「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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私は二歳

1962年/日本 監督/市川崑

「あの時の甘い記憶が蘇る」
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これだけ鑑賞前の予感が外れる作品は他にはないんじゃないか、そう思う逸品です。二歳の子ども目線で団地夫婦の日常が描かれる。何だか人を食ったような、文部省推薦作品もどきかと思いきや、さにあらず。私自身で言えば、すでに息子は小学校高学年。二歳の記憶なんてとうに過ぎていますが、心の底から嗚呼!子育てって本当に楽しかった、こんなに暖かい気持ちの毎日を過ごしていたんだと、あの時の「甘美な気持ち」が湧きに湧いて、幸福感に包まれました。

働きマン派の私など、高度成長期の団地の奥さまの生態だなんて、ほんとは拒否反応出まくりのはずなんですが、山本富士子がとても艶っぽい。これが、とてもいい。義理の姉役として渡辺美佐子も出てくるのですが、汗だくになっておむつを変えるその姿もこれまた、非常に艶っぽい。脚本の和田夏十女史のたおやかで優しい女性像と市川監督の女の艶やかさを引き出すカメラワークのすばらしいコラボレーション。子育て中の女性をセクシーに見せるなんて、やっぱり市川監督は粋な人です。

反発し合っていた姑と、あることをきっかけにタッグを組む嫁。はい、はい、はい!と膝を打ちたくなるようなその展開に、いつの時代も子への愛は同じなのだと満ち足りた思いが占める。全ては子供かわいさゆえ。しかし、全編に渡りそれが親の身勝手やワガママに見えないのはなぜでしょう。一生懸命。悪戦苦闘。日々子どもの成長を見守るという当たり前の生活の中にこそ、幸福は潜んでいる。愛あふれる夫婦の姿が、微笑ましくて微笑ましくて、終始にやけっぱなしなのでした。
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by galarina | 2008-10-10 16:34 | 映画(わ行)
2008年/日本 監督/李闘士男
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>

「クラウザーさん、最高っす!」
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いやあ、すごかった。面白かった。
松山ケンイチ、サイコー!。
彼のカメレオンぶりにとにかく降参しましたです。

最近流行の仮の姿に悩むヒーローのような話、なんて言う映画評を読んだのですけど、全然違うでしょう。これ、「仕事論」でしょ?と私はひどく納得したのですよ。自分のやりたい事じゃない。でも自分にしかできないことなら、やるべきだよ!っていうね。なんか、私を含めてこういう状況の人「この仕事は本当にしたかった仕事じゃない…」なんて、悩んでる人多いと思うんです。そんな人たちに勇気を与える映画じゃないでしょうか。

脚本としては、前半部ちょっと根岸くんの語りが多くて、くどいんです。また、やる気をなくして田舎に戻る、なんてのもある程度想像できちゃいます。それでも、ラストの対決に向けて、盛り上がる、盛り上がる。現在継続中の漫画をうまく2時間にまとめたなと思います。また、きちんと「絵になるカット」が多いんですね。それが、たかがお馬鹿映画とはあなどれないところ。クラウザーさんが後輩とトイレでリズムを刻むシーンとか、ヒールの高いロンドンブーツ履いて激走するシーンとか。やってることはマヌケですけど、しっかり構図を捉えたきれいなショットを作っています。それにしても、あのブーツ履いて全力疾走はきつかっただろうなあ。

「音楽映画」としてきちんと成立しているところも、とても評価できます。おしゃれポップス系もデスメタル系も楽曲がレベル高いですね、カジヒデキだから当然ですが。ジーン・シモンズは、良く出てくれたなあ。正直ね、わたしゃヘビメタ嫌いなんですよ、暑苦しくて。でも、ラストのライブは興奮しました。つまり、イロモノ系だからと逃げたり、流したりせずに、非常にしっかりとまじめに作り込んでいるところがとても良いのです。

そして、松山ケンイチくん。もちろん、「デスノ」で彼のカメレオンぶりは分かっていたつもりですが、本当に参りました。クラウザーさんの時の歌い方なんて、どれくらい練習したんですかねえ。だんだん、クラウザーさんがかっこよく見えてきたからビックリ!この演技を見せられて、私の中では加瀬亮くんを超えてしまったかも。クラウザーさんのシーンではカメラが回る前に観客を入れた状態でアドリブで毒々しいセリフをかましてたって言うじゃないですか。いやあ、本当に凄い。根岸くんもクラウザーさんも全く好みではないけど(笑)、これを演じた松山ケンイチと言う俳優に惚れてしまいそうだ。追っかけの大倉孝二のツッコミも毎回爆笑。ほんと、腹抱えて笑わせてもらいました。
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by galarina | 2008-09-02 16:23 | 映画(た行)

歩いても、歩いても

2008年/日本 監督/是枝裕和
<梅田ガーデンシネマにて観賞>

「さりげないのに、心に染み渡る是枝演出」
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是枝監督のきめ細やかな演出と登場人物たちへの優しい眼差しが感じられる珠玉作。すばらしかったです。物語を動かすものとして、数年前に亡くなった長男を取り巻く確執というのがあるのですが、むしろ私は是枝演出の素晴らしさ、巧みさに引き込まれて仕方がなかったです。 誰もいない廊下で母と娘のたわいもないおしゃべりが反響している。そんなカットに全ての人が自分の里帰りを思い起こしたことでしょう。

人物描写があまりにもリアルで、まるでこの家族を昔から知っているような錯覚に陥ります。また、それぞれの登場人物のちょっとした仕草や会話の端々にその人らしさが如実に表れています。例えば、長女の夫は「この家の麦茶はひときわうまい」とおべんちゃらを言う調子のいい性格。その時冷蔵庫の扉がずっと開けっ放しなんです。気になって仕方ありません。でも、それは彼のおおざっぱな性格を表しているんだと思います。このように全てのシーンに、人物たちの性格を裏付ける演出が成されていて、見事のひと言です。是枝監督の人間観察力に感服しました。毒のあるセリフは弟子の西川美和監督を思い起こさせるのですが、もしかして彼女の影響が逆に是枝監督にも出ているのかと思ったりもします。

また「ああ、実家に帰るとこんな感じだよな~」と思わず唸ってしまうシーンばかりです。実家の玄関先で遊ぶ孫たちは大人モノの「つっかけ」を履いていたり、息子家族に新しい歯ブラシを用意していたり。これらの描写があまりにもリアルで、うちも全くそうだ!と一シーン一シーン、思わず頷いてしまうものばかり。是枝監督が凄いのは、この細やかな演出があざとく感じられない、ということ。この辺は、ドキュメンタリータッチが巧い是枝監督ならではです。「誰も知らない」などでは、ドキュメンタリータッチが嫌味に見えたりしましたが、本作では皆無。実に自然です。

そして、俳優陣がみんな素晴らしいです。やはり、一番凄いのは樹木希林でしょう。この人は、化け物ですね。毎回役が乗りうつってます。私の記憶では「東京タワー」を受けるまでしばらく映画界から遠ざかっていたはずだと思うのですが、一体どうなってしまったんでしょう。蝶々を追いかけるシーン、見てはいけないものを見たようで背筋がぞくぞくとして、本当に怖かった。

それにしても、家族を描いた作品って、なんでこうも面白いのでしょうか。家族だからこそ、言いたいことを言う。家族だからこそ、言えない。そんなみんなの思いがすれ違ったり、くっついたりする様に釘付けの2時間。様々なところで笑いのエッセンスが散りばめられているところも本当にすばらしい。これまでの是枝作品の集大成と言ってよいのではないでしょうか。このところ、山下監督や塩田監督などの若手監督に気を取られていましたが、これで是枝監督の株が一気に急上昇です。
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by galarina | 2008-09-01 23:11 | 映画(あ行)

ダークナイト

2008年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>

「何かもが凄すぎて絶句」

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(エンディングについて触れています)

既に多くの方が傑作と評し、アメコミ映画の最高峰と絶賛し、ジョーカーの提示する「悪」について、様々な方が様々な角度で語られているので、既にもう書くことはないんじゃないか。そんな風に思い、観賞してからずいぶん経つのに何も書けずにいました。圧倒されたとか、考えさせられたとか、実に平凡な言い回ししか浮かばず、どうすればこの世界観が伝えられるのかと筆も進みませんでした。

各俳優陣がすばらしいのはもちろんですが、個人的に興味深かったのは、物語の着地点です。抗うことのできない絶対悪に対してどう立ち向かっていくのか、というのは、911以降ハリウッド映画の共通テーマのように繰り返し語られてきました。ヒーローはいない。復讐してはならない。あまりにも同じテーマが多く、またどの作品も、結局抱える問題に明確な答を出せないジレンマがそのまま表現されてしまった、そんなもどかしさを感じずにはおれません。ところが、「ダークナイト」では、しっかりと結論が出されます。しかも、アメリカ映画としては、驚くべき結論ではないでしょうか。闇の世界に生きる。サクリファイス、自己犠牲と言う精神。ゴッサム・シティが世界、バットマンがアメリカ、ジョーカーがテロリストと考えた場合、バットマンが選んだこの道をアメリカ人は一体どう受け止めただろうかと考えずにはいられません。

非業の死を遂げたヒース・レジャー。ジョーカーを演じたことが、彼の死に何らかの影響を及ぼした、そう考えても全くおかしくはないほど、狂気が宿っていました。舌なめずりする仕草や独特のアクセントを加えた喋り方。彼がいかに自ら創意工夫して、己の中から絞り出すようにこの役を作り上げたのかが、実に良くわかります。病院を爆破するシーンで、スイッチをまるでおもちゃのように扱う。あのコミカルさが却って生々しく、背筋が凍りました。そして、主演のクリスチャン・ベール。私にはヒースの引き立て役とは思えなかった。善が悪を呼び、悪が善を呼ぶ。そんな、世界観が構築できたのも、彼いればこそだったのではないでしょうか。そして、マイケル・ケイン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマン。前回に引き続き、脇役のすばらしさは目を見張ります。こんなに脇が光っている作品って、ちょっと思い出せないですね。

善から一転して悪へと転化する「トゥー・フェイス」。その成り立ちは原作とは違うようですが、彼の存在が「ジョーカー(悪)VSバットマン(善)」という単純な対立構造からさらに一歩深い世界を作り出しているのは、言うまでもありません。アーロン・エッカート扮するデントが、自らを犠牲にして高らかに正義の使者ごとく立ち上がったにも関わらず、愛する者の死によって「社会のため」に生きることよりも、「個人の私怨」に生きることを選ぶ。このデントの生き様にもまた様々なメタファーが隠されています。

とにかく善悪の概念が揺れ動き、混沌とする様を描き出す脚本が秀逸。登場人物の配置の仕方、バランスの取り具合、何かもパーフェクトではないでしょうか。バットモービルなどのハイテク装備や基地内の様子は、近未来的ではありますが、色彩も少なく、実に無機質な作りで、何と「謙虚」だろうと思わずにはいられません。一方、爆破シーンやカーチェイスの場面は、徹底的に迫力を追求し、とめどない破壊をイメージさせます。また、ハンス・ジマーの音楽は、同じく担当した「ワールド・エンド」のようなわかりやすい主旋律を持ったものではなく、どちらかと言うと重低音のBGMに徹しているかのようで、これが作品のイメージとどんぴしゃり合っています。全てを統括した、監督クリストファー・ノーランの才能にただただ驚くばかりです。総合芸術の極みと呼ぶべき作品ではないでしょうか。
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by galarina | 2008-08-23 13:38 | 映画(た行)

月光の囁き

1999年/日本 監督/塩田明彦

「ふたりだけの世界」
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素晴らしいデビュー作です。原作の漫画は読んでいませんので、そのSM嗜好がどの程度作品に反映されているのかわかりませんが、これは見事に私の大好きな「一途な愛を受け入れる」物語なのです。周囲の人間がどんなに歪んでいると捉えようと、女がそれをかけがえのない愛だと感じるのならば、それに全身全霊で応えようとします。その瞬間、ふたりの間には誰も足を踏み入れぬことができない完璧な関係性が完成するのです。

結局、頑ななのはマゾヒストの拓也の方です。どうあがいても、彼は自分の愛し方を変えることはできない。SMの関係は、Mが奉仕しているのではなく、本当はSがMに奉仕しているのです。大けがを負った拓也に何度もジュースを買いに行かせ、いらないと撥ね付ける紗月。愛を受け入れた紗月の姿は感動的です。そして、川べりで寄り添うふたり。この一連のラストシークエンスは、愛の受容を映し出す素晴らしいエンディングだと思います。紗月はなぜか眼帯をしています。確かに滝壺で目の下に傷を負いましたが、眼帯をするほどのものだったでしょうか。これは、眼帯の女と松葉杖の男、というラストカットにしたかった監督のこだわりかも知れません。

前半部は、これぞ青春という淡い恋物語のように見せておいて、トイレの盗聴マイクという実に低俗な行為によって、晴れやかな恋模様がズドーンと一転、様相を変えて動き出す。この辺の進行具合も巧いです。また、舞台は香川県で登場人物たちの話す方言がすごくいいです。標準語なら、これだけ生々しい感じにはならなかったでしょう。主演のつぐみと水橋研二もすばらしくいいです。

このデビュー作はもちろんのこと、他作品を見ても塩田監督が足フェチだと言うのは想像に難くありません。本作のつぐみ、「害虫」の宮崎あおい、「カナリア」の谷村美月。どの主演女優もすらりと長い生足をぞんぶんにさらけ出しています。以前私はアニメ「時をかける少女」で長い生足に嫌悪感を覚えると書きましたが、不思議と塩田作品には全く感じません。それは彼が描く少女たちの存在がとてもリアルだからでしょう。細くて長い生足が、彼女たちの危うさ、力強さ、美しさなど実に多彩な面を引き出している。世のオヤジどもが少女幻想を抱く時にまっさきに思い浮かべる生足とは、むしろ対極の位置にある。そんな風に感じられるところが、私が塩田作品に惹かれる大きな要因かも知れません。
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by galarina | 2008-08-03 16:52 | 映画(か行)
1966年/日本 監督/今村昌平

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これまた大傑作。原作は、野坂昭如。エロ事師というのは、文字通りエロに関することなら、何でも商売にしている男。素人を連れてきてポルノを撮ったり、いやらしい写真をお堅いサラリーマンに売りつけたり、それはもうエロを尽くして生きぬいている、それが主人公スブやん(小沢昭一)。

人類学入門というタイトルからも窺えるように、スブやんを取り巻く人間どもを、まるで生態観察しているようにカメラは捉え続ける。これは、前作の「にっぽん昆虫記」と同じ。馬鹿で情けなくて非道の限りを尽くしている人間どもを遠くから客観的に眺めているようなロングショットが多数見られる。例えば、スブやんが会社の会議室でエロ写真をサラリーマンに売りつけているシーンは明らかに隣のビルからのショット。こうして、彼らと一定の距離を保ちながら、冷徹に見つめる手法で、人間の愚かさを際だたせている。しかし、目の前で繰り返されるのはあまりにも情けない人間模様でありながら、作品自体には品格のようなものすら漂う。それは、ロングショットを含め、そこかしこで見られるモノクロームの美しいカットが作品を彩っていること、前夫の形見として飼われているフナ(後の「うなぎ」に繋がっていると思われる)など様々なメタファーが作中で導入されていることなど、今村昌平のセンスと知性が全編にあふれているからだろうと思う。

こういっては失礼だが、坂本スミ子が布団の上に倒され悶えるシーンのアップなんて体して美人でもないのに、何と妖艶に見えることか。今村監督は、紅潮した頬というのがどうもお気に入りのようで、「赤い殺意」でも春川ますみのぷっくりした頬を非常に美しく撮っている。男に迫られる女の「ほてり」をこれだけ見事に表現できる監督は、他にいないと思う。

スブやんは内縁の妻の娘(中学生!)と寝てしまうし、その妻にしたって結局娘のレイプを容認してしまうし、ポルノの現場に自分の娘を差し出す男優だっているし、どいつもこいつもあきれてモノが言えないような奴ばっかり。ただ、そこに渦めくエネルギーたるや圧倒的で、「生」と「性」が渾然一体となって人間がそもそも持っている原始的な情熱とか、生きていくための狡猾さなんかが、まざまざと迫ってきて、本当にパワフル。ディスコミュニケーションだの、引きこもりだの、他人との距離をどう取ればいいのか悩んでいる現代にこういう作品を見ると、さらに感慨深いものがある。

スブやんのラストは、原作と違うらしいが、これまた今村監督らしい粋なエンディングだと思う。インポになって、娘や息子からも疎まれ川べりのぼろ船で生活するスブやんが最後に選んだ仕事は世界一のダッチワイフ作り。「陰毛を1本1本埋め込むんや」と言い、人形に向かうスブやんは狂っているようにも見えるし、崇高な仕事に携わる職人にも見える。そんな彼を乗せたぼろ船は、停泊中の川岸からいつのまにか縄がちぎれ、大海原へ。海上でぷかぷかと儚く浮かぶ船の中で陰毛と格闘するスブやん。嗚呼、人間とはなんと滑稽な生き物か。そして、船を捉えた映像が、冒頭の8mmフィルムへとつながり、それを馬鹿話しながら眺めるスブやんを映す。今村監督、巧すぎます。
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by galarina | 2008-07-29 14:34 | 映画(あ行)

カナリア

2004年/日本 監督/塩田明彦

「複雑な感情が私の中でせめぎあう」

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あまりに語りたいことが多い作品で困ります。まず「黄泉がえり」というミーハーキャストの大作を撮った後で、このような暗くマイナーな長編、しかも実に感動的な傑作を撮ったことが素晴らしい。ひとりの映画監督としての「ぶれのなさ」を強く感じます。

オウム真理教については、我々はまだまだ何のケリもつけていないと、強く思っています。あの事件を検証することも、熟考することも、反省することも、何もしていない。確かに本作の軸となっているのは、過酷な状況に置かれた少年と少女の生き様であります。親の身勝手で追い詰められる子供たちを捉えたストーリィは数多く存在しますが、やはりそれがオウム真理教であることで、私は再びあの事件の矛盾を深く考えざるを得ませんでした。教団内の様子など、本当はどうだったのかとも思います。しかし、一も二もなく描くことそのものが大事なのであり、またこのテーマに対して塩田監督が真正面から取り組んでいる覚悟が全編からびしびしと伝わり、それがとても感動的でした。

さて、「害虫」で感じた関西弁の「生」のイメージを、本作で再び感じることになるとは思いもしませんでした。谷村美月演じる少女の関西弁は、由希という少女の生きるエネルギー、タフさを象徴しているように思えてならないのです。由希という少女が発する全ての台詞は、光一の世界観を揺さぶる「リアル」そのものです。虚飾に満ちた光一の道しるべにざくざくと音を立てて切り込む由希の剥き出しな生が、実に印象深く心に残ります。力強く、生々しい谷村美月の演技を見て、関西弁という共通点もあるのでしょうが「大阪物語」でデビューした池脇千鶴を思い出しました。とてもいい女優です。

ラスト、絶望の淵に追いやられた光一が、ある衝撃的な変化を宿して、由希の前に現れる。それは、まさに生まれ変わりを示唆する劇的な変化なのですが、この展開にはやられました。エンディングらしい衝撃と言っていいでしょう。子どもを描く映画のラストは、希望であって欲しいと「害虫」のレビューでも書きましたが、手と手を取り合い、生きると宣言した彼の行く末は、一見希望があるように思えます。ですが、一方あの彼の姿、そして祖父にかけた言葉「我は全てを許すものなり」というセリフを見るに、あの忌まわしい教団の教え、彼の母親がそうなりたいと願ってやまなかった「解脱」の境地に達したかのようにも見えてしまい、苦々しい思いが私の心を満たすのです。最初から最後まで、様々な割り切れぬ思いが心を占めます。しかしながら、私にとっては非常に吸引力の強い魅力的な作品でした。目をそらさずに見るべき映画だと私は思います。
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by galarina | 2008-07-17 22:57 | 映画(か行)

机のなかみ

2006年/日本 監督/吉田恵輔

「こいつぁ、おもしれえ!」
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漏れ聞いていた噂からもっと手法のこだわりが前面に出た作品なのかと思っていたのだが、見事に裏切られた。見せ方に凝った映画が、後半ただの種明かしで終わって、チャンチャンとなってしまう虚しさとは無縁。むしろ、ますますドラマは面白くなり、オバサンも胸キュンの高校生の恋バナへと変貌。こいつは面白い!

家庭教師馬場のあまりの調子の良さ。こんなヤツいるぅ~と言う軽いノリとオフ・ビートな雰囲気。そして、いよいよ馬場が女子高生に襲いかかる…となったその瞬間、フィルム途切れて暗転。ドラマは最初に巻き戻し。ええ~っ。このだまし討ちのような意外性にまず拍手。第一部において、望の家庭教師に対する反応が徐々に変化しているのは、わかった。そして、それが馬場のせいではないことも。しかも、望が好きな相手も実は薄々感づいてはいたのが、それでも第二部がますます面白い。それは、主人公望を演じる鈴木美生の嫌味のない愛らしさ、揺れ動く乙女心が実に瑞々しく、観客のハートをがっしりと掴むからだ。その点において、私は吉田監督の演出力に感心した。だって、この望というキャラクターはうっかりすると、女性陣から猛反発をくらう「いじけキャラ」だからだ。カラオケ場面から展開される、まるでアイドルのPVみたくなシークエンスも、その確信犯的なやりように思わずニンマリとしてしまう。

全く内容を知らずに見たので、馬場から望へ、というバトンタッチが実に鮮やかで気持ちいい。「リップ貸して」を始めとする、高校生活のコミカルなシーンもそこかしこで効いている。親友とは名ばかりの友人、男たちのずるさ、父娘家庭のやや異常な日常など、明かされる机の中身は実にバラエティ豊かなテーマを内包していて、一体この物語がどんな結末を向かえるのかとラストに向けて期待がぐんぐんと高まる。何せ巻き戻ったシーンがあれですから。

そして、切なさ満開の第三部へ。男たちはあくまでもずるく。一方、女たちは愛をつかんだ者とまだつかめない者、対称的なエンディングへ。脚本をいじって小技を効かせた作品だろ、と高をくくっていた私は、強烈パンチを喰らいましたよ。お見事。
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by galarina | 2008-06-24 21:09 | 映画(た行)

接吻

2008年/日本 監督/万田邦敏
<梅田シネ・リーブルにて観賞>

「鑑賞後、どすーんと強い衝撃を胸に受けたような感触が残る。傑作。」

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彼を理解できるのは私だけ。彼を愛する資格があるのは私だけ。天啓を受けたかのように、殺人犯を一途に愛し始める女の孤独と狂気の物語。

万田監督のデビュー作「Unloved」の主人公光子は、仕事ぶりを評価されレベルの高い職を与えられるのを拒み、金持ちで分別もある若くてハンサムな男の愛を一途に拒否する。その拒否の物語は、世の中の価値観、とりわけ、女性ならきっと素直に喜ぶはず、喜んで受け入れるはずという価値観の真っ向否定だった。そこには、現代を生きる女性が抱える社会への矛盾が実に攻撃的な形となって現れている。まるで棒読みのセリフで淡々とした演出。しかしながら光子のあまりに刺々しい拒否反応が肌をざわつかせるほどの恐ろしさを見る者に与えた。

同じように「接吻」でも京子は、分別ある大人の代表としての役回りである弁護士、長谷川の再三の警告を拒否する。ただの思い込みと他人に見えるものも、京子にとってはもはや純然たる愛。唯一無二の愛だから、受け入れることなどできはしない。しかし、「Unloved」のように観賞者そのものを撥ね付けるようなムードはこの作品にはなく、極端な展開ながら、私は京子にどんどん呑み込まれていった。それは、この作品が恋愛映画としての強い吸引力を持っているからだ。

好きな男のそばにいたい。彼を励ましてあげたい。無理解な周りの人々に闘いを挑む我らは運命共同体なのだ。どんどんエスカレートしていく京子の行動を100%否定することができない私がいる。相手は、何の落ち度もない幸せな家族の命を奪った殺人犯。なぜそのような男を、と長谷川も言う。「あなたは彼が人の命を奪った事実を棚に上げている」と責める。だが、一度愛し始めたその感情は坂を転げ落ちるかのようにスピードをあげ、止めることができない。彼が殺人犯であること。それはそれ、なのだ。もはやそこに理性など存在せず、高ぶる感情がただあるのみ。その興奮、女性ならわかる、いや羨ましいとすら思えてくるのだ。そして、とうとう京子の狂気に長谷川までもが呑み込まれてしまう。なんと恐ろしい展開。

そして、驚愕のエンディングへ。あれは、一体どういう意味だろう、と頭が真っ白になった後、さらに追い打ちをかける京子のセリフ。そして、幕切れ。私は完全にノックアウトされた。エンディング時に味わうこの茫然自失な感じ。どこかで味わったことがある。ハネケの「ピアニスト」だ。

京子のあの行動、私は、坂口は運命共同体であるからこそ成し遂げられたが、長谷川には一瞬とまどった。そのとまどいに自分を愛する男への哀れみのような感情が侵入してきたからではないか、と推測した。しかし、恐らく正解などないのだろう。

無駄のない緊迫感に満ち満ちた演出もすばらしい。冒頭、事件の一連のシークエンス。襟首をつかまれ恐怖におののきながら、家に引きずり込まれる少女の表情がほんの一瞬映る。それ以外は直接的な描写はないが、これだけで背筋が凍った。また、坂口が獄中、事件当日を思い出す場面でも、前作「ありがとう」にも出てきた「手」の演出が登場。ぞくりとさせられる。そして、「私たちは謂われのない罰をたくさん受けてきた」と語る京子のセリフ、一つひとつが胸に刺さる。台本だけをじっくり読んでみたいほど、すばらしい脚本。

難役を自分のものにした小池栄子、お見事です。どこにでもいそうなOLがずぶずぶと狂気の世界に足を踏み入れていく様をリアルに演じた。田んぼのあぜ道で、刑務所のガラス越しで、切々と己の境遇を訴える京子のセリフにどれほど引き込まれたことか。そして、恐らくこれほどまでに凶悪な殺人犯は初めてであろう豊川悦司とじわりじわりと理性を失う弁護士、仲村トオル。まるでこの世には3人だけというほどの濃密な世界を見事に創り上げていた。もう一度、見たい。
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by galarina | 2008-06-09 00:00 | 映画(さ行)

昼顔

1966年/フランス 監督/ルイス・ブニュエル

「どこまでも続く夢想」
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ブニュエルは学生時代、よく見ました。今回続編となる「夜顔」が公開されるということで、久しぶりに再見。

改めて見直してブニュエルらしいシュールさを満喫しました。カルトムービーの匂いがプンプンします。セブリーヌが思い描く性的妄想のシーンになぜかくすくす笑いが抑えられない。馬鹿馬鹿しいのを大真面目にやっているショートコントみたいなんだもん。変な公爵の城に招かれて死体の真似をさせられ、雨の中を放り出されるという妄想では、「ウィッカーマン(オリジナル)」を思い出しました。この妄想シーンのおかしさというのは、ドヌーヴのまるで感情を表に出さないお人形のような目のせいもあります。一体、どこを見ているのってくらい、虚ろなの。昼の顔と夜の顔を持つセブリーヌだけど、本当は一日中夢を見ているのではないかしら。ずっと、心ここにあらず。

ドヌーヴの美しさには本当にうっとり。惚れ惚れします。ピン1本でまとめたアップのヘアスタイル。あれは、日本人のストレートな黒髪では、絶対に不可能。ピンを外してはらりと垂れる艶やかな金髪。金髪の美しさはもとより、その髪の豊かさに驚きます。ふわっふわの髪。そして、サンローランの素敵なお洋服。脱いだら陶器みたいに白い肌。やっぱり、ドヌーヴは最高。

セブリーヌが思い描く歪んだ性への欲望を、逆に男目線からの表現と捉える方もいるようです。さて、本当にそうでしょうか?夫とはできない。しかし、行きずりの男には快楽を感じる。それは、自分に罰を与えるという行為に潜む性的快感に根ざしているのかも知れませんし、そもそもマゾヒスティックな資質が彼女にあったのかも知れません。いえ、女というものは、自分を満たしてくれるものに対して根本的に貪欲な生き物と言えるかも知れません。短いカットバックで、セブリーヌの少女時代が映し出され、何かトラウマを抱えていることも示唆されます。しかし、作品の表面上はセブリーヌの本当のところがわからない、という見せ方にしている。そこが、この作品のすばらしさではないでしょうか。まあ、あの美しいドヌーヴを鞭で打つわ、顔に泥は投げるわ、雨の中に放り出すわで、さぞかしブニュエルは映画内プレイを堪能したんだろうというのは確実に推測できます。
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by galarina | 2008-04-02 23:00 | 映画(は行)