「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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海を飛ぶ夢

2004年/スペイン 監督/アレハンドロ・アメナーバル

「愛する人を殺せますか」
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海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、尊厳死を希望している。しかし、全く体が動かない彼にとっての尊厳死は「誰かが彼を死なせる手助け」が必要。この映画の主題は「愛する人が本当に死を望んでいるのなら、その手助けができるか」という極限の問いである。映画を見た全ての人は、自分の愛する人がラモンと同じように「死にたい」と願った時に自分はどのように行動するかを考えさせられることだろう。

ラモンの尊厳死への希望が実に厳粛な問題として受け止められるのは、彼は感傷的になって死にたいと望んでいるのではない、ということである。ラモンはやけっぱちになっているのでもなく、精神的におかしいわけでもない。実に理路整然と自分の生には尊厳がない、と言い切る彼に一体どんな反論ができるというのだろう。命は神から授かったもの、やけになって死んじゃいけない、生きていればいいことはある…。どんな説得も彼の「尊厳のない生」という主張には、効力を持たない。

それでもなお、ラモンの要求をわがままと受け取る人もいるだろう。このテーマは、自分は「死」をどう考えるか、という踏み絵でもあるのです。

さて、尊厳死を巡る極限の問いを放つというテーマ性だけがこの映画のすばらしいところではありません。本作はひとりの男を巡る3人の女たちが登場する珠玉のラブストーリーでもあります。一人目は常に彼の面倒を見てきた義理の姉。彼女はラモンの兄の妻ですが、明らかに彼女はラモンを愛している。私の目にはそう映りました。二人目は尊厳死の訴訟を引き受けた女弁護士フリア。ラモンも彼女を愛し始めるのですが、悲しい結末を迎えてしまいます。そして、ラモンに仕事や家庭のグチをぶちまける工場勤めの女、ローザ。強引で自分勝手な彼女が最後までラモンと付き合う運命になるとは…。

死にたいと願っている男を好きになってしまう。なぜなら、常に生と死を考えに考え抜いてきた経験が彼に人間としての魅力を与えているから。何とも皮肉なことではあるけれど、ラモンの人生は最後に大きく輝いたと言えるでしょう。

ラモンの家族は彼の尊厳死を強く反対します。それは、愛する人を死なせたくないという思いと共に、彼をみすみす死なせたという罪悪感に捕らわれるのが怖いからであり、大きな喪失感に耐えられないのがわかっているからです。家族のとらえ方、友人のとらえ方、恋人のとらえ方の違いを比較することでも、「死」に直面した時に人はどう感じ、どう行動するのかを深く考えることができる、すばらしい作品です。
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by galarina | 2007-03-29 23:26 | 映画(あ行)

叫(さけび)

2007年/日本 監督/黒沢清
<梅田シネ・リーブルにて鑑賞>

「絶望と孤独を喰らう赤い服の女」
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(ラストシーンについて触れています)
まず、黒沢清監督の作品について、好きか嫌いかと聞かれると嫌いである。で、すごいかすごくないか、と聞かれると、すごいと答える。だから、しょうがなく見る(笑)。こういうのを、いやよいやよも好きのうち、と言うのだろうか…。

さて、最新作「叫(さけび)」について。これまでの黒沢作品というのはおおむね「目に見えない存在がもたらす恐怖」について描いたものが多かった。しかし、新作では「幽霊」がちゃんとした人の成りをして登場してきたのが非常に新鮮であった。ただ、これまたややこしいのは、一応「赤い服を着た幽霊」は映像として登場しているけど、これは何かの象徴であるかも知れないし、実ははなから存在していないなんて解釈も可能なのが、黒沢清。私は基本的にパンフレットを買わない主義なので、その辺は勝手に想像するしかない。

で、まさにこの「勝手に想像する」ことが黒沢作品の一番大きな醍醐味なんである。以前、「SAW」のレビューでも触れたけど、映画を見終わってあれこれ検証するのが私は好きではない。「答を求めて検証する作業」と「勝手に意味を想像する作業」には雲泥の違いがある。何せ後者の方は自分の出した答が正解なんだもの。

赤い服の女(葉月里緒菜)は、耐え難い孤独を抱えた人間の前に現れる。彼女は彼らに「全部なしにすること」を示唆する。おそらく赤い服の女は、さまざまなの人々の前にも現れているのだろう。役所演じる吉岡のカウンセリングを行う精神科医(オダギリジョー)も、幽霊の話になった途端、動揺し机の上のものをぶちまけたりしている。彼もすでに赤い服の女を見ているのかも知れない。

赤い服の女は、律儀にドアを開けて出て行く時もあれば、スパイダーマンのような飛行で空高く飛んでいくこともあって、この行動の一貫性のなさはどう考えればいいのか、非常に悩むところ(笑)。私は、ドアを開けて出て行くような描写の時は、実は死んだ恋人の春江(小西真奈美)が赤い服の女として目の前に現れているんではないかな、なんて想像してみたりもした。ラストシーンは、春江の叫びである。ただし、音は消されている。その叫び声は、劇中赤い服の女が発していたものではないかと思うのだ。そもそも、最初の死体も赤い服を来ていたし。

しかし、あの叫び声はすごかったですね。声でR指定出されてもおかしくないんじゃないでしょうか。落ち込んでる人が聞いたら狂ってしまいそうです。

埋め立てられる湾岸地帯が土壌となり、人間の孤独を糧に赤い服の女は増殖し続ける。ただひとり「許してもらった」吉岡は、誰もいなくなった湾岸地帯をひとり彷徨い続けるのだろうか。この「許される」ということをどう解釈するのか、というのも面白いところだろう。

あなたもふと、鏡をのぞくと、赤い服の女が見えるかも知れない。なぜだか知らないけど海水を汲みたくなるかも知れない。そう思ってしまう人は、十分に鬱状態。黒沢作品は、カウンセリングに行くより簡単なリトマス試験紙だ。
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by galarina | 2007-03-26 22:52 | 映画(さ行)

ブロークン・フラワーズ

2005年/アメリカ 監督/ジム・ジャームッシュ

「誰も俺のことを忘れちゃいなかった」
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ずーっとくすくす笑いが止まんなかった。ジム・ジャームッシュってこんなテイストだったっけ?すごい侘び寂び入ってるよねえ。この侘び寂び感、アメリカ人の観客も共有してるんだろうか?いやあ、楽しませてもらいました。

ビル・マーレイのダメ男っぷりは、世の男性諸氏も見習った方がいいかも知れません。このキャラクター、かなり母性本能をくすぐります。私がなんとかしてあげなきゃ、という気分になりますね。隣人の黒人がやたらとおせっかいなのも、それに近いものがありそうです。

「ピンク」という色を一つのキーにしていろんな場面で使っているあたりも非常にセンスを感じるし、BGMのCDのエチオピア音楽やら、ドン・ジョンストンという紛らわしい名前など、細かいネタも用意周到。

私がこの作品をいい!と思ったのは、ドンの昔の女たちが今なお彼に対して何らかの愛情を抱いている、ということ。女は昔の男をいつまでも愛している、その事実が何だかほろ苦い。久しぶりの再会でベッドインしちゃう女、彼に撮ってもらった写真を大切に飾っていた女、会ったとたんに激情して突き飛ばす女。誰ひとり、彼に対して「あなたの存在は私の人生から消えてしまった」という反応を示さない。ドンもがんばって会いにいった甲斐があったというものですよ。

きっと彼女たちの愛情を感じて、彼の孤独感はずいぶん癒されたでしょう。「あんた誰」なんて言われなくてホントに良かった。でも、こんなすっとぼけた作品が賞を獲るんだから、カンヌ映画祭は懐が深い。小難しいヨーロッパ作品ばっかりがグランプリじゃないんですもんね。
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by galarina | 2007-03-25 18:24 | 映画(は行)

UNLOVED

2002年/日本 監督/万田邦敏

「価値観の転倒にめまい」
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これは非常に奇妙な映画です。見終わった後の何とも言えない感情は今でも覚えているくらい。とにかく「私を愛さないで」と言い続けるんです、主人公が。女として考えられますか?

光子(森口瑤子)は生活に変化をきたすのを心の底から畏れている公務員。偶然仕事ぶりが認められ、青年社長の勝野(仲村トオル)に言い寄られるのだけど、それをことごとくはねつける。
仕事を紹介しても断るし、ドレスも食事も断るし、あなたの愛はいらないと言う。まあ、普通の女なら素直に喜ぶ、プリティ・ウーマン的展開ですよ。光子のその否定ぶりってのが、これまた強烈なんですね。勝野にしてみれば、何で俺の提案を断るのか全くわからん!ってこと。

で、光子は勝野ではなくアパートの階下に超してきた溶接工の下川(松岡俊介)とつきあい始める。光子は下川といる方が自分らしくいられる。まあ、その気持ちもわからなくはないです。でも、ここからの展開がまたすごい。勝野に刺激された下川に上昇志向が生まれる。するとなんと、光子は激高するんですよ。「あんたはそのままでいいのに!」って。

光子には光子なりの価値観があるんですね。冨や名誉なんていらないと言う。しかし、彼女は冨や名誉ではなく、人として男を選択しているのか、というと、これまたそうじゃない。ここが、実に興味深いキャラクター設定でね。光子のかたくなまでの自分の価値観への執着ぶりというのは、見ていてだんだん吐き気がしてくるくらい偏執的なんですよ。自分の価値観を守るだけではなく、相手の価値観の変化も絶対に許さない女。光子にどんな過去があって、このような考えに至ったのかは一切描かれていないので、光子に同情しようもできない。

しかし、非常に印象的な映画であることは間違いありません。この作品は、役者はほぼこの3人だけで、しかもセリフ回しが驚くほど棒読みなんです。間違いなく意図的な演出です。無機質な声色で「いらない」「帰れ」と否定的なワードを言い続ける光子を見ていると、なんだかくらくらしてきます。そして、光子を演じる森口瑤子が実にこの役にぴったりハマっている。

「女はみんな愛されたがっている」と思っている男性諸氏。この映画でその価値観はぶちのめされます。見終わったら今後女性に対してどう接すればいいのか、頭を抱えることマチガイありません。
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by galarina | 2007-03-23 17:11 | 映画(あ行)

アザーズ

2001年/アメリカ=スペイン=フランス  監督/アレハンドロ・アメナーバル

「頭を使うサスペンスに疲れている人はぜひ」
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ニコールキッドマンがすんばらしく美しい!

以上

と終わりたいほどニコールの美しさにうっとり。まさに、ブロンド・ビューティーってんでしょうか。往年の大女優、マリーネ・デートリッヒばりのオールドスタイルの巻髪がとても似合ってましたね。で、美しくて、敬虔なクリスチャンで、夫を待ち続ける貞淑な妻であるニコールが追い詰められれば追い詰められるほど、ドキドキする。やはり、追い詰められるのは美女でないと、臨場感が出ない。

さて、ゴシックホラーというよりも、私は単純に謎解きサスペンスとして楽しめました。この手の映画は、近年あまりにもレベルが上がってしまって、ストーリー展開が伏線だらけの複雑なものや、やたらと哲学的な思想を盛り込んだものなど、どんどん深く掘り下げる傾向にあるように思う。もちろん、この「アザーズ」にも伏線はある。かなりある。そして、この伏線をしっかり考えながら見てると、割とすんなりラストのどんでん返しに思いつくのかも知れない。

でも、みなさんそんなに推理をしながら映画を見ているものなの?私は、どちらかというと全くしないなあ。ただ、身を委ねて見ているという。だから、「SAW」みたいな伏線だらけの複雑怪奇なストーリーって、正直後がめんどくさいの。見た後に、余韻に浸るのは好きだけど、見た後に何かをはっきりさせるために検証するって作業は、あまり好きじゃない。

そういう私みたいな観客にとっては、この作品はラストのどんでん返しには素直に膝を打ったし、そう言えばそうだよね、と合点の行くことばかりで、オチが出れば謎は残らないというもの。もちろん、その身を委ねてただ見ているのは、ニコールの美しさに負うところも大きいんですよ。彼女はやたらと聖書に倣って厳しく子供を育てているんだけど、そのヒステリックなまでの狂信ぶりにどんどん引き込まれちゃう。で、彼女のその性格はちゃんとオチにも繋がってるし。昨今のやたらと複雑なサスペンスものに疲れていたので、ある意味新鮮に感じたなあ。
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by galarina | 2007-03-20 23:36 | 映画(あ行)
2004年/アメリカ 監督/ピーター・チェルソム

「夫としての「ケリ」をつけたジョンに拍手!」
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アメリカでリメイクされたのだから、アメリカ人が感情移入できるように改変するのは当たり前。オリジナルと比較することでこの作品の魅力が損なわれるのはもったいない。むしろ、私はオリジナルの持つ「小津」的ワールドをできるだけ損なわないように作られたんだな、と感心した。

日本と同じようにアメリカにもサラリーマンの悲哀はある。それは遺言専門の弁護士という設定で十分に出ている。道を歩けば弁護士に当たるというアメリカ社会で、死亡後の事後処理に明け暮れるジョンが語るナレーションは、アメリカ人のハートにしっかりと染み入るものだったのではないだろうか。

ほとんど同じ脚本でたった一つの相違点。これをどう見るかによって評価は分かれるようだ。正直、私はこの改変をとってもステキだと思っちゃった。つまり、アメリカ人は、オリジナルの役所広司の「ふんぎりのなさ」に「ケリ」をつけてくれたのです。もちろんオリジナルは大好きな作品ですが、あの時感じた「やっぱり最後まで奥さんはおいてけぼりだな」と思った私の感情にしっかり答が出されていて、このラストの展開はもしかしてオリジナルより好きかも!?と思ってしまったくらい。

このふんぎりの付け方って言うのは、日本人とアメリカ人の違いを実にシンボリックに表現していると思いますね。この改変は、アメリカ人の「奥さんへのおべんちゃら」かも知れないですけど、やっぱり120分の中できちんと答を出してあげる、というね。オリジナルは専業主婦ですが、リメイク版はキャリアウーマンでしょ。今時の女性なら、リメイク版の方がむしろ心情的にはしっくり来るんじゃないかな。

もう一組のペアも竹中直人と渡辺えり子ほど、キャラが立ってないと言う人もいるようですが、果たしてそうでしょうか?我々は日本人で、そもそも竹中直人のコメディアンとしてのキャラを知っているからそう思えるだけ。探偵事務所の助手がいちいち格言めいたことを言う辺りもシャレてます。

周防監督の作品が好きなので敬遠していましたが、もっと早く見れば良かった!と後悔しているくらい。夫としての「ケリ」をきちんとつけるリチャード・ギアは役所よりエライ!と私は拍手してしまいましたよ。エンドロールで出演者たちのその後も描かれていますが、これもアメリカらしくってGOOD!
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by galarina | 2007-03-19 13:55 | 映画(さ行)

疾走

2005年/日本 監督/SABU

「神に捧げられたシュウジ」
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公開時に気にはなってたんだけど、見られなかった作品。ジャニーズのメンバーが主役を演じている割には、取り上げられ方が今ひとつだったのは、とにかく暗くて重い作品だからだろう。SABU監督と言えば「弾丸ライナー」のようなスピーディで弾けるイメージだったんだけど、今作は非常にきりっとした鋭い映像で、思春期の少年の心を実に細やかに描いている。シュウジの人生は悲しいけど、彼はナイーブで心優しい青年全てを代表するシンボルのように思えた。

この物語を見るのに最も重要なのは「沖」と「浜」の位置づけだろう。「沖」はヤクザなどのよそ者が住みつく「異の世界」。「浜」は住宅地でいわゆる中流家庭の人々が多く住む「共同体の世界」。しかし、この共同体の世界は、よそ者を蔑み、世間体を気にする見せかけの共同で成り立っている腐った世界でもある。シュウジは、少年らしい好奇心と元来持ち合わせている心の優しさがきっかけで「沖」の人々と交流を持つ。つまり、境界線を越えてしまう。それが、最終的には彼に悲劇をもたらす。

しかし「浜」の住人である兄もまた、道を踏み外す。つまり、どちらの世界にいても、少年は傷つく。であるならば、シュウジのように人間らしい心映えを持って、境界線を乗り越える生き方にも意味はある。だって、とてもささやかではあるけれど、彼は最後に「のぞみ」という名の希望をこの世にもたらすのだから。

現代の日本にもし「沖」と「浜」しか存在していないのなら、シュウジはさながら希望を創り出すための「生け贄」とも受け取れるかも知れない。そう、シュウジは神に捧げられたのだ、と。聖書が物語で重要な役割を担っていることからも、そのような解釈は可能だと私は感じた。

さて、今作において、ヤクザの情婦を演じる中谷美紀が非常に印象的な演技を見せてくれる。私は「松子」より断然好きだな。驚いたのは、関西弁がとても上手だったこと。彼女は関西出身ではないと思ったんだけれど。それから、教師を演じる平泉成。いいかげんな大人を演じさせたら彼の右に出る者はいないかも。トヨエツは「ハサミ男」に次ぐおかしなヘアスタイルで神父を演じる(笑)。彼の演技の特徴的なのは、「何者かわからない」浮遊感。この神父にしてもいい人なのか、悪い人なのか正直わからない。シュウジを助けようと思えばもっと彼に深く立ち入ることはできたはずだしね。その辺の無記名性って言うのは、実にトヨエツらしい演技だったと思う。

「沖」と「浜」を繋ぐために生き抜いたひとりの少年の物語。彼の人生は確かに短かったけれど、彼の行いは、決して愚かなものではなく、尊いものだった。大人の私はそう信じたい。
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by galarina | 2007-03-18 23:21 | 映画(さ行)

Ray

2004年/アメリカ 監督/テイラー・ハックフォード

「人生、その全てが音楽」
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現在公開中の「ドリーム・ガールズ」は出演メンバーの圧倒的なパフォーマンスがすばらしいのはもちろん、黒人音楽の変遷を辿る、という面でも非常に面白い出来映え。

同じようにこの「Ray」もひとりの黒人ミュージシャンの話ではあるけれど、彼を先頭として黒人音楽がどのような道筋を辿ってきたかがよくわかり興味深い作品。常に新しいサウンドを生み出す黒人特有の卓越した音楽センスのすばらしさ、それは、決して我々日本人にはない恵まれた才能だとひしひし感じちゃう。

私など、晩年の超ビッグになったレイ・チャールズしか知らないので、あの曲にはこんなバックボーンがあったのか、という発見が次々とありました。そして、女と別れても、差別されても、それを全て「音楽で昇華させる」ところがすごい。彼女との壮絶な別れ話がそのまま新しいサウンドになるあたり、あきれるのを通り越してさすが!と唸っちゃいました。

●実は女ぐせが悪い
●実はお金にうるさい
という事実もきちんと盛り込み、レイ・チャールズの人間らしさを前面に出しているところも非常に好感が持てる。特に「お金にうるさい」というのは、黒人だからと言う理由でナメられてはいけない、という彼の苦難の人生から得た処世術がそうさせたもの。あのビッグスターのレイ・チャールズもこうやって、もがき苦しみながら生きてきたんだな、と感慨深いものがある。次から次へと女性の手首をなでまわす場面にしても、何だか大スターレイ・チャールズがすごく身近に感じられて良かったな。

ドリーム・ガールズでは、歌うシーンが少なかったけど、文字通り本作では主演のジェイミー・フォックスがレイ・チャールズの名曲を次々と披露。すばらしいパフォーマンスを見せてくれる。それにしても、この時代のミュージシャンって、みんなヘロイン中毒なんだよね。確かジャズミュージシャンにもたくさんいたはず。レイ・チャールズは克服して、大御所となったけど、ドリーム・ガールズのジミーは死んじゃった。薬物で明暗がくっきり分かれる、それもまたミュージシャンを描いた映画の常なんだな、悲しいことに。
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by galarina | 2007-03-17 23:50 | 映画(ら行)

ドリーム・ガールズ

2006年/アメリカ 監督/ビル・コンドン
<MOVIX京都にて鑑賞>

「パフォーマンスのすばらしさに圧倒されて号泣」
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拝啓 ジェニファー・ハドソン様

先日のアカデミー賞に関することで、歌がうまいだけで賞をもらっていいのか、というような発言をしてしまったこと、どうかお許しください。あなたのパフォーマンスは、本当にすばらしかった。私は、あなたに助演女優賞ではなく、主演女優賞を贈りたいほど感動いたしました。その気持ちに免じてどうかお許し下さいませ…

と、ジェニファー・ハドソンに謝りたいくらい、もお~、ほんっとにすばらしかったです!ソウルファンの私にとっては、極上のエンターテイメントを堪能させてもらって、もうお腹いっぱい!という感じでした。全ての楽曲がすばらしくて、早速サントラゲットしようと思います。あんまり良かったもので、何から書いていいか、わかんないです…

ええっと、まずジェニファー・ハドソンですね。彼女のパワフルな声は本当にすごかった。私は、ブラックミュージックがたいへん好きなのですが、実はあんまりにも歌唱力まるだしのボーカリストは、実は好きではないんです。その典型がホイットニー・ヒューストン。歌い上げるほどに「もうあんたが歌うまいの、わかったよ」なんて気持ちになって冷めちゃうんです。ところが、なぜかジェニファー・ハドソンの場合は、そういう気持ちにならなかったなあ。おそらくエフィという人物が自分の歌に絶対の自信を持っていて、歌わずには生きていけない、そういうキャラ設定があったからだと思います。カーティスに向けて歌うあの歌は、凄まじかった。未だに「LOVE ME!」というあの歌声が耳から離れません。

それから、ビヨンセ。ソウル大好きなんですけど、最近のR&Bは聞かないの。だって、どれもおんなじなんだもん。ってことで、ビヨンセの歌は始めて聴いたわけだけど、とりわけ「Listen」はとっても良かった。それに、リードボーカルを任されたその瞬間から輝き始めるその様は、さすがスター!のオーラが出まくっててもう目が釘付け。あと、ファッションね。どれもこれも本当にステキだった!まさに「ディーバ」の輝き!この衣装はエフィには着られないよな…ってものばっかりでしたが(笑)。
10kgも体重を落としたという努力がしっかり報われてました。で、なぜ、彼女はアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされなかったの!?

エディ・マーフィもこんなに歌がうまいんだ、とビックリ。私は「リトル・ミス・サンシャイン」も見たけど、私ならエディ・マーフィにオスカーをあげます。つーか、作品賞もノミネートされてないんだよね?なぜ、なぜ、どうしてなの!?とアカデミー気分もすっかり終わったこの時期にほざく私。

ジェイミー・フォックスは、「Ray」を先日見ていたので、音楽の才能は充分承知の上で見たんですが、非常に損な役回りでしたね。物語を盛り上げるために、ヒールになっちゃったみたいで。ただ、全体を見渡してみて、この作品の本当の主役は彼だったんじゃないか、と感じるほどのすばらしい演技でした。彼が先見の明があったのは紛れもない事実で、みんなスターになれたのは彼のおかげなのにね。富を得るごとに道を踏み外してしまったのなら、彼の周りの人たちがそれを彼にもっと早く教えてあげるべきだったのに…

なーんて、物語のあれこれを何だかんだつつくのは、この作品には無意味!すばらしい音楽の洪水にただ身を委ねて、聞き惚れて、泣きましょう!
もう1回見に行きたい!
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by galarina | 2007-03-14 20:21 | 映画(た行)
2005年/ドイツ 監督/オリヴァー・ヒルシュビーゲル

「私は絶対にマグダにはならない」
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この映画はドイツ軍が降伏するまでの最後の12日間を描いている。ベルリン市内にロシア軍が侵入し、どうあがいたって勝ち目はない。それでも、全面降伏は許さないとヒトラーは叫ぶ。その1日、1日延びていくごとに、ロシア軍に攻め込まれた大勢の市民が毎日毎日ただ無意味に死んでいく。今日降伏すれば、明日は助かった命が、何千、何万とある。そのむなしさたるや。

その原因は、ヒトラーという独裁者がだだっ子のように降伏しないと叫んでいるからに他ならないのだけど、やっぱりこの期に及んでヒトラー信奉者がまだ存在しているということにも愕然とする。この地球で何よりも恐ろしいもの、それは人間の心だ、ということを我々に見せつける。「信じること」は、人に計り知れないパワーを与えてくれるかも知れないけど、その逆の事態になった時にこれほどやっかいなものはない。だから、私は信仰に懐疑的なんである。

その極端な例が、ゲッペルス夫人、マグダの取った行動だ。わざわざヒトラーのいる地下要塞に6人もの我が子を連れてきて、「ナチスの信念の元に子供を育てられないのなら死んだ方がまし」と言い放つ。また、このゲッペルス夫人をコリンナ・ハルフォーフという女優が演じているのだけど、彼女の演技が非常にうまい。まるで鉄の女である。これが絶対に正しいと言う強い意志の元に6人の子供たちを次々と死なせるその様子は、同じ女性としていたたまれない。しかし、これが戦争を生み出す狂信の姿なのだ。

この映画を見て、私は先の大戦についてほとんど何も知らないのだな、とつくづく思い知った。日本とドイツは連合国だったわけだから、ドイツの第二次世界大戦時の戦況を知ることは、すなわち日本を知ることなのだ。あまりにも当たり前なのに、今まで認識していなくて愕然としたことがある。それは、ドイツの降伏は5月7日であったということ。日本の終戦日が8月15日であるから、この約3ヶ月弱、日本はたった1カ国でアメリカを中心とした連合国を相手に戦争を続けたわけだ。

これはまさに、この映画の「最後の12日間」に相当する行為だったのではないだろうか。戦争がいったん起きれば、どの国にでも「最後の12日間」は存在するのだ。

ヒトラーをひとりの人間として描くことすら否定的な感情がうずまくドイツにおいて、ドイツの人々がヒトラーを描いた。それは、やはり、先の過ちを見つめ直し次世代に向かうときの禊ぎであり通過儀礼である。それと同じことを日本はすべきなのに、アメリカ人のクリント・イーストウッドにやられてしまった。戦艦大和もいいけれど、戦争の事実と責任を極めて客観的に描いた映画を日本人の手で作ることは不可能なんだろうか。
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by galarina | 2007-03-13 15:46 | 映画(は行)