「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(た行)( 49 )

誰がために

2005年/日本 監督/日向寺太郎

「風景がこんなにも雄弁だなんて」

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とても、とても、良かった。愛する人を少年に殺された男の物語、と聞いて、やりきれなさが前面に出た作品かと、手を引っ込めてしまう人もいるかも知れない。現に私もそう思って二の足を踏んでいた。でも、そうではなかった。今、何とも言い難い余韻に浸っている。

少年犯罪がテーマであると聞いた時に、誰もがその矛盾を糾弾したり、被害者家族の苦しみがスクリーンいっぱいに広がる作品だと予測するだろう。しかし、この作品にそのようなものはない。確かに矛盾も苦しみも少なからず表現されているが、それらの感情を埋めるかのように次々と目の前に現れるのは、とめどない「風景」なのだ。下町の商店街、路面電車、風見鶏を始めとする、文字通り「映像の風景」。そして、亜弥子が写す写真から読み取ることのできる登場人物の「心象風景」。

本作、この「写真」の物語への取り込み方が実にうまい。写真は、ストップモーションの世界。映像表現とは異なる次元のものだが、戦場カメラマンであった民郎が撮ったパレスチナの写真、写真館で撮影される記念写真、亜弥子が撮った風の写真が見事に映像と絡み合い、物語を彩っている。こうしてたくさんの風景が目の前を流れてゆく。そして、それらの風景が喜び、つらさ、悲しみ、憤りという人々の心模様を代弁している。「心を風景で伝える」。作品全体の穏やかなトーンとは反して、これは実に挑戦的な試みではないだろうか。

また、「風景」に重きを置いた作品と言うと、何だか退屈そうにも聞こえるが、全くそんなことはない。何より風景の映像そのものが大きな力を持っているのだ。また物語は、少年犯罪と被害者の家族という誰もが感情移入しやすいテーマであり、結局民郎は少年に復讐するのだろうか、という観客の興味はしっかりと最後まで引きつけられている。それに、日常生活の喜び、小さな幸福感がきちんと描かれている。特に民郎と亜弥子が徐々に心を通わせるようになるシーンはとても素敵で、彼女は死んでしまうんだということがわかっているから余計なのか、とても儚く美しい映像に見える。

そして、行く末を観客に委ねるラストシーンのすばらしさ。やり切れなさに包まれた民郎はあの後果たしてどうしたのだろうか。私は「あそこ」に入っていったと思いたい。様々な感情が渦巻くラストシーンだ。

さて、浅野忠信の演技を物足りなく思われる方がいるのもわかる。しかしそれは、愛する人を失ったのだから、狂わんばかりに泣いたり、怒りで自分を失いそうな演技を「して欲しい」という観客の勝手なお願いではなかろうか。日向時監督は、このあまりにも不条理な事件に巻き込まれた人々の心情をそのままストレートな演技表現で伝えようとはしていない。もし、そうしたいのなら、主演俳優は間違いなく違う人物を起用しただろうし、脚本に「民郎、そこで泣き崩れる」とたった一行のト書きを書けばいいことなのだ。どうか、目の前を流れる豊かな風景から多くの感情を読み取って欲しい。

最後にこの作品、音楽がとてもすばらしい。誰かと思ったら、矢野顕子でした。そうと知っていたらもっと早く観たのに!と激しく後悔。アッコちゃんは、これまであまり映画音楽を手がけてないと思う。おそらくそれは、元夫・坂本龍一がたくさんの映画音楽を手がけていて、何かと引き合いに出されるのを嫌ったからではないか(アーティストのプライドとして)、と個人的には思っている。坂本龍一のキャッチーでメロディアスな旋律が時に映画音楽としては主張が強く感じられるのに対し、アッコちゃんのピアノは、全ての風景に寄り添うように奏でられている。それが、この作品の表現スタイルと見事に合っている。作品と音楽との関係性がここまで完璧なものは久しぶりだと感じたぐらい良かった。
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by galarina | 2007-10-26 23:25 | 映画(た行)

ディパーテッド

2006年/アメリカ 監督/マーティン・スコセッシ

「愛だろっ、愛」
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オリジナルが好きな人間としての感想なのですが。

いわゆる普通の「警察VSマフィア」ものという仕上がり。それ以上でもなく、それ以下でもない、という感じ。リメイクと比べて、という話題で終始しても、この「ディパーテッド」という作品単体に関するレビューとはならないことはわかっています。しかしながら、それ以外に語ることがないのです。残念ながら。

作り手の「物語への愛」と言ったら何だか大げさだが、私にはそれが感じられなかった。いくらリメイクと言えども本作の見どころは、男の哀愁だったはず。己の素性を隠して、自分を、そして愛する人を偽ってでも生きねばならない二人の男の孤独。それは、マフィアから警察へ、警察からマフィアへというまさしく対称的な二人の生き方によってあぶり出されてくるものだった。

しかし、「ディパーテッド」では、ビリーとコリンの孤独や焦燥を伝えたい、という意思が見受けられない。つまり、ふたりの境遇の切なさに身を切られるような痛みを感じなければ、いずれ正体がバレるのではないかというハラハラ感も感じない。それが、作り手の「物語への愛」を感じないと思う理由。

もちろん、元の物語を知っているからでは?と考えられるが、これだけリメイクブームで種々の作品を見ていると、一概に知っているから楽しめない、ということでもないのだとわかってきた。孤独な男の焦燥感は、唯一ディカプリオの演技によってのみ伝わってくる。彼の演技を見ていると、もしかして監督よりもこの作品のコンセプトをきちんと理解していたのではないか、という気すらする。つまり、それほど演出及び脚本面で男の哀愁を描こうという意図はほとんど感じられなかったということ。

オリジナルをご覧になっていない方は、ジャック・ニコルソンの演技に目を奪われたことでしょう。さすがに貫禄の演技。が、しかし。二人の孤独を浮き彫りにする、という第一目標があるのなら、彼の存在感は邪魔者でしかない。あんまり彼が目立つもんだから、違った意味でだんだん腹が立ってきました(笑)。

「おのれを殺す」というテーマに惹かれるのは、やはりアジア人らしい感性なのかも知れない。そして、シリーズを貫く「無間道」というテーマ。これは、仏教観に基づいているでしょ。それを舞台をアメリカに変えて描こうというのだから、ハナから無理があったのかも。警察とマフィアの話だろ?と、ほいほいリメイクしてしまった、そんなお気軽感が感じられて、これまた物語への愛が感じられないのだ。
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by galarina | 2007-10-14 23:55 | 映画(た行)

題名のない子守歌

2007年/イタリア 監督/ジュゼッペ・トルナトーレ
<京都シネマにて鑑賞>

「子を持つ全ての母親に捧げる」
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「ニューシネマ・パラダイス」のほろりと泣かせるイメージがどうしても強いジュゼッペ・トルナトーレですが、本作はサスペンスタッチのかなり硬派な作品。セックスシーンの女性をいたぶるような描写もかなり強烈です。実は前作「マレーナ」でも、そういうシーンはあったので、我々はあまりにも「ニューシネマ」のイメージを引っ張りすぎているのかも知れないです。

ウクライナからやってきたひとりの女性が、イタリアの街で家政婦として働き始める。彼女が何としてもその家で働きたい理由は、一家の娘の存在にあるようなのだが…

前半1時間ほどは、なぜ主人公がウクライナから逃れて来たのか、そして、その娘への異様な執着はどこにあるのかがサスペンスタッチで描かれてゆきます。時折挿入される映像で、どうやら彼女がウクライナでは売春まがいのことを強要されていたことがわかります。そしてフラッシュバックのように挿入されるシーンから彼女がただの売春婦ではないことがうかがえる。もちろん、その真相はここでは書きませんが、そのあまりにもつらい現実に全ての女性は怒りを禁じ得ないのではないでしょうか。

ところが本作、音楽があまりにもうるさい。エンニオ・モリコーネの音楽が良くないというわけではないのですけど、あまりにも全てのシーンに音楽がくっついているのがかなり余計。前半のサスペンス部分はまだ許せるとしても、後半実にシリアスなテーマになっていくくだりは、もう音楽はいらないからじっくり考えさせてくれとすら。それが、とにかく残念な点。

また、フラッシュバックの手法をかなり引っ張るんですねえ。私としてはもう少し前倒しにいろんなことを早く見せるべきだったように思う。主人公イレーナが前半取る行動は真相を知らされていないだけに、観客はなかなか感情移入できない。なるほど、それで彼女はそこまでやるのか、という理由がわかったら、後は彼女と共にスクリーンの中で生きたかった。そうしなければ、やたらとどぎつい虐待シーンばかりが脳裏に焼き付いて離れないからです。もう少し、手法にこだわらずにそのまま見せて欲しかった。

ネタバレになるので、詳しく書けないのがつらいところですが、イレーナの素性が明らかになる部分は、社会的にも実に重い問題です。今でもこんなことが堂々と行われているのだとしたら、悲しくてやりきれません。だからこそ映画として、きちんと告発し、そのいきさつをじっくりと観客に考えさせる余地を与えて欲しい。えっ、そうなの?どういうこと?と思っている間に、矢継ぎ早にエンドロールまで走っていってしまう。そういう性急さが実にもったいないのです。

さて、主人公を演じるロシアの女優クセニア・ラパポルトの体当たりの演技には拍手。ウクライナ時代の彼女と現在の彼女のギャップがあまりにも大きくて、こんなにも人は変わるものかな、と。非常に美人だし、スタイルもすばらしい。しかし、敢えてその美しさを封印して演じたところにイレーナという女性が背負ってしまったどうしようもない暗い運命を感じました。

それにしても、普通に結婚して、普通に子供を産み、普通に自分の手で我が子を育てている今の生活がいかに幸福なことなのかを痛感させられました。
全ての女性に幸福を、と願わずにはいられません。
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by galarina | 2007-10-08 23:41 | 映画(た行)

魂萌え!

2006年/日本 監督/阪本順治

「阪本順治が帰ってきた」
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前作「亡国のイージス」で「おーい、阪本監督どこへゆく~」と悲しい気分になったのを、人情劇と言う本来のフィールドで取り返してもらった。実に手堅い、そつのない作品でとっても満足。原作は既読で、物語の内容から阪本監督に合った題材なのか?と思ったけれども、よくよく考えれば「桐野夏生」×「阪本順治」。つまりハードボイルド同士の組み合わせで、合わないわけがなかったのだ。

「どついたるねん」に始まり「ビリケン」や「顔」と言った人情劇の阪本作品が私は大好きで、この「魂萌え!」でも、いつもの阪本監督らしい作風がそこかしこで見受けられる。それは、ぶっきらぼうだけど優しい目線と言えばいいのだろうか。そして、登場人物同士、お互いがあまり深入りすることはないのに、しっかりと「人と人の絆」を見せてくれる。それは同級生仲間の描き方で最も発揮されていて、オバサン4人なら「もっちゃり」した感じになるところを、実にサバサバした描写ながら仲間の絆をしみじみと感じさせてくれる。

テンポの良さと適度な間、そして時々入る笑いの要素と、実に見やすい。というか、見ていてとってもラク。それは、作品が平凡というわけではなく、1カット1カットがとても丁寧に作られていて観客が安心して見られるからではないかという気がする。「笑い」に関しては、酔っぱらった風吹ジュンがカバンの中に吐いてしまうシーンがとっても阪本監督らしいな、と思った。終盤、ふたりの女が対峙するシーンは、見応え満点。とてもクールな演出で、特に三田佳子の演技が冴えている。髪振り乱してケンカせず、目の動きと皮肉めいた口調で静かに対決する妻と愛人。去る妻の背中に男が使っていた歯ブラシを投げつける。なかなかハードボイルドです。

夫に先立たれた主婦がどんどん世の中を知って強くなるというお話だけど、主演の風吹ジュンもこの作品でひと皮剥けたんではないかな?頼りなくてふんわりしたイメージの彼女で阪本作品に染まるかしら?と思ったけど、だんだん佇まいがきりっとしてくるし、笑いのシーンも開き直ってやってるし。いや、実に隙のない作品で、阪本ファンとしてはホッとひと安心したのでした。

さて。登場した瞬間、低音ボイスとびっくりするようなスタイルの良さですぐにわかる豊川悦司ですが(笑)。あの~カプセルホテルの管理人のダサい服装なのに、その足の長さはなんでしょう?と見とれてしまいました。出演シーンは少ないけど、ラストの嗚咽はちょっともらい泣きしそうになっちゃいました。しかし、贅沢な使い方だな~(笑)。
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by galarina | 2007-09-23 23:05 | 映画(た行)

時をかける少女

2006年/日本 監督/細田守

「スカート丈と私」
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映画を見て何かを感じるというのは、鏡に映った自分を見て何かを感じることと同じかも知れないと切に思う今日この頃です。映画を見ていて何かに「ひっかかった」時は、自分の中の何が反応したかを探る。それは意外と楽しい作業です。

日頃あまりアニメを見ない私ですが、この「時をかける少女」という作品は、みなさんの評価も高くちょっと期待混じりに手に取ってしまいました。ところが、始まるやいなや私は主人公真琴のスカート丈のあまりの短さに驚きました。そして、スラリと伸びたあまりにも長い生足。もちろん、この出で立ちだからこそ、真琴が走るシーンが生きてくるのだろうと思います。またこれくらいの描写は今のアニメにおいてはスタンダードなのかも知れません。しかし、結局この「スタート丈の短さ」が与える不安感を最後までぬぐい去ることはできませんでした。

そして、もう一つ私の心を乱すのは、真琴の泣き顔です。だんだん顔がくしゃくしゃになって、うわ~んとボロボロ涙をこぼす様子は「となりのトトロ」に出てくる小さい女の子の泣き顔にだぶりました。真琴が走り、跳び、泣き、笑い、その若さの全てが弾けんばかりに描写されればされるほど、私の気持ちは滅入る一方なのです。

おそらく思春期の女の子が無防備であることに私はいらだちを感じるのです。また同時に作り手のロリータ趣味を感じ取ってしまう。決して誤解して欲しくないのは、この作品を作った人やこの作品をいいという人がロリータ趣味だなどと言っているわけではありません。なぜ私のアンテナはそうキャッチしてしまうのか。全く人間の感受性とは不思議です。

これまでその感情の源は、母親が子を守るような本能から来ているのではないかと思っていたのです。「少女的」なるものが商業的な価値を持つことへの嫌悪。しかし、事ここに至って、もしかしたらこれは若さへの嫉妬なのだろうか、という考えが頭をもたげてきました。たぶんその答は今すぐ出るものでもありません。だから、私はもっと映画を見ようと思います。
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by galarina | 2007-07-21 22:30 | 映画(た行)

トーク・トゥ・ハー

2002年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドヴァル

「キワモノを美に昇華させたアルモドバルの力量」
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これは、アルモドバル作品で一番好きかも知れない。彼独特の美意識と倒錯の世界がてんこ盛りで。ビナ・バウシュのダンスシーンやカエターノ・ヴェローゾのライブシーンなど物語を彩る芸術もすばらしいし。特に私は恋人の死を嘆く、カエターノの繊細で壊れてしまいそうな優しい歌声にノックアウト。劇中のライブでこれほどステキなシーンってそうそうない。

それから、色鮮やかな映像。アルモドバル監督は、元々色遣いがすごく上手だけど、やっぱりスペインという国そのものが持っている色彩感覚があるからこそできる技なんだろうなと思う。元々スペインの街並みや建物に深みのある黄色と赤がふんだんに取り込まれているのよね。例えば、病院の廊下でマルコがぼんやりと座っているというシーンでも、壁の色が黄色でソファが赤茶。壁とソファの境界線をスクリーンのセンターに持ってきてマルコを左側に座らせる。そのトリミングの仕方がとても上手で色のバランスが絶妙。

闘牛士の衣装もキレイだし、寝たきりのアリシアが身に付けるバレエの衣装のようなシルクのスリップもキレイ。もちろん、アリシアの裸身も。特に豊かな乳房をとらえるショットは、女の私でも息を呑んじゃう。とにかく美しいものが次から次へと現れる。その「美しいもの」たちと共に映し出されるからこそ、ベニグノの愛が純愛に見える。もちろん、ベニグノの行為に嫌悪を持つ人もいるだろうけど、結局この作品はそれを論じたり判断するために作っているのではないんだと思う。

タイトルにもあるように「語りかけること」。相手が何の反応も示さず、聞いてくれているのかもわからない。それでも静かに語り続けることの意味深さを伝えているんだと思う。ビナ・バウシュの前衛舞踏も観客の心に語りかけるようなダンスだったし、リディアに語りかけることのできないマルコは結局彼女と別れた。また、アリシアがマルコに声をかけることで何かが生まれる予感が。そして、マルコは「語ることは簡単さ」としめくくる。

囁くように優しく語りかけること、ひそやかに誰かの心をノックすることで生まれる様々な心模様をアルモドバルらしい映像美で見せる。美しさ、作品の深み、先を知りたくなる展開。全てが秀逸。本来キワモノと見なされるアルモドバルの作風がしっかり「美」に昇華されているのがすばらしいと思う。
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by galarina | 2007-07-05 22:59 | 映画(た行)

手紙

2006年/日本 監督/生野慈朗

「手紙の力」
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私は「毎日新聞の日曜版」で原作を読んでいた。東野圭吾だからてっきりミステリーだと思ったのにそうではないこと、週に一度の掲載であるため物語のスピードが遅々としていることから、あまりノレない作品であったというのが当時の印象。ところが、映画作品として一気に見ると、タイトルである「手紙」の持つ意味がしっかりとクローズアップされていて、なかなか見応えがありました。

犯罪者の家族、被害者、そして社会の有り様を考えさせる映画ながら、私が最も感じたのは「手紙」が持つ力です。本作における「手紙」のメインは兄と弟が交わすもの。しかし、それではない2つの手紙が物語を実にドラマチックに仕上げていた。一つは、由美子が会長に宛てた手紙。そして、もう一つは剛志が被害者の息子に宛てた手紙。この2つの手紙が、淡々とした物語をぐんと突き動かす。「手紙」という現代においては実にアナログな代物がどれほどの力を持っているかということを我々に見せつけるのです。

兄弟間ではない「手紙」の紹介者、杉浦直樹と吹越満が短い出演時間ながら、大きな存在感を放っています。彼らの誠実な演技がこのイレギュラーな手紙の持つ意味合いをじっくりと丹念に我々の心に染みこませる。刑務所でのラストシーンも感動的ですが、私は由美子が会長に宛てた手紙が最も心に響いた。それは当事者ではない会長が倉庫の片隅でひっそりと語るからこそ、リアリティを持って響いてくる言葉でした。

それにしても、沢尻エリカの存在感が光っている。原作の由美子は直貴を支える影のような存在であったのに対し、映画の由美子は女性としての芯の強さに加えて華やぎがある。彼女の華やぎはこの暗い物語そのものにも花を与えているし、常に日陰の存在でいようとした直貴を胸張って生きる人間に変えるための太陽そのもの。彼女の演技力の幅広さを見れば少々下手な関西弁など一向に気にならない。むしろ原作にないイメージをキャラクターに与えていることに驚く。何かにつけて比較されているが、このところワンパターン気味の長澤まさみを一気に引き離すんじゃないでしょうか。

ただ、小田和正のエンディングはいただけない。本当にいただけない。あざとすぎる。泣かせたい歌を最後に持ってくるというのは、映画の中身に自信がないことの現れではないのか。映画はエンドロールが全て終わって、ひとつの作品。若手ミュージシャンとのタイアップでもなく、既存のこの「言葉にできない」という歌をラストに持ってくるのは、作り手としてのセンスを疑う。「言葉にできない」と言葉にして歌っているこの曲自体もなんだよそれ!ってつっこんでしまうのに…。本当に台無しだったなあ。
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by galarina | 2007-06-20 23:31 | 映画(た行)

TAKESHIS'

2005年/日本 監督/北野武

「たけしのイマジネーションの豊潤さを堪能」
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もうひとりの自分だとか、入れ子構造だとか、そういうややこしいことばかり頭に残しながら見ると、この映画の面白さを味わうことは無理だと思う。先入観なく、最後まで見れば、実にわかりやすい構造だと思う。なんで、難解とか、実験的映画とか言われているのか。その方が私には不可解。

結局、「ある時点」から夢に突入して、最初の物語とは辻褄が合わなくなって来て、そこで物語全体を受け取るのを辞めてしまう人がいるみたいでね。それは実に残念なこと。私はずっとワクワクして見ましたよ。物語の辻褄なんていったんさておき、ただ身を委ねて見続ける。それは、映画を見る基本姿勢だろうと思う。それができない観客が多すぎるんでは?わかりやすい、説明過多の物語を見過ぎているから、これしきで「難解」とか言う。これじゃあ、北野武が気の毒だわい。

さて、映画に戻って。登場人物がたけしのイマジネーションの産物として夢の中で縦横無尽に遊び回っている様子は実に楽しい。冒頭寺島進を見て「あの人カッコイイわね」と言った京野ことみが夢の中では寺島進と付き合っているし、タクシー運転手にやさしいマネージャーの大杉漣は夢の中ではタクシー運転手になってる。(この関連性を見れば、どこから夢になったかは、一目瞭然なんだけどなあ)で、私のツボは岸本加世子ですね。この唐突に怒る様子が実におかしい。今度は、いつ出てくるんだろうと出没を期待しちゃった。

で、その登場人物がまた違う人物になって繋がってくるあたりが実に面白い。夢的破綻を見せつつも「夢の中の物語」はきちんとキープしている。このバランスが才能だなあとつくづく。そして、夢というのは自分の深層意識の産物ですから、この夢の中の「素人・北野武」の行動は、ビートたけしの自意識の表れとも言える。そうすると、何で死体の山をタクシーで通るんだろうとか、何で部屋で食べるのはナポリタンなんだろうとか、だんだん「夢判断」的面白さも湧いてくるんです。

そんでもって、そもそも冒頭の「素人・北野武」は実在しておらず、「有名人・ビートたけし」が見たドッペルゲンガーかもと思って、もう一度見ると、それはそれでまた楽しめたりもするんですよ。手帳に「ピエロさんへ」って書いてるでしょ。なるほどピエロね~と1人でうんうん唸ったりして。

というわけで、この夢の世界で繰り広げられる、たけし流イマジネーションの豊かさに触れ、この人にはどんどん映画を撮って欲しいなあと思うのでした。時間があれば「監督、ばんざい!」も観に行きたい。
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by galarina | 2007-05-29 19:46 | 映画(た行)
2007年/日本 監督/松岡錠司

「もっとオカンを見たかった」
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ようやく見ることができました、東京タワー。公開からかなり日にちが経っているにも関わらず、館内はほぼ満員で、かつ、実に年齢層が高いことにビックリ。中高年マーケットの間でクチコミで広まっているのかしら。

原作も読んだし、2時間ドラマも見たし、ストーリーも、泣きのポイントも重々分かっているため、やはり物語への感情移入は難しかった。それでも、この映画を見に行ったのはオダギリジョーが見たかったから。いつもクセのある役が多いオダジョーがボクをどう演じるのか見たかった。結果としては、彼ならではの個性が生きているからこそ、世間一般の泣ける映画に成り下がることはなかったと思う。この物語は「ボクが好青年ではない」というところがポイントであり、業界人っぽいファッションやロンゲ、斜に構えた感じがボクのイメージにぴったりだった。

しかし、演技では樹木希林の存在感の方が遙かに上回った。私はこの物語をオカンの物語として捉えた読者だったので樹木希林のすばらしいオカンぶりが一番印象に残った。最も好きなシーンはボクが大学を留年しそうになって電話をかけるシーン。「なんで、がんばれんかったんやろうねえ」と何度もつぶやくオカン。このセリフはいいなあ。なんで留年したの?じゃないんですよ。なぜ、がんばれなかったのか…。オカンの愛と人柄を感じるなあ。普通は「バカタレ!」となるでしょ。しかも母子家庭で東京に仕送りまでしてるんですよ、それなのにボクときたら…。あと、卒業証書ね。このあたりはめちゃめちゃじわ~んと来ました。

さて、原作の映画化においては、監督が「何を残して、何を捨てるか」というのも大きなポイントです。私はオカンが上京後、オカンの食事に誘われて友人が集まってくる様子をもっと濃密に描いて欲しかった。オカンの料理をもっと見せて欲しかった。「食べ物につられてやってくる」というエピソードは私は重要だと思ってます。ただ、これを残してこれを削れば良かった、という感想を原作ありきの作品で論じることに意味がないとは、重々分かっているのですけれど。

で、この映画は142分もあります。これは正直長いと思う。少年時代に少し時間を使いすぎた。それから、オカンの死後ね。通常「死」は、物語のクライマックスに来るもの。しかし、オカンが死んでも物語はまだ続く。これをどこでどう収集をつけるか、という点は今作品で一番頭を悩ませるところじゃないかな。私は、やや引っ張りすぎたと思う。そして、ボクの語り、これがくどい。長さも見せ方も、まだまだ削ぎ落とすことができた、と思います。

最後に脚本に関して。闘病中の現在を軸に、時間が前後するやり方は、特に後半効果的には見えなかった。少年時代が終わってからは、むしろ時間通りに進めた方がオカンの死に向けてより感情移入できたと思う。そして、樹木希林のオカンぶりをもっと堪能できる脚本にして欲しかった。これだけ尺の長い作品にも関わらず、もっとオカンの笑顔やオカンらしい言動が見たかった、という物足りなさが残る。その気持ちは、それだけ樹木希林の演技が冴えていたということの表れなのかも知れないが。リリーさんご指名の松尾スズキ氏なので、リリーさんは納得なんだろうね。



スペシャルドラマの感想
原作の感想
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by galarina | 2007-05-26 23:12 | 映画(た行)

トゥモロー・ワールド

2006年/イギリス 監督/アルフォンソ・キュアロン

「長回しのカメラワークに度肝を抜かれる」
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最初のカフェでの爆発シーン。あれがスイッチとなって、まるで自分も2027年にタイムスリップして、その場にポトンと落とされたような感覚の2時間だった。私はセオの同伴者となって、キーの赤ん坊を守るために戦い、無事に船に送り届けた。そんな充足感が体を満たしたのです。なぜ人類は子供が産まれなくなったの?ヒューマン・プロジェクトって一体何の団体なの?そのような説明は不要です。だって、まさに今私は2027年のその場にいるのですもの。

私がセオの同伴者になれたのは、臨場感あふれるカメラワークの賜。特にセオと共に戦火をくぐり抜けたあの長い長い時間はまるで息もできぬほどの高揚感だった。このシーン、リハーサルはどうしたのだろうか?あれだけの長い時間を1カットで撮影するというのは、製作スタッフの技術力と熱意がないと到底無理でしょう。

そして明暗のコントラストが効いた緑がかった映像は、近未来が示す「ハイテク」なイメージを一掃している。コンピュータの発達がもたらすハイテク設備などのメタリックな描写は、目の前の出来事を「他人事」のように感じさせてしまう欠点がある。しかし本作では、隔離された移民たちの泣き叫ぶ様子や収容所の無秩序な描写が繰り返され、キーのお腹に芽生えた命の「神性」がクローズアップされる。ラスト、静かな戦場に響く赤ん坊の泣き声がなんと厳かに聞こえたことか。

管理社会になっている、ロボットに支配されている、宇宙に住んでいる…etc。どんな未来予測よりも「子供が産まれない」というのは絶望的であり、かつ生々しい。そして、本作で私が何より評価したいのは、子供が産まれることの神秘性を宗教の手を借りずに見せきったこと。赤ん坊を抱えたキーが兵士の間を通り抜けるシーンは背筋がぞくぞくした。

それにしても、アレハンドロといいメキシコ出身の監督は、濃淡を効かせた映像づくりが実にうまい。かの地の照りつける暑い日差しと何か関係でもあるのだろうか。それとも彼らにくすぶる熱情のせいか。ジョン・レノンを思わせる平和主義者のマイケル・ケインやジュリアン・ムーアも好演。ビートルズやキング・クリムゾンなどを思わせるブリティッシュロックテイスト満載の音楽もカッコイイ。映像、音楽、語り口全てにおいてぴしっと世界観ができあがってるのがすばらしい。
映画館に見に行きたかったなあ!
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by galarina | 2007-05-14 00:19 | 映画(た行)