「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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赤目四十八瀧心中未遂

2003年/日本 監督/荒戸源次郎

「何も変えれぬ男に用などないわ!」
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と過激な啖呵を切ってしまいましたが、生きる意味を失った男・生島のいじけぶりに後半イライラしてしまいました。私この作品ずっと、芥川賞受賞作だと思っていたのですよ。直木賞なんですね。なんでこんなに暗い話が直木賞なんだろう。

さて、のっけから文句を言いましたが、物語の前半はなかなか惹きつけられるものがありました。「ぼくには甲斐性がありません」と黙々と臓物を串に刺す毎日。来る日も来る日も臓物にまみれるという極めて劣悪な仕事にこそ、自分の居場所を見いだす生島自身にダメ男ならではの魅力がうかがえます。また「臓物」をビジュアルでとらえると、その生々しさにドキリとさせられる。毎日「臓物」を届けに来る男、新井浩文の存在も光ってます。

しかし、最終的には生島自身は生きる意味を見つけることも、自分に自信を取り戻すこともできなかった。ふたりの愛の証である新聞紙にくるまれたパンティーも消えてしまった。何とかわいそうな男よ、生島。おまえは「尼(あま)」という異空間に自ら飛び込み臓物と共に自らを埋没させるつもりであったのに、「アンタはここにいる人やない」と自分の意思とは関係なく引っ張り上げられてしまった。それでもなお、自分を変えることはできなかった。そういうひとりの男の絶望のお話。生島のナルシスト的な自虐愛に終盤かなり疲れを感じました。

全く異なるスタイルの映画ですが、昨日「さよならみどりちゃん」のいじけぶりに共感すると書きました。しかし、ゆうこはラストにほんの少しの背伸びをするのに、本作の生島はダメ男のままです。これは、いかにも小説世界の展開で、「おお、なんと哀れな男の一生よ」と言う読後感なんでしょうが、映画になると、綾と言う生身の女を目の前にして、天から降ってきたチャンスをむざむざと逃してしまったダメ男ではなくバカ男に見えてしまいました。

むしろ、本作の見どころは「尼」という異空間そのもの。異空間というよりも、もはや異次元。ぼろアパートを中心に猥雑な商店街を徘徊する奇々怪々な尼の人々がいる風景は、ワンダーランドです。私は関西人ですが、関西を描けばどれも一緒なそんじょそこらの作品とはまるで異質。中でも、彫物師を演じる内田裕也の収まり具合は恐ろしいほどで、この人がいないと「尼」は「尼」でなくなる。それくらいの存在感を放ってました。映画俳優、内田裕也がこんなに光って見えたのは「十階のモスキート」以来で、実に感慨深い。

赤目四十八滝の美しい滝のシーンと対比すれば、醜悪な「尼」の街ではあるけれど、私には夢の世界に見えました。蝶を追いかける少年が見た白昼夢。夢の世界であるならば、生島という男の一生にも哀れを感じます。
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by galarina | 2007-06-18 23:06 | 映画(あ行)