「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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ヴァージン・スーサイズ

1999年/アメリカ 監督/ソフィア・コッポラ

「美しき花々は枯れることなく突然消えた」
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ソフィア・コッポラの初監督作品。1970年代のリスボン家の5姉妹の不可思議な自殺へのプロセスを隣に住む兄弟が語り手となって描く異色作。

ティーンエージャーの揺れ動く心理、刹那的な生き方、耽美や怠惰への憧憬など、処女作で扱ったモチーフはそのまま現在公開中の「マリー・アントワネット」に通じている。5人の美人姉妹の末娘が風呂場で手首を切ったことがきっかけで「死」への憧憬は、またたくまに他の4人の少女たちに伝染する。10代の少女特有の情緒不安定な心理を描いた映画はたくさんあり、近年の日本映画なら援助交際を扱った作品などが思い浮かぶ。

しかし、今作を見て私の脳裏によぎったのは、日本の耽美派少女漫画の世界である。こりゃあ、萩尾望都か竹宮恵子じゃないのか、と思った。娘を愛するあまり、家から一歩も出させない厳格な両親というキャラクターなんぞ、まさにそんな感じ。金髪の美少女が5人も揃って庭駆け回る様子もしかり。というわけで、ソフィア・コッポラは日本の少女漫画オタクなんでは?と思わず勘ぐってしまうのだ。「マリー・アントワネット」を映画化したあたりからして。

さて、4女を演じるのがキルステン・ダンスト(昔はキルスティンって言ってたのにいつからキルステンなの?)。決して端正な美人顔ではないキルステンが姉妹の中では一番奔放な役どころで、自分の中の鬱屈を何とか解消したい少女の心理を好演している。非常に印象深い演技で、ソフィア・コッポラにとってお気に入りの女優になったのもうなずける。

5人姉妹の自殺の理由を映画の中に求める人は、映画を楽しめないのは当たり前だろう。だって確たる理由なんてないのだもの。悲しいことに昨今いじめによる自殺を報道することが、また別の自殺をうながすような状況が頻繁に起こっている。ティーンエージャーにとって、「生きる」ことはとても曖昧で、「死」は甘美な世界に思えてしまう。そんな綱の上を歩くような若者の精神状態をソフィア・コッポラは、実に儚く、揺れるような映像美で見せる。

隣家の兄弟にとって、5人姉妹は少女の儚さ、美しさを永遠にとどめたまま存在し続ける。彼女たちの存在はまるで夢であったかのようだ。美しい宝石箱を見せられて、パタンと蓋を閉じられたような感覚。エンディングはまさに新作「マリー・アントワネット」と同じ余韻だ。
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by galarina | 2007-01-31 23:13 | 映画(あ行)

マリー・アントワネット

2007年/アメリカ・フランス・日本 監督/ソフィア・コッポラ
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「フェルゼンとは純愛じゃなかったのねっ!」
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フランス人以外で日本人ほど他国の王妃であるマリー・アントワネットの生涯に詳しい国民もあるまい。かく言う私も「ベルばら」フリークの1人。小学生の頃、単行本に塗り絵してたし、宝塚初演の榛名由梨オスカルを見てる。マリー・アントワネット役は初風じゅんだったぜい。ふる~。当時となりのおばさんが宝塚ファンで内部の方とコネがあるらしく、小学生だった私もすごく前の席で見られたの。その絢爛豪華な世界に圧倒されたのなんの。
「あ~い~、それは~」の名曲、全部歌えます(笑)!

というわけで、知りも知り尽くしたマリーの生涯を映像化するとどうなるわけ!と興味津々で観にいったわけだけど、これまた漫画に劣らぬまばゆさに拍手喝采!でございました。何と言ってもベルサイユ宮殿全面協力ってのがすごいです。よくもまあ、アメリカ人監督の映画にフランス政府が協力してくれたなあ。昔「ベルサイユのばら」が映画化されたことがあったんだけど、豪華さでは比べものになりませんことよ!鏡の間を行き来する着飾った貴婦人たち。やっぱりハコがすごいと映えるわ~。

そして美しく、愛らしい衣装たち。今回衣装を担当したのは、イタリア人のミレーナ・カノネロ。我が敬愛するキューブリックの「時計じかけのオレンジ」や「バリー・リンドン」など数々の映画や舞台の衣装を手がけるお方でございます。この方、それなりのお年だろうとは思いますが、全ての衣装が豪華だけではなく10代のマリーの愛らしさやポップなテイストをふんだんに取り込んで新しいスタイルを表現しているのがすばらしい。

おそらくこれは、監督のソフィア・コッポラがいかに自分のイメージをきちんと伝えて、コンセンサスを取り合っているかの現われだと思う。それは、靴やヘアスタイル、そしてあのおいしそうなスイーツたちもしかり。ソフィアの世界観が美術、衣装、小道具の全てに行き渡っている。ただ美しいというだけでなく、いかにソフィアの表現したいマリーの世界を周りのスタッフが理解していたかが実によくわかる。マカロンタワーは、ほんとにフランスにあるの?それとも創作?あのセンスはすごいよ。

で、ハコも着るものもすごいんですが、肝心のマリー・アントワネットの生涯はなんだか物足りないんですな(笑)。さあ、これからヴァレンヌ逃亡でああギロチン台かぁ(泣)と思ったら終わっちゃうの。いかんですなあ。ベルばらファンはどうしても怒涛の人生をマリーに重ねちゃうんだもん。ソフィアはあくまでもティーンエイジャーとしてのマリーの憂鬱と怠惰を描きたかったんですものね。悲劇の女王を描く一大抒情詩的映画ではないんですもの、この映画は。

噂好きなふたりの叔母とかルイ・シャルルの死とかベルばら読んでない人なら、これ誰?何があったん?ってなハショリ具合もこれまた潔し。ただね、暴動が押し寄せてくるくだりの「私は夫と共にいます」の当たりはね、あれ?いつのまにマリーいい子ちゃんになったのかしらってな感じで。贅沢三昧から足を洗った心境をもう少し描いてくれたら良かったな。まあ、それをさっぴいても、マリー・アントワネットという題材に対してガーリーな映像とニュー・ウェーブという組合せを持ってくるソフィア・コッポラのセンスはすごいと思うのだ。
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by galarina | 2007-01-29 20:42 | 映画(ま行)

サルサ!

1999年/フランス・スペイン 監督/ジョイス・シャルマン・ブニュエル

「私も踊ってみたい!」
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クラシックピアノを弾いてるなまっちろいフランス人坊やが、日焼けして髪の毛伸ばしてセクシーなラテン男を気取ると、ホントにかっこよく見える~。なかなかの変貌振りですね。ラテン男になってからの主人公はガエル・ガルシア・ベルナルにそっくりだと驚いたのは私だけでしょうか。

主人公のレミは、クラシック界では大きな期待を寄せられているピアニストなんです。でも、その全てを捨てて彼はサルサ音楽を選ぶんですね。名誉とか地位とか収入とかそんなもんより、俺はサルサを演奏したい!っていう気持ちがストレートに伝わってきます。がんばってスペイン語を話し、下手なダンスも奮闘し、日焼けサロンで肌がかぶれたり。そりゃ、もう涙ぐましいほどの努力で。白人のきれいな肌をあんなにいっぺんに焼いたら、そりゃおかしくなるでしょうよ。

全編溢れる情熱的でノスタルジックなラテン音楽が楽しくて、切なくて。もちろん、ダンスシーンもとても本格的で見ていると踊りたくなってきます。フラガールの時も思ったんですけど、やはりそれぞれのダンスには、それぞれの特徴があって、サルサダンスもステップの踏み方とか、リズムの取り方などが独特。でも、それだけ個人的にはチャレンジしてみたいかも~と興味が湧いてきました。

あと、相手役のクリスティアンヌ・グゥ。ダンスホールでもじもじしていた彼女が、突然豊満な肉体を顕わにしてとびきりセクシーなダンスを始めた時にゃあ驚きました。美女はどんどん痩せ傾向にある昨今、これぐらいパンチのあるボディもサルサというダンスにはよく似合う。物語自体はありきたりだけど、本場のキューバ音楽が映画の質をぐんとあげてます。演奏シーンもなかなかの見ごたえ。一度生で聴いてみたいなあ。
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by galarina | 2007-01-26 10:02 | 映画(さ行)

イルマーレ

2001年/韓国 監督/イ・ヒョンスン

「荒唐無稽をきっちり見せられる力量」
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見終わって率直に「よくできてるなあ」と感心した。映画なんて所詮「そんなアホな」で成り立っているもので、それにいかに共感できるかは、脚本の精度、役者の演技、演出の妙にかかって来るわけです。しかも、これは私の苦手なタイムマシンネタである。「何でもタイムマシンにぶち込めば、なんなとストーリーできまんがな」と斜に構えているそんな私でも、この作品はとても楽しめた。

しかも、この作品がすごいのは常日頃タイムマシンものを見ている時に感じる「あの時こうだったら、今はこうでしょ?」「こことここが辻褄合わないんじゃないの?」と言う余計な詮索を最後まで一切持たなかったところである。これは、あくまでも劇中にそういう余計なことに頭が行かなかった、ということで、実際におかしなところはあるのかも知れません。ただね、しっかりと二人のラブストーリーにハラハラドキドキ集中できたのです。っんと、よくできてる。

主人公を演じるチョン・ジヒョン。彼女は演技の幅が広いね。コケティッシュだったり、繊細だったり、いろんな顔を演じ分けられる。何がいいって「嫌味がない」ところ。ストレートロングヘアの端正な顔立ちは一見男受けしそうな感じだけど、演技を見ている限り、女性にもとっても好感が持てる。

会いたいのに会えない。それが遠距離ではなく、時空を超えているから、という荒唐無稽な設定だけど、男女がすれ違うその様は、やはり見ていて切ない。その切なさを演出する小道具とかエピソードは、さすがラブストーリーの韓流だけあって、実にうまい。主人公の男が建築家でおされな部屋に住んでいるんだけど、女は売り出し中の声優なんて外し具合もうまいんだな。あまりリアルなのもラブストーリーとしての華やぎに欠けるし、かと言ってオシャレにしすぎて鼻白むようなこともさせない。実に絶妙なバランスです。

そして、ラストのオチね。ラブストーリーとしての王道を押さえつつ、ちょっとした驚きも加味されていて、非常に素敵なラストシーンになっている。映画のラストシーンは大事です。特にラブストーリーは。今作は、韓国映画のラブストーリー作りの力量をしっかり感じられる作品だと思います。さて、ハリウッド版レンタルしようかどうか、悩みますねえ。
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by galarina | 2007-01-23 21:03 | 映画(あ行)

インサイド・マン

2006年/アメリカ 監督/スパイク・リー

「一番最初の花火が一番でかかった」
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常に人種問題を扱ったシニカルなエンターテイメントムービーを作ってきたスパイク・リー。そんな彼がクライム・サスペンスに挑戦。序盤の銀行強盗のシーンから、人質に全員同じ服を着せる、という奇想天外な展開にぐぐっと引き付けられる。しかも、冒頭のクライヴ・オーエンは一体、どこにいるの?そして間、間に入ってくる人質の尋問、犯人はこの中にいるの?など意味ありげな伏線が多く、サスペンス好きにはたまらない展開。

あまりに伏線や意味ありげなシーンが多いため、ラストの結末によほど大きなカタルシスが待ち受けているのだろう、と期待してしまう。ところが、である。盛り上げるだけ、盛り上げておいて、なんだかちょっと肩透かしなんである。一応、オチ的なものは用意されているが、カタルシスを得られるような大どんでん返しでもないんだな、これが。

どうせ「ナチス」の話を引っ張ってくるんだったら、犯人の動機や盗んだものをどう使うかに関してきっちりケリを付けてもらいたい。これなら「ナチスネタ」でなくともいい、ということになってしまう。最終的には、デンゼル・ワシントン演じるキース刑事がこの事件をうまく利用して出世できました、ちゃんちゃん。ってことで、えーそれでいいの?なんて思ってしまうのは私だけだろうか。序盤であれだけ、大々的に犯人一味の強盗事件をぶちあげたんだから、ラストは彼らがどうなるか、どうするかをオチにもってきて欲しいと思っちゃったなあ。

さて、人種差別を扱ったシーンは、スパイク・リーの本領発揮。「ターバンを返してくれ」の連呼にはつい笑ってしまった。もちろん、同義的には笑っちゃいけないシーンなんだよ。でも、きっと観客も笑っちゃうことをちゃんと見透かしてスパイク・リーは作ってる。この差別ネタを堂々と笑っていいよ、と提示するスパイク・リーの懐の広さやセンスは大好きです。

それからジョディ・フォスターがもったいなかったなあ。あと、ウィリアム・デフォーね。いつ、正体見せんねんと前のめりになってたのに、ホンマに何にもなかった。新喜劇ばりにずっこけてしまいました。
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by galarina | 2007-01-22 20:56 | 映画(あ行)

愛の流刑地

2007年/日本 監督/鶴橋康夫
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「この男はずるい。よって懲役8年」
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<物語について>
「殺して」と訴えるほど女を追い詰めたのは、男。そこんとこ菊治はちゃんとわかっているのか。そこまで愛した女なら、なぜ共に苦悩してやらない。菊治には捨てるものはない。むしろ、本は書けるし、快楽は得られるし、いいことだらけ。それにひきかえ情事の後、女は家庭に戻って、夫に見破られないよう心を砕き、そして子供たちには申し訳なさの気持ちで身がよじれるほど苦悩している。なぜ、それを菊治は想像できない?バーのママに俺は女をイカせられる男、なんてニヤついている場合なんかじゃ絶対ないはずだ。

愛する男を誰にも触らせたくなかった、最後の女になりたかったから、「殺して」と頼んだ。この論理が私には飲み込めない。私が冬香で本当にそう思ったら、殺されるのではなく、男をこの手で殺す。そして、男を自分の中に永遠に封じ込めるだろう。そう、阿部定のように。冬香は文字通り、この男に罰を与えたかったのだ。その無神経さと自分を狂わせてしまったことに対して。そう考えないと合点がいかない。しかし、物語は、どうしても「愛する男を誰にも触らせたくなかった」「快楽の中で死ぬことが彼女の本望だった」と言う理由で押し通す。そこに、私は男が描き出す勝手な妄想しか見出せない。

「快楽の絶頂で交わったまま死ぬ」ということに渡辺淳一氏はえらくご執心だ。「失楽園」もそうであった。しかし、このテーマを扱う時に避けて通れないのが阿部定事件を扱った大島渚監督の「愛のコリーダ」である。以下、非常に個人的な思い入れで申し訳ないのだが、「愛のコリーダ」という作品は私にとって特別なものである。「性」について、これほどストレートにそして真摯に取り組んだ作品はないと思っている。私にとって唯一無二の作品だ。

でも、同じモチーフを扱いながら、渡辺淳一氏はどうしてもそこに「男に調教される女」「昼は淑女で夜は娼婦」という女性像を作り上げる。その身勝手さがやりきれない。

だから、私には「情交中に男に首を絞められて殺される女」を描きたいという欲求がまずあって、そのために極めて男目線でストーリー作りをしていったとしか思えないのだ。第一「ください」という言葉がしらじらしい。それに、そこまで変わってしまった女なら思い切って家を出るだろう。そして、極めつけは録音テープ。あれを女が始めたというのなら納得が行く。持ち帰って彼に会えない時に聞くのだ。しかし、始めたのは男。夫も子供もいる女を愛しているなら、それが万一第三者の手に渡った時のことを想像するべきで、あまりに幼稚だ。

<映画について>
まず、長谷川京子の演技についてはみなさんがご指摘しているので省略。法廷であんな胸の開いた服は着ない。せめてそれだけでも何とかして欲しかった。陣内孝則の演技も含め、法廷シーンをもっとリアルに重厚にしてくれたら、随分変わっただろうに、と思う。

寺島しのぶがあれだけ腹をくくってくれたにも関わらず、ベッドシーンにエロスがない。何かの記事で読んだのだが、鶴橋監督の狙いが、純愛のほうに目を向けているからとあった。しかし、それではおかしくないか。冬香は、いつでも殺して欲しかったんじゃない。まさに情事の最中、快楽の泉の中で死にたかったのだ、という解釈をつらぬきたいのなら、それこそエロスを描かねばならんだろうと思う。

言いたいことがいっぱいあって、豊川悦司のことがあんまり書けないじゃないか(笑)。さて、日本の映画俳優の中で、ベッドシーンを演じられる人が少ない、というのはある意味問題です。女優もそうなんですが。しつこいですけど、「性」は「生」と「死」を表現するもの。役者として避けて通れない道である。その中で豊川悦司はきちんとベッドシーンができる数少ない俳優だと思う。後は誰だろう?佐藤浩一、役所広司、真田広之あたりだろうか。ホントにパイが少ないなあ。

でも、これまでの豊川悦司の出演作品で「愛の流刑地」以上にもっとエロスを感じる作品はある。これだけベッドシーンが話題になったにも関わらず、そうなってしまったのは、やはり演出の問題だろうと思う。むしろ、白い開襟シャツの開いた胸元がとてもセクシーだった。そして、ファンとして目が釘付けだったのは、「裸足にゴム草履」。連行される時も、拘置所内でも、裁判所でも「裸足にゴム草履」。「愛していると言ってくれ」から「裸足にゴム草履」は彼のトレードマーク。ゴム草履にここまでエロスを与えられる人はいないです。その点に関しては、鶴橋監督にありがとうと言いたい。

ああ、長々と書いた割には変な締めになってしまった。
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by galarina | 2007-01-21 00:43 | 映画(あ行)

丹下左膳 百万両の壺

2004年/日本 監督/津田豊滋

「スラリと着こなした着流しに惚れ惚れ」
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豊川悦司の着物姿がとても美しい。背の高い人が着物って似合うものかしら、という不安など、オープニングのタイトルバックでぶっ飛んだ。袴をはく武士の立派な着物姿とは違って、着流しなので、帯が骨盤のあたりでゆるやかに止まっている。今で言うヒップハングな位置。それでも、そこから長い足がすらりと伸びて、動くたびに素足がちらりと見える。そんな足元が見え隠れするショットが非常に多く、監督が豊川悦司の抜群のスタイルを存分に活かして、魅せてやろうという心意気が十分感じられる。ファンとしては嬉しい限り。

遊び人名物「女の赤い長襦袢」も白や黒い着物ときれいなコントラストを成していて、とってもセクシー。「大奥」の時も、西島秀俊の赤い長襦袢が気になって仕方がなかったし、「愛のコリーダ」の吉っつあん(藤竜也)も赤い長襦袢。これが似合う男はイイ男なのは、世の常でございます。それから左膳の青いアイシャドウのメイク。これがすごく似合ってました。どこから思いついたのかなあ、これ。

さて、「昭和の映画史に燦然と輝く山中貞夫氏の名作をリメイク!」という触れ込みだっただけに、俳優を始め製作者サイドには相当のプレッシャーだったのではないか、と思われます。「犬神家の一族」同様、全く同じ様に仕上げるリメイク作品は、前作を超えることなどほとんどないと言っていいでしょう。ただ、大河内傳次郎って誰?というような前作のことをまったく知らない人間と致しましては、予想以上に楽しめました。

観終わった後は、なんか「釣りバカ日誌」を見終わったようなすがすがしい感じで(笑)。日頃は低音ボイスの物静かな豊川悦司がべらんめえ口調で大声でしゃべるのも、非常に新鮮。宝の壷がいろんな人の手に渡って大騒動って展開はとてもわかりやすくて、昔の時代劇らしい明るさや人情喜劇が満載で、難しいこと考えないでラクに楽しめます。でも、かといって軽い作品かというと決してそうではない。

陰でこの映画を支えたのは、野村吉伸と麻生久美子の夫婦コンビが織り成す絶妙なコンビネーションだったと思う。この夫婦役は実にぴったりハマってました。のらりくらりの頼りない夫役の野村吉伸、そしてのんびりした武家の美しい妻役の麻生久美子。時代劇でここまで麻生久美子がうまく立ち回れるものか、と新たな驚きも。こののんびり夫婦と左膳とお藤という2組の夫婦がとてもいい対比を成していた。

「丹下左膳」という往年のキャラクターをトヨエツ流に仕上げた。またあの美しい着物姿が見られるなら、シリーズ化して欲しいくらいだ。

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by galarina | 2007-01-19 00:39 | 映画(た行)

ハサミ男

2004年/日本 監督/池田敏春

「不協和音が奇妙な気持ちよさ」

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とにもかくにもこのチープ感でしょう。好き嫌いがはっきり出る映画だと思う。にっかつロマンポルノ、Vシネ、ホラーなどB級ジャンルで異才を放つ池田敏春監督らしいテイスト。これが気に入るかどうかでこの映画が楽しめるかどうかは決まる。そもそも原作がサイコスリラーとして一定のファンを得ていたようで、しかも映像化は不可能なんて言われていたくらいだから、スリラーものとしてハイレベルな描き方を期待した小説のファンはがっかりしたんじゃないかな。私は原作を読んでいなくて、良かった。

主演クラスの役者、豊川悦司、麻生久美子、阿部寛の3人を除けば、地味な役者さんばかり。しかもやたらと演技がVシネマっぽい。この辺が楽しめないと、たぶんすぐに挫折ですね。そして、「死刑台のエレベーター」をイメージして演奏されたという本多俊之のサックスの即興演奏が実に居心地が悪く(笑)、物語に合ってるのかどうかと言われるとたいへん疑問である。つまり、映画の「完成度」という言葉ではお世辞にも高いとは言えない。でも、このテイストが嫌いかと聞かれると、そんなこともなく。

自殺願望のある知夏が幾度となく部屋で自殺を行い、失敗しては嘔吐を繰り返すんだけど、これはわざと麻生久美子の嘔吐シーンをたくさん撮影したかったからではないの?と勘ぐってしまう。吐きまくる麻生久美子の顔からエロスを引き出したかったんではないか、なーんて。「天使のはらわた」の池田監督だから、そういうこともちょっと考えたりするわけです。そんな自殺を繰り返す知夏に常に寄り添い、ひたすら傍観者としてたたずむ謎の男、安永が豊川悦司。

時折、知夏に何やらひそひそと耳打ちしたり、ゲロゲロ吐いてる時もベッドの上で三角座りをしてじっと見つめているだけだったり。コイツは何者なの?というミステリアスな存在感を放つ。存在自体が謎めいている、というのはそもそも彼が持っている大きな魅力の一つなので、彼らしいフラットな演技そのままで役になりきれた感じです。ただ、あのヘアスタイルだけはいただけない。何ですか、あのぺっちゃりした長めのおかっぱヘアは!ったく、スタイリストさん、もっと素敵にしてください!

エンドロール眺めていると、脚本で長谷川和彦と相米慎二の名前を発見してびっくり。その割には…(スイマセン)。でも、豊川悦司が何者なのか、というのは個人的にはいろいろ推理が楽しめました。「あの子の部屋はがらんとしているんです!」と力説する刑事など伏線もいろいろ用意されているし。サイコスリラーとしてキレのある物語を期待せず、この何ともいえない中途半端な脱力感を楽しみましょう。これも、また映画なり。
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by galarina | 2007-01-17 21:36 | 映画(は行)

かもめ食堂

2006年/日本 監督/荻上直子

「軽やかな商業至上主義の否定」
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ミニシアター系の日本映画で、突出した個性を出すのって意外と難しいように思う。だがこの「かもめ食堂」は非常に個性的で、今まで見たことのない空間がそこに生まれていて驚いた。映像の美しさと独特のテンポ、そして人物造形。何もかもがとても個性的だ。

まずフィンランドの美しい風景。以前南米映画のレビューでも書いたけど、今やアメリカやヨーロッパの風景が出てきても我々は新鮮味を感じなくなってきている。悲しいことに。ところが、フィンランドの風景は全てが新鮮。これは目の付け所がうまかったなあ。そして、テキスタイル好きの私が超ウキウキする北欧デザインの数々。鮮やかなマリメッコのテキスタイルや北欧インテリアが美しいだけでなく、物語に意味を与える役割を担っていることがすばらしい。

例えば、お気に入りのシーンの一つ。荷物をなくしたマサコさんが、新しい服を着てかもめ食堂に入ってくるシーン。白と茶と黒のストライプ模様の斬新なデザインのマリメッコのワンピース。彼女の気持ちに変化が現れたこと、これからマサコさんが新たな役割を担うことなど「変化」の予感をこのワンピースで感じることができる。

「おにぎり」というシンプルなメニューの日本食堂。お客さんが来なくてもきちんとテーブルをふいてお店をきれいにしているサチエ。そのシンプルイズムにも北欧デザインが見事にハマっている。余計なことは言わない、機能的で清潔なもの。サチエが持っている「心根」と北欧デザインが持っているものが見事にぴったり合わさっているのだ。

印象的なシーンをこんなにもたくさん残す映画も珍しい。今でも様々なシーンが頭の中をよぎる。しかし、よくよく考えてみるとシーンのバリエーションが非常に少ないことに気づく。サチエなら、テーブルを拭く、料理をする、プールで泳ぐ、合気道の居合いをする。全編通してみてもほぼこの4つに集約されてしまうほどだ。物語として劇的な展開があったわけではなく、ただ静かに流れるシーンでこれだけ印象的な画面を作り出すことができるのは、まさに監督の力量だろうと感心した。

そして何よりも私が唸ったのは、画面から伝わってくる美しさや癒しのムードとは裏腹に3人の生き方が我々に強いメッセージを放っていることである。特に主人公サチエという人物は考えれば考えるほど、興味深い。特に他人との距離感の付け方。彼女はミドリを家に泊めてあげる優しさを持ちながらも、「もし私が日本に帰ったら寂しいですか?」と聞くミドリに「それはあなたが決めたことだから仕方ないわね」とそっけない返事をする。サチエと言う人物は、馴れ合いを良しとしない潔さを持っている。

そして、「儲けるため」の工夫をしようとしない。新メニューを考えるミドリに対して、今のやり方をつらぬけば必ずお客さんは来ると言う。まるでそば屋の頑固親父である。客には媚びない。儲けるために食堂をやるんじゃない。かもめ食堂は彼女の人生そのものなのだ。ヘルシンキという誰も知り合いがいない街で日本の食堂を開くというその心意気も合わせ、サチエの生き方は、客に、マーケットに、こびへつらう日本の商業主義を真っ向から否定している。

しかも、それを「日本食」でやろう、というのが若い女性だけではなく、おじさんも含めて全ての日本人の心にぐっとくるんである。手仕事、ていねい、心をこめて、素材を生かす。日本食を通して原点回帰する。ほんとに奥が深い作品である。

そして、このようなメッセージ性をシニカルに表現するのではなく、実に軽やかに描いていることがすばらしい。また、原作が群ようこ、監督が荻上直子の女性コンビ。世の中にモノ言う女性の新たな才能が生まれたみたいで、同じ女性として拍手喝采!なのである。

最後に。「知らないオジサンにネコ」をもらってしまったマサコさんで大爆笑でした。なんであんな脚本思いつくの!?
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by galarina | 2007-01-15 23:13 | 映画(か行)
2006年/アメリカ 監督/ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス
<京都シネマにて鑑賞>

「ミスコンなんてクソだ!」
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ひょんなことから少女向けのミスコンに代表として選ばれたオリーブ。おんぼろワーゲンバスに乗って、アリゾナからカリフォルニアまでいざ出発!サンダンス映画祭などで絶賛を受けた負け組家族のロードムービーは、噂に違わぬすばらしい作品。老若男女世代を問わず多くの人にみてほしい!

私は「勝ち組」「負け組」という言葉が大嫌いだ。そう言うと、負け犬の遠吠えのように解釈する輩もいるらしいが、んなこと私は全く意に介さない。人生を勝った負けたで評価すること自体、非常にさもしい行為だし、人と自分の人生を比べることがそんなに大事か!?と心底疑問に思う。そんな私の考えに近いのは兄のドウェーン。彼は叫ぶ「この大会はクソだ」と。私だって同意見。「ミスコンなんてクソだ」と思ってる。でも、そのクソみたいな世界と隔絶して生きていくことはできない。どっかで折り合いをつけなきゃイカンのだ。それが生きる、ということだ。

家族一人ひとりの異彩なキャラクターがとても面白くて、物語をぐいぐい引っ張る。また、そのキャラを際だたせるための一人ひとりのエピソードがどれもこれも笑わせてくれる。「人生を勝つための9段階」を本にして一発儲けようという父親。日常生活でも「それは4段階目に入ったとこだ」とかいちいち言うのがおもしろい。本当にこれが父親だったらウンザリするよなあ。この他、ヘロインの常習者でいつも露骨にエッチな話をするじいさんや、ゲイの大学教授で自殺未遂したおじさんなど全ての面々が壁にぶつかってもがき、あがいている。

壁にぶつかり落ち込むのは、ひとりの人間としての苦難だけど、それを乗り越えるには「家族」という存在が大きな役割を果たしてくれる。テーマとしてはありきたりかも知れないけど、「家族みんなで手を合わせよう!」みたいな、しらじらしい展開では決してないのがいい。最も印象的なシーンは落ち込む兄に黙って寄り添うオリーブ。言葉なんかいらないのが家族だぜぃ。

ラスト、みんな揃ってダンスして大爆笑のはずなのに、なぜか頬を涙が…。えっ~なになに、なんでアタシ泣いてんのー。胸がきゅうっとなる泣き笑いって、なんかすごい久しぶり。愛すべきフーヴァー家を見て再確認。
やっぱ人生、はみだしてナンボだよね。
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by galarina | 2007-01-12 20:06 | 映画(ら行)