「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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<   2006年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

フル・モンティ

1997年/イギリス 監督/ピーター・カッタネオ

「なかなか捨てられぬ男のプライド」
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鉄鋼所をリストラされた冴えない男たちが一発儲けるためにストリップショーを行うまでのハートフルコメディ。

この映画は音楽がいいね。そもそも音楽を聴くために映画を見ているワケじゃないけど、イギリス映画って「アリもの」の音楽を実に上手く使いこなしているなあ、と思う。ハリウッドばりに映画音楽を作るのもいいけど、なじみのある曲をストーリーに絡めてうまく聴かせるのも音楽監督の腕の見せ所だと思う。ソウル好きの私としてはホット・チョコレートの「you sexy thing」がツボだった。これ、ブギーナイツでもかかってたような。

それにしても、この手のストーリーは一つの「型」ができあがってしまったなあ、と思う。
●自己実現が難しい時代背景
●無謀なことにチャレンジする主人公
●ひびの入った親子関係
このあたりが3本柱か。今作はぷっと吹き出す笑いのエッセンスがあちこちで見られるのがイギリス映画らしいところ。おじけづくオヤジを一喝する息子、デブ夫を励ます妻など泣かせるポイントも当を得ている。

ただチャレンジものとして捉えると、ラストのパフォーマンスが物足りない。もうちょっとストリップショーとしての完成度を上げて欲しい。このあたりのユルさがイギリス映画のテイストなのかも知れないんだけど。まあ、ラストショットが全く引き締まってないお尻たちってのもリアルでそれはそれでいいんだけど、やっぱり演出的にもうちょっと盛り上げて欲しかった。

男ってのはプライドの固まりみたいな生き物。リストラされてるのに妻に言わない。払えもしない養育費を必ず払うと見栄を張る。よその男の裸を見に行く妻を非難する。どの登場人物も男としてのプライドが惨めな状況をさらに惨めにしていることになかなか気づかない。その余計なプライドをかなぐり捨て、リスタートすることが「フル・モンティ=すっぽんぽん」になること。

男の人が見たらこういう心理ってもっと共感できるんだろうな。貧乏ならすぐに売られる女の性の価値観とは雲泥の差があるもんで、いざ本番って時におじけづくガズを見ていたら「はよ、腹くくらんかい!」と突っ込んでしまった。いざという時に開き直れるのは女。だけど、女が主人公だとここまでコミカルにできたかどうか。なかなかすっぽんぽんになれない男たちの情けない心理や行動の描写だからこそ、ここまで笑える。ああ、男って本当に哀しい生き物だね。
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by galarina | 2006-12-30 13:07 | 映画(は行)

ブギーナイツ

1997年/アメリカ 監督/ポール・トーマス・アンダーソン
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やってることは超くだらなくてバカバカしいのに、映画的な深みがあるし155分という長尺をまったく感じさせないリズム感あふれる映像。アンダーソンの映画監督としての力量をまざまざと感じさせる。めちゃめちゃおもしろいです、これ。

私は映画って、監督の個性を楽しむものだと思ってる。だから、誰が撮っても一緒みたいな作品が一番つまらないと思う。そういう意味でアンダーソン監督のバカバカしさと深刻さを行ったり来たりするやり方は、個性的でとても好きだ。

そもそも「大きなイチモツゆえにポルノ業界でのし上がった男の栄枯盛衰物語」なんて題材をよくまあ、ここまで映画的に練り込んで仕上げたな、と感心する。題材はキワモノだけど、映画としての完成度がすごく高い。まず、カメラワークがすごくクール。前半は次から次へと繰り出される70年代ソウルミュージック(ほんとにとぎれることがない!)と、流れるようなカメラワークがピッタリ息が合っていて最初の1時間はあっという間。

また、主役以外の脇がしっかり目立っていて、群像劇としても存分に楽しめる。私のお気に入りはフィリップ・シーモア・ホフマンとドン・チーゲル。ドン・チーゲルは、今作ではほんとに愛すべきおバカな役。カントリーが好きな黒人で、ファッションセンスは最悪。イメチェンしたって言ってカツラをかぶってぽつんとパーティ会場にひとりで座っているその姿は「クラッシュ」とは似ても似つかない。ホフマンは太ったオカマ。額にぺったり張り付いたボブカットが笑える。

ヤク中の役のアルフレッド・モリナは「ショコラ」では市長さん、「ダ・ヴィンチコード」では大司教をやってるんだが、本作のハジけっぷりと来たら、すごいんだ。パンツ一丁でガウン羽織ってさ。ジュリアン・ムーアもコカインしこたま吸ってヌードになってるし、この人がこんなヘンな役やるか~というおもしろみもいっぱい!

70年代から80年代になって、BGMもソウルからロックに。スターになったポルノ男優もヤクのやり過ぎで一気に転落。そして、ポルノ産業はフィルムからビデオの時代に突入。時代の浮き沈みをからめながら、全ての登場人物の人生模様を時におかしく、時に悲しく描き出す。全てにおいて監督の才能があふれた傑作。サントラ欲しいなー
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by galarina | 2006-12-23 14:28 | 映画(は行)

硫黄島からの手紙

2006年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド
<京都MOVIXにて観賞>

私が今生きているのは、彼らのおかげかも知れないと思うこと。
想像すること。思いを馳せること。
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日本人キャストで、日本語で、日本を舞台にした、日本の戦争の物語。それをアメリカ人監督がここまで真摯に撮りきったことに対して素直に感嘆する。アメリカ的正義の押しつけは、ここには微塵もない。硫黄島で亡くなった方たちへの鎮魂。そして硫黄島で日本人は何を考え、どう戦ったのか。それを「アメリカ人の監督に気づかせてもらう」なんて日本人として恥ずかしいと言うむきもあるようだが、私はそれを恥じることは全くないと思う。自分で気付きたくても、気づけなかった、それが紛れもない今の日本の現実だということだ。それに気づかせてもらったんだから、素直に受け止めればいいのだ。

「日本には本土決戦がなかった」ことや「日本はこれまでの本土を他の民族に直接侵略された歴史が極めて少ない民族」であることが、日本人のメンタリティの弱さの大きな原因の一つではないか、と作家の村上龍氏がよく言ってる。確かにそうだろう。しかし、その前に硫黄島の彼らのような「国にいる家族を守るため」に「国の外」で戦った者がいたのだ、と深く胸に刻むことも、とても大事だ。今、私がここに生きていることも、彼らの犠牲の上にあるのだ、と想像すること。

「父親たちの星条旗」は静かな映画とはいえ、そこには当時のアメリカの国家のやり方を「告発する」というドラマチックな物語性を持っていた(もちろん演出はドラマチックでは全くないのだが)。ところがこの「硫黄島からの手紙」は、ストーリーとしてのドラマ的起伏がさらに排除されている。

例えば、この映画の根幹をなす栗林中将の作戦。水際の戦いを捨てこれまでの戦法とは全く異なる地下壕を作る。確かに上層部と対立する場面は出てくる。しかし、描き方としては実にあっさりとしたものだ。栗林VS上層部という構図はセリフではあっても、演出としてオーバーに描くことは一切ない。言い争うシーンもないし、かと言ってこの作戦は正しかったと強調するシーンもない。部下との関係もことさら慕われている、という描き方も全くしない。

前作で訴えていた「ヒーローはいない」というポリシーが今作にもつらぬかれているのであろう。演出で栗林を英雄と称えることはせず、彼という人間の懐の広さを映画全体を通じて観客が想像するようにし向けている。映画を見ている間に「何もかもわかったような気分にさせること」をクリント・イーストウッドはさせないのだ。

西郷を演じる二宮和也は、彼のナイーブさがよく出ていてとても良かった。「君は立派な軍人だ」と言う渡辺謙に「いえ、私はただのパン屋です」という場面が非常に印象的。渡辺謙は、文句なしでしょう。軍人らしくないしゃべり方、時折見せるお茶目な仕草、手紙を書いている時の姿勢や目線、人間栗林を演じていました。

ラスト、栗林中将が「君たちの魂は本土で多くの人々に鎮魂されるであろう」と言って、突入するシーンは、胸を鷲づかみにされた。その栗林中将のセリフは、我々日本人みんなに問いかけている。君たちは我々を忘れてしまったのか、と。


最後に。戦争を2つの視点で描くというその手法。極めてシンプルな発想でありながら、誰もなし得なかった戦争映画を撮ったクリント・イーストウッドの映画人としての力量には感嘆する。戦争映画が持つヒロイズムや政治色を排除し、視点は違えども、同じメッセージを両作品が強烈に放っている。何度も言うが、76歳。すごい爺様である。
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by galarina | 2006-12-18 11:50 | 映画(あ行)

OUT

2002年/日本 監督/平山秀幸

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桐野夏生の作品は、非常にダークだ。勧善懲悪ではない、妙にねじれた視点が紡ぎ出す世界がやけにオヤジ的で、独特の雰囲気がある。原作OUTでも、主人公の雅子と佐竹は追う者追われる者という関係を超えて、奇妙な性的倒錯で結ばれていく。この二人のメンタリティは一般人にはおそらく受け入れがたいもので、そのためなぜこの作品がこんなにも売れ、ドラマ化、映画化と大衆の前に晒されたのか、私はかなり不思議に思っている。

というわけで、映画を見たら、雅子と佐竹の関係は原作とはずいぶん違うものになっていた。原作を映画化する場合、何を変えて何を変えないかというのは、原作ファンも巻き込み問題になることが多いが、今作の場合この改変に異論はない。先述のような関係性を観客に理解させることは至難の技だし、エンタメムービーには成り得ない。

と、いうわけでOUTしたい主婦4人のクライムムービーとして、そこそこ面白い作品になっている。ただ、この「そこそこ」感が原作がもつ強烈なイメージとはあまりにかけ離れていて、少々物足りない。雅子と佐竹の関係性を省いてもなお、雅子の孤独を描ききることはできたはず。そもそも、弥生のダンナの死体をなぜ雅子がバラバラにしようと思ったのか、その雅子の追い詰められ感が映画では伝わってこない。ラストシーンで弥生が「なぜここまで付き合ってくれたの?」と問い、雅子が「あなたに巻き込まれたの。ドキドキして楽しかったわ」と返すシーンがあるが、これでも弱いんだなあ。

雅子を演じる原田三枝子にやさぐれ感がないのが一つの原因だろうか。その点、師匠を演じる倍賞美津子の方が閉塞感は出ていたな。寝たきりの婆さんの介護シーンも生々しかったし(千石規子の婆さんはいつ見ても憎たらしい)、毎日10円ずつ貯金する、なんてエピソードも師匠の人となりを表してた。ブランドものばっか買ってカード地獄に陥って、死体処理にまさに巻き込まれてしまった室井滋もなかなかハマってた。

やはりリーダーである雅子という人物の描き方が足りない。そこが全てのポイントだろう。原田三枝子はこざっぱりし過ぎている。雅子という女は、みかけは普通の主婦だが、内に秘めているものはもっとドロドロしている、複雑なキャラクターだ。最初の死体処理をすることで彼女の内にあるものが吹っ切れて、どんどん変わっていくはず。その心理描写がもっとあれば、観客も雅子に共感できたんではないだろうか。
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by galarina | 2006-12-14 13:32 | 映画(あ行)

リトル・ダンサー

2000年/イギリス 監督/スティーヴン・ダルドリー

「フラガール」が似ているとやたらと騒がれていたので見てみた」
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炭坑の街、ダンスにかける主人公、それを反対する家族。確かに似てます(笑)。ただ何かと比較するために映画を見るなんて、ちょっと映画の見方としては正しくない、と言うか、映画を楽しめないと思うので、なるべく頭をフラットにして見た。

ダンスシーンの映像にとてもセンスを感じます。冒頭ベッドの上でビリーが飛び跳ねるシーン、バレエを習うのを反対されたビリーがその怒りをぶちまけるかのように坂道で踊るシーン、そして「ボクはバレエが好きなんだ」口に出さずに踊ることで父親に伝えるシーン。この主人公を演じるジェイミー・ベルのダンスが荒削りゆえに心動かすものがあります。

廃れゆく炭坑の街、ストライキの毎日で自分のことなど眼中にない父と兄、そして死んだ母への思慕。そんな中でビリーの哀しみを癒してくれる唯一のものがバレエだ。周りに反対されればされるほど、応援したくなるのが観客の心情。いつの時代も夢を追いかける者に自分を重ねたいと思う、そんな映画の持つ魅力は変わらないのだと思います。

ただ、父親の心の動きに私はあんまり入り込めなかったんだよなあ。スト擁護派だった父がついにストを無視して息子の学費を稼ぐために再び炭坑へ出向く。そのきっかけはもちろん、あのすばらしいダンスシーンがあったからなんだけど、ホントにこのお父さん感動したの?って感じで。でもこの寡黙さが父親ってことなんだろうな。男の人の方が、このあたり「多くを表に出さない」男の心情にぐっとくるのかも知れない。

でも、ラスト息子を見送った後、時は流れて父と兄が息子の晴れ舞台にやってくる一連の映像はとても良かったです。隣に成長したビリーのゲイの幼なじみが座っているあたりがとてもイギリスっぽくていいね(しかもBFが黒人というあたりもツボ)。ビリーの登場にハッとする父の表情。そして、スポットを浴びたジャンプするビリーの後ろ姿、でエンドロール。最後にドカンと花火をあげずに、余韻を残すスマートな終わり方。できれば、満腹になるまでとは言わないが、あとひと口ふた口ダンスシーンでお腹を満たしたかったなあ。

さて、主演のジェイミー・ベルは、なんと「父親たちの星条旗」出てたんですね。見た時は気づかなかったよ。
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by galarina | 2006-12-11 22:45 | 映画(ら行)
公開前に読了。
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今まであまり体験したことのない読後感を味わいました。この本は手紙だけが延々と載せられています。(最後に補足としての解説はありますが)しかも、全ての手紙が栗林中将からの一方通行の手紙だけです。妻や子供たちからの返事は一切載っていません。でも、だからこそ、彼の思いやりあふれる手紙を家族はどんな思いで受け止めたのだろうとイメージせずにはいられません。

戦いのまっただ中にありながら、手紙のほとんどは家族への想いで占められています。自分のことと言えば、虫が多いこと、水がなくて困っていること、ほとんどこのふたつ。食料のこと、子供の学校のことなど実に細かいアドバイスが続きます。アメリカの戦艦や戦闘機に攻撃されている状況で、よくこんなことを、とそのギャップに驚きます。いや、このギャップ感こそがこの手紙のリアリティに繋がっているのでしょう。

床板のすきま風を直す方法を図解付きで説明するその細やかさにも感心しますが、最も印象深かったのは、娘や息子から来た手紙の誤字脱字を毎回指摘することです。そして、手紙の最後に「期会」→「機会」などと、ていねいにひとつずつ書き直してある。「きちんと正しい字を書かなければいけません」、と再三再四子供たちに語りかける彼の手紙を読んで、この当たり前のことを言える親が今どれほどいるだろう、と考えずにはいられませんでした。

特に胸を打つのは、末娘「たこちゃんへ」で始まる手紙の数々です。家族と離ればなれで田舎に疎開してしまった末娘へのあふれんばかりの愛が感じられます。手紙も子供が読みやすいようひらがなを多く使っています。「お父さんは面白い夢をみました」で始まる夢の話。そこには、たこちゃんが出てきておかあさんのおっぱいを飲んでいるというシーンが説明されます。硫黄島の暗い地下壕でこの夢から醒めた瞬間の彼の心境はいかばかりだったでしょう…。

冒頭でも述べましたが、これは一方通行の手紙ばかりで、しかも硫黄島の戦局の具体的な話はほとんど出てきません。でも、だからこそ読者はいろんなイメージを描きます。彼は一体どこでこの手紙を書いたのだろう。その時爆弾は落ちてこなかったのだろうか、などなど。そしてこの読後感はどこかで体験したことがあると気付きました。この本は、驚くべき事にクリント・イーストウッドの映画を見終わった時に似た感情を引き起こすのです。クリントが栗林中将に興味を持ったことも納得できます。

さて、先日関西ローカルの番組に主演の渡辺謙が出演していました。「あのせまくて息苦しい地下壕で絶望的な戦いをしていたからこそ、彼は手紙を書くことで心を保てていたのではないか」というようなことを言っていましたが、まさにその通りだと感じました。公開が楽しみです。
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by galarina | 2006-12-07 01:58 | 映画の原作

ALWAYS 三丁目の夕日

2005年/日本 監督/山崎貴
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レンタルずっと貸し出し中なんで、テレビで見ちまったよ。

「泣ける映画」=「いい映画」なんでしょうか。このところずっとそんなことを考えています。「この映画には泣かされた」と我々はよく言います。「泣かされた」という受け身表現には、「泣かそう」という相手が存在することを暗にほのめかしています。だから、「泣かされた」と表現する場合は、そういう相手の意図をわかっていて、その図式にのってやったと敢えて自ら告白している。

とどのつまり、「誰か泣かしてくれ」と観客は既に思っているわけですから、製作者側は「どうやったら涙が出るか」という事を考えればいいわけです。昨今の泣かせる映画には、すでに「泣かしの方程式」のようなものが関係者の中で存在していて、例えばそれは「さよなら」の声は何メガヘルツとか、主人公の涙は何粒流すとか、エンドロールの8分前に別れのシーンを持ってくるとか、これまでの無数の泣ける映画をデータベースにぶち込んで分析して出てきたようなものが存在しているのか、とかそんな風に思ったりする私はあまのじゃくです^^

じゃあ、この映画が悪い映画かというと、そうではありません。何より主人公の吉岡秀隆が初めて「純」に見えませんでした。吉岡君はこれまであまりにも「いい人」ばかりを演じてきて損していたんではないかと思うのです。今作で茶川を演じる吉岡君をみて私はとても新鮮でした。それから鈴木社長を演じる堤真一がとてもいいです。特にセリフ回しが絶妙でした。ぼそっとしゃべる一言や、間の取り方がとてもうまい。

個々のエピソードも短くきりっとまとめられていていい。深入りしすぎず、かといってあっさりし過ぎず。ひとつひとつのエピソードにしっかり感情移入できました。このあたりは、たくさんのパーツをうまくまとめたなあ、と脚本の良さを感じました。

そして、よくもここまで集めたなという昭和の小道具たち。まるで「昭和博覧会」のようでもあります。ここまでセッティングできた美術の方はスゴイです。ただ、その詰め込みようが、だんだん後半もうええやろ…という気分になってきてしまう。例えば、薬売りがやってきて切れた薬を補充している場面で母と息子が「今年はサンタさんが来るかな」といった会話をしているんだが、どうしてもどっかで薬売りを入れたかったんだろうという気がする。それから氷売りののピエール瀧。鈴木家が冷蔵庫を買ったため、捨てられた保冷庫をじっと見つめるシーン。これもね、何か違和感が残る。意味深にしすぎなんだな。

過剰な昭和ノスタルジィ感が物語を少し邪魔してしまった、と思う。次回作は腹八分目でいいんじゃないかな。「泣けた」というのは涙が出たという現象の表現であって、映画が発しているメッセージを受け取った表現とは言い難い。「泣ける」以外の褒め言葉をたくさんもらえる映画作りを作り手の人たちは、これから目指すべきなんじゃないだろうか。
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by galarina | 2006-12-03 15:40 | 映画(あ行)