「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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六月の蛇

2002年/日本 監督/塚本晋也

「私の中の女性性が否定する」
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梅雨の東京。セックスレス夫婦の妻・りん子のもとに、彼女自身の自慰行為を盗み撮りした写真と携帯電話がとどく。電話カウンセラーとして働く彼女の言葉で自殺を思いとどまった男・道郎からの狂った脅迫。その日から、りん子の恥辱と恐怖に満ちた日々がはじまる…。


キム・ギドクなんかもそうだけど、「女性を性的にいたぶる」描写が出てくる映画には、本当にその描写が必要なのか、と強く感じずにはいられないのです。ひとりの女性として。もちろん、「性」というものが映画における重要なテーマであることは、私自身も重々承知している。むしろ「性」をテーマにした映画こそ、私が最も愛する映画なくらい。

本作で塚本監督が描こうとしたものも、わかっているつもり。破壊と再生。徹底的に破壊することでようやく得られる再生。しかし、頭でわかっていてもなお、私は目をそむけたくなってしまった。それは、主人公がトイレで性具をつけさせられ、街中を歩かされるシーン。そこで私は、すっかり疲労困憊してしまって、もう先はどんなだったか、覚えていないくらい。

この私が感じている「痛めつけられた感覚」というものこそ、塚本監督が観客に与えたかったのだと言われれば、もう何も言えなくなる。むしろ、じゃあもう塚本作品は見ない!ってふてくされるしかないというか…。でも、それはこの映画の正しい見方ではないんだよね。女をいたぶるな!って金切り声を上げるフェミニストでもないんですけどね、私。

しかも、なぜこの作品が許せなくて、レイプシーンのある「時計じかけのオレンジ」を傑作と認めることができるのか、自分でもうまく説明ができないのよ。やっぱり元に戻るんだけど「そのシーンは必要だった」と腑に落ちるかどうかってことなのかな。もちろん、「シーンの必要性」なんて大風呂敷広げちゃうと、とんでもなく難しい映画論に迷い込んでしまう。だから、もっと感覚的なものかも知れない。

とにかく痛めつけられた気持ちが大きすぎて、映画の言いたいことなんか、どうでも良くなってしまう。それはそれで、何だか悲しい事のような気がする。私にとっても、製作者にとっても。この作品そのものが放つパワーは確かに感じる。しかし、それ以前に私の肌が拒否する。それは、理屈以前の問題で、全ての作品を好き嫌いで私は論ずる気は毛頭ないけど、ごくたまにそういう作品も登場する。りん子のいたぶられようはそんな私の神経を破壊してしまう。
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by galarina | 2007-04-17 21:50 | 映画(ら行)