「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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間宮兄弟

2006年/日本 監督/森田芳光

「空気感の勝利」
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モテない仲の良すぎる兄弟物語。ストーリーとしてさしたる起伏があるわけでもないのに楽しめるのは何と言っても森田監督の作り出す空気感に尽きる。日常生活の何でもない、「出来事」と呼ぶことすらはばかれる小さなひとコマに思わず笑ってしまう。些細な描写ではあるが、誰にでも描けるかというとそうではなく、日々の生活や人間の感情に対する森田監督の優れた観察眼があるからできる描写だろう。

また、兄弟の生活感を丹念に描いているが、「リアルな感じ」というのとはチト違う。食べ物や趣味に関する描き込みが非常に徹底しているため、どうしても「リアルな生活感」と表現したいところ。しかし、この作り込みは徹底したフィクションの世界。こんな兄弟いそうだけど、たぶん絶対いない。だからこそ、よくぞここまで、という細かい描写が面白いし、独創的な発想が笑いになる。

例えば、銭湯での入浴シーン。兄弟で湯船に浸かっていて、誰かが湯船から出たことでお湯が揺れてふたりが嫌な顔をする。確かにあれ、イヤだよね。二度目はゆず風呂になってて、ゆずがぶわんぶわんと顔の前で揺れたりして。寝ている時に体がビクンと動くとか、ベランダに出ているお向かいさんが誰かで吉凶を占うとか、日頃ふと気づいた面白いことをメモっておいて、全部この兄弟に当てはめてみました!的な感じ。森田監督って、コント作家になっても結構イケそうな気がする。

で、かなり地味な兄弟物語にあっけらかんとしたエッチな描写をプラスさせてるあたり、何だか若手監督が撮ったかのようなフレッシュさを感じる。バスタオルの下でパンティを付ける沢尻エリカとか太ももアップから引いてくる北川景子の寝姿とか。抜きんでた傑作ってことではないけど、今の時代の空気をしっかり捉えているし、最後まで飽きさせない展開。何だかんだ言って、森田芳光が話題作の監督を頼まれるのがわかるような気がする1本だった。
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by galarina | 2007-08-31 23:56 | 映画(ま行)

ハゲタカ 3

2007年/日本 NHKドラマ

「それぞれの再出発」
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金融素人の私には何から何まで目からウロコなストーリーだけれども、この第三回の「サンデートイズ」が民事再生法を適用されてからのプロセスも「倒産した会社ってそうなるんだ!」という驚きの連続であった。スポンサー決め、そして入札と、こうなりゃつぶれた会社は「どれだけの価値があるかを図るモノ」。そこで働く人も、会社の歴史も、そんなもん、関係ないったらありゃしない。その間に行われる丁々発止を見て「金の亡者」と決めつけるのは簡単だが、価値のあるものには投資する、利益の出ないものは切り捨てる。それが資本主義だし、こんな時だけ浪花節になったとて、会社が再生するわけでもない。

しかし、あまりにドライなやり方は日本人の心情には馴染まない…ってホントにそうですかねえ。バブル期のようにウハウハ儲かってる時には、モラルとか思いやりとか全く関係なしに浮かれぽんちになってた日本人。それが、形勢が悪くなると、いきなりそういう大義名分を出してくるなんておかしいでしょ。このドラマは、3つの企業の顛末を描いているけれども、実はどの企業の栄枯盛衰も、日本人という国民が「お金」に対して見せてきたスタンスを見事に切り取っていると思う。

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<病を乗り越えて主演した柴田恭兵>
肺ガンであることが判明し、本ドラマの撮影も延期されたとか。そして手術後の復帰を待ってクランクイン。それだけの価値はある演技だったと思う。手術の影響からか、幾分声量が落ちた感じがするが、却ってそれが芝野らしい慎重さや思慮深さに結びついていた。柴田恭兵と言えば、あぶない刑事などの弾けたイメージがどうしても拭えないが、本ドラマでは最初から最後まで苦悩しっぱなし。常に人のやりたがらない仕事の矢面に立ち、正義を貫こうと奔走し続ける。

腐りきった金融業界の正義や倫理観のシンボルとして芝野は描かれており、最終的には正義が勝つという結末。それは、もちろんドラマ的大団円と穿った見方もできるが、やはり第一回から第五回までの芝野の苦悩と人柄があるからこそ、この結末には大きなカタルシスがある。病み上がりの痩せた顔つきで言葉少なに苦渋の表情を見せる柴田恭兵は、私は今まで見たことのない柴田恭兵だった。
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by galarina | 2007-08-30 23:05 | TVドラマ

ハゲタカ 2

2007年/日本 NHKドラマ

「ハゲタカは企業を食い尽くすワルか?」
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第一話で描かれていたのは、バブルの波に乗ってゴルフ場経営に手を出したばかりに本業の旅館を手放さねばならなくなった「西乃屋」。第二話&第三話では、宝石や着物など私物に金をつぎ込む女社長(名古屋在住の名物社長、またはアパホテル社長を彷彿させる)が経営する「サンデートイズ」。いずれも会社が傾くのは自業自得に思える。確かに鷲津の言う「あなた達を救いに来ました」という高飛車な言葉にはムカツクけれども。

それでも、やはり諸悪の根源は、社長の経営者としての手腕と、長期視点に立たずに金を貸し続ける日本の銀行のせい。しかし、ドラマはあくまでも「ハゲタカ」を悪党として描くことに徹する。それは、そうすることで、逆に「ハゲタカ」へのシンパシーを視聴者が持つようにするためではないか。そして、日本企業の甘えの体質を浮き彫りにするため。私はそう受け止めた。

それにしても、本ドラマ視聴率が5~6%前後だったとか。そんなにみなさん、金融業界のドラマに食指が動かないもんですかねえ…。

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<見事なイメージチェンジに成功した大森南朋>
いつからか、彼が出ていない日本映画はないというほど露出が目立つようになり、「第二の田口トモロヲ」と私は勝手に命名していた。しかしひねくれた役やアクの強い役が多く、金縁眼鏡のアメリカ帰りの金融マンでしかも主人公なんて務まるのかしらと心配していたが、嬉しいことに杞憂に終わった。

得てしていい俳優は、演技者としての力量以外に、「影」を感じさせる生来の魅力を持ち合わせている。つまり、母性本能をくすぐる男。本作では、銀行の貸し渋りのせいで取引先のおやじさんが自殺したという暗い過去を引きずる役。主役ではあるが、ダーティーヒーロー。そこが、彼本来の「影」の部分とうまく呼応して魅力的な男、鷲津を作り上げた。

常に冷酷な言葉を吐き続ける鷲津だが、その言葉の裏には彼なりの優しさや葛藤があるのではないか、ついそんなことを思わせてしまう色気がある。各人物の心理状況に迫る演出からか、アップのシーンが多く、個人的にはやや多様し過ぎなのでは?と思う部分もあるが、金縁眼鏡から遠くを見つめる鷲津の悲しげな目は、多くの女性ファンを鷲づかみにしたことでしょう。(ダジャレじゃありませんよ)って、傷を持つ男にめっぽう弱いワタシだけかな(笑)。
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by galarina | 2007-08-29 23:59 | TVドラマ

ハゲタカ 1

2007年/日本 NHKドラマ

「久しぶりの五つ星ドラマ」
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日本のドラマがさっぱり!面白くなくなった昨今、久しぶりに5つ星のドラマに出会えた。そもそも、「ヴァイブレータ」でハートをぶち抜かれた大森南朋主演ってことで、興味を持ったのだけど、実に骨太なドラマで役者陣の演技も見応え抜群。こんなに必至でドラマを見たのは、いつ以来だろう。未見の方はDVDが既に発売されているので、ぜひご覧頂きたい。

バブルが弾けてから、現在に至るまでの日本を描く本作。ホワイトナイトやら何とかパラシュートなど、金融専門用語が飛び交い、ホリエモンやら村上ファンドを思い出させる。しかしながら、ホリエモン出現以降、日本の金融マネーの本当のところというのは、メディアによるワイドショー的お祭り報道のせいで、その根幹たるやなんなのか、私のような金融素人にはさっぱりわからなかった。メディア批判でこのレビューの文字数を増やすつもりは毛頭ないが、彼らの報道姿勢による功罪はとてつもなく大きいと私は思っている。

で、バブル後の日本は、どのようにして坂道を転がり落ちたのか、そのプロセスの中で日本が失ったものは、得たものは何なのか。このドラマを見れば実によくわかる。しかしながら、本作は「金融入門手引書」的ものでは全くなく、前面に打ち出されるのは人間ドラマとしての凄みである。何と言っても、そこがドラマとしての5つ星たる由縁である。

最近の民放発の人間ドラマと言えば、「華麗なる一族」や「白い巨塔」などが挙げられるだろうが、それでもこれらのドラマには、物語をドラマチックに仕上げようという演出が見られ、それは一も二もなく民放だからしょうがいないのだけれど、「ハゲタカ」には、盛り上げてやろう的演出は極力抑えられている。小道具などの見せ方や金融用語がテロップで入るなど、全体のメリハリとしての盛り上がりはあるが、とにかく役者陣の演技は昨今のドラマにはない抑制ぶりと言っていい。

主演の大森南朋と柴田恭兵、松田龍平、田中眠。特にこの4名の存在感がすばらしく、1人ずつレビューを書きたい衝動がただ今抑えきれません。見ていない方はぜひ。個人的には、大森南朋ファン、あまり増えないで欲しいんだけどね。
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by galarina | 2007-08-28 23:58 | TVドラマ
1991年/日本 監督/北野武

「優しさと、愛と」

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「退屈な映画」とは、何をもって退屈と感じるのだろう。私は何度もこの作品を見ているが、このあまりにセリフの少ない、あまりに静かな物語を、退屈だと思ったことは一度もない。主人公が泣き叫んだり、爆弾がひっきりなしに落ちたりしても、退屈だと思う映画はいくらでもあるのに。

主人公二人のバックボーンについて、映画は一切を語らない。しかも、二人は言葉が不自由だからセリフがない。我々は見ながらそれらを想像するしかない。しかし、この作品には、想像しなければならないことの「もどかしさ」がない。そこが退屈だとは思わない大きなポイントなのだと思う。なぜ、わからないことがもどかしくないのか。それは、セリフではなく映像が我々に語りかけているからだ。全てのシーンが、私たちに語りかけている。それに耳を傾け、想像することの何と楽しいこと。

例えば、主人公の彼女がサーフボードの値引きを頼んでいるシーン。カメラは主人公の位置にあり、彼女はガラス越し。聾唖の彼女が一体どうやって値引きを頼むのか。その様子もガラス越しゆえによくわからない。こんな些細なシーンでも、私は様々な想像が頭をよぎる。もしかして、彼女は耳が不自由でも、言葉はしゃべられるのかも知れない、というストーリー上のイマジネーション。

そして、北野監督は彼らが聾唖であるという事実をことさら映像で強調したくないのかも知れない。または、主人公の彼女を思いやるハラハラした気持ちを観客に同化させるためにこのようにしたのかも知れない、という演出上のイマジネーション。北野作品の場合、「このシーンはこういうことかしらね」と自分なりの想像や感じ方を誰かと語りたいシーンが本当に多い。本作は、セリフがとても少ないので余計なのだが、挙げ始めるときりがないのだ。

サーフボードという小道具の使い方で二人の思いや距離感を表現するやり方も実に巧い。前と後ろをふたりで持って堤防を歩く様子で、心の動きが手に取るようにわかる。いつも、ボードのお尻を持って、彼の後を控え目に歩いていた彼女。なのに、主人公の死後の回想シーンでは、彼女がサーフボードの前を持って、大手を振って浜辺を行進している様子が挿入される。もう、これには、参りました。涙腺弾けちゃうし。

この幸せだったあの頃の一コマが次々と挿入されるラストシークエンスは、見せないことを信条とする北野作品にしては珍しいと言えるほどのわかりやすさ。しかし、やはり「愛」を描くんですもの。最後にこれくらいは盛り上げてもらわないと。「愛」を真正面から捉えた北野作品は、今のところこれしかなく、何とかもう1本作ってくれないかな、と願うばかり。

そして、本作では「思いやり」や「優しさ」と言ったものが実にストレートに表現されている。(ストレートと言っても北野武なんだからハリウッドばりのストレートさじゃないですよ、もちろん)清掃車の相棒の河原さぶとサーフショップの店長。この二人が示すじんわりとした優しさの表現を見れば、北野武なる人物が死と暴力の表現にがんじがらめになっていないことは明らか。愛はもちろんのこと、難病や介護などヒューマンなテーマだってきっと面白い作品が撮れそうな気がする。まあ、武のことだから、そんなストレートな題材選びはしないんだろうけど。
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by galarina | 2007-08-28 23:13 | 映画(あ行)

プリシラ

1994年/オーストラリア 監督/ステファン・エリオット

「砂漠に映えるゴージャスな衣装たち」

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ゲイ+ロードムービーの草分けとも言える作品。たくさんのゲイムービーが作られている今見直すと、テーマ性においてはやや見飽きた感じがする。当時はすごく斬新だったのだけどねえ。が、しかし、何と言っても砂漠とド派手な衣装とのコントラストが圧巻。バスのルーフに取り付けたハイヒール。あのアイデアは素晴らしい。エリマキトカゲをイメージした衣装も出てくるけど、その悪ノリぶりがおかしくてたまらない。

砂漠という劣悪な環境でおんぼろバスは何度も止まり、なかなかゴールにたどり着けない。まるで彼らの人生を象徴するような旅路。原住民アボリジニとの触れ合い、思わぬパートナーとの出会いなど、旅のプロセスにおける人間ドラマは確かにじんわり心に染みるが、やはり主人公がドラァグ・クイーンだから、もっとひねりの効いたドラマにしても良かったんじゃないかなと思ったりして。まあ、それもこれも、昨今のゲイムービーの脚本のクオリティが非常にレベルアップしてしまったからかも知れない。

とはいえ、本作の見どころは、バーナデットを演じるテレンス・スタンプ。名作「コレクター」でサイコパスを演じた彼のイメージとは打って変わってのチャレンジ。ドラァグ・クイーンというよりも、品の良いオカマという言葉がぴったり。なのに頭に白鳥のかぶりものを乗っけて、踊る様には吹き出しちゃう。これは、まるでひょうきん族ではないの!(笑)しかも、ダンスのキレもなく、リズム感もイマイチってんだから、どうしようもない。そんなダンスだめだめなテレンス・スタンプだけど、年を取ったオカマの悲哀がじわんと伝わる演技力が全てをカバーしている。

彼女は、すごくプライドの高いオカマなのよね。でね、面白いのは「私はABBAでは絶対踊らない!」って言うのよ。ゲイ事情にすごく詳しいわけではないけど、おそらくABBAで踊るって言うのは、すごく今っぽい、若者向けのパフォーマンスってことなんだと思う。ABBAの音楽って、今じゃドラァグ・クイーンの代名詞みたなとこあるでしょ。何でそうなったのかも個人的にはかなり興味深いのですが。で、古き良き踊り子さんだったバーナデットはABBAを毛嫌いしている。そんなことを始め、トランス・ジェンダーの方々ならではの丁々発止のセリフのやり取りも見どころ。

ドラァグ・クイーンの口パクダンスと何でこうもしっくり来るの?という名曲がズラリ。懐かしいディスコサウンドが実に軽快。初めて映画のサントラが本気で欲しいと思ったのが、この作品でした。
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by galarina | 2007-08-25 20:22 | 映画(は行)
1989年/アメリカ 監督/デヴィッド・リンチ
<episode15~episode18>

「超能力捜査官、Mr.クーパー」
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episode16をもって、一連のローラ・パーマー事件はひとまず終了。ここをシーズン1からシーズン2のボーダーラインにもってくればいいのに、なんでこの切り方なのだろうか。

リーランドの見事な狂いっぷりを見せて、事件としては収集をつけた。この結末を見れば、娘の死後どんどんおかしくなっていく様子は、犯人としての伏線だったわけで、最初から犯人は示唆されていたわけだ。私は全く気づいていませんでしたが。で、これから物語の本流は、「闇の世界を牛耳るボブ」の正体探しになっていく。

ツイン・ピークスがアメリカンドラマの元祖のように言われるのは、登場人物たちの裏の顔を暴きながら複雑な人物相関図を作り上げていくこととに加えて、超常現象や超能力といった要素をふんだんに取り込んでいるからだろう。この要素は、その後のドラマ「X-ファイル」あたりに引き継がれているのではないだろうか。

そして、どうやらこれからはクーパーの超能力捜査で悪魔の正体に近づきそうな気配。そう言えば最近のドラマ「ミディアム」って言うのも、霊能者が捜査するって話なんでしょ?(見てないけど^^)こういうところも元祖と言われる由縁ですかね。

というわけで、vol.4~は、「超能力捜査官、Mr.クーパー」ってタイトルに変えた方が良さそうな展開になりそう。クーパー自身が強烈なキャラクターとして人気が出たから、それもアリなんだろうけど、しかしここに至ってやはりこのドラマではローラの魅力が大きかったんだなということに気づく。悪魔に魅入られた女、ローラとはいかなる少女だったのか。「世界一美しい死体」にまつわる淫靡なムードこそがツイン・ピークスの根幹であったのだ。キラーボブがローラのイメージに対抗できるだけの強烈な魅力を放つことができるのか。vol.4以降のポイントはそれだと思う。
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by galarina | 2007-08-20 23:19 | TVドラマ

世界最速のインディアン

2005年/アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン

「マイノリティたちへの高らかな応援歌」
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私は物事を違う角度で眺めたり、異なる視点で捉える作品が好きなのだが、本作はあまりにも真っ当、ストレート。出てくる人は次から次へといい人ばっかりで、何ともご都合主義的展開…と思ったら、実はスピードに賭ける男のロマンを描きつつ、別のテーマを内包していることに気がついた。そこで、一気に私の気持ちはラストの競技会でぐんと高まり、大拍手を持って清々しく見終わったのだ。

それは、インディアンというマシーンが「世の中のマイノリティ」を象徴しているのだ、ということ。バートがアメリカに降り立ち、競技場に着くまでに幾つものトラブルを乗り越えていく。その時手をさしのべてくれるのは、紛れもないアメリカ社会のマイノリティたちなのだ。トランスジェンダーのフロント係、南米移民のカーディーラー、ネイティブアメリカン、砂漠にひとり住む未亡人。もちろん、バート自身もアメリカにおいては、ダウンアンダーからやってきたマイノリティ。インディアンというマシーンそのものも、競技会においては整備不良の時代錯誤のポンコツと揶揄される。

そんなマイノリティたちの気持ちを乗せて、インディアンは塩平原を駆け抜ける。ふらふらと揺れながらも最高時速をたたき出す。インディアンの勝利はマイノリティの勝利を意味する。そこに、実に大きなカタルシスがあるのではないだろうか。競技場についてからは、複数のアメリカ人がバートを助けてくれる。よくもまあ、地球の裏側からやってきた、と。

しかし、出会った人々の助けがなければバートはこの場にいない。つまり、バートはアメリカ社会のマイノリティたちに導かれてここにやってきたと見ることはできないだろうか。そして彼らに導かれたバートがアメリカ人を動かし、変えた。競技会委員がルールを破っても出場させたことを考えれば、マイノリティがシステムを変えたとまで捉えられるのかも知れない。

もちろん、物語を引っ張るバートのキャラクターが魅力的であることも大きいのは確か。ハンニバル・レクターことアンソニー・ホプキンスが、今作では打って変わって裏表のない清々しい役どころ。世間ずれしておらず、やんちゃな少年がそのまま大人になったようなキャラクターで、女にモテるのも納得。63歳からスタートしている物語だけに彼の来し方が気になるところだけど、映画ではその辺は潔くばっさり切り捨てている。これは、物語をシンプルにする故だろうが、この展開は至って正解。

男の人ならメカに関する描写も楽しめること間違いなし。挑戦することのすばらしさ、人間の優しさをしっかり描きながら、世の中のマイノリティを高らかに応援する作品。多くの方にオススメしたい。
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by galarina | 2007-08-19 21:29 | 映画(さ行)

ソナチネ

1993年/日本 監督/北野武

「死に向かう美しい舞踏」
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およそ映画作家であるならば、物語の起伏や役者の演技に頼らず、「映像の力」だけで、とめどないイメージの喚起を呼び起こせる、映画にしかなし得ない力強くも美しい瞬間を創りたいと誰しも願うはず。「ソナチネ」における浜辺での相撲シーンはまさにそれでしょう。私は、このシーンを見るというだけでも、この作品をお薦めできる。

浜辺に打ち上げた藻で土俵を作り、シコを踏む男たち。一糸乱れぬ相撲の所作は様式的な美しさを見せるし、これから死にゆく男たちの儀式のようにも見える。映像が醸し出すイメージに胸を打たれるということほど、映画鑑賞における至高の体験はなく、北野武は、4作目にしてその至高の瞬間を作ってしまった。

間違いなく俺たちは死ぬ。その確信を目の前にして繰り広げられる男たちのお遊び。それは、時におかしく、時に切なく、時に美しい。私は、この作品を見てなぜだか一遍の舞踏を見たような感慨に見舞われた。人間は誰でも死ぬのだとするなら、この作品は全ての人に訪れる死の前のダンス。無音の舞台の上でしなやかな体の男が静かに粛々と踊り続け、そしてまた静かに舞台の上で死んでいく。そんな映像が頭から離れない。

北野武は決して「そのもの」を描かない。銃声が響き、血しぶきが湧いている場面でも、画面に映し出されるのはそれを傍観している男たちの顔だ。殴り込みに出かけすさまじい殺し合いが起きても、そこに映っているのは明滅する弾丸の火花。それらの静かな映像は常に「死」と隣り合わせであるからこそ、切なくリリカルに映る。

また本作では武ならではのユーモアも非常に冴えている。殺し合いに行くのに遠足バスのように見せたり、スコールの中シャンプーをしていたら雨が突然止んでしまったり。これらの「笑い」は何かの対比として描かれているのではなく、もしろ「死」そのものが「笑い」を内包しているから描かれている。つまり、人は誰でも死ぬ、そして死にゆくことは滑稽なことである、という武独特のニヒリズムがそこに横たわっている。

繰り返すが、浜辺での一連のシークエンスは本当にすばらしい。北野武以外の誰も思いつかない、誰にも描けない映像だと思う。
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by galarina | 2007-08-15 14:53 | 映画(さ行)
1989年/アメリカ 監督/デヴィッド・リンチ
<episode11~episode14>

「あれ、終わってるじゃん?」
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シーズン2から1枚のDVDに4話ずつ入っているのだが、episode14の醸し出すムードが明らかに他の3つと違う。で、クレジットをよく見てみると、やはりこれだけがリンチ本人の監督作品だった!えらいもんですねえ。というわけで、この4話を見比べてリンチ的なるものは何かを探ってみる。そういう視点でこのvol.2を見ると思ったよりも楽しめるかも知れません。しかも、犯人がわかるしね。

で、episode14の何が違うのかと言われると、やはり、「奇異なるもの」を創り出す才能。印象的なのは終盤ローラの母セーラがあのチリチリ髪振り乱して、階段を匍匐前進する様子とリーランドとキラーボブが入れ替わる映像。確かにepisode11、12にも印象的なシーンはあるけど、どうも「狙った絵作り」という感じなの。他にも、ゆっくりと回るカメラワークや、けだるいムードが立ちこめるような演出など、奇異なものが突飛に見えない全体の統一感があって、さすが本人監督だな、と。

それから、リンチ作品には「馬」が幻覚のイメージとしてよく出てくるのだけど、これはどういう意味があるのかしら。室内に馬がいる映像って、すごく居心地悪い。夢判断なんかだと、馬は「性的衝動」を表しているので、やっぱりそっちの線かな、と想像してみたり。

で、episode14でついに犯人発覚。ここから、映画版「ローラ・パーマー最後の7日間」に突入しても全く違和感ない終わり方なんですよ。でも、シーズン2、この後DVD4枚もあるんですよね…(笑)。さて、さて、どうなることやら。
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by galarina | 2007-08-14 20:53 | TVドラマ