「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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絶対の愛

2006年/韓国 監督/キム・ギドク

「愛は確認できない」
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(ラストシーンについて触れています)

冒頭、ハングル文字の真横に英語で原題が出てきます。「TIME」。私は妙にそれが頭に残って見始めたのですが、なるほど今作は愛を様々な「時間」というテーマで切り取っているのですね。私の顔に飽きてしまうのではないかというセヒの畏れは、すなわち、愛とは時間と共に風化してしまう代物なのか、という命題です。2年間付き合った彼女、整形してからマスクが取れるまでは6ヶ月など、時間を示すセリフも幾度となく強調されます。

また、ラストシーンがファーストシーンに繋がっていますが、結局これはセヒがスェヒに会うという顛末で、実際にはありえません。しかし、この連結が示すものは、メビウスの輪のような世界であり、セヒが同じ時をぐるぐると回り続けているように感じさせます。そう考えると、セヒという女性が受けるべき運命は何と過酷なものでしょう。いくら言葉や態度で示されていようと自分は本当に愛されているのか、と言う不安から逃れられない人間は、一生ぐるぐるとメビウスの輪の中を回り続けるしかない。セヒは無限に顔を変え続けるという罰を受けたのでしょうか。整形手術という現代的な事柄を切り口にしていますが、聖書のような話です。汝、愛されていることを確認するなかれ…。

ただ、「恋人として愛され続けること」と「新しい女として彼を誘惑すること」を同時に体験できるなんて、女としてこんな醍醐味はないんじゃないかと思ってしまう自分もいたりするんです。もちろん、そこには大きな矛盾があり、その苦悩もまた、罰であるんですが。まあ、男性であるギドクがこういう発想ができることに驚いてしまいます。

さて、ペミクミ彫刻公園は物語のテーマともぴったり重なり、手のひらの彫刻にふたりが座るショットなど、非常に印象に残る。しかしながら、何度も登場するため、この彫刻たちがもともと持っているテーマ性を少々拝借しすぎなように感じました。まあ、それでも左右の顔写真から成る整形外科のドアや唇がついた青いマスクなど、彫刻のパワーに負けないギドクの演出は実に愉快。教訓めいたお話ですが、こういう人を食ったような見せ方が彼らしい。来年から撮影に入る新作は、オダギリジョー主演。とても楽しみです。(結婚したのは、超悲しいが)
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by galarina | 2007-12-28 23:59 | 映画(さ行)

ばかのハコ船

2002年/日本 監督/山下敦弘

「軽々と枠を超えていく」

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前作「どんてん生活」でどこまで狙ってやってるんだろうと書きましたが、なーんも狙ってないことが本作を観てわかりました(笑)。思いつくままに、映画を撮ってる。そんな感じ。映画を撮らねばならない使命とか、映画で表現しなければならない苦悩とか、そんなもの、ここには微塵もない。こんなに自由に映画が撮れたらさぞかし気持ちがいいんじゃないでしょうか。そして、もし私が映画監督を目指しているような人間だったら、映画というおもちゃで自由に遊んでいるこの奔放さに大きな嫉妬を覚えそう。

恋人同士のふたりが「あかじる」の売り方で大真面目に議論するようなくだらないシーン、特に会話のやりとりで思わず笑ってしまうわけです。例えば、あかじるを売りに行った先でいとこが「うん、あたしにもそんな夢を追いかけた時期があるよ」なんて、大真面目に返したりして。あかじるが夢かよっ!なんてスクリーンにツッコむ。結局これって、延々と続く「ボケ」なんですよね。漫才で言うところの。なので、実は山下作品から松本人志のコントなんかも時折思い浮かべてしまうんです。(「大日本人」はまだ観ていませんが)

ボケ担当であるまっちゃんのコントも「わかるやつだけわかればいい」的奢りが感じられる、なーんて皮肉を言う人もいるけど、作り手にそんな気持ちはさらさらないと私は思うな。山下作品も同様に面白い人と面白くない人がいると思うんだけど、結局それは、作り手が限りなく自由に作っているからだと思う。大多数の人間を笑わせようという意思は全くないのよね。私は例によって、最初から最後までおかしくて、おかしくてしょうがなかった。

また、一方でダサイ人間の描写とか、噛み合わないセリフとか、それだけで成り立っているんじゃない、というのもつくづく痛感させられるのね。それは、構図の面白さとかカメラの位置。本作では、特にカメラの高さが気になったんだけど、視点やトリミングの仕方ひとつで笑いを出せるって言うのは、単なる思いつきだけではない映画人としての才能だと思う。

そもそも映画って「伝えたいメッセージを持つもの」という固定概念があるでしょ。そういう枠を完全に飛び越えちゃってる。全ての表現において、テーマはなし、自由にやれって言われることほど、難しいことはないもん。しかも、この全くもってくだらない物語を終盤しっかり収束させようとしているところがすごい。それは、ふたりがどうなる、という顛末としての収束ではなく、映画としての収束ね。久子の哀しさ、大輔のやるせなさ、と言った情緒的なものをスパイスのように効かせて、見事なオチへと繋げていく。うまいなあ。
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by galarina | 2007-12-24 23:52 | 映画(は行)
<梅田ブルクにて「3Dバージョン」を観賞>
2007年/アメリカ 監督/ロバート・ゼメキス

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とにかく「3D」の技術が評判が高いもので、観てきました。目の前に矢は飛んでくるし、人間が飛んだり、ひっくり返ったりする様もリアルだし、迫力抜群でした。いたるところで、3D用に構図されている箇所があるため、通常バージョンで観るとなんでこの構図なの?と思うところがあるようです。つまり、3Dでこそ、観るべき映画というところでしょうか。ラストの竜との対決シーンは、まさにそんな感じでした。

しかし、私はとても目が疲れました。映像関係に詳しい方から字幕の位置が前後していることも関係しているのでは?と言われ、なるほど、そうかも、と。3Dゆえに映像の奥行きがハンパないんですが、字幕の奥行き感が一定していないんです。「メガネをかけている」ということも、意外と気になっている上に、字幕を追いかけなきゃいけない。吹き替えで、ただぼーっと絵だけを眺めている方が目には良さそう。というわけで時間があれば息子と「ルイスと未来泥棒」の3Dを見に行こうかな。

最新の映像体験ができた、ということでは満足度高いです。でも、やっぱり私という人間は、映画に対して、映像よりも、物語に重点を置いているんだなあ、ということを再確認できました。それは、この「ベオウルフ」がメッセージ性がないってことではなく、本作が示すメッセージは、私の好みではなかった、ということです。

原作を読んでいないので、勝手なことは言えませんですが、これは「父性」がテーマではないのでしょうか。本作は隅から隅まで、権力を獲得すること、権力を示すこと、権力を維持することにまつわる物語です。その権力を邪魔するのは、女の誘惑であり、我が息子であります。旧約聖書に父が息子を殺す、という話があるそうですが、父の威厳を脅かす息子というのは、非常に良くあるモチーフです。そして、こういう物語は、正直、私はあまり好みじゃないの。ごく普通の現代劇でも父と息子の相克を描いた作品とかって、あんまり惹かれないんですよね(苦笑)。

なので、私は途中からベオウルフという1人の男の物語ということにフォーカスして観ました。そうすると、類い希な力と勇気を持った男の悲劇として、堪能できました。何もかも手には入れたものの、それは悪魔のような女とのたった一度の契り(=契約)によって何とか均衡が保たれているものに過ぎない。それが、いつかは崩れるのではないかという恐怖、愛する妻への後ろめたさ。晩年のベオウルフには、若かった頃の威厳や自信は見る影もなく、昔の栄光に頼って生きているだけ。しかし、最後に勇者としての誇りを見せるわけですね。(あれ?設定は全然違いますけど、ロッキーもそんなテーマだったな…笑)ラストの竜との対決に至るベオウルフは、実に精悍な顔つきで、己の命を賭けてでもけじめを付けようとするその姿には少なからず心を打たれました。それしても、男って哀しい生き物だなあと思ったのは、私だけでしょうか。
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by galarina | 2007-12-23 23:11 | 映画(は行)

2005年/韓国 監督/キム・ギドク

「どんな形でも愛は、愛。」

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すばらしかったです。ため息出ました。空に放たれた矢が彼女の「中」に舞い戻るラストシークエンスは息を呑みました。自分勝手な思い込みだけで構築されている老人の愛をいったんは拒否した少女でしたが、最後はその命懸けの熱情に応えるのでした。いくら自由を束縛されようと、それはそれで崇高な愛の形であり、全身全霊でひとりの男に愛されることほど、女に生まれて無上の喜びはなかろうと思わされました。

男の性欲だけを満たさんがために一方的に女を監禁して、いつのまにやら女もその気に、なんて反吐が出そうな映画と、この「弓」という作品の違いは何かと聞かれると、実は論理的にうまく説明できません。結局は作品全体から、それを「愛」だと観客が感じられるかどうか、だと思います。主人公ふたりにはほとんどセリフがなく、目や表情で互いの意思が表現されます。抑えた演出なんてベタな表現が恥ずかしくなるほど、ふたりのシーンはただ相手に対する「想い」が一切のセリフや感情的表現を廃して示されている。その排除の仕方は、強引とも言えるほどですが、これぞまさにギドクならではのテクニックだろうと感心せざるを得ません。

そして設定は奇異でも、伝えたいことは実に単純。愛とは何か。人を愛するとはどういうことか。本作のすばらしいのは、このような突拍子もない設定の物語から最終的には誰にでも当てはまる普遍的なテーマへと視点を下ろせるところなのでしょう。そして、色鮮やかな映像、弓占いという独自の表現が絡み合って生まれる作品の超越的なムードが一つの寓話として我々を強く魅了します。これは、ギドク作品でも大好きな1本となりました。そして、その感情をほぼ「目」だけで演じきった主演のハン・ヨルムという若い女優に心からの拍手を贈りたい気持ちでいっぱいです。
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by galarina | 2007-12-21 23:35 | 映画(や行)

盗まれた欲情

1958年/日本 監督/今村昌平

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今村昌平のデビュー作。ドサ廻りの芝居一座を舞台に人間味豊かな役者達を描く。

デビュー作とは思えないほど、伸び伸びしてます。大阪の芝居一座ってことで、関西弁も賑やかだし、セリフも早口だし、芝居小屋の熱気がムンムン伝わってくる。ただ、当時の音響の問題なのか、ちょっとガチャガチャしててセリフが聞き取りにくい。しかも、ずっとテンションが高いままなんで、ちょっと見ていて疲れるなあ。もう少し緩急が欲しい。

昔は芝居小屋が村にやってくるというのは、一大事件だったんですね。村人たちの喜びようと言ったらすごいの。何はさておき、芝居だ!ってんで、みんな興奮状態。今では考えられないけど、でも、ある意味ハレとケがはっきりしてて、逆に羨ましいかも。ただ、村娘が一座に入りたいって言ったら、いきなり座員は洋服脱がすし、興奮した村人は劇団の女をみんなでかっさらっちゃうし、いやはや…。まあ、このわやくちゃでエネルギッシュな感じが今村らしさですね。

大卒の小屋になじめぬ脚本家を長門裕之が演じてます。青いんだ、コイツが。インテリのこの脚本家とはちゃめちゃな座員のコントラストが面白い。そして、初々しい南田洋子に対して菅井きんがすでに嫌なババア役。ここもコントラスト効いてます。芝居小屋を建てるシーンや芝居に一喜一憂しておひねりを投げるシーンなど、村人たちの躍動感あふれる演出が印象的。それにしても、なんで「盗まれた欲情」ってタイトルなんだろう。それが疑問だ(笑)。
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by galarina | 2007-12-19 23:29 | 映画(な行)
2006年/アメリカ 監督/シルベスター・スタローン

「エンドロールが一番良かった」

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本編よりもエンドロールで、ぐっと来てしまった。テーマ曲をBGMに「ロッキー」の名シーンを真似する人々。おばあちゃんから子供まで、フィラデルフィア美術館の大階段を駆け上って、嬉しそうに天に拳をつきあげる。ああ、映画っていいなあ。映画の、ほんの一シーンが、こんなに多くの人々の脳裏に刻まれてるなんて、映画ってすごいなあ。そんなことが頭を駆けめぐり、なんかじわ~んとしてしまったのでした。

肝心の物語の方ですが、正直もう少し脚本練れなかったものかしら。ロッキーを取り巻く人々のサブストーリーに深みをもたせれば、全体的な質も上がったのに、と思う。ロッキーとマリー、ロッキーとポーリー、ロッキーと息子。それぞれの関係性の描き方が物足りない。というのも、「理由がないとおせっかいしちゃダメなのか?」というロッキーの言葉はとてもいいなあ、と思ったから。今の時代に映画を作ると大なり小なり、人と人との繋がりやディスコミュニケーションに言及せざるを得ない。懐古趣味の映画かも知れないけど、しっかり現代を捉えようとしている。最終的にみんなロッキーを応援するようになるのだけど、ちょっと短絡的な展開なのよね。

ラストのファイトシーンは、さすがラスベガスと言える実にド派手なリングで本物のマッチのように臨場感満点。でも、ロッキーの姿で最も印象深いのはエイドリアンの墓参りの時。ファーストシーンとラストシーン、共にスタローンの横顔がアップでスクリーンに映る。寂しげなんだけど、初老の男の味わいが滲み出ていて、思わず見入ってしまったのでした。
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by galarina | 2007-12-18 23:34 | 映画(ら行)

40歳の童貞男

2005年/アメリカ 監督/ジャド・アパトー

「尻上がりに面白くなる」

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いい年した童貞男をみんなでいじって、下ネタで笑わせておいて、後は「童貞喪失バンザイ!」というちゃらけた映画かと思っていたら、さにあらず。だんだん尻上がりに面白くなる。後半はピュアなラブストーリーで、初恋を叶えるために仲間がこぞって奮闘するような青春映画のよう。コメディあまり観ない方なので偉そうなことは言えませんが、「もしも昨日が選べたら」よりは断然良かったです。

確かに卑猥な言葉も出てくるけど、演出としては、無理矢理エロなシーンにするベタさがなくって、むしろ爽やかなシーンの方が印象に残ってたりするの。颯爽と自転車通勤してるシーンとか、子供に手品を見せたりするシーンとか。アンディ自身にまつわる描写はすごく好感が持てる。別にこの人、変わることなんかないじゃない。今のままでもいいじゃない、なんて思ったりして。そういう気持ちで観ているから、後半はごく普通の初恋物語に見えてきて微笑ましいの。あと、相手役をキャサリン・キーナーにしたのが良かったね。彼女が出ているおかげで、おバカ映画には全然見えない。

それから、音楽の使い方がとってもツボを抑えてる。冒頭、電気店で「毎日マイケル・マクドナルドばっかり流すな!」って怒ってる店員がいて、爆笑。(私は「ヤ・モ・ビー・ゼア」好きなんだけどなあ)で、アンディが意を決してポルノビデオ見るシーンは、なぜかライオネル・リッチーのメロウなバラード「ハロー」。この組み合わせ方、うまいなあ。で、ラストの「アクエリアス」で歌って踊っての大団円でしょ。80年代のなつかしポップチューンがしっかり笑いを引き出していて、なかなかやるじゃん、と思ってしまいました。
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by galarina | 2007-12-17 23:20 | 映画(や行)

悪魔の手毬歌

1977年/日本 監督/市川崑

「磯川警部にもっとスポットを当てた方が良かった」

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角川で大ヒットした作品をを東宝に移しての2作目。市川+石坂版では、最高傑作と言われることが多いようですが、私は獄門島の方が好きです。その評価の高さは、若山富三郎が演じる磯川警部と岸恵子が演じる青池リカの悲恋にあるようで、確かに原作よりはうまく料理できていると思います。ただ、作品全体を眺めると磯川警部の存在感は決して大きくないんですね。その理由は、私は加藤武演じる立花警部の存在感のせいだと思います。一つの事件にふたりの警部が共存しているんです。これ、原作は違うだろうと思ってました。「よーし、わかった!」のセリフを言わせるために無理矢理キャスティングしたんだろうと。そしたら、原作もそうだったんです。驚きました。ただ原作の立花警部はもっと地味で名台詞も言わないし、薬も持ち歩いてません。

この年は続けて「獄門島」も発表しており、加藤武はそっちも出演しています。ですから、いっそのこと「悪魔」は磯川警部に絞っても良かったんじゃないでしょうか。そしたら、リカとの悲恋ももっとクローズアップされたのに。元々原作の金田一シリーズにおいて磯川警部は、どのキャラよりも金田一と親交が深く、原作ファンには思い入れの深い存在。でも、加藤武というキャラがそのポジションを奪ってしまってるんですからね。本シリーズにおける笑いの要素というのは、とても重要なのはわかるのだけど、加藤武が出ずとも、大滝修治やら三木のり平がその役割を十分果たせています。本作の大滝修治は最高です。それから、白石加代子もすごいです。気味が悪くてぞわ~と鳥肌が立ちそうになります。

そして、市川作品にも数多く出演している岸恵子。さすがに市川監督は美しく撮っています。しかも、なぜか市川監督はリカというキャラクターに「おっちょこちょいで忘れっぽい女」という肉付けを行っています。そのことによって、リカは終始お茶目で明るくて生き生きとした女に見え、一転して後半は犯人の抱える哀切へと繋げていく。原作にはない、登場人物の新たな一面を加えるというのが市川監督は実にうまい。それは、原作を変えてオリジナリティを出したいということではなく、原作を深く読み理解しているからこそできることだと思います。

市川監督が金田一耕助を語る時に「天使」とか「神の視点」のようなことを話しているのを聞いたことがあります。なるほど金田一を前にしての犯人の告白は懺悔のようでもあります。原作でリカは放火をした後、沼に転げ落ちて事故死するのですが、映画ではしっかり懺悔のシーンが用意されています。そして、ラスト。「あなたはリカさんを愛していたのですね」という言葉が、走りゆく機関車の音にかき消されてゆく。ここはシリーズ中最も印象に残る名シーンではないでしょうか。
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by galarina | 2007-12-16 23:48 | 映画(あ行)

原作/悪魔の手毬歌

発表年/昭和32年
舞台/昭和30年7月、岡山県・鬼首村


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「見立て殺人」で、かつ「被害者は3人の娘」という設定。これは「獄門島」にとても似ている。しかも、映画は「悪魔の手毬歌」が先に公開されているので、こちらが元ネタかと思ったら実は逆。「獄門島」がとても評判が良かったので、それに似たムードを、という周りの要望から生まれたようです。

本作の大きなポイントは磯川警部が犯人の青池リカを愛してしまった、ということなのですが、実際に原作を読んでみると、意外と警部の苦悩と言うのはあまり顕わになってないんですね。物語の進行の中で、ふたりがしんみりと会話するシーンもないし、ラストの金田一の告白に慟哭するわけでもありません。この悲恋はむしろ映画の方がうまく盛り上げています。

「獄門島」が芭蕉の俳句という実際の俳句を使用したのに対して、この手毬歌は横溝正史が創り出したもののようです。よって、何だか都合良くストーリーが進むなあ、という感じが否めません。桝屋、秤屋、錠前屋という屋号についても、できすぎじゃないの~なんて(笑)。まあ、もちろん、それらしい歌詞を創り出すという作業はなかなか凡人にはできることではないのですが。

手毬歌になぞらえる殺人と言う描写がセンセーショナルで目を引きがちなんですけど、私が感心したのはむしろ入り組んだ人間関係。本作は意外と登場人物が多いです。しかも、閉ざされた田舎町でそれぞれ怨恨だの、恋愛だの、様々な関係が入り乱れているんですが、恩田という詐欺師を軸にうまく糸が繋がっています。また、青柳源治郎と恩田幾三は同一人物だった、というトリックは巧いですね。犯人と被害者が入れ替わるというのは、おそらくよくあるパターンだった思うのですが、同一人物に仕立て上げた。この秘密が明らかにされぬまま、リカが死に、一同は金田一の告白を待つわけですから、ラストにミステリーの醍醐味であるカタルシスはしっかり味わえます。

グラマーガールとかトーキーと言った時代の移り変わりを作品に取り込む巧さはさすがです。どの作品でもそうですが、戦後間もない日本の姿なんて、今や映画か小説でしか知りようがありません。そういう意味では横溝作品を「昭和00年の物語である」とまず頭にきちんと刻み込んでから読めば、歴史の教科書を読むよりも断然リアルに当時の日本を感じ取れる。これもまた横溝作品のすばらしさの一つですね。
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by galarina | 2007-12-13 23:36 | 映画の原作

デジャヴ

2006年/アメリカ 監督/トニー・スコット

「最初から最後までクライマックス」

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予備知識は、ジェリー・ブラッカイマー製作とタイム・ウィンドウという言葉だけ。後はストーリーとか何も知らずに見たんですが、これが大正解。面白いエンタメが見たい、と言う人なら誰にでも太鼓判を押します。何も知らずにいればいるほど、楽しめる作品なので、まだ見ていない人は、以下のレビューは絶対に読まないように。

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全体の構成が実にお見事です。最初から最後まで飽きさせない良質のエンタメ映画はたくさんありますが、本作のすばらしさは、アクションだけで突っ走るのではない、展開のバリエーション。物語は、船の出航シーンで始まりますが、ドキュメンタリー風の映像で「ユナイテッド93」を思い出しました。やや間延びしたような雰囲気で一見退屈なシーン。これが、後になって生きてくるんですね。全く同じ映像なのに、プロローグの間延び感は吹っ飛んで、ハラハラドキドキ。観客の心理状況によって同じ映像を使い分けるなんて、思わず「巧いねえ」と声に出してしまったほど。

そして、プロローグののんびりムードを突き破る大爆発→頭のキレる一匹狼風捜査官の登場→タイム・ウィンドウなるハイテク機器による監視→4日という時空を越えたカーチェイス→タイムマシンに乗って過去戻り→愛する女性の大救出劇→ビックリ仰天のどんでん返しと、クライマックスは一体どこなんだ、と言うくらい、最初から最後まで「山場」の映画なんですね、これはすごい。緩急の緩と言えば、最初の出航シーンだけじゃないでしょうか。しかも、ラブストーリーとしてのテイストまで混合してしまうなんて恐れ入ります。「タイムウィンドウ」という秀逸のアイデアも、作品の後半は捨ててしまいますからね、この切り替えはすごいです。

常にタイムパラドクスが気になってしょうがない私は、本作においても「誰かちゃんと説明してくれ!」と叫びたい箇所がなかったわけではありません。特に、エンディング。また、ダグのタイムスリップは実は2度目だ、という意見があるんですけど、そういう新たな発見を聞かされると、さらに頭の中がこんぐらがって、どうしようもありません。でも、これだけの大作ですから、科学的な道理を逸脱しておいて知らん顔しているとは思えない。それなりに辻褄は合うんでしょう。そのために、いろんな伏線が張られているんだし。でも、私はこの伏線ばかり追いかける見方はしない方がいいと思う。少々の「なんで?」は置いておいて、「へ~!」「すげ~!」に徹しましょう。よくよく噛み砕いて見ればありえないことだらけですが、物語は全然浮いてなくてどっしりしてます。監督トニー・スコットとデンゼル・ワシントンの力量でしょう。
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by galarina | 2007-12-12 23:04 | 映画(た行)