「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(か行)( 54 )

恋の門

2004年/日本 監督/松尾スズキ

「躁鬱ムービー」

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極彩色の映像にテンション高いオタクな世界。冒頭しばらく見て、クドカンか、はたまた中島哲也が頭をよぎる。しかし、この独特のハイな感じは何か違う。これぶっちゃけ躁状態でしょ。メーターふっきれるくらいテンションあがったかと思うと、ドーンと落ちる。これは、鬱。つまり、とても躁鬱的な展開なのね。3人がコンクールに応募しようとマンガを描いて、描いて、描きまくる。すばやくカットが切り替わりみんな「気持ちいー!」と叫ぶ。ここは、躁のてっぺん、つまりトランス状態に入ったところ。つまり、この映画には作り手の精神的不安から来るアップダウンな精神状態が如実に反映されているとしか思えないのです。それが、妙に私のツボにはまりました。でね、「クワイエットルームにようこそ」が面白くてこれを見たわけだけど、松尾スズキが次作で精神疾患の女性を主役にしたのは、これを見て大いに納得という感じなの。

「何だ、それ!ぎゃはは」と笑えるポイントはことごとく、「イってるよね、この人(松尾スズキのこと)」と言うつぶやきが頭をよぎってしょうがない。だって、小日向英世のボンデージと平泉成のアフロには、おったまげましたよ。塚本晋也だの、三池崇史だの、庵野秀明だの、監督たちのカメオ出演は数あれど、こんなにおかしな人々が集う映画ってそうそうないでしょ。

趣味の違う門と恋乃が境界線を越えようと行ったり来たりするのは、いわゆるラブストーリーではありがちな恋の障壁ですが、サブカルとオタクがドッカンドッカンぶつかるその様はさながら異種格闘技のような面白さ。そして、キスシーンの多いこと。しかも、ちゅぱちゅぱと生々しいキスシーンのくせにちゃあんと胸がキュンとなるんだわさ。エロいくせに、キュートなシーンも用意しているあたり、おぬしやるなあ、なんてね。ボロぞうきんみたいな服装の松田龍平くんもいいねえ。小汚い系男前は長らくオダジョーに軍配をあげていたのだけど、お嬢様の香椎ちゃんと無難に結婚したもんで、再び龍平くんも応援しよっと。

以下、私の勝手な監督評。哲学漫画「真夜中の弥次さん喜多さん」をシュールなナンセンス映画に仕上げたクドカンは、とてもクレバーな人だと思ってる。あんな風に見せておいて、実は物凄く頭の切れる人。「松子」の中島監督は、狂騒的に見せるけど、すごく綿密に計算している人。で、松尾スズキはと言うと、感性で勝負している、アーティスト型。理屈でとらえようとするより、肌で感じる方がいいのかも。演劇にはめっぽう疎い私は、ついこの間までクドカンも松尾スズキもほとんど一緒だったわけだけど、私の肌に合うのはどうやら松尾スズキとわかりました。収穫の1本。
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by galarina | 2008-10-18 20:47 | 映画(か行)

ぐるりのこと。

2008年/日本 監督/橋口亮輔
<みなみ会館にて鑑賞>

「静かに強く生きたい。このニコイチ夫婦のように」
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私にとっては、「歩いても、歩いても」と、この「ぐるりのこと」が公開前から楽しみにしていた作品。とても良かったです。

バブル期以降、世間を賑わせた有名殺人犯が次々と出てきます。この法廷シーンの異様さが淡々とした夫婦物語と馴染まないと感じられる方もいるかも知れません。しかし、これなくしてこの映画は語れないのだろうと思います。妻、翔子(木村多江)は子どもを亡くしたことをきっかけに精神を病んでいくのですが(これが流産なのか、産後に何か不測の事態があったのかははっきりと描かれていません)、それは同時にすさんでゆく日本という国そのものに呼応している。または、そのものかも知れないと感じました。

夫のカナオ(リリー・フランキー)は、何をしても頼りなく、自分の意思を口に出さない男。そこらへんのおねえちゃんにすぐちょっかいを出す、なまっちろい男として、終始描かれてゆきます。しかし、このカナオのキャラクターの描かれ方は実に表面的なものです。何年もの間、翔子のそばで何も言わず、「ただひたすらに寄り添っているだけ」のカナオ。何もしない彼に対して翔子は時に苛立ちを隠せないのですが、本当は「ただそばにいること」ほど強いものはないのではないかと思うのです。

映画の終盤、カナオの父親は自殺していたことが明らかになります。そんな父親を「逃げた」と捉えているカナオ。しかし、彼は子どもの頃の傷をおくびにも出さず、飄々と振る舞い、翔子から逃げません。「ハッシュ」以降、精神的に鬱な状態だったという橋口監督。その姿は一見して妻・翔子に投影されているように感じられます。しかし一方、自身のトラウマから逃げず、翔子を見守り、夫婦の小さな希望に向かって、わずかでも歩みを止めないカナオにも、また映画を撮ろうという熱意が生まれた橋口監督自身が投影されているように思えるのです。

結局、翔子とカナオは、一心同体、または一個の存在ではないでしょうか。この夫婦はバラバラなのではなく、補い合うことで、ひとつのものとして存在している。夫婦は互いに支え合うもの、という事ではありません。ふたつでひとつ。このニコイチな夫婦の姿は、橋口監督自身でしょう。そしてまた、このすさんだ現代を生きていかねばならない、我々一人ひとりの日本人の心の在り様を示しているのではないでしょうか。落ち込んでもいい。でも、逃げないで。じっと待って、踏み出せる時が来たら、その一歩を前に出そう。

さて、主演のリリー・フランキーが、すばらしくいいです。あの柄本明としっかりスクリーンの中で馴染んでいます。また、時代を揺るがせた殺人犯を数多くの有名俳優が演じているのも見どころ。幼女殺害犯、宮崎勤を加瀬亮、お受験殺人犯を片岡礼子、連続児童殺傷犯、宅間守を新井浩文。そうそうたる顔ぶれですが、やはり目を見張るのは加瀬亮です。被告人席の彼の演技が未だに頭から離れません。他にもカメオ出演として、たくさんの有名俳優が出てきますし、記者役が柄本明で母親が倍賞美津子ですから、実はこの作品ものすごく豪華な顔ぶれなんですね。これも、橋口監督の器量の成せるところでしょうか。

最後に、とても長回しが多いです。夫婦がくだらない会話をしているシーンは、ちょっとやりすぎだろ、と飽きちゃいましたが(笑)、妻が本心を語り、抱き合うシーンは良かった。「キスしようと思ったけど、おまえ鼻水出てるよ」。まるで、本物の夫婦を見ているようでした。
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by galarina | 2008-10-12 15:50 | 映画(か行)
2007年/日本 監督/松尾スズキ

「寄せ書きを捨てるということ」
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「精神病院が舞台」というのは、題材として、とても難しいと思います。ひねくれ者の私は、患者たちの特異なムードを監督の「やりすぎ」「狙いすぎ」に感じることが多々あります。しかし、その特異性を描かないと、精神病院にならないですから、その塩梅をうまく表現することが大きなポイントなんでしょう。それで、思いっきり引いちゃったのが「ベロニカは死ぬことにした」。入院患者たちの舞台劇さながらの鷹揚な演技がダメでした。

ところが、本作で描かれている精神病棟の様子は、高校の女子寮みたいに見えなくもありません。りょう演じる看護師は、さしずめ鬼寮長と言ったところでしょうか。金の亡者に過食や拒食、引きこもり。どこぞの女子寮でも覗けば、こんな子たちがいそうです。常に脱走を試みる女子もいますし。ですから、精神疾患という、やや距離を置きがちな世界がとても身近な存在に見えてきます。ですから、「狙ってる」なんて穿った見方をせずに実にすんなり我が身に置き換えて見ることができました。

また、松尾スズキ監督のライトなノリが、本作ではうまくハマっています。そもそもタイトルである、拘束衣を着せさせられる独房を「クワイエットルーム」と表現する。そういった深刻なものをいったんライトなものに転換させて、観る側の興味を引きスムーズに心に落とさせる。そんなやり方が本作では成功していると思います。夫との生活が退屈で朝から晩までお笑い番組にのめり込むというのも、絵的には笑いを誘いますが、精神状態はずいぶん深刻ですよね。

明日香の経験したことは、言ってみれば、堕胎、離婚、仕事のストレスと、現代女性なら誰もが経験するかも知れない人生の分岐点。そんな彼女が隔離病棟の仲間たちとの交流によって、前を向いて生きることを選択する。しかし、病院を出るときには、寄せ書きを捨てること。このメッセージが、すごく効いています。人生をリスタートするためのほろ苦い選択。決別と決意。久しぶりの本格女優復帰となった内田有紀の演技もすがすがしく、なかなかの良作でした。
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by galarina | 2008-09-12 13:51 | 映画(か行)

傷だらけの男たち

2006年/香港 監督/アンドリュー・ラウ アラン・マック

「光と影のコントラストが弱い」
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冒頭、夜のバーで見張りをしていた刑事たちが犯人を追跡するシーンで幕を開けますが、ここはすごくいいんです。刑事が走る、車で追っかける、ガサ入れに行く。さすが警察物をたくさん作っているだけあって、こなれてます。日本の刑事物がドタバタした感じなのに、とてもスマートなんですよね。かっこよく見せるテクニックがあります。

ところが、ヘイの過去が見え隠れする後半に従って、物語のスピードは失速しているように感じました。「インファナル・アフェア」の製作チームが再び結集だからでしょうか。やたらと古い記憶のフラッシュバックのシーンが多く、ミステリアスなムードを盛り上げようとする。しかし、このフラッシュバックがあまり効果的には感じられませんでした。というのも、この手法により、敏腕でクールな刑事ヘイが実は過去に何かを背負っているというのは明らかです。しかも、かなり早い段階から推測できます。観る側としては、その秘密は何かとドキドキするわけですが、明かされる秘密が結構予測通りなんですね。ちょっと、がっかり。だったら、フラッシュバックなんか用いずに、全く種も蒔かずに、素直にどんでん返ししてくれた方が、サスペンスとしてはよっぽど盛り上がったように感じました。

トニーと金城くんの対比が弱いんですよね。ポンの追跡によって、ヘイの真実の姿が見えてくるのですけど、追えば追うほど傷を負う。何かを失う。そんな駆け引きが少ないのです。マカオに行って調べたら真実がわかりました、ということで、ミステリーとしてもひねりが少ない。そして、アル中の金城くんが今ひとつ。やさぐれてないの。どん底までひねくれちゃった男には見えないのね。カッコ良すぎるのが仇になっているのかも知れません。トニーの方がこの役は合ってたかも。
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by galarina | 2008-09-10 23:47 | 映画(か行)

ギプス

2000年/日本 監督/塩田明彦

「関係性の映画」
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フェチ道全開。ギプス、松葉杖、眼帯、包帯、車椅子。病院プレイが好きな人にはたまらないアイテムがそろっています。終盤はクローネンバーグの「クラッシュ」にも似た世界へ突入。義足のジッパーとぎりぎりと締め上げるようなスタイリッシュな映像美はないものの、物語がどう進むのかまるで先の読めない不安感は、こちらが上かも知れません。

「私がギプスをはめると何かが起こる」という環。そのぎこちない歩みに、とめどなく惹かれる人がいる。もちろん、性的な意味合いで。こういうテーマだけでも十分に面白いです。松葉杖の女の後をまるで魔物に取り憑かれたようにフラフラを追う人々がいるということ。その深層心理は一体何か。実に興味深いですね。単にギプスの中を覗いてみたい脚フェチ心理だけではないように思います。このテーマで2000文字くらいは書けそうです。

さて、作品の見栄えを文章化すると、極めてキワモノムードの高い作品に思われがちですが、本作の真髄は「和子」と「環」という2人の女性の関係性を描くことに終始しているということでしょう。前作「月光の囁き」のSM的恋愛関係はやや特殊でしたが、本作ではそれを女同士の力関係に置き換えています。環に触発された和子はバイト先で横暴に振る舞ってみたり、松葉杖をついて環の気分を味わってみたり。相手より優位に立ちたい、相手から必要とされると嬉しい、相手に裏切られると憎らしい…etc。徹底的に、1対1の人間関係が織りなす心理模様が描かれていくのです。そこには、友情を築きたいとか、愛しあいたい、という目的は一切見えてきません。だから、先が全く読めないのです。けだるいギターのBGMもツイン・ピークスのよう。妖しげな塩田ワールドにどっぷり引き込まれました。
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by galarina | 2008-09-04 13:15 | 映画(か行)

カンフーパンダ

2008年/アメリカ 監督/マーク・オズボーン
<梅田ピカデリーにて観賞>

「しっかりカンフーの醍醐味が詰まっている」
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アニメと思って侮っていたら、大間違い。予想外のツボでした。

ちょっと懐かしい水墨画タッチの2Dアニメがオープニング。 これね、小さい頃テレビで見ていたアニメの「孫悟空」(だったと思うのだが)を思い出して、 すごくノスタルジックなムード。 そして、アクションシーンが、非常に工夫されていて、バリエーション豊か。 よくこれだけ考えられるなあ~と感心しまくり。 やっぱり、アクション映画をたくさん撮ってるハリウッドならではって感じです。 動物同士の戦いですから、何でもあり。 これがね、実写のワイヤーアクションよりもすごくすんなりと入り込める。 ワイヤーはやっぱり嘘くさいですけど、アニメですからどれだけ飛ぼうが、 弾けようが全然OK。 悪党タイ・ランの脱獄シーン、ファイブとの対決シーン、そしてポーとタイ・ランのクライマックスと、 ダイナミックなアクションシーンが本当に見ていて楽しい。

一番いいな~と思ったのは、がははと声をあげて笑えるシーンがたくさんあること。 私も息子も、何度笑ったことか。 太ったパンダがタイ・ランのパンチを受けて、顔がぼにょぼにょ~んと揺れたり、 でっぱったお腹で相手をやっつけたり。チャウ・シンチーの「ありえねー」な感じに似ています。 修行中にぶたまん一個をもぎ取ろうと、 師匠とお箸でチャンバラみたく戦うシーンもユーモアがいっぱい。 主題歌「カンフー・ファイティング」もB級っぽいこのチープな感じがすごく合ってるんです。

子供のように愛し、育てたホワイト・チーターが悪の化身となってしまい、笑うことを忘れた師匠が ダメパンダとの出会いによって、暖かい気持ちを取り戻すという物語もとても良いですね。

ダメ男がなぜか戦士に選ばれてしまうということも、師匠の元で修業することも、 懐かしいオープニングも、カンフーソングがエンドロールに流れるところまでも、 全てが「ドラゴン・キングダム」にソックリ! 観賞前は、そのことが気がかりだったのですけど、別にかぶっちゃって気になる、なんてことは全くなかったですね。ユーモアと言う点では断然こちらに軍配が上がります。帰路、息子はDVD買う!と息巻いておりました。
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by galarina | 2008-08-25 17:20 | 映画(か行)

この胸いっぱいの愛を

2005年/日本 監督/塩田明彦

「がんじがらめなんでしょう」

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「黄泉がえり」がヒットしたことによって生じた「TBS絡み」「タイムスリップ絡み」「柴咲コウ絡み(主題歌ね)」…。いくつもの「○○絡み」に見舞われて、監督がホントはこうじゃないんだよなあ、と言うつぶやきさえ聞こえてきそうな作品です。

それにしても、塩田監督はえらくTBSに気に入られたものです。フジテレビが続々と映画部門で成功したことに対抗意識を燃やして囲い込みをしているんでしょう。このTBSというテレビ局は迷惑千万な「囲い込み」を実によくやります。顕著なのはドラマに出演する俳優陣で、常盤貴子と織田裕二は一時期TBSのドラマにしか出ていませんでした。この作品がどれほどヒットしたかは知りませんが、続けて「どろろ」の製作に乗り出す。これまた、塩田監督、柴咲コウは連投です。全然ジャンルは違いますが、亀田兄弟だって同じ。金を生む者は徹底的に独占して、広告塔代わりに飽きられるまでとことん消費するのがTBSのやり方。そんな方法で、どこまで「作り手の思い」が作品に反映されるのか、甚だ疑問ですね。まあ、フジのSMAPだって同じ事ですけど。

さて、作品に話を戻して。塩田監督の描く女性は、いつもぶっきらぼうです。前作「黄泉がえり」でも、可憐なイメージの竹内結子がずいぶんぶっきらぼうな言葉遣いをさせられていました。この、ぶっきらぼうな女性が、ふとしたことで見せる弱さ、可憐さが塩田作品の魅力。そういう点においては、本作のミムラも塩田作品らしい佇まいを見せています。ただ後半、重い病と言うベタな展開を迎えて、この気の強い和美ねーちゃんの強情さこそクローズアップすれ、女性としての魅力があまり伸びてこない。それが、いわゆる感動作としての盛り上がりを生みません。

やっぱり、感傷的な演出が少ないからでしょうね。最も印象深かったのは、入院中の和美にバイオリンの音色を聞かせてあげるシーン。ベタな演出ならば、大粒の涙を流す顔をアップで捉えて、嗚咽。なんてことになるんでしょうが、違います。和美は病室の角にうずくまり、こぶしで壁をどすっと叩きます。このカットは夕暮れ時の病室で、しかも和美はこけしみたいなロングおかっぱなもんで、ちょっと気味悪いんですよね。また、終盤和美のために用意したコンサートシーンでも、真意を知った和美はこの期に及んでヒロを睨み付けています。塩田監督は、何とかメルヘンテイストな仕上がりに抵抗しようとしている。そんな風に私は感じました。

「黄泉がえり」の場合は、主題歌の絡みもあり柴咲コウのコンサートと言うとびきりのクライマックスが用意されていた。しかし、本作の蛇足のエンディングは何ですか。あれは、ひどい。原作にどれくらい忠実なのか、未読なのでわかりませんが、二人に絞らず、もっと群像劇として仕上げれば良かった。クドカンのエピソードは、すごくいい。ヒロ以外の人物も、それぞれのやり残したことがクロスするようなクライマックスができれば良かったのになあ。残念です。この作品で最も得をしたのは、結婚相手を見つけたミムラでしょう。しかし、あんな一瞬の共演でなぜ結婚まで行き着いたのか、これがいちばんの不思議です。
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by galarina | 2008-08-23 17:06 | 映画(か行)

怪談

2007年/日本 監督/中田秀夫

「愛するが故に呪う」
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中川信夫を代表する日本の怪談物を受け継いでいくことは、とても大事だと痛感しました。いくらJホラーが海外で人気であろうと、愛するが故に呪うといった昔ながらの情念の世界は、日本人でなければ共有できない精神性です。そこで、やはり主演の尾上菊之助です。物語の冒頭、新吉が煙草を売るため太鼓橋の向こうから「きざみ~たば~こ~を~よ~」と声をあげて現れます。歌舞伎役者独特の伸びやかな声、これが江戸の街にパシッとはまっているんですね。これから始まりますよという掛け声のようです。もし、これがモゴモゴした喋りで喉を鍛えていない俳優では一気にしらけること間違いないのです。

相手役の黒木瞳もいいです。歌舞伎に対向できるのは宝塚。様式美の世界で生きてきた者同士だから、うまくいったのかも知れません。腫れ物に苦しみ畳の上を転げ回る様を俯瞰でとらえるシーンなんか、すごくいいです。私は黒木瞳は好きな女優ですが、最近やたらと若作りなママ路線で嫌味な感じでした。本作は、顔が不気味に腫れ上がり熱演していますが、もうひと声、初心に返って脱いで欲しかったなあ。それでも、フジが作った「大奥」のように人気俳優がドラマの延長でやっているような違和感がほとんどないのは評価に値するのではないでしょうか。むしろ、津川雅彦の時代がかった演技が却って浮いて見える。若手キャストでしっかりと世界観を構築できていると思います。

オーソドックスな時代劇の有り様を崩さずに物語は最後まで進みます。観客を驚かせるような突飛な演出も敢えて控えているようです。中田秀夫監督が「怪談」を撮ったように、石井克人監督は「山のあなた」を撮ったのでしょうか。着物、日本家屋、日本情緒のすばらしさを常に映像化していないと、いつの日か忽然と私たちの目の前から消えてなくなる。そんな危機感を感じる監督が多いのなら、これは歓迎すべきことかも知れません。やはり、良いものは良いのです。残さねばならないのです。ぜひ怪談2を企画して欲しい。この世界は、別にハリウッドにリメイクなんぞされなくても一向に構わない。我々日本人だけで楽しむべきものです。
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by galarina | 2008-08-06 20:47 | 映画(か行)

口裂け女

2006年/日本 監督/白石晃士

「私も乗りうつられないようにしなければ」

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あれは、まだ息子が1歳前後の頃でしょうか。離乳食の皿をそこいらにぶちまけ、机の上でぐずりまくり、ぎゃあぎゃあと泣きやまない彼をぶったことがあります。おそらく締め切り前で私もイライラしていたんでしょう。ぶった直後に自分自身が情けなくなり、涙が止まりませんでした。母親なら誰しもこんな苦々しい記憶があるはずです。

ですから、この作品。子育て経験のある女性は、薄ら寒いものを感じるに違いありません。それは、口裂け女が「どんな母親にも」乗り移ってしまうからです。映像としての恐ろしい描写よりも、どんな母親でも口裂け女になりうる、ということの方が恐ろしかった。乗り移られること=自分の手で我が子を殺すことになるわけですからね。最後に首を落とされた母親なんぞ、それまでの虐待のために罰を受けたかのようです。心を入れ替えたにも関わらず。

口を裂かれたり、殺されたり、子供たちが酷い目にあいますので、人にお勧めする類の作品ではありません。ただ「口裂け女」という都市伝説は、ポマードと言えば消えるとか、猛スピードで走るとか、ギャク漫画のキャラクターのような存在になりつつあったと思います。それが、児童虐待という社会問題を絡めて、これほど陰鬱な作品にしあげた、その発想の転換ぶりには感心します。例えば、松本清張の「鬼畜」とか、貴志祐介の「黒い家」なんかも、見せようによってはホラーになりるということですね。(と思って今調べたら「黒い家」は韓国でホラーになってました。森田作品しか観てませんが、これは原作を変えているんでしょうか)

児童虐待をホラー仕立てにすれば、問題作になるのは必然です。しかし、映画を凌駕するような事件が現実に起きていることを考えれば、この手の作品は全くの作り話としてのホラーとはまた違った新ジャンルのようなものなのか、という気もします。日頃ホラーはあまり見ませんのでわかりませんが、そういうジャンルがあるとしたら、気が滅入りますので続けて何本も見られませんね。いずれにしろ子役たちが心配なので、撮影後のケアは十分にお願いします。
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by galarina | 2008-08-05 15:11 | 映画(か行)

月光の囁き

1999年/日本 監督/塩田明彦

「ふたりだけの世界」
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素晴らしいデビュー作です。原作の漫画は読んでいませんので、そのSM嗜好がどの程度作品に反映されているのかわかりませんが、これは見事に私の大好きな「一途な愛を受け入れる」物語なのです。周囲の人間がどんなに歪んでいると捉えようと、女がそれをかけがえのない愛だと感じるのならば、それに全身全霊で応えようとします。その瞬間、ふたりの間には誰も足を踏み入れぬことができない完璧な関係性が完成するのです。

結局、頑ななのはマゾヒストの拓也の方です。どうあがいても、彼は自分の愛し方を変えることはできない。SMの関係は、Mが奉仕しているのではなく、本当はSがMに奉仕しているのです。大けがを負った拓也に何度もジュースを買いに行かせ、いらないと撥ね付ける紗月。愛を受け入れた紗月の姿は感動的です。そして、川べりで寄り添うふたり。この一連のラストシークエンスは、愛の受容を映し出す素晴らしいエンディングだと思います。紗月はなぜか眼帯をしています。確かに滝壺で目の下に傷を負いましたが、眼帯をするほどのものだったでしょうか。これは、眼帯の女と松葉杖の男、というラストカットにしたかった監督のこだわりかも知れません。

前半部は、これぞ青春という淡い恋物語のように見せておいて、トイレの盗聴マイクという実に低俗な行為によって、晴れやかな恋模様がズドーンと一転、様相を変えて動き出す。この辺の進行具合も巧いです。また、舞台は香川県で登場人物たちの話す方言がすごくいいです。標準語なら、これだけ生々しい感じにはならなかったでしょう。主演のつぐみと水橋研二もすばらしくいいです。

このデビュー作はもちろんのこと、他作品を見ても塩田監督が足フェチだと言うのは想像に難くありません。本作のつぐみ、「害虫」の宮崎あおい、「カナリア」の谷村美月。どの主演女優もすらりと長い生足をぞんぶんにさらけ出しています。以前私はアニメ「時をかける少女」で長い生足に嫌悪感を覚えると書きましたが、不思議と塩田作品には全く感じません。それは彼が描く少女たちの存在がとてもリアルだからでしょう。細くて長い生足が、彼女たちの危うさ、力強さ、美しさなど実に多彩な面を引き出している。世のオヤジどもが少女幻想を抱く時にまっさきに思い浮かべる生足とは、むしろ対極の位置にある。そんな風に感じられるところが、私が塩田作品に惹かれる大きな要因かも知れません。
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by galarina | 2008-08-03 16:52 | 映画(か行)