クラッシュ
2006年 08月 16日
2004年/アメリカ 監督/ポール・ハギス
クラッシュさせることで、真実が浮かび上がる
物語がダイナミックに動くわけではなく、非常に淡々とした展開。しかし、伝えたいテーマが非常にしっかりしている。観客を面白がらせよう、とか、ワクワクさせようといった媚びは一切ない。その潔さがすばらしい。ものすごく地に足をつけて撮りきっている映画だ。
複数のエピソードが並行して描かれてゆく。それが2つや3つではない。ゆえに、観客はそれぞれのエピソードを咀嚼するのが結構大変である。しかし、次から次へと展開される別々の物語(点)がお互いにぶつかり合って、つまりクラッシュして、次第にひとつの物語(線)になる後半から、観客はどの点とどの点が結びつくのか、固唾を呑んで見守ることになる。
この映画の最も大きなテーマは「人種差別」である。登場人物が非常に多いのでいちいち書かないが、それぞれの差別観というものは、日常のささいな出来事で顕わになる。例えば、サンドラ・ブロック演じる白人女性は、街角で若い黒人男性と擦れちがう時、思わず体をずらして夫の腕に手を回してしまう。それを黒人は「俺たちのことを怖がっているんだ」と解釈する。しかし、彼女に悪気はない。この悪気のない差別は、あちこちで発生する。しかし、お互いの領域に侵入することで(クラッシュすることで)、初めてこの「悪気のなさ」がいかに罪深いものであるかを人々は知ることになるのだ。
やはり数あるエピソードの中で最も印象深いのは、白人警官を演じるマット・ディロンだろう。職務質問と称して、黒人のリッチな夫婦に近づき、根掘り葉掘り聞いたあげく、警官という職に乗じて妻に卑猥な行為を働く。しかし、彼は偶然居合わせた事故で、警官としての正義感からその黒人の妻を命がけで助ける。死ぬかも知れない黒人女性に「あなたにだけは助けられたくない」と叫ばれながら。果たして、この白人警官は、黒人差別者なのかどうか、わからなくなる。しかし、人間の差別とは、得てしてこのようなものではないのだろうか、と思わせられるのだ。
立場や環境が変われば、差別観だって、変わる。逆に言えば、差別とはそれほど個々の強い信念の元に成り立っているわけではないのかも知れない。だが、この事実が結構やっかいなのだ。それは、ちょっとしたきっかけで差別がなくなることもあれば、またその逆もあるということ。「差別」というものがいかにファジィなもので、故にいかにやっかいなものかをこの映画は物語っている。しかし、それを知るためには我々はもっとクラッシュしなけれなならないのだ。差別でどん底まで落ちる主人公がいて、ただ声高に「差別はいけないのだ!」と叫ぶ映画とは、明らかに手法が異なる。しかし、だからこそ差別とは何なのだろうと観客に深く考えさせるのだ。
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クラッシュさせることで、真実が浮かび上がる
物語がダイナミックに動くわけではなく、非常に淡々とした展開。しかし、伝えたいテーマが非常にしっかりしている。観客を面白がらせよう、とか、ワクワクさせようといった媚びは一切ない。その潔さがすばらしい。ものすごく地に足をつけて撮りきっている映画だ。
複数のエピソードが並行して描かれてゆく。それが2つや3つではない。ゆえに、観客はそれぞれのエピソードを咀嚼するのが結構大変である。しかし、次から次へと展開される別々の物語(点)がお互いにぶつかり合って、つまりクラッシュして、次第にひとつの物語(線)になる後半から、観客はどの点とどの点が結びつくのか、固唾を呑んで見守ることになる。
この映画の最も大きなテーマは「人種差別」である。登場人物が非常に多いのでいちいち書かないが、それぞれの差別観というものは、日常のささいな出来事で顕わになる。例えば、サンドラ・ブロック演じる白人女性は、街角で若い黒人男性と擦れちがう時、思わず体をずらして夫の腕に手を回してしまう。それを黒人は「俺たちのことを怖がっているんだ」と解釈する。しかし、彼女に悪気はない。この悪気のない差別は、あちこちで発生する。しかし、お互いの領域に侵入することで(クラッシュすることで)、初めてこの「悪気のなさ」がいかに罪深いものであるかを人々は知ることになるのだ。
やはり数あるエピソードの中で最も印象深いのは、白人警官を演じるマット・ディロンだろう。職務質問と称して、黒人のリッチな夫婦に近づき、根掘り葉掘り聞いたあげく、警官という職に乗じて妻に卑猥な行為を働く。しかし、彼は偶然居合わせた事故で、警官としての正義感からその黒人の妻を命がけで助ける。死ぬかも知れない黒人女性に「あなたにだけは助けられたくない」と叫ばれながら。果たして、この白人警官は、黒人差別者なのかどうか、わからなくなる。しかし、人間の差別とは、得てしてこのようなものではないのだろうか、と思わせられるのだ。
立場や環境が変われば、差別観だって、変わる。逆に言えば、差別とはそれほど個々の強い信念の元に成り立っているわけではないのかも知れない。だが、この事実が結構やっかいなのだ。それは、ちょっとしたきっかけで差別がなくなることもあれば、またその逆もあるということ。「差別」というものがいかにファジィなもので、故にいかにやっかいなものかをこの映画は物語っている。しかし、それを知るためには我々はもっとクラッシュしなけれなならないのだ。差別でどん底まで落ちる主人公がいて、ただ声高に「差別はいけないのだ!」と叫ぶ映画とは、明らかに手法が異なる。しかし、だからこそ差別とは何なのだろうと観客に深く考えさせるのだ。
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by galarina
| 2006-08-16 23:30
| 映画(か行)