「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
カレンダー

<   2006年 09月 ( 23 )   > この月の画像一覧

2005年/日本 監督/青山真治
c0076382_15444183.jpg

原作「レイクサイド」は読んだのだけど、正直他の東野作品に比べて、サスペンスとしてのトリックも、人間描写も今ひとつだと言わざるを得ない。このオチって、結構ミステリファンには「ありがち」な設定じゃない?ところが、である。映画で見てみると、何とも言えない居心地の悪さが妙な余韻を引きずる作品である。

この作品は、キャスティングがうまい。はまるべきピースにぴったりのものが収まっている。確かに「この人がこんな役やるの?」というアンマッチな組み合わせは、成功した時に予想以上の喜びを生む。しかし、ぴったりの役をぴったりの役者が演じる場合そこに驚きはない。それでも、面白い。

まず、何考えてるかわからない家庭教師の豊川悦司。もともと色白で細面の顔が夜の湖畔で浮かび上がるとさらに不気味。(言っておきますけど、私トヨエツ大好きですから)なんか、コイツくさい!というミスリーディングをしっかりやってのけてくれます。

それから、柄本明。飄々と死体処理をするあたりが、いかにも柄本明。言ってることめちゃくちゃだけど、何だか坊主の悟りを聞いてるみたいでつい言うこと聞いちゃう。

そして、薬師丸ひろ子。この人案外、性悪女が似合う。ちょっとツンとした顔立ちで、人当たりはいいが腹の底では何考えてるかわかんない女が妙にハマる。

で、真打ち役所広司。俺のいないところで何があったんだよーっと叫び、もがき、悩み、頭をかきむしる。その暑苦しいことこの上ない。この人が焦れば焦るほど、見ているこっちもじっとり汗かいたみたいに湿っぽくなる。役所広司が狼狽し、あわてふためき、もがく。それを見るためにこの映画が存在している。そう言ってしまってもいいくらい。だんだん、その慌てている様子がコメディじゃないか、という気すらしてくる。

お受験のためにわざわざ合宿まで同行してくる両親たち。だが、最終的に誰もが「自分の子供のことがわからない」と言う。そこにあるのは、つかみどころのない親と子の距離感。こういうモチーフは、他の東野作品にもよく出てくる。親と子の間に流れる大きな川。ただね、映画ではこの話がすごく唐突に感じるんだな。いきなり、しんみりしちゃって、ちょっと残念。この気持ち悪い不気味さでラストまで突っ走れなかったかな、と思う。

ミステリーだと思って見るとたぶん物足りない。むしろ、役者の魅力を引き出した舞台劇みたいな感覚で見れば、堪能できる。原作を読んでいた私は、はなから後者の気持ちで入ったのが幸いした。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-27 23:25 | 映画(ら行)

原作「ゆれる」

c0076382_18155376.jpg

映画「ゆれる」は、兄弟を中心に描いていたけど、原作では彼らを取り巻く周辺人物について非常に詳しく書かれている。読み終わった後、物語を俯瞰で眺めたような気持ちになった。

最も興味深いのは、やはり「川端智恵子のかたり」の章だろう。ここでは、智恵子の幼い頃の話もふんだんに書かれており、智恵子が早川兄弟とどのように関わってきたかよくわかる。やっぱり小さい時から猛のことが好きだったんだね。

驚くべきは、智恵子が猛を「わざと」誘ったのだということ。映画ではスタンドで稔と一緒に仲良さそうな雰囲気だったのは自然な描写に見えたが、これは「猛への当てつけ」だった。猛はそれにまんまと引っかかったのだ。しかもトラブっているお客さんをわざと足止めさせて、稔を呼び出した。猛の車に乗ってくるだろうと、予測して。嗚呼、女とは恐ろしや。

さて、ふたりの父親である早川勇とその兄である早川修のかたりも多くを割かれている。原作を読むと、親世代の兄弟間の確執もまた、非常に大きかったことがわかる。兄弟の不和は親子で受け継がれていたのだ。

修のかたりは「僕と弟のわだかまりが消えることはない」と締めくくっている。そして、親世代の喪失をその子供たちに味合わせてはならないと、修は思うのだ。果たして、修の願いは叶うのか。ラストは映画と同じで果たして兄の笑顔が何を意味するのかわからない。ただ、あの何とも言えない余韻は遙かに映画の方が上。読み終えて、懸命に走るオダギリジョーと曖昧な笑顔の香川照之を再び思い浮かべた。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-27 22:14 | 映画の原作

メメント

2000年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
c0076382_17101086.jpg

(ネタバレです)
「騙されることを楽しめるか」
結局この映画はそこに尽きるように思う。「これは映画じゃない!」と当時叫んだのは私の夫。その気持ちもよくわかる。最後に示される大どんでん返しがもし事実ならば、それまで必至になって集中して記憶して、主人公と共に追い続けたことは、真相ではなかったんだから。

つつき始めれば、キリがない。サミーの話が実は自分のことだったなら、なぜ10分しか記憶が持たないのに、そのエピソードは記憶として保持し続けているのか。だって、サミーの話ってのは、妻がレイプされた後の記憶を自分で捏造した物でしょ。その時彼はすでに記憶障害だったんじゃないの?

この映画を「とことん楽しみたい」人はDVD見て、それこそメモ取りながら矛盾点を解明していく喜びを得られると思う。だけども、一度目の観賞で「もういいや」と思った人は、結局映画としての快楽を得られなかった112分になってしまう。

メメントは話が巻き戻っていくが、こういった時間軸をいじることで謎を楽しむ映画は他にもいっぱいある。例えば、時間、そして現実と夢が入れ替わる「マルホランド・ドライブ」。これだって、一度見た限りでは、よくわかんない。だけども、映画館で味わった映画的快楽がないか、と言えばそんなことはない。そこには、紛れもなくデビッド・リンチの世界が広がっているからだ。

では、メメントはどうだろうか。
私、個人としては「映画は120分という枠の中で、“初見の”観客が映画的快楽をきちんと感じられること」が基本的に大切だと、思っているので、メメントに関してはちょっと否定的。そもそも、この超小刻みなリバース物語の構造だけは、見る前に知っておかないと、本当に何の予備知識もなく見始めた人は始まってすぐに置いてけぼりをくらってしまうだろうから。

だけども「これは映画じゃない!」と言い切ってしまうほどの度胸もない。だって、知りたがり屋の私はやっぱり、あそこはどうなの?じゃああれは?なんてやっぱり何度も見てしまうから。「そういう人をターゲットに作ってるんだよ」なんて開き直られたらぐうの音も出ないんだけど。

人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-26 17:47 | 映画(ま行)

ぼくのバラ色の人生

1997年/ベルギー・フランス・イギリス 監督/アラン・ベルリネール

「ぼくの夢は女の子になること」
c0076382_2333555.jpg

主人公リュドヴィックは、人形遊びをしたり、お化粧したり、女の子の格好をするのが大好きな少年。将来の夢は女の人になって、隣に住む男の子と結婚すること。でも、リュドヴィックが素直な気持ちで行動すればするほど、周りの大人たちは冷ややかな反応をし始め…。

かわいらしいファンタジー映画かと思ったら大間違い。けっこう、考えさせられますよ。リュドヴィックは7歳。この年頃で女の子のワンピースを着るのが好き、なんてのは、まだまだ思春期のボーダーラインでそんなに騒ぐこともないでしょ。なんて、最初は大人たちは一応見識ある「ふり」をしてる。でも、パパの上司の息子と結婚式をあげる!と言って花嫁の格好をし始めたりして、だんだん周囲を巻き込んでのトラブルに発展してしまう。

身につまされるのは、リュドヴィックの母親の反応。始めは理解のあるふりをしているんだけども、だんだん彼に対してヒステリックになっていく。私も母親なだけに、何とか自分の子供を理解したい気持ちはよくわかる。それは、母親なら人一倍そうだから、よけいに反動も大きいんだと思う。「何でママの気持ちがわからないの!」ってことだけど、そんなの子供にとってみれば「どうして僕の気持ちがわからないの」ってことでね。

彼が憧れる、少女向けテレビ番組「パムの世界」ってのが出てくるんだけど、このシーンがまあきらびやかで、カラフルで、美しい映像なの。リュドヴィックは「パムの世界」に逃げ込んでいるわけだけども、これはね、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」みたいに痛々しくない。ほんと、おとぎの世界。美しい。

父親は会社をクビになり、リュドヴィックの一家は地域社会で村八分。ただ息子が女の子の洋服着てるからって、こんなことになるか?なんて思うけど、実社会って案外そんなものかも知れない。リュドヴィックが無理矢理髪を切られるシーンは、泣けました。リュドヴィックがね、本当に天真爛漫で素直で、家族を傷つけたくないという思いが強い子だから、なおさら心が痛くなります。

たかだか7歳の男の子の嗜好にここまで過剰に反応する大人たち。でも、我々だってこの周辺人物と同じような行動をとるかも知れない。ジェンダーという枠だけではなく、子供の個性を尊重できる大人社会って何だろうかって、考えさせられる映画。88分という短さもいいし、おすすめです。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-23 23:30 | 映画(は行)

SHINOBI

2005年/日本 監督/下山天

「この映画のターゲットはどこなんだ?」
c0076382_1491131.jpg

忍者が好きな子供たちなのか、アクション好きな若い男性なのか、それともラブストーリー好きな女性なのか。大体エンターテイメント映画ってのは、このターゲットに響くようにという「核」があるはずで、そこにしっかり力を入れれば、そのターゲット層の周りにいる人たちも取り込める。これは商業的なモノ作りの基本だ。でも、この作品は誰に見せたいのか、よくわからなかった。

あと、日本のCG技術って、まだこんなものなの?もともとアクション系はあんまり見ないのでわからないけど、ちょっと動きのなめらかさがハリウッド映画に比べるとまだまだって感じで。これは予算の関係なのかな。

さて、甲賀VS伊賀、しかもその長同士が恋人って設定。アクション映画として見せるのでも、ラブストーリーとして見せるのでも、このシンプルな設定はわかりやすくていい。でも、どっちが甲賀でどっちが伊賀なのか、わかんなくなった。グループ毎に同じ衣装とは言わなくとも何かシンボリックなものを統一させて欲しかった。5人のキャラ説明もちゃんとして、キャラクターを立たせれば、バトル物としてもっと面白くなったはず。

そして、主人公ふたりの術が「目力」ってのも、アクション的な迫力出せないし残念。せっかく、最後は愛する者同士の戦いなんだからボロボロになるまで戦うべき。愛しているけど、殺さねばならない。なのに、やけにあっけない幕切れだったなあ。その点、「Mr&Mrs スミス」は徹底的にやってた。あれくらいやらないと。大将同士の戦いで盛り上げないでどうする。

オダジョーは、仮面ライダー出身なんだからもっと開き直ってキャラになって欲しい。彼のいいところ、あんまり出てなかったよ。こういうのは「なりきり君」にならないと。俺はもうこんなのやりたくないムード漂ってませんでしたか(笑)。

なんだか子供だましなゆるさだよな~と思っていたのに、最後の朧の決死のシーンで不覚にも泣いちまった。つまり、仲間由紀恵でなんとかこの映画は持っていた、ということか。さすが、功名が辻(見てないけど)。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-22 14:21 | 映画(さ行)

SAYURI

2005年/アメリカ 監督/ロブ・マーシャル
c0076382_11513329.jpg

「ラストサムライ」同様、「ここが違う!」とツッコミを入れないことを肝に銘じて見始める。

さて、この作品は貧しく田舎から置屋に売られてきた少女さゆりの波瀾万丈物語である。しかし、チャン・ツィイーという女優はその感情表現の豊かさにおいてとても優れた女優であるはずなのに、今作品ではどうも全体的に表情が「こわばった」ような感じが否めなかった。「何があっても動じない、凛とした一流の芸者」を演じることが邪魔をしているのか。それとも、チャン・ツィイーには、これが精一杯なのか。

会長様への秘めた思いや戦後再び芸者として復帰する決意などがもっともっと表情で伝わってもいいはずなのに。そこがとても残念。見終わった時の物足りなさは、この部分がすごく大きいと私は感じた。

私が一番楽しめたのは「アジアを代表する美しい女優たちの競演」という点においてである。もともと私はコン・リーという女優が好きだ。女の情念をぷんぷん匂わせる妖しげな役がよく似合う。なぜか「コン姐さん」と呼びたくなる(笑)。もちろん、今作でも妖艶。ただ置屋にいる時のコン姐さん、その崩れ方は芸者というより遊女だよ…。

そして豆葉を演じるミシェル・ヨー。私、この方の作品あまり見てないんですけど、一番美しかったんじゃないですか。着物が非常によく似合ってました。売れっ子芸者としての品格が漂っておりました。そして、日本代表、桃井かおり。(えっ、工藤夕貴ですかね…)まあ、何をやってもウマイですよ、この人は。日本人を日本人が演じているわけですから非常に安心して見れましたしね。

ただね、さゆり、初桃、豆葉。この主演級3人に、やはり日本人女優が入って欲しかったな。芸者とはこういうものよ!と本物の優雅な舞いを見せて欲しかった。じゃあ、誰がいるという現実的な話はおいといて。

「さゆりと会長、延さんをめぐる三角関係」か「さゆりを巡る置屋のドロドロ模様」のどちらかにもっと中心をおいても良かったんではないかな。ちょっと大風呂敷を広げてしまったなあ。だから、どれもが中途半端な感じで。「さゆりVS初桃」なのか「さゆりVSおカボ」なのか、このあたりの構図ももっとシンプルにすれば良かったんでは…とちゃちゃを入れ始めるときりがない。

気にしない、と思い始めて見たけれど、どうしても気になったのは2点。
●日本語と英語が混在している
「ねえねえ」とか「みてみて」とか何気ない日本語のセリフの後に英語。これは絶対おかしいだろう。置屋の雑踏のざわめきも日本語。とにかく全編英語にして欲しかった。会長様を「Chairman」と呼ぶのなら「延さん」は「Mr.Nobu」にしてほしい。(おカボはPumpkin!と呼ばれていたのにさ)
●BGMの尺八
何でアメリカ人はこんなに尺八ミュージックが好きなの?ぶぅうぉうぉ~~んという尺八の音色聞くと、茂みからさ~っと忍者が出てきてそうなチープなニンジャ映画を連想しちまうよ~。でも、ジョン・ウィリアムズなんだよなあ。ラストのヨーヨー・マは良かった。全部ヨーヨー・マに任せても良かったんじゃないのかなあ。

衣装や美術は、豪華絢爛。さすがハリウッド、金かかってます!でもなあ、さゆりという一人の女の人生の浮き沈みをもっと心に迫るように表現して欲しかった。そうそう、渡辺謙より役所広司の方が発音上手。そして、いつもながら、暑苦しかった。いいぞ、役所!


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-21 13:31 | 映画(さ行)

ポネット

1996年/フランス 監督/ジャック・ドワイヨン

「フランスの子供たちってまったく」
c0076382_1112795.jpg

事故で亡くなってしまった母親を、ひとり待ち続ける少女ポネット。そんな彼女を見た周囲の大人達は、彼女に死の意味を教えるが、ポネットは逆に自分の世界に閉じこもってしまい…。

主演はヴィクトワール・ティヴィソル。たった4歳で、この憂いの表情。ヴェネチア映画祭最優秀主演女優賞も納得です。母の死を乗り越えられない哀しさ、そして庇護してくれるものを失ったことによる不安を見事に表現しています。やたらとセリフ回しのうまい子役は鼻について嫌いですけども、この子は「目」で演技してる。しかも、すごくナチュラルで驚きです。

さて、母が亡くなったことを理解させようと周りの大人たちはポネットにいろいろと話をする。その根っこにあるのは、キリスト教的死生観。フランス映画ということもあり、その諭し方にはことごとくキリスト教の教えがベースにある。「死」を語る時、こんなにも人は宗教をよりどころにするものなんだろうか。じゃあ、信仰の薄い人はどうなるんだろうって、ちょっと考えてしまった。

私ならお星様になったとか言うんだろうか。それとも、仏教の教えを持ち出して輪廻の話でもする?ただ、4歳の女の子に周りの大人は、非常にまじめに向き合ってる。そういうところは、えらいなあと感心してしまう。そういうこと、子供だと思って適当に流しちゃう大人ってたくさんいるもの。「神様」のことを子供たちも日常会話のように話していて、日本との文化的差異を大いに感じます。

それから、沈んでるポネットを慰めようと周りの男の子が、キスしたりするんだけども。んまあ~、これが実に堂に入ってる。4歳でこれかよ!とほとほと感心致しました。抱きしめたり、チューしたりしまくりで。これが日本の保育園なら、親怒鳴り込みだね(笑)。これまた、日本との文化的差異を大いに感じたのでございます。

お母さんに会いたい一心のポネットちゃんに最後に奇跡が訪れる。このラストも良かったです。切なくて切なくて、魂までどっかにいっちゃいそうな彼女がどうしたら元に戻れるんだろうって考えたら、これしかないですもん。うまくまとめすぎ、なんて意見もあるみたいだけど、そうかな。私は非常に納得でしたよ。

ヴィクトワール・ティヴィソルちゃん、いったいこの先どんな女優になるのやらと思っていたら、「ショコラ」で発見。親の都合で旅を続けなければならない悲しさを好演していました。やはり、この子は元が泣き顔だからか、切ない表情がいいんですねえ。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-20 00:40 | 映画(は行)

ファイト・クラブ

1999年/アメリカ 監督/デビット・フィンチャー
c0076382_22403951.jpg

ジャックは不眠症のヤング・エグゼクティブ。そんなある日、自宅が謎の爆発事故で全壊し、偶然知り合ったタイラーという男の家に同居することになる。宿泊の条件として自分を殴るように頼むタイラー。殴り合いを続けるうちに見物人が増え、やがてタイラーは素手でケンカすることを目的とする"ファイトクラブ"の設立を宣言する。そしてクラブは組織化され、次第に過激な方向へと進んでいく…。

ジャックは、物質社会にまみれた典型的なヤッピーだ。金はあるけど満たされない。そんなジャックをユーモアいっぱいに皮肉ってみせる。ブランドモノのバッグを買うために体を売る女子高生から、給料のほとんどをつぎ込んで外車を買うサラリーマンまで、日本人だって物欲にまみれている。ジャックはそこらじゅうにいる。だから、タイラーが熱弁をふるう物質社会批判には誰もが惹きつけられる。

また、ジャックが空虚な心を癒すために毎夜いろんな「患者の集まる会」に顔を出すというエピソードもとても興味深い。病気と向き合っている人の中にいると「生を感じる」。人はぬるま湯の中では生きる実感を味わえない。そこでジャックが目覚めたのは、殴り合いによる自己確認という方法だったのだ。

タイラーが、ファイトクラブをしきるその様は、まさに「カリスマ」。生きてる実感をストレートに伝え、体を張って男どもに証明する。演じるのは、ブラッド・ピット。カッコイイね~。最近は不良がすっかり板に付いてる。「ジョー・ブラックをよろしく」の王子様みたいなブラピも好きだったけど、もう年だから無理かな。

ファイトシーンも迫力あるし、映像のテンポもいいし、青みがかった無機質な映像トーンも映画の雰囲気にぴったり。ぐいぐい引っ張りますね。さすが、デビッド・フィンチャー。暴力がテーマでも、女子の私もすっかり楽しめましたよ。そしてラスト30分で謎の男タイラーの正体が暴かれびっくり仰天。素直に騙された私です。(大概、オチが読めずに素直に騙されるいい観客です、ワタクシ)

エンドロール、エドワート・ノートンの役名は、ジャックではなく「ナレーター」。ってことは、ジャックは存在しないの?誰かさんの頭の中の妄想を映像化したってこと?などなど、謎は深まるけど、それもまた良し。オチを頭に入れつつ、もう一回みようかな。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-18 23:34 | 映画(は行)

ほえる犬は噛まない

2000年/韓国 監督/ポン・ジュノ
c0076382_23134386.jpg

いやあ、最後までピント合わなかった。面白くなるんか~っと思ったら、すーっと引いていく。個々のシーンで観れば面白いところはいくつかある。

私が一番面白かったのは、管理人がボイラー室で話す「ボイラー・キムシー」の語りのシーンだ。上司に犬鍋が見つかるのを避けるため、話題をそらそうと始めるボイラー室の幽霊話。長いんだ、ここ。どうでもいい話をえんえんやってて、しかも、ストーリーと後で絡んでくるのかと思ったらそうでもない。管理人のおっちゃんの「ウィーンウィーン、じゃなくて、イーンイーン」と何度も繰り返す、とっぽい感じが面白い。

そして、ペ・ドゥナの友人、コ・スヒが路上駐車している車のドアミラーをでぶっ壊し、そのドアミラーをペ・ドゥナが電車の中で大事そうに抱えているシーンや、主人公イ・ソンジェがコンビニまでの距離をトイレットペーパーで測るシーンなど。非常に印象に残るシーンはある。だけども、それが最終的にひとつの作品として語りかけてくるかというと、私には物足りなかった。

賄賂するお金がなくて教授になれない大学助手は犬の鳴き声にイラついている。団地の事務員として働く女の子は、自分の存在価値を確認したがっている。そこにあるのは、現状の鬱屈感なんだろうけども、それが爆発するかと言えばそうではなく、コミカルなエピソードで進行していく。その軽いタッチが私の好みじゃないんだ。見終わった後のこの煮え切らない感は何だろうなあ。たぶんね、タイトルがすごくそそるんだ。それで、すごく期待しちゃったのが失敗のもと?なんて、タイトルのせいにしたりして。


人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-16 23:15 | 映画(は行)

スカーレットレター

2005年/韓国 監督/ピョン・ヒョク
c0076382_23453291.jpg

二転三転する殺人事件の真相と、主人公ギフンを取り巻く女たちが持つ秘め事が複雑に絡まり合う、ラブサスペンス。ある殺人事件をきっかけに担当刑事の愛欲の世界に変化が現れ始める、といった最初の1時間くらいの展開に、なんだかフランス映画みたいだなと感じた。ところがどっこい。後半の30分、血みどろの世界に突入し、とんでもない狂気の世界が繰り広げられる。愛を欲するねばり強さが「韓流」だと言ってしまえば確かにこの作品も韓流なんだろう。しかしこの予想外の展開、なかなか悪くない。

「オペラを熱唱し愛車で疾走する男」「ヌードを撮らせる写真館の女」「猫を飼い瀟洒なマンションに住むジャズシンガーの愛人」そして「チェリストの貞淑な妻」。愛と性を軸に絡まり合う1人の男と3人の女なーんて、まさにヨーロッパ映画的なテイスト。一歩間違うと、どんなに気取ってもアジア人はフランス人にはなれねーよっ!って突っ込みが入るんだけども、なんとかこの作品は耐えてる。写真館の女主人に自分のヌードを現像させる男ってのもね、なかなかいい設定ですよ。

そして、何度も出てくるのが「中絶」というキーワード。女主人は何度も中絶しているという噂があるし、妻は男に黙って中絶した経験がある。そして、原題のモチーフともなっている「不倫」=「姦通」。これらのインモラルな事象が最終的にはあの「トランクの中の悲劇」として結する。最後のトランクのシーンは、本当に壮絶だしショッキング。愛人は男をどこへも逃げぬよう、自分のものにするためトランクを閉めたのかな。

さわやか男のハン・ソッキュが、今作品ではナルシストで我が侭な自己中男を見事に演じている。取り巻く女たちとのラブシーンも鍛え上げた体で堂々とこなしている。愛人役のイ・ウンジェ、ラストの悲壮な結末はやはり彼女の死と重ね合わせずにはいられない。車のトランクの中という極めて閉鎖的な空間で繰り広げられるふたりの演技には、本当に頭がおかしくなってしまいそうなほどの狂気がにじみ出ていた。そこで初めて告白される、男の愛人と妻との隠された関係。状況が状況なだけに、その告白も大きな衝撃を与える。

イ・ウンジェの遺作としてこの作品のレビューを書いたらまた違う内容になるんだけども、私はひとつの映画作品としてレビューを書いた。それだけの作品世界を持っている映画だと感じたからだ。

人気blogランキングへ
ブログ村 映画ブログ
[PR]
by galarina | 2006-09-15 23:59 | 映画(さ行)