「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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母たちの村

<OS名画座にて>
2004年/フランス・セネガル 監督/ウスマン・センベーヌ

「女子割礼」。女性性器を切除したり、縫合すること。
一体それが何を意味しているのか、みなさんご存じだろうか。
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西アフリカの小さな村で、ある日4人の少女が割礼を嫌がり逃げ出して来た。自分の娘に割礼を受けさせなかったコレおばさんを頼って。この地域には「モーラーデ」と呼ばれる保護の風習があり、それを逆手に取りコレおばさんは、少女たちを家にかくまう。古くからの伝統であり、反対することなど問題外であった割礼を廃止しようと、娘たちの為に立ち上がる母たち。前代未聞の動きに、村の男たちは困惑し大混乱となる―。
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女子割礼は今なお30カ国に渡るアフリカの国々で行われているそうだ。医療設備もない状態で行われるこの儀式により命を落とす子供も多い。しかし、死ななかったとしても、この儀式により、女性は精神的にも肉体的にも大きな傷を抱える。この割礼という言葉は男子の行う男子割礼とは、全く意味合いが異なる。女子割礼の目的は「古くからの慣習」というお題目のもとに、女性の外性器を取り去り性感を失わせることで、女性の性をコントロールするためなのだ。

主人公コレは割礼のせいで、二度子供を死産している。そして、長女を難産で出産した。コレおばさんの腹部にはむごたらしい傷跡が残っている。コレおばさんは、上着をはだけ村人たちに叫ぶ。「私はふたりの子供を土に埋めた。そして、ようやく長女を出産できたが、ここまでお腹を切られた。だから、もう子供たちに割礼は受けさせない」と。その痛々しくも雄々しい姿が胸を打つ。

長老を始めとする村の男たちは、「モーラーデ」を止めさせるよう、コレの夫に再三言う。「夫の威厳をもって、やめさせるのだ」「おまえが男としてバカにされているのだ」と。女は、男に従属するものであり、いかなる快楽も得てはいけない。ましてや、夫にたてつくなど絶対にしてはならない。夫自身も周囲に追い詰められ、激しくコレをムチで打つ。

古くからの慣習で、しかもそれが「お清めの」儀式であるという位置づけにあるものを覆すなんてそうたやすいことではない。固定観念にしばられた人間を説得することほど、難しいことはないのだ…

なんて、冷静なレビューを書きたいとこだけど、私がそこに感じたのは「怒り」以外の何物でもなかった。女性を出産の道具のように捉えられた時代や文化もあるけれど、これはそれ以上である。人間に対する尊厳などそこにはみじんもない。コレは孤軍奮闘する。冷ややかな反応にも、夫のムチにも耐え、子供たちを守ろうとする。その姿がやがて周囲の女たちの心にも響き出す。

興味深いのは、村に居着く「兵隊さん」と言うあだ名の商人。値段はぼったくりだし、女たちに色仕掛けをするし、村人からは蔑まれた存在。だが、彼の存在は村人には必要不可欠で時には生活に豊かさを与えてくれる。彼は異文化やよそ者のシンボルなんだと思う。コレを庇った彼がどうなるのか、という結末はぜひスクリーンで見て欲しい。

それにしても、騒動の結末のカギを握っているのもまた「男たち」なのだ、ということが個人的には非常に印象深い。「スタンドアップ」もまた、同じような展開だったことが脳裏をよぎる。コレの頑張りが男たちを動かしたのだからそれでいいじゃないかと、思えばいいんだが、私はどうも割り切れないし、煮え切らない。こと女性問題に関しては素直に考えられないひねくれ根性が頭をもたげる。男たちの「理解」がないと、女の人権って守られないもんなんだろうか。いや、何も男性を敵に回したいわけではない。が、しかし、それでもなお私の心に居座るこのもやもやした感情はどう表現すればいいのだろう。

割礼をしない女性は「ビラコロ」と侮蔑的に呼ばれ、男たちはこぞって「ビラコロとは結婚しない」と声高に言う。つまり、「結婚してやらない」と。結婚「してもらって」こそ女。婚姻制度に頼らねば女の生きる道はないという大きな社会問題もそこには横たわっており、この問題の深刻さを露呈する。

全ての女性たちはもちろん、男性にもぜひ見て欲しい映画である。

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by galarina | 2006-10-16 17:46 | 映画(は行)