「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:イギリス映画 ( 21 ) タグの人気記事

2006年/イギリス 監督/マイケル・ウィンターボトム 、マット・ホワイトクロス
<イギリス在住のパキスタンの青年たちが、テロリストの容疑者として2年以上もの間、無実の罪でグアンタナモ米軍基地に拘束された事件を基に作られた真実の物語>

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「世界の矛盾と折れない心」
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見終わって打ちのめされました。事件そのものにもですが、この作品が提示する問題について、私自身が語る言葉を何も持っていない。そのことに何より打ちのめされました。無知は恥ずべきことでしょうか。YES。この作品を見て、「知ろうとしないこと」と「知らされていないこと」は、ほぼ同義なのではないかとさえ感じるのです。

友人の結婚式に出るため母国に帰ってきたのにテロリストとして拘束され、遙か遠くのキューバのグアンタナモに収監、非人道的な取り調べや尋問を受ける3人。戦場シーンはイラクで撮影され、収容所は本物そっくりのセットを設営したということですが、その徹底的なリアリズムの追求が見事に作品の緊迫感に結びついています。

尋問のシーンなど本物ではないかと錯覚してしまうほどリアルです。適当なテレビ映像を持ってきて「ほら、ここにおまえが映っているだろ!」と強要し、証拠をねつ造しようとするシーンは、怒りよりもやり切れなさが先立ちます。こんなにも無駄なことにアメリカは人も金もつぎ込んでいるのか、と。

しかしながら、この理不尽な環境下においてなお、拘留された3人が「俺は何もしていない!」と前向きに自己を保ち続けるエネルギーにも心打たれます。本作が、グアンタナモの在り方を問うだけなく、「折れない心」をしっかりと描き出していることが、作品としての大きなパワーになっている。これは実に大切なことだと感じるのです。

つまり、世の中には不条理なことはたくさんあって、それを描き出す映画ももちろん多いですが、見終わってむなしさだけが残るのではなく、生きようとする力の強さ、前向きに己を保ち続ける意義を同時に見せるというのは、なかなか困難なことだと思うからです。

私はこの作品を見た後で「グアンタナモ」について調べました。なぜキューバに米軍の基地があるのか、なぜ半永久的に拘束するというような理不尽なことが可能なのか、米軍はここで何をしているのか。どうか、みなさんもこの作品を通じてグアンタナモとは何のシンボルなのか、自分なりの答を見つけて欲しい。

そして誰しもこの3人のような境遇に陥ってしまう可能性はある。だから月並みな言い方ですが、ひとりでも多くの人に見て欲しい。それがこの作品を語るにもっともふさわしい言葉。いや、無知なる私が胸張って言える唯一の言葉なのです。
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by galarina | 2007-07-26 23:42 | 映画(か行)
2006年/イギリス 監督/リチャード・エアー
<OS名画座にて鑑賞>

「日記という物語の中に住む女」
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美しい美術教師と、彼女に執拗な関心を抱くオールドミスの教師とのスキャンダラスな関係を描く心理スリラー。アメリカで実際に起こった女教師の事件を基に作られた小説がベースになっている。ケイト・ブランシェット、ジュディ・デンチ、二大女優の演技合戦が実に面白く、密度の濃い映画。92分という長さもいい。最近の映画は、尺が無意味に長すぎるもんね。

さて、孤独な中年女バーバラのシーバに対する異常な執着ぶり。これをストーカーを引き合いに出して語る人もいるようだけど、私はストーカー心理とは少々異なるような気がする。むしろ、シーバは、バーバラが作り上げる物語の登場人物に過ぎないように感じた。つまり、「私の脚本通り演じなさいよ」という監督と俳優の関係のよう。もちろん、そこには監督の俳優に対する圧力、優越感のような様々な感情が渦巻いている。

私が最もそう感じたのは、何もかもが露呈されてシーバと夫が大喧嘩を始め、それをバーバラが見守るシーン。バーバラはそこでこう言うのだ「天井桟敷から眺めるオペラはすでに最終幕を迎えていた」と。(ちょっとうろ覚え)このシーンから感じられるのは、シーバへの実に冷ややかなスタンス。で、振り返ると最初にシーバが現れた時のバーバラの態度はまるで、自分が書いた脚本にぴったりの新人役者を見つけたような口ぶり。

シーバに対する強烈な執着はバーバラが思い描く「私と親友の親密な関係」という物語(それは実に異常なる依存関係なのだが)を何としても完遂させたいという思い。結局シーバが好きなのではなく、自分のことが一番好きなのよ、バーバラって人は。私のことを一番に思ってくれる親友が私にはいます、っていう甘美な思いに浸りたいんだね。

相手の秘密を知った日の日記に金星のマークをつけるなんて、こんなイヤな女はそうそういないんだけど、ジュディ・デンチの熱演によって、私はだんだんこの人が哀れに見えてきた。バスルームでひとりむなしさを吐露しながらタバコを吸うシーン、何とか親身になりたい妹の申し出に思いやりを感じ取れない状況、何もかもが哀れだった。

シーバをかくまった時にパパラッチが「ババアの方が出てきた!」みたいな口ぶりだったでしょ。中年の独身女への偏見や社会の圧力が積もり積もって、バーバラはあんな性格になってしまったのかも知れない。生徒も教師たちも、みんなバーバラには心を開かないもんね。まあ、そういうバリアを自分から出しているわけだから、ますます孤立してしまうのも当然なんだけど。

ケイト・ブランシェットに関して言えば、終盤のキレ具合がすごかった。それまでいい母親を演じ続けてきた大人しそうな性格ばかりクローズアップされていたから、あの変わりっぷりは面白かった。92分、ただならぬ緊張感に満ち満ちていました。

それにしても、この映画女性の友人同士で見に行くのは避けた方がいい。もしかして、「この人…」なんて疑心暗鬼になってしまうかも知れないです。
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by galarina | 2007-06-30 21:17 | 映画(あ行)

マグダレンの祈り

2002年/イギリス・アイルランド 監督/ピーター・ミュラン

「怒りの目をむけよ」
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舞台は1964年、アイルランドのダブリン。マグダレン修道院に収容された少女たちは、ふしだらな女と決めつけられ、修道院でを祈りと労働によって神に奉仕し“罪”を悔い改めるよう言われる。しかし、マグダレン修道院で行われているその内実は、実に無惨な非人道的行為であった。

ちょっと男の目を引いたら修道院送り。いくら男が悪くてもレイプされたら修道院送り。結婚前に出産したら赤ん坊を取り上げて修道院送り。こんなワケのわからない制度が1995年という、つい10年ほど前まで続いていたという事実に驚きを禁じ得ない。

この作品はヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞しているが、ヴェネチアのあるイタリアと言えば、カトリック信者が多い国。バチカン市国もある。そんな国でカトリックの権威を振りかざし、これほどまでに非人道的なふるまいを行い続けた修道院を告発する映画が賞を獲るなんて実に皮肉な話。ある意味カトリック自身がこの映画で告発されている内容を認めたという証しなのかも知れないが、私のようなひねくれ者からすれば賞を差し出すことで理解のあるフリをして、事を穏便に済ませようとしているのではないかと勘ぐってしまう。

それほどまでにこの作品で描写されている修道院の事実はひどい。建物の中にいる人物が神父や尼僧の格好だからそれとわかるものの、やっていることは刑務所の看守と同じ。性的行為を強要する神父、金勘定に狂った尼僧。その姿の何とおぞましいこと。少女たちへの服従の命令も目を覆うものばかりで、本当に聖職者のすることなのか、と怒りで胸がいっぱいになる。

しかし、一方なぜこんな横暴が続けられたのか。それは、女性たちを修道院に入れることに何の疑問も持たない親たちや社会が存在しているからに他ならない。作品自体はほとんど修道院の中の描写だが、この過酷な状況を黙認し続けた社会も断罪されるべき。

親たちが娘を修道院に入れる理由。それは、娘がふしだらと烙印を押されることを極度に恐れ、世間体を取り繕うためか、それともカトリック教義が教える処女性への狂信的思いからか。いずれにしろ、このような劣悪な環境に進んで娘を差し出す、そんなメンタリティがまかり通っている社会にも怒りを感じて仕方がない。

結局、ヒトラーへの忠誠もそうだし、穢れを取り去るための割礼もそうだが、外部の人間からはどう考えてもおかしいと思うことが、一つの社会の中で共通の妄信によってがんじがらめになると、内部にいる人間の心というのはこれほどまでに融通が利かなくなる。そのことを痛感する。

本作の冒頭、結婚式のパーティで実に不気味な歌が流れる。私自身は他国の文化を頭から否定するつもりは毛頭ないが、どう見ても結婚式で歌うにはふさわしくないような実に暗い歌詞の歌なのだ。しかも、神父が歌っている。後で調べてみると、これは近親相姦をして子供を産んだ女性の歌だとわかった。歌詞の中で土に埋めた、という文言が出てくるから、その子供を殺して埋めた、という意味だろうか。いずれにしろ、結婚式でこのような歌が歌われること自体、いかに「処女性」を重んじているかの表れではないだろうか。より過激な言葉を許していただけるのなら、女性に対する教会からの圧力的行為、脅迫とすら感じられた。今でもこの歌はアイルランドの結婚式で歌われるのだろうか…。

ラストシーン、見知らぬ尼僧に向けられるバーナデッドの怒りの目。それは目の前にいる尼僧に向けられたものではなく、修道院の存在を認め続けた全ての人々と社会に向けられたものだ。ぜひ全ての女性たちに見て欲しい。
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by galarina | 2007-06-12 23:39 | 映画(ま行)

トゥモロー・ワールド

2006年/イギリス 監督/アルフォンソ・キュアロン

「長回しのカメラワークに度肝を抜かれる」
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最初のカフェでの爆発シーン。あれがスイッチとなって、まるで自分も2027年にタイムスリップして、その場にポトンと落とされたような感覚の2時間だった。私はセオの同伴者となって、キーの赤ん坊を守るために戦い、無事に船に送り届けた。そんな充足感が体を満たしたのです。なぜ人類は子供が産まれなくなったの?ヒューマン・プロジェクトって一体何の団体なの?そのような説明は不要です。だって、まさに今私は2027年のその場にいるのですもの。

私がセオの同伴者になれたのは、臨場感あふれるカメラワークの賜。特にセオと共に戦火をくぐり抜けたあの長い長い時間はまるで息もできぬほどの高揚感だった。このシーン、リハーサルはどうしたのだろうか?あれだけの長い時間を1カットで撮影するというのは、製作スタッフの技術力と熱意がないと到底無理でしょう。

そして明暗のコントラストが効いた緑がかった映像は、近未来が示す「ハイテク」なイメージを一掃している。コンピュータの発達がもたらすハイテク設備などのメタリックな描写は、目の前の出来事を「他人事」のように感じさせてしまう欠点がある。しかし本作では、隔離された移民たちの泣き叫ぶ様子や収容所の無秩序な描写が繰り返され、キーのお腹に芽生えた命の「神性」がクローズアップされる。ラスト、静かな戦場に響く赤ん坊の泣き声がなんと厳かに聞こえたことか。

管理社会になっている、ロボットに支配されている、宇宙に住んでいる…etc。どんな未来予測よりも「子供が産まれない」というのは絶望的であり、かつ生々しい。そして、本作で私が何より評価したいのは、子供が産まれることの神秘性を宗教の手を借りずに見せきったこと。赤ん坊を抱えたキーが兵士の間を通り抜けるシーンは背筋がぞくぞくした。

それにしても、アレハンドロといいメキシコ出身の監督は、濃淡を効かせた映像づくりが実にうまい。かの地の照りつける暑い日差しと何か関係でもあるのだろうか。それとも彼らにくすぶる熱情のせいか。ジョン・レノンを思わせる平和主義者のマイケル・ケインやジュリアン・ムーアも好演。ビートルズやキング・クリムゾンなどを思わせるブリティッシュロックテイスト満載の音楽もカッコイイ。映像、音楽、語り口全てにおいてぴしっと世界観ができあがってるのがすばらしい。
映画館に見に行きたかったなあ!
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by galarina | 2007-05-14 00:19 | 映画(た行)

未来世紀ブラジル

1985年/イギリス・アメリカ 監督/テリー・ギリアム

「昔はもっと過激だと感じたはずなのに」
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私はSFファンタジーは見ないんだけど、近未来ものは好き。近未来を描く作品って、やっぱり監督の描きたいものや考え方が最も如実に出るんじゃないかな、と思うから。時代をどう皮肉るかっていうのは、今のその監督の考え方そのものだし、未来に何を見いだすかってのはその監督の願望が込められていると思う。

そういう意味ではこの作品にはテリー・ギリアムのブラックユーモアがふんだんにあふれていて、彼がとことん笑い飛ばしたいものに共鳴できれば楽しめる。例えば「書類と手続き」だったり「女性の整形願望」だったり。美術も近未来を描く場合は、監督のオリジナリティが存分に発揮されるところで、今作ではタイプライターや旧式のエレベーターなどレトロなものが効果的に扱われていて、見ていて楽しい。

暖房器具のモグリの修理屋ロバート・デニーロの唐突な登場がおかしい。そして、私がいちばん気になったのは「ダクト」。近未来はなんでこんなにダクトだらけなの?あのね、実はうちの小学生の息子も未来の工場の絵なんかを描くとやたらとでかいダクトが出てるのね。なんかダクトって男性のハートをつかむアイテムなんだろうか(笑)。まあ、そういう奇妙なシンボルが示すシュールな世界観を楽しむのがこの作品の醍醐味でしょう。

ただ、全体的に冗長で143分は長い。特に夢のシーンは今見るととってもチープに感じて、退屈。昔見た時は、もっと過激な作品だと感じたはずなんだけどなあ。近未来ものって、今ではもっとプロットが練られていたり、美術やセットも作り込まれた作品が続々とあるじゃないですか。1985年の作品だから、当時にしてみればかなり美術も凝ってると思うんですよ。でも、それでも途中で眠たくなってしまう自分が悲しかった。ラストシーンの驚きがなければ、この長さはつらかった。ラストシーンで救われました。
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by galarina | 2007-05-11 23:01 | 映画(ま行)

プルートで朝食を

2006年/アイルランド・イギリス 監督/ニール・ジョーダン

「内」と「外」、相異なるベクトルの見事な融合
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「トランスアメリカ」と連続で見たもので、同じような設定に危惧したんだけど、いやいやとても良かったです。

そもそもゲイなどジェンダーに関係する作品というのは、とても内的な作品が多い。「私が、私が」って物語になっちゃうんですね。どんどん自分を見つめていっちゃう、という。個人的にはそういったテーマの映画って好きなんですけど、やっぱそればかりでも面白い作品にはならない。

ところがこの「プルートで朝食を」という作品には「アイルランドの独立問題」という極めて政治的な問題が大きな役割を担っている。政治問題というのは、とても「外的」な要素で、母を探しに行くという「内に向かう」展開と、国と国との対立という「外に向かう」展開が非常にうまく融合されていて、独自の物語性を創り出しています。

アイルランド問題は、監督のニール・ジョーダンが常に扱っているテーマなので、当然の展開なのですが、それでも「トランスアメリカ」の際も感じたように、ゲイの人が自分のルーツを探しに出る、というお話がたいへん多い昨今としては、出色の出来映えだったです。主人公のパトリック自身も爆弾テロに間違えられて拘束されるシーンもあり、パトリックの母親探しが軸でありながらも、暴力による制圧を断固として批判する姿勢が随所に現れていました。パトリックが恋人の銃を取り上げ、湖に捨ててしまうシーンは、そのものです。

そして、主人公パトリックを演じるキリアン・マーフィがすごく艶のあるゲイで魅力的なんですよ。次々と身にまとうオシャレファッションがめちゃめちゃ決まっててステキ。でね、やっぱりイギリスの映画は音楽がいい!ブリティッシュロックのシンプルさとメッセージ力ってのは、こういう批判精神が盛り込まれた映画にもの凄くしっくり来る。ロック以外の音楽も入ってますけど、一つひとつのシーンと音楽がぴったり重なる。ホント、イギリス人は音楽の使い方がうまいです。

ひとりのゲイの青年の母を訪ねる旅は、いろんな人々を巻き込み、自分自身も傷つき、揉まれながら進みます。36章という細かい割り方によるテンポの良さが、時に暗くなってしまうストーリーを軽やかに見せてくれる。主人公の魅力、全体のリズム感、そしてメッセージ力と全てがパーフェクト!ニール・ジョーダンってすごく硬派なイメージがあるんだけど、こういう軽やかな作品もうまいんですねえ。もちろん、言うことはきっちり言ってるところが、またすばらしい。
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by galarina | 2007-03-09 18:22 | 映画(は行)

フル・モンティ

1997年/イギリス 監督/ピーター・カッタネオ

「なかなか捨てられぬ男のプライド」
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鉄鋼所をリストラされた冴えない男たちが一発儲けるためにストリップショーを行うまでのハートフルコメディ。

この映画は音楽がいいね。そもそも音楽を聴くために映画を見ているワケじゃないけど、イギリス映画って「アリもの」の音楽を実に上手く使いこなしているなあ、と思う。ハリウッドばりに映画音楽を作るのもいいけど、なじみのある曲をストーリーに絡めてうまく聴かせるのも音楽監督の腕の見せ所だと思う。ソウル好きの私としてはホット・チョコレートの「you sexy thing」がツボだった。これ、ブギーナイツでもかかってたような。

それにしても、この手のストーリーは一つの「型」ができあがってしまったなあ、と思う。
●自己実現が難しい時代背景
●無謀なことにチャレンジする主人公
●ひびの入った親子関係
このあたりが3本柱か。今作はぷっと吹き出す笑いのエッセンスがあちこちで見られるのがイギリス映画らしいところ。おじけづくオヤジを一喝する息子、デブ夫を励ます妻など泣かせるポイントも当を得ている。

ただチャレンジものとして捉えると、ラストのパフォーマンスが物足りない。もうちょっとストリップショーとしての完成度を上げて欲しい。このあたりのユルさがイギリス映画のテイストなのかも知れないんだけど。まあ、ラストショットが全く引き締まってないお尻たちってのもリアルでそれはそれでいいんだけど、やっぱり演出的にもうちょっと盛り上げて欲しかった。

男ってのはプライドの固まりみたいな生き物。リストラされてるのに妻に言わない。払えもしない養育費を必ず払うと見栄を張る。よその男の裸を見に行く妻を非難する。どの登場人物も男としてのプライドが惨めな状況をさらに惨めにしていることになかなか気づかない。その余計なプライドをかなぐり捨て、リスタートすることが「フル・モンティ=すっぽんぽん」になること。

男の人が見たらこういう心理ってもっと共感できるんだろうな。貧乏ならすぐに売られる女の性の価値観とは雲泥の差があるもんで、いざ本番って時におじけづくガズを見ていたら「はよ、腹くくらんかい!」と突っ込んでしまった。いざという時に開き直れるのは女。だけど、女が主人公だとここまでコミカルにできたかどうか。なかなかすっぽんぽんになれない男たちの情けない心理や行動の描写だからこそ、ここまで笑える。ああ、男って本当に哀しい生き物だね。
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by galarina | 2006-12-30 13:07 | 映画(は行)

リトル・ダンサー

2000年/イギリス 監督/スティーヴン・ダルドリー

「フラガール」が似ているとやたらと騒がれていたので見てみた」
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炭坑の街、ダンスにかける主人公、それを反対する家族。確かに似てます(笑)。ただ何かと比較するために映画を見るなんて、ちょっと映画の見方としては正しくない、と言うか、映画を楽しめないと思うので、なるべく頭をフラットにして見た。

ダンスシーンの映像にとてもセンスを感じます。冒頭ベッドの上でビリーが飛び跳ねるシーン、バレエを習うのを反対されたビリーがその怒りをぶちまけるかのように坂道で踊るシーン、そして「ボクはバレエが好きなんだ」口に出さずに踊ることで父親に伝えるシーン。この主人公を演じるジェイミー・ベルのダンスが荒削りゆえに心動かすものがあります。

廃れゆく炭坑の街、ストライキの毎日で自分のことなど眼中にない父と兄、そして死んだ母への思慕。そんな中でビリーの哀しみを癒してくれる唯一のものがバレエだ。周りに反対されればされるほど、応援したくなるのが観客の心情。いつの時代も夢を追いかける者に自分を重ねたいと思う、そんな映画の持つ魅力は変わらないのだと思います。

ただ、父親の心の動きに私はあんまり入り込めなかったんだよなあ。スト擁護派だった父がついにストを無視して息子の学費を稼ぐために再び炭坑へ出向く。そのきっかけはもちろん、あのすばらしいダンスシーンがあったからなんだけど、ホントにこのお父さん感動したの?って感じで。でもこの寡黙さが父親ってことなんだろうな。男の人の方が、このあたり「多くを表に出さない」男の心情にぐっとくるのかも知れない。

でも、ラスト息子を見送った後、時は流れて父と兄が息子の晴れ舞台にやってくる一連の映像はとても良かったです。隣に成長したビリーのゲイの幼なじみが座っているあたりがとてもイギリスっぽくていいね(しかもBFが黒人というあたりもツボ)。ビリーの登場にハッとする父の表情。そして、スポットを浴びたジャンプするビリーの後ろ姿、でエンドロール。最後にドカンと花火をあげずに、余韻を残すスマートな終わり方。できれば、満腹になるまでとは言わないが、あとひと口ふた口ダンスシーンでお腹を満たしたかったなあ。

さて、主演のジェイミー・ベルは、なんと「父親たちの星条旗」出てたんですね。見た時は気づかなかったよ。
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by galarina | 2006-12-11 22:45 | 映画(ら行)

キンキーブーツ

<OS名画座にて>
2006年/イギリス 監督/ジュリアン・ジャロルド

「笑って、泣いて、バンザーイ!」
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亡き父がのこした、倒産間近の靴工場を継いだチャーリー。ひょんなことでドラッグクイーンのローラと出会った彼は、“彼女”が履く派手なブーツ(キンキー・ブーツ)の生産を決意する。そして、ローラを工場に迎え、商品開発に励むが…。

ドラッグクイーンのドラッグは、麻薬のDRUGではなく、引きずるのDRAGが語源。正式にはドラァグ・クイーンである。豪華なドレスをずるずると引きずることが由来だったと思う。私が思い描くドラァグ・クイーンは、他者を圧倒する存在感と美しさを持つ孤高な存在。ヘドウィグが、まさにそう。だけども、今作のドラァグ・クイーンのローラは、少々がたいも大きく、声も太いし、孤高の美しさとはちと言い難い。最初は「ええ~」と思ってたんだけども、最後にはだいぶ慣れた(笑)。ローラを演じるキウェテル・イジョフォー、大きな口をさらに大きく開けて歌うドラァグ・クイーン特有の歌い方はかなり堂に入ってました。

この物語の主をなすのは「乗り越えていく」ということ。主人公チャーリーには、2つの乗り越えるべき事がある。工場の再生と婚約者との冷えた関係だ。「俺に何ができる?」が口癖の情けない男チャーリーは工場で働く職人たちからも見放されている。しかし、キンキーブーツを作るという一大決心が、やがて工場の団結を生み出し、本当の愛も手に入れる。

工場で働く職人たちもまた、ゲイへの偏見を乗り越えるし、ゲイのローラはドレスを脱ぐと弱気になる自分を乗り越える。人生、まずは乗り越える勇気が大事さ!見終わった後、よし、がんばろう~という気にさせてくれる。

ただね、少々毒気が足らないなあ。最終的には、ミラノの見本市に出品して、死にかけのブランドが一発逆転!な展開なワケだけれど、どうもそういうカタルシスが弱い。それは先に言った「乗り越える」前の状態があんまりどん底に見えないからなんだよね。これはおそらく演出的なことなんだろうけど。それに、ドレスを脱いだら弱気な男になっちゃうローラ。彼女の気持ちの移り変わりにも、もう少しスポットをあてて欲しかったな。

そうそう、チャーリーとローラ、そしてローレンを最初から三角関係にして、恋のさや当てをしても面白かったかも。107分の映画だから、このあたりふくらましてももっと良かったんじゃないかな~。

とはいえ、笑いのセンスはなかなかだし、テンポもイイし、鑑賞後も爽やかな気分になれる良質の映画。ラストのミラノのショーのシーンは、すごい盛り上がったんで、もう1曲踊って欲しかったなあ。あと、工場での手作業による靴作りの場面は靴好きの私にとってはすごく楽しめた。モノ作りの楽しさがすごい伝わってくる。実話がもとになっているので、「キンキー・ブーツの製作工程見学ツアー」なんてあったらぜひ行ってみたいなあ。

それにしても。

この映画、関西圏では大阪で1館のみの上映ってどーゆーこと!京都でも神戸でも上映していないなんて…。シネコンにひっかからなきゃ、観られる映画館がものすごく制限されてしまうのが、もの凄く悲しい今日この頃です。

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by galarina | 2006-09-04 22:33 | 映画(か行)

時計じかけのオレンジ

1971年/イギリス 監督/スタンリー・キューブリック 
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まあ、この作品を最初に見た時の衝撃はすごかった。この衝撃に匹敵するのは、小学生の時にラジオでYMOの「テクノポリス」を聞いた時かな。私の人生、2大ショッキング事件のひとつです、この映画は。

「2001年」同様に、美術とファッションが素晴らしい。今でこそミッドセンチュリーなんて言って60年代頃のインテリアをもてはやしてるけど、そんな上っ面だけを借りてきたしょうもないインテリアショップに行くくらいなら、断然この映画を見た方がいい。本当はこのシーンのこの椅子がかっこいいとか、壁紙がこんな風でイカしてるとか、全部書きたいところだけど、それを書き出すときりがない。

また、そういった洗練さを果たして手放しで賞賛してよいのか、というほど物語がショッキング。真っ当に考えれば、いかなる悪人であろうと国家が個人を統制することはいけない、またはできないということなのだと思うけど、アレックスが持つ残忍性に対して我々がほんの少しでも共感しやしないか、という恐ろしい現実をキューブリックは突きつけているような気がする。

目玉をカフスボタンにあしらったシャツに山高帽。「雨に唄えば」を歌いながら暴力を奮いレイプする。仕事(強盗)が終わって部屋に帰ればベートーベンの第9をヘッドフォンで聴き、恍惚に浸る。悪の権化とも言えるアレックスをこのようにセンス溢れる映像と音楽で描写しきってしまうキューブリックという人こそ恐ろしい。「問題作」という言葉は、まさにこの映画のためにあるんじゃないのかな。

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by galarina | 2006-07-08 00:15 | 映画(た行)