「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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2007年/日本 監督/吉田大八

「サトエリ、大健闘」
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なかなか面白かったです。兄や妹にある田舎者の鬱屈感を見ていると「松ヶ根乱射事件」を思い出しますが、最終的には妹の再生物語へと収束します。なので、「松ヶ根」のようなシュールな感じではなく、ホラーテイストのホームコメディといった感じでしょうか。ストーリーの不気味さとは相反して、演出はとてもポップな雰囲気であまり生々しさを強調していない。なので、観る前は結構構えていたのですが、さらっと見れてしまいました。

自意識過剰オンナ、澄伽のキャラクターは、私の敬愛する漫画家岡崎京子氏の作品によく出てくるタイプですね。「ヘルタースケルター」の「りりこ」なんぞを、実際に佐藤江梨子はお手本にしたのではないかと思ってしまいました。抜群のプロポーションを存分に活かし、存在感を見せます。ミニのワンピースから覗く長い生足が、古い日本家屋の階段を降りてくる。そのアンバランスさ、気持ち悪さを存分に楽しみました。この役は、まさに当たり役でしょう。目を剥いた顔も怖いし。

舞台は田舎ですが、結局テーマは自己表現の方法、ということでしょう。4人の家族、それぞれが自分本来の姿を己の中から解放したいと思っている。その方法が間違っているのが、姉。もがいているのが、妹。諦めているのが、兄。知らないのが、兄嫁ではないでしょうか。それぞれのキャラのヘンさは少々あざとく感じられるものの、のどかな田園風景が舞台というのが効いていて、しっかりとキャラが際だっています。また、設定の毒々しさの割には、誰もが見やすい作品に仕上げられているのは、CM出身監督だからかも知れません。ただ、ワタシの個人的な趣味としては、もっと鋭角な切り込みが欲しかったところです。でも、ホラー漫画がいいです。この漫画のクオリティの高さが間違いなく作品を支えてます。初長編にしては、非常に完成度高いのではないでしょうか。これからが楽しみな監督です。そうそう、エンドロールでわかった「明和電機」がツボでした。
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by galarina | 2008-03-29 23:29 | 映画(は行)

市川崑物語

2006年/日本 監督/岩井俊二

「なんじゃ、こりゃ」
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とても退屈でした。市川監督にオマージュを捧げるということで、ほとんど黒バックのタイポグラフィと静止画で構成された作品。よって、ただでさえ動きがないのに、新しい発見が何もない。そこが致命的です。敬愛する人について述べるなら、その監督なりの新たな切り口を見せて欲しい。なるほど、そういう見方もあるのか。さすがプロの映画監督だな、と思わせてくれなきゃ。ただ、だらだらと市川監督の生い立ちとフィルモグラフィを綴っているだけなのです。これって、ボクちんはとっても市川作品が好きなんだよ、とアピールしたかっただけなのでしょうか。逆に市川監督が利用されちゃったような気すらしました。
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by galarina | 2008-03-27 23:48 | 映画(あ行)

ありがとう

2006年/日本 監督/万田邦敏

「すばらしい感動作。関西在住の方は、とにかく見て欲しい」
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あまりにベタなストーリーでありながら、映画としてのクオリティの高さに感動。神戸への想いも込めて、文句なく五つ星です。感動もので五つ星を付けたのは初めてかも知れません。それくらい、すばらしかった。

前半の震災シーンの描写がすごいのです。容赦なく建物が壊れていく様は恐怖を覚えます。でも、戦争や原爆映画などに見られる凄惨さとは、少し違います。例えば、倒壊した家屋の隙間から覗く手。これが本当にどきっとします。これで十分に地震の脅威、人々のつらさが痛いほど伝わります。おそらく、その時はもっともっとひどい状況だったに違いありません。でも、俳優陣が特殊メイクをして怪我人や病人としてふるまった時に、観客はどう受け取るでしょう。おそらく震災当事者の方々は直視できないでしょう。また、そこに嘘くささや作り物としての拒否反応が出ないでしょうか。アスファルトに敷かれたお布団。枕元に弔いのろうそく。こういうシンプルなワンカットが強烈な印象と、深いメッセージを放つのです。作り手は、大勢の被害者を出したこの震災を描くにあたって、非常に細やかな配慮をしている。しかし、地震の凄まじさは恐ろしいほどに伝わってくる。そこが、すごく巧いのです。

震災後、古市夫妻が口論をします。「おまえは泣いてばっかりやないか。ええかんげんにせい。」「お金のかかるゴルフを黙ってやらせてあげてたのに、こんなことになってもうどうしょーもない。」こういうやりとりが、めちゃめちゃリアルなんです。そこから、「3つの顔」という話になります。これが、またアホみたいにベタな例え話でね、いつもの私やったら「アホくさ」と一蹴してしまうような話なんです。ところが、もの凄く心に染みました。泣けました。どんな人も登場人物のセリフに素直に耳を傾けたくなる。それは前半部の震災シーンの凄みがあるからです。そして、主演が赤井英和だからではないでしょうか。

「どついたるねん」以降、俳優赤井英和が私は好きです。最近はすっかり太ってにやけたオッサンになってましたけど、やっぱりこの人は映画では希有な存在感を示します。忠夫がことあるごとに、「おおきに」「やったるでー」と前向きな関西弁を連発しますね。これが、中井貴一だったらどうでしょう。佐藤浩市だったらどうでしょう。きっと彼らなら「おおきに」のひと言に心を込めて感情豊かに言うはずです。でも、それは何遍も聞いてると、だんだん嫌味に感じないでしょうか。ぶっきらぼうで、実直で、なーんも考えてない赤井が連発する「おおきに」だからこそ、やけに心に染みます。赤井が持っているピュアな部分がこの作品のメッセージとぴったり合っているのです。映画が始まってすぐゴルフ場のロッカーシーン。デジタル時計が「5:46」を示し、赤井が「起きた!」と叫ぶ。赤井らしくて、すごいいいシーンです。また、忠夫を支える田中好子、薬師丸ひろ子。そして、消防団仲間の尾美としのりと光石研。脇を支える俳優陣もすばらしい演技を見せます。中でも田中好子は出色の出来映えだと思います。

空撮シーンがたくさん出てきます。復興後の神戸の街並み。長田の火災のニュース映像。鮮やかなグリーンがまぶしいゴルフ場。空撮の映像でこんなに感傷的な気持ちになったのは、初めてかも知れません。それほど、空撮が効果的です。また、冒頭の廊下でのシークエンスがラストに再び登場する。こういう映画としての巧いテクニックも随所に光ります。「星になった少年」で日本映画は感動作を作るのが下手と言いましたが、撤回します。これは、全ての人に見て欲しい感動作です。阪神大震災を忘れたらあかん。忘れかけてた当たり前のことを思いだし、しっかりと心に刻みました。
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by galarina | 2008-03-26 23:16 | 映画(あ行)

ジャンパー

2007年/アメリカ 監督/ダグ・リーマン
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「登場人物たちの立ち位置がバラバラ」
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続編があるらしく、今回は紹介編だということをさっぴいても、90分使って登場人物たちの立ち位置が説明できないのでは、どうしようもありません。真っ白アタマのサミュエルのキャラに引っ張られて、何とか最後まで見られたという感じです。

デヴィッドはジャンプできる能力を自分自身どう捉えているのか、その結論が出ずじまいです。その能力に苦悩しているのか、または、陶酔しているのか、そのどっちでもない。そこんところは、物語の一番の軸でしょう。ただ、好きなところにジャンプして、挙げ句の果てには銀行からお金を盗むとは。強盗はいかんやろ、強盗は。一体どうしたいんだ、コイツは。

ジャンパーを狩る軍団の存在が、魔女狩りから綿綿と続いていると語られますが、これまたお粗末な根拠ですなあ。ジャンパーと魔女がどう繋がるんでしょうか。パラディンが一体何ものかは次回作で詳しく語られるんでしょうか。それにしても、実に説明不足です。とりあえず、ジャンプできる奴とそれを追いかける軍団の物語にしてしまえって言うだけで背景がすっからかん。物語の背景がないのを、世界遺産巡りという背景でごまかしているに過ぎません。

デヴィッドが自分の能力についてどう捉えているのかわからないと言いましたが、これは脚本もすっぽり抜け落ちている上に、ヘイデン・クリステンセンの演技力のなさが輪をかけています。また、主演女優がちっとも魅力的ではありません。少女時代のアナソフィア・ロブの方がよっぽどキュートです。

昨今のアクション大作は激しい戦闘シーンが多いですから、カメラも揺れまくります。しかしながら、アクションシーン以外でもカメラが揺れるため、気持ち悪くなりました。実は「バンテージ・ポイント」も見ましたが、こちらは揺れまくっても全然大丈夫でした。何が違うのでしょう。たぶん、揺れなくてもいい場面で揺れているのです。車がぶつかりゃ映像も揺れる。しかし、ただ話しているシーンで揺れる必要はあるのか。肝心のジャンプシーンも思ったほどの面白味がありませんでした。
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by galarina | 2008-03-24 16:54 | 映画(さ行)
2005年/スペイン 監督/イザベル・コイシェ

「個性あふれる感動作」
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感動作として完成度が高いだけでなく、非常に個性的な映画だということで感銘を受けました。その個性の一つは、場所や環境の描き方です。簡素で無機質なハンナの勤める繊維工場。帰り道には、錆びた船の残骸や山のように捨てられたゴミが見えます。一方、ジョセフが勤めるのは海の真ん中にポツンと建つ鉄骨の油田掘削所。まるで世界から見放された場所のよう。スクリーンから潮の香りすら感じさせられました。

そして、これほど寂しげなシチュエーションでありながら、作品としては全く殺伐としたムードが漂っていない。そこがとてもすばらしい。時折インサートされるほんのちっぽけな心の交流が、ぽわんと明かりを灯すようなのです。ハンナとジョセフの会話のシーンでは、カメラはまるでカーテン越しにふたりを捉えているかのような撮影です。スクリーンの端にぼんやりとした影が写ったり、ゆらゆらと揺れたり。その距離感がとてもいいんですね。じっと2人を見守っているような感じです。

ハンナが告げる秘密の壮絶さには、息を呑みました。静かに進む演出だからこそ、その事実の持つ痛みが我々に突き刺さります。また冒頭、「私はハンナの友人です」という語り部の存在がいるのですが、一体それは誰なんだろうと思っていたら、ラストシーンでその秘密が明らかになります。これまた、実につらい現実なのですが、幸福の予感と共に語られることで、ハンナの悲劇が終わりを告げることを感じさせるのです。食事が物語のアクセントになっているのも巧い。とてもいい脚本です。

ティム・ロビンスはさすがの演技ですが、ある意味期待通り。むしろ、サラ・ポーリーの存在感でしょう。感情の起伏の少ない役どころで、もちろん彼女が秘密を抱えていることは観客の誰しもわかっていることですが、悲壮な感じや刺々しい感じがありません。彼女の肩にそっと手を添えてあげたい、そんな気持ちになりました。監督のイザベル・コイシェはバルセロナ出身のスペイン人。スペインと言えば、人物の感情表現は激しく、色鮮やかな映像美なんかを思い起こさせるのですが、この人は全く違いますね。その辺りも実に興味深いところです。
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by galarina | 2008-03-23 23:50 | 映画(あ行)

ファニーゲーム

1997年/オーストリア 監督/ミヒャエル・ハネケ

「悪夢を見て、我々は変われるのか」
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映画を気分転換や楽しく過ごすためのものと捉えている方は、ご覧にならない方が良いと断言します。

こんなに胃が痛い映画は他にはありません。馬鹿馬鹿しい話ですが、最初から最後までスクリーンの前で神に祈り続けました。この家族を助けてください、と。そもそも、観客を裏切ることを得意とする監督ですから、いくらこちらが期待しても駄目なんだろうなというのは、予測できます。しかし、これだけきっぱり撥ね付けられると、今度は、「これは映画なんだ、現実じゃない」なんて心が叫び出します。すると、そういう心を見透かしたかのように、この馬鹿男どもが、したり顔で「現実」と「虚構」について話し始めるのです。

「虚構は今見ている映画」「虚構は現実と同じくらい現実だ」とね。

この期に及んで、事態を正視できぬ心の弱さにがつんと一撃を食わせる。ハネケの意地悪ぶりには本当に参ります。しかし、本作が観客をただ不快にさせるだけの暴力映画でないことは、この「現実」と「虚構」にまつわるハネケの提示があるからこそでしょう。目の前で行われている暴力をただ眺めているしかできない、我々観客。スクリーンの向こうの出来事ですから、何の手出しもできない。当たり前です。しかし、パウルは、スクリーンに向かってウィンクしたり、話しかけたりして、我々を挑発します。それはまるで「アンタももっとゲームを面白くして欲しいんだろ?」と言わんばかりです。そして、虚構は現実と等しいというテーゼ。

確かにこの映画を見始めた時から、我々は強制的にゲームの参加者にさせられています。しかし、そんなのあんまりではありませんか。観客にだって意思はあります。もしかしたら、「ファニーゲーム」不買運動でもして、DVDを燃やして見せたりすれば、ハネケは満足なのでしょうか?

何度も見る気になれない映画。こんなゲーム一度参加すれば十分でしょう。なのに、ハネケはハリウッドでリメイクしたようです。ハネケは「映画が娯楽のためにあるというのなら、私の映画は存在する意味がない」ときっぱり言っていますし、これまでの作品を見ても、アメリカという国を意識しているのはわかります。よって、ハネケ作品の中でも「暴力」に絞った本作をハリウッドという場所でリメイクする、ということそのものに意図があるのでしょう。リメイクのトレーラーを見ましたが、特にナオミ・ワッツの演技に背筋がざわざわとしました。アメリカの有名人俳優が演じることによって、この突然もたらされる理解不能な暴力は、さらに我々の身近なものに感じられるに違いありません。私は再びこのどうしようもない物語を見るのでしょうか。またゲームに参加してしまうのでしょうか。それは、私もまたパウルのような邪悪さを持っていることの証明にはならないでしょうか。恐ろしい映画です。
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by galarina | 2008-03-20 20:38 | 映画(は行)
2003年/フランス・オーストリア・ドイツ 監督/ミヒャエル・ハネケ

「忍耐力テスト」
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どこの国かも、何が起こったのかもわからないまま、粛々と物語が進み、最初の30分くらいは本当にイライラさせられます。これなら、まだ断片手法のほうがマシです。断片がヒントだと思えば、まだ謎解きをしてやろうという意欲も湧くものです。しかし、本作は一応時間通りに物語が進みますので、その成り行きを観客は眺めているしかありません。でも、何も提示してくれないので、我慢するしかありません。そして、全て見終わってようやく、合点が行きます。どこぞのサスペンスみたいにラスト30分で盛り上がるんではないですよ。全てです。全て見て、ああっ!となるんです。ある意味、ミステリーですね。しかし、忍耐力を伴います。

本作、主人公アンナのふたりの子供とはみ出し者の少年以外に子供が全く出てきません。それは、一つの伏線なんですね。いくら大災害とは言え、子供はみんな死んだということはないでしょうから。しかし、諍いの絶えない飢餓状況にどうしても目が奪われてしまいます。そうこうするうちに、姉の方が、死んだはずの父に手紙を書くことで精神的な安定を図ろうとしたり、盗みを繰り返す少年とコミュニケーションを取ろうとしたりします。つまり、極限状態に置かれた子供(姉)が、何とかぎりぎりのところで生き抜こうとする心理状況は見て取れるわけです。しかし、これまたハネケのいじわるな「引っかけ」であることを、最後の最後になって思い知ります。

弟の名前は「ベニー」。「ベニーズ・ビデオ」のベニーです。こんな大きなヒントを見逃していたとは迂闊でした。冒頭、青い鳥が死んだ後、私はすっかりベニーの存在を軽視していました。時折、集団から外れて家族を心配させたりしますが、姉のように行動を起こすことはほとんどなく、まるで存在していない、またはいても邪魔な存在のようになっていく。まさにそれこそ、ハネケの目論見だったわけです。

ショックでした。私には、大人のエゴイズム、無神経さを描いた作品のように思えるのです。私が本作でベニーのことなどすっかり忘れていたように、大人は少年たちの抱える闇に気づこうとしない、というハネケの警告ではないかと。(何せ名前がベニーですから)しかも、ベニーが取った行動のやるせなさを考えると、大人の何気ないひと言でも少年は傷つき、深く己と対峙するのがわかります。これは、まるで絵本のような語り口ですね。もし冒頭、「あるところにふたりの姉弟がおりました。そして、大きな災害がやって来て、人々は食べるものもないほど困っていました」というテロップが流れれば、きっとすんなり物語に入っていけるのになあと思います。でも、意地悪なハネケはそんなことしません。我慢して、我慢して見続けた後に、大人である我々は大目玉を食らい、深く反省させられるのです。
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by galarina | 2008-03-19 20:44 | 映画(た行)

恋しくて

2007年/日本 監督/中江裕司

「地方発、日本映画の可能性」
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沖縄の魅力を我々に見せ続けてきた中江監督。しかし、本作では沖縄を前面に出すことよりも、高校生らしい青春物語をクローズアップさせることに注力したようです。その狙いは、しっかりと達成されていて、うだうだとしたバンド練習のシーンやちょっぴりほろ苦い恋の行方など、「青いなあ」「若いっていいなあ」としみじみ思わせられました。

しかし。それでもなお、やっぱり「沖縄的なるもの」が本作を支えていることは間違いありません。これまで、「つかみ」や「フック」として利用されていたものが、本作では「隠し味」のようになっていると言ったらいいでしょうか。それは、例えば主人公の栄順がまだつきあい始めたばかりの加那子に「結婚して、子供作ろうさあ~」と言う。それは、都会の高校生の男子には、およそできない発言だと思われるのですが、沖縄が舞台だと、なるほど、そういう価値観なんだなあ、と妙に納得もし、また新鮮に感じられます。

また、加那子が見せる琉球唐手のシーンもとてもいい。空手は中国から沖縄に入り、唐手と呼ばれていた。そこから本土に伝わった時に「空手」と名前を変えていったようです。琉球唐手がどれほど現代の沖縄の若者に受け継がれているのか、私は知りません。しかし、気分がもやもやした時に精神統一のために黙々と空手の型を磨く。そんな加那子は、沖縄的なるものの継承者のようにも見え、彼女が最後に出す結論もしごく真っ当なものに思えます。

そうして全体を眺めていると、山下監督の「天然コケッコー」が頭に浮かびます。共に、甘酸っぱい恋模様が軸になっていて、作品をより豊かに見せるのは、方言、豊かな自然、そして地方の文化です。そんなことを考えていると、日本には、まだまだ地方発の青春映画の可能性があるのではないかと思わされるのです。例えば、香川の高校生は製麺所でデートするのだろうか、北海道の牧場の息子は絞りたての牛乳をガールフレンドに飲ませるのだろうか。いろいろ考えていると、何だか楽しくなってきます。これまで「沖縄」には飛び抜けて独自の文化があり、それを見せるだけで独創的な作品になるように思っていたのですが、それは大きな勘違いなのかも知れない。まだまだ、日本には面白い「隠し味」がいっぱいあるんではないか、この作品を見てついそんな風に思ってしまいました。
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by galarina | 2008-03-17 23:20 | 映画(か行)

モーツァルトとクジラ

2004年/アメリカ 監督/ペッター・ネス

「恋の成就が人生の門出 」
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アスペルガー症候群の2人のラブストーリーってことで、もっと恋の行方がしっちゃかめっちゃかするのかと思ったらさにあらず。病気によって引き出されるトラブルをあまり悲惨に見せていないの。それが、とても良かった。かわいそうだとか、たいへんだとか、観客がそう思ってしまう演出って、おそらくふたりのピュアな人間性を表現するには、邪魔ものでしかないと思う。この監督は、非常にスマートですね。

よって、誰にでも当てはまる普遍的なラブストーリーになっていると思います。誰かと深く関わることの畏れというのは、今を生きる現代人は少なからず持っているものでしょう。アスペルガー症候群の彼らはその「自分の殻」が我々よりも少々固い。でも、殻から出るのも、殻をつつかれるのも、誰だって怖いのです。殻に閉じこもっておけばラクだという気持ちと乗り越えたいという気持ち、その相反する感情に揺さぶられる。そんな境遇には、どんな人でも共感できるのではないでしょうか。

すばらしいのは、ふたりにとって恋が成就することが、すなわち人生を切り開くこととイコールである、ということ。恋が実って良かったね、という安堵感もありますが、むしろふたりが自分の手で人生の新たな門出を開いたその姿が感動的。全編に渡ってさらりと見せる演出なのですが、見終わった後でじわじわと幸福感が味わえる秀作だと思います。
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by galarina | 2008-03-14 22:46 | 映画(ま行)

ホリデイ

2006年/アメリカ 監督/ナンシー・マイヤーズ

「人物造形が甘い」
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大人のロマンスとして評価が高いんですが、私はちょっと辛口で。

ホーム・エクスチェンジは、面白いですね。身の回りの環境をごっそり変える。こんないい失恋からの立ち直り方法はないんじゃないでしょうか。でもね、4人の登場人物全てに作り込みの甘さを感じます。特にアマンダ。経営者の割にはキャピキャピし過ぎです。両親の離婚以来、涙を見せずに頑張ってきた、という設定なら、もう少し自立心のある女性、業界で生き抜いてきた自信や苦労、そういうものが見えるはずです。

脚本上、肉付けされたアマンダのあれこれ(それは、キャメロン・ディアスのキャラ頼みに見せないためのあざとさにも感じられる)とキャメロン演じるアマンダのイメージが、フィットしていない。そこがとにかく終始気になりました。申し訳ないですが、キャメロン・ディアスって下手だなぁ…。

また、ラブストーリーとしての、ドラマティックな盛り上がりに欠けます。心にじわ~んと来るのは、むしろアイリスと90歳の脚本家アーサーとの交流であったりするわけです。このエピソードは、サイドストーリーとして面白い展開には違いないのですが、メインを食ってしまうようでは…。むしろ、ジャック・ブラックのキャラをもっと立たせて欲しかった。悪い話じゃないけど、取り立ててグッと来るラブストーリーでもないなあ、というのが正直な感想です。まあ、お気楽なデートムービーにはピッタリというところでしょうか。
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by galarina | 2008-03-11 23:21 | 映画(は行)