「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリ:映画(さ行)( 86 )

2007年/アメリカ 監督/ポール・トーマス・アンダーソン

「セックスとドラッグを抜きにしてアメリカを見つめる」

c0076382_1425767.jpg


「ノーカントリー」はもちろん、「ダークナイト」もしかりで、「悪」を巡る大作が、今年のアメリカ作品では目立ちました。邦画もですが、2008年の映画は豊作の年と言えるのではないでしょうか。重厚で見応えのある作品に恵まれた年のような気がします。

さて、「ブギーナイツ」「マグノリア」ですっかりやられた私ですが、今作のポール・トーマス・アンダーソン監督は敢えてドラッグとセックスを封印して、アメリカを描こうとした。その代わりに持ってきた題材が「石油」なのでしょう。

人間不信の男がばったばったと周りの人間を地獄に突き落とす物語かと思っていたら、予想を裏切られました。ダニーよりも、むしろポール。イーライを演じるポール・ダノがきっちりタイマン勝負を張っています。油田をバックに人々の神たらんとした男と、イカサマ宗教をバックに神たらんとした男のガチンコ対決に酔いました。「リトル・ミス・サンシャイン」でもニーチェに傾倒する寡黙な青年を演じていましたが、本作のキレっぷりは見事です。中盤、出番は少なくなるにも関わらず、ラストまでこのタイマン勝負は続きます。それは、スクリーンに映らなくとも、ダニエルが常にイーライの影に脅え、イーライを凌ぐために、己を奮い立てているのがびんびんに伝わってくるからです。もちろん、それを感じさせるダニエルの演技もすばらしいのですが。

「ノーカントリー」にしろ「ダークナイト」にしろ、善をあざ笑うかのような悪の存在を浮き彫りにしていますが、それは何かと対立的に描かれています。「ノーカントリー」では、なす術もない保安官がおり、「ダークナイト」では自己犠牲により立ち向かうバットマンがいます。しかし、本作では欲と欲との壮絶なぶつかり合いが延々と繰り広げられ、最後にはまるで子供のケンカのごとき殴り合いによる共倒れで終焉を迎えます。私はこのエンディングにおいて「ノーカントリー」で味わった虚脱感は感じませんでした。むしろ、ひとつの時代が幕を閉じた、これにてお終い、と言う印象です。

それは、このダニエルという男が私には終始嫌な奴に思えなかったことも大きいかも知れません。体を張って油田を掘り起こし、意地と虚栄で企業の差し向けるネクタイ族と対抗し、駆け引きの道具とはいえ幼子を引き取って育てたダニエルという男の人生。開拓者とも言うべきそのバイタリティに私はとても引きつけられました。しかし、そんな彼も最終的には自らの手を血に染めて、ケリをつける。それは決して褒められたケリの付け方ではないのですか、金も名誉も手に入れた人間が結局何者かに怯え続け、己の手を血に染めねば解決できぬ人間の業のようなものをまざまざと感じさせられるのです。油田の掘削シーンを始め、広大なアメリカの大地で繰り広げられる壮大な人間物語。存分に堪能しました。
[PR]
by galarina | 2008-11-11 14:17 | 映画(さ行)

ぜんぶ、フィデルのせい

2006年/イタリア・フランス 監督/ジュリー・ガヴラス

「人対人の信条をめぐる物語」
c0076382_1513846.jpg


1970年のパリ。裕福な家庭のもとで育てられている9歳の少女アンナは、弁護士の父と雑誌記者の母が共産主義に目覚めたことで、家庭環境が一変。前の暮らしに戻りたいアンナは、両親に反発。さまざまなトラブルが起こるのだが…

アンナはまだ小さい女の子で、「キョーサン主義ってなあに?」という質問ぶりから子供特有のストレートさ、そして「それは、ぜんぶフィデルのせいなのね。」という思考の短絡さを強調されてはいるけれど、およそ相手の信条がこちらにはさっぱりわからない類のものは、大人同士だって得てしてこんなものではないでしょうか。

夫妻はアンナを決して子供扱いせず、「子供のためにこうしよう」と言うことは全くしない。それに応じるかのようにアンナは常に親にくってかかり、疑問を問い糾そうとする。そこには「親」対「子供」ではなく、人間同士の率直な関わり合いが見て取れ、全編を覆うこのパッションあふれるやり取りがとても魅力的です。

こうして、アンナと両親は互いの思いやり、信頼を勝ち取ってゆく。ひいては、それがアンナという子どもの成長物語にまで高められているのがすばらしい。そして、そして。アンナはひとりの自立した「女性」として目覚めてゆく。これもまた、本作が単なる子ども成長物語と一線を画すところでしょう。女性監督らしい主張がしっかりと込められています。中絶の合法化運動に参加する母親。「キョーサン主義ってなあに?」という素朴な疑問と共に掲げられる「チューゼツってなあに?」という疑問。全ては呑み込めないものの、女性としての尊厳を持ち生きてゆくために奔走する母親の姿を見て、「同じ女性として」感じ、理解するアンナ。こうして、導かれるラストシーンの何と爽快なこと。

何でもかんでも「子供中心主義」の現代日本家庭から考えれば、我が子ひとりだけ授業を休ませたり、危険なデモに参加させたりする両親の行動に眉をひそめる人もいるかも知れません。当時の共産主義活動はかなりハードだったようだし、子どもが巻き込まれる可能性だってないわけじゃない。しかし、これまた大いなる問題定義のひとつだと考えれば、例えば夫婦で鑑賞するのにピッタリと言えるかも知れません。

「僕のピアノコンチェルト」「サン・ジャックへの道」に引き続き、年代や作品の好みに関係なく、幅広い層にオススメできるヨーロッパ発の佳作。アンナを演じるニナ・ケルヴィルの目ヂカラに吸い込まれました。
[PR]
by galarina | 2008-11-03 14:58 | 映画(さ行)

Sweet Rain 死神の精度

2008年/日本 監督/筧昌也

「原作の映画化としては大成功」

c0076382_0165854.jpg


原作を読んでいるのですが、正直この作品の映画化は難しいだろうと思っていました。なぜなら、6話程度のショートストーリィから成り、2時間という尺でうねりを出すような風合いの物語ではないからです。言わば、間を楽しむといった手合いの小説。しかし、観てみると期待以上の出来映え。ふんわりとしたムードを押さえつつ、3話のエピソードが死神を軸にしっかりと1つにまとめあげられています。これは、脚本がうまいですね。上手に削り、上手に付け加えました。原作に相棒の黒犬は出てきませんが、犬と死神が無言で会話するという現実離れしたシチュエーションも作品が醸し出す浮遊感をうまく盛り上げています。

何と言っても本作の面白味は、「何事も達観している死神」と「目の前の出来事に一喜一憂しているちっぽけな人間」の対比が実に良く効いていること。その一番の貢献者は、やはり死神を演じている金城武です。近年の彼の作品の中ではベストアクトではないでしょうか。浮世離れした風貌、飄々としたセリフ回し、どんな設定の人間になっても何色にも染まらない透明感。立場は人間より上ですが、全く嫌味がありません。しかも、その存在がでしゃばり過ぎていない。だから、3つのエピソードの人間たちの悩みや苦しみがきちんと際だっているのです。焦点の合わない目でヘッドフォンを付け、リズムに合わせて肩を揺らす様子も実におかしい。

また、3話のエピソードは時を超えて繋がってくるわけですが、ラストにかけてどうだと言わんばかりの仰々しさが全くないのも非常に好感が持てます。作り手としては、どうしても観客をあっと言わせたいがために、種明かし的な演出に走りがちですけれども、実にさらっとしています。そして、そのことによって、最終的には金城武演ずる死神の人生がクローズアップされてくるんですね。それまで語り部としての役割しか持たなかった死神に、初めてこの世の美しさ、人間世界の温かみといったものを体感させる。なかなかじんわりできるエンディングです。不安が多くて足が向かなかったのですが、こんなことなら、映画館で観れば良かったです。
[PR]
by galarina | 2008-09-24 00:22 | 映画(さ行)

サン・ジャックへの道

2005年/フランス 監督/コリーヌ・セロー

「旅、ときどき夢想」
c0076382_17562035.jpg


信仰心のない仲の悪い3人兄弟が母の遺産目当てに巡礼の旅に参加する。こう聞いただけで、全ての方が、ケンカしながら仲直りする話だろ?と思われるに違いありません。そして、まさしくその通りなのです。激しくネタバレですね。でも、言っちゃっても構わないんです。だって、それでも、とても面白いですから。これを見た数日前に「口裂け女」を見てかなりヘコんでいましたので、すっかり心が清められたような気分になりました(笑)。

予測できる展開ながらも面白いのは、自分も巡礼路のツアー参加者になったような気分にさせられるからです。ヨーロッパの田舎町の美しい風景に目を奪われ、宿が決まらないいざこざにハラハラし、帰りたがるワガママな人にうんざりし。そして、旅が進むに連れ、少しずつ打ち解けあい、距離が近づき、互いの不安を癒し合う。「明日へのチケット」もそうですが、旅って、なんて素敵なんだろうと思わずにはいられません。

そして、本作をより豊かにしているのは、夢のシーン。旅に参加する人々のトラウマを顕在化させた美しい幻覚または夢想と言った方が良いでしょうか。フランス語のできないアラブの少年が巨大なアルファベットの「A」と言う文字に押しつぶされるユーモアにあふれたものから、美しく幻想的なものまで。この様々な夢想のシークエンスが、本作を単純なロードムービーに止まらない、個性的な逸品にしています。思い描く人生の道からちょっぴり外れた3人兄弟の行く末は、どうなるのでしょうか?その結末を想像しながら共に旅すれば、人生捨てたもんじゃないって、心がほんわり温かくなること受け合いです。
[PR]
by galarina | 2008-09-03 16:38 | 映画(さ行)

スクール・オブ・ロック

2003年/アメリカ 監督/リチャード・リンクレイター

「一生懸命な大人でいようぜ」

c0076382_034557.jpg


ぶっ飛びデューイの一挙手一投足に腹を抱えて大笑い。ロックを愛する自己中男を演じるジャック・ブラックの無軌道ぶりがおかしいの、なんの。ロックオタクっぷりを、堂々と子供たちに伝授するシーンがツボでした。特にウケたのは、伝説のギタリストやドラマーのビデオを子供たちに見せてるところ。好きなシーンだけ編集して、つなげてんの。いるいる、こんなヤツ。遊びに行ったら、部屋で延々こういうの見せられて、ウンチク語られたりすんのよね。まあ、オンナにはもてないタイプ(笑)。

全ての生徒1人1人に適材適所で役割を与えてあげるって言うのが、すごくいいんです。日の当たるバンドメンバーだけでなく、裏方も含めて「スクール・オブ・ロック」だって言う考え方。大人数の子供たちをまとめあげるって、結構難しいです。でも、照明担当、衣装担当…etc。彼らに対して、デューイが「いいぞ!すげえ!」って、褒めてやるから、みんな生き生きし始める。デューイは用意周到に子供たちをまとめようなんて全然思ってない。そこが見ていて爽快なんです。ぶっちゃけ、自分がコンテストに出たいがため。でも、子供って、一生懸命な大人にはつべこべ言わずについていくもんなんですよ。我々大人は、一生懸命な姿を子供に見せているだろうかって、ちょっと考え込んじゃいました。

ただ、一つだけひっかかることがあって、それはジャック・ブラックに頼りすぎなんじゃってこと。もし、違う俳優がデューイを演じたら、ここまで面白くなるかしら?もちろん、ジャック・ブラックありきの作品ってことはわかっている。でも、どこかで「彼が何とかしてくれる」という甘えがなかったかな?どうも、そう思わせてしまう脚本なんだな。もっともっと、磨けたはずですよ、この脚本。後半部、もう少し子供との絆、または校長とのエピソードに深みが出ればなお良かったな。でも、現在「2」の製作が進行中とのこと。次回は、映画館で見たいと思わされる作品でした。
[PR]
by galarina | 2008-08-26 17:59 | 映画(さ行)
2008年/アメリカ 監督/マイケル・パトリック・キング
<TOHOシネマズ梅田先行上映にて観賞>

c0076382_051094.jpg


(完全にネタバレですので、未見の方はご注意ください)

ドラマの映画化って好きになれないジャンルですけど、これは本当に楽しかったです。シーズン6まで続いたドラマは、最初はシングルウーマンの奔放な生き様(sexシーンも含めて)がメインでしたが、 後半は女同士の友情にシフトしていきます。 映画版でも、この後半部をきちんと受け継ぎ、この4人の結びつきの強さ、 長年の親友だからこそ分かり合える感情がしっかりとクローズアップされていてとても良かったです。

さて、このドラマ。4人もメンバーがいると、誰に感情移入するかって、人それぞれなんですよね。私は当初ミランダ派で、終盤はサマンサ派でした。ところが、この映画版。私の気を引いたのは、意外や意外、シャーロットでした。私はドラマ版の彼女が本当に苦手でね~。自分中心主義だし、空回りして周りを巻き込む人で、最も私の嫌いなタイプでした。しかし、シーズン6でハリーと結婚してから、天性の人の良さが光り始めます。そして映画版では、まさにその優しさや素直さがキャリーを救うんですね。

キャリーがビッグに花束を投げつけた後、続いてシャーロットが「ひどいヤツ!」って罵るシーンにはほろりとさせられましたし、再びビッグとキャリーがよりを戻すのも偶然シャーロットが居合わせたことによるものだし。いちいち「きゃ~!」と奇声をあげるシーンも何だか微笑ましくて、今回の映画版のキーパーソンだったように思います。

このドラマのもう一つの醍醐味はファッションですが、 キャリーが有名ブランドのウエディングドレスを次々と試着するシーンはうっとりしてしまいました。 (ただ、これはプロデューサーも兼ねるサラ・ジェシカ・パーカーの職権乱用かな?なんて感じてしまったんですけどね。 まあ、つまり自分がいろいろ着てみたかったんではないか、と) また、引っ越しのためクローゼットの洋服を処分しようと自宅でファッションショーを繰り広げるシーンも楽しい。 他の3人が「持って行く」「捨てる」のプラカードをあげるところは、このドラマらしくてとても良かった。 ドラマ版オープニングのチュチュが出てくるあたりは、ドラマファンへのサービスですね。

式をすっぽかされたシーンは、泣けましたね。あれは、完璧キャリーの気持ちになってました。花束で殴りかかりたい、その気持ちよくわかるぅ~。

さて、スティーブは相変わらずGOOD GUYでしたが、ちょっと老けてましたね。ビックリ。一度限りの浮気ぐらい…という展開で、むしろ認知症の義母の話で二転三転するのかと思ったのですが、それはありませんでした。そして、それ以上に残念だったのは、サマンサの結末。キャリーが結婚すると、4人中3人がカップルになってしまうので、脚本上ひとりはシングルでいてもらわないとってことなんでしょうか。乳ガンの時期を支え続けてきたスミスくんと別れるなんて!シンジラレナ~イ!ふたりのエピソードに泣かされっぱなしだっただけで、本当に残念。しかも、スミスくんの出番が少ないのも悲しい…。でも、ひとりの男に縛られない、という選択肢を選んだサマンサ姐さんは、本当に男前だ!

女体盛りだの、お腹を壊しただの、馬鹿馬鹿しいシーンもSATCならでは。SATCファンのお友だちとギャハハと笑ったり、うるうるしたり。実に楽しい2時間を過ごしました。
[PR]
by galarina | 2008-08-22 23:54 | 映画(さ行)

純喫茶磯辺

2008年/日本 監督/吉田恵輔
<テアトル梅田にて観賞>

「役者とセリフの違和感」


前作「机のなかみ」がやたらと面白かったので、ちょっと期待し過ぎてしまいました。
c0076382_14185061.jpg

まずキャスト。どうしようもないダメ女「モッコ」を麻生久美子が演じているのですが、私は彼女に対して清楚で儚げなイメージが強く、最後までそのギャップに苦しみました。前作同様、女子キャラにおいて大どんでん返しがあるのかと先入観を持ってしまったのもいけなかったのかも知れません。ぼんやりしていて頭のトロいモッコが、終盤居酒屋でトンデモ発言を繰り返す辺りは、何ともむずがゆい悲しいような可笑しいようなムードが流れるはず、なんですが、やっぱり麻生久美子なだけに笑えませんでした。また、宮迫はヘタに演技がうまいのが却って裏目に出ていたように思います。喫茶店の客として、前作で主演したあべこうじと踊子ありが出てくるのですが、並んでいるだけで笑える、笑える。主演は、有名俳優じゃない方が作品の空気感がストレートに生きた気がします。これ、「アフタースクール」でも同様のことが言えるかも。

前半部、どうでもいいカットが多数インサートされるのですが、これが面白さの効果を発揮せず、逆に間延びした雰囲気になってしまっています。例えば、自分の足の裏の匂いを嗅ぐ娘の風呂上がりのシーンとか。ユルいテイストで面白さを出すと言うのは、本当に高度な技術だなあとつくづく感じさせられます。この点においては、山下作品はほとんどハズレがなくて、すごい。

一番興味深かったのが、セリフ。「え?」「あ…」と言ったひとことにも及ばない、一文字ひらがなのセリフが異様に多い。そして、「なに?」「いや…」「だね。」「まあね。」など、ほとんどコミュケーションの体をなしていない会話のオンパレードです。 これは、監督の意図的なものでしょう。そうとしか思えない。相手に気持ちを伝えるのが不器用な人々ばかりで、そのもどかしさを表しているのかも知れません。また現代人の会話を少々誇張して見せているのかも。こういうセンテンスを成していないセリフだけで、1本の作品が撮れるのか、という実験作のようです。本来ならば、それが笑いやおかしみになればいいのですが、俳優陣がそれをうまく使いこなせていないと感じました。あべこうじなら、このニュアンスはうまく表現できたかも。高校生の父親ってのは、年齢的に難しいですけど。

エンディングにかけての咲子の切なさがもっとめくるめくような展開と受け止められたら良かったのですが、結局最後までノリきれませんでした。これに尽きます。わざと「ハズす」。そして、そのズレを楽しむ。こういうタイプの映画の場合、どこまでノレるか、というのがポイントで、私は置いてけぼりを食らってしまった感じです。
[PR]
by galarina | 2008-08-15 14:18 | 映画(さ行)

サラエボの花

2006年/ボスニア・ヘルツェゴビナ 監督/ヤスミラ・ジュバニッチ

「不器用な母と娘の踏み出した一歩」
c0076382_14154048.jpg


母エスマの背負った過去はあまりにもつらいから、彼女は自分の感情に蓋をすることが習慣になっている。そんな何かを隠しているような佇まいが娘を不安にさせる。身も心もずたずたにされた過去の傷をさらけ出さないと、親子としてわかりあえない。その事実が胸を撃つ。しかし、この作品は彼らが戦争のせいで不幸だと言う、短絡的な伝え方は決してしていない。血を分け合った親子だからこそ、互いの傷を分かち合い、理解し合えるのだと伝える。戦争がもたらした悲惨な境遇。放っておけばどんどん不幸と言う名のレールを走ってしまいかねない列車。そのレールの行く先が変わる瞬間を見事に描き出している。

娘の修学旅行のお金を納めるまでの、ほんの1週間ほどの期間の中で、母娘の絆はもちろん、戦争の傷跡、同じ境遇を乗り越えてきた仲間たちの思いやり、再び人を愛せるかも知れないという希望など、多様なメッセージが盛り込まれているのがすばらしい。女性的な視点に偏りすぎでは、と言う意見も見受けられるけれども、若い女性監督のデビュー作と言う点からすれば、むしろこれだけ生々しさを排除して、市井の人々の慎ましやかな暮らしと戦争の裏に隠された思いをじっくりと引き出していることは、凄いことだと素直に思う。

父の呪縛を振り払った娘がバスの中で同級生と共に歌い始めるラストシーンに温かい気持ちがこみ上げる。しかし一方、全てを話してしまったエスマを見るに、彼女はまたもう一つ重い十字架を背負ったような気もしてしまうのだ。不安と安堵の入り交じった表情で去りゆくバスに手を振るエスマ。母と娘の間に横たわる溝が埋まっても、彼らが手と手を取り合って乗り越えねばならない苦難は、きっとまだまだ続くのだと気づかされ、何とも言えない感傷的な気持ちになった。

エスマと言う女性が抱えるバックボーンは確かに特殊なんだけれども、自分の気持ちを素直に伝えることがとても不器用な母娘の物語としても十分に堪能できる作品だと思う。特に思春期の子供を持つ親なら、なおさら。鑑賞後に自分と子供の関係を見つめ直したくなる、そんな味わい深い逸品だと思う。
[PR]
by galarina | 2008-06-11 13:57 | 映画(さ行)

ザ・マジックアワー

2008年/日本 監督/三谷幸喜
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「みんなから好かれたい作品」
c0076382_15114542.jpg


三谷幸喜は、なぜここまで大風呂敷広げた作品ばかり作るようになっちゃったんでしょう。陪審員が集う小部屋、ふたりきりの取調室、ラジオ局の小さなブース。小宇宙の中で繰り広げられる悲喜こもごものドタバタ劇のあの密度の濃い面白さは、もう二度と見られないのでしょうか。評判も高く、客入りも上々なんて話が飛び交う中、原点回帰して欲しいと全く逆のことで頭がいっぱいになるのでした。

映画へのオマージュ、ですか。映画を愛する人たちへ、映画に関わる人たちへ、そのアピール具合が目に余ります。オマージュを捧げると言うのは、一部をパクって見せる、またはパロって見せる、と言うのとは全く別次元です。自分自身の作品がしっかりと地に足を付けて完成された上で、あるシーンをふと思い起こさせるものであったり、同じテーマをそこはかとなく内包させたりするもの。これ見よがしにつぎはぎで並べ立てるものでは決してない。もはやこれはオマージュではなく、コラージュ。

もちろん、脚本家としての彼の力量がこれらのつぎはぎを何とか1本のうねりに仕上げているのは、間違いないでしょう。それでもなお、なにゆえ今の彼がこれほど映画に愛を捧げるフリをしなければならないのか、全く合点がいかないのです。決して、つまらないストーリーではなく、所々笑わされる部分もありました。しかしながら、私にとっては彼の「映画愛」が全ての観客、全ての業界人に愛されたいという媚びに見えて仕方ないのです。市川監督の「黒い十人の女」のパロディシーンも出てきます。これまでの三谷作品が、市川作品の一体何に影響を受けたというのでしょう。カッティングですか?セリフ回しですか?

フジテレビのバック、ということも大きいのでしょう。ここまで、有名俳優を出演させて、お金もかけておいて、お客さんが入りませんでしたというわけには死んでもいきませんもんね。でも、これで興行成績上がったら、三谷さん、もっと大きいセットでどーんとでかい映画やりましょうなんて話になるのかな。フジテレビは三谷幸喜の才能をつぶしてしまわないだろうか。私の周りでは大声で笑う人も結構いましたが、そんなに?という感じ。戸田恵子のヘアスタイルが違うのも、笑えるのは二度目まで。136分という尺も、長い。カメオ出演も、もう飽きました。95分くらいのミニマムな三谷作品が私は見たい。
[PR]
by galarina | 2008-06-10 15:09 | 映画(さ行)

接吻

2008年/日本 監督/万田邦敏
<梅田シネ・リーブルにて観賞>

「鑑賞後、どすーんと強い衝撃を胸に受けたような感触が残る。傑作。」

c0076382_06552.jpg

彼を理解できるのは私だけ。彼を愛する資格があるのは私だけ。天啓を受けたかのように、殺人犯を一途に愛し始める女の孤独と狂気の物語。

万田監督のデビュー作「Unloved」の主人公光子は、仕事ぶりを評価されレベルの高い職を与えられるのを拒み、金持ちで分別もある若くてハンサムな男の愛を一途に拒否する。その拒否の物語は、世の中の価値観、とりわけ、女性ならきっと素直に喜ぶはず、喜んで受け入れるはずという価値観の真っ向否定だった。そこには、現代を生きる女性が抱える社会への矛盾が実に攻撃的な形となって現れている。まるで棒読みのセリフで淡々とした演出。しかしながら光子のあまりに刺々しい拒否反応が肌をざわつかせるほどの恐ろしさを見る者に与えた。

同じように「接吻」でも京子は、分別ある大人の代表としての役回りである弁護士、長谷川の再三の警告を拒否する。ただの思い込みと他人に見えるものも、京子にとってはもはや純然たる愛。唯一無二の愛だから、受け入れることなどできはしない。しかし、「Unloved」のように観賞者そのものを撥ね付けるようなムードはこの作品にはなく、極端な展開ながら、私は京子にどんどん呑み込まれていった。それは、この作品が恋愛映画としての強い吸引力を持っているからだ。

好きな男のそばにいたい。彼を励ましてあげたい。無理解な周りの人々に闘いを挑む我らは運命共同体なのだ。どんどんエスカレートしていく京子の行動を100%否定することができない私がいる。相手は、何の落ち度もない幸せな家族の命を奪った殺人犯。なぜそのような男を、と長谷川も言う。「あなたは彼が人の命を奪った事実を棚に上げている」と責める。だが、一度愛し始めたその感情は坂を転げ落ちるかのようにスピードをあげ、止めることができない。彼が殺人犯であること。それはそれ、なのだ。もはやそこに理性など存在せず、高ぶる感情がただあるのみ。その興奮、女性ならわかる、いや羨ましいとすら思えてくるのだ。そして、とうとう京子の狂気に長谷川までもが呑み込まれてしまう。なんと恐ろしい展開。

そして、驚愕のエンディングへ。あれは、一体どういう意味だろう、と頭が真っ白になった後、さらに追い打ちをかける京子のセリフ。そして、幕切れ。私は完全にノックアウトされた。エンディング時に味わうこの茫然自失な感じ。どこかで味わったことがある。ハネケの「ピアニスト」だ。

京子のあの行動、私は、坂口は運命共同体であるからこそ成し遂げられたが、長谷川には一瞬とまどった。そのとまどいに自分を愛する男への哀れみのような感情が侵入してきたからではないか、と推測した。しかし、恐らく正解などないのだろう。

無駄のない緊迫感に満ち満ちた演出もすばらしい。冒頭、事件の一連のシークエンス。襟首をつかまれ恐怖におののきながら、家に引きずり込まれる少女の表情がほんの一瞬映る。それ以外は直接的な描写はないが、これだけで背筋が凍った。また、坂口が獄中、事件当日を思い出す場面でも、前作「ありがとう」にも出てきた「手」の演出が登場。ぞくりとさせられる。そして、「私たちは謂われのない罰をたくさん受けてきた」と語る京子のセリフ、一つひとつが胸に刺さる。台本だけをじっくり読んでみたいほど、すばらしい脚本。

難役を自分のものにした小池栄子、お見事です。どこにでもいそうなOLがずぶずぶと狂気の世界に足を踏み入れていく様をリアルに演じた。田んぼのあぜ道で、刑務所のガラス越しで、切々と己の境遇を訴える京子のセリフにどれほど引き込まれたことか。そして、恐らくこれほどまでに凶悪な殺人犯は初めてであろう豊川悦司とじわりじわりと理性を失う弁護士、仲村トオル。まるでこの世には3人だけというほどの濃密な世界を見事に創り上げていた。もう一度、見たい。
[PR]
by galarina | 2008-06-09 00:00 | 映画(さ行)