「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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<   2008年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧

イースタン・プロミス

2008年/イギリス・カナダ・アメリカ 監督/デビッド・クローネンバーグ
<京都シネマにて観賞>

「暴力の刻印」
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前作「ヒストリー・オブ・バイオレンス」に引き続き、暴力がテーマのクローネンバーグの新作。ロンドンにおけるロシアンマフィアの世界を独自の世界観で描き出していて、力強い映像美を堪能しました。主演のニコライを務めるヴィゴ・モーテンセンの存在感がすばらしく、どのショットも「絵」になります。最初に出てきたときからボスのような存在感で、運転手なんてチンケな仕事には全く見えませんでした。最も気に入ったのは、真っ赤なソファに半裸で寝そべり、タトゥーを入れてもらうところ。非常にエロティックで官能的なショット。もちろん、真っ裸のサウナでの格闘シーンもド迫力。互いにタイルに叩き付けられ、グチョッ!グニャッ!と言う音が聞こえてきそうな生々しくて、痛いシーン。このあたりの描写はクローネンバーグの真骨頂と言った感じです。

マフィアの血を受け継ぐ赤ん坊、レイプされた少女の日記、ロシアンマフィアの証明であるタトゥー。それぞれが、暴力のメタファーとなって、物語が絡み合い展開します。それぞれに共通する今回のテーマ、私は「刻まれる暴力」と捉えました。赤ん坊は「血」に、日記は「文字」に、タトゥーは「体」に、暴力が刻み込まれている。それらは、決して逃れられない、変えることのできない悲しい運命のように見えます。しかしラスト、赤ん坊の行き着く先と共に、ほのかな希望が映し出される。己の血の中に暴力の刻印を残す赤ん坊は、その過酷な運命を逃れたのかも知れないと。

ところが一方、己の体にタトゥーを刻んだニコライの行く末は、実に曖昧としたまま終わります。まあ、このラストカットのヴィゴが実にカッコイイのですけどね。ネタバレになるので書けませんが、実はこの作品、ちょっとしたどんでん返しがあります。それを含めて、ニコライがどういう道を選択するのか、実に余韻が残るエンディングです。

それにしても、渋さ全開。ロシアンマフィアという存在についてあまり知りませんでしたので、その世界が非常にミステリアスですし、履歴書となっている全身タトゥーも凄い。大人の映画、という雰囲気満点でした。ナオミ・ワッツ好きとしては、もう少し彼女をいじめて欲しかったかな、なんて思ったりして。いえいえ、困難な道を敢えて選択し、苦悩する役どころが彼女は実に巧い。ロシア製のオートバイを乗り回し、マフィア相手に真っ向から立ち向かう女性を熱演していました。ヴィゴとベッドシーンでもあるのか期待しましたが叶わず。クローネンバーグの描くねっとりとしたベッドシーンが好きなので、そこんところはやや欲求不満。次作に期待します。
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by galarina | 2008-07-31 14:52 | 映画(あ行)
2005年/アメリカ 監督/デビッド・クローネンバーグ

「暴力と平穏のボーダーラインは存在しない」

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主演も同じヴィゴ・モーテンセン、テーマも同じ暴力。というわけで、新作「イースタン・プロミス」の前に予習観賞。

この「ヒストリー」と言うのは、歴史より履歴の意味が強いようですね。ある意味「歴史」と言うのは、いろんな解釈が可能であったり、歪曲して伝えることができるシロモノですが、「履歴」となるとそうはいかない、ということでしょう。暴力の権化みたいだったトムがいくら普通の生活を送ろうとしても、暴力の履歴は消えることがない。ただ、クローネンバーグは、トムと言う男をまるでジキルとハイドのように描いてはいないし、暴力と平穏を対立軸として描いてはいない。そこんところが、実に興味深いのです。

象徴的なのは、一番最初にマフィアが尋ねてきた時、「おまえらなんか知らない」というトムの反応。あれは、本当に知らないという反応に見える演出でした。私自身マフィアが人違いしているのかと、途中まで本気で思ってましたから。彼は巧みに2つの人格を使い分けしているわけでは決してない。どこからどこまでがトムで、どこからどこまでがジョーイなのか、というきちっとしたボーダーラインは存在しない。白から黒へのグラデーションのように、曖昧な部分が存在している。その曖昧の存在は、トムという男だけにあるのではなく、我々社会もそうであるということのように思えるのです。

かつては、危ないエリア、例えばニューヨークならブロンクス、といった具合に「ここから向こうへ行ってはいけない」というボーダーラインが存在しましたが、今は都会のど真ん中で、のほほんと電車に乗っていても、刃物で斬りつけられる。そんな時代を見事に映し出していると思います。いつもは臆病な息子が、銃をぶっぱなしてしまうことも。

面白いことに、鑑賞後初期の北野作品を思い出しました。にこやかないいお父ちゃんがふとしたことでビール瓶を振り回す凶暴性を見せたり、子どもの野球バットが凶器になったり。暴力と平穏は、北野作品でも決して表裏の関係ではなく、互いに溶け合って存在する曖昧さを見せています。北野作品の場合、あの独特の「間」によって、見る人を選んでしまいますが、クローネンバーグの場合は、すっかり円熟味も増して、奇才と呼ばれた頃の観る者を選ぶようなエログロな作風は、やや成りを潜めています。しかし、らしさが失われたと言うわけでは決してなく、還暦を過ぎても絶好調という感じです。
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by galarina | 2008-07-30 15:18 | 映画(は行)
1966年/日本 監督/今村昌平

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これまた大傑作。原作は、野坂昭如。エロ事師というのは、文字通りエロに関することなら、何でも商売にしている男。素人を連れてきてポルノを撮ったり、いやらしい写真をお堅いサラリーマンに売りつけたり、それはもうエロを尽くして生きぬいている、それが主人公スブやん(小沢昭一)。

人類学入門というタイトルからも窺えるように、スブやんを取り巻く人間どもを、まるで生態観察しているようにカメラは捉え続ける。これは、前作の「にっぽん昆虫記」と同じ。馬鹿で情けなくて非道の限りを尽くしている人間どもを遠くから客観的に眺めているようなロングショットが多数見られる。例えば、スブやんが会社の会議室でエロ写真をサラリーマンに売りつけているシーンは明らかに隣のビルからのショット。こうして、彼らと一定の距離を保ちながら、冷徹に見つめる手法で、人間の愚かさを際だたせている。しかし、目の前で繰り返されるのはあまりにも情けない人間模様でありながら、作品自体には品格のようなものすら漂う。それは、ロングショットを含め、そこかしこで見られるモノクロームの美しいカットが作品を彩っていること、前夫の形見として飼われているフナ(後の「うなぎ」に繋がっていると思われる)など様々なメタファーが作中で導入されていることなど、今村昌平のセンスと知性が全編にあふれているからだろうと思う。

こういっては失礼だが、坂本スミ子が布団の上に倒され悶えるシーンのアップなんて体して美人でもないのに、何と妖艶に見えることか。今村監督は、紅潮した頬というのがどうもお気に入りのようで、「赤い殺意」でも春川ますみのぷっくりした頬を非常に美しく撮っている。男に迫られる女の「ほてり」をこれだけ見事に表現できる監督は、他にいないと思う。

スブやんは内縁の妻の娘(中学生!)と寝てしまうし、その妻にしたって結局娘のレイプを容認してしまうし、ポルノの現場に自分の娘を差し出す男優だっているし、どいつもこいつもあきれてモノが言えないような奴ばっかり。ただ、そこに渦めくエネルギーたるや圧倒的で、「生」と「性」が渾然一体となって人間がそもそも持っている原始的な情熱とか、生きていくための狡猾さなんかが、まざまざと迫ってきて、本当にパワフル。ディスコミュニケーションだの、引きこもりだの、他人との距離をどう取ればいいのか悩んでいる現代にこういう作品を見ると、さらに感慨深いものがある。

スブやんのラストは、原作と違うらしいが、これまた今村監督らしい粋なエンディングだと思う。インポになって、娘や息子からも疎まれ川べりのぼろ船で生活するスブやんが最後に選んだ仕事は世界一のダッチワイフ作り。「陰毛を1本1本埋め込むんや」と言い、人形に向かうスブやんは狂っているようにも見えるし、崇高な仕事に携わる職人にも見える。そんな彼を乗せたぼろ船は、停泊中の川岸からいつのまにか縄がちぎれ、大海原へ。海上でぷかぷかと儚く浮かぶ船の中で陰毛と格闘するスブやん。嗚呼、人間とはなんと滑稽な生き物か。そして、船を捉えた映像が、冒頭の8mmフィルムへとつながり、それを馬鹿話しながら眺めるスブやんを映す。今村監督、巧すぎます。
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by galarina | 2008-07-29 14:34 | 映画(あ行)

クライマーズ・ハイ

「原作に忠実で面白い、ということに価値がある」

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これから、映画版を見に行こうと言う方に水を差すわけではないのですが、NHKによるテレビ版は、原作のクオリティをそのまま保ったドラマと言えます。この作品のおかげでNHKのドラマって面白いじゃないかと思い直し、「ハゲタカ」にもハマりました。

私は横山秀夫の作品は、ほとんど読んでいるのですけど、警察物は今イチなんですよね。やたらと暗いし、署内の人間関係の駆け引きがメインで、警察業界をあまり知らない人間としては、興味をそそられるものがあまりなくて。でも、この「クライマーズ・ハイ」は、新聞記者の日常を知らない私のような人間でも、この未曾有の事件の中で、様々な思惑が行き来する緊迫感が最後まで持続して、読後の満足感がすごく高かった。読み終わって、はぁはぁと肩で息をするような感じでした。

で、このドラマ版は原作に忠実に作られています。ここがポイント。横山秀夫ってね、案外原作通りに映像化するとつまらないものになることが多い。その最たる物が「半落ち」です。これは、本当に失敗でした。横山作品は登場人物たちの心理合戦が醍醐味の一つで、「これ」という具体的な映像で説明できるものでもありません。今アイツは何を考えているのか。なぜアイツはこんなことをさせるのか。目の前の人物の裏側を想像させるような作りにしないと、横山作品の本当の面白さは伝わらない。そこで、大切なのは一体何だろう、と考えたのですが、まず第一に下手なエンタメ風にしないってことです。そして、演出の粘り強さだと思います。キレイに撮るとか、テンポ良く収めるということよりも、ねちねちと人物の懐に入り込むような粘り強い演出が焦燥感をあぶり出すんではないでしょうか。

ドラマは前後編で、150分。映画館で150分と言えば、なかなか長編で疲れますけど、これは一気に見てしまいます。今ならレンタルできますので、前後編セットで借りてぜひどうぞ。
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by galarina | 2008-07-28 00:35 | TVドラマ

SEX and the CITY シーズン5-2

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キャリーの恋の新しいお相手、バーガー。この人、すごくヒゲが濃くって全然私の好みじゃない。しかも「He's cute!」って、あのヒゲ剃り跡のどこがキュートなんだ!?キャリーって、一目惚れが多いんだけど、ホントに一貫性がない。まあ、なんだかんだ言って、このドラマの主人公だけに、脚本上いろんなタイプの男と付き合わされる設定になっているのでしょう。というわけで、今回は同業者と付き合わされるハメになったかわいそうなキャリー。物書き同士なんて互いの仕事内容に介入すればするほど、こじれるのは必至だね。

育児で追い詰められているミランダ。働きマンのツッパリが裏目に出て、何でも自分で背負い込もうとしてる。このあたり、本当に身につまされるなあ。自分のことを思い出しちゃう。私は、産後3ヶ月で仕事に復帰したんだけど、出張先まで子どもを連れて行って、休み時間におっぱい吸わせてた。仕事中も母乳のせいで胸が痛くなって、乳腺炎になって。「アタシ一体なにやってるんだろう」って虚しく思う時もあったっけ。私には本当に良くサポートしてくれる夫がいたけど、ミランダの場合、スティーブがいるとは言え、交代交代。それでも「一緒に住もう」って言わないミランダの強靱な精神力には恐れ入ります。同じアパートの奥さんが見かねてベビーチェアを持ってきてくれるくだりには、不覚にも涙してしまった。ミランダ、がんばれ~。

そして、シャーロットは全くターゲット外なツルピカおデブちゃん、ハリーとベッドイン。一緒にいる時、面と向かってボロカスに言ってるんだけど、相手の男に対してこんなに率直でいられるシャーロットって今までないんじゃいないの?しかも、それに対して怒ったりしないで、上手に受け流してるし。やっぱ、男は器の大きいのがいいよ。美女と野獣コンビの行く末が、いちばん気になる!
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by galarina | 2008-07-27 17:48 | TVドラマ

SEX and the CITY シーズン5-1

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「センチメンタルな助走」

いつも4人は一緒。いつだって、仲良し。いざと言う時はすぐに集まりあえる仲間。そんな友だち幻想に裏切られていくキャリーを描く第3話が秀逸。

女の友情に変化が訪れる時。それは、紛れもなく友人の出産だろう。意外と結婚は大したことがない。ミランダが子どもを産んだあたりから、4人のメンバーがそれぞれの道を歩き始める。何をするのも一緒では、なくなっていく。

独身の人は、キャリーに自分を重ねる。友だちが出産して、何か確かなものを得たような姿に嫉妬や羨望を感じたり、逆に、シングルとしての自由な身分に優越を感じたり。出産経験のある人は、ミランダに自分を重ねる。自分1人が老け込んだような気分に陥ったり、逆にかけがえのない宝物を得た気分に酔いしれたり。

離婚して新たな道を探し始めるシャーロット、初めて愛した男リチャードにケリをつけるサマンサなど、みんながそれぞれ「自分の人生」を生き始める。それは、とてもすばらしいことなんだけど、ただ仲良し4人組でキャーキャー騒いでいた頃はもう二度と帰ってこない。その現実が、とってもセンチメンタルな気分にさせるのです。

でも、この1人ひとりの物語が、今後味わい深くなるに連れ、再びもうワンランクアップした大人の友情物語が生まれてゆく。このシーズン5は、そのための助走と言えるのではないでしょうか。
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by galarina | 2008-07-23 16:17 | TVドラマ

告発のとき

2008年/アメリカ 監督/ポール・ハギス
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

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戦争は、どんな人の心も悪魔に変えてしまう、というお話。誰が悪いと槍玉に挙げるわけでもなく、戦争の恐ろしさ、やるせなさをじっくりと見せる。そんなポール・ハギスの語り口の巧さに酔いしれました。

イラクから帰還した息子が我が家に帰ってこない。彼の行方を追ううちに、物語はサスペンス的な展開へと変貌する。犯人は誰かという謎、少しずつ顕わになる父の知らない息子の姿、そして、イラク戦場での恐ろしい現実。複数の物語が、それぞれ真実の姿を徐々に見せ始める。それぞれが重層的に絡み合いながら、実に奥深い作品に仕上がっている。あくまでも訴えかけるのは、個の心情で、国家や政府などと言うおためごかしなモチーフは一切登場しない。観賞後はずしんと心に響いてきました。

息子の壊れた携帯電話の修理を業者に依頼する父親。以来、父親のPCに修復した動画が少しずつ送られてくる。そのシーンが、真相究明の間にインサートされるのですが、これが非常にスリリングで効果的でした。息子の誠実さを信じて止まない父親。しかし、送られてくる戦場の動画は目を背けたくなるようなものばかり。息子に一体何があったのか。父親の気持ちを考えると本当につらくなります。しかし、この父親はあくまでも寡黙で何事にも動じない。多くを語らないトミー・リー・ジョーンズの演技がとても良かった。

物語の構成や語り口の饒舌さなど、ひとつの作品としてはとてもクオリティが高く、最後まで緊迫感を持って見られる一級品だと思います。ただ、ひとつ個人的に腑に落ちないことがあります。それは、母性の欠落です。この作品は、トミー・リー演じるハンク、つまり「父親」の背中を通して見せるということに徹しています。それは、作品の軸がぶれていない、ということにおいては、当たり前なのかも知れません。しかし、息子が行方不明だと言うのに、妻は家にひとりぼっち。まるで蚊帳の外です。戦争なんて、ない方がいいに決まっているのです。その未来を語る時に「母性」は欠かせないテーマだと私は思っています。また、刑事役のシャーリーズ・セロンは、シングルマザーと言う設定です。母親ひとりだけで息子を育てる、そんな彼女の後ろ姿に何かメッセージが隠されているのではないかとも期待したのですが、何も掴めませんでした。だから、なおさら寂しい、とても寂しいエンディングに感じられたのです。
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by galarina | 2008-07-22 15:44 | 映画(か行)
「余裕でかます自虐の面白さ」
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説教ぶっこいたり、世界を憂いたり、そういうアニメって本当に苦手。それに最近映画館で、ぽ~にょ、ぽにょ、ぽにょって声を聞くと背筋が「さぶっ」ってなるんですけど、そういう人でなしは私だけなんでしょうか。

さて、この鷹の爪団。TOHO系のシネコンで予告前にお目にかかって以来、このユルユルムードの面白さが気になって、気になって、ついに映画を見てしまいました。FLASHアニメだから低予算。まさにアイデアとセンスで勝負しているところがすばらしい。この面白さの元って、徹底的な自虐なんですね。

予算がないという自虐と、世界征服という野望の前に何をやってもダメな総統の自虐。つまり、作り手もストーリィ中の人物も「俺らはダメダメだぁ~」って言いっぱなしなワケです。ところが、ダメな割には余裕しゃくしゃくのムードが漂っています。駄目なヤツのひがみやねたみを第三者が見て爆笑できる。それは、紛れもなく笑い飛ばせる余裕が作り手にも観ている側にもなくてもダメで、非常に高度なコメディではないかと思ってしまいました。

本編に集中したい作品ならば、予算ゲージの上昇と降下なんて、邪魔になってしょうがないですよ。もし、これが他の作品についてたら、どうです?絶対気が散りますって。この作り手側の勝手な事情が、本編アニメにもきちんと溶け込んでいて破綻していない、ということも凄いなあと思うわけです。

各種有名映画のパロディってのは、文字通り大人の映画ファンへのサービス。そして終盤、予算がなくなり効果音も出せなくて、口で「ババーン」とか言いながら戦うシーンでは小学生の息子が腹を抱えて大爆笑。大人のツボにも子どものツボにもしっかりハマる。これは侮れません。
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by galarina | 2008-07-18 18:14 | 映画(は行)

カナリア

2004年/日本 監督/塩田明彦

「複雑な感情が私の中でせめぎあう」

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あまりに語りたいことが多い作品で困ります。まず「黄泉がえり」というミーハーキャストの大作を撮った後で、このような暗くマイナーな長編、しかも実に感動的な傑作を撮ったことが素晴らしい。ひとりの映画監督としての「ぶれのなさ」を強く感じます。

オウム真理教については、我々はまだまだ何のケリもつけていないと、強く思っています。あの事件を検証することも、熟考することも、反省することも、何もしていない。確かに本作の軸となっているのは、過酷な状況に置かれた少年と少女の生き様であります。親の身勝手で追い詰められる子供たちを捉えたストーリィは数多く存在しますが、やはりそれがオウム真理教であることで、私は再びあの事件の矛盾を深く考えざるを得ませんでした。教団内の様子など、本当はどうだったのかとも思います。しかし、一も二もなく描くことそのものが大事なのであり、またこのテーマに対して塩田監督が真正面から取り組んでいる覚悟が全編からびしびしと伝わり、それがとても感動的でした。

さて、「害虫」で感じた関西弁の「生」のイメージを、本作で再び感じることになるとは思いもしませんでした。谷村美月演じる少女の関西弁は、由希という少女の生きるエネルギー、タフさを象徴しているように思えてならないのです。由希という少女が発する全ての台詞は、光一の世界観を揺さぶる「リアル」そのものです。虚飾に満ちた光一の道しるべにざくざくと音を立てて切り込む由希の剥き出しな生が、実に印象深く心に残ります。力強く、生々しい谷村美月の演技を見て、関西弁という共通点もあるのでしょうが「大阪物語」でデビューした池脇千鶴を思い出しました。とてもいい女優です。

ラスト、絶望の淵に追いやられた光一が、ある衝撃的な変化を宿して、由希の前に現れる。それは、まさに生まれ変わりを示唆する劇的な変化なのですが、この展開にはやられました。エンディングらしい衝撃と言っていいでしょう。子どもを描く映画のラストは、希望であって欲しいと「害虫」のレビューでも書きましたが、手と手を取り合い、生きると宣言した彼の行く末は、一見希望があるように思えます。ですが、一方あの彼の姿、そして祖父にかけた言葉「我は全てを許すものなり」というセリフを見るに、あの忌まわしい教団の教え、彼の母親がそうなりたいと願ってやまなかった「解脱」の境地に達したかのようにも見えてしまい、苦々しい思いが私の心を満たすのです。最初から最後まで、様々な割り切れぬ思いが心を占めます。しかしながら、私にとっては非常に吸引力の強い魅力的な作品でした。目をそらさずに見るべき映画だと私は思います。
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by galarina | 2008-07-17 22:57 | 映画(か行)

黄泉がえり

2002年/日本 監督/塩田明彦

「したたかな塩田監督」
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本作は、純愛だとか、ファンタジーとか、そういうカテゴリーのものでしょうか。多分にそれは、主演が竹内結子であったり、柴崎コウのライブシーンと共に無数の光が夜空を流れるようなシーンがラストを飾るためであり、正直私はこれはホラーだな、と強く感じたのです。だって、実に気味の悪い演出がそこかしこに見受けられますから。まず主演の草薙剛の存在がとても不気味です。死んだ人が蘇ると言う現象に対して何の驚きも見せず、淡々と調査を続けます。色白で頬のこけた草薙剛が焦点の合わない目線でぼんやりを何かを見つめるようなカットが多々あり、まるで彼が幽霊のように見えます。スクリーンに誰もいないというシーンも多いですし、カメラの並行移動もじっとりとしています。哀川翔が再び死後の世界に引きずられるCGでも、顔がぐにゃりと変形する様にぞっとしました。

また、音楽が少ないことで、ラストの柴崎コウのライブシーンが生きているわけですが、それが本来の目的ではないような気がします。やはり、前半部の気味悪さは、圧倒的な物語の省略から生まれているのですが、音楽を入れないことも、その省略の一環だと思えるのです。

ゆえに、これだけミーハーな俳優陣を集めてもなお、自分らしい演出を貫いた塩田監督に映画監督の気骨を感じました。ジャニーズ絡みで、テレビ局資本の大作で、おそらく妥協しなければならない部分は多かったと思いますが、それでもなお、しっかりと監督の個性が生きていますし、一方以前の塩田作品なんぞ見ていない人々にとっても「ファンタジー感動作」としてのカタルシスはちゃんと与えられているのですからね。これは、凄いことだと思います。この辺のファンタジーテイストのうまい取り込み方は、脚本が犬童一心ということも大きいのかも知れません。自分の撮りたい作品と、ヒットさせねばならない大作物。その両者の間をうまく泳いでいますね。「ありがとう」を撮った万田監督もしかりでしょう。
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by galarina | 2008-07-16 17:23 | 映画(や行)