「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(は行)( 113 )

パリ、ジュテーム

2006年/フランス 18話、18監督からなるオムニバス

「きっとお気に入りの1本が見つかる」

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ヨーロッパで最も好きな都市はバルセロナ。その次がパリです。カフェでぼーっとしながら道行く人を眺めているだけでとっても幸せ。だからね、ラストのアメリカ人女性キャロルがひとり公園でつぶやくセリフがもうこれはまるで私のことではないかしら、と言うくらいに染みてしまいました。
「私は喜びと同時に悲しみを感じていました。
それは大きな悲しみではありません。
なぜなら、私は生きていると感じたからです。」

本作は、まるで映像のガイドブックのように美しいパリを堪能できます。いろんな視点のものが出てきますが、やはり「旅人」としての視点に共感してしまいます。その中で最終話にしっぽりやられました。華やかなパリの街並みにひとり佇んだ時の、あの心地よい孤独感。それを見事に代弁してくれていたからです。ヨーロッパの旅は、なぜか無性に孤独を感じます。あれは、一体何でしょう?そして、その孤独感こそが生きている実感となり、再びヨーロッパを目指してしまうのです。

5分程度の作品なのに、全ての出演俳優たちがとても印象的な演技で魅了します。私のお気に入りは、ギャスパー・ウリエルとジュリエット・ビノシュかな。特にジュリエット・ビノシュは、この短い時間でこれほど魂込められるとは、さすがと唸りました。アルフォンソ・キュアロン監督の見事なワンテイクのオチ付きは拍手もの。オチをわかった上で見直すとかなり笑えました。

それにしても、驚いたのは英語のセリフがたくさん出てくることですね。もちろん、アメリカ人観光客という設定なら当然セリフは英語になるのですが、そういうことではなく、パリを舞台に撮る、となった時に迷わずじゃあフランス語で撮る、という感覚はもう古いんだな、と思わされたのです。ラストのアメリカ人女性の話でも、せっかく学んだフランス語が通じなくて困る、のではなく、フランス語で尋ねたら英語で返されてしまう、というシチュエーションなんですもん。パリも変わったなあ、なんてしみじみ。

各ストーリーを繋ぐ何気ないパリの風景。これが、とてもいい。特に夜の街がステキです。最後にパリに行ったのはもう10年も前のこと。仕事と子育てに追われて、年月は過ぎ…。パリに行きたくて行きたくてたまらない気持ちにさせられた1本でした。
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by galarina | 2008-02-09 23:25 | 映画(は行)

プレステージ

2006年/アメリカ 監督/クリストファー・ノーラン

「作品そのものがイリュージョン」
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ラストのどんでん返しにあっさりやられた。時間軸が前後することに加え、数々の伏線が張られているが、見ているのがしんどい作品かと言えば全くそんなことはない。今から随分昔の時代とは言え、目の前で繰り広げられるイリュージョンに目を奪われるし、アンジャーとボーデン、希代の奇術師2人のとことん裏をかく駆け引きから目が離せない。実に見応えがあり、映画館で見れば良かったなあ、と後悔。

アンジャーとボーデン、ふたりのキャラクターをもっと明確に描いてくれたら、導入部からもっとノリきって見れたのに、とその点がやや残念。アンジャーが「陽」なら、ボーデンは「陰」。この陰と陽をくっきりと浮かびあがらせて欲しかった。というのも、脇を固める役者がとてもいいから。特にマイケル・ケインとデヴィッド・ボウイ。「確認」と「展開」、そして「偉業」へ。マジック理論のシーンを始め、マイケル・ケインのおかげで作品に知的なムードが漂う。それに、その存在感からどこかで寝返るんじゃないか、何かヒミツを握っているのではないか、と常に探りながら見てしまった。そして、テスラ博士を演じるボウイがすごくいい!凡人を寄せ付けない風格があって、何だか宇宙人みたい。

人を騙す快感と言うのは、一度味わうとやめられないんだろう。大勢の観衆を驚かせて、スポットライトの中で拍手喝采を浴びたら、全てを犠牲にしてもいい。それほどの悦びがあるのだろう。しかし、一番騙したかったのは、互いのライバル。日記を手に入れたり、恋人を送り込んだり、こりゃまるでストーカーだな。原作はページ数が膨大だと言うことですが、よくぞまとめたという感じ。クリストファー・ノーランお得意の時間軸をいじる見せ方も、もしかしたらラストのオチを気づかせない手段の一つかも。これ、時間通りに進めば、オチに気づく人もっと増えるんじゃない?(たぶん、私は、それでもコロッと騙されると思うけど)

物語で示されるマジックも、そしてこの作品のどんでん返しも、共に「なんだ、そんなことだったのか!」というシンプルなタネであるところが、実に小気味いい。あまりにも単純な仕掛けだからこそ、騙された方も快感。こんなに気持ちよく騙されたのは本当に久しぶり。終盤にかけてのSF的な展開も、全く違和感なし。幻想と現実がないまぜとなって、観る者を圧倒し続ける展開の中で、この驚愕的な科学理論がちゃんと物語に収まっている。おまけにアンジャー殺しの犯人は誰かというミステリーまで加わり、ボリューム満点のフルコースを頂いたような満足感。
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by galarina | 2008-02-04 23:55 | 映画(は行)

ボラット

2007年/アメリカ 監督/ラリー・チャールズ

「私も警察を呼びます」
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ちっとも笑えませんでした。アメリカの欺瞞を暴くですと?だったら、もっと正攻法でしましょうよ。ボラットは、カザフスタンからやってきたレポーターのフリをしているんですよね。フリをしている人がカマをかけて相手の反応を引き出すというのは、見ていてあまり気持ちのいいものじゃありません。

そもそもフェイク・ドキュメンタリーの体裁ですから、そこに遭遇するアメリカ人の全てがやらせでないと、どこまで言えるのでしょう?侮蔑の言葉に怒って席を立つフェミニズム研究者に「そこで怒ってくださいね」と指示しているかも知れません。意気投合する大学生たちに「一緒に馬鹿騒ぎしてくださいね」とお願いしているかも知れません。あくまで、この映画は本当に起きたことと言っています。実際に訴訟問題も起きているのだから、そうなんでしょう。しかし、出発点において自分自身が本性を偽っておいて、後の出来事は本当にあったことです、と展開するのはモノ作りをするものとして、虫が良すぎませんか?

じゃあ、百歩譲って、この映画に対して不快だと思う人、その不快に根ざすものを顕わにするための映画だとしましょう。でも、私がホテルスタッフなら、ホテルにパンツ一丁で現れたお客さんをもてなす自信はありませんし、大事な商品を壊されたら弁償してくれといいます。正直、この映画の何が面白いのか、全くわかりません。
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by galarina | 2008-01-28 23:09 | 映画(は行)
2006年/韓国 監督/ハン・サンヒ

「ファンの方のみご覧下さい」
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キム・ギドクやポン・ジュノを見た後で、こういう映画を見ると、ある意味韓国映画の懐の広さというのをつくづく実感。なんとまあ、薄いこと、薄いこと(笑)。凍結した雪道で長靴が滑って、つる~っとすべっていくような表面だけをなぞらえた作品。でも、脚本は日本人なんですね。何とも冴えない日韓合同作品。主演のイ・ジュンギと宮崎あおいのファンの方がご覧になればよい映画ではないでしょうか。

日本人と韓国人が恋に落ちるという設定でまず考えられるのは、日本と韓国の間に長年横たわる感情の溝ですが、本作ではそれについて一向に触れません。まあ、常にそれを持ち出すとどの作品も似たり寄ったりになるので、敢えて外したというならそれでも構いません。ただ、韓国に帰ってきた彼が日本人の女の子に恋をしていたという事実に対して、家族や周りの人々がノーリアクションだったとは到底考えられません。また、ミンと七重、それぞれ家族関係において悩みを持っているのですが、ここの描き方が弱いのなんの。高校生時代のミンくんの演技も、観ている方が恥ずかしくなるような大げさな演出で閉口。批判はこれくらいにして、ちょっと別のこと。

これは、韓国映画だという思いで見始めたせいか、宮崎あおいが目鼻がキリリと際だつ韓国の美人女優とはまるで別人種のような存在に見えます。これは、主演のイ・ジュンギが女形のような美形なので、余計にそう見えたのでしょう。宮崎あおいを活かすならば、韓国サイドはもう少し親しみのある庶民的な俳優の方がしっくり来たと思います。まあ、キャストありきで作られたであろう作品に、このような話をしてもあまり意味がないかも知れませんね。
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by galarina | 2008-01-26 23:40 | 映画(は行)

HERO/英雄

2002年/香港・中国 監督/チャン・イーモウ

「ゆらぐ信条」

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なぜ、チャン・イーモウにこれが撮れて、チェン・カイコーはできなかったのだろう。「PROMISE」はあまりにCGがしょぼくてその話題に終始してしまい書き損ねましたが、愛は運命を変えられるのかというチェン・カイコーらしい世界観というのは根底に流れていました。しかし、この「HERO」はどうでしょう。チャン・イーモウがなにゆえこのような一大アクション巨編を撮れたのか。映画は監督のもの。常々そう思って映画を見ている私は、この作品ほどその信念が揺らいだことはありません。

私の勝手な想像ですが、アクション監督、カメラマン、CGスタッフに至るまで、一流と呼ばれる全ての技術スタッフの力を100%チャン・イーモウが引き出した。そう考えるしかありません。もしかしたら、大陸的な粘り(そうイーモウ監督の作品によく出てくる市井の人々が持っているあれ)でもって、まとめあげた結果がこの作品なのかも知れません。

アクションを担当したのは「少林サッカー」も手がけるチウ・シントン。無名と長空が戦うシーン、雨のしずくが落ちるスローモーションや老人のつまびく不思議な楽器に合わせて、繰り広げられる格闘が非常に独創的。見せ方一つでアクションシーンって、こんなにも様々な表情が創れるのだと驚く。各エピソードにイメージカラーがあり、はらはらと舞う衣装がとても美しいのですが、この色分け効果は、実は2度3度見ると飽きてくる。しかしながら、羅生門スタイルで繰り広げられる物語は、虚実ないまぜで、観客が混乱してしまいがち。それを回避するために、おそらくこのスタイルを選択したのでしょう。あのエピソードは赤いシーンと頭にインプットされ、複雑な物語を整理できる。この選択は正解。

そして、何より、トニー・レオン。フェロモン全開。この匂い立つような色香はなんでせう。私は、彼の毒気にあてられてめまいを起こしそうなくらいクラクラ。あのジェット・リーすら、かすんでしまう。砂に書をしたためる、というあれは、中国古来の芸術なんでしょうか。長髪を無造作にしばり、女物のような着物をひらひらさせて、砂に文字を書くその姿。惚れない女はおりません。今年公開予定の「ラスト・コーション」はラブシーンがいっぱい、ということでこれまた楽しみです。
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by galarina | 2008-01-25 23:36 | 映画(は行)
2005年/アメリカ 監督/ティム・ストーリー

「しょーもなっ!と言いながら楽しんでしまったよ」

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リーダーが一番ダサいゴム人間ってのがいいですねえ。普通、リーダーならもっとカッコ良く変身するものでしょう?そういうおバカさが実に気に入りました。昨今、実写ものSFって、説教くさいのが多かったですから、これは子供と一緒に、そんなアホな~とかましつつゲラゲラ笑って楽しみました。

だって、4人とも同じ宇宙嵐に見舞われたのに、全員症状が違うって、どういうことですか…。随所に出てくる子供だましの「なんちゃって科学理論」も笑える。しかも、この「なんちゃって科学理論」を見終わってから必至に解説している息子の姿がかーちゃんは微笑ましかったっす。

とはいえ、カースタントはなかなかの迫力ですね。バンバン車、ぶっ壊しちゃってます。どうやらファンの多いジェシカ・アルバ。「シン・シティ」でしか見ていませんでしたが、アメリカ人には珍しい子鹿のようなキュートさが男子のハートを掴むのでしょうか。おばちゃんのハートはピクリとも動きませんでしたが(笑)。

スパイダーマンに雰囲気が似ていると思ったら、やっぱりアメコミなんですね。こういうジャンルは全く無縁で、子供がいないと絶対見ないと思う。というわけで、子供がいると、映画の見る範囲って俄然広くなるのね。それはそれで良しと思う今日この頃。
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by galarina | 2008-01-22 23:26 | 映画(は行)

ベニーズ・ビデオ

1992年/オーストリア 監督/ミヒャエル・ハネケ

「もはや現実は映像の中にしかないのか 」

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「感情の氷河期 第二作」

ベニーは「映像」と「現実」の境がつかなくなっているのだけど、その曖昧さと言うのは、観客である我々自身も既にどっぷりそうなっているんじゃないか、と思って戦慄してしまう。なぜなら、このベニーと言う少年の心情、そして死体を隠蔽しようとする両親の異常性、共にスクリーンを通じて観ていると何となくわかったような、共鳴してしまうような感覚に陥ってしまうから。例えば、自分の隣の家の少年が実際に犯罪を犯し、両親が隠蔽工作をしたとする。それを、私は事実として受け止められるだろうか。おそらく、理解したくない、知りたくない、拒否反応が先立つような気がする。つまり、スクリーンの中のベニーには深く入り込めても、実在する隣の少年には入り込めないかも知れない。

結局、現代人って「何かを媒介する」ことでしか、物事を受け止められない体質になってるんじゃないのだろうか。その媒介がビデオであり、テレビであり、ラジオであり、映画である。本作では、戦争や政治などのシビアな話題から、天気予報に至るまで、ラジオのニュースもあちこちで挿入されている。ラジオから聞こえてくる戦争のニュースは、あまり現実味がない。だけど、実際に起きていることには間違いない。その事実を確かめたくて、今度はテレビを見る。戦場で逃げまどう人々を見てようやく戦争を実感する。時には、かわいそうになって涙を流したりするかも知れない。しかし、その涙は映像と言う媒介物があってこそ、生まれたものであって、本当に戦争を心から憎んで生まれる涙じゃない。

また、息子と母がエジプトに逃避行した時に、ホテルの部屋のテレビ映像が幾度となく映されるのだけど、もしかしたら、ベニーは実際に観光しているよりも、そのテレビ映像によって、そこがエジプトなんだというのを強く実感しているのかも知れない。そう考えると、旅行先のホテルでテレビを見て、自分がどこにいるかを実感することって、我々にもよくあることだと思い出す。

だから、映像って実に怖いメディアなんだ。映画だと思って見ているものが実はビデオだったという二重構造も、ハネケから映像を鵜呑みにしちゃいけない、という我々に対するお仕置きのような気がしてしまう。もちろん、このラストにもたらされる二重構造が驚くべきどんでん返しになっていることは、映画作品としての大きなカタルシスを観客に与える。つまり、お説教しながら、映画としての楽しさも味わわせてしまう。そこが、ハネケの凄いところ。

それにしても、物事をこれほど客観的に捉えるという作業は、一筋縄じゃ行かないだろう。殺害の事実を知った後の母親の愚鈍な描写なんて、私が女優なら降板したいと思うくらい。とはいえ、デビュー作ほど、登場人物の行動は不可解ではないし、ハネケ作品の中では比較的わかりやすい部類だと思う。少年の抱える闇とメディアがテーマなので、多くの人にぜひ見て欲しいと思う。
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by galarina | 2008-01-19 23:21 | 映画(は行)

パッチギ!LOVE&PEACE

2007年/日本 監督/井筒和幸

「主張は強いけど、元気がない」
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いつものパワーがない。元気の良さ、ノリの良さがないのよ。最初のケンカのシーンが面白かっただけに余計に終盤まで中だるみな感じなの。主演の2人からも、何があっても生きてやる!ってエネルギーをあまり感じられなかった。きっと、それは井筒監督がそういう演出にしてないからだと思う。今作、監督の主張がいっぱい入ってるので、元気の良さを敢えて封印してしまったんだろうか。それから、主演の中村ゆりは下手ではないけれど、あまりにもピュアピュアなキャラクターで、私は引いてしまった。キョンジャってもっと芯の強いオンナではなかったかしら。子供が病気になってしまう、という状況も手伝って、非常に湿度の高い映画となってしまった。内容は、じめっとしていても、カラッとした演出でパワフルに見せる、それが井筒作品だと思ってたのに。

そして、気になったのが、各シークエンスが短くて、場面転換がせわしないこと。そのくせ、キョンジャと野村が居酒屋で飲むシーンとか、アンソンが佐藤と民宿でゴロゴロしてるシーンなど無駄なシーンが多い。主張の強さをそのせわしないカット割りでごまかされているような気がしてしまう。シーン数減らして、もっとじっくりカメラ回せばいいのに。で、最後にはは殴り合わんとあかんのでしょうか、井筒さん。そこが、どうにもこうにも、しこりのように胸に残りました。ラストの舞台挨拶の後の乱闘シーン。やっぱり、そうなるんかって、寂しかった。そう感じる私は甘いんやろか。
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by galarina | 2008-01-18 20:51 | 映画(は行)

薔薇の葬列

1969年/日本 監督/松本俊夫

「新宿に現れた妖しきオイディプス」

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のっけからエディとパトロンの叔父様のベッドシーンで幕を開けます。エディの裸身をカメラが舐めるように捉えていくのが、すごくキレイ。体の一部が艶めかしいアップで次々と現れる。モノクロームの映画って、なんて美しいのと思わせられます。主役のゲイボーイを若きピーターが演じていますが、これがまた妖しいのなんの。長い付け睫毛にぽっちゃりした唇で。ところがね、このエディがゲイボーイになる前のシーンが何度か登場しますけど、普通の少年の姿で敢えてノーメイクで暗い男の子を演じさせられているの。それが、ピーター自身のリアルストーリーとかぶって何だか切ない。

ピーターは幼い頃両親が離婚し、東京でゲイボーイをしていて何度か連れ戻されたという話を聞いたことがあります。(確かお父さんは日本舞踊の名手で人間国宝の偉い方ではなかったかしら…)この「薔薇の葬列」という作品も父に捨てられた息子の物語。また、当時の学生運動やアングラ劇団の様子も挿入され「現実」と「虚構」が入り乱れた独特の世界観が作り出されています。

タイトルともかぶる「葬列」を思わせるストリートパフォーマンスを群衆の中でひとり見つめるエディ。女の子の格好をしたエディを奇異な目で見つめる人々。これらのゲリラ撮影もいかにもATGという感じですが、当時の生っぽさがびんびんに伝わってくる。地下のゲイバーに蠢く人々、自称ゲバラと名乗る映画監督とその仲間たち。いやはや、本当にこの時代の新宿界隈は怪しい。怪しすぎる。できることならタイムトリップして、この退廃を共に味わいたいと心底思っちゃう。

エディと言う名は、エディプスコンプレックスのエディでしょう。元になったギリシャ悲劇のオイディプス王は父を殺し実の母と姦通しますが、本作のエディはその逆。我が母をその手で殺し、我知らぬ内に実の父と姦通するのです。なんとまあ、衝撃的なお話でしょう。でも、このいかがわしさがたまりません。禁断の果実ですね。禁断だからこそ魅惑的なんです。己の目に刃を突き刺したまま、路頭に飛び出すエディ。デビュー作ながらその体当たりの演技でラストまで我々を魅了します。エディが主演を務める映画内映画や突然の淀川長治のコメント挿入、ゲイボーイたちへのリアルインタビューなど、実験的な要素もふんだんに盛り込まれていて、本当にイカした映画です。

余談ですが、エディのファッションをキューブリックが「時計仕掛け」を作る際に参考にしたって話があるんですが、本当かしらね。


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by galarina | 2008-01-14 20:42 | 映画(は行)
2006年/日本 監督/馬場康夫

「何も描いていない」

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映画なら何でもつい見てしまう映画好きの性で見てしまいました。が、映画館で見ていたら暴れていたかも知れません。

タイムスリップまでしてなぜ今バブルを描くのか、それこそが本作の主要本題ですね。しかし、何も描いていない。徹底的にバブルを笑い飛ばしたかったのか、それともあの時代を痛烈に皮肉りたいのか、またはあの頃をとことん懐かしむのか、そのどれでもない。懐かしむだけならまだ「ALWAYS」の方がましです。つまり、この映画の企画そのものがずさんなのです。企画書見せて欲しいくらいです。企画がなってない上に脚本もダメ。お座敷のケンカシーンのグダグダ感はこれがプロの手による撮影なのか、という気すらしました。

ホイチョイプロなら、おそらくバブルの恩恵を嫌と言うほど受けたはずです。なのに、なぜこのようなしょぼい描写の連続なのでしょう。あの時、ちょうど私は大学生で、週に3日はタダでディスコに通い、ボディコン着て朝まで踊り続けてました。高額なバイトが巷にあふれ労せずとも遊ぶお金が手に入りました。今思い起こせば心底恥ずかしくなるほどの浮かれポンチでした。当時の象徴と言えば、不動産、外車、ブランドスーツ、高級腕時計などのアイテムがいくらでも列挙できます。しかし、札束見せてタクシー止めたり、一等商品が現金200万円だったり、あまりにもワンパターンな描写が続き頭を抱えたくなりました。ホイチョイならあの頃のリアルを知らないはずはなかろうに。

バブルを描くということは、アリなネタだと思います。やりようによっては面白くなるモチーフでしょう。しかし、全く中身がないのだからどうしようもありません。何もあの頃を見つめ直せとか、日本経済の転換期としてしっかり描けと言っているわけではありません。映画としての中身が空っぽなんです。また、音楽が薄い。バブルを描くなら、もっと音楽に力を入れましょうよ。ディスコソウルに始まりブリティッシュ・ニューウェイヴからユーロビートへとバブル期のめくるめく音楽シーンは、当時を表現するには格好の材料のはず。それが、「Can't Take My Eyes Off You」の繰り返しですからね。あまりにもステレオタイプで悲しくなりました。制作者の方は「ブギーナイツ」でも見てお勉強してください。
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by galarina | 2008-01-13 23:15 | 映画(は行)