「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:ジェンダー ( 13 ) タグの人気記事

2006年/アメリカ 監督/キャサリン・リントン

「シンディの歌声に涙が止まらない」

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トランスジェンダー(性同一性障害を持つ人)の青少年の学校「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」のためのチャリティー・プロジェクトを追ったドキュメンタリー。ジョン・キャメロン・ミッチェル監督と、オノ・ヨーコら個性派ミュージシャンたちによる『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のトリビュートアルバム制作の模様を、4人の生徒たちのエピソードと絡めて映し出す。

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本作は、2つのドキュメンタリー作品が同時並行で描かれてゆく。一つは、有名ミュージシャンに参加を依頼し、トリビュートアルバムを完成させるまでのドキュメント。もう一つは、ハーヴェイ・ミルク・ハイスクールに通学する4人の高校生の日常を追うドキュメント。2つのドキュメントが同時に存在しているので、正直それぞれ深掘りができずに中途半端な感じもしていた。ところが、終盤。シンディ・ローパーの歌う「Midnight Radio」で、涙腺が決壊。4人の高校生が人生の新たな一歩を踏み出すその様子とシンディの圧倒的な歌唱力を引き出すレコーディング風景、2つのドキュメントがここで見事に合致して、大きなうねりを起こす。版権の問題だろうか。シンディの姿が映像に映っていないのがとても残念なのだが、それでもこの歌声は必見ならぬ必聴。1人でも多くの人に彼女の歌う「Midnight Radio」を聴いて欲しい。

また、「Midnight Radio」に限ったことではなく、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」それぞれの楽曲の素晴らしさを改めて実感する。性同一性障害の若者たちを救うチャリティー活動である、と言う前に、一つひとつの楽曲がミュージシャンたちに歌いたいと思わせる魅力を持っていることが、参加の決め手となったのは間違いないと思う。

「ヘドウィグ」の製作者たちも、ハーヴェイ・ミルク校の関係者も、共に若者たちの側に付いている、いわば味方たちばかりである。なので、当たり前だが映画は最初から一貫して彼らに寄り添って描かれてゆく。だからこそ、ラストシーン、校門前に立ちはだかる公立化反対派の出現が、浮き足だった私の心を現実に引き戻す。このきりりとした痛み、それもまたアメリカの現実であるがゆえに、多くの人に本作を見て欲しいと願う。
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by galarina | 2008-02-24 22:04 | 映画(は行)

きらきらひかる

1992年/日本 監督/松岡錠司

「薬師丸ひろ子は、昔からずっといい女優だった」
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情緒不安定でアルコール依存症の笑子(薬師丸ひろ子)と、同性愛者の医師・睦月(豊川悦司)が親の勧めで見合いをし、お互いのことをわかったうえで結婚。やがて夫の「恋人」の青年・紺(筒井道隆)も交えた友情とも愛情ともつかない不思議な三角関係が始まる…


松岡錠司監督の映画の魅力って何だろうと思って改めて見直したんだけど、映像的なところでは全然わかんないのです。このアングルが、とか、この画面の切り方が、とかそういう批評がとんとできなくて。ただね、確実に一つ言えるのは、登場人物全員が「とてつもなくいい奴」に見える、ということ。もちろん、事実、設定として「いい人」なんですよ。だけど、それ以上にカメラを通してその人物の愛らしさが伝わってくる、というのかな。ホント、みんな憎めない。たぶん、それは監督がすごく愛情を持って、人物を描こうとしているからだろうと思う。「バタアシ金魚」も「私たちが好きだったこと」も同じように感じたし。

そういう風に改めて思うと、これから見る予定の「東京タワー」がすごく楽しみ。だって、ボクもオカンもオトンも、みんな憎めないヤツだもんね。

さて、この作品では、とにかく薬師丸ひろ子の愛らしさというのが際だっている。彼女、こんなにキュートなんだ!って、しみじみ感じちゃった。アル中っていう設定で、昼間からグラスにウィスキーをどぼどぼ入れて飲むんだけど、その仕草のなんとまあ、かわいらしいこと。アンニュイに窓の外をぼんやり見つめたり、ウェイトレスに喧嘩売ったり、かなり情緒不安定だけど、どれもこれも嫌みがない。まさしく、睦月が「これ以上笑子を苦しめられない」と言わせてしまうキュートさにあふれています。

豊川悦司は「12人の優しい日本人」でデビューした直後だし、筒井道隆も「バタアシ金魚」で松岡監督がデビューさせて2年後の出演。非常にフレッシュでイケメンのふたりに、ちゃんとねっとりした(笑)キスシーンをさせているのもイイですね。やるときゃ、やるみたいな。そもそも、ふわふわしたキャラ設定だけに、ちゃんとしたラブシーンが非常に効いてくる。

基本的には、睦月を巡る三角関係なわけです。しかし、睦月は「どっちを取る」とかそういう次元では動いていない。ただ、心の赴くままに任せているというような感じ。その彼の優しさは、普通の三角関係においては究極の優柔不断で、やってはいけないこと。しかし、この3人の場合はちと違う。お互いがお互いに依存しているわけではないんだけど、誰が欠けても不完全というようなバランスが出来つつある。うん、バランスだな。3人でやっと平面に立てる、そんなバランス。それに、睦月の優柔不断ぶりが嫌みにならないのは、豊川悦司という男の存在感のなせるわざでもある。彼の持っている透明感が睦月という男をとても純粋な心の持ち主に見せている。

さて、ゲイのカップルをめぐる男女3人の物語というと、橋口監督の「ハッシュ」があります。共に女がゲイのカップルに割って入って、しかも人工授精まで考えるという点まで酷似しているが、「ハッシュ」がお互いの人生により積極的に関わろうとしているのに対して、「きらきらひかる」の3人は、川を流れる漂流物のように寄り添いあって漂っている感じ。このふんわりした時の流れが感じさせてくれる居心地の良さが松岡錠司監督の持ち味なんだろう。
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by galarina | 2007-04-24 15:20 | 映画(か行)

プルートで朝食を

2006年/アイルランド・イギリス 監督/ニール・ジョーダン

「内」と「外」、相異なるベクトルの見事な融合
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「トランスアメリカ」と連続で見たもので、同じような設定に危惧したんだけど、いやいやとても良かったです。

そもそもゲイなどジェンダーに関係する作品というのは、とても内的な作品が多い。「私が、私が」って物語になっちゃうんですね。どんどん自分を見つめていっちゃう、という。個人的にはそういったテーマの映画って好きなんですけど、やっぱそればかりでも面白い作品にはならない。

ところがこの「プルートで朝食を」という作品には「アイルランドの独立問題」という極めて政治的な問題が大きな役割を担っている。政治問題というのは、とても「外的」な要素で、母を探しに行くという「内に向かう」展開と、国と国との対立という「外に向かう」展開が非常にうまく融合されていて、独自の物語性を創り出しています。

アイルランド問題は、監督のニール・ジョーダンが常に扱っているテーマなので、当然の展開なのですが、それでも「トランスアメリカ」の際も感じたように、ゲイの人が自分のルーツを探しに出る、というお話がたいへん多い昨今としては、出色の出来映えだったです。主人公のパトリック自身も爆弾テロに間違えられて拘束されるシーンもあり、パトリックの母親探しが軸でありながらも、暴力による制圧を断固として批判する姿勢が随所に現れていました。パトリックが恋人の銃を取り上げ、湖に捨ててしまうシーンは、そのものです。

そして、主人公パトリックを演じるキリアン・マーフィがすごく艶のあるゲイで魅力的なんですよ。次々と身にまとうオシャレファッションがめちゃめちゃ決まっててステキ。でね、やっぱりイギリスの映画は音楽がいい!ブリティッシュロックのシンプルさとメッセージ力ってのは、こういう批判精神が盛り込まれた映画にもの凄くしっくり来る。ロック以外の音楽も入ってますけど、一つひとつのシーンと音楽がぴったり重なる。ホント、イギリス人は音楽の使い方がうまいです。

ひとりのゲイの青年の母を訪ねる旅は、いろんな人々を巻き込み、自分自身も傷つき、揉まれながら進みます。36章という細かい割り方によるテンポの良さが、時に暗くなってしまうストーリーを軽やかに見せてくれる。主人公の魅力、全体のリズム感、そしてメッセージ力と全てがパーフェクト!ニール・ジョーダンってすごく硬派なイメージがあるんだけど、こういう軽やかな作品もうまいんですねえ。もちろん、言うことはきっちり言ってるところが、またすばらしい。
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by galarina | 2007-03-09 18:22 | 映画(は行)

トランスアメリカ

2006年/アメリカ 監督/ダンカン・タッカー

「どんな関係であれ親子の絆は強い」
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1.「ゲイ」+「ロードムービー」
2.「ゲイが父親、または母親を捜す」
3.「父親、もしくは母親を捜したらゲイだった」

元々ゲイムービーが好きな私は、最近の作品はこの3つに当てはまるんではないか、というほどよく似たストーリーが多いように思う。ゲイムービーがそもそも「自分探し」というモチーフを含んでいるため、心の旅と本当の旅はうまく調和する。1では「プリシラ」「ヘドウィグ」、3では「オール・アバウト・マイ・マザー」が私のお気に入り。で、「トランスアメリカ」は1と3の融合であります。

性同一性障害の主人公ブリーを演じるのは、女優のフェリシテイ・ハフマン。これは、まあ本当に難しい役だったと思います。
●一週間後に性転換手術を受け、女になる決心がついた
●しかし、図らずも子供がいたことで父性が沸き起こる
●そして息子と旅をすることで自分のルーツにも対峙することになる
そういう「男性」を女性が演じているのですから!どういう心持ちでこの役に挑んだのか、聞いてみたいほどの熱演でした。

ブリーにとっては、たった一度の愛のないセックスでも、血の繋がった息子。「血のつながり」なんて、関係ないってくらい壊れた親子関係というのは世の中に吐いて捨てるほどあるんだけど、ブリーと息子のトビーは、出会ったばかりでもお互いを必要とするんだよね。それもまた、「血のつながり」のなせる技で。

ブリー自身も、自分の家族との間にできた溝をちゃんと埋めずに生きてきた。その決着をきちんとつけなきゃいけなかった。それができたのは息子のおかげ。ブリーの親にとってみれば、まさかゲイの息子に子供がいるとは思わなかったろうから、素直に「孫ができた!」って喜んじゃう。ほんと、「血のつながり」ってなんだろう、とつくづく考えさせられました。

物語としては、先が予測できちゃったところが少々残念かな。でも、ラストシーンはすごく良かった。世間で言う普通のお父さんと息子の姿では、全くないけれど、彼らは彼らなりにこれからも親子としての繋がりを保っていくんだろう。そういう気持ちにさせてくれる、ラストシーンでした。
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by galarina | 2007-03-08 17:32 | 映画(た行)
2000年/アメリカ 監督/キンバリー・ピアース
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主人公ブランドン(ヒラリー・スワンク)は性同一性障害の女性である。自分は男であるという意識から逃れられず、男として生きていくことを決意する。しかし、閉鎖的な街で彼の生き方が受け入れられることはなかった…。(以下、ネタばれです)

この作品の悲劇は、映画のタイトルである「ボーイズ・ドント・クライ」に象徴されている。男の子は泣かない。男たるもの泣いちゃいけない。そういう社会的な通念、男らしさ、女らしさという世間のイメージにがんじがらめになったばかりに起きた、とてつもない不幸を描いている。

何が一番悲しいかって、ブランドン本人がそういうありきたりな固定観念に縛られてしまっていたことだ。体は女性だけど、男として生きる決心をしたブランドンは「男らしくありたい」と願い、少々の無茶をいとわず暴力的な仲間たちとも「男だから」という理由で彼らのやり方に追従しようとする。しかし、悲しいかなそれは間違いだったのだ。ブランドンはブランドンらしく、生きれば良かった。しかし、男として生きると決意したばかりの彼にそんな精神的余裕などなかったのだろう。それほど「男として」生きることに必死だったのだ。

ガールフレンドをブランドンに横取りされたジョンは、怒り狂って報復に出る。彼の怒りの源は「真の男である俺」ではなく「男の振りをした女」にガールフレンドを取られたから。男のプライド、男の存在意義を踏みにじられたからだ。男の沽券なるものを振りかざすことほど見苦しいものはない。男であるというだけで持ってるプライドなんて糞くらえだ。

悲劇的な結末だが、これは実話なのだから仕方ない。この事件について多くの人が知るべきだと思う。それにしても「男性が女性として生きていく」ことももちろんなのだが、「女性が男性として生きていくこと」の生き難さと言うのを今作を通じて非常に痛感した。例えばブランドンのような人がビジネス社会で出世していくという物語がもしあったとしたら、男社会の嫉妬や横やりというのは相当なものがありそうに思える。

男である、というだけで与えられた社会的な地位や信用度に安穏としている人々は、自分たち「男社会」の組織をより強固にし、集団的団結を見せ、その安定が揺れ始めると異分子をつぶしにかかる。ブランドンが女であるとわかった時の、ジョンと仲間たちの行動や心理に似たものは、日本社会でだって、そこかしこで見受けられる。

この不幸な事件から「男らしく生きる」「女らしく生きる」という言葉がどんな影響を与えるのか、どんな概念を生み出すのか、じっくり考えて見る必要があると思う。
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by galarina | 2006-11-15 17:17 | 映画(は行)

ガープの世界

1982年/アメリカ 監督/ジョージ・ロイ・ヒル

「いい映画は何度見てもいい!」

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数々の原作が映画化されている作家ジョン・アービング。そのヒットの原点とも言える名作。まず、オープニングからして非常にステキ。ポール・マッカトニーの「When I'm 64」に合わせて空をフワフワ飛ぶ笑顔の赤ん坊。人間が生を受けたことのすばらしさ、喜びをほんわかと軽快に見せてくれる。そう、この映画は全編「生きることはすばらしい!」ことを伝えている。加えて、女性性とは何か、今で言う「ジェンダー問題」にも非常にユニークかつ鋭い視点が満載で、大いに笑い、大いに考えさせられるすばらしい娯楽作品なのだ。(以下ネタバレです)

看護婦ジェニー・フィールズ(グレン・クローズ)は、子供が欲しかったため、病院に送り込まれた動けない傷病兵に、またがって(!)子供を作る。そして、生まれてきたのが主人公ガープ(ロビン・ウィリアムス)だ。ジェニーは実にあっけらかんと言う。私は精子が必要だったの。子供が産みたかったの、と。つまり、ガープの出生そのものが、「婚姻関係」や「父と母の揃った家庭」に対するアンチテーゼなのだ。

しかし、ガープは決して「かわいそうな子供」としては描かれない。だって、そのような出生をしたからって、かわいそうなんて一体誰が決めつけることなの?生を受けた、ただそれだけで人生はすばらしいのだ。ジェニーはガープに「しっかりと自分の人生を生きなさい」と言う。

作家になると言うガープ。じゃあ私も自伝を出すわ、と言って書いた作品が一大ベストセラーに。女性解放運動の気運も高まる時代で、ガープの母ジェニー・フィールズは、一躍時の人となる。実家の邸宅は、女性解放運動の活動家を始め、DVを受けた女性や性同一性障害の人など、さながら女の駆け込み寺になる。

さて、「危険な情事」ですっかり怖い女のレッテルを貼られてしまったグレン・クローズですが、この作品では強く前向きに生きる女をとても素敵に演じている。本当にすがすがしくて好感が持てる。女性解放運動のシンボルになってからは、常にナース姿。これが笑える。今作には、大まじめなんだけど、笑わずにはいられないポイントがたくさんあって、そこがアービングらしさであり、我々がこの作品に深い愛着を感じる大きな所以だ。

その最も象徴的な場面は、妻が愛人と浮気している車にガープの車が追突。妻はアゴを負傷し、妻の愛人はイチモツが食いちぎられる、なんてエピソード。事故の場面の後、ジェニーの家。おもむろに振り返る妻のアゴにはリハビリ用の器具が…。もうね、吹き出してしまいましたよ。何もこんなシチュエーションで事故しなくてもいいのにねえ(笑)。

私は最も気に入ってるのは、ガープと妻がベビーシッターを呼んでふたりで外出するも、車の中から子供たちを眺めるシーン。ガープが一番好きなのは、子供たちを我が家の外から眺めてしみじみと幸福を噛みしめることなのだ。とってもじーん、と来るいいシーンです。

ジェニーは運動のシンボルとなることで、危険な目に遭うし、ガープはガープでジェニーの息子でありながら、女性解放運動を阻むものとしての標的にされてしまう。ふたりの運命は、不穏な様相を見せ始める。しかし、人生は山あり谷あり。いい時もあれば悪い時もある。それも全部ひっくるめて生きることはすばらしいという人間賛歌を徹底して伝え続ける本作品。何があっても、前向きに生きた方が人生楽しいじゃないの。だって、せっかくこの世に生を受けたのだから!と実に晴れ晴れとした気持ちにさせてくれるのだ。

ちょっと生きることがしんどい…なんて時は誰でもあるはず。そんな時にぜひオススメしたい作品。
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by galarina | 2006-11-13 18:04 | 映画(か行)

母たちの村

<OS名画座にて>
2004年/フランス・セネガル 監督/ウスマン・センベーヌ

「女子割礼」。女性性器を切除したり、縫合すること。
一体それが何を意味しているのか、みなさんご存じだろうか。
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西アフリカの小さな村で、ある日4人の少女が割礼を嫌がり逃げ出して来た。自分の娘に割礼を受けさせなかったコレおばさんを頼って。この地域には「モーラーデ」と呼ばれる保護の風習があり、それを逆手に取りコレおばさんは、少女たちを家にかくまう。古くからの伝統であり、反対することなど問題外であった割礼を廃止しようと、娘たちの為に立ち上がる母たち。前代未聞の動きに、村の男たちは困惑し大混乱となる―。
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女子割礼は今なお30カ国に渡るアフリカの国々で行われているそうだ。医療設備もない状態で行われるこの儀式により命を落とす子供も多い。しかし、死ななかったとしても、この儀式により、女性は精神的にも肉体的にも大きな傷を抱える。この割礼という言葉は男子の行う男子割礼とは、全く意味合いが異なる。女子割礼の目的は「古くからの慣習」というお題目のもとに、女性の外性器を取り去り性感を失わせることで、女性の性をコントロールするためなのだ。

主人公コレは割礼のせいで、二度子供を死産している。そして、長女を難産で出産した。コレおばさんの腹部にはむごたらしい傷跡が残っている。コレおばさんは、上着をはだけ村人たちに叫ぶ。「私はふたりの子供を土に埋めた。そして、ようやく長女を出産できたが、ここまでお腹を切られた。だから、もう子供たちに割礼は受けさせない」と。その痛々しくも雄々しい姿が胸を打つ。

長老を始めとする村の男たちは、「モーラーデ」を止めさせるよう、コレの夫に再三言う。「夫の威厳をもって、やめさせるのだ」「おまえが男としてバカにされているのだ」と。女は、男に従属するものであり、いかなる快楽も得てはいけない。ましてや、夫にたてつくなど絶対にしてはならない。夫自身も周囲に追い詰められ、激しくコレをムチで打つ。

古くからの慣習で、しかもそれが「お清めの」儀式であるという位置づけにあるものを覆すなんてそうたやすいことではない。固定観念にしばられた人間を説得することほど、難しいことはないのだ…

なんて、冷静なレビューを書きたいとこだけど、私がそこに感じたのは「怒り」以外の何物でもなかった。女性を出産の道具のように捉えられた時代や文化もあるけれど、これはそれ以上である。人間に対する尊厳などそこにはみじんもない。コレは孤軍奮闘する。冷ややかな反応にも、夫のムチにも耐え、子供たちを守ろうとする。その姿がやがて周囲の女たちの心にも響き出す。

興味深いのは、村に居着く「兵隊さん」と言うあだ名の商人。値段はぼったくりだし、女たちに色仕掛けをするし、村人からは蔑まれた存在。だが、彼の存在は村人には必要不可欠で時には生活に豊かさを与えてくれる。彼は異文化やよそ者のシンボルなんだと思う。コレを庇った彼がどうなるのか、という結末はぜひスクリーンで見て欲しい。

それにしても、騒動の結末のカギを握っているのもまた「男たち」なのだ、ということが個人的には非常に印象深い。「スタンドアップ」もまた、同じような展開だったことが脳裏をよぎる。コレの頑張りが男たちを動かしたのだからそれでいいじゃないかと、思えばいいんだが、私はどうも割り切れないし、煮え切らない。こと女性問題に関しては素直に考えられないひねくれ根性が頭をもたげる。男たちの「理解」がないと、女の人権って守られないもんなんだろうか。いや、何も男性を敵に回したいわけではない。が、しかし、それでもなお私の心に居座るこのもやもやした感情はどう表現すればいいのだろう。

割礼をしない女性は「ビラコロ」と侮蔑的に呼ばれ、男たちはこぞって「ビラコロとは結婚しない」と声高に言う。つまり、「結婚してやらない」と。結婚「してもらって」こそ女。婚姻制度に頼らねば女の生きる道はないという大きな社会問題もそこには横たわっており、この問題の深刻さを露呈する。

全ての女性たちはもちろん、男性にもぜひ見て欲しい映画である。

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by galarina | 2006-10-16 17:46 | 映画(は行)

ぼくのバラ色の人生

1997年/ベルギー・フランス・イギリス 監督/アラン・ベルリネール

「ぼくの夢は女の子になること」
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主人公リュドヴィックは、人形遊びをしたり、お化粧したり、女の子の格好をするのが大好きな少年。将来の夢は女の人になって、隣に住む男の子と結婚すること。でも、リュドヴィックが素直な気持ちで行動すればするほど、周りの大人たちは冷ややかな反応をし始め…。

かわいらしいファンタジー映画かと思ったら大間違い。けっこう、考えさせられますよ。リュドヴィックは7歳。この年頃で女の子のワンピースを着るのが好き、なんてのは、まだまだ思春期のボーダーラインでそんなに騒ぐこともないでしょ。なんて、最初は大人たちは一応見識ある「ふり」をしてる。でも、パパの上司の息子と結婚式をあげる!と言って花嫁の格好をし始めたりして、だんだん周囲を巻き込んでのトラブルに発展してしまう。

身につまされるのは、リュドヴィックの母親の反応。始めは理解のあるふりをしているんだけども、だんだん彼に対してヒステリックになっていく。私も母親なだけに、何とか自分の子供を理解したい気持ちはよくわかる。それは、母親なら人一倍そうだから、よけいに反動も大きいんだと思う。「何でママの気持ちがわからないの!」ってことだけど、そんなの子供にとってみれば「どうして僕の気持ちがわからないの」ってことでね。

彼が憧れる、少女向けテレビ番組「パムの世界」ってのが出てくるんだけど、このシーンがまあきらびやかで、カラフルで、美しい映像なの。リュドヴィックは「パムの世界」に逃げ込んでいるわけだけども、これはね、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」みたいに痛々しくない。ほんと、おとぎの世界。美しい。

父親は会社をクビになり、リュドヴィックの一家は地域社会で村八分。ただ息子が女の子の洋服着てるからって、こんなことになるか?なんて思うけど、実社会って案外そんなものかも知れない。リュドヴィックが無理矢理髪を切られるシーンは、泣けました。リュドヴィックがね、本当に天真爛漫で素直で、家族を傷つけたくないという思いが強い子だから、なおさら心が痛くなります。

たかだか7歳の男の子の嗜好にここまで過剰に反応する大人たち。でも、我々だってこの周辺人物と同じような行動をとるかも知れない。ジェンダーという枠だけではなく、子供の個性を尊重できる大人社会って何だろうかって、考えさせられる映画。88分という短さもいいし、おすすめです。


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by galarina | 2006-09-23 23:30 | 映画(は行)

サマードレス

1996年/フランス 監督/フランソワ・オゾン

「軽やかなゲイの目覚め」
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たった15分の短編映画だけども、非常に印象的な作品。「海を見る」みたいにエグいシーンはなく、えらく軽やかな仕上がりですが、「おいおい、なんじゃこれ」とそのキッチュな映像センスにツッコミどころは満載。

のっけから若い男の子が「BANG BANG」という曲に合わせて踊るんです。えんえんと、しかもカメラ目線で。これが、なんか奇妙で面白いんですよ。で、それが「焼け石に水」では4人で一列に並んで踊るってシーンに引き継がれるんですが、そもそも劇中、歌うってのはですね、主人公の気持ちとかを歌にするわけですよね。ただ、これは全く何の脈絡もない状態で歌に突入するんです。それが、ミョーにむずがゆいんだけど、楽しい。

主人公のミックはバカンスのために友人と共に別荘に来ている。ふたりはゲイのカップル。でも、友人はなぜか機嫌が悪いので、ミックは一人で海にいって真っ裸で泳ぎ、そのまま昼寝してしまう。すると一人の女がミックを誘ってそのままセックス。このくだりがね~、実にあっけらかんとしてるんだよ~。はいはい、やりましょね~って感じで。ミックにとっては、女の子とするのは初体験なワケ。

で、浜辺に戻ると洋服が盗まれていて、結局女の子のワンピースを借りて帰ることになる。最初は恥ずかしいんだけど、自転車をこいでる内になんだ気分が高揚してくる。で、別荘に戻ってゲイの彼と晴れ晴れと(またまた)…。

世の中、性の目覚めを描いた映画って結構あるでしょ。古くは「青い体験」とか。でもね、ゲイとして性に目覚めるっていうテーマで、こんなにウキウキした軽やかな描き方って、あんまりないと思うんだよね。要は「僕はする方よりされる方が好きだったんだ!」ってことなんだけど(んまあ~お下劣)、ここまであっけらかんと描かれると、「そうか、スッキリわかって良かったな!」なんて、ぽんぽんと肩を叩きたくなっちまうよ(笑)。ほんと、お下品でキッチュで愉快な作品です。


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by galarina | 2006-09-13 23:48 | 映画(さ行)

キンキーブーツ

<OS名画座にて>
2006年/イギリス 監督/ジュリアン・ジャロルド

「笑って、泣いて、バンザーイ!」
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亡き父がのこした、倒産間近の靴工場を継いだチャーリー。ひょんなことでドラッグクイーンのローラと出会った彼は、“彼女”が履く派手なブーツ(キンキー・ブーツ)の生産を決意する。そして、ローラを工場に迎え、商品開発に励むが…。

ドラッグクイーンのドラッグは、麻薬のDRUGではなく、引きずるのDRAGが語源。正式にはドラァグ・クイーンである。豪華なドレスをずるずると引きずることが由来だったと思う。私が思い描くドラァグ・クイーンは、他者を圧倒する存在感と美しさを持つ孤高な存在。ヘドウィグが、まさにそう。だけども、今作のドラァグ・クイーンのローラは、少々がたいも大きく、声も太いし、孤高の美しさとはちと言い難い。最初は「ええ~」と思ってたんだけども、最後にはだいぶ慣れた(笑)。ローラを演じるキウェテル・イジョフォー、大きな口をさらに大きく開けて歌うドラァグ・クイーン特有の歌い方はかなり堂に入ってました。

この物語の主をなすのは「乗り越えていく」ということ。主人公チャーリーには、2つの乗り越えるべき事がある。工場の再生と婚約者との冷えた関係だ。「俺に何ができる?」が口癖の情けない男チャーリーは工場で働く職人たちからも見放されている。しかし、キンキーブーツを作るという一大決心が、やがて工場の団結を生み出し、本当の愛も手に入れる。

工場で働く職人たちもまた、ゲイへの偏見を乗り越えるし、ゲイのローラはドレスを脱ぐと弱気になる自分を乗り越える。人生、まずは乗り越える勇気が大事さ!見終わった後、よし、がんばろう~という気にさせてくれる。

ただね、少々毒気が足らないなあ。最終的には、ミラノの見本市に出品して、死にかけのブランドが一発逆転!な展開なワケだけれど、どうもそういうカタルシスが弱い。それは先に言った「乗り越える」前の状態があんまりどん底に見えないからなんだよね。これはおそらく演出的なことなんだろうけど。それに、ドレスを脱いだら弱気な男になっちゃうローラ。彼女の気持ちの移り変わりにも、もう少しスポットをあてて欲しかったな。

そうそう、チャーリーとローラ、そしてローレンを最初から三角関係にして、恋のさや当てをしても面白かったかも。107分の映画だから、このあたりふくらましてももっと良かったんじゃないかな~。

とはいえ、笑いのセンスはなかなかだし、テンポもイイし、鑑賞後も爽やかな気分になれる良質の映画。ラストのミラノのショーのシーンは、すごい盛り上がったんで、もう1曲踊って欲しかったなあ。あと、工場での手作業による靴作りの場面は靴好きの私にとってはすごく楽しめた。モノ作りの楽しさがすごい伝わってくる。実話がもとになっているので、「キンキー・ブーツの製作工程見学ツアー」なんてあったらぜひ行ってみたいなあ。

それにしても。

この映画、関西圏では大阪で1館のみの上映ってどーゆーこと!京都でも神戸でも上映していないなんて…。シネコンにひっかからなきゃ、観られる映画館がものすごく制限されてしまうのが、もの凄く悲しい今日この頃です。

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by galarina | 2006-09-04 22:33 | 映画(か行)