「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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2006年/イギリス 監督/リチャード・エアー
<OS名画座にて鑑賞>

「日記という物語の中に住む女」
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美しい美術教師と、彼女に執拗な関心を抱くオールドミスの教師とのスキャンダラスな関係を描く心理スリラー。アメリカで実際に起こった女教師の事件を基に作られた小説がベースになっている。ケイト・ブランシェット、ジュディ・デンチ、二大女優の演技合戦が実に面白く、密度の濃い映画。92分という長さもいい。最近の映画は、尺が無意味に長すぎるもんね。

さて、孤独な中年女バーバラのシーバに対する異常な執着ぶり。これをストーカーを引き合いに出して語る人もいるようだけど、私はストーカー心理とは少々異なるような気がする。むしろ、シーバは、バーバラが作り上げる物語の登場人物に過ぎないように感じた。つまり、「私の脚本通り演じなさいよ」という監督と俳優の関係のよう。もちろん、そこには監督の俳優に対する圧力、優越感のような様々な感情が渦巻いている。

私が最もそう感じたのは、何もかもが露呈されてシーバと夫が大喧嘩を始め、それをバーバラが見守るシーン。バーバラはそこでこう言うのだ「天井桟敷から眺めるオペラはすでに最終幕を迎えていた」と。(ちょっとうろ覚え)このシーンから感じられるのは、シーバへの実に冷ややかなスタンス。で、振り返ると最初にシーバが現れた時のバーバラの態度はまるで、自分が書いた脚本にぴったりの新人役者を見つけたような口ぶり。

シーバに対する強烈な執着はバーバラが思い描く「私と親友の親密な関係」という物語(それは実に異常なる依存関係なのだが)を何としても完遂させたいという思い。結局シーバが好きなのではなく、自分のことが一番好きなのよ、バーバラって人は。私のことを一番に思ってくれる親友が私にはいます、っていう甘美な思いに浸りたいんだね。

相手の秘密を知った日の日記に金星のマークをつけるなんて、こんなイヤな女はそうそういないんだけど、ジュディ・デンチの熱演によって、私はだんだんこの人が哀れに見えてきた。バスルームでひとりむなしさを吐露しながらタバコを吸うシーン、何とか親身になりたい妹の申し出に思いやりを感じ取れない状況、何もかもが哀れだった。

シーバをかくまった時にパパラッチが「ババアの方が出てきた!」みたいな口ぶりだったでしょ。中年の独身女への偏見や社会の圧力が積もり積もって、バーバラはあんな性格になってしまったのかも知れない。生徒も教師たちも、みんなバーバラには心を開かないもんね。まあ、そういうバリアを自分から出しているわけだから、ますます孤立してしまうのも当然なんだけど。

ケイト・ブランシェットに関して言えば、終盤のキレ具合がすごかった。それまでいい母親を演じ続けてきた大人しそうな性格ばかりクローズアップされていたから、あの変わりっぷりは面白かった。92分、ただならぬ緊張感に満ち満ちていました。

それにしても、この映画女性の友人同士で見に行くのは避けた方がいい。もしかして、「この人…」なんて疑心暗鬼になってしまうかも知れないです。
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by galarina | 2007-06-30 21:17 | 映画(あ行)

息子の部屋

2001年/イタリア 監督/ナンニ・モレッティ

「何かが起きてそうで、何も起きていない、奇妙な映画」
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カンヌ映画祭、パルム・ドール受賞作品と思って見始めてしまったから、正直肩すかし。最近のパルム・ドールって、問題作が多いのですごく身構えて見てしまったのが失敗の元。

本作は息子が不慮の事故で亡くなり、喪失感にとらわれる家族を描く作品。家族の突然の死によりみんなの心がバラバラになり始めた時に、予期せぬ一通の手紙が届く。しかし、その手紙の顛末もさして起伏なく、淡々と物語は進む…。息子を亡くした喪失感を家族で埋めるプロセスが描かれるわけでもなし、主人公が何かを乗り越えるわけでもなし。静かな物語でもじっくりと余韻を残す作品かと、期待して見てたら、あらあら終わっちゃった…って感じなのだ。

ただ、この作品で妙に印象に残ったのは、意図的な「外し」のような部分。例えば、息子に手紙を送った少女が家に訪ねてくる。つい先日、あなたのことが忘れられないという内容の手紙を書いているくせに、なぜかもう新しいBFとヒッチハイク中なんですね。こういう「外し」は個々のエピソードだけではなく物語全体をも包んでいる。何かが起きるんだけども、わかりやすい顛末には決してならないという。

精神科医である主人公ジョバンニは、息子とランニングに出かけようと約束していたのに、急な患者の呼び出しに応じてしまったがために、息子は別の約束を取り付けてしまい事故にあってしまう。だから、ジョバンニは、往診に出かけたことがトラウマになってるわけ。しかも、息子が死んでからもその患者のカウンセリングは続いている。普通なら、そこでその患者と何かが起きる、または、そのトラウマを乗り越える何かが起きると考えるのが普通。でもね、なーんにも起きないんだ、これが。

実はこの「外し」が気になり始めてから、私の頭には北野武の映画がよぎったんです。監督、主演も自分でこなし、淡々と進む物語でテーマは死。そして、出来事と出来事がストレートな因果関係で繋がらない、見ていてもどかしい感じ。北野武の映画がイタリアでウケるのも何となくわかるような気がした。

ただ、非常に個人的な好みの問題なんだけど、北野武の映画には、この「外し」の向こう側に様々なイマジネーションが見ていて湧いてくる。逆に言うと、そこを楽しむ作風と言える。でも、この作品では、それができなかった。息子が死んでもなおカウンセリングを続けるジョバンニの胸中を表現するシーンでいくつか味わい深いところもあったのは確かだけど、パルム・ドールなんて知らずに見れば良かったなあ。
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by galarina | 2007-06-28 23:18 | 映画(ま行)

誘う女

1995年/アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

「これある意味名演でしょ」
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子供の頃からスターになる事を夢みていたスザーン(ニコール・キッドマン)。地方のテレビ局で無理矢理お天気キャスターの座をゲットした彼女は、いつか自分はビッグになるんだと言う思い込みが増すばかり。しかし、目的達成のために夫が邪魔になることに気づいた彼女は、高校生の少年(ホアキン・フェニックス)をセックスの虜にしてそそのかし、夫を殺害することを思いつく…

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テレビに映らなきゃ生きてる意味がない。世界は私を中心に廻っている。誰かが不幸になったり困っても、それは一切私のせいではない。何人たりとも私にNOと言うことはできない。

スザーンは、自分が美しいのをわかっていて高慢ちきに振る舞っている高飛車オンナ、ではないですねえ…。恐らく彼女は精神科に行けば間違いなく立派な病名を頂くことができるでしょう。かなりの人格障害に間違いないですよ。私はそう感じた。そういう意味で、ニコールの演技力はたいしたもんだ!と感心しちゃいました。

ハリウッドの俳優で故意に太ったり痩せたりして肉体改造して役に成りきる人がいる。でも、ニコールの場合はそういうあざといことをせずに、彼女本来の恐ろしいほどの美しさをそのままに別人格になっている。この演技は、「アイ・アム・サム」のショーン・ペンなどで絶賛される類のものに匹敵すると思う私は、褒めすぎかしら?精神障害や知的障害の役に取り組むのと、ほとんど同レベルのチャレンジに見える。

で、アメリカ人のインタビューなんかを見ていると、「なんでそこまで自分に自信があるの!?」と、驚くことがよくある。先日も、「ドリーム・ガールズ」のDVDの特典映像を見ていたら、ビヨンセもジェニファーも口を揃えて「私には、この役をやり遂げる自信があったのよ!」と身振り手振りで答えている。

確かに成功者が述べれば説得力もあるだろうが、スザーンのような勘違い女が発言すれば、イタイことこの上ない。しかし、良くも悪くも「自信満々のアタシ」というのは、アメリカ人に顕著に見られるメンタリティだろうと思う。根拠がないのに自信だけあるとスザーンのような人間になってしまう。しかし、まず自分に自信を持て!というモチベーションのかけ方というのは、実にアメリカらしいやり方で、そういう意味ではこの映画もまた実にアメリカ的と言える。

それにしても、ニコールは役の選び方がひねくれてますねえ。もう少しわかりやすい感動作なんかに出演すれば、ファンの裾野は広がりそうなんだけど、敢えてしない。だって最新作「毛皮のエロス」はフリークスの撮影で有名になった伝説の写真家、ダイアン・アーバス。でも、私はこういうひねくれた役を選ぶ彼女が結構好き。(あっ、「奥さまは魔女」に出てたか(笑)。

スザーンという人物像も強烈ですが、彼女を通して、テレビというメディアをシニカルに描写するシーンがたくさん出てきます。確かにワイドショーネタのような話ですが、そこはガス・ヴァン・サント。きりっと冷ややかな演出が効いています。それにしても、リヴァーもホアキンも兄弟揃ってガス・ヴァン・サント作品では切ない役どころ。この頃のホアキンは今とは別人みたいだな…。で、この兄弟全然似てないよね。
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by galarina | 2007-06-27 23:40 | 映画(さ行)
1991年/アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

「抱く者と抱かれる者」
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街角に立って、日々体を売る若い男娼たち。母に見放されたマイク(リヴァー・フェニックス)、そして市長の息子でありながら、心の空虚を埋めるかのように体を売るスコット(キアヌ・リーブス)。ふたりは、代え難い絆で結ばれていたはずなのに…。

ほんのささいな幸せすら手にできない、いや、好きな人に好きという権利すら与えられていない。そんなマイクの切なさがスクリーンいっぱいに駆けめぐる。23歳という若さでこの世を去ったリヴァー・フェニックス。彼が薬物中毒だったことは、彼自身の精神的な弱さやストレスの裏返しであろうが、その弱さは本作におけるマイクとぴったり重ね合わせることができる。

そんなリヴァー・フェニックスの魅力にあふれた作品であるのはもちろんなのだが、本作における、もう一つの大きなキーアイテム。それは、リヴァー演じるマイクが抱える病気「ナルコレプシー」だ。とにかく、マイクが突然ドサッと道ばたに倒れてしまうことが、おかしさを誘う。少年の悲哀と倒錯がうずめく物語の中で、この突然の昏倒がもたらすおかしみというのが実に良いスパイスとなっている。そして、突然の昏倒は、マイクをまるで道ばたに放り出された赤ん坊のように見せる。つまり、彼は常に誰かに「抱えてもらわねばらならない」存在であるということ。

もちろん、劇中その抱える役割を担うのはスコットであり、倒れたマイクを抱くスコットを映し出すシーンは、まるで中世の絵画のように美しい。守る者と守られる者、力のある者と無力な者というふたりの関係性を実に的確に、かつ艶めかしいほど美しく表現するためのアイテムが「ナルコレプシーによる昏倒」なのだ。

だからこそ、ラストシーンの昏倒が切なくて切なくてたまらない。あの絵画のように美しい「抱き」を見せるスコットはもういない。されど、マイクは通りすがりの車に拾われる。そう、まるで捨て子の赤ん坊のように。マイクの行く末を思い描けば、おのずとリヴァーの若き死もそこにオーバーラップする。彼の死という事実を受けて、このラストシーンには身を切るような痛みが伴う。実に皮肉なことだけど。しかし心に深く残る珠玉のラストシーンであることは間違いない。
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by galarina | 2007-06-26 23:19 | 映画(ま行)

エレファント

2003年/アメリカ 監督/ガス・ヴァン・サント

「交差すれど交錯しない若者たち」

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アメリカのコロンバイン高校の銃撃事件を題材にして、素人の高校生をオーディションで選び起用して作り上げた問題作。2003年のカンヌ国際映画祭で、史上初のパルムドール&監督賞をダブル受賞した。

ガス・ヴァン・サントは、全ての少年少女たちを同じ地平で描いている。もし、犯人の少年二人を主役としては描けば、彼らが「悪」になったり、いじめの「犠牲者」だったりして、必ずそこには「対立軸」が存在する。しかし、何かと何かを対立させる見せ方を、この作品は一切拒んでいる。そこが、実に印象的なのだ。

そのことによって、浮かび上がるのは何か。本作は、日常に静かに溶け込む暴力を表現しているのに間違いはないが、私が感じたのはむしろ、凶行を行う少年たちではない、普通の学生たちの日常の空虚さだ。一人ひとりの学生の名前が紹介され、カメラは後ろ姿を捉え続ける。それぞれの学生が交差することはあっても、交錯することは一切ない。その描き方はまるで、路線図の上を黙々と通過する地下鉄のよう。衝突することは決してないのだ。

「クラッシュ」という作品で、人間はクラッシュして浮かび上がることがあると書いたけれど、彼らはクラッシュしない。ただ、横をすり抜けていくだけだ。そのことを、淡々と後ろ姿を捉え続けるカメラワークが如実に物語っている。だからこそ、たった一度のクラッシュに心奪われる。

犯人の少年たちがジョンに「中にはいるな。地獄になるぞ」と語りかけるシーンだ。それまで、少年たちが交わすのは日常会話に過ぎなかった。ようやく登場人物が相手の領域に踏み込む表現が出るのだが、それがこの警告の言葉。実にやりきれない。

確かに多くを語らない映画である。学生の虚無感と交錯しない若者たち、という印象だって、もちろん私なりの感じ方。しかし、ただひたすらに少年たちの後ろ姿を追い続けるという手法をなぜガス・ヴァン・サントはチョイスしたのか。その点に思いを巡らせると、鑑賞後も様々な考えが頭に浮かぶ。81分と短い作品だが、鑑賞後の余韻はいつまでも続く。
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by galarina | 2007-06-25 20:40 | 映画(あ行)

細雪

1983年/日本 監督/市川崑

「女優を魅せる映画だが、真の主役は大阪弁」
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女優を見せる映画、というのがある。日本映画でのルーツにおいては、高峰秀子とか原節子などの往年の大女優を真っ先に述べるのが道筋なんだろうが、60年代生まれの私としては、スクリーンで映える日本の女優と言えば、岸恵子、岡田茉莉子、佐久間良子などが真っ先に思い浮かぶ。

というわけで、この細雪は、これでもかと私の大好きな女優陣を美しく魅せてくれる映画。女優を撮らせたら超一流の市川崑の面目躍如といったところ。着物を脱いだときの襟足、はだけた着物から覗く足首など、着物での立ち居振る舞いから日本女性の艶めかしさが匂い立つような映像が続く。そして、はっとしたり、振り返ったり、泣いたり、笑ったりする女優たちの顔、顔、顔…。どれもこれもが美しい。

冒頭、岸恵子のアップがあるのだが、まあ、その美しさにはオンナの私でもうっとり。これが、、市川流「女優真正面斬り」のカットで、とにかく正面斬りが次から次へと出てくる。

しかし、四姉妹の中で特に印象深いのは、つかみどころのない三女・雪子を演じる吉永小百合。姉の言うことなら何でも聞く大人しそうに見える女性だが、次から次へと湧いてくる見合い話にも一向に首を縦に振らない頑固さがある。また、おしとやかで潔癖に見えるのに、義理の兄の前で着物をはだけたりして無防備な一面もある、実にミステリアスな存在。清純そうな彼女が時折見せる微笑がやけにセクシー。吉永小百合という女優には、私は何の思い入れもないが、この作品は、とても良かった。もともと彼女が持っている清純さをうまく利用して、その裏にある物を引き出そうとした監督の手腕がうかがえる。

しかし、これほど女優陣の美しさが前面に出た映画でありながら、一番強く印象に残ったのが、実は大阪弁。大阪弁と言えば、今ではお笑いブームもあって「えげつない関西弁」というイメージが強いが、この船場の四姉妹が話す大阪弁の何と艶やかなこと。そのおっとりした語り口を聞いていると、京都弁かな?と一瞬思うこともある。

原作が谷崎なので、実は京都弁もまじっているのかも知れない。このあたり、厳密なところを突っつくと、怪しい部分もあるかも知れないが、生粋の大阪人である私でも、船場のええとこのお嬢さんがしゃべるおっとりした大阪弁は、すんなり耳に溶け込んできた。きっと、生粋の京都弁ならば、もっともっちゃりした(失礼^^)感じになるだろうし、京都弁独特の「~どす」という表現もなく、大阪弁として脚本は書かれていたと思う。

で、この大阪弁のニュアンスを楽しめるかどうかは、この映画の大きなポイントだと思う。雪子の結婚がようやくまとまりそうな予感を見せる「あの人ねばらはったなあ」「ん、ねばらはった」と言うおねえちゃんとなかんちゃんのラストの会話。「ねばった」という事実には、なかなか見合いを決めなかったことへの非難が込められているが「~しはった」という敬語がそれを和らげている。そして、「~しはったなあ」と感心していることで、ねばって意中の男を射止めたことを称えてもいるのだ。雪子の見合いに翻弄されてきたふたりの姉妹の悲喜こもごもが込められた、いかにも関西人らしい会話だと思う。

このように、「含み」を持たせた大阪弁がこの作品の中にはふんだんに盛り込まれていて、本家や分家という立場の違いで本音が言えない部分だとか、夫への文句を言いたいがストレートに言えない部分などで実に効果的に使われている。そして、その「含み」のあるのんびりした大阪弁が四姉妹そのものをも魅力的に見せている。生粋の大阪人である私も、あのような大阪弁をしゃべれば、「ちょっとは、おんならしい、見えるのんとちがうやろか」と思った次第。スローテンポ大阪弁、私も努力してやってみよ。
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by galarina | 2007-06-24 21:12 | 映画(さ行)

華氏911

2004年/アメリカ 監督/マイケル・ムーア

「それでもブッシュは再選した」
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「エンロン」や「不都合な真実」を見る前に、アメリカを復習しようと思って再見。

これだけのブッシュ批判の映画が選挙前に公開されて、しかもカンヌ映画祭のグランプリまで獲っているのに、それでもブッシュは再選。結局、この映画が反ブッシュのために作られたのなら、一番の目的は達成できなかったということ。目的が果たせなかったという観点から見れば失敗作。この映画の存在をせせら笑うかのようにブッシュが勝ってしまう、まさにその腐ったシステムをムーアは描くべきだった。(もしかして今それをやってるかも)

この映画によって、逆にブッシュに興味をもってしまった人間が出たかも知れないし、ブッシュ側の結束力が固まったかも知れない。この映画の存在そのものが、むしろブッシュのプロパガンダだと揶揄すらされた。まあ、問題作だからこそ様々な論評が出され、否定的な意見も多かったのは確か。

しかし、私はこの映画の存在を否定する気にはなれない。確かにこの映画にはムーアの悪意が満ちている。自らブッシュを小馬鹿にするようなアテレコを入れてるんだもん。そのお調子者ぶりが、知識人の方々には目に余るのも当然かと。でも、私のような小市民にしてみれば、悪意むきだしのムーアの人間臭さに共感することも多い。突撃取材をするというスタイルがそもそも「熱い人間」としての表れだし、そんな彼だからこそ、議員に「あなたの息子をイラクに送りませんか」とよびかけるシーンは十分我々に訴えるものをもった映像だったと思う。

前半部の、石油、パイプライン、武器製造にまつわる巨大な利益が生み出される構造は、驚きの連続でありながら、どんなに噛み砕いて説明されても、やはり遙か遠くの出来事のように感じる。それでも、そのシステム自体は以前に「シリアナ」を見ていたので、ずいぶん理解できるようになった。映画の力って偉大だな。

さて前半にどでかい話を持ってきて、一転して後半はそれらの莫大な利益は、結局は戦場に出向く一人ひとりの兵士の犠牲の上に成り立っているのだということを顕わにしていく。誰だって、息子を戦場に送りたくなどない。誰だって、息子を無駄死になどさせたくない。そんな人間としての真っ当な感情に訴えている。

方法は賢明ではなかったかも知れないが、思いは伝わる。だが、思いだけではシステムを変えることはできない。それもまた現実。そういう事実を知るだけでも、意義は大きい。富裕層を招いたパーティであなたたちは私の基盤ですと演説するブッシュと何のために息子はイラクで死んだかわからないと泣き崩れる両親。両者を1本の糸でつなげようとしたムーアの心意気は買いたい。
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by galarina | 2007-06-21 23:06 | 映画(か行)

手紙

2006年/日本 監督/生野慈朗

「手紙の力」
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私は「毎日新聞の日曜版」で原作を読んでいた。東野圭吾だからてっきりミステリーだと思ったのにそうではないこと、週に一度の掲載であるため物語のスピードが遅々としていることから、あまりノレない作品であったというのが当時の印象。ところが、映画作品として一気に見ると、タイトルである「手紙」の持つ意味がしっかりとクローズアップされていて、なかなか見応えがありました。

犯罪者の家族、被害者、そして社会の有り様を考えさせる映画ながら、私が最も感じたのは「手紙」が持つ力です。本作における「手紙」のメインは兄と弟が交わすもの。しかし、それではない2つの手紙が物語を実にドラマチックに仕上げていた。一つは、由美子が会長に宛てた手紙。そして、もう一つは剛志が被害者の息子に宛てた手紙。この2つの手紙が、淡々とした物語をぐんと突き動かす。「手紙」という現代においては実にアナログな代物がどれほどの力を持っているかということを我々に見せつけるのです。

兄弟間ではない「手紙」の紹介者、杉浦直樹と吹越満が短い出演時間ながら、大きな存在感を放っています。彼らの誠実な演技がこのイレギュラーな手紙の持つ意味合いをじっくりと丹念に我々の心に染みこませる。刑務所でのラストシーンも感動的ですが、私は由美子が会長に宛てた手紙が最も心に響いた。それは当事者ではない会長が倉庫の片隅でひっそりと語るからこそ、リアリティを持って響いてくる言葉でした。

それにしても、沢尻エリカの存在感が光っている。原作の由美子は直貴を支える影のような存在であったのに対し、映画の由美子は女性としての芯の強さに加えて華やぎがある。彼女の華やぎはこの暗い物語そのものにも花を与えているし、常に日陰の存在でいようとした直貴を胸張って生きる人間に変えるための太陽そのもの。彼女の演技力の幅広さを見れば少々下手な関西弁など一向に気にならない。むしろ原作にないイメージをキャラクターに与えていることに驚く。何かにつけて比較されているが、このところワンパターン気味の長澤まさみを一気に引き離すんじゃないでしょうか。

ただ、小田和正のエンディングはいただけない。本当にいただけない。あざとすぎる。泣かせたい歌を最後に持ってくるというのは、映画の中身に自信がないことの現れではないのか。映画はエンドロールが全て終わって、ひとつの作品。若手ミュージシャンとのタイアップでもなく、既存のこの「言葉にできない」という歌をラストに持ってくるのは、作り手としてのセンスを疑う。「言葉にできない」と言葉にして歌っているこの曲自体もなんだよそれ!ってつっこんでしまうのに…。本当に台無しだったなあ。
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by galarina | 2007-06-20 23:31 | 映画(た行)

赤目四十八瀧心中未遂

2003年/日本 監督/荒戸源次郎

「何も変えれぬ男に用などないわ!」
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と過激な啖呵を切ってしまいましたが、生きる意味を失った男・生島のいじけぶりに後半イライラしてしまいました。私この作品ずっと、芥川賞受賞作だと思っていたのですよ。直木賞なんですね。なんでこんなに暗い話が直木賞なんだろう。

さて、のっけから文句を言いましたが、物語の前半はなかなか惹きつけられるものがありました。「ぼくには甲斐性がありません」と黙々と臓物を串に刺す毎日。来る日も来る日も臓物にまみれるという極めて劣悪な仕事にこそ、自分の居場所を見いだす生島自身にダメ男ならではの魅力がうかがえます。また「臓物」をビジュアルでとらえると、その生々しさにドキリとさせられる。毎日「臓物」を届けに来る男、新井浩文の存在も光ってます。

しかし、最終的には生島自身は生きる意味を見つけることも、自分に自信を取り戻すこともできなかった。ふたりの愛の証である新聞紙にくるまれたパンティーも消えてしまった。何とかわいそうな男よ、生島。おまえは「尼(あま)」という異空間に自ら飛び込み臓物と共に自らを埋没させるつもりであったのに、「アンタはここにいる人やない」と自分の意思とは関係なく引っ張り上げられてしまった。それでもなお、自分を変えることはできなかった。そういうひとりの男の絶望のお話。生島のナルシスト的な自虐愛に終盤かなり疲れを感じました。

全く異なるスタイルの映画ですが、昨日「さよならみどりちゃん」のいじけぶりに共感すると書きました。しかし、ゆうこはラストにほんの少しの背伸びをするのに、本作の生島はダメ男のままです。これは、いかにも小説世界の展開で、「おお、なんと哀れな男の一生よ」と言う読後感なんでしょうが、映画になると、綾と言う生身の女を目の前にして、天から降ってきたチャンスをむざむざと逃してしまったダメ男ではなくバカ男に見えてしまいました。

むしろ、本作の見どころは「尼」という異空間そのもの。異空間というよりも、もはや異次元。ぼろアパートを中心に猥雑な商店街を徘徊する奇々怪々な尼の人々がいる風景は、ワンダーランドです。私は関西人ですが、関西を描けばどれも一緒なそんじょそこらの作品とはまるで異質。中でも、彫物師を演じる内田裕也の収まり具合は恐ろしいほどで、この人がいないと「尼」は「尼」でなくなる。それくらいの存在感を放ってました。映画俳優、内田裕也がこんなに光って見えたのは「十階のモスキート」以来で、実に感慨深い。

赤目四十八滝の美しい滝のシーンと対比すれば、醜悪な「尼」の街ではあるけれど、私には夢の世界に見えました。蝶を追いかける少年が見た白昼夢。夢の世界であるならば、生島という男の一生にも哀れを感じます。
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by galarina | 2007-06-18 23:06 | 映画(あ行)

さよなら、みどりちゃん

2005年/日本 監督/古厩智之

「がんばれ、ゆうこ!」
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この際、正直にいいます。女はね、ダメな男に弱いの。ゆうこみたいな全くどうしようもない男が好きな女たちの群れは、確実にいるの。だから、この映画の人物は誰も悪くない。ゆうこと言う女の子がほんの少し、背伸びをする、ただそれだけの話。

ちっぽけな人間が小さな輪の中でいじいじいじいじ…。そういう物語が苦手な人にはオススメしません。私は、好きなんです。そういう、いじいじ、してるのが(笑)。だから、ゆうこができたほんの少しの背伸びにも「よくやった!」とポンポンと肩を叩いてやりたい。もちろん、この後ゆうこが変われたかどうかは、わかんないけど。

スナックでのゆうことヤンキーの会話など、とりとめのないシーンが実にリアル。「そうなんだ」「ふうん」みたいな何でもない会話と間延びした空気感。邦画の小さい映画にはよく見られる演出で、ものによっては嫌みを感じることがあるけど、この作品は大丈夫。この間延びした空気がユタカやゆうこのキャラにピッタリ合っている。

優柔不断な女の子「ゆうこ」を星野真里が好演。ぼんやりしたしゃべり方、あどけない仕草、頼りなげで男の言うままに動く都合のいい女。正直この手のキャラには、女の目は厳しいですよぉ。でも。星野真里は、不快感がない。等身大という言葉がまさにふさわしい。そして、西島クン…。もう反則でしょう。ここまでのダメ男をこんなにステキに演じちゃ、日本中ダメ男だらけになっちまうよぉーってくらい、いい味出してます。

最後の最後になって、ゆうこが意を決して行う愛の告白。それに対するユタカの反応が一番の見どころ。すさまじい「間」があります。この「間」を堪能してください。わたしゃ、ソファからずり落ちました。ゆうこには悪いけど爆笑。西島秀俊という俳優に興味のある女性なら、このシーンを見るだけでも見る価値アリ、です。

ラストシーン、ゆうこが歌うユーミンの「14番目の月」に何だか切なくなる。漫画にもこの歌が、挿入されているのかな?これ映画のオリジナルだとしたら、この選曲にはすごいセンスを感じる。見終わってからも、ずっと口ずさんじゃった。ダメ男に振り回されてる女の子は必見。
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by galarina | 2007-06-17 20:32 | 映画(さ行)