「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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父親たちの星条旗

<梅田ブルク7にて>
2006年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

後生に語り継がれる戦争映画の傑作。あまりの完成度の高さに、呆然とした。
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見終わった後、ため息が漏れた。この作品に何の不満もない。あそこがこうだったら、とか、あれはないんじゃないの、なんてツッコンだり、そういうことが一切ない。本当に全く隙のない作品だった。そう、まるで伝統工芸の職人が作り上げた逸品のような趣きである。

私個人的には戦争映画というジャンルが非常に苦手だ。そこには、戦争はいけないというメッセージしか浮かび上がらないし、お涙ちょうだい的な演出や偽善的なヒューマニズムの香りをどうしてもかぎ取ってしまう。しかし、この作品をそのような観点で論ずること自体、恥ずかしい。それほど、すばらしい作品である。

硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げた兵士たちは、母国で英雄となった。しかし、戦場の恐ろしさ、悲惨さとは全く無縁の政治家や実業家たちにどんな言葉をかけられようと、彼らは虚しいだけだ。国債を売るために傷ついた彼らを徹底的に利用しようとする政府のエゴイズムをクリントは声高に叫ばず、徹底的に兵士の苦悩を通じて描いている。だから、我々は感情的に戦争を否定するのではなく、その虚しさ、つらさを心の内側から揺すぶられるのだ。

クリント・イーストウッドの作品には常に「静かで力強い視点」がある。今作でもそれは変わりない。誰もむやみに泣き叫んだり、大声で訴えたりはしない。なのに、これほど大きな訴えかけができるなんて、本当に驚くべきことだ。アメリカはあの時、彼らを利用して国債を売った。体も心も疲れ果てた兵士をツアーなるものに駆り出して、国債を売らせた。それがどんなに馬鹿げた行為で間違ったことであったかをクリントは告発している。その勇気とゆるぎない意志は、ストレートに見る者の心を打つ。

硫黄島での戦場シーン。爆発、そして絶え間ない銃撃。だが、今まで見た戦争映画とは明らかに違う。リアルだとか、そんなことではない。私はなぜこの映画の戦場シーンがこれほどまでに訴えかけるのか、未だに自分でもわからないでいる。そこに「嘘」を感じない。「偽善」を感じない。一体なぜなのだろう。暗めのコントラストが効いた、粒状感のある画面。無惨な死体。兵士たちの会話。全てのものが完璧に融合しているからだろうか。

脚本は「クラッシュ」のポール・ハギス。ほんと、毎回すごい脚本を書きますね。中盤からもう胸がいっぱいだったんだけど、ネイティブ・アメリカンである兵士アイラがヒッチハイクでハワードの両親に真実を告げに向かうところで、もういろんなものが心の中から滝のようにあふれてきた。

さて「硫黄島からの手紙」が本当に待ち遠しい。というか、「お願いだから見せてくれ」という心境ですらある。本当にクリント・イーストウッドはすごい。齢75を過ぎてもなお、これほどのクオリティの作品を作ることができるそのエネルギーと才能に驚嘆するばかりだ。そうそう、音楽まで自分でやっている。これがまたすばらしい。


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by galarina | 2006-10-29 11:43 | 映画(た行)

インファナル・アフェア

2002年/香港 監督/アンドリュー・ラウ

「トニー・レオンのやさぐれ具合がたまんない」


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マフィア組員のラウ(アンディ・ラウ)は、香港警察へ入隊し、内部情報を流す潜入員となる。また警察官のヤン(トニー・レオン)は、マフィアの潜入捜査のため、マフィアの一員になる。10年後、ラウは内部調査課長に昇進し、ヤンは、長年の潜入捜査に疲れきっていた。ある夜、大きな麻薬取引の際、組織と警察は互いに情報漏れに気付き、警察はラウに、組織はヤンに、それぞれ内通者を探すよう命じる。やがて2人の距離は、少しづつ縮まっていく…。

前々から見たかった作品。ついに観賞。いやあ、面白かった!ヤクザの一員がもぐりで警察官になってのし上がり、片や警察官が潜入捜査でヤクザに潜り込む。自己を消して組織のために尽くす男同士。役割は同じでも、立場は180度違うふたりの駆け引き。そして、互いの境遇にシンパシーも感じ、敵ながらひかれあう男たち。アンディ・ラウとトニー・レオンの対決はとても見応えありました。

ほんとはマフィアのアンディ・ラウがきりりとしていて、警官のトニー・レオンがやさぐれ男という対比も実にうまく出ている。特にトニー・レオンのしなびれ具合が母性本能をくすぐるなあ(笑)。

麻薬の取引だとか、警察内部調査だとか、物語の伏線となるストーリーは有れども、ここに対した仕掛けやひねりはない。ストーリーは至ってシンプル。それが何より楽しめた原因だと思う。「警官がマフィアになりすまし」「マフィアが警官になりすましている」というエックス構造そのものが引き起こすスリリングな展開のみに集中し、余計なラブストーリーも一切なし。他のことを考えなくていいので、見ていてとてもラク。

また、銃撃戦や爆発、カーチェイスなどのアクションシーンもとても抑えた演出。物語が物語だけに警察の突入シーンや麻薬の駆け引きシーンはもっとドンパチできるはず。でも、敢えてそうしていないのがとてもいい。

演出も、爆発物も、物語も、「てんこ盛りにしない」ことが、これほど見ていて気持ちよいとは。過剰でない分、ふたりの俳優の演技がとても際だっていた。ハリウッド版もバカスカ爆弾飛ばさず男と男の対決をスリリングに描いているものであることを願う。


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by galarina | 2006-10-26 22:44 | 映画(あ行)

アモーレス・ペロス

1999年/メキシコ  監督/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

「あの彼女役はないよなあ」
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熱い、熱いよ。「トラフィック」の時も感じたけど、メキシコの風景および人々の熱情って、日本人から見るとホント異文化に感じる。熱気を感じます。熱風という方が正しいか。今、アメリカやヨーロッパの街並みを見てもなんとも思わないもんね、身近すぎて。

今作は3つの物語が同時進行し、交通事故をきっかけにそれぞれの物語が交錯する。こういう手法の見せ方は、お互いの話がつながるまでちょっとイライラしたりするんだけども、この作品は、最初の物語「兄嫁に恋する男」がとても面白くてぐいぐい引き込まれる。演じるのは、ガエル・ガルシア・ベルナル。兄嫁と逃亡するために闘犬に手を伸ばし、どんどん危ない世界へ足を踏み入れる青年をパワフルに演じてる。まあ、コイツがもの凄く積極的なんだ。で、恋する兄嫁が「なんでこの女なの?」ってくらいイカつい。美人じゃないってのも、それがそれで味なんだな。

アモーレス・ペロスとは「犬のような愛」だって。なるほど、見返りも期待せず、相手を愛して、愛して、愛し抜いた3つの物語。そして、いずれもその愛は報われはしない。ストーリーだけ見れば悲劇なんだけども、見終わった後は気持ちが沈むかと言えばそんなことは全くない。己の愛を全うするために全身全霊で生き抜いた人々の姿は、むしろ潔い。

暴力シーンや出血シーンも多いけれど、眉をひそめるような感情には陥らない。暴力を全肯定はしないが、これらのシーンを通じて人生を全力疾走で駆け抜ける生き様がよりリアルに我々にせまってくる。メキシコの街を走り抜けるようなドキュメンタリー風のカメラワークもかっこいい。

3つの物語が最終的に一つのエピソードに結実するわけではない。観客をあっと言わせるような展開に敢えてせず、突き放すようにそれぞれの物語は終わる。それは、大人だけが味わえるビターな結末。お子ちゃまのワタシは、3つの物語をつなげてあっと言わせて欲しかった、と甘い味を求めてしまうのだった。
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by galarina | 2006-10-24 22:07 | 映画(あ行)
2004年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル

「ガエル・ガルシア・ベルナルのクドい女装。この趣味がまさにアルモドバル」
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ペドロ・アルモドバル作品は大好き。取り上げるテーマ、目の付け所がとても悪趣味でその趣味の悪さがスクリーンでは鮮やかな映像と個性的な俳優の怪演により、とてもキッチュでオシャレな作品に変身する。キワ物なんだけど、アートだし、文芸作品的。何だかカメレオンのような映画を作る。

ところがこの最新作では、物語が「入れ子構造」になっていて、その手法にこだわりすぎたのか、自分で酔ってしまったのか、いつものアルモドバル節がかなり弱く、拍子抜け。一番したかったのは、ガエル・ガルシア・ベルナルの女装なんて嫌みを言われてもしょうがないかも。

教会の神父による性的虐待というアルモドバルらしい目の付け所なんだけど、今作はネタとして面白かったから取り上げただけとも取られかねない消化不良な扱い方。よくこれで教会から抗議されないなあ。マドンナの十字架パフォーマンスなんかより、よっぽどひどいけど(笑)。前作「トーク・トゥ・ハー」でも非常にきわどいテーマを取り扱ってたけど、ちゃんとけじめをつけてたのに。

そもそもこの映画「入れ子構造」にする理由がわからん。語り口を凝るってことは、ラストにひねりがあったり、サスペンスとしてのオチがあったりするのかと思うがそれもたいして驚くようなものでもない。もっと素直な流れにして、ガエル・ガルシア・ベルナル演じるアンヘルという人物に深みを持たせた方がよほど面白くなったと思う。

ただドキッとさせる、これぞアルモドバル的カットが随所にあって、これが中毒のもと。今回は、ガエル・ガルシア・ベルナルがブリーフを半分ずり下げるカット。まず彼に白いブリーフを履かせるってのがね、アルモドバルでないと思いつかない(笑)。そして、クドい女装。筋肉モリモリのガエルが髪の毛カールして派手なパンプス履いてるんだもん。のけぞります。

今後もアルモドバルには、手法にこだわらず独自の変態道を突き進んで欲しい。最新作はペネロペ・クルス主演とか。アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」で一躍脚光を浴びた彼女が主役になって恩返しってことで、期待も高まる。ハリウッドスターの仲間入りをしたペネロペがどこまでアルモドバル節に付き合っているのか、興味津々である。


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by galarina | 2006-10-22 22:25 | 映画(は行)

スーパーサイズ・ミー

2004年/アメリカ 監督/モーガン・スパーロック
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1日3食、1ヶ月間マクドナルドを食べ続けたらどうなるか。監督自ら身を削っての人体実験。明けても暮れてもマクドナルドのハンバーガー。いやあ、想像しただけでもクラクラするよ。

ファーストフードが体に悪いってことは、みんなわかっている。だから、食べたくなきゃ食べなきゃいいんだ、と街行く人は言う。でも、それじゃあ、タバコは?酒は?ってことになる。特に最近のアメリカの嫌煙活動は個人的にはヒステリック過ぎないかと思う次第。販売時間や購入時間など厳しい処置がなされるタバコや酒と比べると、ファーストフードはあまりにも無制限。むしろ、膨大な広告の投下によって、イメージアップしているのが実情。

監督自身が毎日マックを食べることで、どんどん不健康になっていく様子が非常にリアル。特にお腹のたぷたぷ具合が悲しい。アメリカの肥満率や自分の検診結果など、具体的なデータをふんだんに取り込んでいるので説得力もある。

が、いかんせん、この映画の最大の欠点は、「本丸」マクドナルドに乗り込めなかったことだろう。15回も電話でアポイントを取った様子は出てくるものの、マクドナルドの誰とも接触できずじまい。マイケル・ムーアの作品と比べられることが多いようだが、そこんとこムーアとは大きな開きがある。

それでも、アメリカの食事情と言うのがよくわかる。甘いもので太らせる→ダイエット商品が売れる→健康器具が売れる→スポーツセンターが儲かる、というワケわかんない利益のスパイラルがあって、結局「健康のため」ではなく「誰かが儲かるため」に全ての流通が回っているのがよくわかる。これは何も食品業界だけに限ったことでもない。

それからロビー活動を行う圧力団体。契約している企業のために世論を見張り、企業に不利益な運動や行為に圧力をかけ、企業に有益な法案を通すため活動する組織。劇中ではこの団体に取材もしているけど、もう一押し足りない。裏には、巨大な陰謀と利権の匂いがぷんぷんしているのに。ここでもっと突っ込むと命が危なくなるのかな。それともムーアの二番煎じになっちゃうか。

私が最も驚いたのは、学校給食の取材のシーン。フライドポテトとコークだけなんだよ。それで誰も文句も言わないし、疑問も抱かない。農務省から仕入れた冷凍食品を温めるだけ、なんて給食も出てくる。それがまあ、ほんとに悲惨なんだ。こんな給食でこの後、ちゃんと頭も体も活動できるのか、と心配になる。いやあ、いかに日本の学校給食がすばらしいか、身にしみてよくわかった。手作りにこだわってるし、栄養バランスもカロリーもしっかり考えてるしさ。こんなものしか食べてなかったら、アメリカは滅ぶんじゃないか、と本気で思ってしまった。

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by galarina | 2006-10-18 20:49 | 映画(さ行)

母たちの村

<OS名画座にて>
2004年/フランス・セネガル 監督/ウスマン・センベーヌ

「女子割礼」。女性性器を切除したり、縫合すること。
一体それが何を意味しているのか、みなさんご存じだろうか。
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西アフリカの小さな村で、ある日4人の少女が割礼を嫌がり逃げ出して来た。自分の娘に割礼を受けさせなかったコレおばさんを頼って。この地域には「モーラーデ」と呼ばれる保護の風習があり、それを逆手に取りコレおばさんは、少女たちを家にかくまう。古くからの伝統であり、反対することなど問題外であった割礼を廃止しようと、娘たちの為に立ち上がる母たち。前代未聞の動きに、村の男たちは困惑し大混乱となる―。
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女子割礼は今なお30カ国に渡るアフリカの国々で行われているそうだ。医療設備もない状態で行われるこの儀式により命を落とす子供も多い。しかし、死ななかったとしても、この儀式により、女性は精神的にも肉体的にも大きな傷を抱える。この割礼という言葉は男子の行う男子割礼とは、全く意味合いが異なる。女子割礼の目的は「古くからの慣習」というお題目のもとに、女性の外性器を取り去り性感を失わせることで、女性の性をコントロールするためなのだ。

主人公コレは割礼のせいで、二度子供を死産している。そして、長女を難産で出産した。コレおばさんの腹部にはむごたらしい傷跡が残っている。コレおばさんは、上着をはだけ村人たちに叫ぶ。「私はふたりの子供を土に埋めた。そして、ようやく長女を出産できたが、ここまでお腹を切られた。だから、もう子供たちに割礼は受けさせない」と。その痛々しくも雄々しい姿が胸を打つ。

長老を始めとする村の男たちは、「モーラーデ」を止めさせるよう、コレの夫に再三言う。「夫の威厳をもって、やめさせるのだ」「おまえが男としてバカにされているのだ」と。女は、男に従属するものであり、いかなる快楽も得てはいけない。ましてや、夫にたてつくなど絶対にしてはならない。夫自身も周囲に追い詰められ、激しくコレをムチで打つ。

古くからの慣習で、しかもそれが「お清めの」儀式であるという位置づけにあるものを覆すなんてそうたやすいことではない。固定観念にしばられた人間を説得することほど、難しいことはないのだ…

なんて、冷静なレビューを書きたいとこだけど、私がそこに感じたのは「怒り」以外の何物でもなかった。女性を出産の道具のように捉えられた時代や文化もあるけれど、これはそれ以上である。人間に対する尊厳などそこにはみじんもない。コレは孤軍奮闘する。冷ややかな反応にも、夫のムチにも耐え、子供たちを守ろうとする。その姿がやがて周囲の女たちの心にも響き出す。

興味深いのは、村に居着く「兵隊さん」と言うあだ名の商人。値段はぼったくりだし、女たちに色仕掛けをするし、村人からは蔑まれた存在。だが、彼の存在は村人には必要不可欠で時には生活に豊かさを与えてくれる。彼は異文化やよそ者のシンボルなんだと思う。コレを庇った彼がどうなるのか、という結末はぜひスクリーンで見て欲しい。

それにしても、騒動の結末のカギを握っているのもまた「男たち」なのだ、ということが個人的には非常に印象深い。「スタンドアップ」もまた、同じような展開だったことが脳裏をよぎる。コレの頑張りが男たちを動かしたのだからそれでいいじゃないかと、思えばいいんだが、私はどうも割り切れないし、煮え切らない。こと女性問題に関しては素直に考えられないひねくれ根性が頭をもたげる。男たちの「理解」がないと、女の人権って守られないもんなんだろうか。いや、何も男性を敵に回したいわけではない。が、しかし、それでもなお私の心に居座るこのもやもやした感情はどう表現すればいいのだろう。

割礼をしない女性は「ビラコロ」と侮蔑的に呼ばれ、男たちはこぞって「ビラコロとは結婚しない」と声高に言う。つまり、「結婚してやらない」と。結婚「してもらって」こそ女。婚姻制度に頼らねば女の生きる道はないという大きな社会問題もそこには横たわっており、この問題の深刻さを露呈する。

全ての女性たちはもちろん、男性にもぜひ見て欲しい映画である。

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by galarina | 2006-10-16 17:46 | 映画(は行)

月曜日のユカ

1964年/日本 監督/中平康

加賀まりこのキュートな魅力が全開。うるんだ眼、とがった唇、「ユカはねぇ~」と舌足らずなしゃべり方。こんな子に甘えられたらどんな男もコロッとまいっちまうよ!
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ユカには“パパ”がいる。ユカはパパのことが大好き。だけど、日曜日は決して会えない。その日はパパが家族と一緒に過ごす日だから。それがユカはとってもつまんない!ある日曜日のこと、ボーイフレンドと街を歩いていたらパパを見つけた。パパは娘にかわいいお人形を買ってあげていた。その女の子の嬉しそうな顔ったら!ユカだって、お人形が欲しい。だから、今度の月曜日をパパにあげる。お人形を買いに連れてって…

とまあ、こんなストーリー。

言葉にすると、とんでもはっぷん脳たりんな女の子ですが、映像では全く違和感ナシ。ホント、かわいいんだぁ、加賀まりこ。もちろん、中平康監督ってことで、映像のセンスもイカしてるし、長回しや唐突に無声シーンが入るなど、冴えた演出が心地よい。
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「体は誰にでもあげるけど、キスはだめ」。ユカには少女と娼婦が共存している。男たちが妄想するとびきりの女像。だけどね、ユカは男を悦ばすだけが生き甲斐の白痴女じゃ決してない。純粋なユカが抱える虚無感や退廃的なムードを中平康はしっかり引き出している。この二面性がユカをさらによりリアルで魅力的なキャラクターにしている。

それにしても「退廃」が「美」となる作品に私はとても弱い。三島由紀夫の世界とか、ルードヴィヒ二世のノイシュバンシュタイン城とか。悩ましき美、死と隣り合わせの美はとっても官能的。今作品の退廃美は加賀まりこその人なのだ。

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by galarina | 2006-10-13 13:56 | 映画(か行)

とべない沈黙

1966年/日本 監督/黒木和雄

・美しい蝶の化身と共に戦後の日本を旅する、黒木和雄監督鮮烈のデビュー作
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寒い地方にいるはずのないナガサキアゲハが札幌で見つかる。見つけた少年は学校の先生に嘘をつくなと咎められ、学者にもその存在を否定される。しかし、確かにその美しい蝶は長崎で生まれたのだった…

長崎で生まれた蝶の卵が時にはカバンにくっついたり、人の肩に乗ったりしながら萩、広島、京都、大阪、香港、横浜そして札幌までを旅する様子を激動の戦後の風景に織り交ぜながら描く。叙情的でとても美しい作品。

抽象的な描き方と言えばそうなんだけど、難しい作品かというと全くそんなことはない。被爆の街長崎の教会、そして原爆ドームなど、反戦を訴える映像はたくさん入っているけれど、決して説教くさい物語ではなく、むしろ日本を南から北へと縦断するナガサキアゲハの不思議な旅物語としての色合いが強い。

その旅の先々でナガサキアゲハは戦後の日本の暗部を目の当たりにする。殺人事件、反戦運動、闇の組織、反政府運動。目撃者となる蝶の化身を加賀まりこが演じる。それはそれは、妖しくて美しい蝶の化身。くりっとした大きな目、愛らしい唇、そして60年代のファッションに身を包み、時に静かな傍観者となり、時に男を狂わせる。ほんと、若い時の加賀まりこは可愛い。小悪魔って言葉がまさにぴったり。今どき小悪魔なんて言い方笑っちゃうけど、この加賀まりこは正真正銘の小悪魔です。
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観念的なんて言われてるけども、私はとてもわかりやすい作品だと思う。何か伝えたいことがあって、それをそのままセリフにしたり物語にしているわけではない。でも、そのメッセージはしっかりと受け取れる。

こういう観念的な描き方で伝えたいことをしっかり伝える、というのは本当に高等な技がないとできないと思う。最近の映画はほとんど「物語ありき」だもの。物語の起承転結に泣いたり笑ったりするのも、もちろん楽しいんだけど、こういう作品をたまに見るとすごくすごーく刺激的。良質のATG作品を見ると、いわゆる「アート系」なんてのが、とてもなまっちろく見えるなあ。


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by galarina | 2006-10-11 22:06 | 映画(た行)

復讐者に憐れみを

2002年/韓国 監督/パク・チャヌク
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こりゃ、すげえや。後味悪いとか、血が多いとかとか、そういう部分で文句つけようと思ったら、いくらでもできるさ。だけどね、映像の美しさ、構図のこだわり、カメラワーク、色遣い。画面の作り込みは、とっても監督の才能を感じる。どんなに残酷なシーンも美しい映像にしたい、という意気込みは半端じゃない。

今作は復讐三部作の第一部。この後「オールドボーイ」「親切なクムジャさん」と続くわけだが、第一部だからといって、後の2作より見劣りするかというとそんなことは決してない。大体こういう三部作なんて銘打って作る場合は、大なり小なり優劣が出るもんだけど、3作品ともそのクオリティは高い部分で拮抗している。これはすごいことですよ。

これは好みの問題かも知れないが、美術が好き。特にボロアパートのインテリアや壁紙、小物たち。姉弟が住んでいる壁紙の模様とか、掛けてある絵画なんかがすごい私の好みにドンピシャなんだよね。チープだけどオシャレ。「オールドボーイ」の主人公が閉じこめられてたアパートも、クムジャの部屋もカッコ良かった。あと、ペ・ドゥナが来ている洋服もセンスいい。

「絵」として気に入っているのは、リュウが腎臓を提供しに鉄の階段を上がっていくところを横から捉えたシーンとか、リュウの足首から噴き出した血が川に赤い模様を形作るところなど、たくさんある。カメラマンが監督の撮りたいものをしっかり理解しているんだろうな、と強く思う。

非常に残酷で不条理な話だけど、ちょっとしたユーモアも非常に効いている。腎臓を入れる氷はわざわざサーティーワンで調達してくるし、チラシを配るユンミもコミカル。復讐に燃えるドンジンは、「電気ひと筋」な男だから復讐方法も電気系統というのも笑える。この辺は、話が残酷だからちょっとくらい面白いことを入れてやれという作為的なものではなく、可笑しいことも残酷なことも日常の中に混在しているということのように感じる。

それにしても韓国の俳優ってのは、つくづくタフだなあと感心する。主演の3人はいずれもトラウマになりそうな強烈な演技を披露してくれる。この後、ラブストーリーに出演、なんて話が来たら切り替えできるんかな。ペ・ドゥナの最期なんてそりゃ悲壮ですよ。だけど、すごい根性だね。肝が据わってる。ちょっとおっぱいが見えたのどうのって、ぎゃーぎゃー騒いでる日本映画の事情が情けない。直情型のへんてこりんな学生運動家をペ・ドゥナは実に愛らしいキャラクターにしていた。

シン・ハギュンは、声が出せないというハンデを全く感じさせない演技。不幸のどん底まで突き落とされた悲しみと何かにぶつけずにはいられない負のエネルギーを体中から出していた。そして、ソン・ガンホ。執拗にリュウを追いかける静かな復讐者。巧いです。


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by galarina | 2006-10-09 17:00 | 映画(は行)

69 sixty nine

2004年/日本 監督/李相日
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「パッチギ」
の時に、主人公の康介がなぜそれほどまでに「イムジン河」に入れ込むのか伝わらなかった、と書いた。が、しかしこれは少々違うのかも知れない。それはその世代なら当然わかってしかるべき共通認識かも知れないからだ。だから、彼がこの曲に入れ込んだ理由などいちいち描写することでもなかったのかも知れない。「イムジン河」と聞いただけで目頭がじんと熱くなる世代の方々なら、何を言ってるんだオマエ的な感想だったんだろうな…。

さて、この「69」は、作家村上龍の半自伝的小説が原作。全共闘時代、そしてウッドストック。世代としてかすりもしない若い人たちが観たら、ちっとも面白くないんだろうか。いや、そんなことはない。それは「パッチギ」と同じだ。体制への反抗心、そしてどこかにぶつけなければ処理できない若者たちのエネルギー。だが、今作は基本的にそれらの行動が「モテたい」という、下心にのみ集約されているのが微笑ましい。時代とか、そういうかったるいことは抜きにして、モテたい故のハチャメチャぶりをただ笑い飛ばせばいいのだ。

ただ、悲しいかな、私のような村上龍好きならば、彼がこの後上京してフーテンのような生活を過ごし、福生に移り住んだ後はアメリカ兵たちと生死をさまようほどドラッグに溺れたという事実を知っているだけにそれなりの感慨もあろうけど、そうではない人に取ってはドンチャン騒ぎを見せられただけ、という感想になるのもうなずける。

でも、学校のバリケード封鎖、映画制作、フェスティバルの開催と彼らがエネルギー全開で突っ走る様子は十分に楽しめる。学校中に落書きしたり、校長室で大便したり、とまあやりたい放題。どっぷりの佐世保弁も面白い。叩かれても叩かれても起き上がる主人公ケンを演じるのは妻夫木聡。親友アダマが安藤政信。どう観ても60年代の学生には見えないけど、それがかえって当時を知らない人たちには、身近に感じられて良かったんじゃないかな。

青春の1ページを描いただけには違いないけど、こんなにディープな時代だってあったんだって思えば結構楽しめる。全共闘なんて言うと、暗いし、小難しくなるけど、こんなバカバカしい描き方でこの時代を振り返るのも、それはそれでアリなんじゃないのか、と私は思う。美術教師であるケンの父親を演じるのが柴田恭兵。キャスティングを聞いた時は合わないと思ったけど、これが案外良かった。


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by galarina | 2006-10-09 00:47 | 映画(さ行)