「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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1959年/日本 監督/市川崑

「細眉と太眉」
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谷崎潤一郎のこの原作はこれまで4回も映画化されている。初老の男が持つ性へのひねくれ願望とは、かくまでも作り手の魂に火を付けるテーマなのだろうか。できなくなることがそんなに男の人は怖いのかしら。

とはいえ、市川崑版の「鍵」は、原作のモチーフだけは頂戴して、いわゆる耽美エロスとは随分趣の異なる作品となっている。妻と娘の恋人を結びつけようとする夫の心中を日記に書き付けそれを妻に盗み見られるのを承知で鍵をかける、という軸もすっかり変わっていて、今作の「鍵」は夫の死後、家に娘の恋人を招き入れるための玄関の鍵にすり替えられている。

確かに、できなくなった夫(中村鴈治郎)のねちこい画策は、手に変え品を変え描写され、むなしさや可笑しさを誘う。しかし、私が本作を通じて感じたのは、「妻と娘」の女対決。というのも、妻役の京マチ子はとんでもない細眉(まじでのけぞる)ですさまじいカーブを描いている一方、娘役の叶順子はまるで権左右衛門のような太いぼうぼうの三角眉。この対比は明らかに艶のある女とない女、モテる女とモテない女の象徴としか考えられないのだ。

父の偏愛と自分の恋人の好奇心を一心に受ける母に対する娘の嫉妬心をこの「鍵」という作品で描くのは、多くの作品で女の業というものに着目し続ける市川崑らしい視点だと思う。京マチ子の真っ白なマシュマロのような柔肌が美しければ美しいほど、娘の野暮ったさが目立つ。また、仲代達矢の全く抑揚のない、感情のこもらないいつものセリフ回しも、この娘の恋人なる男にキャラクター付けを敢えて行わず母と娘の対立を際だたせるためのように見える。

さて、本作は1959年の作品。この時代の作品はあまりたくさん観ていないので確かなことは言えないが、やはり当時のカラー作品の中では市川崑は濃淡の使い方が非常にうまいのではないか、と感じた。真っ暗な廊下を娘が歩いてくるシーンなど、娘の姿はしっかり見えるが廊下の奥は実に暗い。この「黒を描く」というテクニックが、嫉妬や業といった人間の暗い部分をよりドラマチックに見せてくれるのだと思う。
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by galarina | 2007-08-12 23:34 | 映画(か行)