「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(さ行)( 86 )

2006年/日本 監督/矢崎仁司

「愛しい彼女たち」

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4人の女優、全員すばらしい演技を見せてくれるが、特に中村優子と岩瀬塔子、この2人の存在感が秀逸。原作者である魚喃キリコ氏(岩瀬塔子)がこれほどまでに、良い女優だとは知らなかった。彼女の嘔吐シーンは、身を切られるほどつらかった。漫画は何作か読んでいるが、ぜひ女優業も続けて欲しいと思わせるほど、輝いていた。

あまりにも振り幅が狭い4人の女たち。これほど選択肢の広がった現代において、なぜそんな生き方しかできないのか、と見ていてつらくなる。男や神様(拾った石)が生きていく拠り所である、ということ。情けないし、ナンセンス。でも、そんな彼女たちを馬鹿にすることなど到底できない。もはや自分の足で立つ意思をもがれた女たちは、自分ではどうしようもないその孤独を「誰か」によって埋めてもらいたいと願い続けることしかできないからだ。その姿に、「いつかあの時の自分」を重ねられずにはいられない。

あの時の自分をとうに過ぎた今の私なら、黙って彼女たちを抱きしめてあげられる。だから、たどたどしい日本語で語られる「あなたのお母さんは元気ですか?」というひと言に、みるみるちひろの表情が変わりゆくシークエンスが切なくてたまらない。ここは、淡々と続く作品全体に明るい光が差してくるような、冷たい氷が溶け出すような、そんな心地よい変化の兆しを見せるすばらしいシーンだと思う。みんな、おっきくて、あったかいものに抱きしめてもらいたいんだよ。

この作品を「女性向け映画」とくくってしまうのは、とても惜しい。確かに20代の女性特有の頼りなさや切なさ満載で、同年代の女性なら響くものは大きいだろう。しかし、現代女性が抱える孤独は、決して彼女たちだけのものではない。彼女たちを受け止められない、持てあましている男性の存在も表裏の関係として(作中には描かれなくとも)厳然と存在しているのだから。トイレでパンティをおろしたまま拾った石に見入る、それはいらないシーンだろうか。誕生日にどうでもいい男と寝て顔に精液をぶちまけられる、それは話題作りのシーンだろうか。そんなはずはない。それらのリアルな描写の向こうに見える切なさやつらさがぐいぐいと私の中に流れ込んできて、彼女たちが愛しくてたまらなくなった。
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by galarina | 2008-02-27 22:07 | 映画(さ行)

ジギー・スターダスト

1973年/イギリス映画 監督/D・A・ペネベイカー

「ここに宇宙人がいます」

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「プレステージ」のボウイがあまりにステキだったもので、久しぶりに昔の彼を見てみたくなり観賞。ロックの殿堂と言われるロンドンのハマースミス・オデオンが会場ですが、ここ、YMOオタクの私としては、彼らの2度目のワールドツアー会場でもあり感慨深いものがあります。

私がボウイを知った時、既に彼は「ロックスター」ではなく「ポップスター」でした。ナイル・ロジャースがプロデュースした「レッツ・ダンス」が大ヒットし、日本でも行われたのが「シリアスムーンライト・ツアー」。当時16歳だった私もこのコンサートを観に行きましたが、あまりに妖艶で完璧にノックアウトされました。確か「チャイナ・ガール」の中盤のインスト部分でくるっと観客に背中を見せ、両腕で自分の体を抱きしめ、正面から見るとまるで女と抱き合っているかのように腰をくねらせ踊る。そのセクシーな後ろ姿は、今でもありありと思い出せます。

生のボウイを見て、いよいよこの人はただ者ではないと悟り、グラムロック時代まで彼を遡っていくことに。この作品のボウイは、そのロックスターを極めた最高潮の時のライブです。ひと目見て思いますよ。この人は人間じゃないって(笑)。まさに、宇宙人がここにいますって、感じ。「プレステージ」のボウイを見て、宇宙人みたいって思ったのは、この感覚が綿綿と私の中に残ってるからだなあ、と再確認。

奇抜な衣装も見どころの一つ。山本寛斎も衣装を提供していると聞いたことがありますが、んまあ、こんな衣装一体誰が着るの!ってなくらい、キテレツもキテレツ。トップはパフスリーブの真っ白なブラウス、なのにボトムはまるでふんどし!で、素足に真っ白な膝丈のロンドンブーツですからね。ぶっとびまくりです。宇宙人が歌う「スペース・オディティ」は、観る者を遙か宇宙の彼方へ誘います。まるで、ドラッグにやられたように、虚ろな目の女の子たち。そりゃ、そうでしょう。今まさに観客たちは、さながら宇宙空間を漂っているような感覚にどっぷり浸っているんですもの。日本にも、ビジュアル系バンドなんてものがありますが、やはり足下にも及びませんね。本当のスターとは、こういう人のことです。
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by galarina | 2008-02-19 22:09 | 映画(さ行)

女王蜂

1978年/日本 監督/市川崑

「全てを物語る岸恵子の目」

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さて、初期の市川+石川版は「犬神家の一族」「悪魔の手毬歌」「獄門島」で三部作的な印象が強いため、この「女王蜂」という作品の評価は一般的に低いような気がします。もともとこの作品が期待薄だったのは、当時資生堂CMとタイアップしていたこと(加藤武は「口紅にミステリーか~」とわざわざキャッチコピーを言わせられてた)と、紅葉まぶしい京都の野点のシーンが豪華女優陣大集合ってな感じで宣伝によく使われていたことが原因だと思います。資生堂&京都の艶やかなお茶会は、いつものどろどろ怨念うずまく横溝世界とは、ちょっとイメージ違いすぎますから。

でも改めて見直すと、とても面白くて、前3作に負けない出来映えに驚きました。ちょっとこの作品を過小評価していたな、と深く反省。

まず、オープニングのスピーディな展開が観る者を一気に引き込みます。昭和7年のひとりの女とふたりの学生の出会い。そして3ヶ月後の惨劇。そして、その惨劇の謎を残したまま、昭和27年のテロップが流れたらいきなり時計塔の惨殺死体。のっけから過去と現在の殺人事件が立て続けに起きて、ドキドキします。その後も前作までの犯人役の女優が次々と登場し、サスペンスとしても十分楽しめる。ここで悲劇のヒロイン、中井貴恵の演技力がもう少しあったならと思うのですが…

と、前置きが長くなりましたが、何と言っても素晴らしいのは、岸恵子の「目の演技」。彼女の目の演技が、中井貴恵のつたなさや、資生堂とのタイアップやら興ざめする部分を帳消しにしてくれます。男を誘う妖しい目、男を疑う哀しい目、報われない愛を知る寂しい目。見つめたり、下から見上げたり、驚いたりとまあ、実に様々な美しい目の表情を見せてくれます。これは演技が上手いという範疇のものではない気がするなぁ。かといって天性のもの、というのでもない。彼女が人生において築いてきたものが全て目に出ている、としか言いようがありません。

彼女の目が語り続けるからこそ、最後の悲しい決断が共感を誘う。彼女に思いを馳せて金田一が汽車で編み物をするラストシーンが余韻を放つ。さすが市川崑監督。岸恵子と言う女優を知り尽くしていると痛感しました。

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市川崑監督がお亡くなりになりました。
もう金田一シリーズが見られなくなるなんて、本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
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by galarina | 2008-02-18 22:03 | 映画(さ行)
2005年/アメリカ 監督/シドニー・ポラック

「ドキュメンタリーはファンや友人が撮らない方がいい」

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フランク・O・ゲイリー。日本では神戸のフィッシュダンス・ホールが有名ですが、やはり何と言ってもスペインのビルバオに建てられたグッゲンハイム美術館が最も旬でしょう。この建築ができたおかげで、もし私が次回スペインに行くのなら絶対に訪れてみたい場所となりました。映画の中でも、このグッゲンハイム美術館の圧倒的な存在感は格別。建築は詳しくないと言うシドニー・ポラックですが、フランク・O・ゲイリーお得意の金属壁面に映り込む樹木や人々の陰影が美しく撮影されています。

でも、建築物こそ主役だと思ってみれば、カタログ的に主な作品を見られてそれなりに満足できるでしょうが、私は少し物足りなさを感じました。それは、何よりシドニー・ポラックが、フランクの友人であるからではないかと思います。やはり、人物ドキュメンタリー作品というのは、迫るべき人に対して、客観的なスタンスでないと面白くならない。もっと引いた目で描かないと。あまりに個性的な彼の作品を否定的に捉える批評家もいるのですが、そこんところ突っ込みが甘いな、と思いました。それは、友人だから突っ込めないのでしょうし、建築に詳しくないから突っ込めない。

事務所の様子が克明に映されているのは、なかなか興味深いものがあります。これだけのでかいプロジェクトを手がける巨匠の設計事務所とは、どのようなスペースで、どのように仕事が進められているのか、建築に興味のある人ならばその雰囲気を十分味わえます。しかし、一方その内実を知ると、確かに初期デザインは彼の発想であってもその後のプロセスは、ある意味流れ作業。事務所のスタッフが専門的に各工程を請け負う。もちろん、それは頭では分かっているのですが、やはり観る側はクリエイターがモノを作り出す苦しみや喜びを見たいと期待してしまいます。「才能は病気だ。治ることのない不治の病だ」と語り合う場面が実に印象的。どうせなら、友人と言うスタンスを存分に活かして、この手の話をもっともっと引き出しても良かった。どの視点でフランク・O・ゲイリーを捉えるのか、中途半端になってしまったのが残念です。
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by galarina | 2008-02-17 23:29 | 映画(さ行)

71フラグメンツ

1994年/オーストリア 監督/ミヒャエル・ハネケ

「世界一周する71フラグメンツ」
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<感情の氷河期三部作 完結編>
「コード・アンノウン」を観て何だかよくわからなかったと言う方は、この作品が良い肩慣らしになるのではないでしょうか。とにかく、ハネケの構築する力にただ驚くばかりです。天才ですね。才能ではなく、天才。私は彼のあまりにも冷徹な客観性とピースを積み上げて壮大な理論を作り出す様から、天文学者のようなイメージを持っています。

本作を観て我が家にあるおもちゃを思い浮かべました。これは、建築をやっている夫が気に入り息子にプレゼントしたもので、「STUDY ROOM」という教育玩具を販売するショップで買った物です。(化石や恐竜の模型なども置いてある店で息子は大好きでしたが、なぜか最近クローズしてしまいました)そのおもちゃの材料は、直径1センチほどの白いゴム製のリングと長さ10センチほどの竹ひごだけ。リングには6箇所の穴が空いてあり、そこに竹ひごを突き刺します。そうして、3つのリングと3本の竹ひごで、基本形となる正三角形を作ります。で、どんどん正三角形を繋げていくと、最終的には大きな球体ができあがるのです。

球体の表側の白いリングと裏側の白いリングは、場所こそ遠くに離れていますが、何本かの竹ひごをルートにしっかりと繋がっています。しかも、そのルートは1方向だけではなく、何方向も存在している。球体なのですから、どんなルートを通ろうと、必ず目的の白いリングが目指せます。しかも、それぞれのリングは各ルートで中継地点としての役割も担っているのです。ここで、ハネケの示す断片は白いリング。観客が断片同士を何とか繋げようと試みるのが、竹ひごを刺していくという作業。そして、最終的にできあがる球体は、地球だと考えてみると、何だか楽しくありませんか。

さて、この初期三部作では、全てラジオニュース及びテレビニュースがとめどなく流されています。それらは文字通り、世界の出来事と「個」の距離感を示し続けているのでしょう。この物語は最終的に登場する人物たちが偶発的に銀行強盗事件に遭遇してしまいます。それは、単純に言えば世界は繋がっているということなのでしょうが、ハネケが示す断片は、さらに別の繋がりを示唆し続けているので、我々のイマジネーションもぐんぐん広がらざるを得ないのです。不法滞在で逮捕される貧しい子供が万引きをするのはディズニーの絵本です。カメラは意図的にドナルド・ダッグの表紙を映していますので、これはアメリカを中心とする消費社会を示しているのでしょう。アメリカを意識しているのは、そこかしこで見受けられ、強盗事件が起きた後のニュースがマイケル・ジャクソンの児童虐待の報道であることからも明らかです。日本の寿司を食べてみたらどんな味だったか、なんてニュースも流れてきます。

このように、銀行強盗事件へと集結するという基本路線はあるものの、断片が内包しているものは別のルートからまた違う断片を我々に想像させ、その作業は観客の意思次第で無限に行うことができると言っても過言ではありません。これはもう、いつまでもしゃぶり続けることのできるキャンディのようなものです。しかも、中にはピンポンのレシーブ練習を延々と続けているというどこに繋げていいか分からない断片すら紛れ込んでいます。だから、観客は最終的に、球体を作れなくてもいいんです。おそらく、それはハネケの頭の中にしかないのでしょうから。でも、どこかで竹ひごを繋げるという作業の面白さが分かったら、きっとあなたもハネケ作品の虜です。観れば観るほど、竹ひごを繋げるのも上手になってくるはずです。
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by galarina | 2008-02-06 23:54 | 映画(さ行)

ゾディアック

2006年/アメリカ 監督/デビッド・フィンチャー

「力強いビートに身をまかせる157分」
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当初尺の長さに躊躇していたのだけど、その長さを全く感じさせない素晴らしい作品。ゾディアック事件を取り巻く人物達の焦燥と混乱を描いていますが、それだけで観客をぐいぐい引っ張るというのはとても難しいこと。というのも、この手の映画は、どうしても「犯人は誰か」に注目してしまうものだから。しかも、最初の事件が起きてから、ラストに至るまで非常に長い年月が流れている。なのに、ダラダラとした感じが全くしない。

例えば、いきなり「4年後…」なんてテロップが流れても緊張感が途絶えないのです。普通なら、「えっ、4年もすっ飛ばしちゃうワケ?」なんて、しらけた気持ちが起きるはず。でもね、それがないの。この作品には、ビートの刻みを聞いているような心地よさがあるんです。例えば、太鼓やドラムなどのお腹にずっしり来るパーカッションの音楽ってあるでしょう?ずっと一定のビートで力強くて、鮮やかで、いつまで聴いていても飽きない音楽。暗号をグレイスミスが解読するシーンなど「解けた!」という飛び抜けた演出もされていないし、ゾディアックが標的に忍び寄る様、特に赤ん坊を連れた女性に近づくシーンなども、じわりじわりと恐怖が忍び寄ってくる。その一定のリズム感が実に心地よくて。

ジェイク・ギレンホール、マーク・ラファロ、ロバート・ダウニー・Jr。三者三様、それぞれの人生が狂い始める様を見事に演じています。ある意味、この3人の役どころに誰か大物スターが入り込んでいたら、非常にバランスが悪くなったでしょう。ゾディアックというシンボルを中心にして、すばらしいトライアングルを形成しています。それぞれの運命の歯車は決して良い方向には回らない。図らずして悲劇のレールに乗ってしまったことを、中盤辺りですでに観客は予期し始めます。それでも、我々は固唾を呑んでその行く末を見守らねばならない、そんな使命感すら感じさせられました。犯人が捕まろうが死のうが、そんなことは途中でどうでもよくなり、ラストまで緊張感と共にゾディアックに翻弄される3人の男達の生き様を食い入るように眺めてしまったのです。
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by galarina | 2008-01-23 22:19 | 映画(さ行)
2007年/アメリカ 監督/ティム・バートン
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「悪夢を描けば天下一品のティム・バートン」

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(ラストシーンについて触れています)
さすがティム・バートンの映像美でした。使用する色のバリエーションを極力抑えています。例えば、黄色やオレンジといった暖色系の色遣いはほとんど出てこない、それによって、真っ赤な血の色を際だたせています。そして、ベースにあるグレーや深緑、暗いブルーなどの色合いは、錆びた鉄を思わせるようなざらつき感を伴っています。

そして、血の色よりも、むしろ人物の青白い顔の浮かび上がりようが、気味悪い。この異様なまでの顔の白さ、まるでパペットのよう。これは監督お得意のストップモーション・アニメを本物の人間で実現させた作品ではないかしら。色遣いが「コープス・ブライド」にそっくりですもの。ミュージカル仕立てで、現実離れした異世界として作品を描けたことも、人形劇のようなムード作りに一役買っています。

哀れな殺人鬼、スウィーニーを演じるジョニー・デップが本当にステキ。本来ミュージカルならば、もう少しオーバーアクトであるのが正解かも知れません。しかし、スウィーニーは常に陰鬱です。ティム・バートンは復讐心がメラメラと燃え上がるような殺人鬼には敢えてしなかったのでしょう。妻と子供を奪った奴らに仕返しをする決意は固めているものの、既に何もかも失ってしまった抜け殻のような男がスウィーニー。だから、歌がうまくて、演技も大振りな役者は、監督が思い描くスウィーニーとはおよそかけ離れているはず。ジョニー・デップは抑えた演技ながらさすがの存在感で悲しき殺人鬼を演じきりました。お見事。歌もうまい。

ミセス・ラヴェットの夢想シーンが暗い物語に唯一明るさをもたらしています。極悪非道な悪人が、人並みの幸せを思い描くと言う、何とも滑稽でブラック・ユーモアたっぷりのシーン。浜辺でしましまの水着を着て憂鬱そうに海を眺めるスウィーニーに、思わず笑いがこみ上げる。ブラック・ユーモアと言えば、死体が流れ作業のように地下室に落とされるシーンも、実にティム・バートンらしい。「チョコレート工場」の流れ作業を思い出しました。

そして、あまりにもあっけないエンディング。若者と娘はあの後どうなったのだという疑問は残りますが、抱き合うスウィーニーとルーシーをどうしてもラストカットにしたかったのかも知れません。お互いの鮮血にまみれながら、ようやく巡り会った2人。「悪」と「ロマンチシズム」を常に融合させてきた、実にティム・バートンらしいエンディングではないかと思うのです。
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by galarina | 2008-01-21 22:53 | 映画(さ行)

セブンス・コンチネント

1989年/オーストリア 監督/ミヒャエル/ハネケ

「デビュー作からサディストぶり全開」

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「感情の氷河期 三部作」なんてネーミングからして哲学者みたいだな。とんでもない展開の映画ながら、ふーんとかはぁーとかほぉーとか感心している内に終わってしまった。

最初から最後まで観客は不安で不安でたまらない。両親と娘ひとりという核家族の日常が淡々と描かれてゆくが、物語がちっとも紡がれない。断片的にそれぞれの生活シーンが挿入されていくだけ。特に娘は何か精神的な問題を抱えているように見えるが、その原因など全く不明。
そして、表情(顔)を映さない。手元を映したシーンが実に多い。おそらく、全体の半分以上は手元、または静止画ではないだろうか。つまり、そこで人物は喜んでいるのか、悲しんでいるのかが予測できない。しかし、手の動きはイマジネーションのきっかけは与えてくれる。買い物をする手、食器を片づける手…etc。それらの映像から、観客は何とか物語の前後を埋めようと苦心する。もしかしたら、手元の映像だけで映画って作れてしまうものじゃないか、なんてあらぬ方向へと考えが及んでしまった。映像から温度を感じられないことも不安の一端。
最後に、スクリーンが真っ暗になること。エピソードとエピソードの間、必ずスクリーンが真っ暗になる。その間、約3秒くらいか。これが実に中途半端で居心地の悪い間(ま)なの。このまま、映画が終わってしまうんじゃないかってくらい。

これだけ、観ていて不安でありながら、スクリーンに惹きつけられて仕方ない。もういいや、と止める気にはなれない。それは、物語の断片と手元の映像というほんの少しの「エサ」に、観客がつられているからだろう。これは、人間の本能かも知れないなあ。ちょっと見せられたら知りたくなるっていう人間の本能。そういう条件反射的な本能をつついてくるハネケって、やっぱ根っからのサディストなんだろう。

ラストの破壊シーンは息を呑むばかりだけど、一方でその徹底ぶりに爽快感すら覚えてくる。我々が享受している文明を全てこの世から排除する彼らの行動は、もしかしてとても真っ当な行為なんじゃないかとすら。大学で哲学と心理学を学んだということで、その世界観は彼なりの理論でがっしりと構築されているようなんだけど、一方モノだけを取り出したカットなんて、そのままポスターやポストカードにしても映えるような機能的な美しさがあるのね。本当に一分の隙もない作品。天晴れというしかない。
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by galarina | 2008-01-16 22:03 | 映画(さ行)

絶対の愛

2006年/韓国 監督/キム・ギドク

「愛は確認できない」
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(ラストシーンについて触れています)

冒頭、ハングル文字の真横に英語で原題が出てきます。「TIME」。私は妙にそれが頭に残って見始めたのですが、なるほど今作は愛を様々な「時間」というテーマで切り取っているのですね。私の顔に飽きてしまうのではないかというセヒの畏れは、すなわち、愛とは時間と共に風化してしまう代物なのか、という命題です。2年間付き合った彼女、整形してからマスクが取れるまでは6ヶ月など、時間を示すセリフも幾度となく強調されます。

また、ラストシーンがファーストシーンに繋がっていますが、結局これはセヒがスェヒに会うという顛末で、実際にはありえません。しかし、この連結が示すものは、メビウスの輪のような世界であり、セヒが同じ時をぐるぐると回り続けているように感じさせます。そう考えると、セヒという女性が受けるべき運命は何と過酷なものでしょう。いくら言葉や態度で示されていようと自分は本当に愛されているのか、と言う不安から逃れられない人間は、一生ぐるぐるとメビウスの輪の中を回り続けるしかない。セヒは無限に顔を変え続けるという罰を受けたのでしょうか。整形手術という現代的な事柄を切り口にしていますが、聖書のような話です。汝、愛されていることを確認するなかれ…。

ただ、「恋人として愛され続けること」と「新しい女として彼を誘惑すること」を同時に体験できるなんて、女としてこんな醍醐味はないんじゃないかと思ってしまう自分もいたりするんです。もちろん、そこには大きな矛盾があり、その苦悩もまた、罰であるんですが。まあ、男性であるギドクがこういう発想ができることに驚いてしまいます。

さて、ペミクミ彫刻公園は物語のテーマともぴったり重なり、手のひらの彫刻にふたりが座るショットなど、非常に印象に残る。しかしながら、何度も登場するため、この彫刻たちがもともと持っているテーマ性を少々拝借しすぎなように感じました。まあ、それでも左右の顔写真から成る整形外科のドアや唇がついた青いマスクなど、彫刻のパワーに負けないギドクの演出は実に愉快。教訓めいたお話ですが、こういう人を食ったような見せ方が彼らしい。来年から撮影に入る新作は、オダギリジョー主演。とても楽しみです。(結婚したのは、超悲しいが)
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by galarina | 2007-12-28 23:59 | 映画(さ行)

シン・シティ

2005年/アメリカ 監督/ロバート・ロドリゲス

「宣伝マン泣かせ?」

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いつもは食指の動かぬジャンルに挑戦してみました。で、これが実に面白かった。こんな世界もあるんだ!と言う驚きの2時間でした。モノクロとはいえ、メタリックで硬質な映像はとてもスタイリッシュだし、アクセントカラーの赤やブルーがとても美しい。コミックらしい荒唐無稽さも、あまりに世界観がぴしっとできあがっているので、そんなアホなと突っ込むよりも、むしろカッコええやんか、と。

首が飛んだり、血が出るのは、全く駄目な私ですが、このモノクロ世界なら大丈夫。また、次から次へと出てくるナイスバディなオネエちゃんたちに目が釘付けでした。男は闘うことが生き甲斐で、女は色香が命、という設定そのものは、正直惹かれません。好みじゃないもの。でもね、ここまで徹底的に自分の世界を構築されると、とことん付きあったろうやないの、と思います。

さて見終わって、日本公開時に宣伝マンは上手に宣伝したんだろうか?ということを思ってしましまいました。ロドリゲス作品にはコアなファンの方がいて、その方達には敢えて大きな宣伝活動は必要ないんでしょう。でも、私のようなターゲットはどうでしょう?ブルース・ウィルスを始め、ハリウッドのビッグネームがたくさん出演していることは、大きなアドバンテージです。しかし、愛に生きた3人の男達の物語、みたいな紹介だとオムニバスかな?くらいの気持ちで、観たいというところまで行き着きません。とはいえ、残酷な描写も多く「みなさん、こぞってどうぞ」とも言い切れない。これは、宣伝マン泣かせの作品ですね。まあ、こういうテイストの映画は、宣伝よりもクチコミで売れる方が正しい在り方なのかも知れませんが。
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by galarina | 2007-12-10 23:22 | 映画(さ行)