「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:フランス映画 ( 38 ) タグの人気記事

ぜんぶ、フィデルのせい

2006年/イタリア・フランス 監督/ジュリー・ガヴラス

「人対人の信条をめぐる物語」
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1970年のパリ。裕福な家庭のもとで育てられている9歳の少女アンナは、弁護士の父と雑誌記者の母が共産主義に目覚めたことで、家庭環境が一変。前の暮らしに戻りたいアンナは、両親に反発。さまざまなトラブルが起こるのだが…

アンナはまだ小さい女の子で、「キョーサン主義ってなあに?」という質問ぶりから子供特有のストレートさ、そして「それは、ぜんぶフィデルのせいなのね。」という思考の短絡さを強調されてはいるけれど、およそ相手の信条がこちらにはさっぱりわからない類のものは、大人同士だって得てしてこんなものではないでしょうか。

夫妻はアンナを決して子供扱いせず、「子供のためにこうしよう」と言うことは全くしない。それに応じるかのようにアンナは常に親にくってかかり、疑問を問い糾そうとする。そこには「親」対「子供」ではなく、人間同士の率直な関わり合いが見て取れ、全編を覆うこのパッションあふれるやり取りがとても魅力的です。

こうして、アンナと両親は互いの思いやり、信頼を勝ち取ってゆく。ひいては、それがアンナという子どもの成長物語にまで高められているのがすばらしい。そして、そして。アンナはひとりの自立した「女性」として目覚めてゆく。これもまた、本作が単なる子ども成長物語と一線を画すところでしょう。女性監督らしい主張がしっかりと込められています。中絶の合法化運動に参加する母親。「キョーサン主義ってなあに?」という素朴な疑問と共に掲げられる「チューゼツってなあに?」という疑問。全ては呑み込めないものの、女性としての尊厳を持ち生きてゆくために奔走する母親の姿を見て、「同じ女性として」感じ、理解するアンナ。こうして、導かれるラストシーンの何と爽快なこと。

何でもかんでも「子供中心主義」の現代日本家庭から考えれば、我が子ひとりだけ授業を休ませたり、危険なデモに参加させたりする両親の行動に眉をひそめる人もいるかも知れません。当時の共産主義活動はかなりハードだったようだし、子どもが巻き込まれる可能性だってないわけじゃない。しかし、これまた大いなる問題定義のひとつだと考えれば、例えば夫婦で鑑賞するのにピッタリと言えるかも知れません。

「僕のピアノコンチェルト」「サン・ジャックへの道」に引き続き、年代や作品の好みに関係なく、幅広い層にオススメできるヨーロッパ発の佳作。アンナを演じるニナ・ケルヴィルの目ヂカラに吸い込まれました。
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by galarina | 2008-11-03 14:58 | 映画(さ行)

友だちの恋人

1986年/フランス 監督/エリック・ロメール
<6つめの格言:友だちの友だちは友だち >

「揺れ動く乙女ゴコロ」
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主人公は、パリ近郊の新都市セルジー=ポントワーズで市役所に勤めるブランシュ。キーカラーなんだろうか。いつもブルーの服を身にまとっている。それは、ブランシュ自身の煮え切らない気持ちから来る「ブルーな気分」を表しているようにも見える。また、舞台となっているセルジー=ポントワーズという街。計画的に開発された都市らしく、ブランシュの住むマンションを始め、スタイリッシュな建物も見どころ。この洗練された街の雰囲気とブランシュの幼さが、面白いギャップ感を生み出しています。

ブランシュには親友のレアがいて、その恋人がファビアン。いやあ、ロメール作品には珍しいイケメンくん。大人しいブランシュに対して、自由奔放なレア。恋人のファビアンもそんなレアに振り回されている。ブランシュは、ファビアンの知り合いのプレイボーイ、アレクサンドラを紹介され、一目で気に入る。でも、彼の前ではどうもうまく自分を表現できない。気取ってみたり、嘘をついたり、素直になれない…。

ところがある日、レアが恋人ファビアンをほっぽり出して、ナイショで別の男とバカンスに出かけてしまう。残されたもの同士、ブランシュとファビアンは水泳をしたり、食事をしたり、共に日々を過ごすうち、互いにとてもしっくり来ることに気づくのだが…。

男女4人を取り巻く恋模様。気持ちがあっちに行ったり、こっちに行ったり。まあ、よくあるお話ではあります。主人公のブランシュ。お役所勤めの割にはキャリアっぽくないと言うか、引っ込み思案でくよくよしてて、まだまだ「女の子」って感じ。フランス人女性って、自分の意思がしっかりあって、自由奔放で、恋愛の手練手管もバッチリ。なんてイメージがあるもんだから、そのギャップにとまどってしまう。でも、この格言シリーズに出てくる女性はみんなそうなのよね。「緑の光線」のデルフィーヌもそうなんだけど、「もうちょっとハッキリしなさいよ」とおせっかいを焼きたくなるようなキャラクター。

ロメールのような粋で知的なフランス人男性の周りには、きっと仕事も恋愛もバリバリ積極的なフランス人女性がたくさんいると思うんです。なので、こういうキャラクターの女性にばかりスポットを当てるのには、何か理由があるのかなあなんて、思ってしまいます。

ブランシュは相手を騙したり、自分を大きく見せたりとかしない。すごく素直な女の子で、シリーズ最終作品ってこともあるんでしょうか。とても素敵なハッピーエンドが待っています。いちばんそばにいる人が大切な人。いちばん飾らないでいられる人が必要な人。まるで、甘酸っぱい思春期の物語のよう。ふたりが抱き合うラストカットもとても微笑ましい。実はこのラストを迎える前に、偶然出会ったブランシュとレアが自分が好きな男の名前を伏せたまま会話をしたため、誤解が生まれ、そのままみんな別れちゃうの!?と思わせる展開があるんです。ただの会話のすれ違いなんですけど、ドキドキさせられました。ロメールって、何気ない会話のこういうちょっとしたシークエンスにやられちゃうんです。
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by galarina | 2008-11-01 00:24 | 映画(た行)

緑の光線

1986年/フランス 監督/エリック・ロメール
<5つめの格言:ああ、心という心の燃えるときよ来い>

「泣いてばかりのデルフィーヌ」
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まず、ベネチアで金獅子を撮ったこの作品の特徴は、ロメール監督が無名の女性スタッフ3人と即興的な演出で短時間で撮ったということでしょう。憂鬱なバカンスを過ごすパリジェンヌをとらえたその映像は、まるでドキュメンタリーのような手触り。バカンスにゆく先々で交わされる会話に、脚本はあるんだろうか。セリフがかぶったり、ヘンな間が空いたり、互いにぎこちなかったりするので、ついそんな風に考えてしまう。ただ、このぎくしゃくする会話が見事にそれぞれの、特に主人公デルフィーヌの性格を映し出しています。全編に渡る、この即興演出の妙こそ、他作品にはない本作の味わい。

さて一方、主人公デルフィーヌは、この独特の演出によって、非常に自然体、等身大の女性として映し出されます。そこに、もちろん共感する部分も多いのですが、パリジェンヌという語感からは程遠い、うじうじぶりにちょっと辟易します。バカンスって、フランス人にはそんなに大事なもんなんですね。ひとりは寂しい。それは、わかった。それにしても、です。友人の言葉で泣き出したり、第三者の好意をかたくなに拒んだり。どう見ても、デルフィーヌは極度の情緒不安定。特に、友人が手を差し伸べてくれたシェルブールのバカンス先でのランチの場面。テーブルに並ぶごちそうを目の前にして、私はお肉が食べられないの。獣を殺す行為に思いが及んでしまうから、といったようなことを言った時は、ちょっと唖然。こんなに周囲に気づかいのできない女性では、ボーイフレンドはおろか、友人も離れてしまいかねない。

ロメールは、本シリーズではそれぞれの主人公に、ひとりの大人としてはやや欠落したものを持っている、そんなキャラばかりを選んでいます。そりゃ格言シリーズなんですから、彼らのその欠けたモノを皮肉ったり、諌めたりしているわけです。その中では、このデルフィーヌは最強キャラじゃないでしょうか。ただロメールのいいところは、彼らの人間性そのものを決して否定したりしないところ。やや離れた位置で観察しながら、さりげない方法で彼らの性格を表出させ、いいところも悪いところも見せつつ、それも人間さ、もっと人生は良くなるさ、と締めくくる。そこには説教臭さは微塵も感じられません。そしてまた、それは神の視点というような大それたスタンスでは決してなく、強いて言うならば、敢えて苦言も呈しながら優しく包み込んでくれる親戚の伯父さんと言った感じでしょうか。そんな暖かい雰囲気が作品を包んでいる。そこがロメール作品に惹かれるところです。デルフィーヌという女性はどうしても好きになれないですが、こうした作品のムードに引っ張られ、「緑の光線」は果たして見られるのかという盛り上がりを持ってエンディングを迎えます。
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by galarina | 2008-10-28 23:42 | 映画(ま行)

満月の夜

1984年/フランス 監督/エリック・ロメール
<4つめの格言:人の妻を持つ者は心をなくし、二つの家を持つ者は分別をなくす>

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「自由を謳歌するには大人の分別が必要」
パリ郊外に引っ越してきたルイーズとレミのカップル。パリで働くルイーズは、週末の夜遊びが大好き。せめて金曜の夜は自由に遊ばせてくれ、浮気するわけじゃない。私はたまには、自由の時間が欲しいだけなんだから。それで、きっとあなたのことも、もっと愛せるようになる。ルイーズは、週末用にとパリに部屋を借りてしまうのだが…。

アイタタタ…。このルイーズの自己主張、まんまワタシの持論と同じだぁ。耳が痛い(笑)。現在、田舎暮らし中の私は、仕事用に都会にも部屋が欲しいと思ってまして。ほんと、ルイーズの言うことなす事、鏡を見ているようでつらい。でも、こうやって客観的に見ると、ルイーズのやってること、すごくワガママに見える。ちょっと、考えを改めなければならないのか!?とかなり身につまされる作品でした。

ルイーズはパリにいる時は妻子持ちのオクターブと遊ぶことが多い。このふたり、肉体関係のない、いわばプラトニックな関係。一見して、良き友人として付き合っている、例えば「SEX AND THE CITY」のキャリーとスタンフォードのような関係かと思いきや、おっとどっこい。オクターブの心中には、チャンスさえあればルイーズと寝たいという欲望はくすぶっている。

これまた、フランスらしい個人主義と言いますか、彼は彼、男友達は男友達と割り切った人間関係をみんな認め合っている社会なんだな、というのがよくわかる。ただ、そのためには大人としてのセルフコントロールがとても大事で、ルイーズはまだまだ子どもなんですね。正論を振りかざせるほど、自己抑制できていないオンナの子。だから、オクターブにもつけこまれちゃうし、最後にはレミから痛い目にあっちゃう。でも、この子は反省したりしないんだろうなあ。ちょっと苦い経験したけど、また別の男を探すわよ、なんて切り替えていきそう。

ルイーズを演じているパスカル・オジェ。鈴木保奈美のような三白眼で舌っ足らずな甘えた口調が印象的。クラブでルイーズをひっかける男の子をクリスチャン・バディム(ロジェ・バディムとブリジット・バルドーの息子!)が演じているんだけど、正直イケメンとは言えん。レミにしても、オクターブにしてもそうなんだけど、ロメール作品にはイケメンが全然出てこない。フランス人なら、背の高いすらっとしたオトコマエがうざるほどいるだろうが!と思うんですけどねえ(笑)。
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by galarina | 2008-10-26 15:18 | 映画(ま行)

海辺のポーリーヌ

1983年/フランス 監督/エリック・ロメール
<3つめの格言:言葉多き者は災いの元>

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「まぶしいばかりのラストショット」

15歳のポーリーヌは、従姉妹のマリオンとヴァカンスでノルマンディーの別荘にやってくる。マリオンは知り合ったばかりの中年男アンリにのぼせあがるけど、昔のボーイフレンドピエールに言い寄られて困ってしまう。ポーリーヌは同じく避暑で来ている少年シルヴァンといい感じになるのだけど…。

15歳の純真少女ポーリーヌを演じるアマンダ・ラングレがとっても可愛い。そして、この少女の目を通して描かれるのは、大人たちのずるさと愚かさ。もうね、みんなバッカじゃないの!ってくらい、自分勝手なのよ(笑)。離婚経験したくせに、すぐによく知りもしない妻子持ちに夢中になるマリオン。男のエゴを絵に描いたようなアンリ。自分の気持ちだけ押しつける直情男のピエール。ポーリーヌじゃなくとも、大人って馬鹿よね~とため息尽きたくなりまさあな。

結局、いちばん聡明なのはポーリーヌなのね。アンリに裏切られて、愚痴るマリオンに対して、優しく話を聞いて包み込んであげる。年齢にしても、人生経験にしても、普通逆だろ?と思うんだけど。ポーリーヌは、大人の事情に巻き込まれていくシルヴァンと最終的には縁を切っちゃう。ほんと、彼女がいちばん大人よね。別荘を去ってゆくポーリーヌを車の中で捉えたラストショット。ふわふわと軽やかなボブカットに木漏れ日がたくさん当たって、本当にキレイ。、ひとまわり成長した少女の美しさが凝縮されたすばらしいカットです。

従兄弟のマリオンを演じているのは「美しき結婚」にも出ていたアリエル・ドンバール。この人のふわふわの金髪とナイスバディには、クラクラしちゃう。作品では、アンリに一目惚れしちゃう尻軽女ですけれども、なぜか憎めません。ロメール作品の女性陣は、軽薄で思慮の浅い女性陣もたくさん出てくるのですけど、この憎みきれない理由は、彼女たちに打算が見えないからという気がします。自分に素直、思いのままに行動し、傷つき、嘆くけれども、またすくっと立ち上がる。そののびやかさを見ていると、しょうがないなあなんて気になるんですね。

それにしても、バカンスと称して、仕事もなにもかもから解放されて、海辺の街でのんびりできるヨーロッパ人がつくづく羨ましい。
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by galarina | 2008-10-24 16:26 | 映画(あ行)

美しき結婚

1981年/フランス 監督/エリック・ロメール
<2つめの格言:どんな心も、野で獲物を追い、空中に楼閣を建てる>

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「妄想オンナの微笑ましい暴走」

美術学校に通うサビーヌは、不倫という恋愛関係に終止符を打ち、突然結婚願望に目覚める。親友のクラリスに弁護士エドモンドを紹介してもらうも、「私はこの人と結婚する」と猪突猛進。ひとり結婚への妄想が転げ落ちる雪玉のように膨れあがり、彼女の行動はどんどんエスカレートしてゆく…。

「飛行士の妻」の思い込み男フランソワが、今度は女性になった感じでしょうか。端から見ていると「なんで、そうなるの!?」というサビーヌの的外れな行動ぶりに開いた口がふさがりません。さて、この勘違いオンナ、サビーヌを微笑ましく見られるか、それとも冷ややかに見てしまうか、これまた観客の印象は分かれてしまうところ。正直同性としては、鼻持ちならんオンナだなあってもありますが、主演のベアトリス・ロマンがとてもキュートで、他人事として見る分には、なんだか微笑ましい部分もいっぱい。

この作品の面白さは、一目惚れした弁護士エドモンドとの結婚妄想に走るサビーヌを誰もいさめないということなんですね。これがフランスの個人主義ってもんなんでしょうか。中でも一番の驚きは、母親の反応。なんだかんだ言って、最終的にはアンタの好きなようにやりなさいって、ところに落ち着く。こんなの日本じゃ考えられません。

それでも、お騒がせ少女の周りにいる人たちは、彼女に同調したり、慰めたり、本当に大変。サビーヌがひとりで空回りしているから、周りの人たちとの会話も全然噛み合ってない。このズレを楽しめるのは、観客がいちばん客観的な立場にいるからこそ。ちょっと「アメリ」なんかも、感じが似ていますね。適当にあしらっていたエドモンドがサビーヌに押しかけられて、ようやく「キミとは付き合えない」と宣告する。男たちよ、態度をはっきりさせないと、オンナって生き物は妄想で突っ走るから気をつけたまえ、という皮肉でいっぱいの作品かも知れません。

しかも、最終的には結婚するわけでもなく、むしろサビーヌの結婚願望は打ち砕かれてしまう。それで、「美しき結婚」というタイトルなんですから、その意地悪ぶりに笑ってしまいます。
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by galarina | 2008-10-22 17:42 | 映画(あ行)

飛行士の妻

エリック・ロメールって、とても好きな監督。特にちょっとした男女のすれ違いをベースにしている昔の作品群は、物語として大したことは何も起きないのに、どうしてこんなに面白いのと思えちゃう。ロメールは「○○シリーズ」と称して、連作を撮ることが多い。私の一番のお気に入りは春・夏・秋・冬にちなんだタイトルがついた四季シリーズだけども、今回は「喜劇と格言劇集」。これまでバラバラに見ていたので、最初から順番に見てみる。

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1980年/フランス 監督/エリック・ロメール
<1つめの格言:人は何も考えずにはいられない>
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「アパルトマンでの饒舌な長回し」

夜郵便局でバイトをしているフランソワは、夜勤明けに年上の恋人アンヌを訪ねるとアパートから男が出てくるのを見てしまう。アンヌは浮気をしていると思い込み、しつこい電話作戦、待ち伏せ作戦に出るけど、アンヌが逆ギレ。たまたま、同じバスで件の男を見つけ、今度は尾行作戦に出るのだけど、なぜか自分が尾行されているとこれまた勘違いした少女に付きまとわれてしまう…。ロメールの映画って、こうやってストーリーを書くと、ほんと大したことないんだなあ(笑)。こんな物語のどこが面白いの?って感じでしょ。

年下で学生のフランソワは年上の彼女アンヌに対して、いろいろとひけめを感じている。それが、余計にいらぬ疑念をよんでしまうんだけど、彼のその若さゆえの直情的な行動をカワイイと思えるか、うっとおしいと思えるか、見る人によってそれぞれでしょうね。正直、私はこの子ウザいな(笑)。

勘違いが勘違いをよんで、なぜか浮気相手でもない男を、なぜか偶然出会った少女と尾行するはめに陥る。このどんどんズレていく感じは、見ていてとっても楽しい。「私をつけてたんでしょ?」「違うよぉ~」という誤解から始まり、最終的にはカフェで恋の相談に。で、この間、フランソワと少女リシューはのべつまくなしにたわいもないことを喋り続ける。この「たわいもない」おしゃべりの楽しさがポイント。全然、中身のない会話で、ただおしゃべりしてるだけで、これだけ間を持たせられるっていうのは、すごいテクニックだと思う。それは、セリフの間とかテンポが良いこと、ふたりの会話がとても自然なこと、尾行しているハラハラ感がちょっとしたアクセントになってること。いろんな要素が溶け合ってるんです。

公園での長い尾行が終わり、ラストはアンヌの部屋。真偽を問い糾そうとするフランソワに、頼むから帰ってくれと懇願するアンヌ。この辺りからカメラは嘆き、怒り、涙するアンヌを延々と撮り続ける。一体、何分ぐらいあるでしょう。10分はゆうに超えてると思います。でも、全然空気がだれないってのが凄い。

長回しって、視点をある程度の時間固定することによって、観客がまるでその場にいるかのような錯覚を持たせる効果があると思います。でも、そこにちょっとでも不自然な雰囲気が漂うと、途端に居心地が悪くなる。例えば、先日見た「ぐるりのこと」でも、今日はセックスをする気がしない、いやしなくちゃいけないと、夫婦が何ともくだらん会話を部屋で延々とする長回しがありました。これも、やってることは同じなんですよね。だけど、こっちは見てていいかげん、カメラ切り替わんないかな、なんて思っちゃった。

本作の場合、部屋のベッドに下着姿でぺたりと座りこむアンヌという、実にミニマムな構図。このスクリーン上に余計な物が何もないって言うのがいいんでしょうね。元カレに決定的な別れをつげられ、年下の男にはいらぬ嫌疑をかけられ、くたくたになったアンヌから発せられる泣き言にじいっと耳を傾けてしまう。この繰り言は本当に脚本に書かれたセリフなんだろうか、と疑ってしまう。また、ロメールはパリらしい小さいアパルトマンの部屋の中のシーンというのがとても多くて、よくこんな狭い空間で面白い映像が撮れるもんだなあと感心してしまうのです。
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by galarina | 2008-10-20 16:54 | 映画(は行)
1977年/フランス・イタリア・西ドイツ 監督/リリアーナ・カヴァーニ

「魅力に欠けるサロメ」

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実は大学で哲学を専攻してまして、とりわけニーチェは好きな哲学者です。ですが、本作でのニーチェは「超人」なんてどこへやら、女に振り回されて病気がちなへっぽこじじいなもんで、かなり魅力にかけます。リリアーナ・カヴァーニは、「愛の嵐」が素晴らしいだけに、私は物足りないです。

で、その物足りなさの元は、ルー・サロメを演じるドミニク・サンダ。妖艶には程遠く、いかつい、いかつい。知性で男を呑み込むような威厳にも欠けます。ふたりの男を愛し、双方にもその関係性を納得させた上で同居する。誤解を恐れずに言うなら、これ理想です。でも、私は本作のルー・サロメがちっとも羨ましいとも、イカしてるとも思えなかった。やはり、こういう作品はどうしてもオンナ目線ですから、男性が見ればこの関係性に男の悲哀を感じるのかも知れません。

まあヴィスコンティ同様、いかにもイタリアン文芸エロス!な匂いはプンプン漂っております。そういうのがお好みの方は、それなりに満足できると思います。このイタリアン文芸エロスの匂いの素は、一体どういう描写に潜んでいるのか、と思いを馳せたところ、本作で言えばバレエシーン。前作「愛の嵐」でナチ将校を前に踊ったバレエダンサーが再び登場。恐らく、ニーチェの夢という設定でしょう。白塗りの全裸(!)の男がふたりで黙々とダンスします。これがね、美しいんですけど、キワモノ的ムードもいっぱい。大真面目ですけど、なんか変。見てて恥ずかしくなる。この感覚がイタリアンエロスの妙なのかしらという気がします。
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by galarina | 2008-10-16 21:06 | 映画(ら行)

フランドル

2005年/フランス 監督/サミュエル・ボワダン ブリュノ・デュモン
<2006年カンヌ映画祭グランプリ受賞作>

「もう少しの我慢、もう少しの我慢で終了」

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フランス最北部、フランドル地方の小さな村。少女バルブは、村の男たちとセックスを重ねている。やがて男たちは次々と戦争に召集され、どことも知れない戦場へと送られた。男たちが戦場で残忍行為を繰り返すにつれ、故郷に残るバルブの精神は日に日にバランスを失っていく…。

前半部が苦痛を伴うほど退屈。寒々しいフランドルの自然を捉えたショットは、この地方に住む人々の寂寥感を見事に表現している。これらのショットには、絵画を鑑賞するような味わい深さが確かにある。屹立する木々を捉えたショットは、ゴッホの「糸杉のある道」を思い出させる。しかし、見事ではあっても、そして美しくはあっても、スクリーンに引きつけられるような感覚には、残念ながら陥らなかった。というのも、彼女をまるで欲望処理機のごとく扱う男どもが見るに堪えない。そして、誰と寝ようが空虚な眼差しのバルブ。このあまりにも乾いた男女関係に、一体何を見いだせばいいというのか。

後半部、戦場で残忍な行為を繰り返す男たちの心がすさんでいくのに呼応するかのように、バルブは精神を病んでいく。たまったもんじゃない。バルブは、肉体的にも、精神的にも男たちのはけ口。戦場で多数の男に強姦された女性も、たとえその男たちが仲間から処刑されたって救われない。ああ、神様。平穏の時も、極限の時も、剥き出しにされる男たちの獣性に鉄槌をくだしてください。これは、そうやって、神に祈らせるための映画なんだろうか。確かに戦争の痛みを描いた作品。しかし、あまりに静かすぎるその筆致に、一握りの怒りも憐憫も感じることができなかった。何度も停止ボタンを押しかけた91分。
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by galarina | 2008-09-09 00:20 | 映画(は行)

サン・ジャックへの道

2005年/フランス 監督/コリーヌ・セロー

「旅、ときどき夢想」
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信仰心のない仲の悪い3人兄弟が母の遺産目当てに巡礼の旅に参加する。こう聞いただけで、全ての方が、ケンカしながら仲直りする話だろ?と思われるに違いありません。そして、まさしくその通りなのです。激しくネタバレですね。でも、言っちゃっても構わないんです。だって、それでも、とても面白いですから。これを見た数日前に「口裂け女」を見てかなりヘコんでいましたので、すっかり心が清められたような気分になりました(笑)。

予測できる展開ながらも面白いのは、自分も巡礼路のツアー参加者になったような気分にさせられるからです。ヨーロッパの田舎町の美しい風景に目を奪われ、宿が決まらないいざこざにハラハラし、帰りたがるワガママな人にうんざりし。そして、旅が進むに連れ、少しずつ打ち解けあい、距離が近づき、互いの不安を癒し合う。「明日へのチケット」もそうですが、旅って、なんて素敵なんだろうと思わずにはいられません。

そして、本作をより豊かにしているのは、夢のシーン。旅に参加する人々のトラウマを顕在化させた美しい幻覚または夢想と言った方が良いでしょうか。フランス語のできないアラブの少年が巨大なアルファベットの「A」と言う文字に押しつぶされるユーモアにあふれたものから、美しく幻想的なものまで。この様々な夢想のシークエンスが、本作を単純なロードムービーに止まらない、個性的な逸品にしています。思い描く人生の道からちょっぴり外れた3人兄弟の行く末は、どうなるのでしょうか?その結末を想像しながら共に旅すれば、人生捨てたもんじゃないって、心がほんわり温かくなること受け合いです。
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by galarina | 2008-09-03 16:38 | 映画(さ行)