「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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空中庭園

2005年/日本 監督/ 豊田利晃

「小泉今日子に本物の『狂気』を見る」
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家族の崩壊を描く映画は多い。どの作品にも共通するのは、「みんな家族という役を演じている」ということ。いい妻、いい夫、いい娘、いい息子。演じることに疲れた彼らはいつかその仮面をはぎ取る。そのような物語を描いた作品は多く、もはや映画に教えられるまでもなく、家族とは仮想世界であること、夫の愛人がつぶやくように子どもの学芸会であることを、もうみんなわかっている。

マゾっ気のある浮気中の夫、不登校の娘、父親の愛人を家庭教師に招き入れる息子。もはやこれらの人物に特異性を感じることはなくなった。悲しいけれど、むしろ、家族の崩壊を描くステレオタイプな人物設定と言っていいだろう。が、それでもなお、この物語がきりきりと痛いのは、小泉今日子に本物の狂気が見えるからだ。いつのまにやら「演技派女優」と呼ばれていることに首を傾げていた私だったけど、本作の小泉今日子はその思いを吹っ飛ばす怪演ぶりだ。

特に彼女が吐く「死ね」というセリフは、何度も私の心をえぐった。仮想家族を壊したくない、ただそれだけを遂行するためにどんどん狂気を身にまとっていく絵里子という女の哀しさ。その元にあるのは母の愛に恵まれなかったトラウマだが、絵里子に一切の同情の余地を与えず、とことん歪んだ狂気を演じさせた豊田監督のサディスティックぶりがいい。

生まれ変わりを想像させるラストシーンも強烈だが、私はむしろ「こんなに崩壊した団地の我が家でも守ろうとしているのは『愛』があるから」と言う夫のセリフが印象的だった。果たしてそれは本心か?それとも妻と同じように仮想家族を壊さない決意が言わせた立て前か。観客により受け止め方の異なる言葉だと思う。

ともかく豊田監督の金属的で突き刺さるような演出は、巷にあふれるなまっちろい家族崩壊物語とは明らかに異なり強烈な痛さを伴うが、それを堂々と受け止めた小泉今日子の開き直りが実に印象的。そして、この際どい映画が地に足つけていられるのは、彼女の開き直りを真っ向から受け止める母役の大楠道代の演技力も大きい。ふたりが衝突するシーンは、実に恐ろしく、まばたきもできないほど引きつけられた。
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by galarina | 2007-04-29 22:58 | 映画(か行)

私たちが好きだったこと

1997年/日本 監督/松岡錠司

「いい人×いい人が裏目に」
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ひょんなことから公団マンションに同居することになった男女4人の、友情と恋と夢のゆくえを描く。宮本輝の原作にほれこんだ岸谷五朗が、同じ劇団出身の盟友、寺脇康文とともに企画、主演した作品。


最近の作品はとりわけ顕著なんですが、宮本輝には「悪いヤツ」が一切出てこないんですよ。ほんとに、みんないい人ばっかりでね。まさに「性善説」とは、このことって作品が多い。この「私たちが好きだったこと」という作品も、偶然の行きがかりでひと部屋に暮らすようになった4人が、愛子という女性を医学部に入学させるため、みんなで協力し合って暮らしていくの。

あらすじだけ読むと、まるで偽善者の集まりみたいに見える話が、宮本輝の手にかかると、非常に純粋で、「人間って、誰かの役に立つために生きているんだよね」なんて気持ちにさせられちゃう。これぞ宮本マジック。

さて、「きらきらひかる」で松岡監督は、登場人物をみんないいヤツに見せてしまう、と書いたけど、この作品は、原作において既に登場人物がものすごくいい人なんですよね。つまり「いい人×いい人」。で、そのかけ算のせいなのか、心にひっかかりがなくて、さらーっと流れていくような出来映えになっている。それが、静謐な雰囲気を出していると言えばそうなんだけど、物足りなくもある。

それと日頃から共に演劇活動をやっている岸谷五朗と寺島康文が主役の男ふたりなので、内輪でやってる感じが否めない。この物語は男女4人が主人公で、ほぼそれ以外の役者は出てこない。ほとんど登場人物がこれだけってなると、どうしても人間関係において少し摩擦があったり、思いの行き違いが出てくるところこそが面白みになるはず。それがどうも内輪ノリっぽい雰囲気が邪魔をしている。

男女4人の物語で言うと、大谷健太郎監督の「アベック モン マリ」や「とらばいゆ」という作品があるけど、おんなじミニマム感でもこちらの方が、心のすれ違いで起きるスリルが堪能できる。それは、やっぱり配役に追うところも大きいのだ。それから、岸谷五朗なんですがね。切なさが伝わって来ない。彼は愛子を愛しているからこそ、他の男に手放すんですよ。だったら、もっと苦悩があるはずなんだけどなあ。

そんな中、愛子という女性を演じている夏川結衣の存在感が際だっている。夏川結衣は、表面的には「いい人」に見えるけど、その向こうに何か別のものを抱えている、そんな役どころがうまいですね。見た目は清純な感じだけど、心の奥深くに何かを秘めている芯の強さを感じる。そんな彼女の雰囲気が愛子という役にぴったりハマっていた。
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by galarina | 2007-04-28 22:49 | 映画(わ行)

バタフライ・エフェクト

2004年/アメリカ 監督/エリック・ブレス&マッキー・J・グラバー

「せっかくのアイデアがただの『装置』になってしまったのが残念」
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(ネタバレですのでご注意下さい)
記憶障害を持つ男が主人公のサスペンス。一時的な記憶の欠落というシチュエーションが非常にスリリングで、映画の前半は謎に次ぐ謎。後半はその謎解きをしようと観客も頭をフル回転させなければならない。記憶をいじるサスペンスと言えばまず思い浮かべるのが「メメント」だが、「メメント」よりも謎は早く解けるし、構成としてはわかりやすい。記憶障害に加え、過去と未来を行ったり来たりするタイムトリップものの面白さも加え、何だか非常に盛りだくさんな映画である。

しかし、個人的にどうしても気になるのは、カオス理論が、この映画の比喩として合っているのか、と言う根本的な違和感。バタフライ効果とは「北京で蝶が飛ぶと、ニューヨークで嵐が起きる」と例えられるように、事象の因果関係の話である。ちょっとした小さな誤差が大きな変化を生み出す、と言う。でもね、過去に戻ってその都度言動を変えれば、未来が変わるのは当たり前。もし、カオス理論を引っ張り出すなら、エヴァンが過去で行った出来事が未来においては、もっと劇的な変化になってないとおかしい。でも、彼が過去に戻って何をしても、彼を取り巻くのは、いつも同じ顔ぶれ。そこがすごくご都合主義な展開に感じちゃうのだ。

とまあ、やはり「構造そのもの」に凝った映画と言うのは、結局何だかんだとちゃちゃを入れたくなるもの。しかも、この結末は、いかがなものか。こんなに何度もいろんな人の人生を変えておいて、これはいけません。結局このラストの彼の行いで、「過去を変えられる」という奇跡を利用したファンタジー映画になってしまった。しかも、記憶が欠落したところしか戻れないというルールがあるように提示していながら、ラストの過去帰りは昔のビデオを見ながら行ってしまう。これは、おかしい。前半部の謎めいた展開は、かなり面白かったし、最初の「過去帰り」は、そのこと自体が何なのか分からなくて、かなりサスペンスフルな展開だったのに、もったいない。

彼が過去において最も悔いているのは、郵便箱の事件でしょ。だったら、それを止めに行った後の人生で物語は終わって欲しかった。その方がよほど、人間の業の深さや宿命というものを表現できたはずなのに。一体、最も表現したかったものは、何だったのか。

記憶の欠落や精神疾患という非常にシリアスな問題を扱っておきながら、とどのつまりそれを単なる過去戻りの「装置」としてしか描いていないことが不満。子どもの頃エヴァンが殺人を連想させる絵を描いて教師を驚かせているシーンが出てくるように、記憶障害を持つ彼自身に観客の興味を惹きつけておきながら、その辺は放ったらかし。結局、このちぐはぐ感がアイデアの一人歩き、というイメージを与えてしまうのだ。

とか文句いいつつも、やっぱりこういう「記憶をいじる」作品って、見てしまうのよねえ。やっぱり、人間の脳って、とってもミステリアスですもん。
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by galarina | 2007-04-27 14:53 | 映画(は行)

失楽園

1997年/日本 監督/森田芳光

「ちゃんと森田芳光の映画になっている」

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今さら「失楽園」のレビューかよ、と思われるかも知れないが、今年「愛の流刑地」なるダメダメ映画を見に行ってしまったものだから、つい見比べ鑑賞のようなつもりで見てしまった。そしたら、何とこの映画、しっかり森田芳光作品として堪能できたので、驚いた。まあ、「愛ルケ」ががっかりしすぎたからかも知れないんだけど。

だって、この作品には「中年の悶え」がちゃんとあるもの。堂々と連絡を交わせない二人が互いの電話を待つシーンなどにふたりのやきもきした気持ちが実にうまく表れていた。やはり、それは映画一筋の森田監督だから作り出せる映像であったからに他ならない。

会社の隅でこそこそ電話をする久木を階段の上から捕らえた映像や、ふたりの隠れ家に向かう久木が買い物袋をぶらさげて坂の向こうから現れるシーンなどで感じる、いい年をした男が女に夢中になっている可笑しさやむなしさ。それは、ちょっとしたアングルの違いや、人物の配置なんです。やはり、セリフではなく、画面が醸し出す余白とか行間のようなものを体感できてこそ、映画。この「失楽園」には、これまでの森田監督の作品で表現されてきた「間」がきちんと存在している。

それから、ラブシーンが非常にいやらしい。下品な言葉で恐縮ですが、この作品はいやらしくないと、何もかもが根底から覆ってしまう。だから、できる限りいやらしいラブシーンでなければならない。ふたりが交わっている場面よりも、黒木瞳の表情だけをずっと追いかけるシーンの何といやらしいこと。あの行為を思い出して物思いにふける役所広司の表情の何といやらしいこと。

久木が家庭にいる時の様子、凜子が家庭にいる時の様子、それぞれを実に冷えた描写で描いているのも、森田監督ならでは。夫の浮気に気づきながらも何も言わない妻の背中、妻に異様な執着を抱く凜子の夫。心の冷気みたいなものが寒々しく画面を通り抜ける。こういった家族間の冷えた心理描写って、森田監督はうまいです。しかも、これがあるからこそ、二人は逃避行に出るのだと納得できる。原作の結末そのものは、なんでそうなんねん、というお粗末な展開ですが、それをさっ引いてもきちんと森田芳光の映画になっているではないか、と改めて感心した次第。
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by galarina | 2007-04-25 23:45 | 映画(さ行)

きらきらひかる

1992年/日本 監督/松岡錠司

「薬師丸ひろ子は、昔からずっといい女優だった」
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情緒不安定でアルコール依存症の笑子(薬師丸ひろ子)と、同性愛者の医師・睦月(豊川悦司)が親の勧めで見合いをし、お互いのことをわかったうえで結婚。やがて夫の「恋人」の青年・紺(筒井道隆)も交えた友情とも愛情ともつかない不思議な三角関係が始まる…


松岡錠司監督の映画の魅力って何だろうと思って改めて見直したんだけど、映像的なところでは全然わかんないのです。このアングルが、とか、この画面の切り方が、とかそういう批評がとんとできなくて。ただね、確実に一つ言えるのは、登場人物全員が「とてつもなくいい奴」に見える、ということ。もちろん、事実、設定として「いい人」なんですよ。だけど、それ以上にカメラを通してその人物の愛らしさが伝わってくる、というのかな。ホント、みんな憎めない。たぶん、それは監督がすごく愛情を持って、人物を描こうとしているからだろうと思う。「バタアシ金魚」も「私たちが好きだったこと」も同じように感じたし。

そういう風に改めて思うと、これから見る予定の「東京タワー」がすごく楽しみ。だって、ボクもオカンもオトンも、みんな憎めないヤツだもんね。

さて、この作品では、とにかく薬師丸ひろ子の愛らしさというのが際だっている。彼女、こんなにキュートなんだ!って、しみじみ感じちゃった。アル中っていう設定で、昼間からグラスにウィスキーをどぼどぼ入れて飲むんだけど、その仕草のなんとまあ、かわいらしいこと。アンニュイに窓の外をぼんやり見つめたり、ウェイトレスに喧嘩売ったり、かなり情緒不安定だけど、どれもこれも嫌みがない。まさしく、睦月が「これ以上笑子を苦しめられない」と言わせてしまうキュートさにあふれています。

豊川悦司は「12人の優しい日本人」でデビューした直後だし、筒井道隆も「バタアシ金魚」で松岡監督がデビューさせて2年後の出演。非常にフレッシュでイケメンのふたりに、ちゃんとねっとりした(笑)キスシーンをさせているのもイイですね。やるときゃ、やるみたいな。そもそも、ふわふわしたキャラ設定だけに、ちゃんとしたラブシーンが非常に効いてくる。

基本的には、睦月を巡る三角関係なわけです。しかし、睦月は「どっちを取る」とかそういう次元では動いていない。ただ、心の赴くままに任せているというような感じ。その彼の優しさは、普通の三角関係においては究極の優柔不断で、やってはいけないこと。しかし、この3人の場合はちと違う。お互いがお互いに依存しているわけではないんだけど、誰が欠けても不完全というようなバランスが出来つつある。うん、バランスだな。3人でやっと平面に立てる、そんなバランス。それに、睦月の優柔不断ぶりが嫌みにならないのは、豊川悦司という男の存在感のなせるわざでもある。彼の持っている透明感が睦月という男をとても純粋な心の持ち主に見せている。

さて、ゲイのカップルをめぐる男女3人の物語というと、橋口監督の「ハッシュ」があります。共に女がゲイのカップルに割って入って、しかも人工授精まで考えるという点まで酷似しているが、「ハッシュ」がお互いの人生により積極的に関わろうとしているのに対して、「きらきらひかる」の3人は、川を流れる漂流物のように寄り添いあって漂っている感じ。このふんわりした時の流れが感じさせてくれる居心地の良さが松岡錠司監督の持ち味なんだろう。
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by galarina | 2007-04-24 15:20 | 映画(か行)

ブラッド・ダイヤモンド

2006年/アメリカ 監督/エドワード・ズウィック
<MOVIX京都にて鑑賞>

「骨太で壮大。アフリカ問題を突きつける渾身の力作」
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非常にすばらしかったです!本当に期待以上の出来映え。私はこの日をもって、ダイヤモンドはもちろん、あらゆる宝石を欲しいなんて絶対に言わないと誓いたい。それほどインパクトのある作品だった。

まず、物語の構造の組み方がすばらしい。政治及び経済的な問題点は、実に様々な面から切り口が設けられていて、観客は多様な視点からこの「紛争ダイヤ」について考察することができる。ダイヤで設けたい企業、それを欲しがる市場、利権を取り返すために結成されるテロ組織と内紛問題、アパルトヘイト政策、そしてアフリカの貧困…etc。数え上げるときりがないほど「紛争ダイヤ」を取り巻く問題は複雑に絡み合っている。

このことが、「○○が悪い」「○○を変えれば紛争ダイヤはなくなる」と言った一元的な解決論は、どうあがいても出てこないのだ、という圧倒的なリアリティを持って観客に迫る。確かにそれは、悲劇的なことだけど、イージーなハーピーエンドや短絡的な収集の付け方をすれば、真の意味での「紛争ダイヤ」問題を観客に伝えることはできない。

そして、この複雑な政治・経済問題に、ダニー、ソロモン、マディ、三者三様の「個の物語」が絶妙に絡み合っている。しかもこの「個の物語」の中にも、復讐心、親子愛、人間同士の信頼、メディア批判などの要素が巧みに織り交ぜられている。これほど多様なメッセージが破綻することなく、一つの壮大な物語として成立しているなんて、全く何と素晴らしい作品なのだろう、と驚嘆せずにはいられない。

幾重にも重なるメッセージを一つの物語として紡ぎ上げる脚本力に加えて、私がとても感心したのは次の二つ。一つ目は、銃撃・爆撃シーンのリアリティ。街中でダニーとソロモンが逃げるシーンやラストの空爆シーン、そして少年兵の発砲シーンなど、まさにこれがアフリカの現実なのだと目の前に突きつけられるような痛みが体を突き抜ける。これは、娯楽大作でのお祭り騒ぎのような爆薬の無駄遣いとは明らかに一線を画するものであり、まさに「暴力の恐怖」を我々にまざまざと見せつけるものであった。

そして、二つめはレオナルド・ディカプリオの演技。これは、もう参りました。本当に素晴らしかった。複雑な生い立ちを持つダニーという男の魅力を存分に伝えていました。決して善人ではないけれど、これほどまでに生きることにタフな男は見たことがありません。元傭兵であったという設定にそぐわぬ体当たりの演技、そして悲しい過去を持つ繊細な魂。体の演技と心の演技、共にパーフェクト!で、ああ、これほどまでに絶賛したアメリカの役者は最近いないかも…。

最初の飛行場での取引シーンで彼がアフリカ訛りのような英語をしゃべるんですけども、ここですでに私はぐいーっと惹きつけられましたね。そこにいるのは、レオ様なんかじゃない、というのが迫ってきて。私は、レオナルド・ディカプリオの作品はあまり見ていないのですけど、これからはきちんと見ていこうと思います。もちろん、ジェニファー・コネリーとジャイモン・フンスーも良かった!

というわけで、ストーリー、役者の演技、問題定義の在り方など、全てがすばらしかった。実は、「ラスト・サムライ」で「下手なラブストーリー入れるなよ」と鑑賞後にツッコミましたが、それがエドワード・ズウィックに伝わったのでしょうか?本作はつまらない恋愛は省いて、実に骨太な見応えのある作品になっています。ぜひ、多くの人に見て欲しい!
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by galarina | 2007-04-21 22:19 | 映画(は行)

LOFT

2006年/日本 監督/黒沢清

「ミイラが恋のキューピット」
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これは黒沢清監督が初の「ラブストーリー」にチャレンジした作品なんでしょう。まともにラブストーリーなんて描けないので、ちょっとミイラの力をお借りしました、と言う。で、何しろミイラがキューピットなわけだから、ホラー風味のラブストーリーになるのは当然。そして、取り巻く人物も黒沢清だから、一筋縄じゃいかない奴らばっかし、ということで。

例のごとく、そうであると仮定して、ずんずん感想は進む(笑)。

恋愛を持ち込んだことで、いつものざわざわするような恐ろしさはかなり軽減されている今作。物語よりも、主要な俳優陣の個性が黒沢節によって引き出されたことが強く印象に残る。まず、主演の中谷美紀。彼女が元々持っているエキセントリックな美しさというのは黒沢作品には非常によく似合う。また、ミイラを守る教授、吉岡役の豊川悦司。監督のファンサービスなのでしょうか?常に「白いシャツ、第2ボタン外し」という、彼が最も似合う衣装で出ずっぱり。中谷美紀同様、何を考えているか分からないミステリアスな雰囲気は、なぜ今まで黒沢作品に出ていなかったの?と思われるほどしっくり来ていました。

しかし、最も際だっていたのは、安達祐実。とても美しかったです。彼女は、影のある役をもっとどんどんするべきなのでは?「大奥」の和宮も非常にいい演技だったし、これから化けていきそうな気がします。あっ、映画の中ではホントに化けてましたが(笑)。「」の葉月里緒奈といい、黒沢作品で幽霊をやれば女優としてひと皮むける、なんて話が出たりして。「叫」の幽霊は赤いワンピース、今作の幽霊は黒いワンピース。ゆえに「LOFT」と「叫」は、対を成すものがあるのかも知れません。

話が横道にそれましたが、ミイラに愛という呪いをかけられた礼子の恋愛話と編集者木島に殺された亜矢の話をどうリンクさせればいいのか。
で、勝手に推測。結局、亜矢にとどめを指したのは、木島ではなく、吉岡だった。ミイラに導かれて吉岡を愛するようになった礼子だったが、一方その吉岡はミイラの導きによって人を殺し報いを受けた。つまり、もともと手に入らない恋人を愛する運命を背負うような呪いを礼子はミイラにかけられてしまった。
とまあ、こんなところでしょうか。よく考えれば「吉岡」という名前なんですから、黒沢作品をよく見る人にとっては、彼が破滅するのは自明の理なんですね。

なんて、解釈話をレビューしても、黒沢清の面白さって全然伝えられない。やはり、彼の作品の面白さは、独特の映像の作り方にあるんだもの。鏡を見つめる礼子、一瞬にして幽霊が消えて手形だけが残る窓、まるで壁に同化するようにぼんやり浮かび上がる幽霊などなど。これらの不穏さと恋愛話が、今作ではどうも融合せずに消化不良となってしまった。しかし、毎回実験作の黒沢作品なのだから、それをとやかく言うことはしまい。黒沢作品にはめったにないキスシーンを仰せつかったのは、我が愛しの豊川悦司であった。その選択は、誠に正しい、ということでしめくくっておきましょう。
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by galarina | 2007-04-21 21:09 | 映画(ら行)

殺しのドレス

1980年/アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ

「ラジー賞だか何だか知らんが、最高じゃん!」
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いや~面白い!このワクワク感はなかなか体験できるもんじゃありません。
ヒッチコックのパクリとか、何だかんだ否定的な意見を言う人もいるらしいけど、私にとってはとにかく「めちゃめちゃかっこええやん!」のひと言。改めて見直しても、最初から最後まで唸りっぱなしでした。でも、この年のラジー賞とってるんだよね。全く、人間の物差しっちゅうんは、いろいろですな。

さて、多くの人が名シーンとして批評しているのが美術館のシーン。
欲求不満の人妻、となりにちょっとイカした男が座る。ちらっと横目で気のあるそぶりを見せても男は無反応。もう、まったく、アタシに興味ないの、コイツ!ちょっと足組み直してみたりして。あらっ、どっかいっちゃうの?追いかけちゃうわよ。と頭の中でセリフがぐるぐる回るんですけど、この長い長い追いかけっこシーンに一切セリフがない。最高に、おもしろいですね。女の目線であるカメラワークが雄弁に女の心を物語る。ホットペッパーの人にナレーション入れて欲しいよ。

やっぱカメラワークだけでこれだけワクワクできる監督っていないなあ。確かに、映画通と呼ばれる方々にはデ・パルマのカメラワークって、その確信犯的な撮り方があざとく感じるの人がいるのかも知れない。手法に溺れてるって言うのかな。でも、私が感じるこの高揚感って言うのは紛れもない事実で、かっこいいもんは、かっこいいとしか言いようがない。しかも、この無言の追いかけっこの後、やっとセリフが入ったと思ったら、突然カーセックスへの仰天展開。この通俗さこそがやっぱデ・パルマでないとできない技で、どう考えてもヒッチコックはこんな展開にはしない。

そして、デ・パルマに欠かせないのがお色気シーン。ラブシーンでもエロスでもなく、お色気シーンって言葉がぴったり。まるで11PMばりに「うっふ~ん」ってナレーションが入りそう。このB級テイストがたまりません。ナンシー・アレンもいいんだけど、欲求不満妻のアンジー・ディキンソンがいい味出してますねえ。 途中から犯人は誰かなんて、どうでもよくなってきます。ってか、大体わかるんですけど、それもご愛敬。

何者かに追い詰められる、または、精神的に追い詰められる。この「追い詰める」映像づくりが、本当にお上手。1940年生まれだから今年で67歳。まだまだ現役、いつまでも「そう来たか~!」という映像で魅せて欲しい。最新作「ブラック・ダリア」は映画館に行けなかったので、早くDVDが見たい!
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by galarina | 2007-04-18 20:30 | 映画(か行)

六月の蛇

2002年/日本 監督/塚本晋也

「私の中の女性性が否定する」
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梅雨の東京。セックスレス夫婦の妻・りん子のもとに、彼女自身の自慰行為を盗み撮りした写真と携帯電話がとどく。電話カウンセラーとして働く彼女の言葉で自殺を思いとどまった男・道郎からの狂った脅迫。その日から、りん子の恥辱と恐怖に満ちた日々がはじまる…。


キム・ギドクなんかもそうだけど、「女性を性的にいたぶる」描写が出てくる映画には、本当にその描写が必要なのか、と強く感じずにはいられないのです。ひとりの女性として。もちろん、「性」というものが映画における重要なテーマであることは、私自身も重々承知している。むしろ「性」をテーマにした映画こそ、私が最も愛する映画なくらい。

本作で塚本監督が描こうとしたものも、わかっているつもり。破壊と再生。徹底的に破壊することでようやく得られる再生。しかし、頭でわかっていてもなお、私は目をそむけたくなってしまった。それは、主人公がトイレで性具をつけさせられ、街中を歩かされるシーン。そこで私は、すっかり疲労困憊してしまって、もう先はどんなだったか、覚えていないくらい。

この私が感じている「痛めつけられた感覚」というものこそ、塚本監督が観客に与えたかったのだと言われれば、もう何も言えなくなる。むしろ、じゃあもう塚本作品は見ない!ってふてくされるしかないというか…。でも、それはこの映画の正しい見方ではないんだよね。女をいたぶるな!って金切り声を上げるフェミニストでもないんですけどね、私。

しかも、なぜこの作品が許せなくて、レイプシーンのある「時計じかけのオレンジ」を傑作と認めることができるのか、自分でもうまく説明ができないのよ。やっぱり元に戻るんだけど「そのシーンは必要だった」と腑に落ちるかどうかってことなのかな。もちろん、「シーンの必要性」なんて大風呂敷広げちゃうと、とんでもなく難しい映画論に迷い込んでしまう。だから、もっと感覚的なものかも知れない。

とにかく痛めつけられた気持ちが大きすぎて、映画の言いたいことなんか、どうでも良くなってしまう。それはそれで、何だか悲しい事のような気がする。私にとっても、製作者にとっても。この作品そのものが放つパワーは確かに感じる。しかし、それ以前に私の肌が拒否する。それは、理屈以前の問題で、全ての作品を好き嫌いで私は論ずる気は毛頭ないけど、ごくたまにそういう作品も登場する。りん子のいたぶられようはそんな私の神経を破壊してしまう。
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by galarina | 2007-04-17 21:50 | 映画(ら行)
1997年/アメリカ 監督/ジャン・ジャック・アノー

「東洋人としてのスタンスで見てしまう自分に意外な発見」
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●ブラッド・ピット見たさに鑑賞

広大な土地チベットを舞台に、登山家ハインリヒ・ハラーと若き日のダライ・ラマとの心の交流を、実話をもとに描いた作品。「西欧人が東洋の神秘に出会い、己を取り戻す」というストーリーは、何だかどこかで見た感じ。この手の作品を見ていつも思うのは、西洋は東洋のおいしいところを自分のために利用してるだけじゃないのか、という不信感なの。チベットを侮辱した表現があるわけでもないし、むしろハラーとその友人もつとめてチベットの人や文化に尊敬の念をもって接している。それでもなお、「自分たちの表現のために “東洋的なもの”が利用された」というような被害妄想が頭の中にムクムクと起きちゃうわけ。

こんな時「ああ、私もアジア人なんだわ」なんて再認識する。映画の感想とは全然別の意識が働いちゃって。まあ、こういうところが映画のおもしろいところなんですけどね。

確かにハラーは家庭教師として若いダライ・ラマに世界のいろんな知識を教えてあげる。どちらかが一方的に何かを搾取しているわけでもなく、二人は堅い信頼関係で結ばれている。それでもなお、その不信感がぬぐえないのは、後半チベットが中国から侵略されるくだりでチベットは中国からひどい目に遭いました、それでハラーは祖国に帰りました、ちゃんちゃんってことで映画が終わっていること。

中国によるチベットの侵略というのは、非常にシビアな問題でそこを掘り下げたら、きりがないとは思うけど、このほったらかし方はどうなの、と思ってしまう。その話に突入するんであれば、帰国後ハラーが中国に侵略されたチベットを思っていかに心を痛めたかという部分があってもいい。だけど、物語は、ハラーは息子にダライ・ラマから受け取った宝物を渡して終わる。どうしても、そこが引っかかってしまうのだ。

この映画は前半部が長いのよ。登山が失敗して、捕虜になって、脱走してチベットに行き着くまでが。ここをもっと短くして、ハラーとダライ・ラマの交流にもっと時間を割けば、先のほったらかし感もずいぶん軽減されたと思うな。

さて、ブラッド・ピット。この作品ではサラサラヘアで金髪の貴公子の余韻をかろうじてとどめております。でも、アクの強い今のブラピの方が私は好き。本作では、父になる自分を受け入れられない苦悩、妻に見捨てられた喪失感をもっともっとエモーショナルに表現して欲しかった。ちょっと物足りないぞ。
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by galarina | 2007-04-11 23:19 | 映画(さ行)