「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(ま行)( 30 )

2005年/日本 監督/宮藤官九郎

「クドカン流換骨奪胎は大成功なのか、大失敗なのか」
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しりあがり寿の原作は、まるで哲学書である。覚醒と幻覚の世界を弥次喜多が縦横無尽に飛び回り「リアル」を探す旅に出る。世界がすでに「ある」とする態度を棚上げして、そのような信念がどのようにして成立するかを探求する、と言うのは哲学者フッサールの唱える現象学なんだけど、弥次喜多の旅ってまさにこれなんじゃないの、と思ったわけ。目の前に起こっていることを疑ってかかる、自分はなぜそのように認識するのか自分に問う。弥次喜多は命をかけて哲学的旅路に出たんだ、と思った。しかも、漫画は実に暗い。

ところが、映画は「おふざけ」が過ぎる。寄り道したり、脱線したり、なかなか本流を下らない。正直、最初の30分でリタイアしそうになった。いくら何でもこれはやり過ぎだろうと。

しかし、後半、これはクドカン流換骨奪胎なのだと割り切って見始めるとだんだん面白くなってくる。「あちら」と「こちら」が交錯し始め、境界線が曖昧になってくるあたりで、デビッド・リンチが頭をよぎる。

クドカンは、とんでもない原作に敢えて挑戦した。そのチャレンジ精神は買いたい。ただ、これがクドカンワールドなんだと割り切れたのは、古田新太、松尾スズキ、荒川良々による怪演に負うところも大きい。彼らの突き抜けた演技がなければ、きっと最後までイライラしたことだろう。しかし、さまよう無数の魂を荒川良々ひとりに演じさせるというクドカンのアイデアには唸った。ここまで来て、ようやくクドカン流の解釈に最初から身を委ねていればもっと楽しめたろうに、と思ったが時すでに遅し。

ラッパーになったり、寺島進にスピード違反で捕まったり、レコーディングシーン入れたりと、やたらと脱線するシーンが多いのは確信犯だと思うが、私はこれについていけなかった。二人がもっと早く旅に出ていたら良かったのに。そして過剰な「おふざけ」をあと10%控えめにしてくれたら良かったのに。クドカンは何故ここまで過剰にしたのか。

しかし、あの深くて暗い原作に、自分なりの解釈を与えられるというのは、並大抵のことではないはず。やっぱりクドカンは天才なのか、それともただのお調子者なのか、未だに頭を抱えている。
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by galarina | 2007-02-11 23:15 | 映画(ま行)

マリー・アントワネット

2007年/アメリカ・フランス・日本 監督/ソフィア・コッポラ
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「フェルゼンとは純愛じゃなかったのねっ!」
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フランス人以外で日本人ほど他国の王妃であるマリー・アントワネットの生涯に詳しい国民もあるまい。かく言う私も「ベルばら」フリークの1人。小学生の頃、単行本に塗り絵してたし、宝塚初演の榛名由梨オスカルを見てる。マリー・アントワネット役は初風じゅんだったぜい。ふる~。当時となりのおばさんが宝塚ファンで内部の方とコネがあるらしく、小学生だった私もすごく前の席で見られたの。その絢爛豪華な世界に圧倒されたのなんの。
「あ~い~、それは~」の名曲、全部歌えます(笑)!

というわけで、知りも知り尽くしたマリーの生涯を映像化するとどうなるわけ!と興味津々で観にいったわけだけど、これまた漫画に劣らぬまばゆさに拍手喝采!でございました。何と言ってもベルサイユ宮殿全面協力ってのがすごいです。よくもまあ、アメリカ人監督の映画にフランス政府が協力してくれたなあ。昔「ベルサイユのばら」が映画化されたことがあったんだけど、豪華さでは比べものになりませんことよ!鏡の間を行き来する着飾った貴婦人たち。やっぱりハコがすごいと映えるわ~。

そして美しく、愛らしい衣装たち。今回衣装を担当したのは、イタリア人のミレーナ・カノネロ。我が敬愛するキューブリックの「時計じかけのオレンジ」や「バリー・リンドン」など数々の映画や舞台の衣装を手がけるお方でございます。この方、それなりのお年だろうとは思いますが、全ての衣装が豪華だけではなく10代のマリーの愛らしさやポップなテイストをふんだんに取り込んで新しいスタイルを表現しているのがすばらしい。

おそらくこれは、監督のソフィア・コッポラがいかに自分のイメージをきちんと伝えて、コンセンサスを取り合っているかの現われだと思う。それは、靴やヘアスタイル、そしてあのおいしそうなスイーツたちもしかり。ソフィアの世界観が美術、衣装、小道具の全てに行き渡っている。ただ美しいというだけでなく、いかにソフィアの表現したいマリーの世界を周りのスタッフが理解していたかが実によくわかる。マカロンタワーは、ほんとにフランスにあるの?それとも創作?あのセンスはすごいよ。

で、ハコも着るものもすごいんですが、肝心のマリー・アントワネットの生涯はなんだか物足りないんですな(笑)。さあ、これからヴァレンヌ逃亡でああギロチン台かぁ(泣)と思ったら終わっちゃうの。いかんですなあ。ベルばらファンはどうしても怒涛の人生をマリーに重ねちゃうんだもん。ソフィアはあくまでもティーンエイジャーとしてのマリーの憂鬱と怠惰を描きたかったんですものね。悲劇の女王を描く一大抒情詩的映画ではないんですもの、この映画は。

噂好きなふたりの叔母とかルイ・シャルルの死とかベルばら読んでない人なら、これ誰?何があったん?ってなハショリ具合もこれまた潔し。ただね、暴動が押し寄せてくるくだりの「私は夫と共にいます」の当たりはね、あれ?いつのまにマリーいい子ちゃんになったのかしらってな感じで。贅沢三昧から足を洗った心境をもう少し描いてくれたら良かったな。まあ、それをさっぴいても、マリー・アントワネットという題材に対してガーリーな映像とニュー・ウェーブという組合せを持ってくるソフィア・コッポラのセンスはすごいと思うのだ。
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by galarina | 2007-01-29 20:42 | 映画(ま行)
2003年/アメリカ・イギリス 監督/ウォルター・サレス

「刻々と変わるガエルの表情がステキ」
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キューバ革命の指導者チェ・ゲバラ。その若き日の放浪の旅を描いたロード・ムービー。ガエル・ガルシア・ベルナルがチェ・ゲバラを演じた。

革命家チェ・ゲバラと聞くと、暴力的な荒々しいイメージを想像してしまいがちだ。「ゲバラの顔」プリントTシャツを着た若者も日本でもよく見かける。そう、ゲバラは革命の象徴だ。

しかし、今作のゲバラ(エルネスト)は、道中で何度も「バカ正直」な行動に出て、相棒のアルベルトに諭される。もっとうまくやれよ、と。若き日のゲバラは、とても純朴で素直な青年だったのだ。その最も象徴的なシーンは、旅の資金もないボロボロの身なりの彼らに飯と宿を世話してくれた教授が書いた小説の感想を求められるシーンだ。相棒のアルベルトは「すばらしい作品でした」と適当に褒める。しかし、エルネストは「陳腐な表現が多く、つまらなかった」とバカ正直な感想を述べる。

一事が万事この調子のエルネストに対して相棒のアルベルトはお調子者。時にはぶつかり合うも、長旅を共にするのにはいいコンビだ。実際の旅と同じ行程で撮影した、という南米の風景がすばらしい。砂塵をあげて走り抜けるバイク、銅山の荒々しい光景、マチュピチュの遺跡…。特に我々日本人にとっては、見たこともない景色が多く、非常に新鮮だ。その道程で巡り会う貧しい人々。自分の土地を追い出されたアンデスの先住民族や革命思想で追われて銅山で働く夫婦、そしてハンセン氏病患者たち。

お気楽にスタートした旅が彼らとの出会いによって、かけがえのない体験へと変わってゆく。まじめで正直なエルネストは「人々の役に立ちたい」という気持ちを固めていく。南米の現実を突きつけられ、次第に心に秘めたる思いを膨らませていくガエルの表情の移り変わりがいい。特に、終盤ハンセン氏病病棟での滞在で、うっすらと髭が伸び伏し目がちで思慮深くなった顔が素敵。

南米の貧困層との出会いは、ドキュメンタリータッチで撮影されており、我々も共に旅をしているような気持ちになる。旅は人を変える。優しく正直でダンスの苦手なエルネストは、この旅を経て革命家を目指した。その心の移ろいがじわじわと染みてくるいい映画です。
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by galarina | 2006-11-19 01:31 | 映画(ま行)

メメント

2000年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン
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(ネタバレです)
「騙されることを楽しめるか」
結局この映画はそこに尽きるように思う。「これは映画じゃない!」と当時叫んだのは私の夫。その気持ちもよくわかる。最後に示される大どんでん返しがもし事実ならば、それまで必至になって集中して記憶して、主人公と共に追い続けたことは、真相ではなかったんだから。

つつき始めれば、キリがない。サミーの話が実は自分のことだったなら、なぜ10分しか記憶が持たないのに、そのエピソードは記憶として保持し続けているのか。だって、サミーの話ってのは、妻がレイプされた後の記憶を自分で捏造した物でしょ。その時彼はすでに記憶障害だったんじゃないの?

この映画を「とことん楽しみたい」人はDVD見て、それこそメモ取りながら矛盾点を解明していく喜びを得られると思う。だけども、一度目の観賞で「もういいや」と思った人は、結局映画としての快楽を得られなかった112分になってしまう。

メメントは話が巻き戻っていくが、こういった時間軸をいじることで謎を楽しむ映画は他にもいっぱいある。例えば、時間、そして現実と夢が入れ替わる「マルホランド・ドライブ」。これだって、一度見た限りでは、よくわかんない。だけども、映画館で味わった映画的快楽がないか、と言えばそんなことはない。そこには、紛れもなくデビッド・リンチの世界が広がっているからだ。

では、メメントはどうだろうか。
私、個人としては「映画は120分という枠の中で、“初見の”観客が映画的快楽をきちんと感じられること」が基本的に大切だと、思っているので、メメントに関してはちょっと否定的。そもそも、この超小刻みなリバース物語の構造だけは、見る前に知っておかないと、本当に何の予備知識もなく見始めた人は始まってすぐに置いてけぼりをくらってしまうだろうから。

だけども「これは映画じゃない!」と言い切ってしまうほどの度胸もない。だって、知りたがり屋の私はやっぱり、あそこはどうなの?じゃああれは?なんてやっぱり何度も見てしまうから。「そういう人をターゲットに作ってるんだよ」なんて開き直られたらぐうの音も出ないんだけど。

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by galarina | 2006-09-26 17:47 | 映画(ま行)

まぼろし

2001年/フランス 監督/フランソワ・オゾン

「あなたには重みがない」
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25年連れ添った夫が浜辺で突然姿を消した。事故なのか、自殺なのか、それとも失踪なのか。妻は夫の不在が受け入れられずに、彼のまぼろしを見るようになる…。

現在活躍中のフランス人監督で誰が一番好きかと聞かれれば、私は真っ先にフランソワ・オゾンと答える。(もはやすっかり人気者になってしまったが)それにしても、彼との最初の出会いが「焼け石に水」だったので、この作品の作風がそれとはずいぶん異なることに驚いた。弱冠37歳という若さで、このような深い中年女の心理模様を描いたこと、そして稀代の名女優シャーロット・ランプリングを再び表舞台に立たせたことということが、彼の映画監督としての才能を大いに物語っている。

何と言っても、シャーロット・ランプリングの美しさを存分に引き出したところがすばらしい。リリアナ・カヴァーニの名作「愛の嵐」は私も大好きな作品で、裸にナチの帽子とサスペンダーというあの出で立ちは、女性である私から見ても忘れられない美しさだった。ところが、その後のランプリングって、あんまり作品に恵まれていなかったように思う。彼女の妖しげな美しさを「利用して」そのような雰囲気だけお借りします、みたいな作品が多かった。まあ、ポール・ニューマンと共演した「評決は」まだ良かったかな。

で、まぼろしに戻って、この作品ではシャーロット・ランプリングの美しさにほんと惚れ惚れする。もちろん、若い女性の持つ美しさとは全然違うんだけれども、妖しくて、哀しくて、凛として。ラブシーンでもきれいな乳房を堂々と出してます。そこには、50代の女性に真っ向から対峙しているオゾンの真摯な姿勢とシャーロットへの賛美が感じられる。オゾンのこの視線はその後の作品「スイミングプール」でも堪能できる。

夫を失った喪失感に耐えきれず、部屋で夫を見るようになる彼女は精神的におかしいのだろうか。私は全編通して、これは喪失を埋めるための必要不可欠な通過儀礼であり、非常に自然な心の流れだと思う。オゾンっぽいなあ、と思うのは結局彼女がそれを乗り切れたのかどうかわからないラストシーンである。

夫らしき死体が上がったと警察から連絡が入り、確認に出向くマリー。検察医から腐乱が激しいので見るのは止めた方が良いと言われるにも関わらず、どうしても遺体確認がしたいと安置室へ行く。このくだりで、マリーはようやく夫の死を受け入れる決心が付き、そのふんぎりを付けるためにも死体を自分の目で確認しようとしたのだと思った。ところが、遺留品の時計を見せられ、「これは夫のではない。あの死体は夫ではない」とひるがえすマリー。浜辺で見た男は、またもやマリーが作り出したまぼろしなのだろうか。それとも、浜辺でひとり嗚咽した後、彼女は全てを受け入れることができたのだろうか。大いに余韻を残す美しいラストシーンだ。

私がオゾンを好きなところは、西川美和監督のテイストとかなり似ているのだが、人の感情にチクリと針を刺すそのやり方にある。人間の持つイヤな部分を非常にシニカルでドキッとさせる方法で見せる。何でこういうセリフが書けるの?とつくづく思う。この作品では夫の死後、関係を持った男に「あなたは重みがない」と言い放つシーン。(マリーの夫は大柄で恰幅のいい男なのだ)そして、夫の母に「あなたに飽きたから息子はどこかに行ってしまったのよ」とマリーが言われるシーン。こういった人間の心の深いところをえぐるようなセリフやシーンを見せつけられると、私はすっかりその監督のファンになってしまうのだ。


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by galarina | 2006-09-07 23:25 | 映画(ま行)
2004年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド
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クリント・イーストウッドという監督は題材選びがうまいなあ、と本当に思う。目の付け所がいい、というのかな。しかも、問題定義の仕方がひと筋縄じゃない。その問題点を煮詰めて煮詰めて、周りに付着しているいろんなものをそぎ落としながら、「芯」だけにして「どう思う?」と目の前に突きつけるような感じだ。公開が迫った「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」ではついに戦争を描くが、いったいどんな研ぎ澄まし方をしたのか、今から興味深い。

これは貧しい女性ボクサーマギー(ヒラリー・スワンク)と老トレーナーフランキー(クリント・イーストウッド)の信頼の物語でありながら、その軸にまとわりつくのは白人の貧困層問題、移民問題、尊厳死問題と実にヘビィな題材ばかり。しかし最終的に私が感じたのは、このヘビィさを補って余りある2人の愛の物語だ。ギリギリのところで生きようとするふたりだからこそ感じられる魂の結びつき、とでも言うのかな。

ボクシングという死と隣り合わせのスポーツを通して2人の魂は堅く結び合う。だから、マギーは本当に死を目の前にした時に迷うことなくフランキーに自分の命を委ねることができた。もちろん、マギーはフランキーに亡くなった父を見いだし、フランキーはマギーに自分の娘を重ねているのだと思う。だけれども、「父と娘」という関係ではしっくり来ない。やはり、これは一人の若い女性と年老いた男の愛の物語だと感じた。

誰もがこの映画を見て感じることは、マギーが成功を収めてからそこへ「尊厳死」という全くとんでもない方向へ物語が進むことへのとまどいだろう。私も正直、この展開には随分驚いた。貧しいながらも努力し、血の滲むような練習を続けようやくつかんだ栄光の座。それが一転マギーは四肢麻痺になってしまう。

どう見ても救いようのない展開ではあるが、尊厳死を選択するマギーとフランキーに私は崇高なものを感じた。もちろん、そこに至るまでの苦悩が生半可なものではないのは承知だが、マギーが死を懇願しそれを受け入れるフランキーの2人からは非常に宗教的で厳かな佇まいを感じる。しかし、この2人は敬虔なカトリック信者。道義的に考えれば尊厳死など許されるはずはない。この相反する事柄が示す矛盾は、日本人よりも欧米人の方に訴えかけるものは大きいのだろう。宗教に関して多くを語ることのできない日本人にとっては、様々な事を汲み取るのが非常に難しい映画だ。しかしそれでも、魂を込めて生きようとした2人の姿は多くのことを我々に訴えかけるだけの力を持っている。


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by galarina | 2006-08-29 21:45 | 映画(ま行)

ミスティック・リバー

2003年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

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見終わってつらい気持ちになっても、そこから感じ取れることがたくさんある映画。アメリカ社会が抱える幼児性愛者の問題。「目には目を」の考え方が持つ危険性。郊外住宅地における閉塞感。確かにラストは悲劇的だ。だが、ここまで悲劇的だからこそ、我々は様々な教訓を得なければならないと思わせてくれる。

ただ、描き方があまりにも救いがないためか、最終的に暗い気持ちしか残らない、という感想が多く見受けられる。しかしそれは考えようによっては、それだけイーストウッドの極めて醒めた目で描ききった演出力のレベルが高かったからこそではないだろうか。

ちょっとしたボタンのかけ違いで悲劇が悲劇を生む、という作風に関しては「砂と霧の家」でも述べた。今作では、デイブはもちろん、「あの時車に乗せられたのが、デイブじゃなかったら」という思いは、ジミーにもショーンにもくすぶり続けている。何気ない行動や判断がとんでもない悲劇を呼び込む。何と人生とは不条理なものか。しかし、神でもない我々はいかなる不条理をも受け入れ生き抜くしかない。しかし、デイブは友人であるジミーによって殺されてしまう。しかも、大きな誤解をもって。デイブの死は現代社会が抱えている問題の象徴だ。

ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン。3人の俳優の演技力は、もう非の打ち所がない。ショーン・ペン演じるジミーは、短絡的で暴力的で本当に嫌な奴なんだけれども、彼が演じるとただの悪党にならないのが本当に不思議。ケビン・ベーコンはここのところ悪役が(しかも本物のワル)多いんだけども、悪の匂いを残した人間くさい警官を見事に演じてた。ティム・ロビンスは、最近こういう暗い役が多いなあ。あの挙動不審なところなんて、やっぱりアンタなの?と私も疑ってしまったもんね。トラウマを抱えたまま成長した男のもの悲しさが滲み出てました。

映画のラストは、原作よりもさらにぼかした終わり方になっている。それはこの問題をしっかり受け止め、考えて欲しいというイーストウッドの気持ちがそうさせたのではないだろうか。

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by galarina | 2006-08-29 00:50 | 映画(ま行)

みんなのいえ

2001年/日本 監督/三谷幸喜

部屋を飛び出したら、予想通りつまらなくなった
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あれほどの名作を次々と送り出している三谷幸喜がなぜ?という哀しみの後、「いや、これはわざとこうしたんだ、そうとしか思えない」という思いにかられ、なぜこの作品を撮ったのか無理矢理理由を考えてみる、という不毛なことをしてみる。もちろん、個人的な勝手な想像で三谷幸喜が聞いたら怒るかもしれんが。まあ、見ることも聞くこともなかろう。

「シチュエーションコメディでしか、面白いものが作れない」という枠から一度出てみたかったんじゃないだろうか。そうとしか思えない。今作品は、家を建てたい若夫婦の奔走、ということで、文字通り部屋を飛び出し、様々な場所でのロケーションが多く使われている。映画的に言うと「長回しの撮影」が多く見られるらしいのだが、当たり前のことだが、長回しすれば映画的になるわけではない。私はこの作品で三谷幸喜の良さがことごとく削がれているような気がしてならない。内輪ノリの面白さを、今作では敢えて使わないようにした。「家を建てる」という一大ドラマをめぐる人々の悲喜こもごもをペーソスあふれる作品に仕立て上げたかった。しかし、そこに残ったのはありきたりな、そうあまりにもありきたりで、泣けもしない笑えもしない家族愛だ。

三谷幸喜が描く人物に多く共通しているのは「ゆるい感」である。なんかやる気のない人たち。そして、逆に人よりもやる気満々な人、つまり「勘違い野郎」がそこへ混じって騒動を起こす。今作品ではゆるいのが若夫婦八木亜希子と田中直樹だろうか。いや、田中直樹はいいとしても、八木亜希子の役割が何だったのか、今いちはっきりしない。この居心地の悪さは結局最後まで尾を引く。設計を頼んだ唐沢寿明と大工の棟梁である父の田中邦衛との板挟みになる彼女だが、本来はこの点において、あっちの味方だったり、こっちの味方だったりして、右往左往することできっと面白い小ネタがいっぱい出たはずだが、ついに不発。もう、これは敢えて「小ネタ」は封印したんだな、と思うしかない。

それから、私が大いに不満なのは、「デザイナーと大工棟梁のいがみ合い」という構図があまりにも陳腐な点だ。今作品は三谷幸喜自身が家を建てた時の体験に基づいているらしいが、本当だろうかと疑いたくなる。「新しきもの」と「旧きもの」が対立し、双方「いいものを作りたい職人気質」をもって和解と、す。んな、アホな。デザイナーも棟梁も一般的に「誤解されているキャラクター」をそのまま踏襲しているのも納得できない。世の中そんなにワガママ通している設計士ばかりではないし、棟梁はいつだって頑固なわけじゃない。この映画を見て「家を建てるってこういうことなんだ」とは、絶対思って欲しくない。夫が住宅の建築士なので、よけいにそう思う。この映画を見終わった夫はがっくり肩を落としていたもの。

というわけで、この作品は三谷幸喜作品だと思わずに見れば、そこそこに楽しめるのかも知れない。ただ、デザイナーと義父である棟梁があまりに仲良くなるのを夫である田中直樹が嫉妬する、というシーンがある。こういうエピソードは実に三谷幸喜的なのだが、これまた実に消化不良な処理のされ方のまま、放ったらかしなのだ。ううん、解せん。とにかくこの映画は解せぬ事づくめなのだ。

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by galarina | 2006-08-25 16:13 | 映画(ま行)

メゾン・ド・ヒミコ

2005年/日本 監督/犬童一心

「オダギリ・ジョーの腰のラインに目が釘付け」
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映画を観ていて「はっとする瞬間」って、意外と少ないものだ。私はこの映画を観て、2回時が止まった。一度目は、ヒミコの登場シーン。美しいガウンを羽織りターバンを巻いた田中泯が部屋に入ってくる。その圧倒的な存在感。ありきたりな言い回しだけど、それしか思い浮かばない。人が立っているのだけど、人じゃない。神というと言い過ぎなんだけど、とにかく人間離れしたオーラが漂っている。このヒミコの登場シーンで、この映画は当たりだ!と決まった。

二度目はオダギリ・ジョーの半裸の姿。その腰のくびれはただならぬ美しさ。それまでのフリルのブラウスをパンツにイン!したファッションもハンパなく素敵だったが、とうとう上半身を脱いで彼の腰のくびれを手前に部屋を映すカットになった瞬間、とりあえず私の思考は停止してしまった。それにしてもオダギリ・ジョーは、どんな役でもさらりとこなす。役になりきるというよりも、その役の方が彼にフィットしていくようにすら見える。これは天性のものなんだろう。最近のオダギリ・ジョーを見ていると、浅野忠信が出てきた時に、スゴイのが出てきたなあ、と思ったのを思い出す。

さて。おそらくこの物語の主人公のもう一人は柴崎コウであり、彼女のもがきながら生きる姿、そして好きになってはいけない相手を好きになってしまう展開がこの映画の主軸なんだろうけど、ごめんね。柴崎コウに私はちーっとも入り込めなかった。どう見てもブスには見えなかったし、何しろ沙織という女の屈折さを表現する柴崎コウの演技が私には物足りなかった。犬童一心&渡辺あやコンビと言うことでどうしても「ジョゼと虎と魚たち」と比べてしまうんだが、これは完璧に池脇千鶴に軍配!って感じで。ラストの展開も、「えらいうまくまとまってしまったじゃないの」と拍子抜け。

でもやっぱりいい映画ですよ。メゾン・ド・ヒミコのゲイの人たちは、とても生き生きしてるし、美術もとても凝ってて素敵。音楽は御大「細野晴臣」。それにね、脇役なんだけど、西島秀俊がね、彼がめちゃめちゃいい!田中泯にしろ、オダギリ・ジョーにしろ、西島秀俊にしろ、「雰囲気のある男」ってのはどうしてもこうも性的魅力にあふれてるかねぇ。西島秀俊にオダギリ・ジョーが誘いをかけるシーンも、わたしゃ女だがゾクゾクしちゃった。原作ありきの映画があふれる中、オリジナルの脚本でしっかりと良い映画を撮ってる犬童一心監督。次回も期待してます。


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by galarina | 2006-07-28 22:30 | 映画(ま行)
1996年/アメリカ 監督/ブライアン・デ・パルマ
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何だよー、デ・パルマだったんだ、この映画。とりあえず、必要以上に爆発物の多いハリウッド映画は、見ないようにしているので、知らんかった。でも、デ・パルマらしさは、あんまり出てないなあ。

私は見てましたよ、スパイ大作戦。子供の頃、夜更かしして再放送見てました。しかし、リーダーのフェルプスくんを裏切り者にしてしまうなんて、それはないんじゃないの。オリジナルのファンはがっかりだし、かといって、どんでん返しの驚きもさほどなく、この展開にあまり効果はなかったな。

でね、私の大好きなエマニュエル・ベアールがさ、なんかハリウッド映画に出ると、ただのチンケなネーチャンごとく見えるのがものすご悲しかった。ジャン・レノもそうなんだけど、まあ彼の場合はすっかり大作出演で株を落としてるからもういいんだけど、エマニュエル・ベアールはねえ。こんなの出なきゃ良かったね。この後、たぶんほとんどアメリカの映画には出てないように思うけど、それで正解だと思うな。

で、その他の出演者を見てもわかるように、これはチームとしての国際性みたいなのをアピールしてるわけでしょ。それぞれの超スペシャリストが集結して作戦を敢行するわけじゃない。その割には、トム・クルーズひとりで張り切りまくりの映像ばっかでさ。だとしたら、なぜ、スパイ大作戦のリメイクにする必要があったんだろうと思ってしまう。ジャン・レノなんか、ホントに元CIAメンバーなのぉーってくらいにドタバタしちゃってさあ。トムくん以外の人物造形浅すぎるよ。

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by galarina | 2006-07-24 20:43 | 映画(ま行)