「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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イースタン・プロミス

2008年/イギリス・カナダ・アメリカ 監督/デビッド・クローネンバーグ
<京都シネマにて観賞>

「暴力の刻印」
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前作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」に引き続き、暴力がテーマのクローネンバーグの新作。ロンドンにおけるロシアンマフィアの世界を独自の世界観で描き出していて、力強い映像美を堪能しました。主演のニコライを務めるヴィゴ・モーテンセンの存在感がすばらしく、どのショットも「絵」になります。最初に出てきたときからボスのような存在感で、運転手なんてチンケな仕事には全く見えませんでした。最も気に入ったのは、真っ赤なソファに半裸で寝そべり、タトゥーを入れてもらうところ。非常にエロティックで官能的なショット。もちろん、真っ裸のサウナでの格闘シーンもド迫力。互いにタイルに叩き付けられ、グチョッ!グニャッ!と言う音が聞こえてきそうな生々しくて、痛いシーン。このあたりの描写はクローネンバーグの真骨頂と言った感じです。

マフィアの血を受け継ぐ赤ん坊、レイプされた少女の日記、ロシアンマフィアの証明であるタトゥー。それぞれが、暴力のメタファーとなって、物語が絡み合い展開します。それぞれに共通する今回のテーマ、私は「刻まれる暴力」と捉えました。赤ん坊は「血」に、日記は「文字」に、タトゥーは「体」に、暴力が刻み込まれている。それらは、決して逃れられない、変えることのできない悲しい運命のように見えます。しかしラスト、赤ん坊の行き着く先と共に、ほのかな希望が映し出される。己の血の中に暴力の刻印を残す赤ん坊は、その過酷な運命を逃れたのかも知れないと。

ところが一方、己の体にタトゥーを刻んだニコライの行く末は、実に曖昧としたまま終わります。まあ、このラストカットのヴィゴが実にカッコイイのですけどね。ネタバレになるので書けませんが、実はこの作品、ちょっとしたどんでん返しがあります。それを含めて、ニコライがどういう道を選択するのか、実に余韻が残るエンディングです。

それにしても、渋さ全開。ロシアンマフィアという存在についてあまり知りませんでしたので、その世界が非常にミステリアスですし、履歴書となっている全身タトゥーも凄い。大人の映画、という雰囲気満点でした。ナオミ・ワッツ好きとしては、もう少し彼女をいじめて欲しかったかな、なんて思ったりして。いえいえ、困難な道を敢えて選択し、苦悩する役どころが彼女は実に巧い。ロシア製のオートバイを乗り回し、マフィア相手に真っ向から立ち向かう女性を熱演していました。ヴィゴとベッドシーンでもあるのか期待しましたが叶わず。クローネンバーグの描くねっとりとしたベッドシーンが好きなので、そこんところはやや欲求不満。次作に期待します。
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by galarina | 2008-07-31 14:52 | 映画(あ行)
2005年/カナダ・フランス 監督/ダイ・シージエ

「映像の美しさは必見」

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孤独な魂がたとえようもなく美しいものに出会えば、おのずとそれを愛するようになるもの。これ、必然なり。ふたりが愛し合っていることに微塵の疑いもないが、発端は孤児として簡素な生活を送っていたミンが、初めて圧倒的な美を目の前にし、ひざまづきたい衝動にかられたことではないだろうか。それほど、蒸した薬草の上でまどろむアンの裸体は美しかった。それゆえ、あの薬草が幻覚を引き起こすという話は、余計なものとすら感じられたのだが。

ダイ・シージエ監督は中国で生まれ、フランスで映画を勉強したとのこと。だからだろうか、観客が期待するアジアン・エキゾチックなムード作りがあまりにツボを得ていて、どのシーンもため息が出るほど美しい。中国人監督ゆえ、その描写は誇大表現ではないのだろうと、安心してこの世界に入り込むことができた。ハリウッドがさんざん犯してきたジャパニーズ・エキゾチズムの間違いを、誰か日本人監督が正してくれないものだろうかと思わされる。「さくらん」じゃダメなんだよ。

アンの虜となったミンの心の移り変わりをもっと感じたかった。ふたりの間に肉体関係はあるが、それもまた孤独なもの同士が体を温め合っていることの延長線上の行為のように思える。ならば、ふたりの結びつきは肉欲ではなく魂。しかしラスト、悲劇に向かいながらもふたりの様子のあまりにもさばさばとしたあっけなさが物足りない。あくまでも清らかな心根にこだわりたいのはわかるが、ふたりの純粋な愛を前にして感極まって涙あふれる、そんな感情も残念ながら湧いてこないのだ。しかし、この映像美は必見。ふたりの愛の形よりも、ふたりの愛を彩る植物園に心奪われた。
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by galarina | 2008-06-16 23:35 | 映画(た行)

ビデオドローム

1983年/カナダ 監督/デビッド・クローネンバーグ

「モラルを吹っ飛ばす気味悪さの面白さ」

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殺人フィルム、幻覚、マインドコントロールと、飛び道具てんこ盛りのカルトムービー。ビデオばっかり見てたら、現実と幻覚が曖昧になってしまうというモチーフは、今見ても十分にリアリティがあって面白い。例えば、リングのビデオは、ビデオに貞子の怨念が焼き付いていてそれを見ることで体内にウィルスのようなものが発生して、最終的には心臓麻痺を起こさせるって言うロジックがあったけど、これはそういう理屈は全然ない。今こういう映画を作ろうとすると、現象についてもっと理論や理屈をこねくりつけるでしょうね。

でも、お腹がいきなり裂けたり、画面から唇がびよよ~んと飛び出したり。こういうグロい描写が面白くて「なんじゃ、こりゃ~」とのけぞりながらすっかりクローネンバーグのやりたい放題に乗せられてしまう。スナッフフィルムが題材だから、ほんとは楽しんじゃいけないとか、私の中の小さなモラルが叫んだりするんだけど、抗えない。手と拳銃が一体化する描写なんて、気持ち悪いことこの上ないけど、このメカ+グロの映像のオリジナリティはすごい。

生命体としての命は途絶えても、ビデオの世界で永遠の命が与えられる。ビデオをのぞき込んでいた人間がビデオに出演する側に廻り、と延々と続くビデオドロームの世界は、まるで、合わせ鏡の連続空間のよう。こちらの世界とあちらの世界がだんだん曖昧となってくる様子を見ているに、観客もビデオドロームに毒された気分になってしまう。鑑賞後このままベッドに入ったら、悪夢を見そうな余韻が残る怪作。
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by galarina | 2008-06-13 15:05 | 映画(は行)

クラッシュ

1996年/カナダ 監督/デビッド・クローネンバーグ

「ガチンコ変態映画」

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1人で映画館に行くのは何とも思いませんが、これは初めて1人なのが恥ずかしいと思った作品。どんなセックスシーンが出てこようと受けて立つ私ですが、ここまで真の変態道を見せつけられると、たじろぎ、まごつくばかりです。

変態映画は面白いです。その変態っぷりに人間臭さやおかしみ、悲哀が感じられますから。フェチと言ってすぐに思い浮かべるのはブニュエルの「小間使いの日記」の靴フェチです。靴にほおずりする中年男は、私も理解できます。恐らくSMに根ざした変態道は、それらに足を踏み入れたことのない人間でも、ある程度の想像は付くのだろうと思います。なぜなら、SM的人間関係というのは、私たちの日常にも潜んでいますから、そこからイメージを広げればいい。しかし、「交通事故フェチ」となると話は別です。

死ぬかも知れないほどの事故の衝撃が性的興奮をもたらす。死と性は隣り合わせですから、それはまあ、理解の範疇です。しかし、事故シーンのビデオをみんなで見て興奮したり、事故現場で舐め回すように被害者の血みどろの顔をビデオで回したり、車のへこみを手でなぞり悦にいる様子は、人間的なものを超越しています。また、クローネンバーグらしい映像美は氷の世界。あまりの冷たさに火傷するような感じ。次から次へと相手を変えて倒錯したセックスにふけるけど、誰も汗をかかない。湿度がないんですよ。濡れてない。また、夫婦が寝室でセックスするシーンが何度か出てきますが、スクリーンの半分、二人の下半身をわざと暗くして映している。これが凄くエロティックなんですよね。これでもかと変態道を堂々と見せきるカメラの力強さにもう目が釘付け。

ジェームズ・スペイダーは面白い俳優。「セックスと嘘とビデオテープ」から7年後の作品ですが、気味悪さは健在。本当は主人公ジェームスが事故フェチの世界に嵌り込んでいくその心情、脚本としては明確に書かれていません。気づいたらずるずるとカリスマ、ヴォーンの相方になっている印象です。ヴォーンの片棒を担いでいる最中も、これと言って事故フェチの世界で何が何でも快感を得たいという意思も見せることはありません。ところが、ラストシーン。妻の車をクラッシュさせた後、「この次はきっと…」という意味深なセリフにはっとします。ジェームスが自分の強い意思を示す最初で最後のセリフではないでしょうか。

「この次はきっと…」一体何でしょう?君を怪我させてあげる?もっとすごい快楽を与えてあげる?それとも殺してあげる?このラストのセリフを考えていると、ジェームスとキャサリンと言う夫婦の関係性を一から検証してみたくなります。冒頭、キャサリンが飛行場で見知らぬ男とセックスするシーンから始まることから、この夫婦は浮気公認であることがわかります。むしろ、第三者を介入させることで性的興奮を得ている。しかし、このセリフから察するにジェームスは、誰の力も借りずに自分とキャサリン、ふたりきりの関係において彼女に快楽を与えてあげられる存在になりたかったのではないか?もしかしたら、キャサリンは不感症だったんだろうか。それを示唆させるセリフは冒頭のやりとりにも感じられます。そうすると、これは妻に究極のエクスタシーを与えようとした男の愛の物語なんでしょうか。事故後に交わる彼らをだんだんカメラが引いていく。その映像は、映画館で感じたバツの悪さと共に何年経っても頭から離れません。
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by galarina | 2008-06-05 21:31 | 映画(か行)
2002年/カナダ 監督/イザベル・コイシェ

「もしも私だったら…」を放棄した方が楽しめる
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医師から余命2ヵ月の宣告を受けた23歳のアン。病気のことは誰にも話さないと決心し、死ぬまでにやりたいことをノートに書いた彼女は、その一つひとつを実行していくのだった…。

これは、おとぎ話なんじゃないのかな。だから「もしも私だったら…」という思いが頭をよぎると、この作品の雰囲気を十分に味わうことは難しいのかも知れない。「私なら」と考えてしまう人が多いのは、タイトルのせいもあると思う。私だって思わずノートに書きそうになったもん。でもですね、あれあれ?と思ったきっかけは、「誰か他の男を夢中にさせること」って書いたら、すぐにお目当てのセクシーな男が現れるでしょ。それをきっかけに、そんなにうまいこといくかいなってくらい願い事が叶っていく。そこで思ったわけです。これはおとぎ話なんだと。

この物語のゴールは「死」なので、どうしても道徳的な判断をしてしまいがちだけど、そこはいったん横においておく。で、物語のありのままを受け止めながら見ていると、ささやかな日常、それも限られた時間の中で主人公が一つひとつの願いをクリアしていくことを微笑ましく見守ることができる。もうすぐ死んじゃう女の子なのに、いいなあ~なんて羨ましくなってくる。そう、この主人公は女性と言うよりも「女の子」と呼ぶべき少女性を持っている。これもおとぎ話だと思える一因。気持ちを落ち着けるために病院でお医者さんからキャンディもらうでしょ。こういうところも、実に少女っぽいの。

若くして結婚し、定職のない夫に子どもを抱えてトレーラー暮らし。すごくけなげに毎日を生きてる。なのに、余命2ヶ月。でも、彼女の願いは確実に叶えられていく。これは、まるでシンデレラじゃない?「むかし、むかし、あるところに貧しいながらも毎日を一生懸命生きている女の子がいました。でも、その女の子は不治の病になってしまいました。そこで女の子は死ぬまでに10の願いを叶えたいと思いました。すると魔法使いが現れて…」って感じかしら。

他の男の人と寝たことがないからしてみたい、なんてのも、考えてみれば実に子どもっぽい発想。だから、「もしも私なら…」という現実世界に引き入れずに、見る。そうすると、小さい女の子が夢を叶えていくようなロマンチックな雰囲気にあふれた映像にとても引き込まれる。願い事が叶うという女の子なら誰でも夢見るストーリーだけれど、お話の締めくくりは「そして、女の子は死んでしまいました」ってこと。だから、願い事が叶えられたことへの安堵と切なさがいりまじった素敵な余韻に浸れるのです。
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by galarina | 2007-07-10 23:32 | 映画(さ行)