「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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海辺のポーリーヌ

1983年/フランス 監督/エリック・ロメール
<3つめの格言:言葉多き者は災いの元>

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「まぶしいばかりのラストショット」

15歳のポーリーヌは、従姉妹のマリオンとヴァカンスでノルマンディーの別荘にやってくる。マリオンは知り合ったばかりの中年男アンリにのぼせあがるけど、昔のボーイフレンドピエールに言い寄られて困ってしまう。ポーリーヌは同じく避暑で来ている少年シルヴァンといい感じになるのだけど…。

15歳の純真少女ポーリーヌを演じるアマンダ・ラングレがとっても可愛い。そして、この少女の目を通して描かれるのは、大人たちのずるさと愚かさ。もうね、みんなバッカじゃないの!ってくらい、自分勝手なのよ(笑)。離婚経験したくせに、すぐによく知りもしない妻子持ちに夢中になるマリオン。男のエゴを絵に描いたようなアンリ。自分の気持ちだけ押しつける直情男のピエール。ポーリーヌじゃなくとも、大人って馬鹿よね~とため息尽きたくなりまさあな。

結局、いちばん聡明なのはポーリーヌなのね。アンリに裏切られて、愚痴るマリオンに対して、優しく話を聞いて包み込んであげる。年齢にしても、人生経験にしても、普通逆だろ?と思うんだけど。ポーリーヌは、大人の事情に巻き込まれていくシルヴァンと最終的には縁を切っちゃう。ほんと、彼女がいちばん大人よね。別荘を去ってゆくポーリーヌを車の中で捉えたラストショット。ふわふわと軽やかなボブカットに木漏れ日がたくさん当たって、本当にキレイ。、ひとまわり成長した少女の美しさが凝縮されたすばらしいカットです。

従兄弟のマリオンを演じているのは「美しき結婚」にも出ていたアリエル・ドンバール。この人のふわふわの金髪とナイスバディには、クラクラしちゃう。作品では、アンリに一目惚れしちゃう尻軽女ですけれども、なぜか憎めません。ロメール作品の女性陣は、軽薄で思慮の浅い女性陣もたくさん出てくるのですけど、この憎みきれない理由は、彼女たちに打算が見えないからという気がします。自分に素直、思いのままに行動し、傷つき、嘆くけれども、またすくっと立ち上がる。そののびやかさを見ていると、しょうがないなあなんて気になるんですね。

それにしても、バカンスと称して、仕事もなにもかもから解放されて、海辺の街でのんびりできるヨーロッパ人がつくづく羨ましい。
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# by galarina | 2008-10-24 16:26 | 映画(あ行)

美しき結婚

1981年/フランス 監督/エリック・ロメール
<2つめの格言:どんな心も、野で獲物を追い、空中に楼閣を建てる>

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「妄想オンナの微笑ましい暴走」

美術学校に通うサビーヌは、不倫という恋愛関係に終止符を打ち、突然結婚願望に目覚める。親友のクラリスに弁護士エドモンドを紹介してもらうも、「私はこの人と結婚する」と猪突猛進。ひとり結婚への妄想が転げ落ちる雪玉のように膨れあがり、彼女の行動はどんどんエスカレートしてゆく…。

「飛行士の妻」の思い込み男フランソワが、今度は女性になった感じでしょうか。端から見ていると「なんで、そうなるの!?」というサビーヌの的外れな行動ぶりに開いた口がふさがりません。さて、この勘違いオンナ、サビーヌを微笑ましく見られるか、それとも冷ややかに見てしまうか、これまた観客の印象は分かれてしまうところ。正直同性としては、鼻持ちならんオンナだなあってもありますが、主演のベアトリス・ロマンがとてもキュートで、他人事として見る分には、なんだか微笑ましい部分もいっぱい。

この作品の面白さは、一目惚れした弁護士エドモンドとの結婚妄想に走るサビーヌを誰もいさめないということなんですね。これがフランスの個人主義ってもんなんでしょうか。中でも一番の驚きは、母親の反応。なんだかんだ言って、最終的にはアンタの好きなようにやりなさいって、ところに落ち着く。こんなの日本じゃ考えられません。

それでも、お騒がせ少女の周りにいる人たちは、彼女に同調したり、慰めたり、本当に大変。サビーヌがひとりで空回りしているから、周りの人たちとの会話も全然噛み合ってない。このズレを楽しめるのは、観客がいちばん客観的な立場にいるからこそ。ちょっと「アメリ」なんかも、感じが似ていますね。適当にあしらっていたエドモンドがサビーヌに押しかけられて、ようやく「キミとは付き合えない」と宣告する。男たちよ、態度をはっきりさせないと、オンナって生き物は妄想で突っ走るから気をつけたまえ、という皮肉でいっぱいの作品かも知れません。

しかも、最終的には結婚するわけでもなく、むしろサビーヌの結婚願望は打ち砕かれてしまう。それで、「美しき結婚」というタイトルなんですから、その意地悪ぶりに笑ってしまいます。
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# by galarina | 2008-10-22 17:42 | 映画(あ行)

飛行士の妻

エリック・ロメールって、とても好きな監督。特にちょっとした男女のすれ違いをベースにしている昔の作品群は、物語として大したことは何も起きないのに、どうしてこんなに面白いのと思えちゃう。ロメールは「○○シリーズ」と称して、連作を撮ることが多い。私の一番のお気に入りは春・夏・秋・冬にちなんだタイトルがついた四季シリーズだけども、今回は「喜劇と格言劇集」。これまでバラバラに見ていたので、最初から順番に見てみる。

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1980年/フランス 監督/エリック・ロメール
<1つめの格言:人は何も考えずにはいられない>
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「アパルトマンでの饒舌な長回し」

夜郵便局でバイトをしているフランソワは、夜勤明けに年上の恋人アンヌを訪ねるとアパートから男が出てくるのを見てしまう。アンヌは浮気をしていると思い込み、しつこい電話作戦、待ち伏せ作戦に出るけど、アンヌが逆ギレ。たまたま、同じバスで件の男を見つけ、今度は尾行作戦に出るのだけど、なぜか自分が尾行されているとこれまた勘違いした少女に付きまとわれてしまう…。ロメールの映画って、こうやってストーリーを書くと、ほんと大したことないんだなあ(笑)。こんな物語のどこが面白いの?って感じでしょ。

年下で学生のフランソワは年上の彼女アンヌに対して、いろいろとひけめを感じている。それが、余計にいらぬ疑念をよんでしまうんだけど、彼のその若さゆえの直情的な行動をカワイイと思えるか、うっとおしいと思えるか、見る人によってそれぞれでしょうね。正直、私はこの子ウザいな(笑)。

勘違いが勘違いをよんで、なぜか浮気相手でもない男を、なぜか偶然出会った少女と尾行するはめに陥る。このどんどんズレていく感じは、見ていてとっても楽しい。「私をつけてたんでしょ?」「違うよぉ~」という誤解から始まり、最終的にはカフェで恋の相談に。で、この間、フランソワと少女リシューはのべつまくなしにたわいもないことを喋り続ける。この「たわいもない」おしゃべりの楽しさがポイント。全然、中身のない会話で、ただおしゃべりしてるだけで、これだけ間を持たせられるっていうのは、すごいテクニックだと思う。それは、セリフの間とかテンポが良いこと、ふたりの会話がとても自然なこと、尾行しているハラハラ感がちょっとしたアクセントになってること。いろんな要素が溶け合ってるんです。

公園での長い尾行が終わり、ラストはアンヌの部屋。真偽を問い糾そうとするフランソワに、頼むから帰ってくれと懇願するアンヌ。この辺りからカメラは嘆き、怒り、涙するアンヌを延々と撮り続ける。一体、何分ぐらいあるでしょう。10分はゆうに超えてると思います。でも、全然空気がだれないってのが凄い。

長回しって、視点をある程度の時間固定することによって、観客がまるでその場にいるかのような錯覚を持たせる効果があると思います。でも、そこにちょっとでも不自然な雰囲気が漂うと、途端に居心地が悪くなる。例えば、先日見た「ぐるりのこと」でも、今日はセックスをする気がしない、いやしなくちゃいけないと、夫婦が何ともくだらん会話を部屋で延々とする長回しがありました。これも、やってることは同じなんですよね。だけど、こっちは見てていいかげん、カメラ切り替わんないかな、なんて思っちゃった。

本作の場合、部屋のベッドに下着姿でぺたりと座りこむアンヌという、実にミニマムな構図。このスクリーン上に余計な物が何もないって言うのがいいんでしょうね。元カレに決定的な別れをつげられ、年下の男にはいらぬ嫌疑をかけられ、くたくたになったアンヌから発せられる泣き言にじいっと耳を傾けてしまう。この繰り言は本当に脚本に書かれたセリフなんだろうか、と疑ってしまう。また、ロメールはパリらしい小さいアパルトマンの部屋の中のシーンというのがとても多くて、よくこんな狭い空間で面白い映像が撮れるもんだなあと感心してしまうのです。
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# by galarina | 2008-10-20 16:54 | 映画(は行)

恋の門

2004年/日本 監督/松尾スズキ

「躁鬱ムービー」

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極彩色の映像にテンション高いオタクな世界。冒頭しばらく見て、クドカンか、はたまた中島哲也が頭をよぎる。しかし、この独特のハイな感じは何か違う。これぶっちゃけ躁状態でしょ。メーターふっきれるくらいテンションあがったかと思うと、ドーンと落ちる。これは、鬱。つまり、とても躁鬱的な展開なのね。3人がコンクールに応募しようとマンガを描いて、描いて、描きまくる。すばやくカットが切り替わりみんな「気持ちいー!」と叫ぶ。ここは、躁のてっぺん、つまりトランス状態に入ったところ。つまり、この映画には作り手の精神的不安から来るアップダウンな精神状態が如実に反映されているとしか思えないのです。それが、妙に私のツボにはまりました。でね、「クワイエットルームにようこそ」が面白くてこれを見たわけだけど、松尾スズキが次作で精神疾患の女性を主役にしたのは、これを見て大いに納得という感じなの。

「何だ、それ!ぎゃはは」と笑えるポイントはことごとく、「イってるよね、この人(松尾スズキのこと)」と言うつぶやきが頭をよぎってしょうがない。だって、小日向英世のボンデージと平泉成のアフロには、おったまげましたよ。塚本晋也だの、三池崇史だの、庵野秀明だの、監督たちのカメオ出演は数あれど、こんなにおかしな人々が集う映画ってそうそうないでしょ。

趣味の違う門と恋乃が境界線を越えようと行ったり来たりするのは、いわゆるラブストーリーではありがちな恋の障壁ですが、サブカルとオタクがドッカンドッカンぶつかるその様はさながら異種格闘技のような面白さ。そして、キスシーンの多いこと。しかも、ちゅぱちゅぱと生々しいキスシーンのくせにちゃあんと胸がキュンとなるんだわさ。エロいくせに、キュートなシーンも用意しているあたり、おぬしやるなあ、なんてね。ボロぞうきんみたいな服装の松田龍平くんもいいねえ。小汚い系男前は長らくオダジョーに軍配をあげていたのだけど、お嬢様の香椎ちゃんと無難に結婚したもんで、再び龍平くんも応援しよっと。

以下、私の勝手な監督評。哲学漫画「真夜中の弥次さん喜多さん」をシュールなナンセンス映画に仕上げたクドカンは、とてもクレバーな人だと思ってる。あんな風に見せておいて、実は物凄く頭の切れる人。「松子」の中島監督は、狂騒的に見せるけど、すごく綿密に計算している人。で、松尾スズキはと言うと、感性で勝負している、アーティスト型。理屈でとらえようとするより、肌で感じる方がいいのかも。演劇にはめっぽう疎い私は、ついこの間までクドカンも松尾スズキもほとんど一緒だったわけだけど、私の肌に合うのはどうやら松尾スズキとわかりました。収穫の1本。
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# by galarina | 2008-10-18 20:47 | 映画(か行)
1977年/フランス・イタリア・西ドイツ 監督/リリアーナ・カヴァーニ

「魅力に欠けるサロメ」

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実は大学で哲学を専攻してまして、とりわけニーチェは好きな哲学者です。ですが、本作でのニーチェは「超人」なんてどこへやら、女に振り回されて病気がちなへっぽこじじいなもんで、かなり魅力にかけます。リリアーナ・カヴァーニは、「愛の嵐」が素晴らしいだけに、私は物足りないです。

で、その物足りなさの元は、ルー・サロメを演じるドミニク・サンダ。妖艶には程遠く、いかつい、いかつい。知性で男を呑み込むような威厳にも欠けます。ふたりの男を愛し、双方にもその関係性を納得させた上で同居する。誤解を恐れずに言うなら、これ理想です。でも、私は本作のルー・サロメがちっとも羨ましいとも、イカしてるとも思えなかった。やはり、こういう作品はどうしてもオンナ目線ですから、男性が見ればこの関係性に男の悲哀を感じるのかも知れません。

まあヴィスコンティ同様、いかにもイタリアン文芸エロス!な匂いはプンプン漂っております。そういうのがお好みの方は、それなりに満足できると思います。このイタリアン文芸エロスの匂いの素は、一体どういう描写に潜んでいるのか、と思いを馳せたところ、本作で言えばバレエシーン。前作「愛の嵐」でナチ将校を前に踊ったバレエダンサーが再び登場。恐らく、ニーチェの夢という設定でしょう。白塗りの全裸(!)の男がふたりで黙々とダンスします。これがね、美しいんですけど、キワモノ的ムードもいっぱい。大真面目ですけど、なんか変。見てて恥ずかしくなる。この感覚がイタリアンエロスの妙なのかしらという気がします。
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# by galarina | 2008-10-16 21:06 | 映画(ら行)

容疑者Xの献身

2008年/日本 監督/西谷弘
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「今回ばかりはフジテレビの我慢ぶりを称えたい」

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なんと、なんと、出来映えは、予想以上。ちょっと意外なほど。確かにドラマ『ガリレオ』の様式は残していますけど、かなり原作を重んじました。これ、大正解。今回、フジテレビはずいぶん我慢したんじゃないでしょうか。

冒頭、ドラマ同様、犯罪を立証する大がかりな実験から幕を開けます。これは、もろドラマファンサービス。でも、つかみとしてはアリでしょう。非常にワクワクします。以降、物語が動き始めてからは、石神(堤真一)と花岡靖子(松雪泰子)のふたりの関係に完璧にシフトします。冷静になって考えると、いくらドラマがヒットしたとはいえ、直木賞受賞作の映画化。もしかしたら、観客の比率は原作ファンの方が多いかも知れません。原作をいじれば、読者からの反発は大きかったでしょう。

それにしても。この映画の主役は、堤真一でしょう。この役、彼じゃなかったら、どうなってただろうと思います。確かに原作の石神はルックスの冴えない醜い男として描かれていて、堤真一とはギャップがあります。しかし、もしこの役を原作通りの見た目の俳優が演じていたら、それこそイケメン福山雅治ひとりが浮いてしまって、ドラマ的軽薄さが増したでしょう。あくまでも、福山雅治とタイマンを張る俳優ということで、堤真一にしたのは、とても賢い選択だったと思います。原作読んでるのに、ラストシーンは、かなり泣いてしまいました。また、松雪泰子もとてもいいです。最近多くの話題作に出ていますけど、「フラガール」より「デトロイト・メタル・シティ」より、本作の彼女の演技の方が引き込まれました。。

映画館を出てから息子に「あのシーン、なかったなあ。あの、ヘンな数式、その辺に書き殴るヤツ」と言われて気づきました。確かに。小学生の息子がヘンだと言うのですから、あれを映画に入れていたら台無しだったでしょうね。湯川先生(福山雅治)と内海(柴咲コウ)の関係にしても、あのフジテレビですから、ほんとは恋愛関係に持って行きたいところじゃないかと思います。しかし、我慢しましたね。「友人として」話を聞いてくれ、と湯川先生に言わせて、それをはっきりと表明しています。まるで「このふたりのキスシーンは我慢しました」というフジの製作者の無念の声が聞こえてくるようです(笑)。

結局、原作の力が大きいのです。そして、それは良い原作なのだから、それでいいのです。個人的には東野作品は「白夜行」のような重い物語の方が好きです。「容疑者Xの献身」が直木賞を取ったときも、正直これより前の作品の方が面白いのあるじゃん、と思いましたしね。でも、映画化ということで考えれば、この作品は向いているのかも知れません。数学VS物理の天才、という構図だとか、アリバイのトリックとか。確かに見終わって、あのショットがとか、脚本が、といういわゆる映画的な感慨もへったくれもないわけです。ただヒットドラマの延長線上で作った、というノリは極力抑えようとしたことが良かった。よって、ドラマファンの息子はもちろん大満足、そして東野ファンのオカンもそこそこに満足、という両方のファンをそれなりに納得させたことにおいて、今回ばかりはうまくフジがバランスを取ったな、と思います。 1本のミステリー作品としても、秀作ではないしょうか。
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# by galarina | 2008-10-14 17:27 | 映画(や行)

ぐるりのこと。

2008年/日本 監督/橋口亮輔
<みなみ会館にて鑑賞>

「静かに強く生きたい。このニコイチ夫婦のように」
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私にとっては、「歩いても、歩いても」と、この「ぐるりのこと」が公開前から楽しみにしていた作品。とても良かったです。

バブル期以降、世間を賑わせた有名殺人犯が次々と出てきます。この法廷シーンの異様さが淡々とした夫婦物語と馴染まないと感じられる方もいるかも知れません。しかし、これなくしてこの映画は語れないのだろうと思います。妻、翔子(木村多江)は子どもを亡くしたことをきっかけに精神を病んでいくのですが(これが流産なのか、産後に何か不測の事態があったのかははっきりと描かれていません)、それは同時にすさんでゆく日本という国そのものに呼応している。または、そのものかも知れないと感じました。

夫のカナオ(リリー・フランキー)は、何をしても頼りなく、自分の意思を口に出さない男。そこらへんのおねえちゃんにすぐちょっかいを出す、なまっちろい男として、終始描かれてゆきます。しかし、このカナオのキャラクターの描かれ方は実に表面的なものです。何年もの間、翔子のそばで何も言わず、「ただひたすらに寄り添っているだけ」のカナオ。何もしない彼に対して翔子は時に苛立ちを隠せないのですが、本当は「ただそばにいること」ほど強いものはないのではないかと思うのです。

映画の終盤、カナオの父親は自殺していたことが明らかになります。そんな父親を「逃げた」と捉えているカナオ。しかし、彼は子どもの頃の傷をおくびにも出さず、飄々と振る舞い、翔子から逃げません。「ハッシュ」以降、精神的に鬱な状態だったという橋口監督。その姿は一見して妻・翔子に投影されているように感じられます。しかし一方、自身のトラウマから逃げず、翔子を見守り、夫婦の小さな希望に向かって、わずかでも歩みを止めないカナオにも、また映画を撮ろうという熱意が生まれた橋口監督自身が投影されているように思えるのです。

結局、翔子とカナオは、一心同体、または一個の存在ではないでしょうか。この夫婦はバラバラなのではなく、補い合うことで、ひとつのものとして存在している。夫婦は互いに支え合うもの、という事ではありません。ふたつでひとつ。このニコイチな夫婦の姿は、橋口監督自身でしょう。そしてまた、このすさんだ現代を生きていかねばならない、我々一人ひとりの日本人の心の在り様を示しているのではないでしょうか。落ち込んでもいい。でも、逃げないで。じっと待って、踏み出せる時が来たら、その一歩を前に出そう。

さて、主演のリリー・フランキーが、すばらしくいいです。あの柄本明としっかりスクリーンの中で馴染んでいます。また、時代を揺るがせた殺人犯を数多くの有名俳優が演じているのも見どころ。幼女殺害犯、宮崎勤を加瀬亮、お受験殺人犯を片岡礼子、連続児童殺傷犯、宅間守を新井浩文。そうそうたる顔ぶれですが、やはり目を見張るのは加瀬亮です。被告人席の彼の演技が未だに頭から離れません。他にもカメオ出演として、たくさんの有名俳優が出てきますし、記者役が柄本明で母親が倍賞美津子ですから、実はこの作品ものすごく豪華な顔ぶれなんですね。これも、橋口監督の器量の成せるところでしょうか。

最後に、とても長回しが多いです。夫婦がくだらない会話をしているシーンは、ちょっとやりすぎだろ、と飽きちゃいましたが(笑)、妻が本心を語り、抱き合うシーンは良かった。「キスしようと思ったけど、おまえ鼻水出てるよ」。まるで、本物の夫婦を見ているようでした。
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# by galarina | 2008-10-12 15:50 | 映画(か行)

私は二歳

1962年/日本 監督/市川崑

「あの時の甘い記憶が蘇る」
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これだけ鑑賞前の予感が外れる作品は他にはないんじゃないか、そう思う逸品です。二歳の子ども目線で団地夫婦の日常が描かれる。何だか人を食ったような、文部省推薦作品もどきかと思いきや、さにあらず。私自身で言えば、すでに息子は小学校高学年。二歳の記憶なんてとうに過ぎていますが、心の底から嗚呼!子育てって本当に楽しかった、こんなに暖かい気持ちの毎日を過ごしていたんだと、あの時の「甘美な気持ち」が湧きに湧いて、幸福感に包まれました。

働きマン派の私など、高度成長期の団地の奥さまの生態だなんて、ほんとは拒否反応出まくりのはずなんですが、山本富士子がとても艶っぽい。これが、とてもいい。義理の姉役として渡辺美佐子も出てくるのですが、汗だくになっておむつを変えるその姿もこれまた、非常に艶っぽい。脚本の和田夏十女史のたおやかで優しい女性像と市川監督の女の艶やかさを引き出すカメラワークのすばらしいコラボレーション。子育て中の女性をセクシーに見せるなんて、やっぱり市川監督は粋な人です。

反発し合っていた姑と、あることをきっかけにタッグを組む嫁。はい、はい、はい!と膝を打ちたくなるようなその展開に、いつの時代も子への愛は同じなのだと満ち足りた思いが占める。全ては子供かわいさゆえ。しかし、全編に渡りそれが親の身勝手やワガママに見えないのはなぜでしょう。一生懸命。悪戦苦闘。日々子どもの成長を見守るという当たり前の生活の中にこそ、幸福は潜んでいる。愛あふれる夫婦の姿が、微笑ましくて微笑ましくて、終始にやけっぱなしなのでした。
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# by galarina | 2008-10-10 16:34 | 映画(わ行)

ホテル・ルワンダ

2004年/イギリス・イタリア・南アフリカ 監督/テリー・ジョージ

「究極の選択」

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ヨーロッパ人が統治しやすいようにと勝手に振り分けられた「ツチ族」と「フツ族」。第三者の目から見れば、不条理極まりない闘争も、いったん火が付けば、誰もが当事者となり、己の名誉や欲のために、敵を殺すしか道はなくなるのか。同じ人種でも、いがみ合い、殺し合う悲しさ。そして、間に入れど手をこまねいているしかない国連軍。彼らの姿に何もできない自分をつい重ねてしまいます。そんな無力感が増せば増すほど、自分のふがいなさに打ちのめされる。それが昨今の戦争映画で味わう苦々しさです。

ところが、ポールという人の生き方については、深く考えさせられました。ポールはヒーローになりたくてあのように行動したわけでもないし、根っからの善人であったわけでもない。そこにこの作品の見どころがあるという意見には私も賛成します。しかしながら、もう一歩踏み込んで、ポールは常に「Aを取るか」「Bを取るか」という二者択一の場面で、「私」よりも「公」を、「利己」より「利他」を選択します。そこに私は深く感動しました。ただひとりのちっぽけな人間の選択。それは、私にもできる選択。しかし、あの究極の局面でそれが私にできるだろうか、と。また、ホテルの支配人として培った交渉術、人の扱い方が随所で活きてくるのですが、これもまた然りです。窮地に陥った時に我が身を守るための何かを自分は身につけているだろうか、と。

図らずも紛争に巻き込まれてしまった普通の男の物語という様相を呈しつつも、究極の選択をあなたはできるか、と問いかけられているような気持ちになりました。己の選択に慌てふためくでもない、悦に入るでもない、等身大のポールを演じるドン・チーゲルも光ります。いい作品です。
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# by galarina | 2008-10-08 16:36 | 映画(は行)

ダイ・ハード4.0

2007年/アメリカ 監督/レン・ワイズマン

「三尺玉あげっぱなし」
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最初から最後まで、銃撃、爆撃のオンパレード。観客をびっくりさせればそれでいいだろうって作品に感じられてダメでした。もちろん、エンターテイメント大作を否定するつもりは全くありません。ビルがドッカーンと爆破したり、ヘリコプターがくるくると回って墜落したり、それを見ることで非日常的な興奮を味わえるのも映画の醍醐味の一つだと思います。ただ、冒頭街の機能が麻痺する様が描かれますが、一体何人の死者が出ていることでしょう。なのに、「恐怖」については、何も描かれていません。あらゆる破壊は、マクレーン刑事が体を張って何とかするためのエサでしかなく、そういった物語の進め方は、全く私は好きになれないのでした。

サイバーテロ組織が小粒に見えるという感想がありますが、それは俳優の力量は小さい原因で、やはりのべつまくなしにドッカンドッカンやっていれば、敵味方の対立軸が薄まっても仕方ないとしか言いようがありません。シリーズが進むにつれて、製作者側が「前作よりもスゲーのを観客は期待しているんだ」と目くじら立てて、一切合切作品に放り込んでしまった、そんなあせりすら感じられます。そういう点では、むしろ昔とさほど変わらない語り口でいつも通りに仕上げた「インディ・ジョーンズ」の新作の方に潔さを感じます。マクレーンの娘との確執も、オタク野郎との相棒劇も、全ては爆撃音にかき消されてしまいました。
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# by galarina | 2008-10-06 16:25 | 映画(た行)