「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(あ行)( 68 )

阿修羅のごとく

2003年/日本 監督/森田芳光

「女優陣の愛くるしさが全面に」
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私は以前、スカパーでこのNHKのドラマ版を見たことがあるんです。テーマソングであるトルコ軍隊の行進曲も強烈でしたし、姉妹間のぎすぎすした感じや浮気された母の内なる苦悩が、実に乾いた演出で展開されていました。浮気を知りつつ、何にも言わずに糠床をまぜる母の背中が怖いのなんの。女の「業」を描くという点では、私はドラマの方に軍配をあげます。特に長女の加藤治子と三女のいしだあゆみなんか、どちらかというといじわるだったり苦悩したりする演技が似合うタイプの女優さんですもん。

ただ、四姉妹を魅力的に描くという点においては、映画版の方が上。四者四様の生き方をうまく見せていたと思います。もちろん、主役を張れそうな女優が大集合しているので、それぞれにスポットを当てるという事務所側のオファーはあったでしょう。大竹しのぶも黒木瞳も深津絵里も森田作品で主役をこなしているので、それぞれの登場シーンは主役とも言える存在感を出しています。だから、余計に深田恭子が浮いてしまったかな。

いずれにしても、森田監督の女優陣に対する愛が感じられますねえ。それが却ってタイトルの「阿修羅のごとく」の意味合いを遠ざけてしまったか。ちょっと阿修羅には見えません。ただね、この昭和54年という舞台設定を現代に持ってきて、女心の葛藤をストレートに描いたところで、今の観客がどれだけピンと来たか疑わしいところ。この作品のポイントは「女が内に秘めているもの」ということですから、あんまり秘めなくなった(笑)現代女性にそれを見せたところで、女のイヤな部分ばかりがクローズアップされたことでしょう。

そこで現代版では、コミカルな演出も含め四姉妹を非常に愛らしく描いている。その愛らしさが際だっているからこそ、内に秘めたるものの陰鬱さが伝わってくるという構造に変えた。大女優をズラリと並べた配役だからこそ、こうせざるを得なかったのかも知れませんが、結果的には多くの人に受け入れやすい作品になりました。ただ個人的には、森田作品はもっと突き抜けた作風の方が好みです。
それにしても、現在に至るまで森田監督は、撮る作品の守備範囲が広いなあと感心します。最新作「間宮兄弟」も非常に評判がいいので、近いうちに見ようと思ってます。
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by galarina | 2007-05-25 23:23 | 映画(あ行)

アイ・アム・サム

2001年/アメリカ 監督/ジェシー・ネルソン

「ビートルズに感じるやり過ぎ感」
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知的障害のあるサムが娘を取り戻す感動のストーリーなのだが、私が本作において引いてしまった原因は、何を隠そう全編に流れるビートルズであった。ビートルズの音楽には「歌詞」がある。言葉がある。映画の行間として共有したいものが、具体的な歌詞として入ってくることが何だか余計なおせっかいみたいに感じられて、歌詞が言いたいことを代弁しているようで、どうにもこうにもしっくり来なかったのだ。

例えば「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」。この曲からルーシーと名付けた、という設定だから、確かに物語の中では効いてくる。だが、どうも本作品におけるビートルズ音楽というのは、嬉しや喜び、つらさの「増幅剤」としての役割のように感じてならない。あくまで個人的な好みだが、私は映画における音楽は物語を補完したり、融合したり、化学反応を起こしたりする方が好き。物語の上に「のっかってくる」音楽の使い方は好みではないのです。

まあ、そもそも設定としてサムがビートルズのマニアなので、流すなというのも無理があるのかも知れないんですけどね。それから、家庭裁判所における画面の揺れは、サムの心の揺れを表しているんだろうけど、どうもやり過ぎに感じられる。技巧に走っているというのかな。この青みがかった映像も狙いがあってのことだろうが、かえって逆効果に感じられる。

そもそもショーン・ペンがこれだけの演技をしているんだし、ここまでテクニックを凝らした映画にする必要があったのかなと思うの。むしろ、もっとオーソドックスな手法で作って、歌詞付きビートルズは「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」をエンドクレジットだけで流す。これくらい抑制されてた方が、もっと素直に物語に感情移入できた気がする。
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by galarina | 2007-05-22 22:01 | 映画(あ行)

うつせみ

2004年/韓国 監督/キム・ギドク

「究極の愛の形を求めて彷徨うギドク」
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レイプだの、ロリータだの、ギドクって男は女を何だと思ってるんだと思ったら、こういう女性の願望をそのまま投影したようなロマンティックな作品を作ってしまうから本当に参る。結局、彼はとどのつまり“愛”って何なんだ?という旅を続けているのだろう。いろんな角度から愛を眺め、出ることのない答えを求めて作品を作り続ける愛の殉教者とでも言おうか。

通りすがりの男に何かも預け、連れ去って欲しいというのは、女の究極の憧れかも知れないと、「ヴァイブレータ」でも書いた。あれがトラックに乗った王子様なら、こちらはバイクに乗った王子様。しかも、このふたりに言葉は無用。何も言わなくても全てが通じる。夫に責められようが、警察に捕まろうが何もしゃべらない。これが実に象徴的。言葉にした途端にふたりの関係は実に陳腐な代物に成り下がってしまいますから。

テソクがソナを連れ去り毎夜留守宅に泊まる前半部を “動”だとすれば、ふたりが警察に捕まってからの後半部は“静”の展開と言えましょう。しかし、鑑賞後心に深く残るのは、“動”ではなく“静”の方。ソナがふたりの名残を求めるかのように、泊まった留守宅を再び訪ね歩くシーン。そして、テソクが「影」を体得するために刑務所で見せる幻想的な舞踏。映画とは、映像で心に語りかけるもの。その幸福感が私を満たす。

ラストはギドクには珍しく愛の成就が感じられてカタルシスを覚える。肩越しのキスシーンもいいし、影の朝食のシーンも素敵だ。しかし、抱き合ったふたりの体重計の目盛りはゼロ。最後の最後になってギドクはわずかな毒を残したか。だが、その毒は私の心を汚すことなどなかった。だって、実に映画的な恍惚感に包まれていたから。

ただ、ギドクってこうやって、幸せな気持ちにさせておいて、また突き落とすようなことするのよ。これが、ギドク・マンダラならぬギドク・スパイラル。一度はまると抜け出せません。
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by galarina | 2007-05-20 23:42 | 映画(あ行)

男たちのかいた絵

1996年/日本 監督/伊藤秀裕

「ひと粒で二度おいしい」
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ピアノの調律師で心優しい杉夫とヤクザで暴力的な松夫、二つの人格に悩まされる男を豊川悦司が演じる。

この映画は豊川悦司ファンには「一粒で二度おいしい映画」。杉夫はいつも優しく微笑み、ささやくような声で話しかける。かたや、松夫はワイルドでセックスアピールも満点。どっちを演じてもステキなトヨエツが1本の作品で見られるんですもん!1996年の作品ですが、前年の1995年に「愛くれ」と「Love Letter」に出演。まさに「トヨエツ」というキャラクターが一気に人気になった頃かな、と思う。しかし、今作はその「トヨエツ」という流行キャラではなく、演技派俳優としての豊川悦司を見せたくて出演したのかな、と言う気がする。

その理由のひとつは「二重人格者」という難役に挑んでいるということ。もちろん、二重人格と言えば、人格の入れ替わりシーンが見所になるのは当然。今作でも、杉夫と松夫が入れ替わる瞬間は、何度か出てくるけど、なかなか面白い演技をしている。特に杉夫→松夫の変化は、目つきの鋭さが別人のようになる。また、別のシーンになって、一体どっちだろ?という場面でも、その佇まいでどちらの人格かすぐにわかる。

故・神代辰巳監督が企画していたという映画だけに、ヤクザ、情婦、ジャズといった昔懐かしいロマンポルノのぬるーいテイストでいっぱい。そういう点では、今見ると確かに古くさい部分は多い。なんせ高橋恵子が演歌歌手のドサ周りだけど、ほんとはジャズ歌手志望って設定ですから、ちょっと引いてしまいます。

しかし、豊川悦司という俳優のルーツを辿るには欠かせない1本には間違いありません。なんせ濃厚な濡れ場もふんだんにありますもん。そうそう!現在放映中のキンチョールのCM…。笑っちゃいましたねぇ。でも、大阪弁をしゃべる彼って、結構好きなの。あれはあれで、なかなかええんちゃいます?
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by galarina | 2007-04-11 23:19 | 映画(あ行)

愛を乞うひと

1998年/日本 監督/平山秀幸

「愛して欲しいという心の叫びが聞こえる」
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幼い頃に実母に折檻を受け続けた記憶から脱しきれないひとりの中年女性の姿を通し、親子の絆とは何かを問う人間ドラマ。とにかく、凄まじい虐待を続ける鬼母とそのトラウマを抱えた娘、という相反する役をひとりでこなす原田美枝子の演技がすばらしい。

豊子(原田美枝子)は戦後の混乱期を体一つで生き抜いてきた女。心優しい台湾人の陳さん(中井貴一)と出会い、幸福をつかみかけたが、娘ができてからは容赦ない虐待を繰り返す。おそらく、豊子自身も虐待を受けた経験があるか、または不幸な幼少時代を過ごしたのだろう。しかしその詳しくは語られない。ゆえにそのあまりに一方的な虐待の数々を見るにつけ、豊子が本当の鬼のようにすら見えてくる。次から次へと変わる「お父さん」もみな豊子の虐待を見て見ぬふりをし続ける。本当に見ていてつらい。

豊子の娘、照枝(原田美枝子)は、その虐待のトラウマから自分の娘(野波麻帆)と正常な親子関係を築けないでいた。だが、実父の骨を探す旅を通じて、自分自身を再生させ、娘との絆を取り戻そうとするプロセスが丹念に描かれる。

平山作品は、この「丹念さ」が特徴のように感じる。非常にまじめで静かに訴えてくる作風。そして、今作における特徴は敢えて「語らない」部分を作っていることだと思う。それは案外重要なところなんだけど、たぶん敢えて語ってないのだろう。

一つはなぜ豊子がこんなに子供を虐待するのか。お腹にできた時から「これで彼はもう私を愛さなくなる」という台詞があることから、陳さんの愛をひとりじめしたかった、ということくらいは伺える。そして、もう一つは照枝はなぜ現在母子家庭なのかということ。いずれも心のトラウマが原因だろうと思うが、この部分を敢えて明かさずに、豊子に同情の余地を与えず、照枝にも哀れみを与えないようにした離れた目線で描き続ける。それが逆にふたりの関係をリアルに浮きだたせているように感じた。

それから、この作品は音楽をほとんど使わず静かな作品であるのがとてもいい。テーマ曲であるギターの悲しげな音色が時折入るのだが、このタイミングが絶妙でその切ないメロディが映画にぴったり合っている。

大人になってようやく母に別れを告げることができた照枝。そこには、自分の娘との新たな関係を築けるだろうという希望が見て取れる。最後に娘が照枝にかけるひと言に胸が締め付けられる。非常にいいラストシーンです。
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by galarina | 2007-04-03 23:02 | 映画(あ行)

海を飛ぶ夢

2004年/スペイン 監督/アレハンドロ・アメナーバル

「愛する人を殺せますか」
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海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、尊厳死を希望している。しかし、全く体が動かない彼にとっての尊厳死は「誰かが彼を死なせる手助け」が必要。この映画の主題は「愛する人が本当に死を望んでいるのなら、その手助けができるか」という極限の問いである。映画を見た全ての人は、自分の愛する人がラモンと同じように「死にたい」と願った時に自分はどのように行動するかを考えさせられることだろう。

ラモンの尊厳死への希望が実に厳粛な問題として受け止められるのは、彼は感傷的になって死にたいと望んでいるのではない、ということである。ラモンはやけっぱちになっているのでもなく、精神的におかしいわけでもない。実に理路整然と自分の生には尊厳がない、と言い切る彼に一体どんな反論ができるというのだろう。命は神から授かったもの、やけになって死んじゃいけない、生きていればいいことはある…。どんな説得も彼の「尊厳のない生」という主張には、効力を持たない。

それでもなお、ラモンの要求をわがままと受け取る人もいるだろう。このテーマは、自分は「死」をどう考えるか、という踏み絵でもあるのです。

さて、尊厳死を巡る極限の問いを放つというテーマ性だけがこの映画のすばらしいところではありません。本作はひとりの男を巡る3人の女たちが登場する珠玉のラブストーリーでもあります。一人目は常に彼の面倒を見てきた義理の姉。彼女はラモンの兄の妻ですが、明らかに彼女はラモンを愛している。私の目にはそう映りました。二人目は尊厳死の訴訟を引き受けた女弁護士フリア。ラモンも彼女を愛し始めるのですが、悲しい結末を迎えてしまいます。そして、ラモンに仕事や家庭のグチをぶちまける工場勤めの女、ローザ。強引で自分勝手な彼女が最後までラモンと付き合う運命になるとは…。

死にたいと願っている男を好きになってしまう。なぜなら、常に生と死を考えに考え抜いてきた経験が彼に人間としての魅力を与えているから。何とも皮肉なことではあるけれど、ラモンの人生は最後に大きく輝いたと言えるでしょう。

ラモンの家族は彼の尊厳死を強く反対します。それは、愛する人を死なせたくないという思いと共に、彼をみすみす死なせたという罪悪感に捕らわれるのが怖いからであり、大きな喪失感に耐えられないのがわかっているからです。家族のとらえ方、友人のとらえ方、恋人のとらえ方の違いを比較することでも、「死」に直面した時に人はどう感じ、どう行動するのかを深く考えることができる、すばらしい作品です。
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by galarina | 2007-03-29 23:26 | 映画(あ行)

UNLOVED

2002年/日本 監督/万田邦敏

「価値観の転倒にめまい」
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これは非常に奇妙な映画です。見終わった後の何とも言えない感情は今でも覚えているくらい。とにかく「私を愛さないで」と言い続けるんです、主人公が。女として考えられますか?

光子(森口瑤子)は生活に変化をきたすのを心の底から畏れている公務員。偶然仕事ぶりが認められ、青年社長の勝野(仲村トオル)に言い寄られるのだけど、それをことごとくはねつける。
仕事を紹介しても断るし、ドレスも食事も断るし、あなたの愛はいらないと言う。まあ、普通の女なら素直に喜ぶ、プリティ・ウーマン的展開ですよ。光子のその否定ぶりってのが、これまた強烈なんですね。勝野にしてみれば、何で俺の提案を断るのか全くわからん!ってこと。

で、光子は勝野ではなくアパートの階下に超してきた溶接工の下川(松岡俊介)とつきあい始める。光子は下川といる方が自分らしくいられる。まあ、その気持ちもわからなくはないです。でも、ここからの展開がまたすごい。勝野に刺激された下川に上昇志向が生まれる。するとなんと、光子は激高するんですよ。「あんたはそのままでいいのに!」って。

光子には光子なりの価値観があるんですね。冨や名誉なんていらないと言う。しかし、彼女は冨や名誉ではなく、人として男を選択しているのか、というと、これまたそうじゃない。ここが、実に興味深いキャラクター設定でね。光子のかたくなまでの自分の価値観への執着ぶりというのは、見ていてだんだん吐き気がしてくるくらい偏執的なんですよ。自分の価値観を守るだけではなく、相手の価値観の変化も絶対に許さない女。光子にどんな過去があって、このような考えに至ったのかは一切描かれていないので、光子に同情しようもできない。

しかし、非常に印象的な映画であることは間違いありません。この作品は、役者はほぼこの3人だけで、しかもセリフ回しが驚くほど棒読みなんです。間違いなく意図的な演出です。無機質な声色で「いらない」「帰れ」と否定的なワードを言い続ける光子を見ていると、なんだかくらくらしてきます。そして、光子を演じる森口瑤子が実にこの役にぴったりハマっている。

「女はみんな愛されたがっている」と思っている男性諸氏。この映画でその価値観はぶちのめされます。見終わったら今後女性に対してどう接すればいいのか、頭を抱えることマチガイありません。
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by galarina | 2007-03-23 17:11 | 映画(あ行)

アザーズ

2001年/アメリカ=スペイン=フランス  監督/アレハンドロ・アメナーバル

「頭を使うサスペンスに疲れている人はぜひ」
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ニコールキッドマンがすんばらしく美しい!

以上

と終わりたいほどニコールの美しさにうっとり。まさに、ブロンド・ビューティーってんでしょうか。往年の大女優、マリーネ・デートリッヒばりのオールドスタイルの巻髪がとても似合ってましたね。で、美しくて、敬虔なクリスチャンで、夫を待ち続ける貞淑な妻であるニコールが追い詰められれば追い詰められるほど、ドキドキする。やはり、追い詰められるのは美女でないと、臨場感が出ない。

さて、ゴシックホラーというよりも、私は単純に謎解きサスペンスとして楽しめました。この手の映画は、近年あまりにもレベルが上がってしまって、ストーリー展開が伏線だらけの複雑なものや、やたらと哲学的な思想を盛り込んだものなど、どんどん深く掘り下げる傾向にあるように思う。もちろん、この「アザーズ」にも伏線はある。かなりある。そして、この伏線をしっかり考えながら見てると、割とすんなりラストのどんでん返しに思いつくのかも知れない。

でも、みなさんそんなに推理をしながら映画を見ているものなの?私は、どちらかというと全くしないなあ。ただ、身を委ねて見ているという。だから、「SAW」みたいな伏線だらけの複雑怪奇なストーリーって、正直後がめんどくさいの。見た後に、余韻に浸るのは好きだけど、見た後に何かをはっきりさせるために検証するって作業は、あまり好きじゃない。

そういう私みたいな観客にとっては、この作品はラストのどんでん返しには素直に膝を打ったし、そう言えばそうだよね、と合点の行くことばかりで、オチが出れば謎は残らないというもの。もちろん、その身を委ねてただ見ているのは、ニコールの美しさに負うところも大きいんですよ。彼女はやたらと聖書に倣って厳しく子供を育てているんだけど、そのヒステリックなまでの狂信ぶりにどんどん引き込まれちゃう。で、彼女のその性格はちゃんとオチにも繋がってるし。昨今のやたらと複雑なサスペンスものに疲れていたので、ある意味新鮮に感じたなあ。
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by galarina | 2007-03-20 23:36 | 映画(あ行)

イン・ザ・カット

2004年/アメリカ 監督/ジェーン・カンピオン

「闇あってこその官能」
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これはポルノなのか、サスペンスなのか、文芸作品なのか、どれにしても中途半端だなんて、言う人もいるらしい今作品。なぜ、みなさんそんなにジャンル分けしたがるのかしら?そのまま受け止めればいいじゃない。メグ・ライアンはコメディにしておくべき、なんて私ちっとも思いませんでしたわ。むしろ、ハマリ役だった。私はこの作品、好きです。

そもそもニコール・キッドマンを念頭に置いて書かれた脚本に、メグ・ライアンが惚れ込み、どうしても、と主演に収まり、ニコールも本作への思い入れがあるため製作側にまわっている。このハリウッドを代表するふたりの女優がなぜこれほどまでにこの物語に惹かれたのか、私はわかるような気がする。

知的でキャリアのある独身女の孤独というのは、「ピアニスト」同様、わからない人には何とも不可解で滑稽に見える。主人公のフラニー(メグ・ライアン)は大学で文学を教える講師。しかし、スラングを教えて欲しいと黒人の学生と一緒にいかがわしい雰囲気のバーに行くし、以前付き合っていた男は変質的なストーカーと化している。知的な女性がなぜこんなことを、いう疑念が、「これはハーレクインばりのソフトポルノにしたいからなのね」、と短絡的に決めつけられるのはあまりに悲しい。

自立している女性というのは、基本的には男に頼りたい、という意思はない。男性諸氏には申し訳ないが、本当に全くない。またフラニーは5度も離婚を繰り返したという父親のトラウマがあって、男性に心を開くことができない。しかし、男に抱かれたいという欲求はある。その「抱かれたい」という気持ちは、あくまでも満たして欲しいという思いであり、相互の依存関係を求めているわけではない。しかし、そんな虫のいい要求を満たしてくれる男も少ないし、社会通念がそれが阻む。頭と体のジレンマは自立した女性の永遠のテーマだ。

ニコールを押しのけてこの役に挑んだメグ・ライアン。とてもエキセントリックで心に闇を抱えた女性をミステリアスに演じている。基本的にはぎすぎすした女ということなんだろうが、メガネをかける仕草などにとても性的魅力を感じさせる。疲れた感じだからこそ出る女のエロチシズム。先が読めない不穏なイメージや殺人事件が絡むミステリアスなムードにもドキドキさせられる。

文学を教えるフラニーは、地下鉄の広告などで気になった文章を書き留める、という習慣がある。言葉に何かを見いだしたいという彼女と、殺人犯かも知れない男に欲情を覚えるという彼女は、私の中でぴったり符合する。メグ・ライアンは、イメージチェンジしたいとか、新境地を開きたいとかそういうことではなく、本気でこの役をやりたかったんだと思う。
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by galarina | 2007-02-19 14:00 | 映画(あ行)

ヴァージン・スーサイズ

1999年/アメリカ 監督/ソフィア・コッポラ

「美しき花々は枯れることなく突然消えた」
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ソフィア・コッポラの初監督作品。1970年代のリスボン家の5姉妹の不可思議な自殺へのプロセスを隣に住む兄弟が語り手となって描く異色作。

ティーンエージャーの揺れ動く心理、刹那的な生き方、耽美や怠惰への憧憬など、処女作で扱ったモチーフはそのまま現在公開中の「マリー・アントワネット」に通じている。5人の美人姉妹の末娘が風呂場で手首を切ったことがきっかけで「死」への憧憬は、またたくまに他の4人の少女たちに伝染する。10代の少女特有の情緒不安定な心理を描いた映画はたくさんあり、近年の日本映画なら援助交際を扱った作品などが思い浮かぶ。

しかし、今作を見て私の脳裏によぎったのは、日本の耽美派少女漫画の世界である。こりゃあ、萩尾望都か竹宮恵子じゃないのか、と思った。娘を愛するあまり、家から一歩も出させない厳格な両親というキャラクターなんぞ、まさにそんな感じ。金髪の美少女が5人も揃って庭駆け回る様子もしかり。というわけで、ソフィア・コッポラは日本の少女漫画オタクなんでは?と思わず勘ぐってしまうのだ。「マリー・アントワネット」を映画化したあたりからして。

さて、4女を演じるのがキルステン・ダンスト(昔はキルスティンって言ってたのにいつからキルステンなの?)。決して端正な美人顔ではないキルステンが姉妹の中では一番奔放な役どころで、自分の中の鬱屈を何とか解消したい少女の心理を好演している。非常に印象深い演技で、ソフィア・コッポラにとってお気に入りの女優になったのもうなずける。

5人姉妹の自殺の理由を映画の中に求める人は、映画を楽しめないのは当たり前だろう。だって確たる理由なんてないのだもの。悲しいことに昨今いじめによる自殺を報道することが、また別の自殺をうながすような状況が頻繁に起こっている。ティーンエージャーにとって、「生きる」ことはとても曖昧で、「死」は甘美な世界に思えてしまう。そんな綱の上を歩くような若者の精神状態をソフィア・コッポラは、実に儚く、揺れるような映像美で見せる。

隣家の兄弟にとって、5人姉妹は少女の儚さ、美しさを永遠にとどめたまま存在し続ける。彼女たちの存在はまるで夢であったかのようだ。美しい宝石箱を見せられて、パタンと蓋を閉じられたような感覚。エンディングはまさに新作「マリー・アントワネット」と同じ余韻だ。
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by galarina | 2007-01-31 23:13 | 映画(あ行)