「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(さ行)( 86 )

始皇帝暗殺

1998年/日・中・仏・米 監督/チェン・カイコー

「様式美を凌ぐ人間ドラマ」
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始皇帝の物語は、日本で言うとさしずめ忠臣蔵のようなものでしょうか。いろんな解釈を加えたりして、様々なスタイルで映像化されている歴史物語なんでしょう。すぐに思いつくのは、チャン・イーモウの「HERO」なんですが、あちらはとことん様式美に徹した作品。特に独創的なアクションシーンが鮮烈な印象を残します。これはこれで、徹底的に映像を楽しむ、ということで面白い作品です。対して、チェン・カイコーは、すさまじい予算とエキストラを動員してこれまた圧倒的な様式美を生み出していますが、それ以上に人間ドラマとしての面白さが圧巻です。数十億円かけて作った宮殿のセットにひけを取りません。

始皇帝と言いますと血も涙もない鉄のような男を思い浮かべますが、本作の始皇帝は駄々をこねたり、喜んで飛び跳ねたり、実に人間味あふれる様が描かれています。「さらば、わが愛」同様、血の通ったキャラクターを描き出すのがチェン・カイコーは実に巧い。また、セリフの中には格言や隠喩が数多く盛り込まれ、それぞれの人物の思慮深さ、品格が見事に表現されています。とりわけ感動するのは、いわゆる大陸的な物の捉え方、鷹揚さの部分です。目の前の出来事に対処するのではなく、ずっと先を見越して行動する。「人間ひとりでできることなどちっぽけなもの」と言う諦観と、「人間ひとりの考えや行動で国をも動かせる」と言う強い意志、その対極的な物事の捉え方を同時に併せ持っている。なんとも、懐の深い人物ばかりです。

一番の見どころは、趙姫と始皇帝の駆け引きでしょう。こういうシーンを見ていると、そりゃ中国との外交は難しいよな、なんて妙にしんみりしてしまいます。相手の裏をかくということが全ての大前提になっていますから。趙姫を演じるコン・リーが本当に美しい。お飾り美人ではなく、強い意志を秘めた凛々しさが際だっています。ただ、最新作「王妃の紋章」(未見ですが)でも、女帝のような役をしていたと思います。どうも、彼女未だにこの手の役が多いのは、いかがなものか。「ハンニバル・ライジング」はレディ・ムラサキだし。たまには、等身大の年相応の役もやって欲しいなあと思います。
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by galarina | 2008-06-04 01:40 | 映画(さ行)
1989年/アメリカ 監督/スティーブン・ソダーバーグ

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デビュー作にしてカンヌでグランプリということも驚きでしたが、性と言うフィルターを通して自己と向き合う作品を若いアメリカ人監督が撮った。その事実がとても感慨深かったのを覚えています。面白い監督が出てきたもんだと思ってましたけど、まさか「オーシャンズ」のような娯楽大作を撮るようになるとは。

1989年の作品。もう20年近くも前なんですね。これまで何度も見ているのですが、久しぶりに再見。作品の訴求力は全く色褪せていませんでした。公開当時は、自分のセックス体験を告白する女性のビデオを撮る男、という設定の面白さで突出したように見えましたが、2008年の今見れば、自己解放という実に普遍的なテーマだなと思えます。しゃべる相手がカウンセラーではなく、通りすがりの男と言うだけのこと。流行りの言葉を使えば「癒し映画」とすら呼べるのではないでしょうか。

一方、人にではなく、「ビデオカメラ」だからこそ安心して自分自身を見せられるということ。これは、コミュニケーションの媒介物としての映像メディアの可能性を見事に捉えており、その先見性に驚きます。目の前にいる妻ではなく、ビデオの中の妻を見て、夫は妻を理解するのですから。もちろん、ビデオで語っていることが本当かどうかなんてわかりません。見栄を張っているかも知れないし、グレアムの気を引こうとしているのかも知れない。しかし、「告白」をすることで気持ちや態度がこうも変わってしまう人間心理は十分に伝わりますし、結局その告白を聞いている人間も、ただ耳を傾けているだけではなく、その告白者に対して影響を与えているのだ、と物語を着地させるところが素晴らしいと思います。話したい人間には話したい理由があり、聞いている人間には自分が聞き手に選ばれている理由があるということ。とても26歳で仕上げた脚本とは思えないですね。

物語を引っ張るのはジェームズ・スぺイダー の存在感です。面白いし、完成度の高い脚本ですけど、このグレアムと言う男の不可解さに観客が好奇心を持たないと、ただの趣味の悪い映画になりかねません。そこんところ、ジェームズ・スぺイダーは、グレアムという男が秘めている虚無的な雰囲気、得体の知れない生ぬるい感じを実にうまく演じている。この男になら、私だって告白してしまうかも知れません。
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by galarina | 2008-05-14 17:51 | 映画(さ行)

最高の人生の見つけ方

2008年/アメリカ 監督/ロブ・ライナー
<MOVIX京都にて観賞>

「味わいが足りない」
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評判が良くて観にいったんですが、正直私は物足りなかったです。

二大俳優に頼りすぎで脚本に粗が目立ちます。そもそも死ぬ前にしたいことが、お金持ちでないとできないことばかりってのはいかがなもんでしょう。もちろん、エドワードとカーター、双方の願いを叶えていくわけですが、どうせ死ぬならゴージャスにやりたいことをやってしまおうぜ。そんなことばかりが目立っています。反発しあっていたふたりの関係性が、もう二転三転してさらに友情を深め合う展開にして欲しかった。エドワードの娘との再会も含め、後半あまりにもさらっと行ってしまいます。こんな展開、私でも書けそうって言ったら言いすぎでしょうか。

神を信じないエドワードと信心深いカーターという設定なのも、そこで反目しあったり、亀裂が生じたりするのかと思いきや、何もなし。じゃあ、なぜそんな設定にしているのかと突っ込まずにはいられません。あちこちに「思わせぶりな伏線」を敷いていながら、結局それらは単なる味付けとして存在しているだけで、物語そのものを突き動かすものではない。「死」を前にした人間同士だからこそ、もっと絞り出すような感情表現やエピソードがあってもいいのではないでしょうか。葬儀での泣かせるスピーチの後「知らない人のために役に立つ」という項目にチェックを入れる。ここだけは、面白いひねりだと思いましたが、あとは全てが予測どおり。下手に泣かせようとしていないのはいいですが、深みが足りなかった。

そして、この邦題はどうでしょう。「最高の人生」そこまで断言しちゃう?そりゃ、ありあまるお金があればね、と皮肉りたくなります。原題は「THE BUCKET LIST」で、劇中では「棺桶リスト」と訳されているのですが、BUCKETっていわゆるバケツのこと。アメリカでは、この単語が棺桶と言う意味を持つのでしょうか。その辺り、英語に詳しくないので何とも言えませんが、バケツなんてものが比喩として使われていることには、何か自嘲的な意味合いが込められているような気がしてなりません。「死ぬまでにしたい10のこと」(こちらは秀作)という邦題を意識して、敢えてかぶらないようにしたのでしょうか。原題が持っている(のかも知れない)悲哀をこの邦題が遠ざけてしまったように感じます。
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by galarina | 2008-05-13 22:17 | 映画(さ行)

スパイダーウィックの謎

2008年/アメリカ 監督/マーク・ウォーターズ
<109シネマズ箕面にて観賞>

「ぴりっと小粒で」
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人間を脅かす存在の妖精が森に住み、主人公の屋敷の周りには妖精たちの侵入を防ぐためにストーンサークルが敷かれている。本作のこの基本構造、日本で言うところの「鬼」と「結界」とそっくり。なので、感覚的な部分で日本の子供たちは全く違和感なくこの世界に張り込めるのではないでしょうか。その後展開される出来事も屋敷と家族にまつわることに終始していて、実にコンパクトで身の丈サイズのファンタジーと言えます。

開けてはならない本を開けてしまう、やんちゃな主人公の言うことをママが信じてくれない、などお決まりなパターン部分もありますが、グロテスクでリアルな妖精の造形が面白い。妖精と言うよりもクリーチャーと呼ぶのがふさわしいような生き物ばかり。ちょっと気味悪かったり、おバカだったりして、愛嬌があります。また、妖精の秘密を知ったスパイダーウィック氏は囚われの身になっているというビターな展開も、大人の観賞に堪えうるストーリーと言えるでしょう。原作を読んでいないと楽しめないということもないですし、老若男女、年齢を問わず、誰が子供と一緒に見ても楽しめるという点において、とても評価できる作品じゃないでしょうか。ラストのオチもなかなか面白いです。
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by galarina | 2008-05-11 16:59 | 映画(さ行)

サウスバウンド

2007年/日本 監督/森田芳光

「子供は大変だろうけど、面白いオヤジ」
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あまり期待していなかったからでしょうか。とても面白かったです。

森田監督は好きな監督です。私の映画友が「出来不出来の差が激しい」と嘆いていましたが、そうかも知れません。ただ、私はとても安心して見ていられます。阪本順治監督の作品を見るときの安心感と近いです。校庭の外を捉えた映像が何秒かして、すーっと教室に移動していく。そんな安定していて、ゆったりしたカメラの動きが好きなのかも知れません。子役たちへの演出もガチャガチャしていないとでも言いましょうか、のんびりゆっくりやらせている感じが良いです。子役って、どうしても突っ走ってしまいますからね。妹の女の子の飄々とした感じがすごく好ましかったです。

さて、本題。ファン目線をさっ引いても、上原一郎を演じる豊川悦司が良かった。正直、この役どころを聞いた時に、私は怖くて映画館に足を運べませんでした。かなりイタい役どころなんじゃないかと思ってましたから。ところが、どっこい。バッチリじゃないですか。きょとんとした奇妙な間を作ったり、ニコニコしながら全共闘時代を思い出させる演説をぶったり。おかしなお父さんぶりが板についています。

「学校指定の体操服がこんなに高いのは、業者と学校が癒着しているからだ!」と常日頃言っている私としましては(笑)、上原一郎のやること、なすこと、共感してしまいました。彼らが西表島に移住して問題に巻き込まれた時に、妻が「どこに言っても同じなのね」とつぶやくセリフも同感。西表の問題なのに東京の有名キャスターだか、NPOだかが首を突っ込んでいる辺りを皮肉たっぷりに描いているのも、共感。このあたりの物語のディテールの面白さは原作の力なんでしょうね。

そして、沖縄キャストにいかにも素人くさい人たちにお願いしているのが、味があっていいのです。校長先生は「恋しくて」にも主演されていた女優さんだと思いますが、やはり沖縄の話には沖縄の人に出てもらわないと。そんな中、駐在さん役の松山ケンイチが光っています。彼はバイプレーヤーの方が存在感を出すと思うのは私だけでしょうか(Lは除く)。
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by galarina | 2008-05-06 20:13 | 映画(さ行)

ショートバス

2006年/アメリカ 監督/ジョン・キャメロン・ミッチェル

「その孤独はセックスでないと埋められないのか」
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人間とは何て哀しい生き物なの。誰も彼ももがき苦しんで、ほんのちっぽけでもいいから、誰かとの絆を求めている。その性の有り様が赤裸々であればあるほど、その滑稽さの向こうにそれぞれが抱える孤独が透けて見える。誰かと繋がっていたい。その欲望を満たすのは、文字通り肉体的に繋がるセックス。

ありとあらゆるセックスのカタチが描写される本作。J・C・ミッチェルのチャレンジャー精神はすごいと素直に感嘆。バイブレータのネーミングは「愛のコリーダ」ですか。セックスを通して、人間存在そのものを捉えようと言う意欲は伝わる。

しかしである。果たして人生セックスが全てなんだろうか。そんな疑問も覚えて当然。心から愛する人のものを受け入れられないことは絶望なの?愛する人とのセックスでオーガズムが得られなければ不幸なの?そんなはずはないのだ。そっと肩を寄り添うだけで、手と手を握り合うだけで満ち満ちた幸福感を得られることはある。しかし、そう断言できる私は今幸福だからなんだろう。もっと深く、深くと相手を傷つけてまでも、求めずにはいられない。それほど、彼らの心の空洞は大きい。もしかしたら、この映画は自分の幸福度を知るリトマス試験紙なのかも知れない。彼らの渇望が理解しがたければしがたいほど、今の自分は幸福なのかも。

それでもなお、一人ひとりが抱える孤独の由縁をもう少し丁寧に描いてくれたら、と言う思いは残る。やはり、同性として、ただひたすらにオーガズムを追うソフィアの姿は、目を覆いたくもなった。叡智を意味するソフィアと名付けられていることから、監督が彼女に込めた意図は慮ることはできるものの、背景の少なさから彼女に共感するのは、とても困難。肉体的反応としてのオーガズムを得られたからと言って、果たしてその向こうに幸福が広がっているのか、と言う疑問はぬぐえない。

ラストに提示されるのは、性の解放区とも呼ぶべき楽園。狂おしい渇望にあえぐ人たちへ贈るハッピー・エンディング。9.11後のN.Yに、どうか希望が生まれますようにと言うJ・C・ミッチェル願いがそこに現れている。
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by galarina | 2008-05-02 15:52 | 映画(さ行)
2006年/アメリカ 監督/マーティン・キャンベル

「ボク、スパイなんかやめます」
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冒頭のパルクールの第一人者セバスチャン・フォーカンを追い詰めるシーンがすばらしい。CGやワイヤーを使わずに、限界まで走って、走って、跳びまくって。追いかけっこという極めてシンプルなアクションシーンを最初に持ってきたことで、この映画は生身の体で勝負するんだ、ということがよくわかります。ダニエル・クレイグはよく付いていってますよ。このシーンでもうお腹いっぱい!

もともと007シリーズには、何の思い入れもなく、すぐに女とデキちゃう無敵のスパイなんて、むしろ興味がない方。しかし、ダニエル・クレイグは、しっかり体張ってアクションシーンこなしていて天晴れです。というよりも、陳腐なストーリー展開はもう時代に受け入れられなくなったってことでしょう。人間だから失敗もする。そのリアリティを逆手にとって、新たなボンド像を創り上げた。このボンドには母性本能をくすぐられます。スマートと言うよりもダメ男テイストの方が強い。だって、辞めますってメール1本はないだろうよ。でも、体はスゴイんですって、ことで許す(笑)。007シリーズは、すぐに女を引っかけるもんで男性向けと思ってましたけど、新たな女性ファンをしっかりつかみましたね。

それにしても、旬の映画です。旬を逃して見ると、それだけ味も落ちちゃう感じがする。公開時、話題になっている時に見るべき作品だと思わされました。だって、せっかく見たのに、今頃見てやんの~って指を差されてるような気分。それはつまり、話題性や新鮮味にあふれた作品ってことですから、Newボンド誕生は、大成功ってことだったんでしょう。次作は映画館で見ます。
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by galarina | 2008-05-01 15:08 | 映画(さ行)

三年身籠る

2005年/日本 監督/唯野未歩子

「静かな佇まいにのぞく強いメッセージ」

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3年間も子供を宿すという奇異な設定なのに、非常にゆったりとしたカメラワークで、落ち着いた流れの作品。唯野未歩子、あのふわふわした標榜からは想像できません、これは恐るべし。すさまじく大きくなったお腹のために冬子が玄関でなかなか靴が履けない。そんな後ろ姿を鴨居ごしにじーっとカメラが捉え続けます。そのようなフィックスカメラがとても心地良かったです。

馬の赤ちゃんは産まれたらすぐに自分の足で歩くのに、人間の赤ちゃんはそこからの育児が実に大変。そこをすっ飛ばしてくれたらどんなにラクか…なんて、出産経験のある女性なら誰しも思ったことはあります。そこで、3年間お腹の中で育てるというわけです。育児はラクになるかも知れませんけど、気味悪いですね。不安ですね。だけど、冬子は全く動じない。医師の薦めを断って自然分娩にこだわる。そこに、全てを受け入れる母性の強さを感じました。冬子は徹底的に従順な女として描かれています。夫の浮気さえも受け入れている。しかし、それらの全ての受容の源は「私は命を宿している」というところから生まれる揺るぎない自信なのです。か弱くて、自分の意見も言わず、ほんわかした外見の内に秘めた強固な意志。

面白いのは、この作品の裏テーマとして、男はどのようにして父親になるのか、というのがくっきりと浮かび上がっていることです。赤ちゃんが生まれてすぐは男の人は父親の実感がないと言いますが、まさにこの作品ではそこを突いてきます。妻が3年も子供をお腹に宿していく、その時間の流れと共に当初浮気していて、全くその気のなかった夫(西島くん)が段々父親としての決意を固めるのです。3年という月日が彼に受け入れる決心をさせるんです。

冬子の妹、母、祖母など女系家族が織りなす「女とは?」のメッセージ。しかしながら、やはり女を描くことは、男を描くことと同じである、とまたしても痛感。のびやかなタッチの中にどっしりとした心構えと強いメッセージを放っている秀作だと思います。2作目が楽しみです。
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by galarina | 2008-04-12 22:08 | 映画(さ行)

潜水服は蝶の夢を見る

2008年/フランス・アメリカ 監督/ジュリアン・シュナーベル
<京都シネマにて観賞>

「蜜を吸えない蝶の哀しみ」
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突然倒れて、病院で一命を取り留め、片目でまばたきするしかないという悲惨な状況に陥ったジャン・ドゥ。しかし、彼のモノローグが、関西弁で言うところの「ぼやき」に近いモノがあって、何だかコミカルな雰囲気が漂います。また、ジャンの目線で描くことによって、病院関係者があの手この手で世話をするのも、ありがた迷惑のようにすら見えます。これだけ気の毒な病状だと、普通はかわいそうだと同情を誘うような演出にするんでしょうけど、全然そんなことはないのです。

ずっと映像は、ジャンの片目が捉えたものです。そして物語も中盤にさしかかった頃、ようやくジャンの状態が顕わになります。唇が歪み、目を剥いた彼の姿は、我々をぎょっとさせますが、ここで観客の視点が転換します。つまり前半は、ジャンの立場で周りの人々をとらえ、このシーンからはジャンを取り囲むひとりの人間としての視点に切り替わるのです。本来ならば死に至るような発作を起こした人が、実に体の不自由な状態となって命を取り留めたこと。それは、本人にとってどういうことか、周囲の人間にとってどういうことか。観客が両方の視点からいろいろと思いを馳せることができる。だから、観た後に何度も思い起こして、あれこれと思いふけることができるのではないでしょうか。

さて、ジャンの周りには、美人ばかり集まってきます。言語療法士、理学療法士、別れた内縁の妻、まばたきを読み取る秘書。あまりにもみなさんとびきりの美人なので、これは明らかに何か意図があるのではないか、と思いました。それは、タイトルにある「蝶」です。潜水服に身を包んだような何もできない自分を蝶に見立てる。だとすれば、周りの美女は「花」ではないでしょうか。蝶は花から花へと飛んでゆきます。彼の視線が常に彼女たちの美しい足元や胸元に伸びていることを思えば、そんな想像も膨らみます。しかし、ジャンは決して美しい花を愛でることはできない。そこに、「男」としての根源的な欲求を満たせぬ哀しみを私は感じ取ってしまいました。

自由な自分を想像する時によく出てくるイメージは「鳥」なのですけど、この「蝶」に例えるあたりが、なんともたおやかで優雅でフランス映画(資本はアメリカですが)らしいなと思うのです。尽くして看護してくれる妻がいるのに、愛人への未練が断ち切れないジャンの身勝手さなんかもね。「本」という形あるものを残したことに意義はあるのでしょうが、ジャンにとっては耐え難き苦悩ばかりの日々だったように思います。それにしても、まばたきを読み取る周囲の人物の忍耐強さには頭が下がります。果たして、私にできるだろうかと考えてしまいました。結局を死を目の間にした人を描く、ということは、それを周りの人々がどう受け止めるのか、どう受け入れるのかを描くことなのだと痛感したのです。
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by galarina | 2008-04-06 23:49 | 映画(さ行)

ジャンパー

2007年/アメリカ 監督/ダグ・リーマン
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「登場人物たちの立ち位置がバラバラ」
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続編があるらしく、今回は紹介編だということをさっぴいても、90分使って登場人物たちの立ち位置が説明できないのでは、どうしようもありません。真っ白アタマのサミュエルのキャラに引っ張られて、何とか最後まで見られたという感じです。

デヴィッドはジャンプできる能力を自分自身どう捉えているのか、その結論が出ずじまいです。その能力に苦悩しているのか、または、陶酔しているのか、そのどっちでもない。そこんところは、物語の一番の軸でしょう。ただ、好きなところにジャンプして、挙げ句の果てには銀行からお金を盗むとは。強盗はいかんやろ、強盗は。一体どうしたいんだ、コイツは。

ジャンパーを狩る軍団の存在が、魔女狩りから綿綿と続いていると語られますが、これまたお粗末な根拠ですなあ。ジャンパーと魔女がどう繋がるんでしょうか。パラディンが一体何ものかは次回作で詳しく語られるんでしょうか。それにしても、実に説明不足です。とりあえず、ジャンプできる奴とそれを追いかける軍団の物語にしてしまえって言うだけで背景がすっからかん。物語の背景がないのを、世界遺産巡りという背景でごまかしているに過ぎません。

デヴィッドが自分の能力についてどう捉えているのかわからないと言いましたが、これは脚本もすっぽり抜け落ちている上に、ヘイデン・クリステンセンの演技力のなさが輪をかけています。また、主演女優がちっとも魅力的ではありません。少女時代のアナソフィア・ロブの方がよっぽどキュートです。

昨今のアクション大作は激しい戦闘シーンが多いですから、カメラも揺れまくります。しかしながら、アクションシーン以外でもカメラが揺れるため、気持ち悪くなりました。実は「バンテージ・ポイント」も見ましたが、こちらは揺れまくっても全然大丈夫でした。何が違うのでしょう。たぶん、揺れなくてもいい場面で揺れているのです。車がぶつかりゃ映像も揺れる。しかし、ただ話しているシーンで揺れる必要はあるのか。肝心のジャンプシーンも思ったほどの面白味がありませんでした。
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by galarina | 2008-03-24 16:54 | 映画(さ行)