「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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狼少女

2005年/日本 監督/深川栄洋

「オーソドックスな力強さ」
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神社の境内にやってきた見世物小屋、というシチュエーションは確かに奇抜ですが、それ以外の子供たちの間で繰り広げられる人間模様は、いたってオーソドックスです。都会からやってきた少々おませで正義感の強い転校生の女の子、彼女のはつらつとした明るさに引かれる気弱な男子、貧乏ないじめられっ子の女子、彼女をいじめるガキ大将に嫌味な女子グループ。そうそう、昔はこんなんだった。誰もが幼き頃を思い出す、ごくごく普通の教室や放課後の風景。しかしながら、この映画が放つ力強さは何でしょう。

それは、昭和のノスタルジーなんて、感傷的な気持ちを引き出すことよりも、どっしりと、じっくりと子供たちの物語にフォーカスしているからなんでしょう。彼らの心の機微、揺れや迷いを丁寧に丁寧にすくい取ろうとしている。そんな作り手の真摯な姿勢が作品から感じられます。

私が気に入ったのはカメラです。父親と母親の間をゆらゆらと行ったり来たりして子供の不安な気持ちを表現したかと思うと、真正面から子供たちの顔をしっかり捉えて幼い心に芽生えた決意を表現したり。または、教室の机の下から斜めに構えたり、子供たちの周りをぐるぐると回ったり、スクリーン右から左へと橋の欄干を走る様をロングで撮ったり。とにかく、子供たちの生き生きとした様子を最大限に引き出しています。また、これらのカメラワークに応えるように、子供たちの演技がとても自然ですばらしいのです。

そして、去りゆく留美子をみんなで追いかけるラストシークエンスが堂々と物語を盛り上げます。これまた、物語としては実にオーソドックスな結末ですが、明が教室を飛び出してから、まるでカメラが子供たちの気持ちを乗せているかのように、カットが切り替わる度に切なさが二重にも三重にも膨れあがっていくのです。ランドセルが落ちてくる意外性と映像としての動きの付け方なんて、素直に「やられた!」と思いました。何とも、清々しい。心の洗濯をさせてもらいました。
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# by galarina | 2008-10-04 15:30 | 映画(あ行)

トランスフォーマー

2007年/アメリカ 監督/マイケル・ベイ

「後半の展開に唖然」

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つかみはOK。車がロボットに変化する、そのCGの凄さに素直に驚嘆。何でこんなにナチュラルな映像になるんだろうと。

カタールでの無差別攻撃、ボロ車に振り回されるサム、国防省でデータを盗むマギーと3つの物語が並行に描かれていく前半の1時間くらいは、結構面白かったです。それぞれのストーリィに謎が隠されていて、どう結びついていくのかとてもワクワクしたのです。ところが、ロボット戦士が5人現れて、これはマジンガーZ?またはガンダム?とも言うべきマンガ的な展開になってからは全くダメでした。ロボットは普通にしゃべりかけるし、お茶目な行動したりするし。うそ~ん。

「トランスフォーマー」って言うおもちゃもアニメも知らない私は、こういうものだと微塵も思っていなかったので、緊張感あふれる前半部とのギャップが大きすぎました。ロボットをかばい、涙するサム。こういう展開でいいんでしょうか…。物凄くお金はかかってますけど、日曜日の朝の子供向け番組を観ているような気分になって、もうテンション下がりっぱなし。話も荒唐無稽過ぎて全く駄目でした。救いはヒロイン、ミカエラを演じる女優、ミーガン・フォックス。とても美人でミステリアスな雰囲気がいいですね。ガンガンにトラックを乗り回して後半大活躍。近年のエンタメ大作系ではいちばん魅力的でした。
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# by galarina | 2008-10-02 08:35 | 映画(た行)

Sweet Rain 死神の精度

2008年/日本 監督/筧昌也

「原作の映画化としては大成功」

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原作を読んでいるのですが、正直この作品の映画化は難しいだろうと思っていました。なぜなら、6話程度のショートストーリィから成り、2時間という尺でうねりを出すような風合いの物語ではないからです。言わば、間を楽しむといった手合いの小説。しかし、観てみると期待以上の出来映え。ふんわりとしたムードを押さえつつ、3話のエピソードが死神を軸にしっかりと1つにまとめあげられています。これは、脚本がうまいですね。上手に削り、上手に付け加えました。原作に相棒の黒犬は出てきませんが、犬と死神が無言で会話するという現実離れしたシチュエーションも作品が醸し出す浮遊感をうまく盛り上げています。

何と言っても本作の面白味は、「何事も達観している死神」と「目の前の出来事に一喜一憂しているちっぽけな人間」の対比が実に良く効いていること。その一番の貢献者は、やはり死神を演じている金城武です。近年の彼の作品の中ではベストアクトではないでしょうか。浮世離れした風貌、飄々としたセリフ回し、どんな設定の人間になっても何色にも染まらない透明感。立場は人間より上ですが、全く嫌味がありません。しかも、その存在がでしゃばり過ぎていない。だから、3つのエピソードの人間たちの悩みや苦しみがきちんと際だっているのです。焦点の合わない目でヘッドフォンを付け、リズムに合わせて肩を揺らす様子も実におかしい。

また、3話のエピソードは時を超えて繋がってくるわけですが、ラストにかけてどうだと言わんばかりの仰々しさが全くないのも非常に好感が持てます。作り手としては、どうしても観客をあっと言わせたいがために、種明かし的な演出に走りがちですけれども、実にさらっとしています。そして、そのことによって、最終的には金城武演ずる死神の人生がクローズアップされてくるんですね。それまで語り部としての役割しか持たなかった死神に、初めてこの世の美しさ、人間世界の温かみといったものを体感させる。なかなかじんわりできるエンディングです。不安が多くて足が向かなかったのですが、こんなことなら、映画館で観れば良かったです。
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# by galarina | 2008-09-24 00:22 | 映画(さ行)

アキレスと亀

2008年/日本 監督/北野武
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「自虐の三部作、最終章。そして出発」
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てっきりみなみ会館での上映だと思ってたら、驚きのTOHO系シネコン上映でした。本作は、途切れることなく絵画が出てきますので、大きなスクリーンで鮮やかな色彩を堪能できて、これはこれで良かったです。日曜日の昼間の鑑賞でしたが、(私の)予想以上にお客さんは入っていました。6割程度でしょうか。これまた、驚き。これは、樋口可南子効果なのでしょうか。よくわかりません。

「好きではないけど、自分にしかできないものなら全うすべき」という仕事論にいたく感動した「デトロイト・メタル・シティ」と対極の作品。こちらは「好きなことなら、何が何でも続けるべき」という主張です。これはこれで、とても感動しました。敢えて言うなら「絵を描くのが好き」ではなく「絵を描くことしかできない」男の物語。

主人公、真知須の周りでは、ばったばったと人が死んでいきます。まるで、疫病神のようです。その中には、その人の死が明らかにトラウマになるようなものも多数あるのですが、真知須は絵を書くことを止めません。 それらの死が彼にどんな影響を与え、また、その死を彼がどう受け止め、乗り越えていくのかに物語をクローズアップさせれば、これはもっともっと感動的なストーリィに仕上げられることは、間違いありません。しかし、ご存じのように北野武は、そのような感傷的に物語を進行させることは一切しません。実に飄々と何事もなかったかのように、ただただひたすらに真知須は絵を描き続けるのです。

さて、「TAKESHI’S」「監督、ばんざい!」と三部作だと考えるのならば、真知須はやはり「好きな映画を撮り続ける北野監督自身」だと言えるでしょう。そうすると、親子二代に渡って彼の絵をけちょんけちょんにけなしたり、あれこれ文句を言っては売り飛ばしてこっそり儲けている悪徳画商の存在は、さしずめ映画プロデューサーになるのでしょうか。大森南朋が嫌味な男を演じていますが、バッチリはまってます。 基礎を勉強しろだの、流行を知らないだの、言いたい放題です。映画の勉強をせずにいきなり監督デビューした北野監督に浴びせられたこれまでの罵詈雑言を彼に言わせているのかとこれまたオーバーラップします。

映画の中盤では、真知須が仕事を抜け出しては仲間たちとアート活動に興じるのですが、ここがとても楽しいんですね。スクリーンには常に鮮やかな色彩が踊っていますし、若いからこそできる無茶ばっかりやって、アートとは何ぞや!と青臭く息巻いている様子が観ていて微笑ましい。この、中盤の高揚感こそ、北野マニアではなく、一般的な観客からもこの映画が支持される(とするならば)ポイントではないかと私は思いました。

本作では、それまでの多数の死も含め、人々の目を楽しませ、心豊かにさせるという芸術が持つ良い側面は、一切描かれません。真知須の志す芸術はただ周りを不幸にし、己に何の見返りももたらさない。真知須自身絵を書くことで、心が満たされているかというと全くそんなことはない。最終的には狂気をまとい、遺影の中に収まる自分をアートに見立てて、死と隣り合わせの時を過ごす。それでも、描かずにはいられない。そんな心境を北野監督は、「ようやくアキレスは亀に追いついたのだ」と自ら終結させた。これにて、いったん己を見つめる作業は終了、ということになるのでしょう。次回作は何になるのか楽しみです。
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# by galarina | 2008-09-22 14:13 | 映画(あ行)

ヒロシマナガサキ

2005年/アメリカ映画 監督/スティーブン・オカザキ

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世界で唯一の被爆国、日本が当たり前にしなければならないことが、全くできないでいる。本作を見て、まずそのことを痛感しました。その虚しい現実に打ちのめされそうになりました。原爆の経験と歴史を伝えられるのは、日本人にしかできないのに、もはや伝えることができる人たちがこの世から消え去ろうとしているのです。

痛みを共有することが難しい世の中になりました。感情的な発言はすぐ槍玉にあげられ、相手の立場に立つ前に自己主張ばかりする。世の中はいつからこんなに乾いてしまったのかと虚しい気持ちになることが増えました。それでも、映像の力は偉大です。被爆者たちの証言の生々しさ、その圧倒的にリアルな言葉は観る者の胸を打ちます。

被爆した日本女性がアメリカに渡り無償の治療を受けていた。それをテレビ番組で放映し、被爆した日本人牧師とエノラゲイの乗組員を握手させる。アメリカ的プロパガンダに辟易しつつも、全ての歴史は発信する者、受け止める者によって、さまざまな解釈が可能であり、一面をもって語ることができないことは重々承知。その事実を知ることから、全てはスタートするのです。ですから、本作で初めて見る映像の数々は、全て私にとって実に貴重な経験でした。

なぜ日本の中学校や高校は修学旅行で広島や長崎に行かないのでしょう。なぜ日本は平和教育にもっと力を入れないのでしょう。もしこの映画を全国の中高生に見てもらう運動をしたら、思いもよらない団体から圧力でもかかってしまうのでしょうか。今すぐ始められること、たとえそれがごくごく小さな一歩でも始めなければ、とりかえしのつかないことになってしまうのでは。ひとりでも多くの日本人に見ていただきたい作品です。
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# by galarina | 2008-09-14 00:09 | 映画(は行)

闇の子供たち

2008年/日本 監督/阪本順治
<京都シネマにて鑑賞>

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救いがないとは聞いてはいましたが、これほどとは思いませんでした。それは、やはり原作を改編したという、主人公南部の秘密があまりに強烈で。これから、ご覧になる方もいると思いますので、内容は控えておきます。何かがあると聞いてはいたのですが、私はこれは全然予測できませんでしたので、余計に呆然となりました。

この改変については、賛否が分かれることでしょう。しかし、私は阪本監督が並々ならぬ意思を持って、このエンディングにしたという決意を感じました。「我々観客=幼児売春、臓器売買などやってはいけないというモラルの持ち主」は、後半に行くにつれ、その思いを主人公南部に託します。なんとかしてくれ、と。それが、あのエンディングですから。これは、その思いを人に託すな、自分の意思で行動せよ。というメッセージだと私は受け止めました。

非人道的な臓器売買が行われるのがわかっていながら、どうしようもできない。しかし、南部は「俺はこの目で見るんだ」と繰り返し言います。まさしく、この言葉こそ我々観客にとっては、「私たちは今このスクリーンでそのどうしようもない事実を自分の目で見るのだ」という行為につながっているように思います。

そして、ラストカットがすばらしいのです。ああ、なのに。流れてくるのは桑田のかる~いサウンド。苦々しい余韻が吹っ飛んでしまいました。あれは、ないでしょう、ほんと。

阪本作品は人情悲喜劇が好きなのですが、本作では笑いを誘うようなセリフや間など全く存在せず、ひりひりと痛い2時間が過ぎていきます。私が感銘を受けたのは、作品のほぼ9割ほどを占めるタイでのロケです。人々がごったがえす街中や、暗い売春宿など、まるでそこに居合わせているようなほど、リアルな情景が続きます。ロケハンを始め、現地スタッフとのやりとりなど、苦労が多かったろうと思いますが、見事に報われています。そして、子供たちの演技がとても自然です。阪本監督は子供たちへの演技指導、そして演技後のケアにとても力を注がれたと聞きましたが、彼らの無言の涙とスクリーンを見つめる目に胸が締め付けられました。

この事実をひとりでも多くの日本人に伝えたい。本作の存在意義はその1点に尽きると思います。江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡。もしかしたら、別のもっと堅実な俳優陣が出演していた方が、作品としてはもっと落ち着きのある重厚な感じに仕上がったかも知れない。それは、否めません。しかし、彼らのような有名俳優が出演していることによって、より多くの観客動員が見込めるのなら、そちらを選択する、ということではないでしょうか。現在の観客動員ももしかしたら「篤姫」効果かも知れない。それでも、いいから見て欲しい。そういうことではないでしょうか。そういう意味において、周防監督の「それでもボクはやってない」と立ち位置の似た作品かも知れないと感じました。
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# by galarina | 2008-09-13 11:29 | 映画(や行)
2007年/日本 監督/松尾スズキ

「寄せ書きを捨てるということ」
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「精神病院が舞台」というのは、題材として、とても難しいと思います。ひねくれ者の私は、患者たちの特異なムードを監督の「やりすぎ」「狙いすぎ」に感じることが多々あります。しかし、その特異性を描かないと、精神病院にならないですから、その塩梅をうまく表現することが大きなポイントなんでしょう。それで、思いっきり引いちゃったのが「ベロニカは死ぬことにした」。入院患者たちの舞台劇さながらの鷹揚な演技がダメでした。

ところが、本作で描かれている精神病棟の様子は、高校の女子寮みたいに見えなくもありません。りょう演じる看護師は、さしずめ鬼寮長と言ったところでしょうか。金の亡者に過食や拒食、引きこもり。どこぞの女子寮でも覗けば、こんな子たちがいそうです。常に脱走を試みる女子もいますし。ですから、精神疾患という、やや距離を置きがちな世界がとても身近な存在に見えてきます。ですから、「狙ってる」なんて穿った見方をせずに実にすんなり我が身に置き換えて見ることができました。

また、松尾スズキ監督のライトなノリが、本作ではうまくハマっています。そもそもタイトルである、拘束衣を着せさせられる独房を「クワイエットルーム」と表現する。そういった深刻なものをいったんライトなものに転換させて、観る側の興味を引きスムーズに心に落とさせる。そんなやり方が本作では成功していると思います。夫との生活が退屈で朝から晩までお笑い番組にのめり込むというのも、絵的には笑いを誘いますが、精神状態はずいぶん深刻ですよね。

明日香の経験したことは、言ってみれば、堕胎、離婚、仕事のストレスと、現代女性なら誰もが経験するかも知れない人生の分岐点。そんな彼女が隔離病棟の仲間たちとの交流によって、前を向いて生きることを選択する。しかし、病院を出るときには、寄せ書きを捨てること。このメッセージが、すごく効いています。人生をリスタートするためのほろ苦い選択。決別と決意。久しぶりの本格女優復帰となった内田有紀の演技もすがすがしく、なかなかの良作でした。
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# by galarina | 2008-09-12 13:51 | 映画(か行)

フリージア

2006年/日本 監督/熊切和嘉

「いつ、どこか、わからない場所」
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犯罪被害者が加害者を処刑することができる“敵討ち法”が存在する近未来の日本を舞台に、感情を失い機械のように任務を果たすプロの執行代理人が、過去のある事件でつながった宿命の相手と対決するさまを描く。

近未来の日本という設定ですが、全然未来っぽくないんですよね。昔ながらの建物もあるし、すごい車やロボットが出てくるとか、一切なし。片や、映像は一貫してセピアトーンで、銃で撃たれた時にぶしゅっと飛ぶ血にデジタル処理がされていたりして、スタイリッシュです。この無国籍で不思議な感じ、私は好きですね。

それに仇討ちが始まる前に周辺住民に一時避難を勧告するアナウンスが流れるのですが、これが小学校のグランドに流れる校内放送みたいでね。人殺しがあるから、よい子の皆さんは逃げなさい、とでもいいたげな感じ。不気味です。この避難勧告シーンが私は気に入りました。

ひどいトラウマによって痛みを感じなくなってしまった男が主人公ですが、人間ドラマとしてのうねりみたいなものは、熊切監督は敢えてそんなにフォーカスさせようしていないのではないか、と私は感じました。2時間の物語の集結として、トラウマを乗り越えるという結論にはしているけれどもね。仇討ち、凍る子供、痛みを感じない、狂ったように銃を撃つ…。これらの漫画から想起されるイメージを熊切監督流に料理したと言う感じでしょうか。冷たくて、暗くて、感情のない世界、私たちがすぐにイメージすることの難しい、日本のどこでもない場所。この舞台こそが主人公に思えましたし、甘っちょろさ皆無の無慈悲な感じが、熊切監督らしくて好きです。これは、感覚的な好き嫌いが別れる映画かも。
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# by galarina | 2008-09-11 23:26 | 映画(は行)

傷だらけの男たち

2006年/香港 監督/アンドリュー・ラウ アラン・マック

「光と影のコントラストが弱い」
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冒頭、夜のバーで見張りをしていた刑事たちが犯人を追跡するシーンで幕を開けますが、ここはすごくいいんです。刑事が走る、車で追っかける、ガサ入れに行く。さすが警察物をたくさん作っているだけあって、こなれてます。日本の刑事物がドタバタした感じなのに、とてもスマートなんですよね。かっこよく見せるテクニックがあります。

ところが、ヘイの過去が見え隠れする後半に従って、物語のスピードは失速しているように感じました。「インファナル・アフェア」の製作チームが再び結集だからでしょうか。やたらと古い記憶のフラッシュバックのシーンが多く、ミステリアスなムードを盛り上げようとする。しかし、このフラッシュバックがあまり効果的には感じられませんでした。というのも、この手法により、敏腕でクールな刑事ヘイが実は過去に何かを背負っているというのは明らかです。しかも、かなり早い段階から推測できます。観る側としては、その秘密は何かとドキドキするわけですが、明かされる秘密が結構予測通りなんですね。ちょっと、がっかり。だったら、フラッシュバックなんか用いずに、全く種も蒔かずに、素直にどんでん返ししてくれた方が、サスペンスとしてはよっぽど盛り上がったように感じました。

トニーと金城くんの対比が弱いんですよね。ポンの追跡によって、ヘイの真実の姿が見えてくるのですけど、追えば追うほど傷を負う。何かを失う。そんな駆け引きが少ないのです。マカオに行って調べたら真実がわかりました、ということで、ミステリーとしてもひねりが少ない。そして、アル中の金城くんが今ひとつ。やさぐれてないの。どん底までひねくれちゃった男には見えないのね。カッコ良すぎるのが仇になっているのかも知れません。トニーの方がこの役は合ってたかも。
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# by galarina | 2008-09-10 23:47 | 映画(か行)

フランドル

2005年/フランス 監督/サミュエル・ボワダン ブリュノ・デュモン
<2006年カンヌ映画祭グランプリ受賞作>

「もう少しの我慢、もう少しの我慢で終了」

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フランス最北部、フランドル地方の小さな村。少女バルブは、村の男たちとセックスを重ねている。やがて男たちは次々と戦争に召集され、どことも知れない戦場へと送られた。男たちが戦場で残忍行為を繰り返すにつれ、故郷に残るバルブの精神は日に日にバランスを失っていく…。

前半部が苦痛を伴うほど退屈。寒々しいフランドルの自然を捉えたショットは、この地方に住む人々の寂寥感を見事に表現している。これらのショットには、絵画を鑑賞するような味わい深さが確かにある。屹立する木々を捉えたショットは、ゴッホの「糸杉のある道」を思い出させる。しかし、見事ではあっても、そして美しくはあっても、スクリーンに引きつけられるような感覚には、残念ながら陥らなかった。というのも、彼女をまるで欲望処理機のごとく扱う男どもが見るに堪えない。そして、誰と寝ようが空虚な眼差しのバルブ。このあまりにも乾いた男女関係に、一体何を見いだせばいいというのか。

後半部、戦場で残忍な行為を繰り返す男たちの心がすさんでいくのに呼応するかのように、バルブは精神を病んでいく。たまったもんじゃない。バルブは、肉体的にも、精神的にも男たちのはけ口。戦場で多数の男に強姦された女性も、たとえその男たちが仲間から処刑されたって救われない。ああ、神様。平穏の時も、極限の時も、剥き出しにされる男たちの獣性に鉄槌をくだしてください。これは、そうやって、神に祈らせるための映画なんだろうか。確かに戦争の痛みを描いた作品。しかし、あまりに静かすぎるその筆致に、一握りの怒りも憐憫も感じることができなかった。何度も停止ボタンを押しかけた91分。
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# by galarina | 2008-09-09 00:20 | 映画(は行)