「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:スペイン映画 ( 12 ) タグの人気記事

パンズ・ラビリンス

2006年/メキシコ・スペイン・アメリカ 監督/ギレルモ・デル・トロ

「これこそ、ダーク・ファンタジーの名にふさわしい」

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ハリー・ポッターやダレン・シャンなど、昨今ダークファンタジーと呼ばれるものが多いが、本作は子供向けではない、と言うことを差し引いても、結末のあまりの残酷さに、これぞ真の「ダーク・ファンタジー」だと感動した。オフェリアが夢見たラビリンスの女王が母親であったのを見るに、全ては恐怖の海に漂う娘が描いた幻想、いや幻想というオブラートに包んだ言葉などではなく、幻覚だったのではないかと思わせるエンディング。年端も行かぬ少女を恐怖のどん底まで叩きのめし、狂わせてしまう。なんと、恐ろしい作品か。

パン(牧神)とは、西洋の神話によく出てくる神らしいが、彼が何のシンボルでどのような役割を果たしているのか、私は知らない。この作品を通じて見るパンは、その容貌も醜く、王女を座に導くものとしては、あまりに居丈高である。全くもって好ましくない。もし、これが少女の幻想ならば、その世界はもっと美しく雅で、心の逃げ場として描かれるであろう。しかし、パンは一方的に彼女を脅かす存在であり、過酷な試練を乗り越えねばならないという展開が、まさしく幻覚ではないかと思わせるのだ。

何度も流産しそうになるオフェリアの母の血を始め、そこかしこで血を流す人々。オフェリアが直面する現実世界の描写もすさまじい。目を背けたくなる暴力シーンの中に人間のエゴイズムと戦争の狂気が宿る。現実も悪夢、そしてラビリンスを目指す道も悪夢。しかし、スクリーンから全く目が離せない。悪夢だからこそ発せられる、蠱惑の世界。毒だとわかっていても、その鮮やかな色合いについ人々が手を伸ばしてしまう毒キノコのように。
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by galarina | 2008-06-21 22:17 | 映画(は行)

キカ

1993年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル

「思いつきが物語になるフシギ技」
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奇抜な衣装とキャラに目を奪われがちなのですが、私がこの作品で驚いたのはアルモドバルのストーリーテラーとしての技量です。本作、メイクアップ・アーティストのキカ、カメラマンのラモン、ラモンの義理の父で小説家のニコラス、最悪事件の突撃レポーターのアンドレアの4人が主要人物でそれぞれの人物たちの関わり合い方があまりにもヘンテコな設定なのです。普通の人は考えつかないだろうと断言してもいい。

例えば、死に化粧していたら突然生き返っただの、レイプ犯に犯されて盗撮されていただの、連続殺人事件発生だの、「ここでこんなことあったら面白いよね~」と酒場で悪乗りして思いついたようなアイデアの羅列です。しかも、どれもこれもが悪趣味極まりない。この「羅列状態」のキテレツストーリーが、ラストに向けてきちんと収まっていくことが、驚き以外の何物でもないのです。

私は映画の脚本がどういうプロセスを経て完成品になるのか知らないのですが、おそらく誰でも最初は「こういう物語にしよう」と言うプロットがあるはずです。一つの大まかな軸があって、そこから脱線させたり、肉付けさせたりするのではないしょうか。しかし、この「キカ」と言う作品は、そういう発想とは全く違う手法で書かれているような気がしてなりません。さっき言いました「羅列」の繋げ方は、実に強引なんですが、わかったような気にさせて、物語はどんどん進みます。そのわかったような気にさせる、つまり目くらましの役割の一つのがゴルチエの衣装ではないでしょうか。

しかし、騙し騙し話を繋げているという雰囲気は全くなく、最終的には犯人はコイツだったというサスペンスオチにもっていき、一つの物語としての充足感がきちんと味わえる結末となっています。後から考えると、えらく強引でハチャメチャなストーリーだなと思うのに、見ている時はそれを感じさせない。奇妙な人たちの愛憎入り乱れる人間ドラマとして、観客を引っ張り続ける。これぞ、アルモドバルの摩訶不思議パワーです。
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by galarina | 2008-06-02 23:49 | 映画(か行)
1999年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル

「地球上に存在する愛の見本市」
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子から親への愛、親から子への愛、男と女の愛、女同士の愛、男同士の愛…エトセトラ、エトセトラ。そして最終的には「人間愛」までを豊かに描き出す傑作。とにかく、この地球上のありとあらゆる「愛のバリエーション」がこの作品で提示されているのではないでしょうか。そのバリエーションを生み出しているのは、「性」を超えた関係性。これぞ、アルモドバルにしか描けない境地だと思います。ガタイの大きなスペイン人男性が巨乳となって闊歩するようなシーンに惑わされてしまいますが、そういうキワモノ表現の裏に深いメッセージを隠す。このバランスキープ力というのが、アルモドバル監督の凄さでしょう。

一方、本作には「映画内ビデオ」「映画内映画」「映画内舞台」などの劇中劇が多数盛り込まれています。そして、エンドクレジットには、名女優たちに捧ぐのメッセージ。そこには、「演じる女」に対するアルモドバル監督の深い愛が見て取れます。女とは我が人生を演じる生き物。幾多の苦難も演じることで乗り越えてゆく、女性の強靱さとしなやかさを見事に描いています。驚くべきは、作中描かれている映画や舞台がそもそも持ち合わせているモチーフを本来のストーリーと見事にリンクさせていることです。息子を失ったマヌエラが、「欲望という名の電車」におけるステラを演じることで悲しみを乗り越えていくというように。

ですから、構造的には意外と複雑な作品と言えるでしょう。冒頭、臓器コーディネーターのマヌエラが、広報用のビデオに仮想のドナー家族として演技をするくだりがありますが、これも後になってマヌエラの実生活と見事にリンクしていくわけですが、きちんと消化しないとやけにモヤモヤの残るシーンになってしまいます。ゆえに、初見ではこの作品の深みを堪能するのは無理なような気もします。正直、私も初めて観た時は、どぎついシーンの印象が強すぎて、息子を失ったマヌエラの再生物語という軸の部分についていくのが精一杯でした。

とにかく、噛めば噛むほど味の出ると言いましょうか、見る度に新しい発見と感動をもたらしてくれる作品。もちろん、いつものアルモドバルらしい色鮮やかな映像も堪能できます。スペイン好きと致しましては、マヌエラが住むバルセロナのマンションのカラフルなインテリアなど、見ているだけでウキウキします。そして、オカマちゃんアグラードの何と愛らしいこと。様々な作品でトランスジェンダーの方の登場作品を見ていますが、私はこのアグラードが一番好きです。
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by galarina | 2008-06-01 01:10 | 映画(あ行)
2005年/スペイン 監督/イザベル・コイシェ

「個性あふれる感動作」
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感動作として完成度が高いだけでなく、非常に個性的な映画だということで感銘を受けました。その個性の一つは、場所や環境の描き方です。簡素で無機質なハンナの勤める繊維工場。帰り道には、錆びた船の残骸や山のように捨てられたゴミが見えます。一方、ジョセフが勤めるのは海の真ん中にポツンと建つ鉄骨の油田掘削所。まるで世界から見放された場所のよう。スクリーンから潮の香りすら感じさせられました。

そして、これほど寂しげなシチュエーションでありながら、作品としては全く殺伐としたムードが漂っていない。そこがとてもすばらしい。時折インサートされるほんのちっぽけな心の交流が、ぽわんと明かりを灯すようなのです。ハンナとジョセフの会話のシーンでは、カメラはまるでカーテン越しにふたりを捉えているかのような撮影です。スクリーンの端にぼんやりとした影が写ったり、ゆらゆらと揺れたり。その距離感がとてもいいんですね。じっと2人を見守っているような感じです。

ハンナが告げる秘密の壮絶さには、息を呑みました。静かに進む演出だからこそ、その事実の持つ痛みが我々に突き刺さります。また冒頭、「私はハンナの友人です」という語り部の存在がいるのですが、一体それは誰なんだろうと思っていたら、ラストシーンでその秘密が明らかになります。これまた、実につらい現実なのですが、幸福の予感と共に語られることで、ハンナの悲劇が終わりを告げることを感じさせるのです。食事が物語のアクセントになっているのも巧い。とてもいい脚本です。

ティム・ロビンスはさすがの演技ですが、ある意味期待通り。むしろ、サラ・ポーリーの存在感でしょう。感情の起伏の少ない役どころで、もちろん彼女が秘密を抱えていることは観客の誰しもわかっていることですが、悲壮な感じや刺々しい感じがありません。彼女の肩にそっと手を添えてあげたい、そんな気持ちになりました。監督のイザベル・コイシェはバルセロナ出身のスペイン人。スペインと言えば、人物の感情表現は激しく、色鮮やかな映像美なんかを思い起こさせるのですが、この人は全く違いますね。その辺りも実に興味深いところです。
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by galarina | 2008-03-23 23:50 | 映画(あ行)

デビルズ・バックボーン

2001年/スペイン 監督/ギレルモ・デル・トロ

「生き残る子供たち」

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世の中は戦争のただ中、自分はひとりぼっち、唯一の逃げ場であるはずの孤児院にも慈悲深いシスターがいるわけでもなく、優しき父を思わせる神父がいるわけでもない。むしろ、信用ならないひと癖もふた癖もある大人だけ。そこへもってきて幽霊の出現です。子供たちの精神状況は極限にまで追い詰められていく。だけど、どんなに悲惨な境遇であろうとも、サバイブしていく。それが、子供。どんなに追い詰められても、生き抜く道を選択する子供たちの逞しさが生々しく描かれています。

老いた義足の女院長と逞しい若い用務員が肉体関係にある辺りは、さすがアルモドバルがバックについているのもさもありなん、という倒錯した世界。個人的にはこの辺のきわどい描写はもう少し物語としても煮詰めて欲しかったところ。しかし、地下室に蠢く子供の幽霊、ホルマリン漬けの幼児の遺体など、妖しげなムードは十分堪能しました。

幽霊が出てくるからと言ってホラーのジャンルと呼ぶべき作品ではありません。また、本作を「スタンド・バイ・ミー」を引き合いに出す人もいるようですが、子供が逞しくなれば何でもかんでも「スタンド・バイ・ミー」に例えるのは少々安直ではないでしょうか。戦争を描いている作品でもあり、ずるい大人を描いている作品でもあり、殺された子供の怨念を描いている作品でもあり、一概に一つのジャンルでくくることのできない豊かな世界を持つ作品だと思います。しかし、裏を返せばその突出のなさが、作品全体としての個性を奪ってしまったような気もします。というわけで次回作「デビルズ・バックボーン」は評判も上々のようですので期待してDVDを待ちたいと思います。
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by galarina | 2008-01-20 22:03 | 映画(た行)

ボルベール

2006年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「男たちよ、ひざまずきなさい」

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徹頭徹尾の女性賛歌。そして、見事に男性不在の映画である。本作に出てくる男はみな、女性の手により葬られる。彼らが殺される理由、それは女性への尊厳を欠いているからだ。つまり、「女性に敬意を払わない男どもは死んじゃいなさいっ!」ってこと。全くアルモドバルには参るなあ。ここまでストレートな表現だと、額面通り受け取っていいのだろうか、と思わず勘ぐってしまう。

主演のペネロペ・クルスのナイスバディ、とりわけ「母性」の象徴としての豊かな胸がそこかしこでクローズアップされる。それは、豊かな胸と言うよりも、むしろ「おっぱい!」と叫びたくなるような映像。何しろ、胸の谷間を俯瞰で映すんですから。ペネロペは「つけ尻」も付けさせられたらしく、女性の豊満な肉体を通して、女の逞しさ、強さ、豊潤さを描きたかったのだということがひしひしと伝わる。

そんなアルモドバル監督の期待通り、ペネロペが貫禄の演技。やはり母国スペインを舞台にして、早口のスペイン語でまくしたてる彼女は、ハリウッド映画での雰囲気とはかなり異なる。鮮やかなプリント模様のファッションを着こなし、タンゴの名曲を歌いあげるシーンは、さすが情熱の国スペインの女!って感じ。

さて、ゲイであるアルモドバル監督がなぜこれほど「母性」にこだわるのか、実に興味深い。同じゲイの監督でもフランソワ・オゾン監督なんぞ、常に「女ってずるい!」という視点が作品の根底に流れているんだもん。この辺、彼らの生い立ちに関係しているのかも知れませんね。ただ、ゲイの監督だからこそ、これだけの女性賛歌を真っ当に発信し、見ている方もそのまま素直に受け止めることができるのかも知れない。だって、女性監督だったら自画自賛になるし、男性監督ならマザコンになるでしょ。

最後に。本作には、アルモドバル作品にはよく登場するトランスジェンダーの方々が出演しない。アルモドバル作品の彼女たちはあまりにも愛らしいので、私は楽しみにしていたのだけど、とっても残念。だからとは言わないけど、本作は「キワモノ」としての色合いは少ない。あまりにも真っ当過ぎて、ファンとしては、物足りないくらい。(だから、シネコンで上映できたのかな)

本作で女性賛歌三部作は終了ということらしいけど、アルモドバルにはこのまま女の逞しさ、そして美しさをどんどんアピールする映画を作っていって欲しい一方、彼らしいキモカワイイ映像やキッチュでエロな作品もまだまだ見たい。あんまり巨匠にならないで欲しいなあ。
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by galarina | 2007-07-21 16:27 | 映画(は行)

ブエノスアイレスの夜

2001年/スペイン・アルゼンチン 監督/フィト・パエス

「私に触れられるのはあなただけ」
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舞台はアルゼンチン。声でしか快感が得られない中年女がうら若き男娼と出会う。演じるのはセシリア・ロスにガエル・ガルシア・ベルナル。やがて、ふたりは禁断の関係に陥る…。と聞けば、これで面白くならないわけがないでしょう、という大前提があるんですね、この映画には。で、結局その膨らんだ期待感をそれ以上膨らませるには、もう一歩及ばずという感じなのです。もったいない。

主人公カルメンが背負っている過去の傷について映画が多くを語らないのは、アルゼンチン人なら誰もが共有している忌まわしい過去だからでしょう。貴族の娘であったカルメンは、軍事クーデターにより1年間の投獄と拷問を受けた。

彼女の今の状況、つまり他人に触れられることを極端に恐れ、他人のセックスを覗いたりポルノの朗読でしか性的快感を得られないことは、おそらく牢獄で性的な屈辱を受けつづけたことによるものだろうと想像できる。なんと哀れなことでしょう。誰かに抱きしめられたいというのは、女性の根源欲だと思うもの。その哀しさはセシリア・ロスの演技から痛いほど伝わってきたし、ガエルは(その後の展開を予想させる)幼さの残る素朴な若者を好演している。

結局、誰かに触れられることの拒絶反応をカルメンは我が息子によって克服するわけで、禁断の愛というよりむしろ見えない糸によって導かれた母と息子の奇跡のような物語なのだと思う。ラストシーンの「悲しい結末じゃない」というセリフは、私はとても納得。だって、グスタボによってカルメンはトラウマから解放されたんですもの。それに「オールドボーイ」でも書いたけど、親子による姦通と言うのは究極的に誰かを欲するということの実にシンボリックな表現手段だと思うし。そして、この場面のセシリア・ロスの演技がすばらしい。愛するグスタボに触れたいのだけど、女としてではなく、母として触れなければならないその葛藤が、出したり引っ込めたりする手の動きで表現される。それが切なくて、切なくて。この作品は、このラストシーンでずいぶん救われていると思う。

で、その「もう一歩感」とは、カルメンと周辺の人物との関係の描き方が中途半端なところ。特に妹の存在が思わせぶりな描き方で不満が残る。20年前に祖国を出て行ったきりの姉に対し、妹は複雑な心境にある様子が見て取れる。「母と息子」という関係に加えて「姉と妹」のいびつな関係をより深く描けば物語にもっと深みが出たんではないだろうか。父や母、カルメンをずっと好きだった医師など、大きな傷を抱えたカルメンと彼らの間に流れる溝を見せてくれればもっと満足できる1本になったと思う。

ガエルファンの目線で語れば、セクシービーム満載で嬉しい限り。売り込み中のモデルってことで、セミヌードで撮影されたポスターがでてくるんだけど、ガエルファンはある1点に目が釘付け(笑)。恥ずかしくて書けません。あのポスターは欲しいなあ。
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by galarina | 2007-07-06 23:49 | 映画(は行)

トーク・トゥ・ハー

2002年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドヴァル

「キワモノを美に昇華させたアルモドバルの力量」
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これは、アルモドバル作品で一番好きかも知れない。彼独特の美意識と倒錯の世界がてんこ盛りで。ビナ・バウシュのダンスシーンやカエターノ・ヴェローゾのライブシーンなど物語を彩る芸術もすばらしいし。特に私は恋人の死を嘆く、カエターノの繊細で壊れてしまいそうな優しい歌声にノックアウト。劇中のライブでこれほどステキなシーンってそうそうない。

それから、色鮮やかな映像。アルモドバル監督は、元々色遣いがすごく上手だけど、やっぱりスペインという国そのものが持っている色彩感覚があるからこそできる技なんだろうなと思う。元々スペインの街並みや建物に深みのある黄色と赤がふんだんに取り込まれているのよね。例えば、病院の廊下でマルコがぼんやりと座っているというシーンでも、壁の色が黄色でソファが赤茶。壁とソファの境界線をスクリーンのセンターに持ってきてマルコを左側に座らせる。そのトリミングの仕方がとても上手で色のバランスが絶妙。

闘牛士の衣装もキレイだし、寝たきりのアリシアが身に付けるバレエの衣装のようなシルクのスリップもキレイ。もちろん、アリシアの裸身も。特に豊かな乳房をとらえるショットは、女の私でも息を呑んじゃう。とにかく美しいものが次から次へと現れる。その「美しいもの」たちと共に映し出されるからこそ、ベニグノの愛が純愛に見える。もちろん、ベニグノの行為に嫌悪を持つ人もいるだろうけど、結局この作品はそれを論じたり判断するために作っているのではないんだと思う。

タイトルにもあるように「語りかけること」。相手が何の反応も示さず、聞いてくれているのかもわからない。それでも静かに語り続けることの意味深さを伝えているんだと思う。ビナ・バウシュの前衛舞踏も観客の心に語りかけるようなダンスだったし、リディアに語りかけることのできないマルコは結局彼女と別れた。また、アリシアがマルコに声をかけることで何かが生まれる予感が。そして、マルコは「語ることは簡単さ」としめくくる。

囁くように優しく語りかけること、ひそやかに誰かの心をノックすることで生まれる様々な心模様をアルモドバルらしい映像美で見せる。美しさ、作品の深み、先を知りたくなる展開。全てが秀逸。本来キワモノと見なされるアルモドバルの作風がしっかり「美」に昇華されているのがすばらしいと思う。
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by galarina | 2007-07-05 22:59 | 映画(た行)

海を飛ぶ夢

2004年/スペイン 監督/アレハンドロ・アメナーバル

「愛する人を殺せますか」
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海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、尊厳死を希望している。しかし、全く体が動かない彼にとっての尊厳死は「誰かが彼を死なせる手助け」が必要。この映画の主題は「愛する人が本当に死を望んでいるのなら、その手助けができるか」という極限の問いである。映画を見た全ての人は、自分の愛する人がラモンと同じように「死にたい」と願った時に自分はどのように行動するかを考えさせられることだろう。

ラモンの尊厳死への希望が実に厳粛な問題として受け止められるのは、彼は感傷的になって死にたいと望んでいるのではない、ということである。ラモンはやけっぱちになっているのでもなく、精神的におかしいわけでもない。実に理路整然と自分の生には尊厳がない、と言い切る彼に一体どんな反論ができるというのだろう。命は神から授かったもの、やけになって死んじゃいけない、生きていればいいことはある…。どんな説得も彼の「尊厳のない生」という主張には、効力を持たない。

それでもなお、ラモンの要求をわがままと受け取る人もいるだろう。このテーマは、自分は「死」をどう考えるか、という踏み絵でもあるのです。

さて、尊厳死を巡る極限の問いを放つというテーマ性だけがこの映画のすばらしいところではありません。本作はひとりの男を巡る3人の女たちが登場する珠玉のラブストーリーでもあります。一人目は常に彼の面倒を見てきた義理の姉。彼女はラモンの兄の妻ですが、明らかに彼女はラモンを愛している。私の目にはそう映りました。二人目は尊厳死の訴訟を引き受けた女弁護士フリア。ラモンも彼女を愛し始めるのですが、悲しい結末を迎えてしまいます。そして、ラモンに仕事や家庭のグチをぶちまける工場勤めの女、ローザ。強引で自分勝手な彼女が最後までラモンと付き合う運命になるとは…。

死にたいと願っている男を好きになってしまう。なぜなら、常に生と死を考えに考え抜いてきた経験が彼に人間としての魅力を与えているから。何とも皮肉なことではあるけれど、ラモンの人生は最後に大きく輝いたと言えるでしょう。

ラモンの家族は彼の尊厳死を強く反対します。それは、愛する人を死なせたくないという思いと共に、彼をみすみす死なせたという罪悪感に捕らわれるのが怖いからであり、大きな喪失感に耐えられないのがわかっているからです。家族のとらえ方、友人のとらえ方、恋人のとらえ方の違いを比較することでも、「死」に直面した時に人はどう感じ、どう行動するのかを深く考えることができる、すばらしい作品です。
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by galarina | 2007-03-29 23:26 | 映画(あ行)

アザーズ

2001年/アメリカ=スペイン=フランス  監督/アレハンドロ・アメナーバル

「頭を使うサスペンスに疲れている人はぜひ」
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ニコールキッドマンがすんばらしく美しい!

以上

と終わりたいほどニコールの美しさにうっとり。まさに、ブロンド・ビューティーってんでしょうか。往年の大女優、マリーネ・デートリッヒばりのオールドスタイルの巻髪がとても似合ってましたね。で、美しくて、敬虔なクリスチャンで、夫を待ち続ける貞淑な妻であるニコールが追い詰められれば追い詰められるほど、ドキドキする。やはり、追い詰められるのは美女でないと、臨場感が出ない。

さて、ゴシックホラーというよりも、私は単純に謎解きサスペンスとして楽しめました。この手の映画は、近年あまりにもレベルが上がってしまって、ストーリー展開が伏線だらけの複雑なものや、やたらと哲学的な思想を盛り込んだものなど、どんどん深く掘り下げる傾向にあるように思う。もちろん、この「アザーズ」にも伏線はある。かなりある。そして、この伏線をしっかり考えながら見てると、割とすんなりラストのどんでん返しに思いつくのかも知れない。

でも、みなさんそんなに推理をしながら映画を見ているものなの?私は、どちらかというと全くしないなあ。ただ、身を委ねて見ているという。だから、「SAW」みたいな伏線だらけの複雑怪奇なストーリーって、正直後がめんどくさいの。見た後に、余韻に浸るのは好きだけど、見た後に何かをはっきりさせるために検証するって作業は、あまり好きじゃない。

そういう私みたいな観客にとっては、この作品はラストのどんでん返しには素直に膝を打ったし、そう言えばそうだよね、と合点の行くことばかりで、オチが出れば謎は残らないというもの。もちろん、その身を委ねてただ見ているのは、ニコールの美しさに負うところも大きいんですよ。彼女はやたらと聖書に倣って厳しく子供を育てているんだけど、そのヒステリックなまでの狂信ぶりにどんどん引き込まれちゃう。で、彼女のその性格はちゃんとオチにも繋がってるし。昨今のやたらと複雑なサスペンスものに疲れていたので、ある意味新鮮に感じたなあ。
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by galarina | 2007-03-20 23:36 | 映画(あ行)