「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:TVドラマ( 44 )

1989年/アメリカ 監督/デヴィッド・リンチ
<プロローグ&episode1>

「類い希なる才能。リンチの“焼き付ける力"」
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ようやくレンタルでリリースされた「ツイン・ピークス」。あれから15年以上たっているというのに、プロローグでの名場面をことごとく覚えているということに驚く。ビニールにくるまれたローラの死体を始め、暗い階段とシーリングファン、暗闇に揺れる信号機、不気味なふくろうなど、それらの映像はそっくりそのまま記憶の中のものと符合する。まるでローラの母親が叫び出す瞬間に見るフラッシュバック現象のようだ。

改めて感じるのは、リンチの映像は一連のシークエンスというのではなく、「ストップモーションの強烈なイメージ」として、脳内に流れ込んでくるような衝撃を持っているということ。先にあげた印象的なシーンにおいても、まるで私の網膜に焼き付けられていたような感じだ。そこで、ふと思い出すのがデヴィッド・リンチは画家を目指していたと言うエピソード。今でも個展など開いたりしているが、彼の絵描きとしての才能がこの独特の“絵力”に結びついているのではないかと思うのだ。

また、彼はツイン・ピークスシリーズで多くの印象的な「アイコン」を作りだしている。ドーナツ、剥製の鹿の頭部、ボイスレコーダー、ローラのポートレート…。数え上げるときりがない。これらの「小道具」は犯人は誰かという本筋とは関係ないが故に妙な違和感と共に我々の記憶の中にぶら下がっている。リンチはストーリーをないがしろにする作家ではないが、やはり我々に「イメージを焼き付ける」ということにおいて、類い希なる才能を持っていることをひしひしと感じる。語ったり、説得したりすることは訓練すれば上昇するスキルのように感じられるが、イメージを提示するということは、やはり天賦の才だろう。

そして何より、彼のすばらしさは、人を不快にさせないということ。カルト作家と呼ばれる人たちは、時に人間の見たくもない部分を無理矢理見せ、観客に不快感を与えることがある。しかし、リンチは観客を不安にさせても、不快にはさせない。確かにドキッとする映像には違いないが、嫌悪感を催すことはない。リンチワールドとは、とことん魅惑的で甘美な世界であるからだ。

アメリカのドラマ界を一変させ、多くのフリークを生み出した「ツイン・ピークス」だけども、今見てもリンチ印いっぱいの幻想ワールド。新作「インランド・エンパイア」までに、何とか全部見ておこうと思う。
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by galarina | 2007-07-18 22:48 | TVドラマ

砦なき者

2004年/日本 監督/鶴橋康夫 脚本/野沢尚

「テレビを信じてはいけない」
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破線のマリス」に引き続き、テレビ局の功罪をよりセンセーショナルに描いた傑作。テレビドラマだけど、DVDも出ているので多くの人にぜひ見て欲しい。

「破線のマリス」よりもメディア批判はさらにパワーアップしてる。実際公式HPの原作者よりというページで野沢氏自身が、『この「砦なき者」のテーマは、テレビを信じてはいけないということ』、と言い切っている。テレビドラマというジャンルで曲がりなりにもギャラをもらっている人が、ここまで痛烈な批判を行う勇気はあっぱれだと思う。

そして、恋人の自殺はメディアの報道にあると訴えて一躍カリスマになっていく妻夫木聡が非常にいい。実は、私はオンエア当時、この悪役を妻夫木君がやると聞いて、少々不安だった。でも、蓋を開けてみればなんの、なんの。影のある青年を見事に演じてる。2003年の「ジョセと虎と魚たち」、2004年の「砦なき者」で妻夫木聡は、確実に演技派への階段を上ったと思う。

妻夫木聡演じる八尋樹一郎は、報道の被害者という世間の同情をうまく利用してカリスマになっていく。これは、メディアそのものが「叩かれることに慣れていない」ことをうまく利用しているわけだ。つまり、被害者だと訴えられたことで萎縮してしまい、彼に対してまるでお手上げ状態。お祭り騒ぎは上手だが、批判されるとめっぽう弱いメディアの体質。しかし、メディアをそのように甘やかしているのも私たち自身なのだ。メディアに映るものを本質と受け取ってしまう、大衆心理の愚かさ。我々、日本人は実に「批判精神」が欠けている。

メディアに復讐したい男、八尋と八尋によって人気キャスターの座を追われた長坂(役所広司)が対決するラストシーンもすばらしい。揺れ動く人間心理を巧みに描く野沢尚氏の脚本が、一級品のドラマを創り出す。最初から最後まで続く緊張感は見応え充分。見終わった後、確実にメディアなんて信用できない、という気持ちになるだろう。そして、そんな批判精神でメディアを捉え続けた野沢尚のドラマがもう見られない、という事実もまた、深く胸に迫る。
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by galarina | 2007-03-04 14:07 | TVドラマ
「再確認。金田一はコミカルさがポイント」

哀しきかな、横溝ファンとしては見るまい、見るまいと思っていてもやっぱ見てしまった。
このところ、フジテレビ戦法には乗るまい!と固く思っているんだけどなあ…

ところが見てみると稲垣金田一は思ったよりもいいじゃん(笑)。これはね、またレビュー書きますが、リメイク「犬神家の一族」の石坂浩二がすこしお年を召されていて「キレ」がなかった、というのが大きいからだと思う。なので石坂金田一を観た後の稲垣金田一は若々しさがあって意外と好感もてたな。

やはり、横溝作品というのは「犯人役の演技力」が作品の最終的な印象の全てを担っている言ってもいい。誰もが知っている犯人。一同を前にしての独白。決まり切ったラストシーンの中でいかに自分が「哀しい犯人」なのかというのを視聴者に植え付けなければならない。

そう、横溝作品の犯人は「悲しくてナンボ」の存在価値なのだ。その存在が不遇で不幸で殺人犯にならなければ生きていけない苦悩を持っているからこそ、最後の独白が生きる。役者として横溝作品の犯人を依頼されるのは、かなり勇気がいることなんだろうとしみじみ思った。その点、成宮くんは、なかなか良くやっていたよ。悪魔と呼ばれる存在として生を受けた哀しみがよく出ておりました。

国仲涼子ちゃんがねえ…。あのくりくりおめめの演技がちょっと横溝ワールドとは合ってないように感じました。それからクリアな映像ね。やっぱフィルムで見たいなあ。今の時代フィルムで撮る方が予算とかかかってしまうものなんでしょうか。

お正月の2時間ドラマとしては合格点。もちろん、映画とは次元が違うので比べようがありませんが。
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by galarina | 2007-01-06 16:10 | TVドラマ

ドラマ「東京タワー」

この物語は、母と息子の濃い結びつきが肝なのだ。このふたりの関係を、“マザコン”と呼ぶ人もいるかも知れない。しかし、マザコンという言葉は違う。マザコンという言葉は「相互依存」の関係を示す。しかし、ボクとオカンは100%「無償の愛」のもとに存在している。それこそが、この物語が多くの支持を受けた圧倒的な理由だろうと思う。

原作ではボクの彼女は登場するが、あまり多くを語られてはいない。オカンが彼女を気に入り大事にしていた指輪をプレゼントしてしまった、というエピソードは出てくるが、それ以上の話はない。この物語に第二の女はいらないのだ。ガンになってしまったオカンのことで頭がいっぱいになったボクは彼女を受け止める余裕がなかった。だから、ボクは彼女と別れた。

しかし、ドラマ版では彼女に大きな役割を与えてしまい、ボクとオカンの密度は明らかに薄くなってしまった。これが仮に、広末涼子サイドの意向をテレビ局が受け入れた結果なのだとしたら、やはりテレビはテレビなんだな、とがっかりせざるを得ない。彼女とも別れ、オカンはもうすぐ死ぬ。ボクは孤独だ。そんなボクを支えたのは、オカンの愛とオカンの思い出だ。死にゆくオカンとボクの間に流れる濃密な時間。これを描かずして、何とする。

オカンの葬式の日も編集者が原稿を取りに来てボクはイラストを描かざるを得なかった、というエピソードがなかったのも個人的には不満だな。オカンが死んだ日もその哀しみにくれることができない、好き勝手に東京に出てきてイラストレーターという仕事を選んだボクのつらさがひしひしと伝わってくるエピソードなのに。私もフリーランスなので、この小説にはフリーランスという仕事の不安定さとか哀しさが随所に出てきて、結構そういうところでも泣かされたんだよね。

というわけで、商業主義まるだしのフジテレビ戦法も含め、少々がっかり。
映画に期待しよう。
それにしてもコマーシャルが多すぎる。
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by galarina | 2006-11-20 00:14 | TVドラマ