「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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アキレスと亀

2008年/日本 監督/北野武
<TOHOシネマズ二条にて鑑賞>

「自虐の三部作、最終章。そして出発」
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てっきりみなみ会館での上映だと思ってたら、驚きのTOHO系シネコン上映でした。本作は、途切れることなく絵画が出てきますので、大きなスクリーンで鮮やかな色彩を堪能できて、これはこれで良かったです。日曜日の昼間の鑑賞でしたが、(私の)予想以上にお客さんは入っていました。6割程度でしょうか。これまた、驚き。これは、樋口可南子効果なのでしょうか。よくわかりません。

「好きではないけど、自分にしかできないものなら全うすべき」という仕事論にいたく感動した「デトロイト・メタル・シティ」と対極の作品。こちらは「好きなことなら、何が何でも続けるべき」という主張です。これはこれで、とても感動しました。敢えて言うなら「絵を描くのが好き」ではなく「絵を描くことしかできない」男の物語。

主人公、真知須の周りでは、ばったばったと人が死んでいきます。まるで、疫病神のようです。その中には、その人の死が明らかにトラウマになるようなものも多数あるのですが、真知須は絵を書くことを止めません。 それらの死が彼にどんな影響を与え、また、その死を彼がどう受け止め、乗り越えていくのかに物語をクローズアップさせれば、これはもっともっと感動的なストーリィに仕上げられることは、間違いありません。しかし、ご存じのように北野武は、そのような感傷的に物語を進行させることは一切しません。実に飄々と何事もなかったかのように、ただただひたすらに真知須は絵を描き続けるのです。

さて、「TAKESHI’S」「監督、ばんざい!」と三部作だと考えるのならば、真知須はやはり「好きな映画を撮り続ける北野監督自身」だと言えるでしょう。そうすると、親子二代に渡って彼の絵をけちょんけちょんにけなしたり、あれこれ文句を言っては売り飛ばしてこっそり儲けている悪徳画商の存在は、さしずめ映画プロデューサーになるのでしょうか。大森南朋が嫌味な男を演じていますが、バッチリはまってます。 基礎を勉強しろだの、流行を知らないだの、言いたい放題です。映画の勉強をせずにいきなり監督デビューした北野監督に浴びせられたこれまでの罵詈雑言を彼に言わせているのかとこれまたオーバーラップします。

映画の中盤では、真知須が仕事を抜け出しては仲間たちとアート活動に興じるのですが、ここがとても楽しいんですね。スクリーンには常に鮮やかな色彩が踊っていますし、若いからこそできる無茶ばっかりやって、アートとは何ぞや!と青臭く息巻いている様子が観ていて微笑ましい。この、中盤の高揚感こそ、北野マニアではなく、一般的な観客からもこの映画が支持される(とするならば)ポイントではないかと私は思いました。

本作では、それまでの多数の死も含め、人々の目を楽しませ、心豊かにさせるという芸術が持つ良い側面は、一切描かれません。真知須の志す芸術はただ周りを不幸にし、己に何の見返りももたらさない。真知須自身絵を書くことで、心が満たされているかというと全くそんなことはない。最終的には狂気をまとい、遺影の中に収まる自分をアートに見立てて、死と隣り合わせの時を過ごす。それでも、描かずにはいられない。そんな心境を北野監督は、「ようやくアキレスは亀に追いついたのだ」と自ら終結させた。これにて、いったん己を見つめる作業は終了、ということになるのでしょう。次回作は何になるのか楽しみです。
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by galarina | 2008-09-22 14:13 | 映画(あ行)