「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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日本以外全部沈没

2006年/日本 監督/河崎実

「筒井の毒を映像化するってのは難しいんだなあ」

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人にオススメするとか、しないとか、そういう基準で語ることは全くできません(笑)。私の興味は、あの毒がてんこ盛りの原作をどれくらい再現できているのか、ということ。結果としては、筒井康隆らしいシュールさは表現しきれなかったなあという感じ。

「世の中が日本だけになったら」という仮定から想起される様々な出来事は、日本人のプライドや島国根性、そして、それに相反するように持ち合わせている自虐意識を浮き彫りにする。その発想に気づいた筒井康隆は実に頭がいいと思う。文体は下品で過激だけれども、突きつけられるのは日本人としてのアイデンティティー。そこにスポットを当てて観れば、各国の首相のパロディは、よくぞここまでできたな、と思う。中国の首相に「虐殺の歴史は中国大陸と共に海に流した」と言わせてますからね。よく映倫通りましたよ。また、日本人音頭に始まり、外国人を一掃するGATなど、文字通り「日本人がいちばん!」という描写の列挙に対して、観る側がどれほど居心地の悪さを感じるかは、一種の踏み絵とも呼べるのかも知れない。日本の首相にヨイショしまくる中国や韓国の首相の姿を見て、痛快、と思える人はいないでしょうからね。

が、いかんせん、「対白人」における描写に関しては、かなりツライ。そして、ここを許せるかどうかが、本作を楽しめる分かれ目でしょう。日本人が持つ白人への憧れや引け目。それが、ハリウッドスターが日本で転落していく様子を通じて顕わになる。しかし、ハリウッドからなだれ込んでくる有名人がみんなソックリさんですからね。これでは、原作が持ち合わせているメッセージを表現するのはかなり難しい。だが、映画はハナから低予算、チープだと宣言しているのですから、そこを突っ込むのは筋違いかも知れません。良くも悪くも筒井風味を河崎流に全編アレンジされちゃったということです。

このネタで98分ですか。いっそのこと75分くらいの映画にしてしまえば、ガハハと笑って終われたような気がします。で、その後に、意外と自分の日本人観を試されたのかも知れない、と余韻を味わえたんじゃないかな。
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by galarina | 2007-10-31 23:42 | 映画(な行)

ヘアスプレー

2007年/アメリカ 監督/アダム・シャンクマン
<梅田ピカデリーにて鑑賞>

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見終わってこんなにポジティブな気持ちになった作品は久しぶり!まあ、トレーシーのなりふり構わぬ一直線な行動は、人種問題という側面から見れば、なんなりと突っ込める部分はあるのだけれど、それをこの作品でとやかく言うのは野暮というもの。正直で明るくていつも前向きなトレーシーに、みんな乗っかっちゃって、楽しく弾けましょう。

「ボーダーを超える」ということがテーマでありますが、「コーニー・コリンズ・ショー」のダンスシーンで、まさに白人と黒人の間にロープが引かれており(これまた、ものすごいあからさまでビックリするんだけど)、ここをトレーシーがいとも簡単に黒人の男の子と手を取り合って超えていってしまう。このわかりやすさがいいのよね。観客の性別や年代に関わらず、全ての人がトレーシーがやろうとしていることに共感できるようになっている。もちろん、音楽のパワフルさも手伝って、2時間があっという間。

実は、ワタクシこの作品何の事前情報も持たずに見に行ったもんで、音楽はもっと60年代の白人音楽が中心だと思ってたのね。そしたら、次から次へと繰り出されるブラック・ミュージックに踊り出したくなりました。しかも、あまりにもあからさまな黒人差別を目の当たりにして、こういうことがつい40年前まであったんだな、と思うと、音楽の弾けっぷりとは相反して妙にしんみりしてしまうことも。例えば劇中、黒人を呼ぶときはほとんど「ニグロ」という言葉が使われていて、それはおそらく当時としては当たり前だったんだろうけど、今ではその言葉は差別語であるわけで、そういう「当たり前な差別」がたくさん出てくる。

さて、1962年代のボルチモアが舞台。奇しくも私が夢中になった「ドリーム・ガールズ」と全く同じ年代。なので、「ドリーム・ガールズ」と表裏の存在としても本作は楽しめると思います。「ドリーム・ガールズ」は、出演者は全て黒人。「白人ウケ」するための音楽作りが対立の火種になっていて、黒人音楽は白人にパクられている。一方、「ヘアスプレー」は、白人トレーシーが黒人のダンスを取り入れようとするし、白人3人娘の歌を黒人3人娘がカヴァーして、プロデューサーベルマが抗議する。

いずれも白人と黒人のカルチャーが交錯しようとする摩擦を描いているんだけども、誰の視点で語るかによって、こうも浮き彫りになる問題は違うものかと興味深い。また、デトロイトとボルチモアという舞台の違いももちろんあるわけで、同じ年なのに起きていることがこうも違うなんて、アメリカってつくづく広い国だなと思った。

女装のトラボルタは、最後にオイシイところを持っていっちゃって、なかなか引き受けなかったというミュージカルの仕事をやった甲斐がありました。主役のニッキー・ブロンスキーは、まあダンスがパワフルだし、歌も上手いし、ジェニファー・ハドソン同様、オーディションでこういう人材がザックザックと出てくるアメリカってすげえや、と素直に感心したのであります。
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by galarina | 2007-10-30 23:13 | 映画(は行)

虹の女神

2006年/日本 監督/熊澤尚人

「この作品から切なさを剥ぎ取ると何が残る?」

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元々岩井作品が苦手なんだけれども、出演俳優に惹かれて鑑賞。が、しかし、何とも言えないもやもやばかりが残る作品であった。確かに切なさを描くテクニックはうまい。水平の虹、なんて目の付け所もいい。それでもね、主人公智也の常識を遙かに超えた鈍感ぶりは切ないというよりも、いい加減にしてくれ、という感じ。

「失って初めてわかる大切なもの」がテーマなんでしょうか?しかし、智也にとって、あおいが大切な存在であることを気づく場面は、彼女がアメリカに行く前から散々ありました。結局、彼が己のストレートな感情を表現したのは、あおいが死んでから妹の前で号泣するシーンであります。そこまで行き着かないと、自分の気持ちが出せないのですか、この男は?もちろん、なかなか恋愛に発展しない男と女のすれ違いを描いているのはわかります。誰にだって、そういう経験はあります。でも、それを通じて監督が伝えたいことは何なのでしょう?ただただ、切なけりゃいいんでしょうか?そういう映画は私は御免です。

ダメ男が主人公の映画って、私は大好きです。けど、それは情けなさの中に人間的なものがあり、喜怒哀楽があり、愛おしさがあるからなんです。だって、胸に携帯電話をしこんでピカピカ光らせてるような10も年上の女に体よく騙されるなんて、正直この男かなりイタい。なんかね、同情の余地なしって感じなの、アタシの目から見ると。そこを「そうか、そうか、つらかったね」とポンポンと肩を叩いてやるようなムードを40歳の熊澤監督、及び44歳の岩井監督が作り上げていることに、私は違和感を覚えてしょうがない。

上野樹里、蒼井優、市原隼人。この3人は、とてもいい。3人ともこんなぽわーんとした作風の中でしっかり存在感を出しているところに役者としての底力を感じる。特に市原隼人の自然体の演技が光る。ストーカーで鈍感でイタイという、最悪のキャラクターが美しい物語に何とか溶け込んでいるのも彼の演技のおかげかな、と思うほど。つまらんテレビドラマには出ないで、頑張って映画俳優の道を突き進んで欲しいな。見直しました。

印象的な絵がありましたか?と聞かれると、たくさん答えられる。だけど、美しさにごまかされた物語は嫌いだ。岩井監督、いい加減「切ない」は卒業して大人の愛を描いたらどうでしょうか?って、大きなお世話ですな。
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by galarina | 2007-10-29 23:26 | 映画(な行)

誰がために

2005年/日本 監督/日向寺太郎

「風景がこんなにも雄弁だなんて」

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とても、とても、良かった。愛する人を少年に殺された男の物語、と聞いて、やりきれなさが前面に出た作品かと、手を引っ込めてしまう人もいるかも知れない。現に私もそう思って二の足を踏んでいた。でも、そうではなかった。今、何とも言い難い余韻に浸っている。

少年犯罪がテーマであると聞いた時に、誰もがその矛盾を糾弾したり、被害者家族の苦しみがスクリーンいっぱいに広がる作品だと予測するだろう。しかし、この作品にそのようなものはない。確かに矛盾も苦しみも少なからず表現されているが、それらの感情を埋めるかのように次々と目の前に現れるのは、とめどない「風景」なのだ。下町の商店街、路面電車、風見鶏を始めとする、文字通り「映像の風景」。そして、亜弥子が写す写真から読み取ることのできる登場人物の「心象風景」。

本作、この「写真」の物語への取り込み方が実にうまい。写真は、ストップモーションの世界。映像表現とは異なる次元のものだが、戦場カメラマンであった民郎が撮ったパレスチナの写真、写真館で撮影される記念写真、亜弥子が撮った風の写真が見事に映像と絡み合い、物語を彩っている。こうしてたくさんの風景が目の前を流れてゆく。そして、それらの風景が喜び、つらさ、悲しみ、憤りという人々の心模様を代弁している。「心を風景で伝える」。作品全体の穏やかなトーンとは反して、これは実に挑戦的な試みではないだろうか。

また、「風景」に重きを置いた作品と言うと、何だか退屈そうにも聞こえるが、全くそんなことはない。何より風景の映像そのものが大きな力を持っているのだ。また物語は、少年犯罪と被害者の家族という誰もが感情移入しやすいテーマであり、結局民郎は少年に復讐するのだろうか、という観客の興味はしっかりと最後まで引きつけられている。それに、日常生活の喜び、小さな幸福感がきちんと描かれている。特に民郎と亜弥子が徐々に心を通わせるようになるシーンはとても素敵で、彼女は死んでしまうんだということがわかっているから余計なのか、とても儚く美しい映像に見える。

そして、行く末を観客に委ねるラストシーンのすばらしさ。やり切れなさに包まれた民郎はあの後果たしてどうしたのだろうか。私は「あそこ」に入っていったと思いたい。様々な感情が渦巻くラストシーンだ。

さて、浅野忠信の演技を物足りなく思われる方がいるのもわかる。しかしそれは、愛する人を失ったのだから、狂わんばかりに泣いたり、怒りで自分を失いそうな演技を「して欲しい」という観客の勝手なお願いではなかろうか。日向時監督は、このあまりにも不条理な事件に巻き込まれた人々の心情をそのままストレートな演技表現で伝えようとはしていない。もし、そうしたいのなら、主演俳優は間違いなく違う人物を起用しただろうし、脚本に「民郎、そこで泣き崩れる」とたった一行のト書きを書けばいいことなのだ。どうか、目の前を流れる豊かな風景から多くの感情を読み取って欲しい。

最後にこの作品、音楽がとてもすばらしい。誰かと思ったら、矢野顕子でした。そうと知っていたらもっと早く観たのに!と激しく後悔。アッコちゃんは、これまであまり映画音楽を手がけてないと思う。おそらくそれは、元夫・坂本龍一がたくさんの映画音楽を手がけていて、何かと引き合いに出されるのを嫌ったからではないか(アーティストのプライドとして)、と個人的には思っている。坂本龍一のキャッチーでメロディアスな旋律が時に映画音楽としては主張が強く感じられるのに対し、アッコちゃんのピアノは、全ての風景に寄り添うように奏でられている。それが、この作品の表現スタイルと見事に合っている。作品と音楽との関係性がここまで完璧なものは久しぶりだと感じたぐらい良かった。
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by galarina | 2007-10-26 23:25 | 映画(た行)

PERFECT BLUE

1997年/日本 監督/今敏


「アニメの扉が全開、とまでは行かないが…」


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「パプリカ」が面白かったので、借りてみましたが、結構本格的なサイコ・サスペンス。アニメとしては異色ですね。

元アイドルとオタク少年という設定に最初は引いちゃったんですけれども、主人公未麻がもう1人の自分にさいなまれるあたりからどんどん面白くなりました。「未麻自身が見ている妄想」と「連続殺人事件の犯人捜し」という2つの謎がどう絡み合ってくるのか、見ている側はいろんな推測ができるよう、様々な伏線が張られている。なかなかしっかりした脚本です。

中でも秀逸なのは、未麻が部屋で覚醒する一連のシークエンス。今見た悪夢は「夢」なのか、それとも「現実」なのか。しかも、気づくとベッドの上だったと言う同じシチュエーションを繰り返し使用することで、「夢の中の夢」という入れ子構造とも解釈できるよう作ってある。また、未麻が出演しているドラマのストーリーと現実に起きていることが非常に似通っていており、様々なエピソードの境目がどんどん曖昧になっていく。そのことで、未麻は妄想を見ているのか、それとも多重人格者なのか、はたまた誰かが彼女に罠をしかけているのか…私の妄想もどんどん膨らむ。見ながら真相を推測するのは、この手の映画のいちばんの醍醐味。存分に楽しませてもらいました。

元アイドルが主人公となると、実写で作ればすごく安っぽい仕上がりになってしまいそうな気がします。「着信アリ」とか「オトシモノ」とか、その手のジャンルがありますね。だから、むしろアニメで良かったのかも知れません。今敏監督の作風なのか、やけに落ち着いたムードがあって、アキバ系のテイストをうまく抑えています。そうそう、未麻がパソコンを始めるってんで買ってきた初期のmacがやけに懐かしかった。そして、この手の作品はイヤっていう程観ているのに、ラストはコロッと騙されました。それはつまり、サスペンスとしては十分面白かったということです。
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by galarina | 2007-10-25 23:17 | 映画(は行)

ギフト

2000年/アメリカ 監督/サム・ライミ

「ケイトのすってんころりん」
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超能力と殺人事件の組み合わせ。いわゆるサイキック・ミステリーかと思いきや、人にはない才能(=ギフト)を持ったことで悩むひとりの女の物語にフォーカスしている。そこが、本作がその他大勢のサイコ物語とひと味違った味わいを見せている一番大きな点ですね。そして、ヒラリー・スワンクにキアヌ・リーブスなど役者陣が何気に豪華なことも、功を奏している。だって、そのせいで、もしかしてコイツが裏で糸を引いているのでは!などあれこれ妄想してしまったもの。

こんなに小さな田舎町で霊感を利用して小遣い稼ぎなんて、いかにその才能が本物でも住民から疎まれるでしょう。でも、夫も死に、子供を3人抱えて生活するにはやむを得ない。その仕方なさと人の良さは、とにもかくにもケイト・ブランシェットだから納得させられちゃった感じ。彼女が主人公じゃなかったなら、果たしてこの物語は成立したのかな、と思うほど。「あるスキャンダルの覚え書き」もそうだったけど、この人はとても美人なのに、晴れやかな役以上に暗い役がうまい。悩んだり、困ったりしている様子に、観客は否応なく吸い込まれる。これだけいじめられる役って言うのは、「そういうアンタも軽率なんじゃないの?」と少なからず思ってしまうものなんだけど。

思うに、パンツ丸出しですってんころりん、なんてシーンがあります。こういう「素」の演技が効いているんですね。しかも、なぜかひらひらした生地の短いワンピースを着ていることが多い。男の子を3人も育てている母親なら、もっと無骨にパンツルックでしょう。しかし、その場合、主人公の魅力は半減したはず。とことん、アニーという女性の描写を、無防備さ、あどけなさを強調することで徹底的な善として描いているのがうまいな、と思った。

フラッシュバックの挿入の仕方や、霊感が働いてスローモーションになるシーンなど、メリハリのある映像で全体のリズムもとてもいい。ラストのどんでん返しもあっとビックリ、というよりは、驚きだけどしみじみ…、といった感じでなかなか最後までいろんな楽しみが詰まった1本だと思います。
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by galarina | 2007-10-24 23:09 | 映画(か行)
1989年/アメリカ 監督/デヴィッド・リンチ
<episode27~episode29>

「ブラックロッジに酔いしれて」
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物語の筋が通らないとか、あのエピソードはどうなったとか、そういうことはどうでも良くなるくらい、最終回に酔いしれました。最終回エピソード29の監督は、デヴィッド・リンチ本人です。

物語冒頭、オードリーが貸金庫で出会う、のろまな老人。最終回だと言うのに、そのあまりにもスローな動きにイラつきませんでしたか?第一、常識的に考えればお客様の大事な物を預かる貸金庫の番人があんな老人であるはずはない。しかし、この一連のシークエンスこそ、実にリンチらしい。とことん観るものを惑わす、それがリンチのやり方。最終回だからこそ、全てがうまくまとまるはずという我々の思惑をあざ笑うかのように、人々の人間関係は崩壊してゆくのだ。

ローラを殺した犯人がつかまった時点で、明らかにせねばならないものは、なくなっていた。ブラックロッジとはいかなる世界か、それが最後に残された疑問であるならば、この最終回は見事にその答を提示したと言えるだろう。赤いカーテンの部屋で繰り広げられるめくるめく幻想の世界。完全悪が存在する世界というのに、この妖しげで美しい様はどうだろう。そう、ブラックロッジは、美しいものしかふさわしくない。邪悪にむしばまれたウィンダム・アールがあのカーテンの部屋に現れた時、何と不釣り合いな存在に見えたことか。

そして、ローラ。おお、懐かしいローラ。その存在はもはやブラックロッジの女王として君臨している。小人がつぶやく。「ドッペルゲンガー」。ついにクーパーも彼らの手に墜ちた。ローラは言う。「25年後に会いましょう」。果たして、それまでクーパーはブラックロッジの使者として仕えることになるのだろうか。いや、ローラの母が大佐を呼び出したではないか、「ブラックロッジで待っている」と。大佐はクーパーを助けてくれるだろうか。それとも盟友ハリーが力を貸してくれるだろうか…。

まだまだキラーボブの支配は続く。しかし、二つの扉は同時に開くと誰かが言わなかっただろうか。ブラックロッジの入口が開けば、ホワイトロッジの入口もまた開かれる。今、ツイン・ピークスの街にはどんな出来事が起きているのだろう、と思わずにはいられない。
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by galarina | 2007-10-21 22:12 | TVドラマ

パプリカ

2006年/日本 監督/今敏

「これでアニメ嫌い、返上かも!?」

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すごく、面白かった!筒井康隆の原作も大好きで、当時めったに買わない分厚いハードカバーを購入。手当たり次第、友人に「面白いから読んで~」と渡しているうちに、どっかへ行ったっきりなの。しゃーない、もう一回買うか。

私はアニメが好きではなく、いや、もう堂々と言うか。私はアニメが嫌いなんだけども、「アニメでないと表現できない世界があるでしょ?」と言われることにひどく嫌悪感を覚える。そうかあ~?と思う。だって、映像のイマジネーションというのは、実に豊かで無限のものだと思っているから。実写じゃ表現できないからアニメという手っ取り早い手法に逃げてるんじゃないの?と思ったりする。だって、アニメなら何でもできるもん。他にも嫌いな理由はある。その一つは「時をかける少女」で書きました。

そんなアニメ嫌いの私がおそるおそる手にとってみたわけですが、ガツンとやられました。単純に面白かったです。そして、大人をターゲットとして作られているのが気持ちよかった。まあ、そもそも精神世界ものが好きって言うのもあるんだけど。

狂喜乱舞のパレードが圧巻。こればかりは「アニメでないと表現できない世界」と言われても素直に納得。日本人形と西洋人形など、西洋と東洋の文化や宗教を夢の中でぐっちゃぐっちゃにして見せる。誇大妄想患者の夢=万能感ですから、世界の神様、または聖なる物のシンボルがたくさん出てきましたね。大黒様に仏陀にマリア…。これらの神的シンボルに狂って行進させるセンスと度胸が私は大好き。

そして、90分という短さなのに、非常に「間」が多い。それは、会話のシーンにほとんど限られているのだけど、例えばパプリカが粉川刑事に話しかける。そして、粉川刑事の顔が全く動かず、2秒ほどあって、話し始める。そういうシーンがあちこちで見られます。この「間」によって、作品に落ち着きが出ている。パプリカのコスプレばりの冒険の賑やかさと実にいい対比を作っています。

また、物語をかなり削ぎ落として見せている。セラピーマシーンのこととか、夢分析にまつわる専門的なことを説明するようなシーンは一切ない。いきなり本題に入っている。説明過多にせずばさっと切り捨てて、サッサと物語を進めているのがとても小気味いいです。そして、何より説教くさくないのがいい!

まさか、アニメ作品で「間」を語れるなんて思わなかったなあ。今敏監督の他の作品も観てみようと思います。アニメの扉がちょっと開いたかな?
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by galarina | 2007-10-16 23:12 | 映画(は行)

初恋

2006年/日本 監督/塙幸成

「小出君の昭和顔」
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1968年に起きた3億円事件。そして、舞台は新宿。となれば、私は当時の学生運動の拠点であった「新宿」をテーマにした数々のATG作品を思い浮かべずにはいられない。だから、この「初恋」という作品も、生の新宿を描いた当時の作品が放っていた息吹と同じものを持っているのか、やや色眼鏡で見始めたのです。「新宿」という匂いを借りてきただけの作品ではないのか、と。

しかし、そんなことはありませんでした。それは、昭和、そして新宿の描写に違和感がなかったことが大きかった。そして、その違和感のなさこそ、物語に観客が引き込まれてゆく最も大切な要素でした。「ALWAYS 三丁目の夕日」でも書いたけど、昭和を描くと言うのは難しい。セットがいかにもセット然としてしまうし、中途半端に記憶が残っているため、些細な違和感が起きる。しかし、この作品は、ワルどもがたむろするジャズ喫茶もらしい雰囲気だったし、屋外の撮影も「今ある建物」をなるべく活かして撮っていると言う。つまり、これみよがしな小道具を多用せず、VFXなどの技術にも頼らず、できる範囲で昭和を再現している。そこがとても良かった。

そして、妙にハマったのが、小出恵介。七三分けがとてもよく似合う。で、気づいた。彼、結構「昭和顔」じゃないですか?昔のグループサウンズにこんなルックスの人いましたよ。このままEPレコード盤のジャケット撮影してもバッチリいけそう。確かに当時の若者の鬱屈感を体感したリアル世代の方がご覧になったら、今時の若者として映るかも知れません。しかし、売れドキの俳優で昭和然としたムードを醸し出せる人って、なかなかいないでしょう?そう言えば、パッチギでブレイクしたんだもんね。

女子高生が犯人だった。その事実の意外性だけでも物語としての吸引力は強く、よって下手な人間ドラマでストーリーをアップダウンさせることなく作っているのもいい。主人公の兄妹の母親を始め、主要メンバー以外の人物は後ろ姿でしか見えない、という画面の切り取り方も、余計な物を詰め込まないという演出でしょう。人気俳優出演作品ということで期待して見た若い人は、色恋ムードが薄くてちょっとがっかりしたのかな。でも、人気俳優をキレイに見せようと言う意図はあまりなく、とても実直な作りに徹していて、その地味さが私は大いに気に入りました。
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by galarina | 2007-10-15 23:43 | 映画(は行)

ディパーテッド

2006年/アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

「愛だろっ、愛」
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オリジナルが好きな人間としての感想なのですが。

いわゆる普通の「警察VSマフィア」ものという仕上がり。それ以上でもなく、それ以下でもない、という感じ。リメイクと比べて、という話題で終始しても、この「ディパーテッド」という作品単体に関するレビューとはならないことはわかっています。しかしながら、それ以外に語ることがないのです。残念ながら。

作り手の「物語への愛」と言ったら何だか大げさだが、私にはそれが感じられなかった。いくらリメイクと言えども本作の見どころは、男の哀愁だったはず。己の素性を隠して、自分を、そして愛する人を偽ってでも生きねばならない二人の男の孤独。それは、マフィアから警察へ、警察からマフィアへというまさしく対称的な二人の生き方によってあぶり出されてくるものだった。

しかし、「ディパーテッド」では、ビリーとコリンの孤独や焦燥を伝えたい、という意思が見受けられない。つまり、ふたりの境遇の切なさに身を切られるような痛みを感じなければ、いずれ正体がバレるのではないかというハラハラ感も感じない。それが、作り手の「物語への愛」を感じないと思う理由。

もちろん、元の物語を知っているからでは?と考えられるが、これだけリメイクブームで種々の作品を見ていると、一概に知っているから楽しめない、ということでもないのだとわかってきた。孤独な男の焦燥感は、唯一ディカプリオの演技によってのみ伝わってくる。彼の演技を見ていると、もしかして監督よりもこの作品のコンセプトをきちんと理解していたのではないか、という気すらする。つまり、それほど演出及び脚本面で男の哀愁を描こうという意図はほとんど感じられなかったということ。

オリジナルをご覧になっていない方は、ジャック・ニコルソンの演技に目を奪われたことでしょう。さすがに貫禄の演技。が、しかし。二人の孤独を浮き彫りにする、という第一目標があるのなら、彼の存在感は邪魔者でしかない。あんまり彼が目立つもんだから、違った意味でだんだん腹が立ってきました(笑)。

「おのれを殺す」というテーマに惹かれるのは、やはりアジア人らしい感性なのかも知れない。そして、シリーズを貫く「無間道」というテーマ。これは、仏教観に基づいているでしょ。それを舞台をアメリカに変えて描こうというのだから、ハナから無理があったのかも。警察とマフィアの話だろ?と、ほいほいリメイクしてしまった、そんなお気軽感が感じられて、これまた物語への愛が感じられないのだ。
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by galarina | 2007-10-14 23:55 | 映画(た行)