「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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悪霊島

1981/日本 監督/篠田正浩

「最も美しい犯人だったのに」
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市川版にとらわれず、自分らしい横溝作品を作ろうという、篠田監督の並々ならぬチャレンジ精神がこの作品には宿っています。チャレンジすれば、おのずと良い方向に転がるもの、悪い方向に転がるものがあります。最も良い方向に転がったのは、岩下志麻の魅力を存分に味わえること。ある意味、本作は岩下志麻を観る作品、と言い切ってしまってもいい。

ニンフォマニアである巴御前、原作では次々と男を寝屋に誘い込み、安いポルノ小説のような描写になってしまいますが、岩下志麻の巴御前はエキセントリックな美しさを存分に発揮しています。しかも、話題となった自慰シーンは、原作にはありません。篠田監督は敢えてこのシーンを作品に加えている。それこそ、チャレンジでなくて、なんでありましょう。また、原作の巴御前は多重人格者でもありません。よって人格が入れ替わるという見せ場も岩下志麻の女優としての力量を見せるために作られたのかも知れません。

しかし、篠田監督は本作において「ヒッピー世代」にやたらと執着しているんですね。それが、私には大きな違和感となって残ります。本作は語り部である五郎が過去を振り返るというシーンから始まりますが、その冒頭で告げられるのがジョン・レノンの暗殺事件、以降髪を長く伸ばし見知らぬ母を捜すヒッピーの僕に時代は遡り、ラストで再び現代に戻ります。原作の五郎もヒッピー風の若者として紹介されますが、その程度です。ここにどうしても、高度経済成長期の日本(作品で言うところの現代)が失ってしまったもの、ヒッピー世代への郷愁を見せたいという意図があります。もちろん、これが凄惨な事件と相乗効果をもたらして、メッセージを発してくれれば何の文句もありません。しかし、私にはどうもこのモチーフが全体のバランスを損ねているようにしか見えないのです。この「ヒッピー世代」のこだわりの最たる物こそエンディングの「レット・イット・ビー」であり、この曲の採用が版権問題により長年DVD化を阻んできたのは何とも皮肉な話です。

しかも、原作で実に重大なエピソードを映画では削除しているんです。それは、語り部の五郎は、何と磯川警部の実の息子だった、というオチなんです。磯川警部が戦地にいる間、流産したと知らされていた子供が生きていた。その息子と事件を通じて出会う道しるべを作るその人こそ盟友金田一なんですよ。これは、原作ファンは、入れて欲しいエピソードだったんじゃないでしょうか。

岩下志麻が、市川版の美人犯人のいずれをも凌ぐ妖しさと美しさを発揮したのだから、ビートルズなんぞにこだわらず、とことん彼女を際だたせる構成にすれば良かったのに、とシリーズファンだから思ってしまいます。好きで好きでたまらない男を待ちこがれて狂ってしまった女が死んだ後、レット・イット・ビーを流されても、何だかなあという気分しか残らないのです。嗚呼、岩下志麻がもったいない。
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by galarina | 2008-02-11 23:41 | 映画(あ行)