「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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8mm

1998年/アメリカ 監督/ジョエル・シューマカー

「正義をふりかざす時の動機づけがきちんと描けていたならば」
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猟奇ものやアンダーグラウンドの見せ方が、ハリウッドは上手だ。もちろん、それは見せ方のテクニックに長けているということで、アメリカにこういう趣味の人が多いからということでは決してない。こういう趣味の人間というのは世界中に存在している。しかし、本当に目の前にすれば嫌悪感を抱くに違いない人々とそれらにまつわる事をエンターテイメントとして描ける。それがアメリカ。その事実は、倫理的な側面から見れば、実に嘆かわしいことなのかも知れない。だけども、そういう世界を覗いてみたいという観客の好奇心を本作は確実に捉えている。

で、そのテクニックとは、アンダーグラウンドワールドを決してセンセーショナルに見せない、ということなのだと思う。主人公トムが秘密クラブに潜入すると、各種変態どもがうようようごめいているけれども、カメラは彼らをなめるように動いたり、行為をしている人をアップで捉えたりはしない。また主人公を演じるニコラス・ケイジは必要以上に驚いたり、騒いだりせず、黙々と捜査を進めている。おそらく好奇心丸出しの演出は、観客自身に跳ね返ってきてしまうのだ。こんなものを見ている自分は間違っているんじゃないだろうか、と。観客が自分自身を責めてしまえば、エンターテイメントとしては成り立たなくなる。

そういう演出上の効果もあり、前半部は殺人フィルムの存在の有無についてスリリングな展開が味わえる。だが、人間の好奇心というのはやっかいなもので、いざ真相がわかってくると、一気にボルテージが下がってしまう。それを見越してかどうか、ラストにかけて物語は悪いヤツどもを成敗するお話へと様変わりしていく。しかし、残念なことにこの視点移動がどうもスムーズに進んでいない。一番大きいのは主人公がそこまでの怒りを持つに至る動機が弱いことだろう。「決着をつけられるのは俺しかいない」と言って家族の元を去るけど、この主人公はそんなに正義感の強い人間だったであろうか。

殺された少女の家族ではなく、トムが復讐するという行為は、すなわちトムと共に謎を追った我々観客自身がこの卑劣な者どもを成敗することを意味している。しかしながら、悪を葬り去ったという余韻にはなかなか浸れない。それは何より、猟奇的な世界への好奇心という観客の本能が本作を支えるものだからだ。そこには、避けがたい矛盾がある。だが、殺人フィルムを観客に対するエサとしてだけ利用するのではなく、なんとか決着を付けさせようとした気持ちは買いたい。なぜなら、エサだけで終わってしまう映画が世の中にはたくさんあるからだ。トムの心に彼らを罰しなければならないというスイッチが入る瞬間。そこがどこだったのか、私にはわかりづらかった。そこが納得できれば、困難なチャレンジをクリアできた作品になったように思う。
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by galarina | 2007-09-09 23:43 | 映画(あ行)