「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:映画(あ行)( 68 )

明日へのチケット

2005年/イタリア・イギリス 監督/エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ

c0076382_17555419.jpg


有名監督による3部作ですが、どれも甲乙つけがたいほどいいですね。もう随分昔の話ですがユーレイルパスでヨーロッパを列車で旅すること、3回。「パリ、ジュテーム」に引き続き「ヨーロッパ行きたい病」に胸を掻きむしられる思いです。それにほとんど列車内の映像なのですが、あの揺れまくる列車の中で一体どうやって撮影したのだろうと驚くばかりです。通路は狭いし、機材の持ち込みも大変だったでしょう。また、あれだけ窓があれば、撮影スタッフは映り込みそうなものです。これは編集段階で処理するようなことがあったのでしょうか。いずれにしろ、その撮影の苦労を微塵も感じさせないような、軽やかで爽やかな作品に仕上がっているのが本当に素晴らしいと思います。

エルマンノ・オルミ監督による第一話
女性秘書に思いを馳せる老教授の食堂車でのほんのひと時のお話。ただ、彼女を思い出してあれこれ想像を膨らませるというだけですが、なんとまあ豊穣な世界が広がっていること。私はこの作品が一番好き。初恋の思い出も交えながら、回想と妄想が交錯する様が絶妙です。別れの後、揺れる列車内で、あれやこれやと思いを巡らせる経験は誰にでもあるはず。老人の妄想は控え目でありながら、彼女に触れられたいという欲望もちらりと覗かせます。そして、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキの何と麗しい表情。彼女の作品は結構観ているのですが、実に印象的な佇まいで魅了されました。

アッバス・キアロスタミ監督による第二話
窓に映り込む景色がとても美しいのです。青年兵士がうつろな表情で窓外を見やる。その背景に流れゆく木々の緑。老婦人に翻弄される彼の心情の揺れと見事にオーバーラップしていきます。この老婦人と青年は一体どういう関係なのかを推察したり、携帯を取られたと喧嘩になったその行く末にハラハラしたり、他の2作に比べて様々な不安が呼び起こされます。しかし、この車内の一角という限られたシチュエーションで、気持ちのすれ違いが起こす人情の機微を鮮やかに切り取っています。実に味わい深い作品。

ケン・ローチ監督による第三話
切符がない。よくあることです。そこから、まさかこんな心温まる物語に集結するとは思いもしませんでした。切符は盗まれたのだと主張する赤毛の青年の何と腹立たしいこと(笑)。そんな彼が勇気を出せたのは、難民たちが同じ車両の乗客だったからと考えるのは言い過ぎでしょうか。同じ空間の中で、同じ方向に向かって、同じ揺れを感じて旅をすることで生まれる連帯感。しかし、列車を降りれば、もうその繋がりは消えてなくなる。その刹那的な出会いに列車の旅の醍醐味が詰まっています。セルティックの応援歌は、そのまま旅ってすばらしいと言う賛歌に聞こえた、実に鮮やかなエンディングでした。
[PR]
by galarina | 2008-06-14 15:38 | 映画(あ行)
1999年/スペイン 監督/ペドロ・アルモドバル

「地球上に存在する愛の見本市」
c0076382_23382469.jpg


子から親への愛、親から子への愛、男と女の愛、女同士の愛、男同士の愛…エトセトラ、エトセトラ。そして最終的には「人間愛」までを豊かに描き出す傑作。とにかく、この地球上のありとあらゆる「愛のバリエーション」がこの作品で提示されているのではないでしょうか。そのバリエーションを生み出しているのは、「性」を超えた関係性。これぞ、アルモドバルにしか描けない境地だと思います。ガタイの大きなスペイン人男性が巨乳となって闊歩するようなシーンに惑わされてしまいますが、そういうキワモノ表現の裏に深いメッセージを隠す。このバランスキープ力というのが、アルモドバル監督の凄さでしょう。

一方、本作には「映画内ビデオ」「映画内映画」「映画内舞台」などの劇中劇が多数盛り込まれています。そして、エンドクレジットには、名女優たちに捧ぐのメッセージ。そこには、「演じる女」に対するアルモドバル監督の深い愛が見て取れます。女とは我が人生を演じる生き物。幾多の苦難も演じることで乗り越えてゆく、女性の強靱さとしなやかさを見事に描いています。驚くべきは、作中描かれている映画や舞台がそもそも持ち合わせているモチーフを本来のストーリーと見事にリンクさせていることです。息子を失ったマヌエラが、「欲望という名の電車」におけるステラを演じることで悲しみを乗り越えていくというように。

ですから、構造的には意外と複雑な作品と言えるでしょう。冒頭、臓器コーディネーターのマヌエラが、広報用のビデオに仮想のドナー家族として演技をするくだりがありますが、これも後になってマヌエラの実生活と見事にリンクしていくわけですが、きちんと消化しないとやけにモヤモヤの残るシーンになってしまいます。ゆえに、初見ではこの作品の深みを堪能するのは無理なような気もします。正直、私も初めて観た時は、どぎついシーンの印象が強すぎて、息子を失ったマヌエラの再生物語という軸の部分についていくのが精一杯でした。

とにかく、噛めば噛むほど味の出ると言いましょうか、見る度に新しい発見と感動をもたらしてくれる作品。もちろん、いつものアルモドバルらしい色鮮やかな映像も堪能できます。スペイン好きと致しましては、マヌエラが住むバルセロナのマンションのカラフルなインテリアなど、見ているだけでウキウキします。そして、オカマちゃんアグラードの何と愛らしいこと。様々な作品でトランスジェンダーの方の登場作品を見ていますが、私はこのアグラードが一番好きです。
[PR]
by galarina | 2008-06-01 01:10 | 映画(あ行)
2006年/日本 監督/中村義洋

「期待しすぎて、失敗」
c0076382_18225912.jpg


「神様を閉じこめるのさ」とか「悲劇は裏口から起きる」に代表されるような、カッコつけたセリフがちっともカッコよく決まっていません。むしろ、こっぱずかしくて、椅子から立ち上がりたいほど。お尻がこそばゆいです。伊坂作品は「ゴールデンスランバー」「死神の精度」「重力ピエロ」と読みました。重大な物事や事件を敢えてスカして見せるとでもいいましょうか。つらく悲しいことをサラリと淡々と描く。その行間に流れるもの悲しげなムードこそ、伊坂作品の特徴なのですが、この作品はそのムード作りに失敗しています。

冒頭のバグダッド・カフェばりの本屋の看板。このカットがあまりに思わせぶりで、後は下降していくのみです。何せネタふりの前半1時間がたるい。隣の隣のブータン人がブータン人ではないことくらい、すぐにわかってしまうので、早く教えてくれよとイライラしました。後半、解き明かされる真相も、なるほど!と膝を打つようなものではなく、こんなに待たせてそれかよ…と拍子抜け。原作が悪いのではなく、見せ方が下手なんだろうと思います。まさにボブ・ディランの「風に吹かれて」の雰囲気を全編に漂わせようとしたのでしょうが、あまりにもテンポが悪くてだれてしまいました。

後半部のキモは何と言っても、ブータン人の悲哀が出せるかどうか。これにのみ、かかっています。しかし、残念ながら、ブータン人を演じる役者の器量がまだまだ足りなかったようです。例えば、オダギリジョーなら、このもの悲しさはもっと出たように思いますね。例のセリフも、もっと決まってたでしょう。でも、役者の責任というより、もっと監督が彼の心情に寄り添った演出をしないとダメでしょう。すごく悲しい真相なのに、ちっとも悲しく思えない。その時点で、ダメだあ~と思ってしまったのでした。期待していたので、余計に残念。
[PR]
by galarina | 2008-04-21 23:48 | 映画(あ行)

市川崑物語

2006年/日本 監督/岩井俊二

「なんじゃ、こりゃ」
c0076382_23475492.jpg


とても退屈でした。市川監督にオマージュを捧げるということで、ほとんど黒バックのタイポグラフィと静止画で構成された作品。よって、ただでさえ動きがないのに、新しい発見が何もない。そこが致命的です。敬愛する人について述べるなら、その監督なりの新たな切り口を見せて欲しい。なるほど、そういう見方もあるのか。さすがプロの映画監督だな、と思わせてくれなきゃ。ただ、だらだらと市川監督の生い立ちとフィルモグラフィを綴っているだけなのです。これって、ボクちんはとっても市川作品が好きなんだよ、とアピールしたかっただけなのでしょうか。逆に市川監督が利用されちゃったような気すらしました。
[PR]
by galarina | 2008-03-27 23:48 | 映画(あ行)

ありがとう

2006年/日本 監督/万田邦敏

「すばらしい感動作。関西在住の方は、とにかく見て欲しい」
c0076382_17262581.jpg


あまりにベタなストーリーでありながら、映画としてのクオリティの高さに感動。神戸への想いも込めて、文句なく五つ星です。感動もので五つ星を付けたのは初めてかも知れません。それくらい、すばらしかった。

前半の震災シーンの描写がすごいのです。容赦なく建物が壊れていく様は恐怖を覚えます。でも、戦争や原爆映画などに見られる凄惨さとは、少し違います。例えば、倒壊した家屋の隙間から覗く手。これが本当にどきっとします。これで十分に地震の脅威、人々のつらさが痛いほど伝わります。おそらく、その時はもっともっとひどい状況だったに違いありません。でも、俳優陣が特殊メイクをして怪我人や病人としてふるまった時に、観客はどう受け取るでしょう。おそらく震災当事者の方々は直視できないでしょう。また、そこに嘘くささや作り物としての拒否反応が出ないでしょうか。アスファルトに敷かれたお布団。枕元に弔いのろうそく。こういうシンプルなワンカットが強烈な印象と、深いメッセージを放つのです。作り手は、大勢の被害者を出したこの震災を描くにあたって、非常に細やかな配慮をしている。しかし、地震の凄まじさは恐ろしいほどに伝わってくる。そこが、すごく巧いのです。

震災後、古市夫妻が口論をします。「おまえは泣いてばっかりやないか。ええかんげんにせい。」「お金のかかるゴルフを黙ってやらせてあげてたのに、こんなことになってもうどうしょーもない。」こういうやりとりが、めちゃめちゃリアルなんです。そこから、「3つの顔」という話になります。これが、またアホみたいにベタな例え話でね、いつもの私やったら「アホくさ」と一蹴してしまうような話なんです。ところが、もの凄く心に染みました。泣けました。どんな人も登場人物のセリフに素直に耳を傾けたくなる。それは前半部の震災シーンの凄みがあるからです。そして、主演が赤井英和だからではないでしょうか。

「どついたるねん」以降、俳優赤井英和が私は好きです。最近はすっかり太ってにやけたオッサンになってましたけど、やっぱりこの人は映画では希有な存在感を示します。忠夫がことあるごとに、「おおきに」「やったるでー」と前向きな関西弁を連発しますね。これが、中井貴一だったらどうでしょう。佐藤浩市だったらどうでしょう。きっと彼らなら「おおきに」のひと言に心を込めて感情豊かに言うはずです。でも、それは何遍も聞いてると、だんだん嫌味に感じないでしょうか。ぶっきらぼうで、実直で、なーんも考えてない赤井が連発する「おおきに」だからこそ、やけに心に染みます。赤井が持っているピュアな部分がこの作品のメッセージとぴったり合っているのです。映画が始まってすぐゴルフ場のロッカーシーン。デジタル時計が「5:46」を示し、赤井が「起きた!」と叫ぶ。赤井らしくて、すごいいいシーンです。また、忠夫を支える田中好子、薬師丸ひろ子。そして、消防団仲間の尾美としのりと光石研。脇を支える俳優陣もすばらしい演技を見せます。中でも田中好子は出色の出来映えだと思います。

空撮シーンがたくさん出てきます。復興後の神戸の街並み。長田の火災のニュース映像。鮮やかなグリーンがまぶしいゴルフ場。空撮の映像でこんなに感傷的な気持ちになったのは、初めてかも知れません。それほど、空撮が効果的です。また、冒頭の廊下でのシークエンスがラストに再び登場する。こういう映画としての巧いテクニックも随所に光ります。「星になった少年」で日本映画は感動作を作るのが下手と言いましたが、撤回します。これは、全ての人に見て欲しい感動作です。阪神大震災を忘れたらあかん。忘れかけてた当たり前のことを思いだし、しっかりと心に刻みました。
[PR]
by galarina | 2008-03-26 23:16 | 映画(あ行)
2005年/スペイン 監督/イザベル・コイシェ

「個性あふれる感動作」
c0076382_14503673.jpg


感動作として完成度が高いだけでなく、非常に個性的な映画だということで感銘を受けました。その個性の一つは、場所や環境の描き方です。簡素で無機質なハンナの勤める繊維工場。帰り道には、錆びた船の残骸や山のように捨てられたゴミが見えます。一方、ジョセフが勤めるのは海の真ん中にポツンと建つ鉄骨の油田掘削所。まるで世界から見放された場所のよう。スクリーンから潮の香りすら感じさせられました。

そして、これほど寂しげなシチュエーションでありながら、作品としては全く殺伐としたムードが漂っていない。そこがとてもすばらしい。時折インサートされるほんのちっぽけな心の交流が、ぽわんと明かりを灯すようなのです。ハンナとジョセフの会話のシーンでは、カメラはまるでカーテン越しにふたりを捉えているかのような撮影です。スクリーンの端にぼんやりとした影が写ったり、ゆらゆらと揺れたり。その距離感がとてもいいんですね。じっと2人を見守っているような感じです。

ハンナが告げる秘密の壮絶さには、息を呑みました。静かに進む演出だからこそ、その事実の持つ痛みが我々に突き刺さります。また冒頭、「私はハンナの友人です」という語り部の存在がいるのですが、一体それは誰なんだろうと思っていたら、ラストシーンでその秘密が明らかになります。これまた、実につらい現実なのですが、幸福の予感と共に語られることで、ハンナの悲劇が終わりを告げることを感じさせるのです。食事が物語のアクセントになっているのも巧い。とてもいい脚本です。

ティム・ロビンスはさすがの演技ですが、ある意味期待通り。むしろ、サラ・ポーリーの存在感でしょう。感情の起伏の少ない役どころで、もちろん彼女が秘密を抱えていることは観客の誰しもわかっていることですが、悲壮な感じや刺々しい感じがありません。彼女の肩にそっと手を添えてあげたい、そんな気持ちになりました。監督のイザベル・コイシェはバルセロナ出身のスペイン人。スペインと言えば、人物の感情表現は激しく、色鮮やかな映像美なんかを思い起こさせるのですが、この人は全く違いますね。その辺りも実に興味深いところです。
[PR]
by galarina | 2008-03-23 23:50 | 映画(あ行)

狼よさらば

1974年/アメリカ 監督/マイケル・ウィナー

「ニューヨークの乾き」
c0076382_22491026.jpg


「ブレイブ・ワン」の内容が酷似している、ということで観賞。

のっけからやたらとお洒落なジャズサウンドが流れる。音楽は誰かと思ったらハービー・ハンコックなんですよ。カッコいいわけだ。全編に渡ってこのジャジーでメロウなサウンドが心地よく、復讐劇としてのじめっとしたテイストを微塵も感じさせない。チャールズ・ブロンソンの作品を見たことがないとは言わないけれど、久しぶりのご対面。でも、私にはポールがあまりに硬派な男で、実のところ感情的な部分ではあまり入り込めなかった。強盗に妻を殺され、娘が植物状態になっても、あの落ち着きようって、どうなんでしょう。これって、やはり女性としての目線なんでしょうかね。

でも、ケリの付け方がすばらしいです。なるほど、社会とはそんなものだと皆が納得するようなエンディングです。本作も「ブレイブ・ワン」も共に同じ問題定義をしているわけですが、「ブレイブ・ワン」はそこに個人的な感情を介入させてしまった。そこが、賛否両論を起こしている最も大きな点だと思います。本作では、ポールの個人的な感情も、ポールを追いかける刑事の個人的な感情も、あまり大きなウェイトが占められていない。もしかしたら、ポールが妻の死を嘆き悲しみ、復讐に燃えるような感情的な描写を出してしまうと、観客は否応なしにポールの味方になってしまう。それを避けるために、あのような硬派な演出にしたのかも知れません。「ブレイブ・ワン」とは対照的にからっからに乾いた作品。でも、だからダメかというと、そうではなくて、このドライな感じが本作の持ち味のように感じられました。例のジャズサウンドもあって、ニューヨークという街そのものを見事に捉えた秀作だと思います。
[PR]
by galarina | 2008-03-04 22:50 | 映画(あ行)

ウォーターホース

2007年/イギリス 監督/ジェイ・ラッセル
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

c0076382_15305164.jpg


「E.T」に似ているとか、「のび太の恐竜」に似ているとか。そういう感想を述べるのは不毛だと思う。全ての映画って、そのような形容が可能ですからね。スコットランドの雄大な景色と軽やかなケルトミュージック。十分にオリジナリティのある作品だと私は思います。

ネス湖の風景がとても美しい。ネス湖って、こんなに広いんですね。知りませんでした。丘の上に立って、湖を見下ろすと、美しい湾が広がります。しかし、時は戦争のさなか。その神聖とも言える場所に大人たちは砲台をしつらえ始める。アンガス少年を取り巻く大人たちの身勝手さというのが、少年の純粋な心と対比的に描かれているのがとてもいいですね。理解しようとしない母親、見栄っ張りの軍人たち。そして、一攫千金を企むカメラマン。そんな中、ルイスという流れ者が小屋番としてやってきますが、彼とアンガスの心の交流をもう少し丁寧に描いてくれたら良かったのになあ。

ウォーターホースの背につかまり、湖を縦横無尽に泳ぎ回る様子はとても爽快です。潜行してから、ジャンプする様子もなかなかの迫力。水が怖いアンガス少年が、トラウマを乗り越えるんですね。終盤、潜望鏡と間違う軍人やモンスターを捉えると意気込む男たちから、クルーソーが逃げ回る展開になり、とてもハラハラさせられます。再びアンガス少年とクルーソーが湖を泳ぎ回るのですが、夜の海の不気味さがよく表現されています。

ネッシーというとのんびり湖を泳いでいるようなイメージですが、本作では凄まじい早さで湖底を泳ぎ、まるでシャチのようなジャンプを見せます。これは、やはり映画館のスクリーンで味わいたい迫力でしょう。物語はオーソドックスですが、見終わってから子供に物語を補完するような必要がありません。それはそれで、安心して見られるという良作ということだと思います。

「最後のアレはいらんかったなぁ」とポツリとつぶやいた息子。あれを、蛇足と見たか。なかなか見る目が鍛えられてきました(笑)。
[PR]
by galarina | 2008-03-03 23:55 | 映画(あ行)

悪霊島

1981/日本 監督/篠田正浩

「最も美しい犯人だったのに」
c0076382_22262784.jpg


市川版にとらわれず、自分らしい横溝作品を作ろうという、篠田監督の並々ならぬチャレンジ精神がこの作品には宿っています。チャレンジすれば、おのずと良い方向に転がるもの、悪い方向に転がるものがあります。最も良い方向に転がったのは、岩下志麻の魅力を存分に味わえること。ある意味、本作は岩下志麻を観る作品、と言い切ってしまってもいい。

ニンフォマニアである巴御前、原作では次々と男を寝屋に誘い込み、安いポルノ小説のような描写になってしまいますが、岩下志麻の巴御前はエキセントリックな美しさを存分に発揮しています。しかも、話題となった自慰シーンは、原作にはありません。篠田監督は敢えてこのシーンを作品に加えている。それこそ、チャレンジでなくて、なんでありましょう。また、原作の巴御前は多重人格者でもありません。よって人格が入れ替わるという見せ場も岩下志麻の女優としての力量を見せるために作られたのかも知れません。

しかし、篠田監督は本作において「ヒッピー世代」にやたらと執着しているんですね。それが、私には大きな違和感となって残ります。本作は語り部である五郎が過去を振り返るというシーンから始まりますが、その冒頭で告げられるのがジョン・レノンの暗殺事件、以降髪を長く伸ばし見知らぬ母を捜すヒッピーの僕に時代は遡り、ラストで再び現代に戻ります。原作の五郎もヒッピー風の若者として紹介されますが、その程度です。ここにどうしても、高度経済成長期の日本(作品で言うところの現代)が失ってしまったもの、ヒッピー世代への郷愁を見せたいという意図があります。もちろん、これが凄惨な事件と相乗効果をもたらして、メッセージを発してくれれば何の文句もありません。しかし、私にはどうもこのモチーフが全体のバランスを損ねているようにしか見えないのです。この「ヒッピー世代」のこだわりの最たる物こそエンディングの「レット・イット・ビー」であり、この曲の採用が版権問題により長年DVD化を阻んできたのは何とも皮肉な話です。

しかも、原作で実に重大なエピソードを映画では削除しているんです。それは、語り部の五郎は、何と磯川警部の実の息子だった、というオチなんです。磯川警部が戦地にいる間、流産したと知らされていた子供が生きていた。その息子と事件を通じて出会う道しるべを作るその人こそ盟友金田一なんですよ。これは、原作ファンは、入れて欲しいエピソードだったんじゃないでしょうか。

岩下志麻が、市川版の美人犯人のいずれをも凌ぐ妖しさと美しさを発揮したのだから、ビートルズなんぞにこだわらず、とことん彼女を際だたせる構成にすれば良かったのに、とシリーズファンだから思ってしまいます。好きで好きでたまらない男を待ちこがれて狂ってしまった女が死んだ後、レット・イット・ビーを流されても、何だかなあという気分しか残らないのです。嗚呼、岩下志麻がもったいない。
[PR]
by galarina | 2008-02-11 23:41 | 映画(あ行)

エンジェル

2007年/フランス 監督/フランソワ・オゾン
<テアトル梅田にて鑑賞>

「絶対にお近づきになりたくないオンナ」

c0076382_01166.jpg


大好きなフランソワ・オゾンの最新作。まず舞台がイギリスってことで、英語なんですよ(当たり前ですが)。やっぱりオゾン作品はフランス語で見たいなあ。というのも、言葉遊びってフランス語の方が豊かなイメージがあるのね。それに嫌みをいっても、フランス語の響きで緩和されるところがあるでしょ。オゾンのような男女の駆け引きとか皮肉めいた言い回しなどはフランス語で聞いてこそ、本来あるべき姿に感じられる。それから、女流作家の一生ってことで全編文芸作品的なテイストで、これがあまり私の好みではなかったかな。

さて、原作があるってことですが、主人公のエンジェルは、オゾンが彼女を描こうとするのも納得!というほど、女という生き物の嫌な部分だけを抽出したような人物設定(笑)。もし、私が近くにいたら、私なりの女の本能で彼女には絶対近づかないな。巻き込まれたら最後、とことん相手を振り回すような女だもん。エンジェルに一目惚れされたエスメは、一目会ったその時点から御愁傷様という感じ。

本作を見て私はガス・ヴァン・サイトの「誘う女」を思い出した。スザーンって言うすさまじい自己顕示欲の持ち主をニコールが見事に演じていたけど、エンジェルも今の時代なら間違いなく精神障害じゃないかしら。彼女の人生を支えているものは空想ではなく、妄想。実の母親が死んだ後、食料品店の店主だった彼女を「偉大なピアニストでした」と涙ながらに語るシーンはかなりイタいんだけど、見方を変えれば結局真実の何か、例えば愛とか友情を得ることは絶対にないわけで哀れな女とも見える。まあ、妄想だけでベストセラーが書けるんだから、文才はあるんだし、あれだけ奔放に生きるのもそれはそれで幸せなのかしらね。ただ、エンジェルというキャラクターが観客を強く捉えるには、主演のロモーラ・ガライは今一歩という感じかしら。

終盤、夫の愛人に会いに行く時のエンジェルはやつれ果てて髪の毛もボサボサで真っ青な羽飾りのついた帽子をかぶってまるで海賊のような出で立ちで出かけるワケ。ところがね、このエンジェルのファッションがとってもクールなの。それまでのエンジェルは大金持ちでいいもの着て、幸せの絶頂にいるんだけど、その趣味の悪いこと、悪いこと。不幸になってからイケてる女に見せるってのは、何ともオゾンらしいかも知れませんね。
[PR]
by galarina | 2008-01-10 23:51 | 映画(あ行)