「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(た行)( 49 )

とべない沈黙

1966年/日本 監督/黒木和雄

・美しい蝶の化身と共に戦後の日本を旅する、黒木和雄監督鮮烈のデビュー作
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寒い地方にいるはずのないナガサキアゲハが札幌で見つかる。見つけた少年は学校の先生に嘘をつくなと咎められ、学者にもその存在を否定される。しかし、確かにその美しい蝶は長崎で生まれたのだった…

長崎で生まれた蝶の卵が時にはカバンにくっついたり、人の肩に乗ったりしながら萩、広島、京都、大阪、香港、横浜そして札幌までを旅する様子を激動の戦後の風景に織り交ぜながら描く。叙情的でとても美しい作品。

抽象的な描き方と言えばそうなんだけど、難しい作品かというと全くそんなことはない。被爆の街長崎の教会、そして原爆ドームなど、反戦を訴える映像はたくさん入っているけれど、決して説教くさい物語ではなく、むしろ日本を南から北へと縦断するナガサキアゲハの不思議な旅物語としての色合いが強い。

その旅の先々でナガサキアゲハは戦後の日本の暗部を目の当たりにする。殺人事件、反戦運動、闇の組織、反政府運動。目撃者となる蝶の化身を加賀まりこが演じる。それはそれは、妖しくて美しい蝶の化身。くりっとした大きな目、愛らしい唇、そして60年代のファッションに身を包み、時に静かな傍観者となり、時に男を狂わせる。ほんと、若い時の加賀まりこは可愛い。小悪魔って言葉がまさにぴったり。今どき小悪魔なんて言い方笑っちゃうけど、この加賀まりこは正真正銘の小悪魔です。
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観念的なんて言われてるけども、私はとてもわかりやすい作品だと思う。何か伝えたいことがあって、それをそのままセリフにしたり物語にしているわけではない。でも、そのメッセージはしっかりと受け取れる。

こういう観念的な描き方で伝えたいことをしっかり伝える、というのは本当に高等な技がないとできないと思う。最近の映画はほとんど「物語ありき」だもの。物語の起承転結に泣いたり笑ったりするのも、もちろん楽しいんだけど、こういう作品をたまに見るとすごくすごーく刺激的。良質のATG作品を見ると、いわゆる「アート系」なんてのが、とてもなまっちろく見えるなあ。


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by galarina | 2006-10-11 22:06 | 映画(た行)

誰も知らない

2004年/日本 監督/是枝裕和

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柳楽優弥くんがカンヌ映画祭で史上最年少の主演男優賞を獲得したことで話題になった作品。もうすぐ「シュガー&スパイス」が公開。キスシーンもあるとかで、大人になった柳楽くんが見られるんだろうか。

さて、この作品。実話をモチーフにしているが、是枝監督のドキュメンタリー風の独特のタッチが、さらに実話らしさを引き出している。特に兄弟同士の自然な会話。監督は撮影が入る前から彼らと過ごしていたようで、非常にリラックスした表情で演技している。いや、演技している、というよりも本当の兄弟同士の会話をのぞき見しているような気になる。

是枝流の自然な演出というのは、時には棒読みの素人臭い演技に見える。それでも、映画として非常に面白い作品に仕上がるから、一体俳優の演技力とは何だろう、と考えさせられる。例えば、北野武にしても、本人からして棒読み演技で周りを固めるのがたけし軍団、それでも面白いんだから、やはりそれは監督の腕なんだろう。

それにしても不思議な物で、演技していないように見える演技に対して、観客は最初にとまどいを覚え、距離感を感じる。それは日頃「演技してます!」的演出に我々がどっぷりつかっていることによる違和感が引き起こすのだろう。皮肉なもんである。ただ、物語が進むにつれてその違和感もなくなり、我々はこの4人の兄弟たちが何とか無事にがんばってくれと祈り始める。しかし、ただひとりその違和感がさっぱり消えず、のどに詰まった魚の骨みたいに気持ち悪さがずっと残る人がいる。YOUである。

私はこの気持ち悪さが気になってしょうがなかった。YOUはYOUのままあそこにいる。見方によってはあれを自然な演技というのだろうか?しかし、私はYOUを見ていて「キムタクは何をやってもキムタク」と同じものを感じてしょうがなかった。

ポスターともなった柳楽優弥のこの写真は、本当にすばらしい。彼はこの映画を通じてほんとに大人になったんだろうな。この表情にはエロスがあるもの。かっこいい、とか、かわいいなんてチンケなもんで、俳優の真価はエロスにありと思っているので、この表情には子供と言えども惹きつけられる。

物語はとても哀しいストーリーで、子供たちだけで暮らしていることを周りの大人は誰も気づかない。でも、この映画はそれを社会が悪いと糾弾するのではなく、彼らの成長物語として提示している。そこには、ささやかな幸せすら漂う。子供は自分の環境を客観的に見ることなどできるはずもなく、ましてや誰かにその境遇を説明することもない。子供は与えらた場所でただ生きるだけだ。その姿がかえって我々に多くのことを訴えかける。大人の傲慢や怠惰を浮き彫りにするのだ。

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by galarina | 2006-09-11 09:21 | 映画(た行)
2005年/アメリカ 監督/ティム・バートン 
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ウンパ・ルンパのダンスシーンは最高。ビョークの歌と踊りは、観ているこちらも不幸のズンドコまで落ちちゃうのだが、ウンパ・ルンパは、もう一緒になって笑っちゃえ~って感じ。アフリカン、ソウル、ウエストコーストミュージック、ロックと全部イカしたナンバーで、ウンパ・ルンパのシーンだけ、後から何度も見て大笑い。息子も「何べん見んねん!」ってくらいウンパ・ルンパばっかり見てる。(笑)しまいにゃ、一緒に踊りだしてるよ、まったく。

悪さをする子供たちが次々と痛い目に会うシーンがあって、「子供と見るのはちょっと…」なんて意見を言う人もいるみたいだが、それはおかしい。そんな時だけ、偽善者ぶった意見を言う大人こそ、たぶんティム・バートンは許さない。ウンパ・ルンパに関しても、西欧人がアフリカの人々を奴隷にしていることを皮肉ったものらしいが、そのウンパ・ルンパがアホウな子どもたちをこれでもかとバカにするのを見ていると、スッキリ溜飲が下がる。

面白いのは、工場のオーナー「ウィリー・ウォンカ氏」の描き方が原作と映画では異なる点。原作ではウォンカ氏の過去については一切触れられず、工場にやってきた子供を「ようこそ!」と抱きしめる気さくな人物だ。ところが映画のウォンカ氏は、触られるのも嫌なほどの子供嫌い、家族という言葉も口にできないほどのトラウマを抱えている。そんなウォンカ氏がチャーリーとの出会いを通して、自分の過去のトラウマも乗り越えてしまうという大きなオマケまでついている。これは、ジョニー・デップという演技派俳優をキャスティングしたことで思いついたアイデアなのだろうか。ウォンカ氏のキャラクター作りを深めたことで、チャーリーとの友情物語という一面も持つことにも成功している。

それから美術や小道具がめちゃくちゃイカしてる。あのでっかいメガネ、ほしいなあ。近未来的工場もほんと、カッコよく見せてる。「2001年宇宙の旅」の宇宙船に似てるなあと思って見てたら、やっぱりパロディしてる場面が出てくるし、ウォンカ氏登場シーンでは、手が「シザーハンズ」になってるし。映画好きな大人こそ、本当のターゲットなのでは?と思ってしまう。

それにしてもウンパ・ルンパって荒井注に似てる。

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by galarina | 2006-07-23 00:04 | 映画(た行)
2000年/デンマーク 監督/ラース・フォン・トリアー 
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私の映画史の見事「ワースト1」に輝いた作品。これを「ワースト1」にあげる人がいるなら、おそらく「ベスト1」にあげる人もいるに違いない。それだけの完成度がある。が、しかし、完成度が高いからこそ、腹が立つ。そんな気分。この映画を絶賛する人の話を聞いてもなお、私にはもう二度と見たくないという思いしか湧いてこない。

例えば。「こんなに後味の悪い結末なら見なければ良かった」という人がいる。まさにこの映画にもあてはまる一つだ。でも、私はそうではない。後味がどんなに悪くても、見てよかったと思える映画は無数にある。人種差別のせいで無実の罪で投獄されてまう話、戦争に借り出されむざむざと死んでしまう話、児童虐待がトラウマになり犯罪者になってしまう話…etc。テーマが重ければ重いほど、見終わった後に考えさせられることは多いはずなのだ。

本作の主人公セルマはその無知ゆえに不幸のどん底まで突き落とされる。それが見ていてあまりにつらい。「馬鹿な親のせい」とか「国家のせい」という言い訳が全くできない。「自分のせい」でどんどん不幸になるのだ。それでいくら彼女の生き方が純粋だからと言っても、その姿に私は全然感動できなかった。むしろ、いつか彼女は救われるのだろうか、というほのかな期待が打ち砕かれた時に、ぶつっと一方的にコンセントを切られたような不快感に陥った。

それから、ミュージカルシーン。セルマは過酷な現実から逃れるために、つらい時に心の中でミュージカルスターになる妄想を抱く。それは妄想であるにも関わらず、これでもかと言わんばかりの完成度の高さで見せる。それが無性に腹立たしいのだ。妄想の中で輝けば輝くほど、セルマの不幸さは、ひときわ際立つ。いったい何のためにこのミュージカルシーンがあるのか、私にはわからない。

それにしてもセルマの生き様に感動できない、と語ることは、まるで自分の心の狭さをさらけ出しているような気にさえなってくる。そういう意味でもこの映画は嫌いなんである。

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by galarina | 2006-07-22 00:30 | 映画(た行)

東京タワー

2004年/日本 監督/源孝志 
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CMプランナーの夫を持ち、東京でセレクトショップを経営する女が、20歳年下の男の子と一目ぼれして恋に落ちる。まずこの設定からしてかなり上滑りである。それでも、見ようと思ったのは、少なからずもこの妄想物語が何とか年の差カップル喜びやつらさを映画的に見せてくれないか、という期待があったからだが、それはすっかり空振りに終わってしまった。だいたい「東京タワーの見える部屋でグレアム・グリーンの小説を読みながら、ラフマニノフのピアノ曲をBGMにただひたすら彼女からの電話を待っている21の男」って、そんなんいてまっか?

女が41で男が21のカップルがもしいたとして、それが3年余りも付き合っているのだとしたら、おそらくそこには性的な強い結びつきがあるからに他ならない。男にとっては、年上の女との逢瀬に同年代の女性では味わえない快楽が必ずや存在しているはずなのに、一切そんな部分は出てこないし、一方40を過ぎた女が若い男の肉体に触れることの喜びや愉悦も一切表現されていない。私は原作は未読なのでそのあたりの描写が原作にあるのかどうか分からない。しかし、これだけの年の差カップルに深い結びつきがあるとしたら、その性のあり様を描かずにはまず映画として成立しないんではないだろうか。岡田准一演じる透は、母子家庭で母の友人と恋に落ちるわけだから、母との関係性をもっと深く描いていたら、この恋にももっとリアリティが出たかもしれない。岡田准一と黒木瞳というキャスティングだから、激しいラブシーンは無理だとしても、例えばモノローグで性について語らせるという手もあったはずだ。

この映画は、2組の年の差カップルの物語が並行に描かれていて、もうひと組は寺島しのぶと松本潤のカップル。このふたりの方がはるかにリアリティがある。それは松本潤が根っからの年増女キラーで、以前つきあっていた女の子の母親とも深い関係になり、それ以来その彼女からもつきまとわれている、といったキャラクターへの肉付けがそれなりに施されているからだ。松本潤がこの映画ではいちばんいい。が、しかし、しょせんこの二人はサブーストーリーとしての存在なんであって、この二人が生々しいほど、岡田准一と黒木瞳は浮きまくる。その浮き加減を鼻で笑って楽しむ、最後はもうやけくそでそんな感じ。だって、ふたりの行き着く先は「パリ」なんですもの。

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by galarina | 2006-07-11 12:02 | 映画(た行)

大誘拐

1991年/日本 監督/岡本喜八 
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老女役の北林谷栄が豪快。関西弁で軟弱な誘拐犯の尻を叩き、警察を手玉に取る痛快な演技が全編にあふれている。この人1911年生まれ。この作品に出た時は80歳で、各賞を総ナメに。2002年に「阿弥陀堂だより」と「黄泉がえり」に出ており、この時91歳!すごい。今村昌平、市川昆、新藤兼人など昭和の名匠の作品に古くから出続けているが、当時から何だかおばあさんの役が多かったような気が…

映画のテンポも非常に良く、80歳の北林谷栄のイキのよさに引き込まれる。しかし、そのイキの良さだけではなく、かわいさとか懐の広さもあって、このおばあちゃんの言うことなら聞かなきゃね、と誘拐犯ならずとも思わせてしまうところが憎い。

そして、北林谷栄に昔使えていた女中がその真意をくみ取り、自宅をアジトとして提供し、奉公するのだが、この役が樹木希林。これがまたおもしろい。この人はどんな役でもいい味出すよなあ。果たして百億は手に入るのか…というサスペンス的展開もきっちり押さえられていて、最後までハラハラドキドキ。そして、なぜ老女が「百億」という金額を設定したのか、というオチもしっかり用意されている。そしてそこには、ずっと反戦を訴えてきた喜八監督のメッセージが込められているのだ。

現金受け渡しの場面など、今見ればサスペンスとしてはちゃちに見える部分もあるが、それはそれ。しっかり映画の世界に入り込めるから気にならない。喜八ワールドがエンターテイメントとして、最も開花した作品ではないだろうか。

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by galarina | 2006-07-10 12:02 | 映画(た行)

太陽を盗んだ男

1979年/日本 監督/長谷川和彦 

「ハチャメチャぶりが最高にカッコイイ」
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のっけから満員電車でつぶされたジュリーのアップ。皇居に行って天皇に会いたいと言うイカれたバスジャック登場、でもって、原子力発電所では、現代ではありえない超チープな銃撃シーン。どれもこれもまるで人を食ったかのような場面ばかり。思わずふきだしそうになるんだけど、映画の世界にぐいぐい引っ張られる。「そんなアホな」と突っ込んだら「ふざけんじゃねえよ。ちゃんと見ろよ!」と突っ込み返しが入る。そんな映画の勢いに圧倒される。

原爆を製造する工程の描写が秀逸。ジュリーの鬼気迫る表情、しかもボロアパートの一室がどっかの研究所みたいにどんどん改造されていく。原爆の製造が進むうちにたまらず学校でも「原爆の作り方」なんて授業をやっちゃう。完成した時にボブ・マーリーの曲に合わせて踊るシーンも最高にイカしてます。だけど、原爆ができあがった後に湧き上がる虚無感。一体それを何に使ったらいいのかわからない。「おい、お前は何がしたいんだ?」と原爆に向かって語りかける。で、結局要求するのは野球中継を最後まで放送しろ、さもないと東京に原爆を落とすぞ、だからね。いやはや、面白い。これ、原作があるらしいけど、どこまでアレンジしているんだろう?

この映画はゲリラ撮影が多かったようで、皇居のシーンもそのひとつ。ちょっと今はできないんじゃないかな。ってか、そんなことしたら公開できないんじゃない。国会議事堂のトイレも、デパートの屋上から金をばらまくのも、ゲリラ撮影。とにかくスタッフのそういう、やったろう根性が全編にみなぎってる。カースタントのシーンもそうだけど、この映画の稚拙なところってのは、数えだしたらきりがない。もし、この映画をフィギュアスケートの採点方式で評価したら、マイナス点がどんどん加算されてメダルなんて遥か遠い。でも私はこの映画にメダルをあげますね。だって、「俺たち、絶対金メダルだよなっ」なんて威勢のいい声がほんと聞こえてきそうなんだもん。

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by galarina | 2006-07-09 14:55 | 映画(た行)

ダ・ヴィンチ・コード

<TOHOシネマズ二条にて>
2006年/アメリカ 監督/ロン・ハワード
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カンヌの評価は正しい。これはキリスト教批判だからブーイングが起きたのでは全くない。この映画は、映画を映画たらしめているものが、明らかに欠如しているからだ。あまりにも不満が多くて、どこから話していいかわからないほどである。

まず、ダ・ヴィンチ・コードの面白さは、何と言っても「暗号を解くスリル」に満ち溢れている点である。その暗号を解読するために数学的、宗教的知識が総動員されるため、そう言った知識の少ない人には、よくわからないのかと言えば、否である。そこには、「暗号が解けた!」という解放感、喜びがしっかりある。ところが、映画ではその暗号解読のスリルが全くない。これはどう考えてもおかしい。よくまあ、この大事な軸をほっぽらかした状態で公開したものだな、と違う意味で感心してしまう。どのシーンか、なんてピックアップできない。暗号が出てくる全てのシーンが、いともあっさり解読できるのである。

例えば、しょっぱなルーブル館長が殺害されたシーン。死体の周りに書かれたダイイングメッセージを見て、ラングドン教授が「これはフィナボッチ数列だな。」と言っていくつかソフィーとやり取りした後、文章から本当のメッセージが浮き上がってくる映像処理。まるで、ラングドン教授がひらめきでわかったかのように。どうフィナボッチ数列を使って解読したのか、全く何の説明もされない。これじゃあ、観客は何もわからない。一事が万事この通り。

また、登場人物の描き方が非常に薄っぺらい。だから、誰にも感情移入できない。これは映画として致命的。ダ・ヴィンチ・コードの物語自体が非常に複雑だから、という言い訳は通用しない。ラングドンは図らずも事件に巻き込まれるが、歴史の一大事件の只中にいる緊張感や学者として謎を解くことの快楽があるはずなのに、ほとんど表現されていない。そしてソフィーは、絶縁状態だった祖父が殺された苦悩、そしてその原因が何より自分を守ることであったという驚きがあるはずなのに、これまた非常に淡々としている。ラングドン教授もソフィーもマシーンのように次から次へと暗号を探しては解読するだけ。この2人以外の登場人物についても然り。殺人者シラスも、もっと人物造形をしっかりすれば面白くなったし、アリンガローサに至っては、本を読んでない人なんかは、結局このオジサンは何?と思うだろう。

「暗号を解くこと=キリスト教の根本を覆す歴史的事実の発見」であるため、どうしてもキリスト教の様々な歴史や薀蓄について、時間を割かねばならないのはわかる。それをしっかり理解しておかないと、何がすごい発見で世紀の大事件なのか実感できないし、そもそもストーリーを追えないから。それはわかるとしても、この出来栄えはあんまりだ。基本的に逃亡劇であるため、本来ならば「追う人間=その事実を隠蔽したいカトリック教会」をもっと徹底的に「悪」として描けば面白くなるものを、そこも非常に甘い。おそらく、それはできなかったんだろう。そもそもバチカンやカトリックが悪である、という設定そのものがすでに物議を醸しているから、それ以上の表現はできなかったのかも知れない。でも、それでは逃亡劇としての映画的スリルは、ほとんど味わえない。

ダ・ヴィンチ・コードを読了したほとんどの人は、「これは映画になるな」と思ったはずである。それくらい、読みながら映像が浮かんでくるし、事実作者も最初から映像化を考えていたと言う。しかし、出来上がりの何とおそまつなこと。返す返すも残念である。映画館を出た後、つまらないという言葉よりも「もったいない」と何度つぶやいたことか。この映画のタイトルは「ダ・ヴィンチ・コード」ではない。きっと私は、「ミステリーハンター、ラングドン教授の不思議発見!」を見たんだ、きっと。うん、そうに違いない。。

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by galarina | 2006-07-08 17:23 | 映画(た行)

時計じかけのオレンジ

1971年/イギリス 監督/スタンリー・キューブリック 
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まあ、この作品を最初に見た時の衝撃はすごかった。この衝撃に匹敵するのは、小学生の時にラジオでYMOの「テクノポリス」を聞いた時かな。私の人生、2大ショッキング事件のひとつです、この映画は。

「2001年」同様に、美術とファッションが素晴らしい。今でこそミッドセンチュリーなんて言って60年代頃のインテリアをもてはやしてるけど、そんな上っ面だけを借りてきたしょうもないインテリアショップに行くくらいなら、断然この映画を見た方がいい。本当はこのシーンのこの椅子がかっこいいとか、壁紙がこんな風でイカしてるとか、全部書きたいところだけど、それを書き出すときりがない。

また、そういった洗練さを果たして手放しで賞賛してよいのか、というほど物語がショッキング。真っ当に考えれば、いかなる悪人であろうと国家が個人を統制することはいけない、またはできないということなのだと思うけど、アレックスが持つ残忍性に対して我々がほんの少しでも共感しやしないか、という恐ろしい現実をキューブリックは突きつけているような気がする。

目玉をカフスボタンにあしらったシャツに山高帽。「雨に唄えば」を歌いながら暴力を奮いレイプする。仕事(強盗)が終わって部屋に帰ればベートーベンの第9をヘッドフォンで聴き、恍惚に浸る。悪の権化とも言えるアレックスをこのようにセンス溢れる映像と音楽で描写しきってしまうキューブリックという人こそ恐ろしい。「問題作」という言葉は、まさにこの映画のためにあるんじゃないのかな。

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by galarina | 2006-07-08 00:15 | 映画(た行)