行ったり来たりする追いかけっこ。「行ったら、あかん!」真千子の悲痛な声が胸に突き刺さる。そのやりきれなさと哀しみが私の心の中に洪水のように入り込んでくる。そして、突然私はフラッシュバックを起こし、真千子と同じような体験をしていることを思い出した。川遊びに出かけた際、息子がもう少しで川にのみ込まれそうになった夏の思い出。同じように「行ったら、あかん!」と声が枯れるまで叫び、息子を抱きしめて自分の不注意を嘆き、何度もごめんと謝ったあの日。

そして、森での一夜。真千子が裸になったのは、大切な者を守りたいという衝動的で原始的な行為だと感じた。そして、再び私は自分の原体験が頭をよぎる。息子が赤ん坊だった頃、布団の中で裸になって彼にお乳をあげていた自分。そこに、紛れもなく流れていた恍惚の瞬間。それは男女間に訪れる恍惚ではなく、もっと人間本来の原始的な恍惚。ふたりが森の奥へと入った時から、私の中の心の奥底に眠っていた記憶がとめどなく引っ張り出されて仕方がなかった。私の中の母性が疼くのだ。夜が明け、朝靄の中でしげきさんがずっとずっと遂げたかった思いを完遂させる一連のシークエンスは、とても感動的。土に眠るしげきさんを見守ること、それは真千子にとって亡くした息子を見送ることだった。森や土、そこは人間が還る場所、母なる場所。私たちは包まれている。この怖ろしくも、美しい場所に。

ドキュメンタリースタイルだからこそ引き出されるリアリティ。演技者のつたなさがもたらす不安感。息を呑むように美しい風景。息苦しくなるような暗い森での追いかけっこ。様々な感情が堰を切って流れ出す、何とも濃密な作品。荒削りと評されることもあるようですが、荒削りだからこそ、この揺さぶられるような感覚が起きるのではないかとすら思ってしまう。下手にうまくならなくていいんじゃないか、むしろ、私はそんな風に思ってしまうのです。
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by galarina | 2008-05-12 15:51 | 映画(ま行)

潜水服は蝶の夢を見る

2008年/フランス・アメリカ 監督/ジュリアン・シュナーベル
<京都シネマにて観賞>

「蜜を吸えない蝶の哀しみ」
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突然倒れて、病院で一命を取り留め、片目でまばたきするしかないという悲惨な状況に陥ったジャン・ドゥ。しかし、彼のモノローグが、関西弁で言うところの「ぼやき」に近いモノがあって、何だかコミカルな雰囲気が漂います。また、ジャンの目線で描くことによって、病院関係者があの手この手で世話をするのも、ありがた迷惑のようにすら見えます。これだけ気の毒な病状だと、普通はかわいそうだと同情を誘うような演出にするんでしょうけど、全然そんなことはないのです。

ずっと映像は、ジャンの片目が捉えたものです。そして物語も中盤にさしかかった頃、ようやくジャンの状態が顕わになります。唇が歪み、目を剥いた彼の姿は、我々をぎょっとさせますが、ここで観客の視点が転換します。つまり前半は、ジャンの立場で周りの人々をとらえ、このシーンからはジャンを取り囲むひとりの人間としての視点に切り替わるのです。本来ならば死に至るような発作を起こした人が、実に体の不自由な状態となって命を取り留めたこと。それは、本人にとってどういうことか、周囲の人間にとってどういうことか。観客が両方の視点からいろいろと思いを馳せることができる。だから、観た後に何度も思い起こして、あれこれと思いふけることができるのではないでしょうか。

さて、ジャンの周りには、美人ばかり集まってきます。言語療法士、理学療法士、別れた内縁の妻、まばたきを読み取る秘書。あまりにもみなさんとびきりの美人なので、これは明らかに何か意図があるのではないか、と思いました。それは、タイトルにある「蝶」です。潜水服に身を包んだような何もできない自分を蝶に見立てる。だとすれば、周りの美女は「花」ではないでしょうか。蝶は花から花へと飛んでゆきます。彼の視線が常に彼女たちの美しい足元や胸元に伸びていることを思えば、そんな想像も膨らみます。しかし、ジャンは決して美しい花を愛でることはできない。そこに、「男」としての根源的な欲求を満たせぬ哀しみを私は感じ取ってしまいました。

自由な自分を想像する時によく出てくるイメージは「鳥」なのですけど、この「蝶」に例えるあたりが、なんともたおやかで優雅でフランス映画(資本はアメリカですが)らしいなと思うのです。尽くして看護してくれる妻がいるのに、愛人への未練が断ち切れないジャンの身勝手さなんかもね。「本」という形あるものを残したことに意義はあるのでしょうが、ジャンにとっては耐え難き苦悩ばかりの日々だったように思います。それにしても、まばたきを読み取る周囲の人物の忍耐強さには頭が下がります。果たして、私にできるだろうかと考えてしまいました。結局を死を目の間にした人を描く、ということは、それを周りの人々がどう受け止めるのか、どう受け入れるのかを描くことなのだと痛感したのです。
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by galarina | 2008-04-06 23:49 | 映画(さ行)

昼顔

1966年/フランス 監督/ルイス・ブニュエル

「どこまでも続く夢想」
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ブニュエルは学生時代、よく見ました。今回続編となる「夜顔」が公開されるということで、久しぶりに再見。

改めて見直してブニュエルらしいシュールさを満喫しました。カルトムービーの匂いがプンプンします。セブリーヌが思い描く性的妄想のシーンになぜかくすくす笑いが抑えられない。馬鹿馬鹿しいのを大真面目にやっているショートコントみたいなんだもん。変な公爵の城に招かれて死体の真似をさせられ、雨の中を放り出されるという妄想では、「ウィッカーマン(オリジナル)」を思い出しました。この妄想シーンのおかしさというのは、ドヌーヴのまるで感情を表に出さないお人形のような目のせいもあります。一体、どこを見ているのってくらい、虚ろなの。昼の顔と夜の顔を持つセブリーヌだけど、本当は一日中夢を見ているのではないかしら。ずっと、心ここにあらず。

ドヌーヴの美しさには本当にうっとり。惚れ惚れします。ピン1本でまとめたアップのヘアスタイル。あれは、日本人のストレートな黒髪では、絶対に不可能。ピンを外してはらりと垂れる艶やかな金髪。金髪の美しさはもとより、その髪の豊かさに驚きます。ふわっふわの髪。そして、サンローランの素敵なお洋服。脱いだら陶器みたいに白い肌。やっぱり、ドヌーヴは最高。

セブリーヌが思い描く歪んだ性への欲望を、逆に男目線からの表現と捉える方もいるようです。さて、本当にそうでしょうか?夫とはできない。しかし、行きずりの男には快楽を感じる。それは、自分に罰を与えるという行為に潜む性的快感に根ざしているのかも知れませんし、そもそもマゾヒスティックな資質が彼女にあったのかも知れません。いえ、女というものは、自分を満たしてくれるものに対して根本的に貪欲な生き物と言えるかも知れません。短いカットバックで、セブリーヌの少女時代が映し出され、何かトラウマを抱えていることも示唆されます。しかし、作品の表面上はセブリーヌの本当のところがわからない、という見せ方にしている。そこが、この作品のすばらしさではないでしょうか。まあ、あの美しいドヌーヴを鞭で打つわ、顔に泥は投げるわ、雨の中に放り出すわで、さぞかしブニュエルは映画内プレイを堪能したんだろうというのは確実に推測できます。
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by galarina | 2008-04-02 23:00 | 映画(は行)
2003年/フランス・オーストリア・ドイツ 監督/ミヒャエル・ハネケ

「忍耐力テスト」
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どこの国かも、何が起こったのかもわからないまま、粛々と物語が進み、最初の30分くらいは本当にイライラさせられます。これなら、まだ断片手法のほうがマシです。断片がヒントだと思えば、まだ謎解きをしてやろうという意欲も湧くものです。しかし、本作は一応時間通りに物語が進みますので、その成り行きを観客は眺めているしかありません。でも、何も提示してくれないので、我慢するしかありません。そして、全て見終わってようやく、合点が行きます。どこぞのサスペンスみたいにラスト30分で盛り上がるんではないですよ。全てです。全て見て、ああっ!となるんです。ある意味、ミステリーですね。しかし、忍耐力を伴います。

本作、主人公アンナのふたりの子供とはみ出し者の少年以外に子供が全く出てきません。それは、一つの伏線なんですね。いくら大災害とは言え、子供はみんな死んだということはないでしょうから。しかし、諍いの絶えない飢餓状況にどうしても目が奪われてしまいます。そうこうするうちに、姉の方が、死んだはずの父に手紙を書くことで精神的な安定を図ろうとしたり、盗みを繰り返す少年とコミュニケーションを取ろうとしたりします。つまり、極限状態に置かれた子供(姉)が、何とかぎりぎりのところで生き抜こうとする心理状況は見て取れるわけです。しかし、これまたハネケのいじわるな「引っかけ」であることを、最後の最後になって思い知ります。

弟の名前は「ベニー」。「ベニーズ・ビデオ」のベニーです。こんな大きなヒントを見逃していたとは迂闊でした。冒頭、青い鳥が死んだ後、私はすっかりベニーの存在を軽視していました。時折、集団から外れて家族を心配させたりしますが、姉のように行動を起こすことはほとんどなく、まるで存在していない、またはいても邪魔な存在のようになっていく。まさにそれこそ、ハネケの目論見だったわけです。

ショックでした。私には、大人のエゴイズム、無神経さを描いた作品のように思えるのです。私が本作でベニーのことなどすっかり忘れていたように、大人は少年たちの抱える闇に気づこうとしない、というハネケの警告ではないかと。(何せ名前がベニーですから)しかも、ベニーが取った行動のやるせなさを考えると、大人の何気ないひと言でも少年は傷つき、深く己と対峙するのがわかります。これは、まるで絵本のような語り口ですね。もし冒頭、「あるところにふたりの姉弟がおりました。そして、大きな災害がやって来て、人々は食べるものもないほど困っていました」というテロップが流れれば、きっとすんなり物語に入っていけるのになあと思います。でも、意地悪なハネケはそんなことしません。我慢して、我慢して見続けた後に、大人である我々は大目玉を食らい、深く反省させられるのです。
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by galarina | 2008-03-19 20:44 | 映画(た行)

パリ、ジュテーム

2006年/フランス 18話、18監督からなるオムニバス

「きっとお気に入りの1本が見つかる」

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ヨーロッパで最も好きな都市はバルセロナ。その次がパリです。カフェでぼーっとしながら道行く人を眺めているだけでとっても幸せ。だからね、ラストのアメリカ人女性キャロルがひとり公園でつぶやくセリフがもうこれはまるで私のことではないかしら、と言うくらいに染みてしまいました。
「私は喜びと同時に悲しみを感じていました。
それは大きな悲しみではありません。
なぜなら、私は生きていると感じたからです。」

本作は、まるで映像のガイドブックのように美しいパリを堪能できます。いろんな視点のものが出てきますが、やはり「旅人」としての視点に共感してしまいます。その中で最終話にしっぽりやられました。華やかなパリの街並みにひとり佇んだ時の、あの心地よい孤独感。それを見事に代弁してくれていたからです。ヨーロッパの旅は、なぜか無性に孤独を感じます。あれは、一体何でしょう?そして、その孤独感こそが生きている実感となり、再びヨーロッパを目指してしまうのです。

5分程度の作品なのに、全ての出演俳優たちがとても印象的な演技で魅了します。私のお気に入りは、ギャスパー・ウリエルとジュリエット・ビノシュかな。特にジュリエット・ビノシュは、この短い時間でこれほど魂込められるとは、さすがと唸りました。アルフォンソ・キュアロン監督の見事なワンテイクのオチ付きは拍手もの。オチをわかった上で見直すとかなり笑えました。

それにしても、驚いたのは英語のセリフがたくさん出てくることですね。もちろん、アメリカ人観光客という設定なら当然セリフは英語になるのですが、そういうことではなく、パリを舞台に撮る、となった時に迷わずじゃあフランス語で撮る、という感覚はもう古いんだな、と思わされたのです。ラストのアメリカ人女性の話でも、せっかく学んだフランス語が通じなくて困る、のではなく、フランス語で尋ねたら英語で返されてしまう、というシチュエーションなんですもん。パリも変わったなあ、なんてしみじみ。

各ストーリーを繋ぐ何気ないパリの風景。これが、とてもいい。特に夜の街がステキです。最後にパリに行ったのはもう10年も前のこと。仕事と子育てに追われて、年月は過ぎ…。パリに行きたくて行きたくてたまらない気持ちにさせられた1本でした。
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by galarina | 2008-02-09 23:25 | 映画(は行)

エンジェル

2007年/フランス 監督/フランソワ・オゾン
<テアトル梅田にて鑑賞>

「絶対にお近づきになりたくないオンナ」

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大好きなフランソワ・オゾンの最新作。まず舞台がイギリスってことで、英語なんですよ(当たり前ですが)。やっぱりオゾン作品はフランス語で見たいなあ。というのも、言葉遊びってフランス語の方が豊かなイメージがあるのね。それに嫌みをいっても、フランス語の響きで緩和されるところがあるでしょ。オゾンのような男女の駆け引きとか皮肉めいた言い回しなどはフランス語で聞いてこそ、本来あるべき姿に感じられる。それから、女流作家の一生ってことで全編文芸作品的なテイストで、これがあまり私の好みではなかったかな。

さて、原作があるってことですが、主人公のエンジェルは、オゾンが彼女を描こうとするのも納得!というほど、女という生き物の嫌な部分だけを抽出したような人物設定(笑)。もし、私が近くにいたら、私なりの女の本能で彼女には絶対近づかないな。巻き込まれたら最後、とことん相手を振り回すような女だもん。エンジェルに一目惚れされたエスメは、一目会ったその時点から御愁傷様という感じ。

本作を見て私はガス・ヴァン・サイトの「誘う女」を思い出した。スザーンって言うすさまじい自己顕示欲の持ち主をニコールが見事に演じていたけど、エンジェルも今の時代なら間違いなく精神障害じゃないかしら。彼女の人生を支えているものは空想ではなく、妄想。実の母親が死んだ後、食料品店の店主だった彼女を「偉大なピアニストでした」と涙ながらに語るシーンはかなりイタいんだけど、見方を変えれば結局真実の何か、例えば愛とか友情を得ることは絶対にないわけで哀れな女とも見える。まあ、妄想だけでベストセラーが書けるんだから、文才はあるんだし、あれだけ奔放に生きるのもそれはそれで幸せなのかしらね。ただ、エンジェルというキャラクターが観客を強く捉えるには、主演のロモーラ・ガライは今一歩という感じかしら。

終盤、夫の愛人に会いに行く時のエンジェルはやつれ果てて髪の毛もボサボサで真っ青な羽飾りのついた帽子をかぶってまるで海賊のような出で立ちで出かけるワケ。ところがね、このエンジェルのファッションがとってもクールなの。それまでのエンジェルは大金持ちでいいもの着て、幸せの絶頂にいるんだけど、その趣味の悪いこと、悪いこと。不幸になってからイケてる女に見せるってのは、何ともオゾンらしいかも知れませんね。
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by galarina | 2008-01-10 23:51 | 映画(あ行)
1956年/フランス 監督/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
「ピカソのアトリエにいるような高揚感」

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ピカソが実際に絵を書く様子を映像に納めた本作。作品そのものがフランスの国宝なんだそうだ。なるほど、それもうなずける。だって、あのピカソがどうやって絵を描いているのか、まるでそこにいるかのような臨場感で味わえるんですもん。大好きなんです、ピカソの絵。

磨りガラスのようなキャンバスを反対側から撮影する、という特殊な技法。真っ白なスクリーンにどんどん描き加えられるピカソのタッチ。ただ絵を見ているだけなんだけど、すごい高揚感。完成までのプロセスを眺めるなんて、こんな贅沢なことはないです。本作で描かれた絵は全部破棄しているらしいんですよね。もったいない。絵と絵の間に監督やカメラマンと談笑するピカソの映像が挿入される。「あと5分しかフィルム回せない」「それだけあれば大丈夫」そんなやりとりが面白い。それにしても、描くスピードの速いこと、速いこと。

さて、天才ピカソの絵を描くプロセスを観ていて、「なるほど、こんな風に描くんだ」という合点がいくことよりも、むしろ「なんで、そうなるの?」という謎の方が大きい。目の前で見せられているにも関わらず。まさに、タイトルの「ミステリアス ピカソ」ですよ。ただの幾何学模様が女性の顔になったり、せっかく描いた模様を塗りつぶしたり。最初から描きたいものが頭の中でできあがっているのか、描いている途中に気分が変わっちゃうのか。凡人には全くわかりません。

この作品は、3回ぐらい観ているんですけど、常に新しい発見があるし、毎回印象に残る絵が違いますね。たぶん、その時の自分の精神状態によって変わるんでしょう。映画だけど、「絵画」の奥深さ、すばらしさをとても感じます。
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by galarina | 2007-12-09 23:02 | 映画(ま行)

グレースと公爵

2001年/フランス 監督/エリック・ロメール

「これは映画なの?まるで油絵の世界」

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御歳81歳の巨匠、エリック・ロメールが描くフランス革命、となれば、ベルばらファンとしては見ないわけにはいかないでしょう。んでもって、とってもとってもステキな作品でした。かなり感激。

まずですね、さすが本家本元のフランス人が描くパリは、リアル&ビューティー。衣装や小物、セットが実に「らしい」感じ。いえ、何も豪勢な感じではないんですよ。「SAYURI」における、真っ赤な長襦袢や桜吹雪で、そうじゃないんだよって日本人が感じる違和感あるでしょ?あれと同じで、フランス人の手によって作られたこれぞ正真正銘の「パッリー」って雰囲気。

しかも、本作、街並みは油絵!で人物をCG合成している。実は、最初CGがらみってことを聞いて見るのをやめようかと思ったんですけど、これがめちゃくちゃしっくりきてるんですねえ。感激したのは、その油絵独特の濃淡が屋内撮影でも存分に導入されていること。ベッドに横たわる貴婦人、紅茶を飲むオルレアン公、針仕事をするメイド…何もかもが本物の油絵みたいなの。これには驚きました。とにかく、明度の低い映像なのに濃淡の出方がスゴイ。

さて、舞台は、革命まっただ中のパリ。主人公は、英国人で王党派のグレース・エリオット。彼女は、イギリスからルイ16世の元にやってきて、その美貌と知性から国王のいとこであるオルレアン公の愛人になった人物。愛人関係を解消した後も、二人は恋愛を超えた信頼関係で結びついている。彼女の視点から当時のパリを描くわけだけど、フランス革命はバッチリ!と思っていた私も彼女のこと、知りませんでした。まだまだ勉強不足だなあ。

グレースはイギリスから来た外国人でありながらもフランス王室を愛している。そんな彼女が誇りを持って立ち居振る舞い、革命の嵐に翻弄される男たちに毅然と自分の意見を述べる。フランス革命って、これまでアントワネットの立場でしか見てないもんだから(笑)、周辺人物の口から語られることが何もかも新鮮でした。結局オルレアン公は、革命を指示する側に周り、グレースとは思想的には対立するわけです。しかし、二人の愛情は変わることがない。これが、いかにもフランス的大人の関係だと思いませんか。実にエリック・ロメールらしい。愛情を超えた信頼関係ってどうなの、なんて凡人は思ってしまいますが、知性と教養にあふれた男と女ならば可能なのですね。

まあ、とにかく絵の美しさと時代を映し出す再現力、そして恋愛を超えた大人の男と女の物語を存分に堪能いたしました。ただ、ひと言。フランス革命に詳しくないと、時代背景さっぱりついていけないと思います。なーんも説明ありませんから(笑)。詳しくない人は事前のお勉強が必要かもね。
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by galarina | 2007-10-04 23:04 | 映画(か行)