「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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カテゴリ:映画(わ行)( 8 )

私は二歳

1962年/日本 監督/市川崑

「あの時の甘い記憶が蘇る」
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これだけ鑑賞前の予感が外れる作品は他にはないんじゃないか、そう思う逸品です。二歳の子ども目線で団地夫婦の日常が描かれる。何だか人を食ったような、文部省推薦作品もどきかと思いきや、さにあらず。私自身で言えば、すでに息子は小学校高学年。二歳の記憶なんてとうに過ぎていますが、心の底から嗚呼!子育てって本当に楽しかった、こんなに暖かい気持ちの毎日を過ごしていたんだと、あの時の「甘美な気持ち」が湧きに湧いて、幸福感に包まれました。

働きマン派の私など、高度成長期の団地の奥さまの生態だなんて、ほんとは拒否反応出まくりのはずなんですが、山本富士子がとても艶っぽい。これが、とてもいい。義理の姉役として渡辺美佐子も出てくるのですが、汗だくになっておむつを変えるその姿もこれまた、非常に艶っぽい。脚本の和田夏十女史のたおやかで優しい女性像と市川監督の女の艶やかさを引き出すカメラワークのすばらしいコラボレーション。子育て中の女性をセクシーに見せるなんて、やっぱり市川監督は粋な人です。

反発し合っていた姑と、あることをきっかけにタッグを組む嫁。はい、はい、はい!と膝を打ちたくなるようなその展開に、いつの時代も子への愛は同じなのだと満ち足りた思いが占める。全ては子供かわいさゆえ。しかし、全編に渡りそれが親の身勝手やワガママに見えないのはなぜでしょう。一生懸命。悪戦苦闘。日々子どもの成長を見守るという当たり前の生活の中にこそ、幸福は潜んでいる。愛あふれる夫婦の姿が、微笑ましくて微笑ましくて、終始にやけっぱなしなのでした。
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by galarina | 2008-10-10 16:34 | 映画(わ行)

ワイルド・アニマル

1997年/韓国 監督/キム・ギドク

「冷凍魚の怪」
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画家を目指してパリに来たのに、今は他人の絵を売ることで生計を立てている男チェン。「鰐」に引き続き、監督お得意のサイテー男がまたまた主人公です。画家を目指しているのに、友の絵を売る。これは、裏切りは裏切りでも同胞への裏切り。同じ盗人でも店の物を盗むよりも、さらに悪い。いちばん卑劣な行為ではないでしょうか。

「鰐」は、身投げした人の金品を盗み、その上警察に死体の居場所を教えることで情報提供料をもらおうとする男、ヨンペ。その後の「悪い男」は、好きな女をスリとして捕まえさせ、あげくの果てに売春婦に仕立て上げる男、ハンギ。どいつこもこいつも、悪いことの倍掛けみたいな主人公ばかりです。この常識的な人ならば誰もが感じる彼らへの嫌悪感がふとしたきっかけで、純粋な愛、または慈しみの情を我々に感じさせるのがギドクの才能です。しかし、本作はハンガリー人女性への愛情と、脱北兵ホンサンとの友情の板挟みに苦しむため、お得意のピュアなるものを突き詰めるプロセスが分散されてしまったように思います。これまでギドク作品を見てきた人が初期を振り返るということにおいては面白さも発見できるでしょうが、これだけで楽しめるかと言うと正直難しいです。

でも、思わずギョッっとなるショットは、多々あって、その辺が初期作を見る楽しさと言えます。DV男が女を痛めつけるのが、なぜか凍った魚。冷凍庫を開けると、ずらっと並んでます。このショットが強烈で、「なんで、魚?」が頭から離れません。そして、最低男チェンが住み家としているのが、アトリエ兼用のかわいらしい白い船。このギャップ感がスゴイ。

こういう奇天烈なアイテムって、「絶対の愛」の唇マスクなんかもそう。だから、少しずつヘンなものを美しく見せるテクニックをギドクは努力して身につけていったんだろうなあ、と思います。ちょっと失礼な言い方かも知れないけど、ドニ・ラヴァンの存在自体もすごく奇抜でしょ。それらの奇抜なアイテムが浮いてしまっていて、全体を見渡すとギクシャクした印象になってしまったかな。でも、苦労してリシャール・ボーランジェとドニ・ラヴァンを口説き落としたってところは、ギドクの心意気を感じます。
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by galarina | 2008-09-07 17:31 | 映画(わ行)

鰐~ワニ~

1996年/韓国 監督/キム・ギドク

「原点を見るのは面白い」

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少々荒削りでも、はっとするカットの美しさがあれば許せてしまうことがあります。本作のそれは、ラストにありました。川底に沈んだソファに手錠をはめた二人が肩を並べて死んでゆくシーン。ギドクらしい美意識が如実に表れたラストだと思います。死んだ人間の金品を剥ぎ取るような人間性のかけらもない男ヨンペが、かくも美しい死に様を遂げることができたのは、自ら陵辱した女から赦しを得、愛に目覚めたからではないでしょうか。クリスチャンであるギドクらしい展開であるのはもちろんですが、より広い意味での「救い」を描いた作品と言えると思います。

正直、このラストシーンに至るまでは粗さばかりが目について、なかなかこの特異な世界に感情移入できませんでした。ヨンペの無軌道ぶりに対してそれほど嫌悪感を抱くこともなく、ぼんやりと眺めているような状況で。後の「悪い男」では、殴りたくなるほど主人公への嫌悪感を覚えましたので、やはり作品を作るごとに腕をあげたということなんでしょう。

橋の下の生活で、絵を描くシーンや彫像がアイテムとして使われており、今なお脈々と引き継がれるギドクの芸術精神がうかがえます。と、申しますか、近作「絶対の愛」でも彫刻は欠かせない存在ですから、逆に言うと変わってないない部分、表現の一貫性に触れることができた、とも言えます。とことん振り子を片方に振って、その対極にある揺るぎないものや美しいものを描き出す、そんなギドクスタイルも不変。荒削りだけど、芯の部分は今なお現在に引き継がれている。これぞデビュー作という佇まいの作品。
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by galarina | 2008-08-04 21:06 | 映画(わ行)

悪い男

2001年/韓国 監督/キム・ギドク

「苦痛を乗り越えて」
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<女子大生ソナに一目惚れしたヤクザのハンギ。その場で強引にキスし警官に取り押さえられたハンギは、ソナに罠をかけ売春宿へ売り飛ばしてしまう。それから、ハンギは毎夜客をとる彼女の姿をマジックミラーの中から見つめるのだった…>


本当にこの男は「悪い男」です。私はこの男が許せません。身勝手過ぎる。こんな身勝手な行為の向こうに純愛を感じ取れ、なんて無理です。これは原題も「悪い男」なんでしょうか。もしそうなら、その開き直りっぷりが腹立たしいくらいです。

とまあ、映画の物語を「自分のこととして語る」ことが適切なのか、こういう映画を見るとそのことを痛烈に感じずにはいられません。物語の中でソナは自分の運命を受け入れ、ハンギと生きていくことを選びます。ソナ本人がそれを望んだのだから、私がとやかく言うことではありません。頭では分かっていてもこのような作品の場合、物語を物語のまま受け取ることは困難を極めます。

例えば、「私もこんな人生が生きてみたい!」と思うシンデレラストーリーには、そこにそのまま自分を重ねられます。しかし、私もソナのようになりたいと思う女性はほとんどいないでしょう。ここに「物語を自分のこととして重ねる」という映画の見方以外に、別の見方があるのだと気づかされるのです。これは当たり前のことですが、やはりラブストーリーの体裁を取っている作品は女としてどうしても物語の中に自分を置いてしまいます。

だからこそ、こういう作品を見ることは鍛えられます。感情的にならずにひと呼吸置いて、作品全体を味わうことが試されます。すると、倒錯した愛の形にほんのりと甘美な味を見つけることができます。地獄まで落とされたハンギに愛を見いだすソナの心情に共鳴できる部分も生まれます。

あらすじだけ書いたら売れないエロ小説のようですが、キム・ギドクの手にかかると屈折した心理の向こうにゆらゆらと美しいものが揺れているような感覚に陥る。それは、やはり彼独特の映像の美しさの成せる技。キム・ギドク作品は私にとって修練の場のようなものです。もちろん、そこには大きな苦痛も伴うのだけれど。
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by galarina | 2007-05-18 01:02 | 映画(わ行)

私たちが好きだったこと

1997年/日本 監督/松岡錠司

「いい人×いい人が裏目に」
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ひょんなことから公団マンションに同居することになった男女4人の、友情と恋と夢のゆくえを描く。宮本輝の原作にほれこんだ岸谷五朗が、同じ劇団出身の盟友、寺脇康文とともに企画、主演した作品。


最近の作品はとりわけ顕著なんですが、宮本輝には「悪いヤツ」が一切出てこないんですよ。ほんとに、みんないい人ばっかりでね。まさに「性善説」とは、このことって作品が多い。この「私たちが好きだったこと」という作品も、偶然の行きがかりでひと部屋に暮らすようになった4人が、愛子という女性を医学部に入学させるため、みんなで協力し合って暮らしていくの。

あらすじだけ読むと、まるで偽善者の集まりみたいに見える話が、宮本輝の手にかかると、非常に純粋で、「人間って、誰かの役に立つために生きているんだよね」なんて気持ちにさせられちゃう。これぞ宮本マジック。

さて、「きらきらひかる」で松岡監督は、登場人物をみんないいヤツに見せてしまう、と書いたけど、この作品は、原作において既に登場人物がものすごくいい人なんですよね。つまり「いい人×いい人」。で、そのかけ算のせいなのか、心にひっかかりがなくて、さらーっと流れていくような出来映えになっている。それが、静謐な雰囲気を出していると言えばそうなんだけど、物足りなくもある。

それと日頃から共に演劇活動をやっている岸谷五朗と寺島康文が主役の男ふたりなので、内輪でやってる感じが否めない。この物語は男女4人が主人公で、ほぼそれ以外の役者は出てこない。ほとんど登場人物がこれだけってなると、どうしても人間関係において少し摩擦があったり、思いの行き違いが出てくるところこそが面白みになるはず。それがどうも内輪ノリっぽい雰囲気が邪魔をしている。

男女4人の物語で言うと、大谷健太郎監督の「アベック モン マリ」や「とらばいゆ」という作品があるけど、おんなじミニマム感でもこちらの方が、心のすれ違いで起きるスリルが堪能できる。それは、やっぱり配役に追うところも大きいのだ。それから、岸谷五朗なんですがね。切なさが伝わって来ない。彼は愛子を愛しているからこそ、他の男に手放すんですよ。だったら、もっと苦悩があるはずなんだけどなあ。

そんな中、愛子という女性を演じている夏川結衣の存在感が際だっている。夏川結衣は、表面的には「いい人」に見えるけど、その向こうに何か別のものを抱えている、そんな役どころがうまいですね。見た目は清純な感じだけど、心の奥深くに何かを秘めている芯の強さを感じる。そんな彼女の雰囲気が愛子という役にぴったりハマっていた。
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by galarina | 2007-04-28 22:49 | 映画(わ行)

忘れられぬ人々

2000年/日本 監督/篠崎誠

「全部彼らが背負っている」
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戦後の復員後、荒れた生活を送る木島(三橋達也)は、孤独な老人。ある日、戦友・金山の遺族を探していた木島の元に、金山の孫娘・百合子が戦友会に顔を出すという報せが届いた。以来、太平洋戦争を共に闘った木島、村田、伊藤の3人の老人と若い百合子との交流が始まった。しかし、百合子の恋人は霊感商法の会社に就職し、その魔の手は3人のところにも及ぶことになり…

決して派手ではないけれど、実にさまざまな現代の病巣を浮き彫りにしている作品です。まず、戦争のトラウマを引きずったまま年老いてしまった老人の問題。彼らはお国のために闘ったという誇りよりも喪失感の方が大きい。しかも時代に取り残されてしまったという寂しさを抱えている。一方、現代日本の空虚さを象徴する霊感商法。悪いこととはわかっていても、抜けることができない若者が彼らと出会ってしまうことが悲劇を招いてしまいます。

●戦争に生き残った老人と現代を生きる空虚な若者
●在日朝鮮人でありながら日本のために戦死した金山の孫娘と
日本人でありながら生き延びた男(老人)たち
●アメリカ人の子どもとアメリカを敵にして戦争を経験した木島

と言った対立関係にある存在が、悲しくも運命的な邂逅を繰り返し、物語の前半は粛々と進みます。そして、3人の老人たちのささやかな幸福にじわじわと忍び寄る闇。彼らの運命はどうなるのか、後半ぐっと物語はドラマチックになり、予想外のラストへ…。

こんな日本にするために戦ったんじゃない、と言う老人に結局、現代の日本の落とし前までつけさせてしまうラストの展開。彼らに全部押しつけてしまっていいのか、と映画は我々に訴えます。戦後60年以上たった今でも、日本はいろんなことにケリをつけていない。そのひずみがどんどん広がるのを私たちはただ黙って見ているしかないのでしょうか。意を決して出発する木島たちの姿が晴れ晴れとしている分、いっそうつらく感じる。背負うべきなのは、私たちなのに。
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by galarina | 2007-04-05 23:40 | 映画(わ行)

私の頭の中の消しゴム

2004年/韓国 監督/イ・ジェハン

2人がとてもいい分、脇役と物語の背景のツメの甘さがものすごく気になる。
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イージーに流してしまう、という部分があちこちに見受けられて、せっかく話にのめり込もうとしているのに、すっと醒めちゃう、その繰り返しになってしまった。主人公二人がとってもいいのに、すごく惜しいなあ。この辺りのツメの甘さが韓流と言えば、そうなんだけど。

まず、アルツハイマーを宣告する医師がコントのお笑い芸人みたいだ。チョルスの師匠とか言うおじいさんも、しかり。なんで、こんなにコントみたいなの?それとも、これが大まじめなの?理解に苦しむ。チョルスを捨てた母親が借金苦で、その肩代わりをしろって、スジンは言うけど、このあたりは、無理矢理主人公を不幸にするためにエピソード追加しましたー!って風に見える。わざわざチョルスを一文無しにさせなくても、愛する女性がアルツハイマーになるって言うだけで十分、悲しいじゃん。なんでもかんでも悲しいエピソードをねじ込まなきゃ気が済まないかね。

チョン・ウソンは野性的でありながらも、ひたむきに愛する男を好演。まさに女が好きな不良タイプ。現場でデキの悪い工事はすぐにぶっ壊すくせに、宮大工としての下積みがあったから木工などの繊細な仕事も上手。妻のいぬ間にキッチンを改装したりして。で、現場スタッフからあれよあれよと建築士、そして独立。うまく行き過ぎー。こんな男がいたらいいよね、を全てぶち込んだキャラクター。チョン・ウソンはよくやったよ。

だけどもね、久しぶりに再会した時スジンの膝からスケッチブックがポトリと落ちて、そこにはチョルスの顔のデッサンが…みたいな、とってつけたようなクサいシーンが鼻につく。何が何でもメロドラマ的演出をしないと気が済まない。その最たる物がラストのコンビニシーン。店員がみんな身内になってるじゃねーか。目の縁に盛り上がった涙がすーっと引いてしまったよ。


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by galarina | 2006-08-11 21:59 | 映画(わ行)

ワンダフルライフ

1998年/日本 監督/是枝裕和 
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私は「誰も知らない」よりこちらの方が好きだな。是枝監督の作品を初めて見たのがこれで、ドキュメンタリー出身の監督というのを知らなかったから、その独特のタッチに最初は少々とまどったのけど、設定が面白く、また役者たちの演じているのか、素なのか、何ともわからない演技に妙に引き込まれる。

古い建物は例えて言うなら、生と死の境目。そこに勤務している人々は、大切な思い出をひとつだけ選ぶことができず、スタッフとしてその建物に残っている。死んだ人は面接室で自分のこれまでの人生の中でいちばん大切な思い出を必死にたぐりよせようとする。なかなか答が選べない人、そんないい思い出は一つもないという人、最初に出した答を後から変えてしまう人、と様々だ。さて、果たして自分が今死んだら、いったいどんな思い出を選ぶのだろうと思わず考えてしまう。

そう考えずにいられないのは、この登場人物の中に俳優ではない「素人さん」が多数出演しているから。「素人さん」はカメラに向かって、自分の人生を語る。このあたりがドキュメンタリー出身の是枝監督らしく、非常にうまく撮られている。兄のために「赤い靴」の踊りを披露した時のことを選んだおばあさん。パイロットを目指してセスナで飛行訓練した時のことを選んだ会社員。どれもが脚本ではなく、本当に彼らが選び出した答なのだ。彼らの話を聞くこと、それは彼らが「生きてきた喜び」を聞くこと。みんな死者である、という設定なのに「生きることのすばらしさ」がじわっと伝わってくる。

淡々としたストーリー展開でこのままで終わるのかな、と思っていたら、最後にちょっとしたどんでん返しも用意されている。しかし、もちろん是枝作品らしく映画全体を覆う雰囲気は、いたって穏やかで、静かに幕を閉じる。そしてその静けさの中で、やはり「果たして私なら…」という思いに浸らずにはいられない。この作品は生きることのすばらしさを伝える、素敵なファンタジー映画だ。

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by galarina | 2006-07-11 18:01 | 映画(わ行)