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「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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ユナイテッド93

2006年/アメリカ 監督/ポール・グリーングラス

「事実の持つ重みが、ずしんとのしかかってくる」
ユナイテッド93_c0076382_2245434.jpg
CNNの映像があまりに衝撃的だったので、「911事件」はあの突入シーンから始まっているような錯覚を私たちは持っている。始まっている、というより、全てがあの突入シーンに集約されてしまったような感覚。まるでストップモーションの記憶だ。しかし、911事件には一連の時の流れがあった。この映画を見ていると、そんな当たり前のことに衝撃を覚えずににはいられない。

映画はユナイテッド93便が出発するシーンから始まる。この後、何が起きるか知っている観客は、この時点ですでに胸に重苦しいものを感じる。滑走路が混んでいて、なかなか出発しない93便を見て、このまま飛ばなければよいのに…とすら思ってしまう。

まず最初のハイジャックが起き、管制室や航空センターが徐々にパニックになって行く様子が実にリアル。あの911発生時の舞台裏はこんな感じだったのか、というのがよくわかる。しかし、そのリアリティとは裏腹にこんな誰もが発想できないようなテロリズムが起きたときにいかに人は無力かをまざまざと感じさせる。

それは、飛行機という特殊な密閉空間がだからこそ感じる無力感でもある。おいそれと誰もが近づけない状況で、管制官の「応答せよ」の叫びが何度もむなしく管制室にこだまする。どうしようもできない。まるで現場にいるのと同じような無力感を共有する。それは、現実通りに起こったことを実にに細かい部分まで再現し、決してオーバーな表現方法は取らずに見せる演出に負うところも大きい。管制室や航空センターのやりとりの詳しいところは飛行機マニアでもない限り完全に把握はできない。しかし、あの日まさに現場はこうだったのだ、という圧倒的なリアリティが迫ってくる。

最も印象的なのは、ハイジャック犯も乗客も死を目の前にして懸命に神に言葉を捧げている様子が交互にインサートされるシーンだ。思い描く神の姿は全く違う両者。しかし、どんなに神に祈りを捧げても、目の前にあるのは悲劇でしかない。これが神が望むことなのか。実にやるせない気持ちになる。

これほどの未曾有の事件が起きたわけだから、表現者として何かを伝えなくてはならない、何かを残さねばならない、と思う人は多いに違いない。そんな中、監督のポール・グリーングラスは全ての遺族とコンタクトを取り、協力を仰いでいる。その「表現したい」というエモーショナルな気持ちと「事実をきちんと伝える」という客観的で冷静な視点のバランスの取り方は、本当に困難な作業だと思う。

日本でも「オウム真理教」や「阪神大震災」など人々の心に大きな傷を残した事件は多い。それらを非難したり、偏った表現方法を取らずに、ただありのままを伝え、かつドラマチックな映像を作れる表現者はなかなか出てこない。モチーフとして扱うことはあっても、この「ユナイテッド93」のように真正面から事件そのものを再現するような映画はなかなか出てこない。それは、やはりバランスの取り方が難しいのだと思う。遺族の感情をおもんぱかること、行政のやり方や対処をヒステリックに非難しても良い映画にはならないということ、事実をきちんと突きつけるためにお涙頂戴にならないこと、などなど。そんな中、ポール・グリーングラスは実に全てのバランスをしっかり保ち、すばらしい作品に仕上げた。様々な思惑にとらわれず、ただひたすらに「物事を明らかにする」という強い意志は、日本人にはなかなか真似できないことだと、痛感した。
by galarina | 2007-02-17 17:02 | 映画(や行)