「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(ら行)( 27 )

リアル・フィクション

2000年/韓国 監督/ギム・ギドク

「チャレンジ精神」

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夢と現実。表の顔と裏の顔、などギドク作品に欠かせないテーマですので、ギドクが好きだという方は、見てもある程度楽しめるかもしれませんが、作品単体としての強い吸引力には欠けます。

もうひとりの自分がいて、そいつが自分を見つめている。そんな表現として、白いワンピース姿の女性がずっと主人公の自分をビデオカメラで映しているのですが、このあまりにも俗っぽい表現がギドクの初期作らしいです。前作の「ワイルドアニマル」の冷凍サンマでぶっ殺す、みたいなところに通じます。何かの暗喩でしょうが、ちょっと吹き出してしまうようなひねり具合。しかし、ギドクはくじけずにその表現方法に挑戦し続け、磨き上げたんだなあ、というのがよくわかりました。

本作は、ゲリラ撮影でたった1日で撮り上げたということ。まさに実験作ですね。多作、スピード撮影で知られるギドク監督の練習風景を見させてもらったという感じでしょうか。
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by galarina | 2008-11-09 17:40 | 映画(ら行)
1977年/フランス・イタリア・西ドイツ 監督/リリアーナ・カヴァーニ

「魅力に欠けるサロメ」

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実は大学で哲学を専攻してまして、とりわけニーチェは好きな哲学者です。ですが、本作でのニーチェは「超人」なんてどこへやら、女に振り回されて病気がちなへっぽこじじいなもんで、かなり魅力にかけます。リリアーナ・カヴァーニは、「愛の嵐」が素晴らしいだけに、私は物足りないです。

で、その物足りなさの元は、ルー・サロメを演じるドミニク・サンダ。妖艶には程遠く、いかつい、いかつい。知性で男を呑み込むような威厳にも欠けます。ふたりの男を愛し、双方にもその関係性を納得させた上で同居する。誤解を恐れずに言うなら、これ理想です。でも、私は本作のルー・サロメがちっとも羨ましいとも、イカしてるとも思えなかった。やはり、こういう作品はどうしてもオンナ目線ですから、男性が見ればこの関係性に男の悲哀を感じるのかも知れません。

まあヴィスコンティ同様、いかにもイタリアン文芸エロス!な匂いはプンプン漂っております。そういうのがお好みの方は、それなりに満足できると思います。このイタリアン文芸エロスの匂いの素は、一体どういう描写に潜んでいるのか、と思いを馳せたところ、本作で言えばバレエシーン。前作「愛の嵐」でナチ将校を前に踊ったバレエダンサーが再び登場。恐らく、ニーチェの夢という設定でしょう。白塗りの全裸(!)の男がふたりで黙々とダンスします。これがね、美しいんですけど、キワモノ的ムードもいっぱい。大真面目ですけど、なんか変。見てて恥ずかしくなる。この感覚がイタリアンエロスの妙なのかしらという気がします。
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by galarina | 2008-10-16 21:06 | 映画(ら行)

ルネッサンス

2006年/フランス・イギリス・ルクセンブルク 監督/クリスチャン・ヴォルクマン

「モノクロームの美学」

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モノクロームの美しさに酔いしれました。最初はモーション・キャプチャーなる技術を駆使した人物たちの動きに目を奪われるのですが、案外それは見ているうちに慣れてきてしまいます。むしろ、強烈に惹かれるのはシンプルなワンカット。特に、光と影のコントラストが鮮やかな人物の横顔です。主人公カラスが思慮深げに雨降る夜の街を眺める。その時、スクリーンの右半分は真っ黒で、左半分にはカラスの横顔の輪郭と小さな雨粒しか映っていない。この圧倒的に情報の少ないモノクローム画面が美しいことこの上ないのです。モノクロ好きには、堪らないカットが満載でした。日本の切り絵がふと頭をよぎったのは、私だけでしょうか。

また、街の全景や小物のディテールが、この手法だからこそ違和感なく見えます。例えば、空中に現れる小型モニター画面。最近のハリウッド映画でもよく出てきますが、どうしても嘘っぽいんです。でも、このメタリック・モノクロームの世界では、未来の乗り物も尖塔のような建物も小型のハイテク機器も、その存在感がとてもリアルで臨場感豊かに映ります。

物語が似ているからと、SF映画の金字塔と言われる「ブレード・ランナー」と比べるのは、ちょっと酷な気がします。近未来映画の新たな表現方法として十分に評価されるべき作品ではないでしょうか。すでに何でもアリとなってしまったCGで誤魔化したハリウッドの近未来大作を見るより、よっぽどお勧めできます。エキセントリックな美しさを堪能しました。
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by galarina | 2008-08-07 14:23 | 映画(ら行)

ラスト、コーション

2007年/アメリカ、中国、台湾、香港 監督/アン・リー
<TOHOシネマズ梅田にて観賞>

「壮絶なる愛の形に私はひれ伏す」

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美しく着飾るのも、女らしくあるのも、引いては仲間たちの謀議の上で好きでもない男に処女を奪われるのも、全てはイーを誘惑するため。そんなワンがいつしかイーを愛したとて、何の不思議があろう。もう少しで手に入れられたものがするりと逃げ去ったことで、彼女の心はますますイーの元へ飛ぶ。イーを追いかけ、イーに求められる女を演じることが彼女の人生そのもの。イーとの愛を全うしなければ、ワンという女の人生もまた、完結しない。何というつらい、そして報われぬ運命。しかし、嘘とまやかしで塗り固められた2人の関係の中に真実の愛が煌めく。それはまた、煌めいた途端、2人を地獄に突き落とすものでもあるのだ。

まるで、相手をいたぶるような激しいセックス。常に命を狙われ、誰にも心を許さない男、イーは、そのような方法でしか女を愛することができない。いや、イーは、女を愛撫することができないと言った方が正しいか。その柔肌を優しく撫でることも、乳房にそっと唇を重ねることもできはしない。己に溜まったよどんだ沈殿物を掃き出すかのように、女の体にぶちまける。あらゆる体位を尽くして結合しているその瞬間だけ、イーは生を実感する。そんなイーがワンの歌に胸を打たれ、彼女の手をそっと握る。初めての愛撫。愛の始まり。しかし、それは決して成就せぬ愛。

台詞の少ない脚本、巧みな心理描写、見事な上海の街の再現。全てにおいて、完璧。158分があっと言う間に過ぎた。アン・リーの挑戦する意欲に素直に敬服する。また、シックでエレガントなチャイナドレスにも目を奪われたし、日本人街の違和感のなさにも舌を巻く。そして、主演のふたり、新人女優タン・ウェイとトニー・レオンの存在も圧倒的。恐ろしいほどに目で語る。目を見ていれば、心の内まで読めるよう。タン・ウェイの体当たりの演技は、今後の彼女の中国における生活が無事滞りなく送れるのかといらぬ心配をしてしまうほど。しかし、映画初挑戦でこの演技は実に天晴れ。そして、今回もトニー・レオン、フェロモン全開。一貫して冷たい男なのに、常に哀愁漂う。本心を見せぬミステリアスな雰囲気に惹かれない女などいまい。シーツのしわをなぞるラストシーンが未だに目に焼き付いている。また、結局は、ワン頼みという運動仲間たちの狡さも巧みに表現されているのもいい。そして気に入ったのが麻雀のシーン。退廃のムード漂う。「ポン」や「チー」と言う夫人たちの台詞がやけにエロティックに聞こえた。

なぜ、ワンは最後にあのような行動に出たのだろうか。あのまばゆいばかりに美しい指輪ではないか。中国語で指輪は「指戒」。「戒」とは、「誓い」。イーはワンに愛を誓ったのだ。もはや、ワンはその愛に嘘で塗り固められた姿で応えることはできなかった。そして、仲間の侮蔑と恨みを一身に背負いながら地獄に堕ちることを自ら望んだ。その壮絶な生き様を、私は羨ましいと思った。傑作。
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by galarina | 2008-03-08 23:08 | 映画(ら行)

ラブソングができるまで

2006年/アメリカ 監督/マーク・ローレンス

「この役を引き受けたヒュー・グラントが偉い」
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私はターゲットど真ん中なので、出だしのPVですっかり爆笑でした。ルックスは、デュラン・デュランに似てる~。まあ、あの時代はこんなバンドだらけでした。なぜか、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージがクスリか何かで捕まって、懲罰として作業服でゴミ拾いの社会奉仕させられていたのを思い出しました。日本だと、トシちゃんをモデルに作れそうですが、某事務所がうるさくて無理でしょうね。

ラブコメは、あまり見ませんのでドリュー・バリモアはおそらく「E・T」以来です。ちょっと身振り手振りがオーバーだし、コメディ女優的な枠組みの中に入りすぎていて、今イチでしたが、他の作品を見ていませんので即断するのは止めておきます。むしろ、ソフィーの抱えるトラウマがありきたりだな~。こういう設定、他の映画でも見たことあるかも。また、ふたりが結ばれていくプロセスも、予想通りというか、甘いというか、生ぬるいというか。よく言えば、このある程度予測できる部分が安心して見られるというところですかね。

しかし、私はこの作品を大いに評価します。それは、作り込みの本気度です。ラストのコンサートシーン。ド派手な演出でめちゃ気合い入ってます。冒頭とラストの音楽に気合いを入れることで、お気軽でポップな80年代サウンドから、今風のヒップホップサウンドへと、流行音楽の橋渡しが冒頭からラストへときちんと繋げられている。しっかりと音楽を描くことで、時代のギャップ感を見事に再現している。そこがとてもいい。「バブルへGO!」のショボさを思い出してしまいました。

アメリカ人の発音で愛の言葉をつぶやくと、生っぽいというか、もっちゃりしていると言うか、恥ずかしくてダメなんですが、イギリス英語だと何か軽やかに聞こえちゃう。ヒュー・グラントは得してますね。それにしても、あの腰フリダンスはおかしすぎる。しかもこれ、アメリカ映画でしょ?落ちぶれたイギリスのポップスターでアメリカでドサ廻りしてるなんて設定、よく考えるとすごい失礼なオファーじゃないですか?でも、彼の演技のとことんぶりがこの作品を支えているのは間違いなく、その懐の大きさと芸風の幅広さに大いに感心しました。えらいよ、ヒュー。
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by galarina | 2008-01-29 23:34 | 映画(ら行)

リアリズムの宿

2004年/日本 監督/山下敦弘

「ダメ男三部作、完結編」
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しっかり構図をキメて撮ってるなあ、というのが第一印象。横長スクリーンを効果的に使う基本形、とも言えるべき構図ばかりではないでしょうか。このキメキメであまりにシンプルな構図は見ていて気持ちいいです。もし、構図がゆるゆるだったら、物語のすさまじい間延び感と相まって、退屈で退屈でたまらない作品になっていたでしょう。構図が作品全体のテンポやリズム感の役割を果たしています。

これまでの作品同様、本作でも山下流ボケが連発されます。「ばかのハコ船」で大勢を笑わせようとは思ってないと書きましたけど、本作ではさらに「オチ」をつけようと思ってないんじゃないか、とまで思わされます。私は生粋の大阪人なので、ボケには必ずツッこむ、ふったネタは必ず落とす、という流れが染みついているんですが、そういう匂いが全然しないの。もちろん、見ていてプッと笑ってしまうカットは、結果的には「オチてる」という事なんでしょうけど、作り手側が「おとしてやろう」とはたぶん思ってない。その、のびのび感が山下作品の味なんですね。これは、おそらく共同脚本の向井康介のセンスも多分にあるんじゃないでしょうか。

ダメ男三部作の完結編ですが、男たちに負けてないダメ宿っぷりが秀逸です。最後の宿なんて、風呂場のシーンで本当に気分が悪くなりました。カビの生えたタイル、吐瀉物の溜まった排水溝、椅子の上の入れ歯…。「どんてん生活」の部屋もそうでしたが、ありえな~い!的汚い描写がうまいです。ただ、こういうインパクトのあるシチュエーションがありながら、作品全体としてはパワーダウンした感じが否めません。それは、おそらく前作「ばかのハコ船」の完成度がとても高かったからでしょう。また、突然旅に加わる「あっちゃん」という女性がどうも私には受け入れられなくて。旅の途中でかわいい女の子に出会うというシチュエーションは、男性の方がしっぽり来るのかも知れないです。でも、裸で浜辺を走ってくるロングショットはとてもいいですよ。

さて、音楽をくるりが担当。古い作品から順番に見ていくと、むしろ楽曲の完成度が裏目に出たかな。音楽シーン全体を見渡すとくるりって抜けた感じが心地よいバンドですが、山下作品にはオシャレ過ぎる感じもします。長塚圭史という有名人も加入しているし、このあたりから山下作品がメジャー化していくんですね。
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by galarina | 2008-01-08 23:16 | 映画(ら行)
2006年/アメリカ 監督/シルベスター・スタローン

「エンドロールが一番良かった」

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本編よりもエンドロールで、ぐっと来てしまった。テーマ曲をBGMに「ロッキー」の名シーンを真似する人々。おばあちゃんから子供まで、フィラデルフィア美術館の大階段を駆け上って、嬉しそうに天に拳をつきあげる。ああ、映画っていいなあ。映画の、ほんの一シーンが、こんなに多くの人々の脳裏に刻まれてるなんて、映画ってすごいなあ。そんなことが頭を駆けめぐり、なんかじわ~んとしてしまったのでした。

肝心の物語の方ですが、正直もう少し脚本練れなかったものかしら。ロッキーを取り巻く人々のサブストーリーに深みをもたせれば、全体的な質も上がったのに、と思う。ロッキーとマリー、ロッキーとポーリー、ロッキーと息子。それぞれの関係性の描き方が物足りない。というのも、「理由がないとおせっかいしちゃダメなのか?」というロッキーの言葉はとてもいいなあ、と思ったから。今の時代に映画を作ると大なり小なり、人と人との繋がりやディスコミュニケーションに言及せざるを得ない。懐古趣味の映画かも知れないけど、しっかり現代を捉えようとしている。最終的にみんなロッキーを応援するようになるのだけど、ちょっと短絡的な展開なのよね。

ラストのファイトシーンは、さすがラスベガスと言える実にド派手なリングで本物のマッチのように臨場感満点。でも、ロッキーの姿で最も印象深いのはエイドリアンの墓参りの時。ファーストシーンとラストシーン、共にスタローンの横顔がアップでスクリーンに映る。寂しげなんだけど、初老の男の味わいが滲み出ていて、思わず見入ってしまったのでした。
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by galarina | 2007-12-18 23:34 | 映画(ら行)

ラブ・アクチュアリー

2003年/イギリス 監督/リチャード・カーティス

「クリスマスよ早く来い!って気分にさせられる」
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まあ、イギリスのスターが勢揃いって感じですね。クリスマスを前に誰もがあったかい気持ちになれる良品と言ったところかしら。アクの強い作風が好みの私としては、ビル・ナイ扮する売れない中年ミュージシャンのエピソードがいちばん面白かったかな。新しくレコーディングしたクリスマス・ソングを自ら「クソみたいな曲」(全く同感!)と自虐的に言ってみたり、売れたからエルトン・ジョンのパーティに呼ばれたなんて話を入れたりして、業界を皮肉るような表現がイギリスらしくて面白い。

ヒュー・グラントが首相ってのは、かなりアリなんじゃないでしょうか。各国女性大臣はメロメロで、外交もスムーズに行きそうだなあ。そんな彼がややおデブちゃんの秘書に恋をするなんて、かなり好感度アップよね。本当に実現するかも。シュワルツネッガーの知事より、何十倍もスマートだわ。ポインター・シスターズの曲に乗ってノリノリで踊ってるヒューを見て、こりゃやっぱり「ラブソングができるまで」を見なきゃ、なんてことも思いました。この曲ディスコでよく踊ったもんです。

親友の妻に恋してしまった、大好きな相手と言葉が交わせない、と言う切ない物語があったかと思うと、ラブシーンのリハーサル専門の女優と男優がいつもすっぽんぽんで親交を深めていくなど、それぞれの恋のカタチのバリエーションがとっても豊かなのね。それが本作のすばらしいところ。恋のカタチは十人十色。それを巧みにまとめあげてる。ちょうどクリスマス3週間前からスタートするので、今が見頃かも。クリスマス気分を盛り上げるには格好の作品じゃないでしょうか。
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by galarina | 2007-11-29 23:15 | 映画(ら行)

ラッキーナンバー7

2005年/アメリカ 監督/ポール・マクギガン

「どんでん返しと言うほどでも…」

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あんまり「大どんでん返し」ばかりを宣伝文句にしちゃうと、おもしろい映画も見方が変わって来ちゃう。そんなことを本作でしみじみ感じました。というのも、どんな大どんでん返しが行われるのか、そこばっか気になっちゃって。やっぱりストーリーそのものに興味をそそられて、見るべきなんですよね、映画って。

本作で言えば、ニックという男に間違われたことで2つのマフィアから目を付けられてしまう男、スレヴンの物語。そこに、なぜかグッドキャットと呼ばれる殺し屋の影がちらつく。一体彼は誰の味方なのか、そしてスレヴンはこの危機をどう脱することができるのか…と言ったところでしょうか。

時折挿入されるフラッシュバックの映像をヒントに、振り回されながらも何か企みがありそうなスレヴンの真意を読み取る作業はなかなか楽しい。映像もとてもスタイリッシュで、マフィアが潜むホテルやニックのアパートなど、ニューヨークらしいオシャレな建築物も全体の雰囲気とぴったり合ってる。

ただね、私はだいぶ前からオチが何となくわかってしまいました。だけども、件の「大どんでん返し」が頭にこびりついていたため、まさか私の予想通りではないだろうと、もっともっと裏をかいたオチがあるんだろうと思っていたのですが…果たして予想通りでした(悲)。というわけで、あまり深く考えずに見るのが正解かと。

それにしても、ルーシー・リュウってアジア人で若く見えるからなのか、実年齢より若そうな役が回ってきて、結構おいしいポジションですね。
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by galarina | 2007-11-20 23:27 | 映画(ら行)

輪廻

2005年/日本 監督/清水崇

「テーマを扱いきれていない」」
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流行のJホラーってどんなものかしらってんで、見てみたのだけど、全体的な作り込みが甘くて少々ガッカリ。まず女子高生が会話するシーンで始まるんだけど、それがもの凄くチープな感じで。「学校の怪談」とか「世にも奇妙な物語」見てるような気になったなあ。こういうB級テイストがJホラーのスタンダードなのかな。

私は映画制作に取り憑かれた映画監督は、「記憶」という作品の中で犯人に復讐を企んでいるのではないか、と思ったんだけどそうじゃない。他にも、以前殺された人はホテルに引き寄せられて、また死んでいく。ただ、それだけ。それは、ないよ。じゃあ、教授の実験って何だったわけ?ただ輪廻するのを確認したいのなら、大量殺戮をする意味はないでしょ。殺した人間、殺された人間が双方輪廻したら、どうなるのか、そこが物語を生むんじゃないの?過去の怨念が現世(=映画の撮影)においてどう昇華または転化されるのかってことが見せ場になるはず。この辺り、物語が浅くて非常に引っかかります。ラストにオチがあることでひねりがあるように見せてるけど、私はダマされないぞ(笑)。

あとね、教授のノートが出てくるのだけど、その辺の映画を参考にしていかにもサイコパスが書いたようなありがちな作りで。彼の研究とはいかなるものだったのか、もう少し深く描けなかったものかな。「肉体とは器にすぎない」なーんて、いかにもなセリフをぶちあげるんだったら、もう少し作り込んで欲しいとつくづく思いました。でね、子どもに人を殺したり、殺されたりする演技をさせるのは止めて欲しい。もう、これは絶対譲れない。映画の現場で、徹底させて欲しいと切に願う。
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by galarina | 2007-09-27 23:07 | 映画(ら行)