「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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タグ:アカデミー賞 ( 22 ) タグの人気記事

クイーン

2006年/イギリス・フランス・イタリア 監督/スティーヴン・フリアーズ

「スポットライトの当て方が弱い」
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イギリス女王の孤独と誇りを訴える。これ、ダイアナ死後の約1週間という短い期間では、いささか時間不足ですね。それに、彼女の焦燥の火種となる描写に、当時のニュース映像をインサートするという手法が、ちょっとずるいなと思う。事実として説得力はあるかも知れないけど、それを使わずに表現してこそ、もっと上質な映画になったのではないかと思うのです。

結局、この作品を見るに、イギリスではダイアナなくしてイギリスの王室は語れない、ということ。ですからむしろ、ダイアナの何がそこまで国民の心を捉えたのか、という方に興味が湧きます。そして、鑑賞後そのような感想を持ってしまうこと自体、女王そのものを描ききれなかったという欠点を露呈しているんではないしょうか。

ただね。前半部は結構興味津々で見ました。これ、ひとえにゴシップ心が満たされるからなんですね。ダイアナが亡くなった時、王室ってこんなんだったんだ、なんて。だから、ダイアナを取り巻くメディアだとか、それを利用するブレアだとか、まるで「週刊女性」を読んでるような感覚になっちゃうんです。そこんところがね、(冒頭述べたニュース映像もそうですけど)最終的に王室の威厳とか尊厳に落とし込めない大きな障害じゃないでしょうか。そして、このゴシップ感覚が最後まで抜けきらない作品で最優秀主演女優賞?と言う気がします。

女王の気持ちは理解できます。「なぜ、あの女ばかりがもてはやされる?」慎ましやかに伝統を守って生きるより、メディアに出て批判する方がよっぽどラクですもんね。でも、彼女の心の奥底には、何が渦巻いていたのでしょう?ダイアナへの嫉妬か、国民への失望か、理解者を得ぬ孤独か。その辺、もっともっと研ぎ澄ませて欲しかった。意を決して、バッキンガム宮殿に降り立つ彼女の後ろ姿に、もっと心の奥底から込み上げるような感情を味わいたかったのにできませんでした。
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by galarina | 2008-07-13 17:56 | 映画(か行)

ノーカントリー

2007年/日本 監督/ジョエル・コーエン
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>

「ハビエルの不気味さをとことん味わうことこそ、この作品の醍醐味」

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ずいぶん前に見に行っていたんですが…。

「アカデミー受賞」という冠は鑑賞者に、どうしても様々な先入観を与えてしまうので、良し悪しだと思うのです。私もこれまでコーエン兄弟の作品は「ブラッドシンプル」や「ファーゴ」「バーバー」など何作も見ていますが、個人的にはウマが合わない監督です。確かに映像は非常にスタイリッシュだと思うのですが、彼が取り上げるテーマにあまり共感できた試しがありません。というわけで、この「ノーカントリー」ですが、やはり「なぜこの作品がアカデミーを獲ったのか」という目線でどうしても見てしまうんですよね。それは、避けた方がいいに違いないのですが。

さて、本作はとどのつまり、物語としてはとてもシンプルで、最近の犯罪はワシの手に負えんとサジを投げる老保安官の物語。もちろん、そこには1980年のアメリカが投影されていて、その一時代を見事に切り取った作品なんだろうと思います。現代アメリカを考察するにも、この時代がターニングポイントとして重要ということでしょう。現金を持ち逃げするのが、ベトナムからの帰還兵であるということもミソで、例えば一部をネコババしてしらを切ることもできるのに、まるで自ら地獄行きを望むかのように、または自ら挑戦するかのように、全ての現金を持ち逃げしてしまいます。

そこには、ベトナムで味わった敗北感を取り戻すためとか、いろんな理由を見つけることができるのでしょう。ルウェリンのようなベトナムを経験した人なら、ルウェリンがなぜあそこまで全額強奪&逃避行にこだわったのか、十人十色の理由がひねり出せるのかも知れません。

そして、亡き父の後ろ姿を夢に見たというラストシークエンスも、アメリカという国そのものが持っていた父性の喪失、ということでしょう。ここは、非常にわかりやすいエンディングです。殺し屋が象徴するところの理解不能なものに押しつぶされていく、アメリカ人の苦悩、嘆き、あきらめetc…。

しかしですね、アメリカの来し方行く末に興味のない私にとっては、正直勝手に嘆いてらっしゃい、という感じなの。ぶっちゃけ、アメリカ人がアメリカを憂うという構図に何の感慨も持てないし、どう転ぼうとアメリカのやることは全て自業自得。外部の圧力によってにっちもさっちも行かなくなっているアフリカ諸国などの状況と比べると、憂う前にアンタが世界にまき散らしている悪行をまずは何とかしなさいよ、とか思ったりしてしまうのです。あまのじゃくですから。

しかし、この湿っぽい自己反省のような作品を俄然エンターテイメントとして面白くさせているのは、とにもかくにも殺し屋シュガー(ハビエル・バルデム)の不気味さにあります。彼の存在感がその湿っぽさを凌駕している。そこが面白かった。そして、その不気味さをあの手この手で印象的に見せる演出に、コーエン兄弟でしかできないオリジナリティがあふれています。スイッチの入っていないテレビの暗いモニターに映るシュガーのシルエット、アスファルトでごろごろと引きずられるガスボンベ。

最も秀逸だったのは、ガソリンスタンドのおやじとの全く噛み合わない会話の後のコイントスのシーンでしょう。理解できない、意思が通じない、そんなコミュニケーション不全を見事に表現しています。ここは本当に恐ろしかった。見終わった後だからこそ、これがなぜアカデミーなの?とか考えますけど、観賞中は、とことんシュガーの不気味さに圧倒され、ラストまであっと言う間。神出鬼没の殺し屋が引き起こす脇の下に汗をかくような緊張感をとことん楽しみました。
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by galarina | 2008-05-08 09:57 | 映画(な行)

シカゴ

2003年/アメリカ 監督/ロブ・マーシャル

「ナイスバディに酔う」

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俳優の惜しみない努力を当然と見るハリウッドに感服。それはもちろん、キャサリン・ゼタ・ジョーンズとレニー・ゼルウィガー、ご両人のこと。役作りのためにサーフィン習いました、とか、病院実習行きました、なんてのが子どもの戯れ言に聞こえる。いや、それはもちろん努力しないよりした方がいいに決まっているのだけれどね。キャサリンの見事な開脚、レニーのお尻ぷりっぷりのキャットウォーク。一体、彼女たちはどれほどの努力をしたのでしょうか。見上げたプロ根性です。そして、脇を固める超ナイスバディなダンサーたち。女のアタシもクラックラ来ちゃいました。

「ドリーム・ガールズ」のビル・コンドンが脚本担当ですが、やはりこの人は通常の演技の部分とミュージカルシーンの境目、つまり歌への導入部分が実にスムーズに行くよう配慮しているのだというのがよくわかる。よって、私のようなミュージカル嫌いでも存分に楽しめる。ミュージカルの何がイヤって、突然歌い出すあの感じなの。でも、ストーリー全体の流れからミュージカルシーンが浮いてない。流れを大事にした上で、もっともっとスピード感を出そうと試みたのが「ドリーム・ガールズ」なんでしょう。しかし、冒頭においては「シカゴ」の勝ち。遅れてきた主役キャサリン・ゼタ・ジョーンズが楽屋で慌ただしく衣装を身につけ、手に付いた血を拭いて、いきなりセクシーなダンスで舞台に登場。歌い終わると、即殺人犯で刑務所送り。ぼーっとしてると置いてけぼりをくらいそうな実に鮮やかなプロローグです。

「シカゴ」は文字通りシカゴ、「ドリーム・ガールズ」はデトロイト、そしてただ今公開中の「ヘアスプレー」はボルチモア。昨今のアメリカのミュージカルムービーは、地方都市らしさというのを存分に映し出しているのが特徴。「シカゴ」では禁酒法の話題はちらっとしか登場しないけど、むせかえるタバコの煙に包まれたキャバレーとショーガールたちのエロティックなコスチュームから、時代の空気がぷんぷん匂う。セットや小道具など、当時を彷彿させるこれぞプロ!と呼ぶべき作り込みもまた、観客を物語へぐいぐい引き込む大きな要因になっているのは間違いないだろうと思う。
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by galarina | 2007-11-11 16:33 | 映画(さ行)

ディパーテッド

2006年/アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

「愛だろっ、愛」
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オリジナルが好きな人間としての感想なのですが。

いわゆる普通の「警察VSマフィア」ものという仕上がり。それ以上でもなく、それ以下でもない、という感じ。リメイクと比べて、という話題で終始しても、この「ディパーテッド」という作品単体に関するレビューとはならないことはわかっています。しかしながら、それ以外に語ることがないのです。残念ながら。

作り手の「物語への愛」と言ったら何だか大げさだが、私にはそれが感じられなかった。いくらリメイクと言えども本作の見どころは、男の哀愁だったはず。己の素性を隠して、自分を、そして愛する人を偽ってでも生きねばならない二人の男の孤独。それは、マフィアから警察へ、警察からマフィアへというまさしく対称的な二人の生き方によってあぶり出されてくるものだった。

しかし、「ディパーテッド」では、ビリーとコリンの孤独や焦燥を伝えたい、という意思が見受けられない。つまり、ふたりの境遇の切なさに身を切られるような痛みを感じなければ、いずれ正体がバレるのではないかというハラハラ感も感じない。それが、作り手の「物語への愛」を感じないと思う理由。

もちろん、元の物語を知っているからでは?と考えられるが、これだけリメイクブームで種々の作品を見ていると、一概に知っているから楽しめない、ということでもないのだとわかってきた。孤独な男の焦燥感は、唯一ディカプリオの演技によってのみ伝わってくる。彼の演技を見ていると、もしかして監督よりもこの作品のコンセプトをきちんと理解していたのではないか、という気すらする。つまり、それほど演出及び脚本面で男の哀愁を描こうという意図はほとんど感じられなかったということ。

オリジナルをご覧になっていない方は、ジャック・ニコルソンの演技に目を奪われたことでしょう。さすがに貫禄の演技。が、しかし。二人の孤独を浮き彫りにする、という第一目標があるのなら、彼の存在感は邪魔者でしかない。あんまり彼が目立つもんだから、違った意味でだんだん腹が立ってきました(笑)。

「おのれを殺す」というテーマに惹かれるのは、やはりアジア人らしい感性なのかも知れない。そして、シリーズを貫く「無間道」というテーマ。これは、仏教観に基づいているでしょ。それを舞台をアメリカに変えて描こうというのだから、ハナから無理があったのかも。警察とマフィアの話だろ?と、ほいほいリメイクしてしまった、そんなお気軽感が感じられて、これまた物語への愛が感じられないのだ。
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by galarina | 2007-10-14 23:55 | 映画(た行)
2002年/アメリカ 監督/マイケル・ムーア

「着眼点、取材方法、テーマの帰結のさせ方、全てが★★★★★」
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ムーア作品で感心するのは、視点の広げ方がうまいと言うこと。アメリカを震撼させた少年犯罪を中心点として、その要因はどこにあるのか問題点を直線的ではなく、放射状に広げていく。その引き出しの広さと着想の豊かさを見ていると、日本のワイドショーで見られるゲームが悪い、ゴスロリが悪いと言った、短絡的な分析がほとほとアホらしく見える。

で、その理知的な分析を裏付けるのが突撃取材、というこの落差のコンビネーションが映画としてのダイナミズムを生み出している。「華氏911」でも書いたけど、ムーア作品にはムーアらしいやや先走った思い入れもそこかしこに見られる。が、監督の思い入れがないと映画とは呼べんだろう、と思うのだ。ゆえに、本作を見て「こんなのにダマされるな!」と言う人がいてもいい。先日見た「不都合な真実」があまりにもお利口に見えてつまらない理由がここにある。

歴史、メディア、福祉、経済…とめまぐるしく論点が提示され、最終的にたどり着くのは、「それでも我々は世の中を変えることができる」という力強いメッセージだ。少年が同級生を無差別に射殺するというこの上ない悲しい事件が発端でありながらも、Kマートに銃弾の販売を停止させるという具体的な成果=行動することの大切さに帰結させていく。それは、かすかな希望でもある。世の中を憂うことは誰にでもできるが、希望を見せることはそうそうできることではない。Kマートの結果は偶発的かも知れないが、「取材する」という行為を通じて「希望を示す」というのは、メディアに関わる人間全ての願望ではないか。ムーアは、それをこの作品の中で体現している。そこが、私の五つ星の一番大きな理由。

さて、ムーアの取材対象としてチャールトン・ヘストンもその開き直りぶりがインパクト大だが、私が最も印象に残ったのは、マリリン・マンソン。彼がムーアに漏らした「恐怖と消費のキャンペーン」という言葉は、この問題の本質を捉えるのにこそ最もふさわしい。これほど的を得たキャッチコピーが、少年犯罪のスケープゴートとされている張本人の口から出たこと自体驚きだし、このインタビューは過激な歌手マリリン・マンソンが実は思慮深く、賢い人物であることを顕わにしている。着眼点にも、取材映像にも、新たな発見が本当にたくさん詰まっていて、何度見ても唸らされる。
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by galarina | 2007-09-26 23:21 | 映画(は行)

不都合な真実

2006年/アメリカ 監督/デイヴィス・グッゲンハイム

「伝える方法を間違ったんじゃないだろうか」
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確かに知っておいて損はない情報がてんこ盛りである。だが、見終わって少々がっかりしている。だって、果たしてこれは映画なんだろうか?本作を構成するのは延々と続くプレゼンテーションと時折挿入されるゴア氏のモノローグ。それらは確かに引きつけられる内容だし、多くの発見もあるけど、上手な発表会を見たというだけで、映画を見たという満足感は実に乏しい。

しかも、本作は地球の恐るべき未来予想図よりも、遙かに決定的で悲痛な事実を突きつける。それは、「とどのつまり、地球の未来はアメリカ次第」というやりきれない現実。世界各国の中でも飛び抜けたCO2量を排出しているアメリカ。その総量はアジアの国々が出しているCO2の量を全部合算してもなお上回ると言う。車の燃費の悪さに、止むことのない消費文化と兵器の生産、そして京都議定書への不参加表明。

でね、これらの現実を咀嚼していると、「ブッシュじゃなくてゴアが大統領になってたらなあ」なんて考え始めちゃう。あらあら、いつのまにやら巧妙なブッシュ批判ムービーに変身。これは、ゴア流のプロパガンダかいな、なんて思い始めてしまうもんだから、肝心要の「地球を何とかしなければ」という思いが遙か彼方へ去ってしまうのだ。

結局これらの思いが邪魔して、「地球のためにこうしよう!」というあふれんばかりの決意でエンディングを迎えられないのだ。もちろん、車のエンジンは止めよう、とか、買い物袋は持ち歩こうとか思いますよ。だけど、その程度で終わってしまうようじゃ、97分間も使って映画にする意味がない。例えば、風力発電に取り組む人とか、地球を自然破壊から守るために体を張って活動する人とか、いくらでも取材してデータを裏付けることはできるはず。それなのに、プレゼンテーションの合間に挿入されるのは、いかにゴアが真摯な研究者かって言う映像。映画というメディアだからこそできるメッセージの伝え方ができていないように思う。こんなにいいネタあるのに宝の持ち腐れだなあ。

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でね、何でこの作品がアカデミー賞「最優秀歌曲賞」なの?的外れも甚だしいでしょう。且つ「最優秀ドキュメンタリー賞」受賞。確かに内容は優秀だけど、これをドキュメンタリーと呼ぶのはどうだろう。だって、ほとんどプレゼンシーンだもの。ケチをつける気は全然ないけど、どうもゴアへのおべんちゃらという気がしてしょうがないのだ。
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by galarina | 2007-09-04 23:43 | 映画(は行)

ピアノ・レッスン

1993年/オーストラリア 監督/ジェーン・カンピオン

「静けさと熱情が融合した見事なラブストーリー」
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映画って、不思議だ。以前、観たときはサッパリピンと来なかったけど、年取ると見方が変わる。3度目の鑑賞で、この作品の持つエロチシズムに開眼。ラスト10分の驚きの展開からエンディングにかけて、身を切るような切なさと幸福感に包まれて、実に満ち足りた思いで見終わった。すばらしい。

主人公エイダは、口がきけない。そして、子持ちの未亡人。ピアノを弾くことは、自分の表現行為の全て。そんな彼女がスコットランドから遙か遠くのニュージーランドの小島に嫁入りしてくる。夫が欲しいのは貞淑で従順な妻。彼は彼女からピアノを取り上げようとする。

以前観たときはこのピアノを取り上げられようとした時のエイダの抵抗が、ワガママ女がダダをこねているように感じられたのだった。しかし、今度は違う。言葉を発することのできないエイダの怒りが伝わってくる。そう、エイダはピアノを取り上げられて怒りの表情を見せる。嘆きや悲しみではなく、怒り。「口がきけない」=静かでおとなしい女性という先入観が以前観たときはエイダという女性を私に正しく見せることを邪魔したのかも知れない。本当は、プライドが高く、情熱的なエイダ。そんな彼女がマオリ族の血を引く男、ベインズに惹かれていく。

ピアノを拾ったベインズに返して欲しいと迫るエイダ。じゃあ、ピアノレッスンをしてくれたら、鍵盤を1本ずつ返してあげよう…。さあ、ここから始まるんですね。ふたりの駆け引きと、恋が。ピアノを弾くエイダの肩に触れる。ピアノの下に潜んでエイダの足を眺める。そんなベインズの行為にだんだん心揺さぶられるようになるエイダ。レッスンを行う一連のシーンの何とエロティックなこと。しかも今回、私はこのベインズを演じるハーベイ・カイテルにすっかりやられてしまった。だってね、このベインズという男は外見で惹かれるようなところはないわけです。しかしながら、控え目なんだけども秘めたる熱い思いがすごく伝わってくる。最も印象的なのは彼が裸になってエイダを迎えようとするシーン。中年男のたるんだ肉体を敢えてさらし、かつそこにエロスを与えることができる、ジェーン・カンピオンの力量を感じます。

ピアノという存在を介して育まれていくふたりの愛。秘めねばならぬもの、語ることができぬもの故に、それは心の中の熱情となって二人を包み込む。美しいピアノの調べとその爆発させたいほどの思慕が見事に融合していく様が、本当にすばらしい。

二人の関係が夫にばれてからは、物語はどんどん悲劇に向かって突き進み、ベインズへの愛を語れぬエイダのやり切れなさが我々を突き刺す。そして、作品に一貫して流れる悲劇的なムードが、つらいエンディングを予感させる。そうして、一転、愛に満ちあふれたラストシークエンスへ。
幸福感で涙が出る映画、久しぶりでした。
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by galarina | 2007-08-07 23:50 | 映画(は行)

トーク・トゥ・ハー

2002年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドヴァル

「キワモノを美に昇華させたアルモドバルの力量」
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これは、アルモドバル作品で一番好きかも知れない。彼独特の美意識と倒錯の世界がてんこ盛りで。ビナ・バウシュのダンスシーンやカエターノ・ヴェローゾのライブシーンなど物語を彩る芸術もすばらしいし。特に私は恋人の死を嘆く、カエターノの繊細で壊れてしまいそうな優しい歌声にノックアウト。劇中のライブでこれほどステキなシーンってそうそうない。

それから、色鮮やかな映像。アルモドバル監督は、元々色遣いがすごく上手だけど、やっぱりスペインという国そのものが持っている色彩感覚があるからこそできる技なんだろうなと思う。元々スペインの街並みや建物に深みのある黄色と赤がふんだんに取り込まれているのよね。例えば、病院の廊下でマルコがぼんやりと座っているというシーンでも、壁の色が黄色でソファが赤茶。壁とソファの境界線をスクリーンのセンターに持ってきてマルコを左側に座らせる。そのトリミングの仕方がとても上手で色のバランスが絶妙。

闘牛士の衣装もキレイだし、寝たきりのアリシアが身に付けるバレエの衣装のようなシルクのスリップもキレイ。もちろん、アリシアの裸身も。特に豊かな乳房をとらえるショットは、女の私でも息を呑んじゃう。とにかく美しいものが次から次へと現れる。その「美しいもの」たちと共に映し出されるからこそ、ベニグノの愛が純愛に見える。もちろん、ベニグノの行為に嫌悪を持つ人もいるだろうけど、結局この作品はそれを論じたり判断するために作っているのではないんだと思う。

タイトルにもあるように「語りかけること」。相手が何の反応も示さず、聞いてくれているのかもわからない。それでも静かに語り続けることの意味深さを伝えているんだと思う。ビナ・バウシュの前衛舞踏も観客の心に語りかけるようなダンスだったし、リディアに語りかけることのできないマルコは結局彼女と別れた。また、アリシアがマルコに声をかけることで何かが生まれる予感が。そして、マルコは「語ることは簡単さ」としめくくる。

囁くように優しく語りかけること、ひそやかに誰かの心をノックすることで生まれる様々な心模様をアルモドバルらしい映像美で見せる。美しさ、作品の深み、先を知りたくなる展開。全てが秀逸。本来キワモノと見なされるアルモドバルの作風がしっかり「美」に昇華されているのがすばらしいと思う。
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by galarina | 2007-07-05 22:59 | 映画(た行)

シリアナ

2005年/アメリカ 監督/スティーブン・ギャガン

「部外者は誰もいない」
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アカデミー賞に輝く『トラフィック』のスタッフが集まり、アメリカ当局とアラブの王族、イスラム過激派テロリストの石油をめぐる黒い関係を描いた問題作。


物語を複数の地点で同時進行させ、観客は俯瞰で眺めながら問題の本質に迫る、という映画が非常に多くなっている。私がこの手法の映画で一番最初に出会ったのが、本作の監督が同じくスティーブン・ソダーバーグと作った「トラフィック」であった。その後非常にパーソナル物語を織り込みながら、社会派作品として磨き上げた「クラッシュ」、現在公開中のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「バベル」や「21g」など、同時進行系の物語は増える一方である。

これらの映画に共通するのは、象徴的な悪は存在しているものの、とどのつまりみんな繋がっている、と気づかされることだろう。つまり我々観客も、このクソみたいな経済システムに少なからず荷担していると告発していることだ。同じく現在公開中の「ブラッド・ダイヤモンド」でも、ダイヤという「利権」を巡ってアフリカがずたずたにされていく様子が描かれている。その中でアフリカのある村人が「この村には石油が出なくて良かった」とつぶやくセリフが出てくる。つまり、資源が出れば「白人がむらがって食い物にされる」という意識は、中東やアフリカでは共通の認識、当たり前の考え方なわけである。

資源のない日本にいる我々にしてみれば、そのような発想そのものがショックであり、また「資源国」と「アメリカ」の丁々発止をただ指をくわえて眺めているだけの赤ん坊のような気分にさせられるばかりである。しかし、作品を通して見えてくるのは「部外者はいない」ということなのだ。日本だって、石油がないと生きていけない。アメリカの差し出す石油システムに乗っからないと、おこぼれはいただけない。つまり、CIAが石油産出国の王子の暗殺を企てる背景をたどれば、すぐに日本も荷担しているという図式を作ることは可能なのだ。

私も正直、中東問題なんて、わからないことだらけだ。しかし、問題の一端はこの映画を通してきちんと見えてくる。何も問題は解決されないし、どんでん返しがあるわけでもない、実に硬派な映画。でも、石油という巨大な資源がどこから来てどのように流れ、誰がそのシステムを握っているのか、というしごく根本的ことをまず知らないと、指をくわえて見ているだけからは一歩たりとも脱却できない。この映画はそのきっかけを与えてくれるに十分な非常に中身の濃い作品である。
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by galarina | 2007-05-03 23:14 | 映画(さ行)

Ray

2004年/アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

「人生、その全てが音楽」
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現在公開中の「ドリーム・ガールズ」は出演メンバーの圧倒的なパフォーマンスがすばらしいのはもちろん、黒人音楽の変遷を辿る、という面でも非常に面白い出来映え。

同じようにこの「Ray」もひとりの黒人ミュージシャンの話ではあるけれど、彼を先頭として黒人音楽がどのような道筋を辿ってきたかがよくわかり興味深い作品。常に新しいサウンドを生み出す黒人特有の卓越した音楽センスのすばらしさ、それは、決して我々日本人にはない恵まれた才能だとひしひし感じちゃう。

私など、晩年の超ビッグになったレイ・チャールズしか知らないので、あの曲にはこんなバックボーンがあったのか、という発見が次々とありました。そして、女と別れても、差別されても、それを全て「音楽で昇華させる」ところがすごい。彼女との壮絶な別れ話がそのまま新しいサウンドになるあたり、あきれるのを通り越してさすが!と唸っちゃいました。

●実は女ぐせが悪い
●実はお金にうるさい
という事実もきちんと盛り込み、レイ・チャールズの人間らしさを前面に出しているところも非常に好感が持てる。特に「お金にうるさい」というのは、黒人だからと言う理由でナメられてはいけない、という彼の苦難の人生から得た処世術がそうさせたもの。あのビッグスターのレイ・チャールズもこうやって、もがき苦しみながら生きてきたんだな、と感慨深いものがある。次から次へと女性の手首をなでまわす場面にしても、何だか大スターレイ・チャールズがすごく身近に感じられて良かったな。

ドリーム・ガールズでは、歌うシーンが少なかったけど、文字通り本作では主演のジェイミー・フォックスがレイ・チャールズの名曲を次々と披露。すばらしいパフォーマンスを見せてくれる。それにしても、この時代のミュージシャンって、みんなヘロイン中毒なんだよね。確かジャズミュージシャンにもたくさんいたはず。レイ・チャールズは克服して、大御所となったけど、ドリーム・ガールズのジミーは死んじゃった。薬物で明暗がくっきり分かれる、それもまたミュージシャンを描いた映画の常なんだな、悲しいことに。
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by galarina | 2007-03-17 23:50 | 映画(ら行)